医療とTPP ~専門職と医薬品への影響に関する試論~ 多摩大学 統合リスクマネジメント研究所 医療リスクマネジメントセンター (社)農協共済総合研究所 客員研究員 1 TPPとは 教授 真野 俊樹 主なものは、1989年から1990年の日米間の 環太平洋連携協定(Trans Pacific Part- MOSS(モス)協議(市場重視型個別協議)、 nership:TPP、以下「TPP」とする)とは、 1989年の第1回日米構造協議、1994年の日米 アジア太平洋地域に位置する参加国の間で、 包括経済協議があるし、今回のTPPの前段階 貿易・投資の自由化、各種経済制度の調和等 としては、小泉内閣時代における米国「年次 を行うことにより、参加国相互の経済連携を 改革要望書」がある。 促す自由貿易協定(Free Trade Agreement: TPP交渉にあたっては24の作業部会が設 FTA)の一つである。2005年6月3日にシン 置され、21分野についての協議が進められて ガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーラン いる。この21分野のなかに医療分野は含まれ ドの4か国間で調印し、2006年5月28日に発 ておらず、 直接議論の対象とはなっていない。 効した。これまで日本が締結してきた経済連 ただし「物品市場アクセス」「知的財産」分野 携協定(Economic Partnership Agreement: の対象として、医薬品・医療機器の非関税障 EPA)と比較すると、TPPの自由化水準は極 壁の撤廃等が扱われる可能性はある。2012年 めて高くなると考えられ、原則として全品目 3月に政府が公表した『TPP協定交渉の分野 の関税を即時または10年以内に撤廃すること 別状況』によると、 「医薬品関連のルールは、 が規定されている。 物品の貿易の分野ではなく、 (制度的事項の) TPP交渉には、ニュージーランド、シンガ 「透明性」の分野で扱われている」とされて ポール、チリ、ブルネイ、米国、オーストラ おり、また、 「医薬品及び医療機器の償還(保 リア、ペルー、ベトナム、マレーシアの計9 険払戻)制度の透明性等を担保する制度を整 か国が参加し、2011年11月のAPECにおいて、 備し、手続保障を確保することについて提案 日本、カナダ、メキシコの3か国が新たに交 をしている国がある一方で、貿易交渉で議論 渉参加の意向を表明し、日本以外の2か国の する権限がないと主張している国があるとの 参加が認められ、現在に至っている。 情報がある」と報告している。 TPPは世界経済のなかでTPP参加国の競 2 争力を向上させるために、関税や非関税障壁 TPPと産業政策 を撤廃し、経済的な国境をなくすことを目的 政策研究大学院大学教授である竹中治堅 としている。米国と日本の自由貿易(規制緩 (2006)は、1994年から2005年までに、次の 和)に限ってみれば、その歴史はさらに古い。 五つの変化が政治に起きたという。 22 共済総研レポート 2012.10 社団法人 農協共済総合研究所 (http://www.nkri.or.jp/) 「一 政党の間で競争が行われる枠組みが定 市場原理主義の要素が強くなる背景があっ まり、主要な政党として、自民党と民主 た。一方で、小泉内閣は医療を明確に産業と 党が競い合うようになった。 位置付けておらず、そのため財界主導ではあ 二 首相の地位を獲得・維持する条件が変 るが医療に関しては支出削減を目指す財政主 わり、世論から支持を獲得することが何 導の市場原理主義となった。いいかえれば、 にもまして重要な条件となった。 医療を成長産業としてではなく、コスト増の 三 首相の権力が強まった。 要因としてしか考えてこなかったために、支 四 行政改革が行われ、国の行政機構が一 出削減を志向していたといえる。医療費の自 府一二省庁に再編された。 然増に対して年間2,200億円の削減目標を示 五 政治過程における参議院議員の影響力 すなど、医療界との対立が目立った。ここに、 が高まった。 」 自己完結型で補助に頼らないという点で、産 二に関して言及すれば、政治家、特に首相 業主義と市場原理主義の混同がみられるので のテレビ・メディアへの露出がきわめて頻繁 ある。 になり、テレビ・メディア自体の政治的な役 一方、民主党は市場原理主義というより、 割の拡大という流れに乗ることで非常に大き 医療を含めた産業主義をとっている。この違 なインパクトを持つこととなった。これを効 いを見る上では、ハーヴァードビジネススク 果的に利用したのは小泉元首相であった。 ールのマイケル・ポーターの立場が面白い。 このような変化の中で、小泉政権において ポーターはもともと経済学者であったが、産 は財界主導で政策誘導が行われる度合いが上 業組織論を基にした経営学者になる段階で、 がったと考えられる。さて、財界とは何か。 考え方をひっくり返した。元来は経済学的に 川北隆雄(2011)によれば、 「経済界の利益を 資源配分を考える立場であったが企業の立場 政治的アリーナで実現しようとする集団」を でどのような市場環境を作るのがふさわしい いう。「経済界全体の利益は個別企業や個別 かを考えて主張するようになったのである。 業界の利益と対立することもあり得るから、 企業が自社に有利なポジショニング戦略をと 財界は、個別企業、個別業界の主張を取り込 ることで利潤が少なくなる、完全競争の状態 みながら、それらを調整して企業横断的、業 から逃れる手法を説いたといえよう。 界横断的な利益を政治的アリーナで実現しよ また、医療経営についても、ポーターと同 うとするのである」としている。主な財界の じハーヴァードビジネススクールのヘルツリ メンバーとしては、日本経団連、日本商工会 ンガーが消費者主権の市場原理主義で、患者 議所、経済同友会が挙げられる。 と医療提供者の情報の非対称性をなくし、消 世界的に進行しつつあるIT化、それに伴 費者が医療購入の是非を決め、選択するべき う情報のグローバル化は、その帰結としての であるという考え方、いわゆる新古典派経済 強い消費者主権、つまり市場原理主義と親和 の立場であるのに対し、ポーターは産業組織 性がある。この消費者主権を唱えるのは都市 論の視点で情報の非対称性の存在を前提とし 型の政党に多い。自民党政権の支持基盤の中 て、むしろそこに代理人を必要とするという でも都市型の要素を強く持った小泉内閣は、 考え方をとる。ポーターは産業主義をとって 23 共済総研レポート 2012.10 社団法人 農協共済総合研究所 (http://www.nkri.or.jp/) いてもアメリカを基に考えているので、この と混合診療の原則解禁 代理人が保険者であったりする。 ③ 第3段階の要求として、全国レベルで ポーターは、競争主義にもとづき、保険者 の株式会社の病院経営と混合診療の原則 同士の競争を重視する。逆に言えば単一の保 解禁、医療への全面的な市場原理の導入 険者は、権限が集中しすぎるので否定する。 筆者自身は、医療制度・政策を専門として 以上をまとめると、次の三つの立場に整理 おり、TPPについて特に詳しいわけではな することができる。 い。また、2012年9月の時点でTPPの参加是 ① 財政主導の市場原理主義:結果的に小 非に関する議論は平行線をたどっている。し 泉内閣が志向した政策 かし、二木が指摘するようにTPPへの参加が ② 財界主導の産業主義:民主党は当初は 医療界にも影響を及ぼすことは予測できよう。 財界と距離をおいていたが、政策として その中で、今回は二つの試論を紹介したい。 は産業主義であった。また野田内閣にな 一つは、大きな論点で、EU成立後の欧州の ってからは、財界との距離も近くなった。 医療に起きた変化からも予測可能な、高度専 ポーターに近い。 門職(プロフェッショナル)の流動化、中で ③ 真の市場原理主義:米国の経済学者の も医師免許の自由化の問題である。そしても フリードマンや前述したヘルツリンガー う一つは、二木も予測している、医薬品・医 の立場。情報の非対称性をなくせば消費 療機器への影響である。 者がすべて決定できると説く。 4 産業主義は、補助に頼らず自己完結で収益 プロフェッショナルへの影響 を得ることを理想とするモデルであり、補助 医師は弁護士や会計士などと並んで、「プ 金は出すが医療をコストとみる財政主導の改 ロフェッショナル」と言われる。プロフェッ 革とは異なる。この点は、自民党、特に小泉 ショナルとは何か。専門的な仕事をしている 政権が打ち出した社会保障政策といえる財政 人がすべてプロフェッショナルに区分けされ 至上主義のスタンスとはかなり異なっている。 ることにはならない。プロフェッショナルに 産業主義は、国益あるいは国民の利益を重 共通しているのは、高度の知識や技術に支え 視する。産業政策という視点でTPPを評価す られた、いわゆる素人が簡単にマネできない ることも必要であろう。 専門性を持っていること、それに加えて、自 分の判断で行動できる自律性を持っているこ 3 TPPの影響 とである。 日本福祉大学の副学長である二木(2011) そして、このプロフェッショナルの専門性 は、日本がTPPに参加した場合のアメリカの や自律性を、国家レベルで制度的に担保する 要求として、次のような予測を行なっている。 ものとして、免許制度がある。日本では国家 ① 第1段階の要求として、現行の医療 試験であり国家が管理することが自明のよう 品・医療機器の価格規制の撤廃・緩和 にみえる医師国家試験や医師免許であるが、 ② 第2段階の要求として、医療特区(総 欧米では少し異なる。たとえば英国では統一 合特区)に限定した株式会社の病院経営 の医師国家試験はなく、大学医学部を卒業し 24 共済総研レポート 2012.10 社団法人 農協共済総合研究所 (http://www.nkri.or.jp/) (その時に試験はあるが) 、1年間の研修終了 EUでは医師免許の互換がなされた。もと 後にGMC(General Medical Council:医師 もと外国人医師が多かった英国であるが 、 カウンシル)に登録することで医師となる。 その結果、英国の医師数はさらに急速に増加 フランスでは、医学部での6年間の教育に加 した。それまでは外国人医師といえば海外か えて、一般医なら3年、専門医なら4~5年 ら移住してきた医師であったが、ドイツや新 の卒後臨床研修を受け、国家博士論文を提出 興国のような医師への給与が安い国から週末 したうえで、医師国家免許が与えられる。ま や夜間などの時間外診療を行いに来る、いわ たすべての医師は、県医師会名簿に登録する ゆるアルバイトの外国人医師が増加した。こ 義務がある。 の 点 は 、 英 国 の NHS ( National Health 1 かつて専門職は、国家権力あるいは行政と Service:国民保険サービス)においても、 対峙することが多かった。中世では、現在の 英語力だけでなく医学技能が英国の水準に達 ような高度専門職と呼べるか否かは多少疑問 しているのかが問題とされた。 もあるが、職業集団としてギルドが形成され 最近の英国では、医師免許の更新制が導入 た。ドイツにおいては医局制度という形で、 された。英国ではGMCに医師が登録されてお 近年まで医師のギルドが形成されていたとみ り、2012年から施行され、5年ごとに医師免 ることも可能である。これらの点を強調すれ 許は更新される。ただし、更新制といっても ば医師免許を国家が管理するということに対 教育が中心であり、医師を厳しく評価するも する反対は当然あったと思われる。たとえば、 のではない。つまり、すべての医師が1年ご フランスにおいてはグランゼコール(高等教 とに、その成果や実績を自ら振り返ることと 育専門機関)のなかのENA(École nationale なった。また、ここには患者からのフィード d'administration:国立行政学院)という行 バックも含まれる。内容には医学知識のみな 政専門職のエリートと対峙する形で医師とい らず、医療安全やコミュニケーション、チ- う専門職がある。フランスでは、医師になる ムワークといった内容も含まれる。 にはかなりの関門をかいくぐっていかねばな 医師免許の更新制は、非常勤医師(アルバ らない。その意味でも、高度な専門職である イトの外国人医師を含む)にも適応される。 医師の自立と自律のための戦いが、医師対官 なお、医師登録には次の2つのカテゴリー 僚という構図で行われている。 がある。 ① License to practice 5 グローバル化と対峙する専門職資格 処方箋発行を含む臨床業務を行うこと 一方、近年の専門職は、国家以外に、グロ が出来るもので、日本の保険医登録に近 ーバル化と向き合わねばならなくなってきて い。例えばNHSでの勤務や処方、また診 いる。TPPは医師などの専門職の国境を越え 断書を書くことが可能である。 た移動も可能にするかもしれない。つまり専 ② Certification 門職に対する免許の互換である。 1 いわゆる医師免許にあたり、研究職・ 日本医師会総合政策機構(2002)『医師を輸入するイギリス』 25 共済総研レポート 2012.10 社団法人 農協共済総合研究所 (http://www.nkri.or.jp/) 教職・海外勤務・退職といった臨床をし る。もし、医療IT技術やロボット技術の進 ない医師が想定されている。 歩で遠隔手術が行えるようになった場合には 当面は、①を中心にとのことであるが、② どうなるのであろうか。もちろん扱える数に にもゆるく適応されるようであった。このよ は限りがあろうが、世界の名医に患者が殺到 うにして、英国は単に医師免許制度に依存す するということもあり得ないわけではない。 るだけではなく、それ以外の方法によっても しかし、この変化は多くの医師にとっては 医師の質の担保を試みている。 つらいことになろう。今までは、評価される ためには日本国内で有数の医師であればよか 6 医療のグローバル化による医師へ の影響:TPP議論の陰に った。しかし、もし想定したような時代にな 多国籍企業では、新興国であろうとも従業 ことになる。 れば、世界有数の医師でないと評価されない 員の生産性は高い。それは、多国籍企業にお この変化を阻むものは、言語と文化の壁で ける研修の賜である。しかし、給与には差が ある。文化の問題がある診療科目と、外科の ある。すなわち新興国では人件費が低い。き ような診療科目は別の動きになるのではない わめて単純化すれば、そのために新興国の生 かと考えられる。すなわち、外科のように言 産性は高くなる。それが多国籍企業の利益の 語や文化の問題より技術を重視する診療科目 根源の一つである。 と、内科やかかりつけ医のように言語や文化 新興国の医師も先進国で研修している。質 に裏打ちされたコミュニケーションを必須と を担保しつつコストを下げるには、新興国へ する診療科目との差である。 のアウトソーシングを増やした方がいい。こ 一般社団法人外科系学会社会保険委員会連 ういった声が出てくることも、ある意味で、 合(外保連)の、診療の難易度に関する考え 必然であろう。この動きを利用しているのが 方が、診療報酬に大きく反映されるようにな インドである。特にインドは、米国や英国で った。見える化がしやすいからであり、外科 研修した医師が自国へ戻ってくることが多 の立場が強くなった、とよく言われる。しか い。すなわち、インドでは生産性あるいは能 しながら、グローバル化の進展は、逆説的に 力が高い医師が医療を行っているので、先進 聞こえるかもしれないが、文化の背景を持っ 国はアウトソーシングでインドの医療をどん た医師の重要性を強調することになるのであ どん使ってください、というスタンスである。 る。 それにより患者が主として先進国から新興 7 (医療観光)である。確かに、医療の多くは 国内育ちの優秀な医師がいなくて もいいのか 患者に実際に触れなければ診断治療は難し 非常に面白い現象として、シンガポールで い。ただし疾患を持っている患者にとって、 も、自由化と逆の動きが起こっている。従来 長時間の移動は苦痛の場合が多い。 シンガポールはシンガポール国立大学に医学 国へと移動することがメディカルツーリズム 部があるのみで、年間の卒業医師数は200名強 しかし、 IT技術の進歩による遠隔医療は、 であった。足りない医師は海外から流入する このパラダイムを変えてしまう可能性があ 26 共済総研レポート 2012.10 社団法人 農協共済総合研究所 (http://www.nkri.or.jp/) 医師で補っていたのである。医学部の定員数 ②、 ③の申請してからの問題を見てみよう。 を増加させてはいるが、ハーヴァード、デュ ここは、日本では独立行政法人医薬品医療機 ーク、クイーンズランド大学などの海外の医 器総合機構、いわゆるPMDA(Pharmaceu- 学部を誘致することで、さらに医師養成数を ticals and Medical Devices Agency)が担 増加させようとしている。 当になる。 このような動きは、産業として医療を育て 9 るために優秀な医師の育成が必須であること PMDAとは PMDAは、厚生労働省が基本的政策の企画 を考えれば―産業政策の視点に立てば―当然 立案、法律に基づく承認や行政命令等の行政 といえよう。 措置等の実施を行うのに対し、行政的判断の 8 薬剤政策 伴わない審査・調査、データ処理等の業務を 米韓FTAでは医薬品分野の規定が設けら 実施する。 れたことから、TPPにおいても医薬品分野へ (厚生労働省の業務例) の影響が想定される。TPPへの参加を推進す ・救済判定 る立場の意見として、薬剤承認の迅速化など ・審議会への付議、最終的な承認判断 により新薬・新医療機器へのアクセスが向上 ・回収・緊急安全情報発出の指示 し、ドラッグラグが解消されるという声があ ・緊急かつ重大な案件に係る安全対策業務 る。本当にそうであろうか。 (PMDAの業務例) ドラッグラグとは、日本と欧米との新薬承 ・拠出金の徴収、救済給付金の支給 認の時間差、あるいは、海外で新薬が先行販 ・医薬品等の審査・調査、治験相談 売され、国内では販売されていない状態のこ ・副作用報告の受理・収集・整理・調査 とをいう。 ・副作用情報の提供 なぜこのラグが起きるのであろうか。欧米 10 で開発・発売された新薬が日本で使用が認め すでに行われつつある改革 られ発売されるまでには、人種差などがある 独立行政法人であるPMDAを所管してい ために、国内での効果や安全性の確認のため る厚生労働省もこの動きに対応している。す の治験実施と審査などのため、時間がかかる。 なわち、 欧米と2.5年差があるといわれるドラ ッグラグの解消に努めている。 まず、ラグは、 事業仕分けや、厚生労働省独立行政法人評 ① そもそもその薬の治験開始が遅い(申 価委員会においても、PMDAについては削減 請ラグ) ② 治験に時間がかかる(申請ラグ) ではなく、むしろ増員といった形で後押しが ③ 申請してからの時間がかかる(審査ラ 必要である、ということで意見が一致してい る。また、PMDA側の努力もあり、かなり体 グ) 制は良くなってきている。 の3つからなる。さらに細かくいえば、審査 ラグの中に、審査側のかけた時間と申請者側 のかけた時間がある。 27 共済総研レポート 2012.10 社団法人 農協共済総合研究所 (http://www.nkri.or.jp/) 2 また、バイオックス の副作用問題発覚以 日本の製薬会社であっても起きる現象だ。こ 降、米国のFDA(Food and Drug Admini- の点はTPPで解消される問題とは思えない。 stration:食品医薬品局)は新薬の承認に対 11 してより厳格な姿勢を見せ、製薬企業も新 ジェネリックへの影響 薬開発により慎重になったために、従来の 既に公表されている『医薬品へのアクセス ように米国あるいはFDAが新薬を先行して の拡大のためのTPP貿易目標(日米通商代表 承 認 す る と は 限 ら ず 、 逆 に 欧 州 の EMA 部=USTR公表) 』(2011年9月)において、 (Eurpopean Medicines Agency:欧州医薬 「ジェネリック医薬品及び革新的医薬品双方 品庁)や日本のPMDAが先に承認する例もあ がTPP各国の市場に参入する最も公正な機 る。 会を確保するため、政府の健康保険払戻制度 平成19年に厚生労働省が発表した『革新的 の運用において透明性と手続きの公平性の基 医薬品・医療機器創出のための5か年戦略』 本規範が尊重されることを求める」とある。 等では 「新薬の上市までの期間を2.5年短縮す 医療の技術に関した特許、たとえば患者の る」とされており、PMDAは開発から申請ま 診断方法や手術方法では特許をとることがで での期間を1.5年短縮、申請から承認までの期 きない。これはやはり医療が、病気を治した 間を1年間短縮するとされた。 り、命を救ったりするという特殊なものだと 平成22年度において、PMDAは医薬品の申 いう認識からきている。つまり、ある手術の 請から承認までの期間についてはほぼ当初の 方法で、もし特許がとられていたりすると、 目標を達した。この部分でのドラッグラグは その特許をもっていない別の医師は、特許料 ほぼなくなったといってもいい。ただ、問題 を払わないと同じ手術方法がつかえないとい は治験開始の時期を早められるか、あるいは うことになるからである。 他国と同じタイミングで申請されるかで、こ 「もの」である医薬品にはこの基準は当て こには課題が残る。ここは、審査の問題では はまらない。米国側の要望には、医薬品の特 なく市場の問題や、国際共同治験ができるか 許期間の延長が含まれる可能性があり、この どうかといった問題になってくる。 場合には、患者が安いジェネリック医薬品へ 世界2位の医薬品市場である日本でなぜ、 のアクセスが阻害される可能性がある。 製薬メーカーの関心が低下しているのかは治 また、米韓FTAにより、医薬品輸入関税 験のスピードと質の問題とされることが多い。 8%即時撤廃、革新的新薬の審査配慮と薬価 たとえ日本の研究者が新薬の候補となる物質 優遇などが具体化する。このような隣国での を探し出しても、製薬会社が海外で治験を始 状況を注視することも重要であろう。 め、日本より先に承認を得た例もある。これ は、 筆者も製薬会社に勤務したことがあるが、 2 米国医薬品大手のメルク社が販売した関節炎治療薬。1999年の発売から5年で25億ドルの売り上げを記録したが (日本では未発売) 、長期服用によって心筋梗塞等の心疾患の発生率が2倍以上になることが発覚、2004年に自主回 収となった。FDAの発表によると、服用によって2万人以上が心臓発作や死亡につながったとされ、8~13万人が 何らかの障害を受けたとされている。 28 共済総研レポート 2012.10 社団法人 農協共済総合研究所 (http://www.nkri.or.jp/) 12 まとめ 産業政策という視点は、国益あるいは国民 の利益を重視する。この立場から、TPPある いは過度のグローバル化の危険性を専門職お よび医薬品への影響という視点から述べた。 【参考文献】 ・竹中治堅(2006)『首相支配―日本政治の 変貌』中公新書 ・川北隆雄(2011)『財界の正体』講談社現 代新書 ・二木立(2011)「TPPに参加するとアメリ カは日本医療に何を要求してくるか」『週 刊日本医事新報』№4572 ・二木立(2012)『TPPと日本の医療』勁草 書房 ・真野俊樹(2012)『入門医療政策 誰が決 めるか、何を目指すのか』中公新書 ・上原勉「TPP交渉を巡る医薬品・医療機器 への影響と動向について」 29 共済総研レポート 2012.10 社団法人 農協共済総合研究所 (http://www.nkri.or.jp/)
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