自信を失ったその先で

自信を失ったその先で
高校一年 I・R
【自信】自分の能力や価値を確信すること
辞書にはこんなことが書いてある。私はこの辞書通りの「自信」を持っていた。何事に
も明るく挑戦し、自分の能力や可能性を疑わない。多少の失敗では落ち込まず、挫折を知
らない。私は世間一般で言う「自信家」だった。
しかし、この二〇一二年夏。私はカナダ語学研修に参加し、人生で初めて「自信」を失
った。そしてその先で、私は新たなものを得たのであった。
カナダへ発つ前日。私は初めての語学研修に対して、少しの不安も抱いてはいなかった。
おそらく研修に参加した人の多くは、海外での生活、英語力、異文化などに対し、何らか
の不安を感じていたであろう。しかし私は、不安という言葉が頭をかすめることもなく、
こんな思いを持っていた。
「日本での英語の授業はきちんと理解できているから、会話中心のカンバセーションコ
ースではなく、レベルが高めのディスカッションコースを選んでも、きっと楽しく授業が
受けられるだろう。ホストファミリーと良いコミュニケーションをとって、きっと楽しく
過ごせるだろう。私なら何があっても、きっとどうにか乗り越えられるだろう。」
なんという「自信」の塊だろうか。その上、これらは全て「根拠のない自信」であるの
だ。日本とカナダの授業レベルが同じだという根拠も、ホストファミリーと良いコミュニ
ケーションをとれる根拠も、私なら何があっても乗り越えられる根拠も、どこにもないの
である。そんな「根拠のない自信」を抱き、私は自信満々に出発したのであった。
カナダへ降り立ちホテルへ到着すると、そこには国際色溢れる、かつて見たことのない
世界が広がっていた。自分の部屋を出て、エレベーターへ足を踏み入れるだけで、世界各
国の空気に触れることが出来るのである。そして、世界の広さを実感すると共に、まるで
自分も大人になったかのような錯覚を覚え、余裕さえ感じ、気分は最高潮に達したのであ
った。
二日目も、余裕を持った大人の気分で、ホストファミリーと対面した。私のホストファ
ミリーは、レスリーという名のホストマザー、六歳のニコラス、三歳のヴィクトリアの三
人だった。私を出迎えてくれたレスリーは、私の描いていた、優しくて明るい美人なホス
トマザー像が見事に現実のものとなったような人であった。先生に写真を撮っていただく
時も、初対面であるにもかかわらず肩を抱いてくれ、朗らかに笑ってくれた。この時私は、
レスリー一家とは絶対に楽しく過ごせる、と思わずにはいられなかった。
そして、授業をして下さるミランダ先生と対面した三日目、私たちは授業の代わりに市
内観光をした。もちろん会話は、全て英語である。いよいよこの時がやってきたか。そん
なことを考えて先生のガイドを聞いていると、次第に私の中から、
「根拠のない自信」の塊
が消え始めた。ディスカッションコースのレベルが高いことは予想していたが、先生の会
話がこんなに分からないものなのだろうか。私はこのクラスでやっていけるのだろうか。
私は、顔から笑顔が消えていくのと同時に、不安が少しずつ膨らんで私を支配していくの
を感じたが、どうすることもできなかった。
帰宅すると、早速レスリーが学校のことを聞いてきてくれた。私は、脳内辞書と話し好
きの精神をフル活動させ、観光で巡った名所についてや、少し先生の話を聞き取るのが大
変であったことなどを話した。どうにかこうにか話が出来たと思った次の瞬間、レスリー
が私の話に対しての感想らしきものを、信じられないほどのスピードで話し始めた。とこ
ろどころの文章は聞き取れるものの、話全体がまるで見えなかったため、少しゆっくり話
してもらうようにお願いした。レスリーは快く、わかったわと了承してくれ、ゆっくりめ
に話をしてくれた。だがまだ分からないところがあり、私は少しひきつった笑顔で相槌を
打つことしかできなかった。また、レスリーとニコラス、ヴィクトリアが話をしている時
には、ニコラスの話は辛うじて分かるものの、若干赤ちゃん言葉であるヴィクトリアの話
はまるで分からず、顔をじっと見つめて微笑むしか、なす術はなかった。
夜、ベッドの中で一日を思い返した。そして、英語での会話を甘く見ていたことを後悔
し、自分が完全に「根拠のない自信」を失い、不安に支配されていることに気が付いた。
そして、レスリーやミランダ先生が、私と明るくコミュニケーションを取ろうとしてくれ
ているからこそ、それに応えられないことに悔しさと申し訳なさを感じずにはいられなか
った。どうして英語が分からないのだろう。どうして楽しく会話ができないのだろう。ど
うしていつものように、話すことで人との距離を縮められないのだろう。いつもの自分ら
しく、明るく振る舞うことができず、すぐに自分のペースを掴めないことが何よりも辛く、
不安で、これが「根拠のない自信」を失くす最大の原因となっていた。
四日目の朝。会話が憂鬱だと感じながらの登校後、晃華の先生方との朝礼が始まった。
英語でのお祈りの後、あと少しで授業が始まってしまうと心細く感じながら、畑先生のお
話を聞いていた。すると、突然、不安で支配されていた私の心に、救いの光が差し込んだ。
それは、畑先生の「今は分からない英語があって辛いかもしれないけれど、絶対に英語が
スッと入ってくる時が来ます。」という言葉だった。この救いの光によって、私の心の不安
は一気に消え去った。
あぁ、うまく会話ができなくても、じっくり待っていればいいんだ! うまくできない会
話を、少しでも上達させるために授業があるんだ! レスリーもミランダ先生も、完璧な会
話を求めているわけではないんだ! きっと、私が頑張って会話をしようとするだけで、楽
しく会話ができるんだ! そうしたら私も私らしくいられるんだ!だから大丈夫なんだ!
前の日に自信を失っていたとは到底思えないほどのポジティブな感情が、わっと私の心
に生まれた。自信が生まれたわけではなかったが、何か心の安定を感じた。
その後七日目ごろまでは、いつもの私よりももの静かで、会話も思うようにはできなか
った。しかし、少しでも楽しく会話ができるよう、分からないことは聞き返してみたり、
明るい声で笑ってみたり、オーバーリアクションをとってみたり、出来ることは片っ端か
らやってみた。そうすると、スムーズな会話ができなくても、それを不安に思うことはな
く、むしろ自分らしい明るさを少しずつ取り戻しつつあることに喜びを感じるほどであっ
た。
そこで迎えた八日目、九日目の休日。レスリーやその親戚、友人たちと一緒に、湖の遊
覧をしたり、ビーチやプールで泳いだり、買い物をしたりした。また、レスリーが「出掛
け先の昼食をみんなでシェアしよう」と言ってきてくれたり、ニコラスがちょっかいを出
してきたり、ヴィクトリアが抱き付いてきたりした。その間、完璧な会話ができたわけで
はなかったが、本当に楽しく過ごし、頬が痛くなるほどずっと笑顔でいられた時間であっ
た。本当の家族の一員になったような、愛の詰まった二日間だった。
そして週の明けた十日目。土日の笑顔のまま授業に臨むと、先週までとどこか違う感覚
を覚えた。何かミランダ先生の話が、楽に理解できるかもしれない。何か楽しい! そう思
えた。先生の話には、まだ分からないフレーズもあったが、ほとんど理解することが出来
た。そのため首を大きく振って先生の話に頷いていると、先生も気が付いてくれたのか、
今まで以上に話を振って下さるようになった。本当に嬉しかった。やっと、畑先生のおっ
しゃっていた「英語がスッと入ってくる時」が私にもやって来たのだ! 私でも大丈夫だっ
た! こうして私は、本当の「自信」を取り戻すことが出来た。この自信は「根拠のない自
信」ではない。自信を失い、不安に支配された先で、努力を重ねて掴み取った「真実の自
信」である。
この力強い「真実の自信」を自分のものにした後は、私らしさを全開にして、思う存分
残りの日々を楽しむことが出来た。家に友達を招待し、ニコラスのTボールの試合を見に
行き、カナダ人の女の子二人と遊び、授業の劇づくりで盛り上がり、お菓子を食べながら
レスリーと話をし、ニコラスとヴィクトリアとじゃれて遊び…。三人とスムーズに会話が
出来ずに辛く思っていたことなど忘れそうになるほど、三人と深く関わり合うことができ、
三人のことが本当に好きになった。
最後の別れの時には、三人と抱きあい、思わず目から涙がこぼれた。きっと、会話がう
まく出来ずに辛かった時から、ここまで三人を好きになれたことに、何か運命的なものを
感じて、別れを悲しく思って流れた涙だったのだろう。
このカナダ語学研修を通して、
「自信家」であった私が「根拠のない自信」を失い、不安
に支配され、悔しさ、申し訳なさ、ひいては辛さまでも感じた先で、新たに得たもの。そ
れは、「真実の自信」であった。
それを掴み取るまでには、自問を繰り返したり、自分らしさを喪失したり、地道に努力
を重ねたりと、自分自身と戦わなければならなかった。そして更に、先生に助けていただ
いたり、ミランダ先生に成果を認めていただいたり、レスリーとニコラス、ヴィクトリア
から、運命を感じるほどの愛をもらったり…出会った多くの人からたくさんのものを与え
てもらうことで、「真実の自信」を得ることができたのである。
このように、「自信家」の私が「根拠のない自信」を失った先で、「真実の自信」を得る
ことができたのは、本当に良い経験だったと思う。このカナダ語学研修は、きっと私の一
生の宝となるだろう。
最後に、カナダ語学研修に参加させてくれた両親、いつも助けて下さった先生方、授業
をし、成果を認めて下さったミランダ先生、私に愛をくれたレスリー、ニコラス、ヴィク
トリアに心から感謝したい。そして、恩返しをするという意味でも、このカナダ語学研修
で得た「真実の自信」と経験を忘れることなく、再び自信を失ったり、辛さを感じたり、
人に助けられたりしながら、更なる「真実の自信」を掴み取り、いつか世界へ羽ばたいて
いきたいと思う。
(おわり)