イースターまでの過ごし方 受 難 週 イースターとは? イースターの

今年のイースター(復活祭)は 3 月 31 日(日)です。
教会暦は基本的に「クリスマス」「イースター」「ペンテコステ」という3つの祝祭を柱として、
1 年間を 3 区分にとらえています。
イースターまでの過ごし方
灰の水曜日(今年は 2 月 13 日)からイースター(復活祭)までの46日間を受難節(レント)
と言います。主イエス様が私たちの罪を解決するために自ら十字架で死なれたご受難をしのび、悔
改め、感謝し、慎み深く過ごすことが勧められています。(信徒必携 P.72参照)
受 難 週
主イエス様のエルサレム入城の日曜日(今年は 3 月 24 日)から始まる一週間です。群衆がイ
エス様を、なつめやし(別訳:棕櫚=しゅろ)の枝を手に持ち「ホサナ。主の名によって来られる
方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」(ヨハネ福音書 12:13)と歓呼して迎えました。
その週の木曜日(今年は3月 28 日)、最後の晩餐の席でイエス様は身をかがめて弟子たちの足
を洗いました(ヨハネ福音書13章)。そして翌日の金曜日に十字架で死なれ、埋葬されました。
これが受難日(今年は3月 29 日)です。
イースターとは?
主イエス・キリストが十字架上で亡くなられて埋葬されたのち 3 日後(日曜日)に復活したこ
とを記念する最も大きなお祝いです。この歴史的な出来事から、日曜日が安息日・休日となり、教
会で礼拝をささげる起源となりました。イースターは毎年、日付が変わります。「『春分の日』後、
最初の満月の次に来る日曜日」と決められています。教会ではこのイースタ
ーを記念し、特別な主日礼拝式をもちます。
イースターと言えば、
「イースター・エッグ」。美しくペイントされ、ラッ
ピングされた卵をプレゼントします。殻を破って新しい生命が出てくること
の連想から、「復活」を象徴するものとして伝統的に卵が使われてきたよう
です。
イースターのもたらす希望
ジョージ・ワシントンの墓碑銘にもなっている聖句「わたしは復活であり、
命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」
(ヨハネ福音書11:25)は、主イエス様が
くださったお約束です。主が甦られたように、キリスト者も永遠の命を持っているという約束です。
誰でもイエス様を信じているなら罪が赦され、復活の命・永遠の命をいただいているのです。これ
以上の喜び、希望があるでしょうか!
なお、ヨハネの黙示録では、終末において、主イエス・キリストによって贖われた聖徒たちが、
勝利を表すなつめやしの枝を手に持って神様の前に立つ姿が記されています。(黙示録 7:9)
(文責:編集部
監修:永松牧師)
2月伝道礼拝証し
M. M 姉
私はクリスチャンの両親の元、3人姉妹の長女として生まれました。両親は、農村伝道を志す牧師夫妻
に家の2階を提供し日曜日は伝道所となりました。牧師夫妻には子供が無く、私たちを実の子のようにき
びしく育てました。教会に行っている子は勉強ができないといけない、だれからも好かれてほめられる子
でないといけない、背筋が真すぐでないといけない、そうでないと神様に愛されない、とよく言われました。
中学生から25歳で結婚するまで、ほぼ毎週礼拝の奏楽をしました。お花を習いだしてからは会堂の生花
も毎週しました。高熱が出ていても、次の日が大切なテストの日でも礼拝を休むことは許されません。
結婚して親元を離れた私は足かせが外れた気持ちになり、教会生活に重きを置かなくなりました。
それから17年、転機が訪れました。今から3年前、私は職場でのパワーハラスメントで病気を発症し仕
事を続けることができなくなりました。そんな時、以前から気になっていたナザレン教会の門をくぐりました。
教会の皆さんが神様の愛にあふれていて、私のために祈ってくださっていると感じました。岡山ナザレン
教会に転会し、私の本当のクリスチャン生活が始まったのです。今まで私は、神様に対し、また、収入の
ない夫に対しとても高慢で、まるで自分一人の力で生きているような気持ちでいました。しかし、私は、神
様に許されなければ息をすることさえできない存在であるとわかりました。そして神様は、そんなに頑張ら
なくてもいいんだよ、私を頼ったらいいんだよと言ってくださっているように思いました。私は長いあいだ放
蕩息子だったのです。
不平不満のかたまりのような自分でしたが、神様は私たち一人一人の人生を、愛を持って最善に計画
してくださっているんだと思えるようになりました。こんな私を受け入れてくださったナザレン教会の皆さま
と、導いてくださった神様に心から感謝しています。まだまだこれからの私ですがどうぞよろしくお願いしま
す。
2.11集会「信教の自由を守る日」
D. T 姉
2 月 11 日午後、岡山カトリック教会を会場に、信教の自由を守る日の講演会として「キリ
スト教、平和文化と核兵器」が開かれました。講師はスティーブン・リーパー氏(広島平和文
化センター理事長)。氏の父上は、1954 年洞爺丸沈没事故で救命具を譲って亡くなったディー
ン・リーパー宣教師(米国)と聞き、深い関心をもって参加しました。
はじめに、「あなたは今の世の中はどのくらい続くと考えますか?」と問いかけがあり、日
本だけでなく世界の現状に目を向け考え決断を、と問題提起をいただきました。「平均では世
界一金持ちの日本国民」の一方で、地球上の半分の人は一日 200 円以下生活。世界における経
済制度の終焉は目前、資源争いが激しさを増し、温暖化による環境破壊はますます深刻に・・・。
こうした人類の大きな問題を解決する手段は、話し合い(国際法、条約など)という平和文化
に、あるいは戦争文化(核兵器など)という暴力に依るしかない。
キリストが生まれた馬小屋には富も競争も無かった。キリストに倣って平和文化を貫きたい、
特に東日本大震災・原発事故を経験した日本の宗教者として教会・個人に何が出来るかが問わ
れました。
日本が未だ「核兵器禁止条約」にサインしていないと聞き、自分の無知を恥じました。リー
パー氏からの、できるだけ早く貧乏になりましょう、オイルの要らない自給節約生活をしまし
ょう、今の生き方を変えましょう、とのアピールを反すうしつつ会場をあとにしました。