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国府高校 天文部 - 愛知県立国府高等学校

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スピカ
8号
(国府高校 天文部)
1
スピカ―天文部への招待
はじめに・・・・・・・・・・・・・3ページ
1・スピカの由来・・・・・・・・・・3ページ
2・天文部の歴史・・・・・・・・・・3ページ
3・天文部発行の雑誌・・・・・・・・4ページ
4・本年度 天文部の活動・・・・・・6ページ
5・天文に関するアクセスポイント・・7ページ
6・天文に関する発表会・研究会・・・8ページ
7・天文に関する雑誌・・・・・・・・・8ページ
8・天文部今昔物語・・・・・・・・・9・10ページ
9・雑感・・・・・・・・・・・・・・・11ページ
10・星の古記録―藤原定家『明月記』を中心に
・・・・・・・・・12・13ページ
11・豊川市近辺の天文施設事情―つれづれなるままに
・・・・・・・・・14ページ
12・本年度 活動記録・・・・・・・・・15ページ
13・本年度 天文部 登録者名簿
・・・・・・・・・16ページ
14・今年度を振り返って・・・・・・・・16ページ
2
天文部への招待
はじめに
天文部は、昭和26年(1951年)に、地学クラブとして新設されたものが昭和40年(1965年)
に分離独立して生まれたものです。当時は、初めて理科教育に「地学」の授業が取り入れられ、先生も生徒
も張り切っていました。当時の雑誌「スピカ」はその歴史を語ってくれています。
今年から天文部を担当する事になりました。歴史ある部の火を絶やすことなく灯していきたいものです。
1・スピカの由来
スピカ第三号 -発刊にあたって より
「この3号は、昨年秋に発刊する予定で始めたのですが、幸か不幸か地質班が分離独立し、本地学クラブ
も天文気象クラブと新たに銘名されたため、今年度新ためて発刊となったものです。
・・・無骨者のそろっ
たようなクラブだからせめて誌名くらいは、というわけでふと口にした乙女座の麦の穂『スピカ』がこ
の名となったものです。
」
スピカのこと
純白で清らかな色で輝く、おとめ座スピカ。1等星です。青白い光をもつこの星は、太陽の 700 倍の明る
さで 350 光年のかなたにあります。星座のおとめの左手にもった麦の穂は植物の成長と穀物の取り入れを象
徴しています。スピカは「トゲトゲしたもの」の意味で、スポーツ用のスパイクは同じ言葉が元になってい
ます。日本ではスピカのことを「真珠星」
、中国では「角」と呼んだりします。
2・天文部の歴史
昭和26年(1951年) 地学クラブ創設
天文・気象・海洋・地質など多方面に研究が及ぶ。
昭和34年(1959年)校舎拡張計画―気象天文観測場撤去
昭和35年(1960年)秋口に本館屋上に天文ドーム完成
10インチ反射赤道儀が設置される。豊橋向山天文台から購入する。
昭和38年(1963年)天文・気象・地質班に分かれる。
池田芳雄先生着任 地質班が、
「天竜川・豊川両水系の礫と川の争奪に関する研究」
を始める。
3
昭和39年(1964年)
「天竜川・豊川両水系の礫と川の争奪に関する研究」学生科学賞中央審査で二等。
天文班が、
「月面と部分日食の基礎研究」学生科学賞へ。
昭和40年(1965年)地学クラブが学生科学賞を意識した研究活動を活発化させる。同年「争奪に関す
る研究」が終に学生科学賞で1等賞。
「全日本科学振興委員会賞」に入選。
昭和41年(1966年)天文班が、
「照度と車の点燈時刻に関する研究」を行う。
昭和42年(1967年)地質班が、
「渥美半島表浜の破壊に関する研究」で学生科学賞3等賞。
昭和43年(1968年)
「阿寺七滝と巣山峠岩層に関する研究」学生科学賞地方審査で優秀賞。
昭和45年(1970年)池田先生転勤。合川功先生着任。巣山礫岩の成因についての研究で、学生科学賞
地方審査最優秀賞。
昭和47年(1973年)
「渥美半島の地質についての研究」が学生科学賞地方審査で優秀賞。
~50年(1976年)
昭和55年(1981年)音羽川周辺の断層についての調査 気象調査
昭和59年(1985年)天気図の作成 太陽黒点の観測
昭和60年(1986年)伊古部海岸の化石調査(新聞掲載)掛川化石採集 福井巡検
昭和62年(1987年)文化祭で、太陽系についての展示 日食・月食・星座のスライド上映
地質に関する英語の本の翻訳 富士・箱根方面に巡検
昭和63年(1988年)立山方面巡検 アイスランドの地質に関する英語の本の翻訳
中央構造線の観察 水晶、化石採取活動
平成元年 (1989年)地質部 菅谷義之先生顧問 火曜、金曜に活動
花崗岩のプレパラート作成
平成2年 (1990年)天文部 気象班 気象情報を聞いて天気図の作成
天文班 月に一度天体観測会を開く。
地質部 夏の巡検 上高地へ
平成5年 (1993年)天文部 気象班 気象情報を聞いて天気図の作成
天文班 月に一度天体観測会を開く。
地質部 音羽川の水質調査 夏の巡検メノウの採掘
平成8年 (1996年)天文部
毎日授業後に活動。太陽黒点 月の観測など
地質部 菅谷先生転勤 岐阜県根尾村断層の見学
3・天文部発行の雑誌
地学クラブ 「地学」1・2号 昭和38年・39年(1963・64年)
1号 目次(昭和 38 年 月 日)
10 月の誕生石 中部学生科学賞 蒲郡(坂本町付近)の採集で学んだ事 日食の1日前 日食の結果
地学クラブ屋外調査記 「星を見る会へ」 津具・北設楽地方巡検に参加して 地学クラブに入って
11 月の星空 奥三河の地形 鳳来町付近の山々 馬の背岩・阿寺の七滝
2号 目次(昭和 39 年4月 15 日)
新入生に思う 今年の天文班の計画 月食観測 今年の天文現象案内 最近の宇宙科学ニュース
4
名古屋気象台を訪れて 38 年度気象班をふりかえって 地動説について 月食観測
豊川右岸の高師小僧 岩石標本調製法 宇宙人としての知識 ロケットについて
天文気象クラブ 「スピカ」3号~ 昭和40年(1965年)~
3号 目次(昭和 40 年4月 日)
発刊にあたって クラブの歩み 新入部員に期待する 天文班・今年度の計画・方針
昨年度の活動 月の観測 夏期合宿 惑星観測 天文現象案内 天文気象クラブ設備
今年の火星観測 11 月 23 日の日食 太陽観測 知っておきたい気象用語
気象班今年度計画 編集後記
4号 目次(昭和 41 年4月 28 日)
発刊にあたって 今年度の抱負 今年度の活動計画 昨年度をかえりみて 異常気象と気象班の動向
風船による上層風の調査 池谷・関彗星 学生科学賞をふり返って 黒点観測
3 年間のクラブ活動をふり返って 今年卒業した先輩のプロフィール 今年度の惑星観測手引き
編集後記
5号 目次(昭和 43 年9月 20 日)
発刊にあたって 本年度の抱負 昨年度をふり返って 新入部員の諸君へ OB会設立
学生科学賞を振り返って 昨年の観測結果 流星群 太陽課の今年の活動 反省
星を見ることの楽しみ 土星の輪の消失
編集後記
6号 目次(昭和 45 年 10 月 30 日)
たつまき 天気図 気象観測資料 たつまき進路地図 被害状況 たつまきとは NO1・2
クラブ観
7号 《夜間観測資料集》目次(昭和 46 年5月 31 日)
静止カメラによる星の写真 年間計画 定期活動内容 (付録 天体図 折込み)
8号 《復刊号》
(平成17年 9 月 22 日)
スピカについて 雑感 観測の記録
地質部
3号
4号
5号
6号
7号
8号
9号
「礫」
(昭和 40 年4月 10 日発行)
(昭和 41 年4月4日発行)
(昭和 42 年3月 1 日発行)
(昭和 43 年4月 13 日発行)
(昭和 44 年2月 28 日発行)
(昭和 45 年4月 11 日発行)
(昭和 46 年 2 月 27 日発行)
5
10 号
11 号
12 号
13 号
14 号
15 号
16 号
17 号
?
(昭和 48 年3月 日発行)
(昭和 49 年4月1日発行)
(昭和 50 年3月1日発行)
(昭和 51 年2月16 日発行)
(昭和 52 年2月 23 日発行)
(昭和 53 年 2 月 日発行)
(昭和 54 年 2 月 21 日発行)
地質部
巡検のしおり
本郷付近巡検(1964・8・8~8・10)のしおり (同7月 11 日発行)
本郷付近巡検(1965・7・29~7・31)のしおり (同7月 17 日発行)
大島川付近巡検(1966・8・1~8・3)のしおり (同7月 22 日発行)
?
神田本郷明神山巡検(1968・7・22~7・24)のしおり (同7月 15 日発行)
坂宇場付近巡検(1969・8・2~8・3)のしおり (同7月1日発行)
東栄津具付近巡検(1970・7・28~7・30)のしおり (同7月 15 日発行)
野間・師崎付近巡検(1971・7・27~7・29)のしおり (同7月 17日発行)
東栄町付近巡検(1972・7・25~7・27)のしおり (同7月 17 日発行)
野間・日間賀島付近巡検(1973・7・25~7・27)のしおり (同7月 19 日発行)
奥飛騨・福地付近巡検(1974・7・29~7・31)のしおり (同7月 20 日発行)
岐阜瑞浪・岩村巡検(1975・7・29~7・31)のしおり (同7月 14 日発行)
日間賀島・南知多巡検(1976・7・30~8・1)のしおり (同7月 21 日発行)
東栄町付近巡検(1977・8・25~7・28)のしおり (同7月 日発行)
鳳来町付近巡検(1977・7・30~8・1)のしおり (同7月22日発行)
4・本年度 天文部の活動
当初に部の方針として打ち出したものの一部。
1 コンセプト
あくまでも、個人の個性や興味を重視し、退会、入会に余りしばりを入れないようにする。
会員数を 15 名までとし、活動を重視し、幽霊部員は極力減らす。
2 最低限の目標
天文部機関紙「スピカ」の発行。
月一回の観測会。
週二回の活動。
6
3 当面の活動
毎週、2回。
(火・金)4時から 5 時半。
など。
活動したことは必ず記録する。
4 天文部
4編成とする
観測班・・・天体の観測。写真撮影。
気象班・・・気象図の作成。気象予報。
地質班・・・岩石採集。
情報班・・・情報を収集。雑誌などに様々な発表をする。雑誌の編集をする。
5 他校の天文部・地学部
(1)県内
旭丘高校 明和高校 千種高校 昭和高校 一宮高校 岡崎高校 西尾高校
(2)天文団体との交渉
5・天文に関するアクセスポイント
天文関係業者
光学器械メーカー
ビクセン
タカハシ
ペンタックス
ニコン
ケンコー光学
愛知県内
名古屋市科学館
愛知教育大学 理科教育講座 沢研究室 天文台
豊橋市自然史博物館 視聴覚センター
蒲郡市情報ネットワークセンター
スターフォーレスト御園
旭高原元気村
豊川市内
名古屋大学太陽地球研究所
豊川市図書館内ジオスペース館
コニカミノルタプラネタリウム株式会社
7
全国
国立天文台
日本科学未来館
国立科学博物館
宇宙科学研究所
総務省通信総合研究所
富士通
日本電気
宇宙開発事業団
海上保安庁水路部
国土地理院
セコムデジタルマッピング
三菱重工業名古屋宇宙航空システム製作所
石川島播磨重工業
海外
ハーバード大学
ケンブリッジ大学
セントアンドリュース大学(英)
テキサス大学オースティン校
シカゴ大学
カリフォリニア工科大学
6・天文に関する発表会・研究会
日本天文学会ジュニアセッション
日本学生科学賞
天文科学普及協会
高校生天体観測ネットワーク
東亜天文学会
日本流星会議
7・天文に関する雑誌
天文ガイド
星ナビ
月刊 天文
8
8・天文部今昔物語~ぼくの天文部遍歴
ボクの天文部との関わりについてちょっとした小話をします。
ボクは、天文が好きです。小学六年のときから好きです。中学では天文部がなく、天文部との出会いは高
校からです。
高校受験のとき、どうしても天文部のある高校に入りたくて、国府高校に入りました。
入った天文部は半ば帰宅部同然で、ボクはちょっとガッカリしました。
でも自分で手に入れた新天地、山本先生(前天文部顧問)からカギを借りては、ドームに自分の部屋のよ
うに出入りし、10 インチのニュートン反射式望遠鏡を気ままに動かしていました。望遠鏡を雑巾がけしたり、
油を注したりしてちょっとメンテナンスのようなこともしました。ボクが最初に天文部でしたことは部室の
掃除で、今思えば掃除に始まり掃除に終わる天文部でした。
こんなことをしていると、ついて来てくれる人がいるものです。ボクの一学年上の S 先輩です。S 先輩は
天文なんか全然知らない人だけれども、ボクと一緒に望遠鏡を見たり、部室の掃除を手伝ってくれたりしま
した。
観望会も実施して、
活動もやりました。
星座なんかちょっとしか知らないボクだけど望遠鏡が使えるから、
月や惑星なんかを見せたりしました。初めて月のクレーターや木星の縞模様、土星の輪を見た部員たちは、
「うわぁー、スゴーイ」
と感嘆の声をあげていました。ボクは傍らに立ち、ちょっと自慢げに嬉しく思いました。
普段から望遠鏡を使って一年もたたないうちと、いつの間にかボクが天文部の部長ということになってい
ました。二年目からはちゃんと部長になり、後輩も入ってきて、なんとなく体制が整って来ました。後輩に
望遠鏡の動かし方やファインダーの調整、天文年間の見方を教えました。
文化祭では天文部はボクの独壇場で、勝手に撮ってきた星の写真を展示しました。友達に見てもらうだけ
のような展示でしたが、ボクは独りで満足していました。
そんなボクも、高校を卒業しました。多少の足踏みはしましたけど、岩手の大学へ進学して、環境を勉強
することになりました。
大学では天文部なんてものはなくって、最初は悪態ついてました。窮すれば通ず、なんて言うけど全くも
ってその通りで、大学で親しくなった先生がボクに言ったんだ。
「キミも天文が好きなんだね。キミが部長やるなら、僕が顧問やってもいいから、天文部つくらない?」
突然の提案。ボクはちょっと思案した。結局、作ることにした。友達聞いてまわると、天文部に入ってく
れる人がほどほどいたし、好きな天文だからやっぱり欲しいよ。
それから、規約だとか活動計画だとか、そんな無味乾燥な事務処理をこなして、一年の冬に天文同好会が
設立しました。
でも、望遠鏡がありませんでした。また窮しました。望遠鏡は大切です。買うにしても、そんな大金、大
学が出してくれるかどうかは甚だ不明です。窮していると、通じるものです。たぶん、そんなもんだと思う。
大学の職員で、宇宙少年団という団体の団長をしている人が現れました。
「宇宙少年団の子供たちと年に 2、3 回活動をしてくれるのなら望遠鏡をお貸ししますよ」
ボランティアのお誘いでした。天文に興味のある子供たちに天文に親しむ機会を作ってください、という
ものです。ボクは、快く了承しました。ボクもそういうことはしてみたいと思いました。部員の人たちも協
力的で賛成してくれました。
こうして、高校時代と同じ 25cm の反射望遠鏡が天文部にきました。
9
部員たちは全員が初めて月や惑星を望遠鏡で見る人たちばかりで、声をあげて驚いていました。こうして
見せた天体に人が感動してくれる姿は、とても嬉しいです。
大学に入ってから星座を覚えて、観望会では部員に星座解説をしています。星座だけでなく、星の和名(日
本古来からの星の見方)も解説しています。西洋だけが天文の文化ではなくて、日本にもあったということ
知ってもらいたいからです。
宇宙少年団では、望遠鏡を解体してみたり、天文クイズや星座解説をしたりしています。子供たちを飽き
させないようにプログラムを組むのは大変ですが、それだけにやりがいがあります。
以上がボクの天文部遍歴です。 (2002 年卒業生)
10
9 雑感 M・O
僕は、いろんな星座をみたい、と思っている。しかし、もっと見たい
星がある。それは、太陽系の惑星である。中学2年の頃、望遠鏡を作っ
たことがあって、その夜には、太陽系の惑星が一つ見えるので、その望
遠鏡で見ようとした。しかし、見えなかった。そのことがきっかけで、
太陽系の惑星をすべて見たいという気持ちが出てきた。
今年の六月十三日、初めて天体観測をした時、偶然木星が見えた。し
かも、木星の周りの4つの衛星も小さかったけど見えた。その時僕はう
れしかった。また、ほかの惑星を見たいという気持ちが高まった。この
ことは一生忘れないと思う。見たいという気持ちだけで終わらないよう
にしたいと思う。
11
10・星の古記録―藤原定家『明月記』を中心に
1
星を愛好する人というのは古今東西にわたっていろいろいたのであろうが、藤原定家ほどの人は珍しい。
藤原定家は皆さんにとっては、国語の教科書、それも暗記の王者とも言うべき「文学史」や百人一首のあの
人というくらいしか記憶に残っていないのだろう。まして、理系の人間にとっては誠に馴染みのうすい人に
なっている。おそらく受験がなければ、全く縁のない人間になるのであろう。
さて、藤原定家は、1162~1241 という日本の中世鎌倉時代を生きた人。父・俊成は蒲郡ともゆかりのあ
る人。
『新古今和歌集』の撰者としても、藤原北家の分流・御子左家―和歌師範の家柄であったことでも有名
である。子の為家には有名な歌人阿仏尼が嫁ぐ。孫の時代には二条・京極・冷泉の歌学の三家に分立。
『明月記』は準漢文体の日記。百万個ほどの漢字からなっている。1180 年(治承四年)定家 19 歳から 1235
年(嘉禎元年)定家 74 歳にいたる 56 年にわたる日記である。
『明月記』は歌学はもちろん、宮廷の動向を
記した貴重な資料として有名である。とはいうものの読み通す人はほとんどいない。その中から、天文学の
観測記録として貴重なものを取り上げる。
2 超新星の爆発
後冷泉院の天喜二年四月中旬(1054 年 5 月 20 日―29 日)以後、丑の刻
に客星が觜(し)と参(しん)
《ともにオリオン座》の度(赤経)に出づ。天
関星(おうし座ゼータ星)に孛す。
(消えた)大きさ歳星(木星)の如し。 (カ
ッコ内は、斎藤国治氏のもの)
日記の日付からすると、藤原定家の生きていた時代より 100 年以上前のこと。彼は、筆まめな人であった
から、いろいろな古典を筆写したものと考えられる。陰陽寮の古記録や大外記に保存してあったものを抜き
出して、日記に書き加えたらしい。
これは現在では、おうし座ゼータ星の北西1.2度のあたりにある通称「かに星雲」の元となった超新星
の大爆発の記録として有名である。地球からかに星雲までの距離は、約 7200 光年とされているから、爆発
は 8150 年前に起こった事になる。
こうした古い天文記録を、歴史の上で追いかけていく学問のことを、
『古天文学』という。いわゆる「学際
的な領域」であり、まだ新しいものである。
同じ時代の中国の書籍『続資治通鑑』第 54 によると
12
宋仁宗の至和元年五月己丑(1054 年 7 月 4 日)、客星天関の東南に出づ。
とあり、
また、コンスタンチノープルに当時在住していたバクダッドのイスラーム医師イブン・ブラトンはこう記録
をつけている。
われわれの時代の厄病の一つはあのすばらしい星がヘジラの446年にふ
たご座に現れたときのものである。
ヘジラ 446 年は、
1054 年 4 月 12 日から翌年の4月1日までのことなので、
定家の記録とも一致している。
3 オーロラの出現
元久元年正月十九日(1204 年 2 月 21 日)、天晴れる。
・・・燭をとりし以
後、北ならびに艮(うしとら、北東)の方に、赤気あり。その根は月の出
づる方のごとし。色白く明し。その筋遥かに引き、焼亡遠光(遠い火事)
のごとし。白き色四、五所、赤き筋三、四筋。雲にあらず、雲間の星宿に
あらざるか。光いささかも陰らざるうちかくのごとし。白光赤光相交う。
奇にしてなお奇とすべし。恐るべし、恐るべし。
から翌年の4月赤気や白気と出てくるものの多くは「オーロラ」と考えられる。現代、肉眼でみられる「オ
ーロラ」は北極点に近い北欧諸国であるが、気象異常とともにアジアにも見られた記録はある。
同じ時期の中国・
『宋史・天文志』より
宋・寧宗・嘉泰四年二月庚申(1204 年 3 月 29 日)、赤気天を亘る。
13
また、同じ時期の朝鮮半島北部・
『金史・天文史』より
金章宗・泰和四年三月(1204 年4月 2 日~5 月 1 日)、中天以北、その色
殷紅。血の如し。
その他、
『明月記』には、日食。月食。彗星。流星。などの古記録が満載である。じっくり、星の古記
録を秋の夜長に読むのもまた一興。ただし、天文学的な知識をもって読むと面白さが増すであろう。
『古事記』も『日本書記』も『書経』も『漢書』も古天文学から見るとまだ未開拓の原野が広がって
いる。
参考図書 『星の古記録』
(岩波新書)
『定家「明月記」の天文記録』
(慶友社)ともに斎藤国治著
をわかりやすくまとめたものでオリジナルなものではないので、注意してください。
11・豊川市近辺の天文施設事情―つれづれなるままに
1 豊川市中央部には幸いなことに、天文ファンには垂涎の的である、プラネタリウムがある。これ
はひとえに、コニカ=ミノルタという全国のプラネタリウムに圧倒的なシェアをもつ企業があること
によるのであるが、残念ながらこの事を知る人が少ないのが残念である。以前、東京・池袋のサンシ
ャイン・ビルのプラネタリウム・満天ですばらしい映像を見た後、感激して、受付の人に「豊川から
来た。
」というと、
「プラネタリウムは豊川で作成しているんです。
」と言われ、目を丸くしたのであっ
た。 まさしく「井の中の蛙、大海を知らず。
」というわけであった。ちなみに、プラネタリウム満天
のアナウンスの声は宮地真緒なのである。なぜか。朝ドラを見ていた人には「満点」が取れるはず。
さて、プラネタリウムの番組も、この近辺にないような独自のものがあるのを皆さんご存じであろ
うか。
・・・
「オーロラの光に包まれて」
「宇宙のかたすみに住んで」
「鯨の歌に耳を傾けて」
・・・・
などである。また、最近はさまざまな天文台の方や専門家が、このプラネタリウムを使って説明を
されたり、会場を変えて天体観望会を開いていたりする。詳しくは、豊川市立図書館附設の「ジオ・
スペース館」に来て欲しい。そこに、おいてあるワークシートには、その月の星空の様子を記したも
のと、一月分のジオ・スペース主催の催し物が書いてある。しかし、かなりの人が図書館を使ってい
るのにそこを素通りするか、その前の腰かけでおしゃべりしていたりする。要するに面白さを知らな
いのである。もったいない!まあ、さすがにその前にある天体についてのテレビのクイズを小学生と
一緒にやっている人はいないと思うが。
(実は私はよくやっている。土日に子どもとやっているが全然
分からないのである。冷や汗ものだ!)ついでにいうと、時々、名古屋大の学生さんが小学生や一般
の人からの質問のために腰かけている事もある。
フレンドリーとは言えないが、
さすがに博識なので、
いろいろ真面目に聞くといい。ただ、星占いとか、人生相談などはしてくれないと思う。
14
2 名古屋大が豊川市の中に敷地を持っていることを知らない人もいると思うので、この辺も説明し
ておこう。豊川海軍工廠の敷地は戦後、多くの工場が進出してきたが、日本車両やトピー工業など・・・
名古屋大学も巨大なパラボラアンテナを敷地後の所におっ立てたのである。これが「空電研究所」で
その後に、
「名古屋大学太陽地球環境研究所」ができた。ここは、すごいぞ。地球規模の研究をしてい
るのだ。もちろん、大学の研究者また、大学院生たちが日夜研究に励んでいるのだ。毎年、6 月に公
開しているのである。しかし、あまり高校生の姿を見た事がない。小学生が多いので、
「ああ、あのガ
キのためにやっているやつ文化祭に毛がはえた奴か」とたかを括っていないのであろうか。とんでも
ないことだ。研究をする最先端の人からの話は、学校の授業の何倍かの、
「ディープ」な話が聞けるの
だ。ことに、大学教授や大学院生が話しをする「オーロラ」のはなしなどは、かなり知的好奇心がく
すぐられるはずなのだが。大体、名古屋大学をめざす国府高校の生徒なら、名古屋に行かないでも、
豊川で十分「大学見学会」をやってしまえるはずなんだが。さても能率の悪い話ではある。
しかし、しかしである。この名古屋大学太陽地球環境研究所も間もなくなることになった。名古屋
大学も国立から大学行政法人になり、研究所の統合が図られるようである。2007 年末までに、だんだ
ん人も観測機も移転し、最後に電波望遠鏡アンテナ群などのみが残されるそうである。また、その跡
地はどうなるんだろうか。実はここには、まだ豊川海軍工廠の銃弾のついた建築物などが残されてい
る。豊川市長は、大規模な平和記念館を作りたい旨を話されていたようであるが、
・・・。やはり、企
業などを誘致して工業団地にしてしまうんだろうか。
12・本年度 活動記録
3月25日(金)午後6時00分から
4月19日(火)午後4時00分から
4月22日(金)午後4時00分から
5月31日(火)午後4時00分から
6月 3日(金)午後4時00分から
6月 7日(金)午後4時00分から
6月13日(月)午後7時00分から
7月 5日(火)午後4時00分から
7月22日(金)午後3時00分から
7月29日(金)午後3時00分から
8月 2日(火)午前9時00分から
8月 9日(火)午前9時00分から
8月10日(水)午後3時00分から
8月22日(月)午後1時00分から
8月23日(火)午後7時00分から
8月24日(水)午後3時00分から
9月 2日(金)午後4時00分から
9月 6日(火)午後4時00分から
9月 9日(金)午後4時00分から
9月13日(火)午後4時00分から
9月16日(金)午後4時00分から
午後9時00分まで 卒業生追い出し天体観測会
午後5時30分まで 天文部室 天文台の掃除
午後5時30分まで 天文部室の掃除 観測会について
午後5時30分まで 新入生紹介
午後5時30分まで 新入生歓迎用ポスター作成
午後5時30分まで 文化祭 中学生体験について
午後9時00分まで 天体観測会(月および木星)
午後5時30分まで 文化祭 夏の活動予定について
午後4時30分まで 文化祭 夏の活動予定について
午後4時30分まで 文化祭の準備 掃除片づけ
午前11時30分まで 文化祭の準備 天文台の点検
午前11時30分まで 文化祭の準備 天文台の点検
午後4時30分まで 文化祭の準備 プラネタリウム点検
午後4時30分まで 文化祭の準備 観測会の打ち合わせ
午後8時30分まで 天体観測会 プラネタリウム投影
午後4時30分まで 文化祭の準備 展示飾りつけ
午後5時30分まで 文化祭の準備 展示飾りつけ
午後5時30分まで 文化祭の準備 展示飾りつけ
午後5時30分まで 文化祭の準備 展示飾りつけ
午後5時30分まで 文化祭の準備 展示飾りつけ
午後5時30分まで 文化祭の準備 展示飾りつけ
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13・本年度 天文部 登録者名簿
(省略)
14・今年度を振り返って
天文部顧問
まず今年は、確認の年であったように思う。本館中央階段4F踊り場にある天文部の部室は、かなり物が
散乱しており活動できる状況にはなかった。そのため、部員とともに掃除をすると共に、天文機器、書籍、
記録類を整理整頓していった。その中でかつての部活動の活動記録や天文写真などがごっそり出てきた。そ
の中の一部を展示するともに、ケースなどに整頓した。
そこで、一応活動できる体制が整った。新入生勧誘のポスターの作成、また天文機器の再点検をした。望
遠鏡2台の内、一台。また、プラネタリウム2台の内、一台は使用可能であったので、早速利用を始めた。
また、部誌『スピカ』が数部発見され、その続刊を目指すべく編集を始めた。活動は活発でも部員が少な
い。ゆえにかつてのような立派な内容には遠く及びそうもない。しかし、天文部の歴史を追うと共に将来に
備えて、天文部の課題をそっと提出しておいた。参考にされたい。
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