町田 久雄 柳村 宗寿 - 全国刀剣商業協同組合

(1)
第18号編集担当
赤荻 稔 飯田 慶雄 伊波 賢一 大西 芳生
大平 将広 川島 貴敏 嶋田 伸夫 清水 儀孝
生野 正 新堀 賀将 土子 民夫 綱取 譲一
土肥 富康 服部 暁治 深海 信彦 藤岡 弘之
松本 義行 冥賀 吉也 持田 具宏
銃砲刀剣類登録審査会の様子
ようにとの配慮からである。
休暇を取らなくても来庁できる
り口は正面玄関ではない。戸惑
はここのみである。一階北側入
り、かつ第三土曜日だと、刀剣
狙ったりすることができなくな
合を予想してすいている時間を
を追加でねじ込んだり、混雑具
合ではない。審査日前日に物件
た者からすると、必ずしも好都
な刀剣商や従来の審査会に慣れ
査会当日連絡先に電話をする。
ができる。その際は、上記の審
前後しても、随時入庁すること
仕組みである。指定集合時間に
り口から一斉に入庁するという
来て点呼を取り、開放された入
る。しばらくすると誘導職員が
集合場所に着いたら、警備員
に登録審査会に来た旨を伝え
う方も多いかもしれない。
の勉強会や交換会と重なること
◆集合から審査終了まで
しかし、一般の方々には確か
に親切になったが、筆者のよう
も多く、やりづらくなったな…
一振のみであれば午前、二振以
とができた。しかし、第二庁舎
下駐車場からそのまま向かうこ
審査会場の第二庁舎十階に、地
下駐車場がある。従来であれば
庁舎と第二庁舎のそれぞれに地
合の十二~十三時審査のグルー
グループをB、十一時三十分集
十分集合の十一~十二時審査の
時審査のグループをA、十時三
て、九時三十分集合の十~十一
仮に、九時から十三時の間に
十二人の審査希望者がいたとし
まずはおさらいをすると、大
きな変更点は二つ。
昨年の下半期ごろからは東京
都側で改善をしていただいたた
当 た り、 閉 鎖 さ れ て い た の だ。
したが、ここでアクシデント発
のは実際に指定審査予定時間内
入庁した時刻、受付番号という
集合順というのは実際に入庁
した順番、受付時刻というのは
受付が終われば、受付番号札
をもらい、自分の番号が呼ばれ
九時から午後三時までだった。
提出する。前月末日までに必着
録申請書等を文化財保護係まで
に、指定の希望時間を添えて登
四月以降の新制度では、審査
を受ける予定の前月末日まで
たと思う。
二火曜日、都庁第二庁舎十階だ
次に②の日程および審査会場
についてだが、従来は、毎月第
◆車での来会に要注意
その他詳細については複雑に
なるため、後述する。
たい。
が、近くて便利である。
庁舎の駐車場と比べると割高だ
で、そちらに入庫した。料 金 は
幸いにも同じ都庁通り沿いに
新宿NSビル駐車場があったの
ページで確認しておきたい。
る方は前もって都庁公式ホーム
方が早く審査を受けて、既に帰
合、自分の審査は十二時から始
中 で 一 番 な の で あ る。 こ の 場
十二~十三時審査グループCの
ず、 審 査 を 受 け ら れ る 順 番 は、
例えば、表中の九時十分に入
庁した希望者は、十二人の中で
時間もなくすんなりと審査を受
るまで審査会場内で待機。実際
なので、少なくとも二十五日ま
ったのが、四月からは原則とし
新 た に 定 め ら れ た 集 合 場 所、
都庁第二庁舎一階北側入り口に
っている、というような状況に
さ れ て い た。 正 し く は 〇 七 〇 - 生。たまたま都庁舎の点検日に
のところは、朝八時には既に十
でには送付しておくのが無難で
て第三土曜日(五月と十月のみ
向かう。平日であれば一階、二
なる。
六四三五 五
- 三 八 五 で あ る。 当
組 ほ ど 並 ん で い る こ と も あ り、
ある。後日、東京都教育庁地域
第三日曜日)
、都庁第二庁舎一
階それぞれ複数ある入り口から
一、審査希望者一組の処理を十
①完全予約制の導入
(時間指定)
②日程および審査会場
午後二時半以後に行けば、待ち
このように駐車場が臨時休業す
での審査を受ける順番である。
お 昼 時 に 受 付 し よ う も の な ら、
教育支援部管理課より、審査会
階に変更された。これは、一般
まり、自分より後から来た人の
また、十一時三十五分に入庁
六六四四
六六三一
七
十六
二
五四六四
二二一○
一
美術刀剣、小道具、武具類の
売買、加工及び御相談承ります
TEL ○六
大阪市中央区日本橋二
F AX ○ 六
刀剣古美術
三峯美術店
柳 匠 堂
二三
三○六七
金工 刀身彫刻 修理 諸工作一式
TEL
○四九四
F AX
西武秩父駅連絡通路 町久ビル内
埼玉県秩父市野坂町一
町田 久雄
というのが本音である。
上であれば午後に割り振りされ
駐車場は土・日・祝日が休業と
プをCとする。審査テーブルが
ページ表参照)。
ここで受付の時間、順番につ
いて例を上げて解説したい(次
去る五月十八日㈰、いつもの
ように会社から車で審査会場の
かに預けることもできず、長時
る。指定時間に行けば、三十分
あって使えない。
都庁に向かった。都庁には第一
間我慢しなければならないとい
待機した後、審査を受けられる
五分で終えると仮定する。
である。従来の審査会との比
較を踏まえて説明していきたい。
けられるようになった。しかし
日はこの電話番号以外連絡がで
ることもあるので、車で行かれ
め、 ゴ ー ル デ ン タ イ ム を 避 け、
①の予約制についてだが、来
庁者が長い時間待つことなしに
筆者のように、毎月審査会に行
きないので、注意していただき
審査会当日の連絡先が、この
五月までの通知書に誤って記載
審査を受けられるようにすると
く者でなければわかりにくかっ
待ち時間だけでも二時間以上か
の通知が届く。
二番目に入庁したにもかかわら
かることがしばしばあった。不
入庁できるが、土・日の出入り
従来であれば、基本的に予約
の必要がなく、受付時間は午前
いう趣旨の下に変更された。
二三一九
工房 岡山市北区磨屋町七 二一
TEL
○八六 二二三 二三二九
F AX
岡山市北区平和町二 八
TEL ○八六 二二三
柳村 宗寿
う状況が続いた。
という仕組みである。
そこで、青梅街道から都庁通
りに入り第一庁舎駐車場を目指
■平成二十六年四月から、東京都の銃砲刀剣類登録審査会の手続きに関して
変更があった(詳しくは『刀剣界』第 号参照)。今号では審査会に行かれる
方のために、実際に審査会に赴いて、どう変わったかをレポートする。
銃砲刀剣類登録審査会で何が変わったか 東京都
NEWS, TOPICS, INFORMATION, OPINION & EDITORIAL
18
VOL.
の方が審査会のためにわざわざ
年間10回位発行予定
発 行 人 深 海 信 彦
発 行 所 全国刀剣商業協同組合編集委員会
〒169−0072 東京都新宿区大久保 2 −18−10
新宿スカイプラザ1302
TEL:03
(3205)
0601 FAX:03
(3205)
0089
http://www.zentosho.com/
2014.7.15
なお、基本的には審査物件が
や し ま
16
慣れな方にとっては、刀をどこ
←次ページに続く
購読料10回 2,000円(郵便切手可)
〒940-0088 新潟県長岡市柏町1-2-16
TEL 0258-33-8510
FAX 0258-33-8511
〒202−0022 西東京市柳沢6−8−10
TEL 042-463-5310
FAX 042-463-7955
http://wakeidou.com/
刀装小道具通信販売目録「やしま」
土肥豊久・土肥富康
美術刀剣・刀装小道具商
刀剣・書画・骨董
第18号
刀 剣 界
平成26年7月15日発行
(隔月刊)
(2)
第18号
刀 剣 界
平成26年7月15日発行
(隔月刊)
順番等
指定審査
予定時間
の 集 合 時 間 は 十 時 三 十 分 だ が、
自分の指定審査予定時間内に入
振りとなったため、極端に
上のような受付番号の割り
みだったが、四月からは以
で、至ってシンプルな仕組
来であれば完全に先着順
着順ということになる。従
従って、自分の指定審査
予定時間に準じた上での先
合がある(要事前連絡)
。
査を受けることができる場
案してグループCの中で審
三十分だが、混雑状況を勘
は、本来の集合時間は九時
ほかにも、十二時五分に
入庁した十二番目の希望者
きる(要事前連絡)
。
後に審査を受けることがで
なお、文化財保護係の話によ
れば、来年の二・三月について
後の日程は未定。
数月のみ。平成二十七年四月以
日。古式銃砲の登録審査会は奇
日、二月二十一日、三月二十一
日、 十 二 月 二 十 日、 一 月 十 七
日、十月十九日㈰、十一月十五
今後の審査会の予定は、七月
十九日、八月十六日、九月二十
が来るとみる(午前中の場合)
。
の審査希望者の割り振りで通知
どに、一グループ当たり十数組
一組一振として十~十五分をめ
審 査 テ ー ブ ル も 三 ~ 四 組 あ り、
は、進捗状況によって順番に多
一 例 な の で、 実 際 の 審 査 会 で
なるべく猛暑の七、八月の活
動を避けるため、従前より早い
りません。
ります。利用料金も一律ではあ
どにもさまざまなパターンがあ
ガラスケースの大きさ、配置な
舗 ブ ー ス の 広 さ が 何 種 も あ り、
確定作業に時間を要します。店
規、休場、退出があり、会場の
主たる業務はカタログ作成と
会 場 運 営 で す が、 出 店 舗 に 新
た。
実行委員会がスタートしまし
組合の通常総会の行われた五
月十七日、
「大刀剣市二〇一四」
す。
階ワンフロアでのスタートで
えていたようです。もちろん三
楽部開催のころは三十店舗を超
サンケイビルでのスタート時
は二十数店舗でしたが、美術倶
着しました。
現在の東京美術倶楽部開催が定
ー ル 建 て 替 え の 件 な ど が あ り、
らでした。ほどなくサンケイホ
ールでの開催は第五回ぐらいか
格的イベント会場、サンケイホ
会場でした。天井吹き抜けの本
させたような、やや天井の低い
ンケイビルの広い会議室を合体
を数えます。最初の開催は、サ
は静かでした。
チタイムとお宝鑑定のとき以外
店コーナーということで、ラン
して広い食堂、五店舗ほどの出
示と職方の実演のイベント、そ
当時は現在とは逆で、三階に
受付があり、四階は新作刀の展
たわけです。
当 然 ス ペ ー ス に 限 界 が あ り、
三・四階の二フロア開催に至っ
い陣容になりました。
剣商業協同組合主催にふさわし
らの出店もあり、次第に全国刀
関西・北海道・九州など遠方か
出 し ま し た。 関 東 の み な ら ず、
戦 」) が 功 を 奏 し、 徐 々 に 増 え
格好の標的で、実害なしとはい
し会場は万引き・窃盗・スリの
に限らず、展示会・即売会の催
ても隠れ蓑になります。刀剣市
それにしても、近年の大刀剣
市の混雑ぶりは、犯罪者にとっ
してから会場図を見た方が、飲
くわかりません。ある程度把握
ト が 頭 に 自 然 と 入 っ て き ま す。
と、会場のおおよそのレイアウ
ロウロ、キョロキョロしている
ただひたすら、あちらこちらウ
か り ま せ ん。 そ う い う と き は、
何がどうなっているのか皆目わ
み込めます。
最初から見取り図を見ても、よ
ト あ る い は 見 本 市 会 場 な ど は、
方向感覚の良さだけは自負す
る私ですが、初めて行くデパー
されていません。
早く来たり遅く来たりして
は日時・会場などに変更の可能
準備開始となりそうです。
「大刀剣市2014」がスタート
も、待ち時間を短縮できるわけ
性があるとのことで、それらの
銃砲刀剣類所持等取締法の厳しい
用されることのない刀剣類だけが
集客効果のあるオークションも
付 を 四 階 に 持 っ て い き ま し た。
めに出店費を割安にし、また受
いので、四階に出店誘導するた
いていては、いかにも効率が悪
せん。三階だけに店舗がひしめ
か四階への出店希望者が現れま
と思います。
保険を充実させるのも一考かな
ろいろある対物保険より、傷害
が高いです。免責特約事項がい
会と異なり、けが人が出る確率
また、大刀剣市は他の展示即売
会 社 の 思 惑 に ズ レ が あ り ま す。
そのための盗難保険にも入っ
ているのですが、主催者と保険
かないようです。
規制の下に置かれています。登録
ここで開催しました。やがて効
そのような状況で、営業には
不向きと思われたのか、なかな
凶器の大多数はナイフや包丁であ
さ れ て い る の は、
「美術品として
果がジワジワ現れ、昨今のよう
原発事故や韓国客船沈没を見
るにつけ、何があっても「想定
その後、執行部・実行委員に
よる出店要請(通称「肩叩き作
誤解を誘導するような報道がなさ
り、不幸にして刀剣が凶器となっ
が危害予防を目的とする銃刀法に
に、三階・四階ともお客さまで
外でした」とは言えないでしょ
後日、警視庁に、短刀が凶器と
なった可能性があると会見で発表
じたのです。
があると警視庁はみている、と報
殺害の凶器として使われた可能性
たので、テレビや新聞は、短刀が
かの美術品とともになくなってい
うな報道の背景
れ ま す。 こ の よ
する傾向が見ら
ことさらに強調
折、 刀 剣 類 を
事件の報道の
す る と、 そ の
関係して登場
刀剣類が何
らかの犯罪に
りません」とわ
法の登録証は要
な 刃 物 が「 銃 刀
は、脇指と同じ長
ます。通信販売で
制もなく入手でき
な 刃 物 が、 何 の 規
偏見報道は後を絶たないでしょう。
のだと考えます。また、現状では
のような背景があるために起きた
どうやら刀剣が銃刀法という法
律の対象であるだけで、世間から
る矛盾があるのです。
(大平将広)
れ て い ま す。 し か し、 犯 人 逮 捕
てしまう事件は、全体の1%にも
よって縛られているという大いな
賑わう状況になりました。
し た の か ど う か 確 認 し た と こ ろ、
に は、 し ば し ば
ざわざ断って
初めてのお客さまには迷う心配
後、凶器として使われたのは、短
満たないはずです。
誤 解 さ れ、 恐 れ ら れ て い る の は、
少 の 前 後 が あ る 可 能 性 が 高 い。
ではないので、ご注意いただき
情報も追ってご報告したい。
これはあくまで解説のための
刀ではなかったとわかりました。
本当にこれがナ
イフかと思うよう
否定できないようです。今回の古
そのような話はしていないと回答
刀剣に対する偏
販 売されてい
銃刀法の施行から半世紀以上が
たち、社会犯罪も日々変化してい
がないようでしたし、開放感も
価値のある刀剣類」ですが、それ
で見られる鋭利
さ で、 鍛 え 肌 ま
がありました。
見 が あ る の で す。
ま す。 全 く そ
ます。「日本刀と銃刀法のあり方」
ありました。ただ壁面側ではな
く、中央の島部分の店舗がガラ
スケースのみの展示スペースし
か取れないため、その後は採用
古銭 切· 手 刀· 剣 売
買 評
価鑑定
㈱城南堂古美術店
代表
〒153 005 1
東京都目黒区上目黒四 三一 一○
TEL ○三 三七一○ 六七七六
○九○ 三二○八 九六一二
F AX ○ 三 三 七 一 ○ 六 七 七 七
田中 勝憲
る レ イ ア ウ ト を 採 用 し ま し た。
(服部暁治)
うから。
日本刀は、その後に来る動詞の
表現次第で、現状通りに美術品と
今回の報道に限ら
の 通 り で、 こ
美術商殺人事件の報道姿勢は、こ
サ ン ケ イ ビ ル で は 一 度 だ け、
壁側の店舗以外は仕切りパネル
して扱われたかと思うと、問題の
ず、 刀 へ の 誤 解 は
について、警察庁や文化庁、関係
(嶋田伸夫)
をなくし、会場が一堂に見渡せ
ある表現が使われ、凶器としての
れらに登録証
機関、刀剣関係者などが一堂に集
社会の中に根深く
は要らないのです。
違法性が疑われかねない事態さえ
存在しており、それ
い、真剣に討議する機会が実現す
を取り除かない限り
「刀=凶器」
と
発生します。
いる一方、ほとんど凶器として使
ることを願っています。
頻繁に起こっている傷害事件の
法律の規制もなく、容易に入手
できる刃物で多くの事件が起きて
いう偏見はなくならないでしょう。
として使われたらしいと、一般の
今回の殺人事件では、まだ詳し
くわからない時点で、刀剣が凶器
と。その短刀が、店内にあったほ
古美術商殺人事件
庁できたので、グループBの最
ニュース
を
読む
今から四、五十年前、殺人事件
ともなればマスコミは連日、大変
な 報 道 を し て い ま し た。 近 年 は、
経済の悪化に伴い治安も悪くな
り、犯罪が多発しています。凶悪
な事件も続々と起き、庶民も犯罪
被害と無縁ではいられない世情に
し、店舗に持ち帰っていたとのこ
は 当 日、 個 人 宅 か ら 短 刀 を 購 入
われわれ刀剣商の衝撃はそれだ
けで終わりませんでした。被害者
ニュースとなりました。
ではなく、美術業界の誰もが驚く
舗内で殺害されたと聞くと他人事
美術商であり、また営業時間に店
が勃発しました。被害者の職業が
ら刺され、殺害されるという事件
去る五月三日、東京都国立市で
古美術店の店主が何者かに背後か
なってきています。
C
指定
集合時間
B
した十一番目の希望者は、本来
グループ
(仮称)
たい。
大刀剣市は、大手町の旧サン
ケイ会館での開催から二十四回
3
5
12
9:20 9:35 12:05
2
3
*
6
7
11
10:10 10:30 11:35
2
3
4
8
9
10
11:20 11:25 11:30
2
3
4
1
9:00
1
4
9:30
1
2
9:10
1
10:00 集 合 順
~
受付時刻
11:00 受付番号
11:00 集 合 順
10:30
~
受付時刻
12:00 受付番号
12:00 集 合 順
11:30
~
受付時刻
13:00 受付番号
9:30
A
受付時間および順番の一例
(3)
状況の報告があり、組合員総数
める松本義行氏から本日の出席
された。定刻の十時、司会を務
会を開催した。
業協同組合は第二十七回通常総
美術倶楽部において全国刀剣商
苦しむ子供たちへの基金)の名
第八号議案 その他
な お、 第 二 号 議 案 に 関 連 し
て、
「明美ちゃん基金」
(難病に
額に関する件(服部常務)
する債務保証の残高の最高限度
第七号議案 一組合員に対す
る貸付け、又は一組合員の為に
る件(服部常務)
第六号議案 平成二十六年度
借入金残高の最高限度額に関す
第五号議案 経費の賦課およ
び徴収に関する件(服部常務)
第四号議案 役員報酬の件
(服部常務)
第三号議案 平成二十六年度
収支予算案決定の件(伊波常務)
第二号議案 平成二十六年度
事業計画案決定の件(清水専務)
原・佐藤両監事)
件( 伊 波 常 務 )
(会計監査/笠
平成二十五年度会計報告承認の
第一号議案 平成二十五年度
事業報告承認の件(清水専務)
内は説明者)
。
れた。議案は次の通り(カッコ
まですべてが満場一致で可決さ
出席された組合員の協力によ
り、第一号議案から第八号議案
て
「客のダンスの動きなどの具体
ところが、
裁判長は、
規制の対
象となるその営業の内容につい
ろうということの二つであろう。
れないほどの悪質な常習犯であ
で、営業停止か罰金では済まさ
法違反で懲役六カ月とは重い刑
あり得ないということと、風営
からには無罪放免ということは
必至であり、現行犯逮捕された
えば、
量刑の如何を問わず有罪は
このニュースを聞いて普通の
人が思うことは、
警察の摘発に遭
判で無罪を言い渡された。
経営者が、大阪地裁での判決公
罰金百万円を求刑されたクラブ
今年の四月二十五日、公安委
員会の許可を受けずに客にダン
とわず、
あえて取り上げてみた。
限りの事例ゆえに繰り返しをい
関係者にとっては、
うらやましい
に向かうことを願っている刀剣
運用が、
時代に即して緩和の方向
類等所持取締令)
の刀に対する法
二十五年施行の銃刀法
(銃砲刀剣
は重複して恐縮ではあるが、
昭和
既に第十七号をお読みの読者に
法制化が検討されているという。
いに規制緩和に向けて今秋にも
前号の本欄でも触れたクラブ
などでの「ダンス営業」が、つ
を明らかにしている。
の法改正案の提出を目指すこと
家公安委員長は秋の臨時国会で
て活用する狙いもあり、古屋国
に向け、クラブを観光資源とし
〇二〇年東京オリンピック開催
するよう提案したが、これは二
をめぐる営業時間の緩和を検討
これを受けて政府の規制緩和
改革会議は、安倍首相にダンス
に盛り込む考えであるという。
せることなどを規制緩和の条件
音苦情等に対する対策を徹底さ
環境への配慮から、クラブに騒
も検討しているが、周辺住民の
違反の罪に問われ、懲役六カ月、 「風俗営業」
の対象から外すこと
スをさせたとして、風俗営業法
法改正と東京オリンピックと
言えば、
日本ライフル協会などは、
業 時 間・ 地 域 を 限 定 し て い る
警察庁では、さらに踏み込ん
でダンスをさせるクラブを、営
国会に提出することが決まった。
え、今秋にも風営法の改正案を
今後、有識者会議の議論を踏ま
ることを決めたという。そして、
を翌朝までとする方向で検討す
ダンス営業について、営業時間
業を認めていないクラブなどの
察庁は、原則午前零時以降の営
要性を認識したのであろう、警
の流れに応じた法運用を行う必
もあったのであろうが、世の中
取り締まりに当たる側も、違
法性を具体的に立証する困難さ
委員会がその管理に当たる立場
の一環であり、
各都道府県の教育
れた登録刀剣は文部・文化行政
れるように、
美術的価値を認めら
銃刀法第十七条①の所有者変
更届に対する当局の対応に見ら
を受けているように感じられる。
としていわれのない厳しい扱い
れているにもかかわらず、依然
あり、美術品として広く認知さ
録刀剣までが対象になることも
重大事件の警備対策の強化に登
法律の中にあるため、テロ等や
きる登録制、この三つが一つの
受けた刀剣類等は誰でも所持で
用される所持許可制、③登録を
られる狩猟用や競技用の銃に適
まり、②所持する人にだけ与え
る拳銃などの違法武器の取り締
銃刀法に関しては、①所持す
ることそのものが禁止されてい
れる例は、枚挙にいとまがない。
都合を斟酌して法改正が検討さ
このように、
時代の流れや国家の
起 こ し た こ と に 間 違 い は な い。
体などが、復活を期して活動を
射撃人口の減少著しい関係諸団
績向上を図るということを機に、
かないが、オリンピックでの成
これらの要望が認められるか
否かについては今後を見守るし
げるよう、併せて要望している。
常の十八歳から十四歳に引き下
で、
火薬を使った銃については通
るようにすることを求めたもの
定し、
八歳から空気銃を使用でき
力がある児童を各競技団体が選
向を示した。
射撃競技に適性や能
成を強化する環境を整えたい意
える。刀剣界全体で大きく正し
決して難しい問題ではないと考
い。 所 持 に 関 す る 規 制 緩 和 は、
刀剣の持つ歴史的・美術的価
値や社会的有用性は計り知れな
一緒に立ち上がってくれるのか。
さえ見つけ得ない。
「日本遺産」
もあまりにも所管が異なり、
糸口
い。
所管行政庁の警察庁に訴えて
がなく、
その力はあまりにも小さ
をバックアップしてくれる省庁
るが、
美術品保護の見地からこれ
商業協同組合が孤軍奮闘してい
国の認可を受けている全国刀剣
が見られる。
刀剣に関する啓蒙は、
時代とともにその法運用に変遷
ダンスの営業も、
空気銃の所持
も、みんな法律で守られており、
管轄ということではあるまい。
その他の刀剣は、まさか警察の
には文化庁が乗り出してくるが、
財保護法が適用され、その移動
あろうか。国宝・重文には文化
どの法律で守られるべきもので
体誰が守るのであろうか。国の
交付された刀剣は、それでは一
して価値が認められ、登録証が
が、わが国の貴重な文化遺産と
美術的価値のないものは登録
刀剣に値しないのは当然である
にも厳しいものがある。
べると、所持に関してはあまり
届の義務のない他の美術品と比
同様の印象を受け、所有者変更
これでは、われわれの扱う刀
剣が、違法武器や無登録刀剣と
戻す傾向が見られることがある。
と同様の警察管理に安易に差し
回通常総会を開催
百八十三名中出席百二十九名
称が長きにわたり使われてい
的な行動に照らし、
性風俗を乱す
銃刀法を改正し、
空気銃の使用年
にあるはずである。しかし、善意
い動きを起こし、刀に対する認
第
( 内 訳 出 席 五 十 四 名、 委 任 状 七
て、今では認知度が低いのでは
恐れがあるか否かを総合的に判
齢制限を十四歳以上から八歳以
の所有者変更の届け出に対して、
識を新たなものにしていきたい
四階の会場には、早朝より全
国各地から多数の組合員が参集
十五名)であるから出席者が過
半数を超え、総会は成立するこ
ら挨拶の弁があった。
そ の 後、 議 長 の 選 出 に 移 り、
司会がその方法を出席者に諮っ
深海 信彦
とが告げられた。
ないかとの質問がなされた。深
断すべきだ」
と指摘し、
その時の
上に引き下げる要望書を国家公
文化財保護の見地としてよりも、
ものである。
風向計
続いて猿田副理事長が開会の
辞を述べ、次いで深海理事長か
海理事長より産経新聞社訪問の
店内の状況を判断した上で、
風営
安委員会と文部科学省に提出し、
登録証が交付される以前の状態
である刀剣を守るため、
一体誰が
東京都北区滝野川7-16-6
TEL 03-5394-1118
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www.premi.co.jp
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入った。
たところ「司会一任」の声があ
折、その旨を尋ねるとの答弁が
法の規制対象ではなく、
許可も必
オリンピックに向け若年層の育
TEL 03-3563-2551
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伊波賢一
〒161-0033
東京都新宿区下落合3-17-33
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FAX 03-3951-3615
27
夏の始まりを告げる三社祭が
催行される五月十七日㈯、東京
ったので、司会は理事長を議長
最後に冥賀副理事長から閉会
の 辞 が 述 べ ら れ、 第 二 十 七 回
要ないと結論づけたのである。
飯田慶久
代表取締役
〒105-0001 東京都港区虎ノ門 3-8-1
TEL 03-3434-4321
FAX 03-3434-4324
代表者 髙 島 吉 童
Ken-ichi Inami
090-8845-2222
連絡先
㈱ 日 本 刀 剣
㈱銀座泰文堂 代表 川 島 貴 敏
〒278-0043 千葉県野田市清水199-1
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㈱美術刀剣松本
刀剣・小道具・甲冑武具
国の指定・認定を受けていない
に選任し、直ちに議案の審議に
通 常 総 会 は 滞 り な く 終 了 し た。
なされた。
(清水儀孝)
第27回通常総会の会場風景
第18号
刀 剣 界
平成26年7月15日発行
(隔月刊)
其之十三
(4)
「ヱヴァンゲリヲンと日本刀」パリ展
リのシンボルでもあるエッフェル
ように、アクリルにも一切の照明
で作品の一つ一つが浮かび上がる
山 貞伸
塔を望む位置にあり、名前の通り
されていました。
刀匠 月
で、 パ リ 日 本 文 化 会 館 に お い て
基地として、現在までさまざまな
しかし、日本刀の展示において
は、照明の良しあしで作品自体が
の反射や映り込みがないよう工夫
( ヱ ヴ ァ ン ゲ リ ヲ ン と 日 本 刀 展 )」
展覧会や文化事業が行われてきま
した。
を間近で見ようとする方であ
ふれ、次々に質問も飛び交う
など、最後まで熱気に包まれ
ました。
私も応対などをお手伝いし
ていたところ、祖父(月山貞
一)の写真を持った方が話し
かけてこられ、大変感銘を受
けました。来場された皆さん
は日本の伝統職人に高い関心
を持っておられ、日本刀に携
わる私たちにも尊敬の念を持
私はドキュメンタリーで横山大
観の製作に助監督として参加した
ことがあり、大観をもう一度撮り
たいとは願っていましたが、率直
に言って、天心は思いもよりませ
んでした。それが、あるとき、同
席していた銀座の画廊主の「天心
が見たい」の一言で、映画人の気
持ちに火がついてしまったという
わけです。
展覧会開催に向け、国際交流基
金の永田絢子氏、長船刀剣博物館
とになりました。
館などの刀剣や甲冑を展示するこ
加え、林原美術館、長船刀剣博物
ンと日本刀展」そのままの作品に
日本での巡回展「ヱヴァンゲリヲ
より、長船刀剣博物館で始まった
のような展
で、今回こ
が多いよう
いという方
全体を見た
では作品の
すが、外国
が多いので
示すること
きれいに展
表面だけを
刀身や拵の
示 の 場 合、
では通常展
るように考えられています。日本
に立つとその背景にリンクしてく
施された壁紙に覆われ、作品の前
るキャラクターやシーンの画像が
の壁面がそれぞれの作品に関連す
いる展示ケースに加え、会場全体
中 で も 特 別 に 用 意 さ れ た 天 井、
側面がすべてアクリルに覆われて
い展示となりました。
見るヱヴァ展以上にこだわりの強
現地スタッフが入るなど、日本で
ンス人のデザイナーや照明担当の
と進んでいきました。今回はフラ
しました。
リ展独特の素晴らしい会場が完成
ック、細かな修正点を踏まえ、パ
ア在住の平井智氏を交え最終チェ
会コーディネーターであるイタリ
当の方々が到着され、今回の展覧
理するグラウンドワークス社の担
内覧会前日には日本から国際交
流基金や、ヱヴァンゲリヲンを管
一層締まった感じになりました。
ほぼ完了し、会場全体の雰囲気が
アニメの原画パネルなどの展示も
っ た キ ャ ラ ク タ ー の フ ィ ギ ュ ア、
リヲン初号機やレイ・アスカとい
ー、製作工程の映像、ヱヴァンゲ
作業四日目には日本刀の説明
や、 作 品 に 携 わ っ た 職 人 の バ ナ
力が伝わるように工夫しました。
かつ丁寧に、少しでも来場者に魅
地の方々の熱意に負けじと、慎重
氏を中心とした展示メンバーも現
それぞれの作品の間隔など、木下
メインのロンギヌスの槍の展示
角度や、甲冑や兜の展示バランス、
いものに変わっていきました。
の質感が日本で見るのと相違のな
配慮され、次第にそれぞれの作品
ッフに説明すると、早速その点も
への照明の当たり具合などをスタ
ある刀剣彫刻について熱心にメモ
が、 日 本 刀 文 化 の 流 れ や 専 門 で
した。通訳を介しての講演でした
が十五時と十七時の二回行われま
開催初日には、木下氏の講演と
刀身彫刻のデモンストレーション
ようです。
ット配信のニュースで紹介された
覧会の様子は、日本でも新聞やネ
共同通信社や現地ケーブルテレ
ビの取材なども入り、この日の内
いとのことでした。
がお見えになることは非常に珍し
れ、ここまで幅広い層のお客さま
さま、お子さま連れの方までおら
た。また、若い方から年配のお客
問をされるなど、とても熱心でし
ご覧になり、われわれ関係者に質
方もおられ、作品や解説を丁寧に
お客さまの滞在時間は長く、三
~四時間ほど会場にいらっしゃる
した。
二百八十名を超える来場がありま
ジ ャ パ ン・ エ キ ス ポ 関 係 者 な ど )
化 会 館 の 会 員、 美 術・ 教 育 機 関、
内覧会当日はあいにくの雨天で
したが、プレスや一般招待客(文
と感無量でした。
く一歩が踏み出せるのではないか
を伺い、日本刀の分野でもようや
私 自 身 も 大 き な 展 望 を 持 っ て、
その目標に向かって、一層の研鑽
めて感じました。
なっていくことであると、あらた
ピールしていく上で大きな要素に
指摘されたように日本を世界にア
ラボする意義は、まさしく首相が
伝統文化の象徴である日本刀がコ
の日本文化の代表であるアニメと
し、世界的に認知されている現代
ていましたが、今回パリ展に同行
持ってもらうことが必要だと感じ
を見ていただき、少しでも興味を
と、より多くの若い世代に日本刀
日 本 で の 開 催 で は、 愛 刀 家 の
方々の高齢化ということを考える
Cミュージアムにて開催されます。
「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」
はパリ展終了後、スペインのAB
っしゃっていました。
していく新しい一つの形だ」とお
ラボするというのは、世界に発信
し た。 そ の 中 で 総 理 は、「 現 代 の
ビッグニュースが飛び込んできま
ンと日本刀展」を視察されたとの
化 会 館 を 訪 れ、
「ヱヴァンゲリヲ
歴訪されていた安倍総理が日本文
私たちは翌五月二日に帰国した
のですが、五月五日、何と欧州を
で終わることができました。
たが、両回とも満席になり、盛況
文化を欧米に紹介するなど、国際
長への就任、さらには英文『茶の
ストン美術館の中国・日本美術部
の保存、東京美術学校の創立、ボ
は、日本画の改革運動や古美術品
な貢献をした人物です。具体的に
動家としてその保存と発展に大き
れた価値を認め、美術行政家・運
の時代に、わが国の伝統美術の優
岡倉天心
(一八六三~一九一三)
はご承知のように、急激な西洋化
演出)があるのみです。
シ ャ ル「 脱 兎 の ご と く 」( 和 田 勉
には、NHKテレビのドラマスペ
ず、見ることはできません。ほか
ただけで、それも今や残っておら
年に一本「国策映画」が製作され
いと思われてきたのか、昭和十九
「なぜ天心だったのか」よく聞
かれます。映画のテーマには難し
六 角 堂 は「 文 化 財 被 災 の シ ン ボ
理に当たってきました。消失した
れ、五浦美術文化研究所がその管
六角堂は昭和三十年、岡倉家か
ら大観を通じて茨城大学に寄贈さ
からです。
し、現地でのロケを予定していた
しかし、映画会社もテレビ局も
全く乗ってくれません。当てにし
学芸員の植野哲也氏、装剣金工師
示となりま
その夜、パリ日本文化会館の竹
内 佐 和 子 館 長 と の 懇 親 の 席 で は、
を取る方が多数見られました。ま
講演と実演は定員六十名でし
アニメと古くからの刀工技術をコ
本』を著し、東洋や日本の美術・
ル」と受け止められましたが、池
美術院の五浦移転後を主な舞台と
た、と思いました。映画は、日本
舞われました。これで夢は終わっ
不明になるなど、大きな被害に見
城市では六人が死亡、一人が行方
の六角堂は津波で流出、地元北茨
そして、一一年三月十一日の東
いづら
日本大震災―。天心が建てた五浦
目指したのです。
ました。一万人の支援者の獲得を
一口一万円で寄付を募ることにし
た。 そ こ で 製 作 委 員 会 を 組 織 し、
リ ー マ ン・ シ ョ ッ ク で 潰 え ま し
ていた製作資金は、二〇〇八年の
の木下憲宗氏とともに、私も展示
した。
パリには親日の方が多くいらっし
た、デモンストレーションでは木
って接していただいたことは
要員として同行させていただきま
また、照
明にも大変
ゃることや、さまざまな分野の方
再建された六角堂と船上の天心(竹中直人)
映画
心 よ り 感 謝 す る と こ ろ で す。
した。
こだわりが
が展示会や講演などを通して日本
会場のパリ日本文化会館は、パ
強く、会場
全体が暗い
震災からの復興を祈念し、製作した松村監督に聴いた。 (T)
的なスケールで活躍しました。
■今から百年前、失われゆく「日本の美」を救った男、岡倉天心。
その天心と若き天才画家たちとの魂の物語が話題を呼んでいる。
に努めてまいります。
松村克弥監督に聴く
下氏の繊細な龍の鱗を彫る鏨使い
全く見えなくなってしまうことも
私たちは四月二十一日に到着
し、翌日から作品の検品、展示へ
刀身彫刻を披露する木下憲宗氏と見学者
文化啓蒙に尽力してこられたこと
ュージアム(スペイン)の主催に
今回の海外展は国際交流基金
(パリ日本文化会館)とABCミ
あります。おおまかに地鉄や刃文
「 Evangelion et les sabres japonais フランスにおける日本文化の発信
が開催されました。
四
月三十日から六月二十一日ま
特別報告
雰囲気の中
「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」
を視察する安倍総理と解説する竹内館長
(内閣広報室提供)
第18号
刀 剣 界
平成26年7月15日発行
(隔月刊)
(5)
迎えた地で、平成会熱海大会が定
た初夏の香りが漂う絶好の季節を
そんな熱海の春の最後を締めく
くる四月十日、黒潮に運ばれてき
度目の春を迎える。
とバトンを渡し、熱海は一年で二
そして桜は四月のソメイヨシノへ
と、 早 咲 き の 寒 桜 と し て 名 高 い。
開花の時期は一月下旬から二月
ろ 熱 海 に も た ら さ れ そ う で あ る。
日本列島で最も早く咲く桜とし
て有名なあたみ桜は、明治四年ご
これは昨年に引き続き目標を大
きくクリアした数字であり、その
高を叩き出した。
てみれば五千六百万円という出来
り盛り上がりを見せた会は、締め
午後も生ぶ荷の成り行きから始
まり、重要刀剣や名品の入札もあ
いであろう。
い!」と思ったのは私だけではな
の言葉に「自分も負けていられな
ど よ め き、
「まだまだ頑張る」と
八十歳を迎えるとの紹介に会場が
の贈呈が行われた。小澤氏が今年
の功労をたたえての表彰と記念品
国際観光都市で、ジャカルタとは
リはヒンズー教徒が多数を占める
インドネシアというとバリ島に
行かれた方も多いでしょうが、バ
人が住んでいました。
駐在員とその家族ら約一万人の邦
げています。当時は、日系企業の
で、近年目覚ましい経済発展を遂
赤道を越えた東南アジアの大都市
インドネシアの首都ジャカルタ
は、 成 田 か ら 飛 行 機 で 約 七 時 間。
ジャカルタのことをお話しします。
刀剣商になる前、
サラリーマン時
代の二〇〇三~〇八年に駐在した
ら来る出張者は、うっかり歯磨き
いようになります。しかし日本か
駐在していると、やがて免疫力
がついて簡単には腹痛を起こさな
りません。
す。決して水道水を飲むことはあ
日本では「ただ」が当たり前の
水と安全、ジャカルタでは違いま
の街です。
はお構いなし。雑然とした賑わい
察に止められることも、こちらで
りません。日本であればすぐに警
て走る姿や、屋根に人を乗せて走
交通渋滞が有名なジャカルタで
は、小型バイクに家族四人を乗せ
の差があるため雇うことが当たり
しないかと気になりますが、貧富
運転までやってもらう生活。堕落
を雇います。掃除・洗濯・炊事に
のお手伝いさんと家庭車の運転手
プールにジム、テニスコートの
あるアパートで暮らし、住み込み
その一方、
一般の駐在員でも考え
られない贅沢な暮らしぶりでした。
でした。
は、 主 題 歌
井竜也さん
地出身の石
た。ま た、当
ていきまし
者も決まっ
趣旨に賛同した竹中直人さん、中
ら も 次 々 と 支 援 の 申 し 出 が あ り、
県内の自治体や企業、市民団体か
万 円 を 拠 出 し て く だ さ い ま し た。
究所などロケセットの建設費二千
る映画になる」と、日本美術院研
した。北茨城市は「復興を象徴す
六角堂再建運動の広がりは、映
画「天心」の後押しもしてくれま
年四月、六角堂は完成しました。
て寄付を呼びかけたのです。一二
と再建を決断、復興基金を創設し
震災からの復興の象徴にしたい」
田幸雄学長(当時)は「東日本大
撮影中、ふと天心や大観らの気
配を感じることがありました。大
観と武山は茨城の生まれです。
け継ぐ県民性も理解できます。大
したが、描かれた激派の心情を受
寒山氏の次男純彌氏)が作られま
外 の 変 」( 監 督 は 刀 剣 鑑 定 家 佐 藤
体や企業の支援によって「桜田門
つて県民創世映画と銘打ち、自治
ま た、 茨 城 は 母 の 出 身 地 で あ
り、子供のころからよく訪れてい
訪れていたようです。
木村武山らを引き連れ、しばしば
途、 大 観 や 下 村 観 山、 菱 田 春 草、
ジャ カ ル タ
宿である「あたみ石亭」で盛大に
背景には役員をはじめ会員の方々
違います。
前でした。
正晴氏の役員退任が発表され、そ
執り行われた。
の並々ならぬ努力と協力があるこ
に水道水を使うなどして、出張中
彼らの月給はそれぞれ日本円で
七千円と一万三千円ほどだったで
松本 義行
平成会の歩みは古く、前身の諏
訪会創立から優に三十年以上を数
とは明白である。こんな時代だか
まるで仕事にならないということ
「亜細亜の
観は既に四
十歳でした
が、 漁 村 に
住みながら
魚を買う金
も な く、 餓
死寸前で
掛けがスピーカーで響き渡ります。
から、アザーンという礼拝の呼び
回、街中至るところにある礼拝堂
対側わずかな距離でも、ドライバ
くことはありません。大通りの反
ショッピングモールから外に出歩
に、ガードマンのいるアパートや
治安が悪いので、駐在員とその
家族は強盗やスリに遭わないよう
夢から覚めると、普通のサラリー
そして、日本に帰任したのはリ
ーマン・ショックのとき。すぐに
りにありました。
活でしたが、セレブな生活が見返
です。何かと我慢を強いられる生
トは、日本の五分の一という印象
しょうか。当時のリビング・コス
個人的な
話で恐縮ですが、私の生家は上野
た。
成を見まし
は、 没 後 百
こうして
映画「天心」
のです。
くださった
で提供して
代の、天心と彼を慕う人々の思い
没しています。五浦での雌伏の時
あったと
私はイスラム教お祈りの経験は
ありませんが、アザーンが生活に
ーを呼んで車で移動します。歩い
マンに違和感を覚え、一念発起し
仲町通りにあった丸万旅館で、そ
され、まさに背水の陣の覚悟で臨
んだ昨年の結果が大成功に終わっ
たことは、いまだに強烈な記憶と
ともに語り継がれている。厳しい
時期だからこそ刀剣界を盛り上げ
興味を持っていただけたらいいな
た。東北から九州までの国内各地
さすがに大会だけあって、多く
の業者の参加で盛り上がりまし
曾祖父です。『夏雄と勝珉』
(至文
き、その後を引き取ったのが私の
江戸っ子から嫌われて経営が傾
ました。そのために戦後、松源は
には官軍がここから敵陣を砲撃し
間もあったそうで、上野戦争の折
松源です。松源には二百畳の大広
昭の『彰義隊』に登場する料亭の
の前身は、森鷗外の『雁』や吉村
せて映画「天心」を観賞願えれば
彼らの魂に触れるべく、本展と併
春 草 の 大 回 顧 展 が 開 催 さ れ ま す。
日、東京国立近代美術館において
くしくも春草生誕百四十年に当
たる今年九月二十三日~十一月三
えてなりません。
ちとの出会いに導いてくれたと思
が、この映画を通して多くの方た
歳の若さで
が、 三 十 八
才能でした
嘆くほどの
わない」と
ってもかな
「一生かか
は、 大 観 が
ま す。 春 草
回想してい
同 化 し リ ズ ム に な っ て い ま し た。
たら数分で済むところでも、渋滞
て夢を描ける刀剣商に転身しまし
空」を無償
ましたから、身近な土地です。か
える。平成会のモットーは堅実の
イ ン ド ネ シ ア の 人 口 は 二 三・ 億
人。
大多数がイスラム教徒で、
世界
が度々でした。
彼らは、毎日五度のお祈りをメッ
しているときなど何十分もかけて
た。しかし、稼ぎが五分の一にな
る電車やバスの光景も珍しくはあ
一言に尽きる。これは創立時から
らこその結束の強さを、まざまざ
最大のイスラム人口国として知ら
村獅童さん、渡辺裕之さんら出演
の理念であり、その考えは現在も
れています。日の出前から一日五
た が、 役 員 が 一 丸 と な り、 こ の
カ に 向 か っ て 欠 か さ ず 行 い ま す。
移動します。カゴの中の鳥のよう
(大西芳生)
逆境を跳ね返すべく立ち上がっ
ラマダン断食月には日の出から日
で、行きたいところに自由に歩い
た。役員には厳しい売買縛りも課
没 ま で 食 事 も 水 も 摂 ら な い の で、
と思います。
のためにやってきたディーラーま
(談)
まで。
http://eiga-tenshin.com/
詳細は映画「天心」公式サイト
幸いです。
芸家の集合写真が載っています
が、天心も東京美術学校からの帰
=
堂)には店前で写した錚々たる工
年にして完
彼らの前で飲食することははばか
なくてはならないという、役員の
さて、会場には所狭しと品物が
並びます。甲冑が飾られ、名品や
で!
多くの出品で賑わった
方々の気概の勝利であろう。
珍品も多数あり、それでも並べ切
めていました。
冑会春期大会が開催されました。
れないで段ボール箱に収まってい
ここまでの盛会も、籏谷さんの
日ごろの並々ならぬ努力があるか
西日本甲冑会春季大会を開催
現在、NHKテレビで「軍師官
兵衛」が放映されているので、自
ます。会主の籏谷大輔さんは会が
らだと思いました。 (
新堀賀将)
か ら、 ま た 海 外 か ら も こ の 大 会
然と甲冑にも目が向きます。この
始まる前、それらすべての品物を
日生命大手町ビル)にて西日本甲
機会に、一般の方も甲冑などにも
五月晴れの空の下、五月二十日、
フクラシア東京ステーション(朝
チェックし、競る順番を次々に決
ったのは皮肉なことでした。
手前から木村武山・菱田春草・横山大観・下村観山を演じるキャスト
ていけないことは大きなストレス
近 年 続 い た 事 故 の 余 波 も あ り、
昨年は大会の開催自体が危ぶまれ
と感じた大会であった。
ジャカルタに駐在当時の筆者(右から二人目)
変わることなく受け継がれている。
❹
られます。
そして今年もまた、もはや伝統
となりつつある役員売買縛りの下、
平成会熱海大会が盛大に開催され
た。会場には開始時刻を待ち切れ
ない熱気があふれ、朝十時きっか
りに会長代行の髙橋歳夫氏の挨拶
から競りに入った。午前の成り行
きから始まり、生ぶ荷に会場は瞬
く間にヒートアップ、午前のトリ
は最上大業物の所載名品で締めた。
午後の部の前に、役員の冥賀吉
也 氏 の 進 行 で 朝 倉 万 幸 会 長 よ り、
当会の発足以来役員を務めた小澤
熱気にあふれる競り会場
第18号
刀 剣 界
平成26年7月15日発行
(隔月刊)
(6)
古河歴史博物館
歴史薫る古河の街並み
国史の研究をしている先輩の提案
茨城県古河市が選ばれた。関東戦
行をしていた。あるとき、旅先に
学 生 の こ ろ、 休 み を 利 用 し て、
ゼミの仲間と史跡を探訪する小旅
と文化を学ぶことができる。
充実した常設展からは古河の歴史
品賞、九六年公共建築賞を受賞)
、
で(一九九二年日本建築学会賞作
てられた同館は素敵な外観の建物
によるものだった。江戸時代、日
老の鷹見泉石といえば、渡邉崋山
とりわけ面白かったのは展示室
たか み せん せき
。古河藩家
1「 鷹 見 泉 石 と 洋 学 」
が
光街道の宿場町として栄えた古河
こ
には、戦国時代、古河公方がいた
筆の肖像画が武家の式正の拵の様
たり、黒船の来
交流も多岐にわ
人 商 館 長 な ど、
国人やオランダ
者、漂流民、中
藩 の 家 老、 兵 学
沢ら蘭学者や他
田玄白や大槻玄
かる。そして杉
をしたことがわ
ても立派な仕事
とで、武士とし
れているとのこ
る。湘南新宿ラインで新宿から古
軒を連ねる、実に奥の深い街であ
店や老舗の和菓子屋さんなども
く、また百年の歴史を誇る鰻の名
刀の企画展も開催される古河歴
史博物館とその界隈は史跡も多
く!」楽しい想像が無限に広がる。
マンチストだったんだ、僕と同じ
である。「利位という人はきっとロ
しい美の世界の扉を押し開いたの
ても普及。殿様の長年の研究が新
柄・鎺など刀装具を彩る文様とし
雪華文は皿や着物、硯箱、鐔や小
究 は『 雪 華 図 説 』 と し て 結 実 し、
に集落や町並みも見える。
ラキラ輝いている。ところどころ
碁盤の目のような田畑、水を張
った水田は太陽の光に反射し、キ
まれた谷の中の盆地が見えてくる。
ンドキャニオンばりの外輪山に囲
る。窓から外を見下ろすと、グラ
い」のアナウンスが機内に流れ
「間もなく阿蘇くまもと空港で
す。シートベルトをお締めくださ
たのが、阿蘇一の宮町である。
こ の 涅 槃 像 の 懐 で、 阿 蘇 神 社
(旧官幣大社)を中心に栄えてき
槃像となる。
きりと五岳が横たわり、まさに涅
雲海となる。その雲海の上にくっ
し、阿蘇谷を埋め尽くし、波打つ
秋の朝、気温が下がると霧が発生
偲 び、
「あの犬塚志乃と犬飼現八
渡良瀬川の河川敷に立って、今
は影も形もない戦国期の古河城を
も馴染みは深い。
があるなど、刀剣・刀装の世界で
固山宗次の作中に鷹見一族の需打
また、大坂を揺るがした大塩平
八郎の乱では、首謀者大塩の足取
売店で開館五周年記念特別展示
図録『雪の華』を購入した。藩主
と感嘆の声が出る。
五六 ☎〇二八〇 二-二 五-二一一
休館日は祝日翌日・第4金曜日・年
末年始
(小島つとむ)
蔵野線吉川駅北口
川市の中心部、武
在する計画都市吉
都心から約一時
間、まだ田畑が混
きで始めたこの道三十五年、独学
る」という店主の小畠昇さん。好
「 九 割 は 刀 剣 客 だ け ど、 客 が 入
りやすいように何でも置いてあ
もあり、好奇心をそそられます。
董品の中には人間国宝の焼物など
す。また、豊富に置かれている骨
(同)
・大野義光・吉原義一、研師
都無形文化財保持者)
・吉原国家
葛飾区は日本刀の現役職人が集
まる町で、刀匠の吉原義人(東京
月十五日をもって好評のうちに閉
の美と技―葛飾の名工たち」が六
四月二十六日に始まった葛飾区
郷土と天文の博物館での「日本刀
刀の研ぎ」(高岩氏)、「鎺の製作」
方」(吉原義人氏)、実演会「日本
示 し、 日 本 刀 の 優 れ た 技 が 理 解
今 回 の 企 画 展 で は、 各 氏 の 作
品 や 製 作 工 程、 道 具 類 な ど を 展
できるよう工夫された。また週末
には、記念講演会「日本刀への誘
保恭子氏)、「日本刀の特徴と作り
い 」( 刀 剣 博 物 館 主 任 学 芸 員 久
・
(宮島氏)、イベント「五寸釘でペ
ー パ ー ナ イ フ を 作 ろ う 」( 吉 原 国
家氏)が開催され、それぞれ熱心
な参加者で盛況だった。
同館が日本刀をテーマに取り上
げるのは初めてというが、入場者
からは「地元に刀匠や研師がいる
とは聞いていたが、見るのは初め
て。これからは定期的に開催して
もらいたい」との声も聞かれた。
笹原 俊和
火の国阿蘇の湧き水のある門前町
ね はん
迦様の涅槃像によく似ている。初
たけいわたつのみこと
健磐龍命をはじめ十二の神々を祀
る。健磐龍命は阿蘇開拓の祖であ
り、神武天皇の孫に当たると言わ
の五岳を中心に、外輪山を含むカ
岳、そして烏帽子岳と杵島岳。こ
三 月 一 日、 刃 長 三 尺 三 寸 四 分 五
宝)の螢丸(銘来国俊、永仁五年
戦後の混乱で行方不明になって
し ま っ た が、 重 要 文 化 財( 旧 国
氏が宮司職を務めている。
れる。ここは全国五百社を超える
る。阿蘇の五岳だ。
- く雄々しい五つの連山が見えてく
こ
阿蘇神社の総本社で、代々、阿蘇
ね
よく阿蘇山と言うけれど、阿蘇
山という山はない。一番左のギザ
ル デ ラ の 全 体 を 総 称 し て「 阿 蘇
厘)の大太刀と、同じく重要文化
魅力いっぱいの阿蘇へぜひお越
しください。
渓流でのヤマメ釣り……。
フ 場、 お い し い 赤 牛 の ス テ ー キ、
で三十分ほどの距離に十一のゴル
夏でもすがすがしい高原の風と
数え切れぬくらい多くの温泉、車
いの場ともなっている。
の神話や民話が紹介してあり、憩
ください」の看板とともに、阿蘇
門前町通りの道端にはたくさん
の 水 基 が あ り、「 ご 自 由 に お 飲 み
度と変わらない。
た。水温は年間を通してほぼ十四
生活用水として恩恵を受けてき
なって湧き出し、昔から飲み水や
水が町の至る所に清らかな湧水と
一の宮町は全国でも珍しい横参
道の門前町で、外輪山からの伏流
財の牡丹造短刀は、当神社伝来の
山」と呼んでいるのである。
遠くから見る五岳の姿は、お釈
宝物である。
ちなみに、一番高い高岳の標高
ヒ ゴ ク ニ
は一五九二メートルである。
http://culture.city.ibaraki-koga. ギザ頭は根子岳、次の最も高いの
が高岳、今も噴煙を上げている中
lg.jp/rekihaku/
え ぼ し
き しま
葛飾区郷土と天文の博物館
より徒歩一分の場
の高岩節夫(葛飾区無形文化財保
葛
- 飾の名工たち」
所 に、 秀 美 堂 美
でここまで築いてきたそうです。
持者)
、 白 銀 師 の 宮 島 宏( 同 ) の
「 美 術 刀 剣・ 骨 董
熊本県阿蘇市一の宮町
航 の際にも的確
河まで車窓を眺めること五十八分
阿蘇神社の始まりは孝霊天皇九
年( 紀 元 前 二 八 二 年 ) と 伝 わ り、
が対決したのもこの古河城という
江戸後期、老中として幕政を担
としつら
った主君土井利厚・利位に仕えた
り 捜 査 と 捕 縛 を 指 揮。 展 示 さ れ
のである。
な意見を述べて
ほど。今度はいつ来ようかなあ。
少し目を上げると、それまでの
なだらかな緑の山々とは違う、青
ことになっている」と感無量でつ
鷹 見 は、 洋 学 に 関 心 が 高 く、
「新
土井利位は多忙な公務の合間に顕
子を知る上で好資料であり、また
いる。
■古河歴史博物館=〒306 0
-0
ぶやく先輩を尻目に、川面の石投
訳和蘭全図」のような地図、ロシ
て い た 捕 方 棒 は、 室 内 で の 捕 物
33 茨城県古河市中央町三 一
-〇
その魅力的な
人物像を伝える
げに興じる筆者であった。
アに漂流した大黒屋光太夫やロシ
微鏡をのぞくこと二十年。その研
展 示 品 に、 思 わ ず「 す ご い な あ 」
さて、薫風に誘われて、懐かし
い古河を再訪し、古河歴史博物館
を想定して通常の半分の長さとさ
二坪とゆとりある広さ。ガラス棚
盛況だった「日本刀の美と技
術 店 は あ り ま す。
モットーを尋ねると「お客さま
に喜んでいただくこと」と即答で
さん
ア使節レザノフの情報など、異国
小畠 昇
に整然と収められている刀剣六十
販売買取」の看
返ってくるところに、小畠さんの
振が行き届いた照明で輝きを放
板が目に飛び込ん
実直な人柄がうかがえます。
モットーは「お客さまの喜び」
できますので、迷
店の奥にはゆっくり談話できる
畳敷きのスペースも設けられてお
六氏が活躍している。
うことはありませ
り、 気 軽 に 通 い た く な る お 店 で
ち、見比べやすく展示されていま
ん。車で訪問して
幕した。
も、広い駐車場が
☎〇四八 九
- 八 一 五- 〇 一 三
■秀美堂美術店=〒 3 4 2 0
- 04
1 埼玉県吉川市保一 三
- 一- 〇 (松本義行)
ありますので心配
無用です。
五年前に新装開
店した店舗は二十
高岩氏の実演に見入る来館者
刀 剣 商 リ レ ー 訪 問⓱
を見学した。古河城の出城跡に建
関係の資料を豊富に集めている。
回
美しい阿蘇の山々と、水と緑豊かなふるさと
第9
荘重な古河歴史博物館のエントランス
す。 秀美堂美術店の小畠昇さん
第18号
刀 剣 界
平成26年7月15日発行
(隔月刊)
(7)
幕末の木曽宿で
櫛挽きの道を求める女の半生記
『櫛挽道守』
木内 昇 著 本体一六〇〇円+税 集英社
れ、早速その通りにしたら、日
ずれば、必ずや直る」と告げら
リで作った櫛で朝夕髪をくしけ
願 掛 け を し た と こ ろ、
「ミネバ
悩んでいたお六が御嶽大権現に
中山道妻籠宿に昔、お六とい
う美しい乙女がいた。頭の病に
た技を通してモノの神髄がわか
櫛を語ってはいないが、描かれ
れているか納得がいく。直接に
櫛にも、いかに深い技が込めら
を体得していく。小さな一個の
ける父の背を見つめながら、技
は悩みつつ、寡黙に櫛を挽き続
く受け入れられない時代。登瀬
ならずして病は完治した。その
るべき女が職人になるなど、全
後、ミネバリの梳き櫛は御嶽信
った気になるのは、作者の筆力
つま ご
仰や善光寺参りの旅人の評判と
のなせるところであろう。
密で堅く、それでいて粘りがあ
はきわめて遅く、水に沈むほど
ように生育することから、成長
質による。岩地の峰に張り出す
挽けるのは、一にミネバリの性
三寸ばかりの幅に百本もの歯が
を取る実用本位の木地櫛である。
お六櫛は飾り櫛や塗り櫛、解
き櫛と異なり、髪や地肌の汚れ
ら、これ以上は控えよう。
あらかじめストーリーを明か
すことは小説の興味をそぐか
である。
明け前』を彷彿とさせるシーン
り過ぎていく。島崎藤村の『夜
列は、閉め切った板戸の外を通
る。しかし、和宮降嫁の長い行
町にも時代の足音は聞こえてい
くし
な り、
「お六櫛」の名も全国に
る。むろん、その特徴を引き出
作者の木内昇は『漂砂のうた
う』
で第一四四回直木賞を受賞。
す
知られるようになったという。
黒船来航や桜田門外の変、天
狗党の乱など、木曽山中の宿場
せる匠の技があってのことであ
ひょうさ
る。享保のころ、鳥井峠近辺の
著 書 に『 茗 荷 谷 の 猫 』
『浮世女
三 月。
』
『 あ る 男 』 な ど。 昭 和
きうちのぼり
ミネバリを使って藪原宿でも盛
房洒落日記』
『 笑 い 三 年、 泣 き
やぶはら
んに産するようになったという。
四十二年、東京生まれ。
くし ひき ち もり
『 櫛 挽 道 守 』 は、 幕 末 の 藪 原
でひたすら櫛挽職人の道を求め
本書はWEB文芸「レンザブ
ロー」に四年にわたって連載し
たもの。このことからもうかが
る女性・登瀬の半生記である。
登瀬は父・吾助の櫛挽きに幼
いころから憧れてきた。
しかし、
えるように、
彼女は寡作である。
し か し、 文 章 力
嫁いで子をなし、夫や家を支え
の心許ない作家
が相次ぐ中にあ
っ て、 相 当 な 手
練 で あ り、 も の
がわかっている。
次作にも大いに
期待したい。
(土子民夫)
名刀に見る
にあこがれる
﹁
自然 」
刀職紹介
■一筆啓上
第 回
川島 貴敏
群馬県富岡市下丹生の住宅と農地
が混在する地域に、石田四郎國壽刀
匠の鍛錬場はあった。近くまで迎え
〈研師〉白田 修 さん
〈白銀師〉中田 育男 さん
に来たのは石田刀匠ではなく高橋恒
石田 四郎 國壽 ︵刀匠︶
厳刀匠で驚かされたが、合作刀の計
響 を 与 え る と 考 え て い ま す の で、 画の話を聞き納得した。
十七歳のときに偶然目にした短
二つの公益法人に翻弄されるベテ
作り手の人間性が出るのであれ
刀に魅かれ、奈良県の河内國平先
ラ ン 刀 職 者 た ち を 目 の 当 た り に し、
生 に 弟 子 入 り し て 六 年。 独 立 後、 ば、そちらも研鑽を積まなければ
合作刀の今後を憂い、群馬の若手刀
匠三人が党派を超え集まっていたの
群 馬 県 富 岡 市 に 仕 事 場 を 構 え て、 と考えています。
だ。下鍛えを高橋恒厳刀匠、火造り
仕事場のある富岡市では、先日
はや十三年目になります。刀の世
までを工藤将成刀匠の下で終え、こ
界で過ごした年月が、その前の年 「 富 岡 製 糸 場 」 が 世 界 文 化 遺 産 の
の富岡で石田刀匠の土置き・焼き入
はく た
中田育男さんは、昭和二十八年
月よりも長くなってしまいました。 登録勧告を受けて盛り上がりを見
れの最終工程を迎えようとしていた。 白田修さんは、昭和二十八年生
イメトレ用の備前の名刀の全身押
ま れ の 六 十 一 歳。 高 校 を 卒 業 後、 生まれの六十一歳。大阪市西淀川
せており、地元民として大変喜ば
力強くも優美な姿に華やかな丁
形が部屋の壁を埋める中、石田刀匠
会社勤めのサラリーマンをしてい
区出身の中田さんは、子供のころ
しいことです。と同時に、刀鍛冶
子乱れの焼かれた備前刀は理想で
は土置きをしていたが、黙って横に
ましたが、研師になりたいという
から刀が好きで、研師になる夢を
という仕事も、世の中から見れば
あり、その地鉄、姿、刃文を日々
座る高橋刀匠の視線にプレッシャー
長年の思いを捨て切れず、人間国
持 っ て い ま し た。 社 会 人 と な り、
追い求めています。再現が難しい “ 文 化 遺 産 ” に な り か ね な い の で
を
感
じ
て
イ
ラ
つ
き
、
切
先
か
ら
一
〇
セ
ンチ置いたところを一気に拭い取
宝 で あ る 故 永 山 光 幹 先 生 を 訪 ね、 自動車の大手輸入ディーラーに勤
はないかという現実をも考えさせ
と言われる鎌倉期までの刀に近づ
り、昼休みとなった。
許 さ れ て 入 門 し ま し た。 そ の 後、 務した後も、独学で研磨と白銀の
られます。
くために、鉄に関する勉強と実験
この号が出るころには世界遺産認
八年の修業を経て地元坂戸市で独
勉強をされていました。
武器として生まれながら、その
的な鍛錬を繰り返し、ようやく面
定となる富岡製糸場を石田刀匠の案
立。
ある日、これはと思うものがで
美しさを極限まで高めた日本刀と
白くなりそうなものが見えてきた
内で回ったが、木骨レンガ造りの工
場内展示には、片倉家の重役と同様
刀剣研磨・外装技術発表会では
きた中田さんは、研師の大川晃永
いう一つの文化、またそれを作り
今日このごろです。
に縁の下で支え、優秀だった女工た
優秀賞を四回、努力賞を四回受賞
先生のところに作品を持参しまし
出す技を、遺産としてではなく生
しかしながら長い作刀工程の中
ちにもスポットを当てている。
されるなど、現在に至るまでご活
た。 そ れ を ご 覧 に な っ た 先 生 は、
き た 形 で つ な い で い か れ る よ う、
で、どこをどのようにすれば理想
石田家も、祖父の代まで養蚕をし
躍です。
「 研 ぎ も い い が、 む し ろ 鎺 の 方 に
一刀職人として生涯作品づくりを
の姿に近づけられるのかはまだま
て
い
た
。
そ
れ
が
女
性
に
も
動
植
物
に
も
優しい彼の人格を形成するに当た
白田さんが研磨する上で日ごろ
天賦の才がある」とおっしゃられ
続けていきたいと思います。
だ暗中模索の状態で、ここが、大
り、大きなポイントとなっているこ
心がけているのは「地鉄の緩み・
たのです。
真面目なことばかり書いてしま
変でありながら今最も面白いと感
とは容易に想像できる。そこで……
荒れなどは、当てる砥石を段階ご
それを聞いた中田さんは以後自
いましたが、硬すぎる作品になら
じているところです。
もう一筆啓上
とに根気強く合わせていくこと
らの道を鎺一筋と決め、平成元年
ないよう、ほどよくマイペースが
名刀と呼ばれる刀を見ている
「 ギ ャ ハ ハ、 そ れ じ ゃ 綱 取 さ ん と
同じだ」と伊波常務理事と持田理事
で
、
な
る
べ
く
減
ら
さ
ぬ
よ
う
、
平
均
には脱サラして白銀師に転身。刀
信条です。
と、私はそこから、美しさや力強
が異口同音だ。これは編集委員会の
的になるように努力すること」だ
剣研磨・外装技術発表会では昭和
さ と い っ た も の の ほ か に、 何 か、 ■連絡先=〒370 2462 群
席上、誰かが「女性とチャラチャラ
そうです。
六十二年から十五年連続で入賞さ
さ ま ざ ま な イ メ ー ジ を 感 じ ま す。 馬 県 富 岡 市 下 丹 生 一 三 八 一- ☎ 〇
している彼だな」とつぶやいた瞬間
工作代金は、刀身の状態により
れ る な ど 優 れ た 成 績 を 収 め ら れ、
言 葉 に す る の は 難 し い の で す が、 二七四 六七 三七六一
の
二
人
の
リ
ア
ク
シ
ョ
ン
だ
。
異
口
同
音
どころか、寸分狂わずユニゾンで合
異なりますが、基本的には一寸一
平成十三年に無鑑査認定を受けら
それらがうまく調和し
唱している。
万円からお受けしています。
れました。
ていると、全体がとて
石田刀匠という人は、鬼の形相で
■連絡先=〒350 0203 埼玉
中田さんが、工作を行う上で一
も「自然」で安定して
大
槌
を
振
る
姿
が
想
像
し
に
く
く
、
鑑
賞
県坂戸市横沼二五八 四 ☎〇四九
番心がけておられることは、刀を
いる印象を受けるので
会の受付などの絢爛たる場で女性客
と談笑する方がはまっているが、ま
二
八
三
六
傷 つ け な い こ と で す。 そ の た め
す。
-三六六
さかこのオレもチャラ男と思われて
に、 す ん な り と 刀 身 に 納 ま り ガ
過去の刀匠が、それ
いたとは。
タ の な い 鎺 を 作 る こ と を 信 条 に、
らをある程度意図して
こ
の
話
を
お
花
見
の
と
き
、
呑
め
な
い
東
京
に
住
ん
で
い
る
間
は
石
田
刀
匠
・
下
日々丁寧な仕事を心がけておられ
作り出したならば、そ
下島房宙刀匠にしたところ「それは
島刀匠の手引きで現代刀鑑賞会の手
誤解があり…綱取さんと違って彼は
伝いまでできるように症状が改善
ます。
の根底にあるものは何
真 面 目 に …」
。 強 い 焼 酎 の せ い と、 し、刀匠たちに感謝をしていた。ま
気になる工作料金ですが、素材
な の か、 知 性 や 感 性、
「私の話を聞け」と絡まる刀身彫刻
た、 こ の 業 界 の あ る 重 鎮 は 言 っ た。 や 工 作 の 内 容 に よ り 異 な る の で、
性格や人柄といったも
師の橋本琇巴さんの腕を振りほどき
この業界の活性化には女性を味方に
お気軽にご相談・お問い合わせく
のなのか、とても興味
ながらなので、下島刀匠の話は半分
つけることが必要だ、と。
も 理 解 で き な い。( 下 島 さ ん、 ご め
こうなりゃ、石田刀匠とチャラ男
ださい。
があります。特に、刃
んなさい)
会結成だ。ジャンジャン女性とチャ
■連絡先=〒673 1
文は目立つ部分であ
- 304 兵庫
しかし、思い出すのは「和」の物
ラチャラしてやる(本当に出来れば
県加東市長貞四五九 ☎〇七九五 り、その中に何を表す
作りに傾倒していた当店女性客のF
だが)
。ああ待たれる活動報告。
さ ん。 双 極 性 障 害 に 悩 ん で い た が、
( チャラ男会事務局長/綱取譲一) 四七 二-七四〇
15
のかは全体に大きな影
(左手前から時計回りに) 石田國壽・工藤将成・
吉田康隆・綱取譲一・高橋恒厳の各氏 第18号
刀 剣 界
平成26年7月15日発行
(隔月刊)
ブック・レビュー BOOK REVIEW
15
(8)
私 が 出 会 った 珍 品
土肥 富康
優
・ 品
釘箱から出てきた則重
イベント・レポート
刀をはじめ、伝統の綾杉肌や刀身
に接していかなければならないと
てはならないところなどが述べら
った点、今後の注意していかなく
評価ポイント、良かった点、悪か
こ の 後、 審 査 員 講 評 が 行 わ れ、
審査員から受賞者に対し、作品の
と記念品を授与されました。
ら、時代にかかわらず、その作者
私は、昨年に続き新作名刀展表
彰式の取材をさせていただきなが
式典は終了しました。
ら の 資 格 認 定 証 の 授 与 が 行 わ れ、
たことの発表があり、小野会長か
なお、五月十四日の理事会にお
いて松葉氏に無鑑査資格を認定し
られました。
れます。
三日~二十八日、それぞれ開催さ
市立博物館(埼玉県)にて九月十
なお、新作名刀展は刀剣博物館
で の 展 示 後、 致 道 博 物 館( 山 形
います。
職者たちにエールを送りたいと思
どんな世界でも、技を究めるこ
とは容易ではありません。毎年作
いう真摯な気持ちになりました。
れました。
に対して敬意を払う気持ちで作品
審査員講評に続いて、受賞者を
代表し、松葉一路氏が答辞が述べ
などと講評を述べられました。
脇指 大和住月山貞利彫同作
(花押) 刃長三二 八・㎝
彫りの技術を結集した刀剣や小
るなど、広く活躍しています。
取れたときの値段を伝えた。
を納める一方、大阪市立博物館・
史 や 作 品 が 広 く 紹 介 さ れ ま し た。
そうしたら、あまりの高値にビ
ッ ク リ し た ら し く、「 家 族 と 相 談
また、貴乃花・若乃花両横綱の土
する」と言って、そそくさと短刀
公益財団法人日本美術刀剣保存協会
「新作名刀展」表彰式開催、
四年ぶりに正宗賞
作刀部門の上林勇二無鑑査刀匠
は、昭和四十八年ごろのピーク時
申 し 出 た と こ ろ、「 誠 に あ り が た
新人賞は作刀の部から一名のみ
の受賞となり、剣を製作して努力
に比べると出品がだいぶ減り、技
昨年秋の叙勲で刀装具研究の大
御所福士繁雄先生が瑞宝双光章を
い話ではあるが」と丁重にお断り
蒙という公益活動の目的の下に開
賞状と賞杯、賞金、玉鋼が授与さ
案ずることなく今年も素晴らしい
受章されたことは、本紙第十五号
に な り、 そ の 後 重 ね て お 願 い し
受章直後に有志らが「ぜひ祝賀
(生野 正)
た際、「来春、暖かくなってから、
会を開催させていただきたい」と
福士繁雄先生の叙勲祝賀会開く
県)にて八月一日~二十日、川越
品を出品し、努力し続ける若い刀
れました。
作品展になった、古名刀と自分の
でも詳しく紹介されています。
賞を獲得した満足浩次氏が、賞状
次に、六名の優秀賞受賞者の表
彰がありました。作刀の部で高見
作品と比較し、勉強することが上
続いて、入賞者の表彰が執り行
われました。
まさか則重の正真の短刀が、釘
箱に入っていようとは。作り話の
一 良 氏、 曽 根 寛 氏、 加 藤 政 也 氏、
達につながると述べられました。
会の平成二十六年度「新作名刀展」
ような話である。何でそんな名刀
彫金の部で柳川清次氏、川島義之
製作に励んでほしい、3Dの時代
残念であった、掟を踏まえた上で
刀身彫刻の部では無鑑査の柳村
重信審査員が、今年は特賞が出ず
そこで、先生との関係が最も深
い佐藤寒山先生門下の刀和会、博
やくご了承いただきました。
のみでなら」との条件付きでよう
名前と顔がわかるごく内輪の方々
が代表として登壇しました。
と言われるが伝統文化は人の手で
努 力 賞 は、 作 刀 の 部 で 十 五 名、
刀身彫の部で三名、彫金の部で二
継承されると述べられていました。
し、八ツ橋透鐔を製作した福與氏
名の合わせて次の二十名の方々が
術レベルの低下を懸念していたが、
氏、 福 與 裕 毅 氏 が そ れ ぞ れ 受 賞
催していることの説明ありました。
彫金の部=山口石舟氏、入江万
里氏
品、合わせて約三十点が展示販売
五国光門という考えが通説であ
を持ち返ってしまった。
降り続いた長雨もやんで、受賞
者の舞台に花を添えるかのように、
今回の個展は「貞一貞利展」を
経て、平成五年から七回目の髙島
り、正宗と兄弟弟子とみるのが妥
果たして売りに来てくれるかと
心配していると、しばらくしてち
つかの間の晴天となった六月十日、
俵入りの太刀を製作、最近では横
当であろう。
ゃんと登録を取った短刀を持って
奈 良 県 立 美 術 館・ 大 阪 歴 史 博 物
則重の妙技は地鉄であり、その
鍛え肌に特徴がある。大板目が肌
きてくれた。買い取れた喜びも束
公益財団法人日本美術刀剣保存協
今年は正宗賞の授与があり、無
鑑査刀匠の河内道雄氏が受賞しま
されました。
立ち、地景がしきりに入り、渦巻
の間、次は研ぎの心配だ。
表彰式が同協会四階講堂において
した。正宗賞は四年ぶりとなる偉
屋催事となり、前出の白鵬関の太
き状の肌を見せるなど、「松皮肌」
キズは出ないか、出来はどうか
と 気 を も む 一 方、 期 待 も 膨 ら む。
執り行われました。
綱白鵬関に土俵入りの太刀を納め
と称される独特の肌合いを見せ
研ぎ上がると、それは期待以上に
業です。
館・奈良市美術館などで同家の歴
月山貞利刀匠が日本橋髙島屋で個展
奈良県桜井市で作刀する月山貞
利刀匠の個展が、七月九日から十
る。
出来のいい短刀で、キズもなく相
五日まで、東京日本橋髙島屋美術
私が今でも忘れられない則重の
名短刀がある。それは私がまだ大
州伝上工の名短刀が顔を表した。
あることを先代は見抜いた。登録
阪刀剣会吉井の主人の元で修業し
画廊で開催されました。
ていたころの話である。
日本美術刀剣保存協会会長賞は、
作 刀 の 部 で 松 葉 一 路 氏 が 受 賞 し、
証が付いていない状態だったの
その短刀は定寸で、ややふくら
が 枯 れ た 鎌 倉 末 期 の 体 配 と な り、
が釘箱なんかに入っていたのだろ
越中国の則重と言えば正宗十哲
の一人とされ、相州伝を代表する
何と言ってもその地鉄が素晴らし
うか?
昭和二十一年生まれの貞利氏
は、人間国宝だった父貞一師に師
く、これが松皮肌であるというお
で、登録する方法を教え、登録が
手本のような地鉄をしていた。刃
則重の在銘の短刀など大名クラ
スの人しか持つことはできないは
名工である。
中も砂流し・金筋しきりにかかり
ずで、もともとは大切にされてき
事。春日若宮社や伊勢神宮に作品
働きが多く、見る度に新しい発見
間違いがあって釘箱に入ってしま
受賞。代表して短刀を製作した木
ました。
和気あいあいのひとときを過ごし
を囲み、懐かしい昔話に花が咲き
五十名余りの出席者はお互いに
顔見知りの方ばかりで、福士先生
東京での開催となりました。
Aインターコンチネンタルホテル
て準備を進め、四月十二日、AN
当組合などの代表が発起人となっ
物 館 関 係、 東 京 都 支 部、 福 士 会、
村光宏氏が登壇しました。
彫 金 の 部 で は 萩 原 守 審 査 員 が、
刀は武士の魂と言われるが、刀装
お祝いの花束を受ける福士氏
則重が正宗十哲と言われていた
のは少し前の話で、現在では新藤
がある最高の出来の短刀だった。
ったのか?
たことであろう。それが、どんな
この短刀の出来に感動し、地鉄
の働きに陶酔していると、主人が
高貴の殿方が許されない恋をして
ニタリと笑い、その短刀との出会
相手の町女に守り刀として渡して
いの話をしてくれた。
それは主人の先代がまだ健在の
ころ、いつもの通り店にいるとお
いたのか、敗戦のときの刀狩りか
もしかしたら昔々に盗んできた
ものを隠していたのか、はたまた
客が入ってきて、いきなり風呂敷
ら守るため釘箱に隠したまま失念
具はその刀を装うものであるから、
を広げ始めた。そして「この釘箱
作刀の部=宮下輝氏、髙橋祐哉
氏、 小 宮 早 陽 光 氏、 北 川 哲 士 氏、
には刀のようなものが入っている
品格と良識を兼ね備えていなけれ
していたのか、などなど、想像が
森國利文氏、新保基治氏、安達茂
膨らむ。
今年の出品総数は六十点。内訳
は無鑑査が十三点、作刀の部が二
が、 こ ん な も の で も 金 に な る か
十九点、刀身彫の部が三点、彫金
ね?」と尋ねてきた。
ばならない、作品を作る上で思い
の部が十五点でした。
作を真似するだけでなく、人の心
込みが強すぎると、間違えた鑑識
初めに主催者を代表して小野裕
会長より挨拶があり、本展は刀剣
文氏、髙羽弘氏、杉山俊雄氏、渡
す る と、「 何 ボ ー ッ と し て る ん
や!」という主人の怒声に我に返
邊徹氏、小宮治氣氏、満足浩次氏、
り、仕事に戻ったのも、今となっ
眼になるので注意してほしい、古
その短刀は錆びて、何も見えな
い状態だったが、その短刀こそ則
松川隆氏、
木村光宏氏、
宮城正年氏
重だった。刃は錆で見えないが中
文化の伝統技術の保護と普及、啓
を打つ現代の名作を作ってほしい、
ては懐かしい思い出である。
刀身彫の部=片山恒氏、柏木幸
治氏、橋本太郎氏
心の状態は良く、則重の正真物で
←次ページに続く
平成26年度「新作名刀展」表彰式
第18号
刀 剣 界
平成26年7月15日発行
(隔月刊)
(9)
〒701–4271 岡山県瀬戸内市長船町長船966 ☎0869–66–7767
戦国無双の刀剣展
天下人のお抱え金工師として活躍し
た後藤家歴代当主が製作した刀装
具、そして武具や甲冑など、武士の
ダンディズムを感じることのできる
作品を展示します。さらに当館所蔵
の戦国時代の古文書も初公開し、武
士たちの生きざまに迫ります。
会期:7月19日㈯~9月15日
(月・祝)
戦国武将たちは自らの命を賭して
戦い、祖先から伝えられた土地や財
産を守りました。そして、戦乱の世
が終わり江戸時代になると、武士は
それぞれに藩主に仕え、お家のため
に働きました。
本展は、多くの武将を魅了した備
前刀の名品、室町時代以降に将軍や
■林原美術館
〒700–0823 岡山市北区丸の内2–7–15 ☎086–223–1733
(仮)
開館50周年記念特別展「武士のダンディズム」
最後に、先生から出席者全員に
書籍『赤坂鐔』が記念品としてプ
るために制作した豪華本で、福士
山栄一さんがご家族・ご親族に贈
に、皆さん大喜びでした。
定 版 で す。 限 定 二 百 部 の 稀 覯 本
元気で活躍されることをお祈りし
れますが、これからもますますお
観世流能楽師の松木千俊氏による
撮影に使われた吉原国家刀匠の刀
たが、関連の取材で4K映像での
卓史氏がテレビの取材を受けてい
作刀・研磨の審査員である佐々木
らで見応えがある。授賞式当日は
刀などが並ぶなど、名刀展さなが
り、その他清麿展に出品された短
に今年は貴重な在銘品が数口あ
研磨部門の入賞者・招待出品・
審査員出品には古名刀が多く、特
査となった。
知 事 賞 〉 山 上 重 則、〈 金 賞 〉 上 山
協 会 会 長 賞 〉 久 保 善 博、
〈長野県
作 刀 の 部 =〈 経 済 産 業 大 臣
賞 〉 明 珍 裕 介、〈 日 本 刀 文 化 振 興
は心より御礼を申し上げます。
ご支援を賜りました各機関、ご
協力を頂きました全日本刀匠会に
なるでしょう。
界全体の繁栄にもつながることと
くの方々が参加されることが刀剣
刀職者のためにあるのであり、多
ールは組織のためではなく個々の
いただきたいと思います。コンク
それぞれの意欲をぜひ感じ取って
皆さまには、必死に挑んだ刀職者
期してほしいものです。ご来場の
に終わっても腐らず、また来年を
嗣、〈銅賞〉古川和幸・森井敦央
白鞘󠄀の部=〈日本刀文化振興協
会会長賞〉森隆浩、
〈銀賞〉田澤敦
之・川上登・福與裕毅
ー ド・ ハ ラ ム、
〈銀賞〉川島義
刀装具の部=〈坂城町長賞〉長
内 勝 義、
〈坂城町教育長賞〉フォ
川和比古・正海裕人・関山和進
〈 銅 賞 〉 藤 川 二 朗・ 横 山 智 庸・ 小
正 海 郁 雄・ 玉 置 城 二・ 渡 部 恒 継、
〈 銀 賞 〉 相 良 雄 一・ 阿 部 聡 一 郎・
森 井 鐵 太 郎・ 倉 島 一・ 本 阿 彌 毅、
日 新 聞 社 賞 〉 水 田 吉 政、
〈金賞〉
研 磨 の 部 =〈 日 本 刀 文 化 振 興
協 会 会 長 賞 〉 小 野 敬 博、
〈信濃毎
内一平・安達茂文・古川信夫
(冥賀吉也)
奉納能楽「高砂」の舞により、引
陽 三・ 松 葉 一 路、〈 銀 賞 〉 木 村 光
き締まった厳粛な雰囲気で始まっ
ます。
事のため会場が変更となり、それ
た。本阿彌光洲理事長の開会の挨
宏・ 根 津 啓・ 森 充 吾、〈 銅 賞 〉 河
柄巻の部=〈銀賞〉笹原喜幸
鞘塗りの部=〈銀賞〉小山光秀
なお、会期中は展示解説をはじ
め居合演武・ナイフ作り・刀剣鑑
福士先生は今年八十九歳になら
先生が監修された赤坂鐔研究の決
鑑賞の環境は非常に良い。
に伴って公益財団法人日本刀文化
拶に続き、山村弘坂城町長の歓迎
賞会など、さまざまなイベントが
レゼントされました。本書は、丸
公益財団法人日本刀文化振興協会
刀職技術展覧会」が六月二十一日
本 刀 の 展 示 施 設 は 充 実 し て い て、
聖地と称しても過言ではない。日
第五回新作日本刀 研
・磨 外・装 刀職技術展覧会
第五回を迎えた刀職全部門のコ
から八月三十日まで、長野県坂城
ここを会場に五月八日からの三
日 間、 作 刀・ 研 磨・ 外 装 の 順 に、
ンクール「新作日本刀 研・磨 外
・装
町の「鉄の展示館」にて開かれて
二名の文化庁担当官立ち会いの
下、厳正な審査が行われた。
いる。
出品数はやや減少したが、作品
は充実していてレベルも高い。作
刀部門と研磨部門の上位入賞者の
振興協会・坂城町鉄の展示館・坂
の言葉があり、若林健太参議院議
作品は優劣つけ難く、伯仲した審
城町三者の共催、経済産業省・文
員、初代日本刀文化振興協会会長
六月二十一日の授賞式は、重要
無形文化財総合指定保持者である
も展示されている。
化庁・長野県・坂城町教育委員会
昨年までは東京虎ノ門・大倉集
古館で開催されていたが、改修工
ほか地元マスコミ数社の後援によ
予定されている。中でも八月二十
り実現の運びとなった。
設である。七年前からは毎年、全
二年前に経産省所管で作られた施
国宝宮入行平記念室を併設し、十
分、地元機械部品産業展示と人間
が授与された(入賞者別記)。
賞、坂城町長賞、坂城町教育長賞
て長野県知事賞、信濃毎日新聞社
興協会会長賞のほか、特別賞とし
その後、表彰が行われた。今回
は経済産業大臣賞、日本刀文化振
からはお祝いのご挨拶を頂いた。
国刀職者の研修もここで実施して
鉄 の 展 示 館 は、 東 京 か ら 電 車
で 約 二 時 間、 坂 城 駅 か ら 徒 歩 五
おり、源清麿生誕の小諸市にも近
コンクールは厳然たる結果を残
すが、好成績にもおごらず、下位
阿部一紀)
会幹事・審査員
(公益財団法人日本刀文化振興協
〇二六八 八-二 一-一二八)まで。
お問い合わせは、鉄の展示館(☎
る 鍛 錬 実 習 も 一 見 の 価 値 が あ る。
き、近くの宮入鍛錬道場で行われ
どの刀職者の作業風景が見学で
れる研修会(公開)では、ほとん
二~二十四日に隣接会場で実施さ
の 徳 川 康 久 様( 現 靖 国 神 社 宮 司 )
第5回展の授賞式(撮影/塙薫子)
く、この地は今や信州の日本刀の
鉄の展示館での初の展示
玉1点が出土しました。
中でも円環型銅釧は北部九州や対
馬、朝鮮半島に分布する型式の銅釧
であり、加美遺跡の被葬者が西日本
から東アジアに広がる交流ネット
ワークと関わりを持っていたことが
うかがえます。
加美遺跡Y-1号墓は、墳丘規模
が河内平野最大であり、当時貴重で
あったガラスや銅で作られた着装品
を持つ人物が埋葬されていたことな
どから、河内平野の諸集落を指導す
る立場(王)にあった有力氏族の墓
とみられます。この墳墓から出土し
た資料をまとめて展示することで、
弥生時代の首長と社会の様相につい
てご紹介します。
会期:7月16日㈬~9月1日㈪ 火
曜休館
加美遺跡は、大阪市平野区加美東
一帯にある弥生時代から奈良時代に
かけての遺跡です。昭和59年に加美
東6丁目で行った調査で、地下約3.5
mのところから弥生時代中期の2基
の墳丘墓が見つかりました。
その1つY-1号墓は、墳丘裾部
で南北26m、東西15m、高さ3mと
規模が大きく、墳頂部から23基の埋
葬が見つかりました。
墳丘のほぼ中央に位置する5号木
棺はこの墳丘墓の中心となる埋葬で
あり、板材を2枚重ねた荘重な作り
の木棺を用いていました。その北側
には着装品を持つ埋葬があり、2号
木棺からは円環型銅釧(えんかんが
たどうくしろ)1点とガラス平玉1
点、
14号木棺からは円環型銅釧1点、
1号木棺からはガラス勾玉1点と丸
金刀比羅宮所蔵の奉納刀のほか、公
益財団法人日本美術刀剣保存協会お
よび同四国讃岐支部の協力により多
数の刀・刀装具・甲冑を展示します。
会期:7月12日㈯~8月31日㈰ 月
曜休館
「ニッカリ青江」は南北朝時代の
青江物で、貞次の作と伝えられてい
ます。本刀は大坂冬の陣の折、京極
忠高が豊臣秀頼より拝領したもの
で、今年は京極家に伝来して400年
の節目の年に当たります。
本展ではこれを記念し、青江刀や
■備前長船刀剣博物館
■大阪歴史博物館
〒540–0008 大阪市中央区大手前4–1–32 ☎06–6946–5728
河内平野の弥生王墓
るゲーム『戦国無双』シリーズが10
周年を迎え、新作ゲーム、マンガや
アニメが公開される中、本作とコラ
ボレーション企画することで、より
多くの若者たちに本物の日本刀や甲
冑に興味を持つきっかけを作り、さ
らなる保存・伝承へとつながること
を期待しています。
会期:7月12日㈯~9月15日
(月・祝)
いつの時代にも名将たちは名刀を
所持し、意匠を凝らした甲冑に身を
包み、技術の粋を結集した武器・武
具で己の生きざまを内外に知らしめ
てきました。特に戦国時代を生きた
武将たちは、多くの遺品や魅力的な
エピソードが相乗効果となって、若
い歴史ファンを増やし続けています。
この度は、若者に絶大な人気を誇
■丸亀市立資料館
〒763–0025 香川県丸亀市一番丁 ☎0877–22–5366
~ニッカリ青江伝来400年記念~サムライの魂 日本刀の世界展
催 事 情 報
第18号
刀 剣 界
平成26年7月15日発行
(隔月刊)
(10)
西日本甲冑交換会
出品随時受付中
8513
籏谷 大輔
〒151 0053
東京都渋谷区代々木4
TEL 03 5350
日本刀籏谷
飯田高遠堂
代表 取 締 役
飯田 慶 久
慶雄
東京都新宿区下落合3
TEL 03 3951 3312
刀剣・古銭・切手・古美術品
︵売買︶
㈱城 南 堂 古 美 術 店
田中 勝憲
代表
東京都目黒区上目黒4
携 帯 090 3208 9612
FAX 03 3710 6776
笹 原 俊 和
〒869 2612
熊本県阿蘇市一の宮町宮地4375 1
TEL 090 3078 4044
㈱日本刀剣
1
4321
4324
伊 波 賢 一
〒105 0001
東京都港区虎ノ門3 8
TEL 03 3434
FAX 03 3434
やしま
齋 藤 雅 稔
久
東京都西東京市柳沢6 8
TEL 042 463 5310
FAX 042 463 7955
やしま
齋 藤
東京都西東京市柳沢6 8
TEL 042 463 5310
FAX 042 463 7955
眞 玄 堂
刀剣市場 野田会 毎月3日・ 日開催
株式会社 美 術 刀 剣 松 本
松本富夫・松本義行
千葉県野田市清水199 1
TEL 04 7122 1122
FAX 04 7122 1950
メール i n f o @ to u k e n - m a ts u m o to . j p
URL h ttp : / / www. to u k e n - m a ts u m o to . j p
拵合せ致します
水野 美行
日本刀鞘師
〒160 0002 東京都新宿区坂町
TEL 03 3353 8810
奈良県無形文化財保持者
月 山 貞 利
〒633 0073
奈良県桜井市大字茅原228 8
TEL 0744 43 7330
株式会社 刀 剣 柴 田
柴 田 光 隆
8
447
〒104 0061 東京都中央区銀座5 6
TEL 03 3573 2801
FAX 03 3573 2804
URL ht t p://w w w .t okensibat a.co.j p
もちだ美術
持 田 具 宏
さいたま市中央区上落合1 9 4
TEL 048 855 4792
丸英美術刀剣店
刀剣、
小道具、
甲冑武具、
高価買入
瀬 下 明
瀬 下 昌 彦 栃木県小山市乙女3 7
TEL 0285 45 0158
URL http://www.maruhidetouken.com
刀 剣 ギャラ リ ー 樹 林
森 野 幸 男
〒803 0812
北九州市小倉北区室町2 2
TEL 093 561 0449
服部美術店
稔
・2F
3274 5170
東京都中央区日本橋3 5
TEL 03
赤荻刀剣店
つるぎの屋
冥 賀 吉 也
冥 賀 亮 典
東京都北区西ヶ原4
TEL 03 3576
FAX 03 3576
株式会社 和
敬堂
銀座 盛
光堂
齋 藤
新堀孝道・徹
篤史・賀将 新堀美術刀剣
中央区銀座5 1 銀座ファイブ2階
TEL 03 3558 8001
URL http://www.seiyudo.com
東京都中央区銀座8
盛光堂ビル
TEL 03 3569 2251㈹
URL http://www.ginzaseikodo.com
恒
新潟県長岡市柏町1 2
TEL 0258 33 8510
FAX 0258 33 8511
URL h t t p : / / w w w . w a k e i d o u . c o m
土 肥 豊 久
土 肥 富 康
刀剣・書画・骨董
1
1753
8419
茨城県下妻市下妻乙172の5
TEL 0296 44 2643
赤 荻
12
臼 木 良 彦
刀剣研師
〒135 0045
東京都江東区古石場1 2 7
TEL 03 3643 3228
美術刀剣松山
福 岡 光 男
優 古 堂
愛媛県松山市松前町3 3 1
TEL/FAX 089 947 5177
刀剣・古美術
三 浦 優 子
代表
東松山市高坂769 5
TEL 0493 35 5559
URL http://yukodo.net
生きた研ぎをしたい
黒 田 守 寿
刀剣研師
福岡市博多区東雲町1 4
TEL 092 581 1728
売買、
加工及びご相談承ります
大阪刀剣会
吉 井 唯 夫
〒542 0073
大阪市中央区日本橋2 7 1
TEL 06 6631 2210
FAX 06 6644 5464
甲冑・刀剣・刀装具福隆美術工芸
綱 取 譲 一
東京都中央区銀座2
4
TEL 03 3541 8209
古美術刀剣 後
藤
後 藤 一 乗
〒462 0059
横浜市旭区さちが丘2
名古屋市北区駒止町2
TEL 045 364 2893
URL http://www10.ocn.ne.jp/ simbori TEL/FAX 052 916 2583
銀座長州屋
美術刀剣のオンラインショッ﹁
プ 刀の蔵﹂
佐 藤 均
代表者
刀剣・小道具・鎧 刀 剣 杉 田
1461
1463
杉田 侑司
代表
豊島区池袋2
5
TEL 03 3980
FAX 03 3980
賢 藏
日本美術刀剣研磨
墨
無鑑査 研師
東京都練馬区北2 7
TEL 03 3928
携帯 090 4737
虹雅堂美術舗
0062
2715
笠 原 泰 明
〒142 0063 品川区荏原2
TEL/FAX 03 3781 6582
刀剣・小道具・甲冑、
売買、
工作及び相談承ります。
株式会社 む さ し 屋
2
猿田 慎男
代表取締役
〒590 0025 大阪府堺市堺区向陵東町1
TEL 072 251 8600
FAX 072 257 2885
URL h t t p: // w w w .m u sa si ya .c o .j p
朝 倉 忠 史
長野市南県町1136
TEL 026 228 0001
FAX 026 227 5789
飯塚
刀 剣
古美術
飯 塚 賢 路
〒337 0015
さいたま市見沼区蓮沼1004 1
TEL 048 688 2001
FAX 048 688 2002
古 美 術 ・ 刀 剣 山 城 屋
嶋 田 伸 夫
東京都豊島区巣鴨1
8
TEL 03 3942 2701
FAX 03 6657 4221
株式会社舟 山 堂
稲 留 修 一
〒710 1101
〒101 0047
岡山県倉敷市茶屋町173
東京都千代田区内神田2
石垣ビル
TEL 0120 963 411
ホームページ http://katananokura.jp TEL/FAX 03 5297 8144
小沢刀剣店
小 澤 正 晴
〒323 0032
栃木県小山市天神町2
TEL 0285 30 5353
株式会社泰 文 堂
松崎ビル4階
2551
2553
川 島 貴 敏
東京都中央区銀座4
TEL 03 3563
FAX 03 3563
刀剣買取り、
管理お預り
刀剣研磨處
尾 﨑 明 幸
メール oa k i y u k i @ y ah o o. c o. j p
アオバ企画㈱
一
〒130 0012
東京都墨田区大平4
2 1308
TEL 03 3622 2231
FAX 03 3622 2251
メール a o b a k k @ p j 8 . s o - n e t . n e . j p
専務取締役
高橋
〒174 0004 板橋区板橋1
TEL 03 3964 1001
携 帯 090 4027 7710
水 野 光 幸
水野刀剣美術店
〒248 0014
鎌倉市由比ガ浜3
TEL 0467 22 3167
中 山 隆 好
中 山 刀 剣・美 術 店
刀剣研師
尾
〒243 0406 神奈川県海老名市国分北2
TEL 046 231 2535
FAX 046 234 8123
メール [email protected]
URL ht t p: // t ou ke n -t o us o u g u . s a k u r a . n e. j p
池 田 長 正
ご先祖様の魂
びていませんか?
池田刀剣研磨処
群馬県伊勢崎市連取町1836 1
TEL 0270 26 7778
FAX 0270 26 8878
代表取締役
松 浦 孝 子
有限会社 紀 伊 国 屋
3
毎月20日開催
株式会社
大平岳子
将広
東京都中野区本町4
TEL/FAX 03 3381 3071
URL h t t p :/ / w w w .s h o u b u d o u .c o .jp
印刷/株式会社日刊企画
14
10
13
54
12
22
17
8
52
15
35
16
11
11
19
3
19
B1
14
15
21
13
11
11
49
4
33
10
18
15
31
〒101 0044
東京都千代田区鍛冶町1 7
TEL 03 3252 7844
FAX 03 3251 1419
10
11
33
事務局
19
30
45
22
17
10
10
17
暑 中 お 見 舞 い 申 し 上 げ ま す
平成26年(2014)盛夏
第18号
刀 剣 界
平成26年7月15日発行
(隔月刊)