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東京造形大学研究報
No.15
——目次
Communities
――How art in early childhood can nurture empathy and inspire collaboration between children,
parents and the community?
石賀直之
005
祐成政徳
015
蔦原真智
029
作者という原因について
新説・
『地獄変』
記録と考察「コレクション
× フォーマートの画家 母袋俊也
世界の切り取り方——縦長か横長か、それが問題だ」
母袋俊也
043
ブルーノ・タウト『日向別邸』と日本近代工芸
――「民」の時代とドイツ神秘主義の世界観
長谷川 章
111
Journal of
Tokyo Zokei University
15 2014
石賀直之
Naoyuki ISHIGA
Communities
——How art in early childhood can nurture empathy and inspire collaboration between children,
parents and the community?
Summary
The purpose of this study is how art in early childhood can nurture empathy and inspire collaboration
between children, parents and the community. I will devote some space to the discussion of
appearance of communication through the workshop. This workshop demonstrates a dialogic model
for adults and children to come together around a drawing and painting activity where they are
required to look carefully at each other and to respond to the others mark making in a cooperative
and collaborative manner. It requires a high degree of non-verbal communication and empathy for the
other. It provides a context for an intimate dialogue through art making. Non-verbal communication
is important conduct for all the people who have cultural barriers. The cultural barriers exist between
the children and old people and foreigners and foreigners. The participants began to perceive that
there is a wealth of expression when facing each other. Especially young children were found to have
self-confidence while checking the receptive expressions of parents and teachers. When the children
drew the same motif their parents had drawn, their imagination spread. The results indicated that
early childhood could nurture empathy and inspire collaboration between children and parents. To
draw skillfully is not important. What matters is rather how one draw. These results lead us to realize
the importance of non-verbal communication through the arts. I’m convinced this workshop will help
to rebuild the communication between people of all generations. It isn’t always the case that the rule
applies to all situations. There is a need to change the rules depending on the state of participants.
CONTENTS
List of Tables
Chapters
1. Introduction
2. Methodology
3. Results
4. Conclusion
Reference
006
祐成政徳
Masanori SUKENARI
作者という原因について
●抄録
そもそも、なぜ人は「美術作品」を作るのか。
作る側から言えば、つくってしまう訳で、作りた
い衝動といってしまえば、個人的なことなので事
足りてしまう。しかしそれを受け取る側から考え
ると、確固とした尺度、あえて言えば社会的な位
置、あるいはそれに類するものがあるのだろうか。
「美術作品」という語は、美術と作品が合体し
たものである。日本語では「作品」といったとき
に既にARTWORKの意味合いが含まれる気がす
る。このWORKはなんらかの営みにより人が作
り出したモノという意味であろう。曲者は「美
術」の方で、はなはだ一般的に定義があいまいで
ある。ここではこの意味を、「どこにも帰属しな
いもの」ととらえたい。そのもの自身から発して
そこに帰結するような(美的)物体。というよう
に世間的な有効性を当面の目的としないならば、
なおさらさきほどの受け取る側との関係が気にな
るところである。
このような問いを包括的に考えることは、抽象
的な議論に終始しがちである。ということから
「作者という原因について」という設問をもうけ、
自らの経験を例に取りながら端的に正面から回答
を導き出せない難問について、太陽の周りを廻る
惑星然と論考する。
016
蔦原真智
Machi TSUTAHARA
新説・
『地獄変』
A Fresh Interpretation of“Hell Screen”
●抄録
芥川龍之介の傑作との呼び声高い短編「地獄
が身を傷つけること無くしては、真の苦悩を描く
変」
(1918)は、語り手の曖昧な語り口故に、多く
ことはできない」という、この厳しく透徹した創
の「謎」を含む作品であると考えられてきた。そ
作者意識は、覚悟の上での表明であるように思わ
の中でも最大の「謎」は、主人公の絵師良秀が、
れる。そして、創作者その人の苦悩が、
「直接」私
愛娘が焼け死のうとする様を目の当たりにした時
たちの心に触れる時、私たちはその芸術を「傑作」
の彼の心情であろう。良秀は最初、苦悶の表情を
と呼ぶのである。
浮かべるが、その後それは恍惚とした表情に取っ
て代わり、結局彼は歓喜の中で地獄変屏風を描き
上げるのである。この良秀の表情の変化について
はこれまで、
「芸術愛が父性愛を超克した」
「人間良
秀は娘と共に死に、芸術家良秀だけが後に残っ
た」など複数の解釈がなされてきたが、本論は英
国人作家ラドヤード・キプリングの処女長編『消
えた光』と、日本の漫画家手塚治虫の『ブラック・
ジャック』第一巻に収められている短編「絵が死
んでいる!」という、国や時代が異なる作品と比
較参照することで、
「地獄変」のクライマックスに
新たな解釈を試みようとするものである。本論で
は、
『 消えた光』の主人公である青年画家ディッ
ク・ヘルダーも、
「絵が死んでいる!」の主人公で
ある青年画家ゴ・ギャンも共に、
「悲しみ」や「苦
しみ」をテーマにした絵を描いていること、また、
両者とも、画家本人が実際に苦しんでいない時に
は、創作は難航するが、画家本人たちが苦しみの
真っただ中にいる時には傑作を生み出した、とい
う共通点に着眼し、良秀もまた彼らと同じような
心境にあったのではないかという仮説を導き出し
ている。この比較考察から見えてきたことは、芸
術家とは「苦しみ」が即、
「喜び」であるような、稀
有な存在であるということだ。普通、苦しみが同
時に喜びであるというパラドキシカルな事態は起
こり得ないのだが、
「苦しみ」をテーマにした作品
を生み出そうとする芸術家にとっては、そのよう
な「異常な」事態が確かに起こり得るのではない
だろうか。芸術とは本来、現実と乖離した間接的
なものである。たとえどんなに美味しそうな食べ
物を文字や絵で表現したとしても、それを味わう
ことができないように、たとえどんなに文学や絵
画の技術を尽くして「苦しみ」や「悲しみ」を表現
なま
したとしても、
「生の痛み」を物理的に鑑賞者に対
して与えることは、原則的に不可能である。故に
芸術は、時に、
「綺麗事」や「偽善」のレッテルを貼
られてしまう。だからこそ、本論で論じた三人の
なま
創作者たちは、創作者自らが味わう「生の苦しみ」
が、
「苦しみ」をテーマにした作品を創作する際に
不可欠であると提示しているのかもしれない。
「我
030
母袋俊也
Toshiya MOTAI
記録と考察「コレクション × フォーマートの画家 母袋俊也
世界の切り取り方—縦長か横長か、
それが問題だ」
青梅市立美術館
2012.12.1(土)- 2013.1.17(日)
●抄録
本研究が対象とする「コレクション×フォーマ
1. 目次
ートの画家 母袋俊也 世界の切り取り方 ―縦
2.展示
長か横長か、それが問題だ―」展は、青梅市立美
術館収蔵品と母袋俊也の〈絵画〉ならびに〈絵画
のための見晴らし小屋〉系作品で構成展示され、
2012年12月1日(土)-2013年1月27日(日)の期
間に青梅市立美術館で開催された。
本研究はその記録化と検証考察であり、以下の
2-1インスタレーションビュー
3.プランドローイング
4.絵画
4-1 横長
4-2 縦長
4-3 正方形
4-4 その他
5.絵画のための垂直箱窓、絵画のための見晴らし小屋、膜窓
方法で記録集として編纂される。
5-1 絵画のための垂直箱窓
展覧会出品作品、企画プランドローイング、イ
5-1-1 絵画のための垂直箱窓-青梅1~4 ンスタレーションビューなどの画像と会場に掲出
された出品作をめぐるエッセイ、企画者である学
芸員の本展趣旨原稿、加えて関連企画として開催
されたアーティストトーク原稿ならびに対談記録
5-1-2 絵画のための垂直箱窓-水平-青梅1
5-1-3 絵画のための垂直箱窓-青梅5
5-1-4 絵画のための垂直箱窓-水平-青梅2
5-1-5 絵画のための垂直箱窓-M303/アルコープ
5-2 絵画のための見晴らし小屋
5-2-1 絵画のための見晴らし小屋 MOMAS
原稿などのテクストを収録する。
5-3 膜窓
テクストすなわち文字と画像を紙面上に図像学
6.映像
的再編成を試みる方法によって、研究テーマであ
7.テクスト 絵画をめぐる自筆文献
る「絵画における精神性とフォーマート」の視点
からの検証、考察をとおして、絵画の、表現の本
質とその課題を表象させようとするものである。
以下の課題が本研究によって照射されると推察
7-1 絵画/風景 考 TA・KOHJINYAMAに寄せて
7-2 青梅、そして《TA・OHNITA》に寄せて
7-3 Qf・SHOH 150《掌》回収と積合
風景からの視線
7-4《TA・TARO》
7-5《M445 Stephan 2012》
7-6 絵画のための垂直箱窓-青梅
される。
8.
「世界の切り取り方―縦長か横長か、それが問題だ―」
・フォーマート問題を日本絵画史の中での再考。
展開催について 小山政史(青梅市立美術館学芸員)
(伝統の系譜としての日本画と洋画の系)
9.母袋俊也アーティスト・トーク ・縦長=垂直性/横長=水平性の原理的考察。横
長フォーマートに参入されるナラティーブ性、
……。
10.
対談 母袋俊也╳梅津元(埼玉県立近代美術館主任学芸員)
・はじめに
・母袋俊也の活動+埼玉県立近代美術館での試み
・縦長/横長―グリッド・パターンと球体モデル/膜状性
・絵画を窓としての捉えようとしたアルベルティ
・「膜状性」―絵の現れる場 の「絵画論」の今日意味。それを異方性/等方性
・絵の位置―像の浮かび上がる場 の観点からの主客の二分法の見直し。また窓・絵
画が捉えようとするその対象としての世界とは、
そして世界と対面する主体との中間に現出する絵
画の位置関係。さらに絵画が現前化を果たそうと
するその場とは……。
・縦長・垂直性―横長・水平性
・横長・水平性―〈TA〉系
・縦長・垂直性―〈バーティカル〉
・矩形・窓―〈絵画のための見晴らし小屋〉〈絵画のた
めの垂直箱窓〉〈膜窓〉
・正方形・統合、総合性―〈Qf〉系
・結語
11.出品リスト
12.略歴 044
長谷川 章
AKIRA HASEGAWA
ブルーノ ・ タウト『日向別邸』と日本近代工芸
――「民」の時代とドイツ神秘主義の世界観
Bruno Taut,s “VILLA HYUGA” and modern crafts movement in Japan
— “Folk”era and german mysticism
●抄録
本論はドイツの近代建築家ブルーノ・タウトが
共同体を形成したが、その理念はタウトの『都市
日本で設計した『日向別邸』について論じたもの
の解体』を彷彿とさせる。
である。タウトは日本に昭和8(1933)年から昭和
第4章では「民」の時代を象徴する「民家」に着
11(1936)年まで滞在し、日本文化論の執筆者と
目する。タウトは常に農村や農民の生活に興味を
して、工芸指導者として、建築の設計者として受
抱き『日本の家屋と生活』を執筆した。当時日本
容された。本論ではまずタウトを受容した当時の
での今和次郎の「民家」の調査研究は、ドイツの
日本の状況との関係について検証する。すなわち
ネオ・ロマン主義の郷土保護運動を出自としてい
大正デモクラシーを過ぎた昭和初期から太平洋戦
る。今は「民家」を工芸として捉えた。また工芸
争に至るナショナリズムの時代を、本論では「民」
家の斎藤佳三はドイツで表現主義と総合芸術の影
の時代と位置付けていることが特徴的である。具
響を受け「組織工芸」を提唱し建築へと迫った。
体的に当時の日本を「民俗」
「民芸」
「民家」という
こうしてドイツ神秘主義とドイツ・ロマン主義
視座から捉え直し、その延長にタウトが設計した
に彩られた日本近代の「民」の時代において、
『日
『日向別邸』について新たな解釈を試行し、タウ
向別邸』は「民俗」
「民芸」
「民家」との関係の中に位
トが都市や建築や工芸に託した美の世界について
置付けられる。そしてタウトの日本文化論、工芸
論ずる。
品そして『日向別邸』という建築には、
「無数の関
全体は4章から構成されている。
連」を誘発し有機的な全体像が生成しているよう
第1章では、大正から昭和に生まれた「われわ
な、ドイツ神秘主義の世界観が認められる。
れ」の時代について論じる。それは明治までの国
家主義に代わり民衆が誕生した時代であり、これ
を私は「民」の時代として位置付けた。この時代
は明治以降の資本主義と西欧化政策への反発が起
きた時代でもある。その結果昭和初期の時代とは、
農本主義と日本の古典文化への伝統回帰が特徴的
となった。その文学や思想を先導したのはドイ
ツ・ロマン主義の強い影響を受けた「日本浪漫派」
である。当時の日本古典再評価の「文芸復興」の
ピークといわれる1932年から1935年の期間とは、
まさにタウトが日本で活躍した時期に重合する。
第2章では、
「民」の時代を象徴する「民俗」に着
目する。タウトが執筆した『ニッポン』で言及さ
れた桂離宮は、当時の建築界では「日本的なもの」
というモダニズムを内在させた簡素美の象徴とし
て捉えられた。その「日本的なもの」を論じる前
提条件となる日本単一民族という概念を、稲栽培
に基づいて構築したのが柳田國男の「民俗」学で
あった。この柳田の民俗学にはドイツ神秘主義の
影響が認められる。
「民」の時代を象徴する「民芸」に着
第3章では、
目する。タウトが仙台や高崎の工芸指導所で活躍
した時代とは、日本が万国博覧会を通じて工芸に
よる輸出振興に取組んでいた時代に重合する。そ
してそれは柳宗悦が「民芸」の美学を提唱した時
代にも重合する。柳の「民芸」は宗教哲学を背景
としており、ドイツ神秘学を出自としている。柳
の「民芸」は戦時下に国家が主導した工芸に取っ
て代わる。「民芸」は農本主義と結び付き、美の
112
本号の執筆者
石賀直之(いしが・なおゆき)東京造形大学准教授
祐成政徳(すけなり・まさのり)東京造形大学非常勤講師
蔦原真智(つたはら・まち)東京造形大学非常勤講師
母袋俊也(もたい・としや)東京造形大学教授
長谷川 章(はせがわ・あきら)東京造形大学教授
東京造形大学研究報
15
Journal of
Tokyo Zokei University
No.15
2014
発行 2014年3月31日
編集
東京造形大学研究報編集委員会
編集委員長——長井健太郎
編集委員———田窪麻周
池上英洋
石賀直之
藤井 匡
渡部千春
発行
東京造形大学
192-0992 東京都八王子市宇津貫町1556
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