家庭、地域社会、学校を結ぶ情報通信 発 行 所 No 404 2009年(平成21年)9月28日発行 台中日本人学校(台中縣日僑学校) 電 話 04-2567-2079 FAX 04-2567-2085 e-mail [email protected] ホームページ http:// tjs97.myweb.hinet.net 校 長 室 よ り 校 長 浦 幸 子 1 インフルエンザと異文化 台中に暮らし始めて、およそ半年が過ぎました。最初はいろいろな違いに戸惑うこともありましたが、生活 にも次第に慣れ、公私ともに、充実した暮らしができるようになってきたことに感謝する日々です。 しかし、今回のインフルエンザにかかわって、新たな異文化を感じる出来事に遭遇しました。 世界的に感染が拡大している新型インフルエンザですが、日本でも他の国々と同様、感染が収まる気配はあ りません。先週のニュースでは、日本のある中・高一貫校で1500人ほどの在籍生徒のうち480人ほどが 新型インフルエンザに罹患し、学校閉鎖をしたと報じていました。無論、日本では、A 型かどうかの検査をし、 さらに、新型 N1H1 であるかどうかのチェックもした上での判断です。 先日から、3,2,5についてお知らせしていますが、この「2」人は、新型でなくても医者からインフル エンザと言われれば、インフルエンザですし、風邪といわれれば普通の風邪であるという判断だということが 分かりました。インフルエンザの診断をくだされるときも、簡易検査をする診所もあれば、検査はしないまま で判断される場合もあるようです。しかも、新たな事実ですが、2人のインフルエンザ患者が出て学級閉鎖す る場合でも、この2人は学校に登校してから発熱した子に限定されているそうです。つまり、家で発熱して休 んだ子どもは対象にしないということなのです。このことについては、台北の交流協会の方が議論になった点 だと言われました。これは、感染が広がるのは、発熱してからの確率がたいへん高いということによるもので はないかと推測されます。今回の新型インフルエンザは、感染力は強いけれども、症状の程度は季節性のイン フルエンザとほぼ変わらないということから、台湾当局はこのような判断をしているのでしょう。しかし、こ の「2」人が新型であるかどうかは没関係だということ、さらには、2人が学校で発熱した場合だけが対象、 ということを知らされたときには、ドーンと頭を殴打されたようなめまいを感じました。自分の価値規準がゆ さぶられ、 「本当にこれでいいの」と判断にとても迷いました。 今回、日本と、台湾との考え方の違いに遭遇し、国が異なれば、当然、考え方も違ってくることを改めて考 えさせられました。 「郷に入れば郷に従え」ですが、今回の出来事に関しては、日本人学校独自に考えて3,2, 5を遵守していきたいと考えています。 インフルエンザによる学年閉鎖によって、行事を変更したり、外出をできるだけ控えていただいたりして、 たいへんご迷惑をおかけしています。できるだけ早い終息を願っているところですが、抵抗力のない子どもた ちは、かなり罹患するであろうと予想されています。今後も、手洗い・うがいや検温、消每など、徹底してま いりますので、保護者の皆様のご協力をお願いいたしますとともに、冷静なご対応をしていただきますよう、 どうそよろしくお願いいたします。 2 目標達成、修学旅行 9月1日(火)から4日(金)までの3泊4日の修学旅行、無事に終えることができ、ほっとしています。 5月の計画段階で、日本では新型インフルエンザの感染が拡大していたため、延期した修学旅行でした。しか し、その後、日本での感染はいっそう拡大し、特に中・高生への感染がかなり高い割合を占めていました。ま た、慢性疾患を持っている人々の中には死者も出るようになり、修学旅行の実施には、たいへん大きなリスク を感じながらの決断でした。しかし、子どもたちは、全員が感染予防を大変意識し、公共の場ではマスクをし たり、健康観察をきちんと行ったりして、結果的には充実した心に残る修学旅行になりました。 1日目の、法隆寺や東大寺など、古都の文化に日本人としての誇らしさと古人のすばらしさを感じ、2日目 の京都自主研修では、班の友達と協調して行動することの難しさや大切さを感じながら、予定していた目的地 をほぼ見学して回り、また、3日目のユニバーサル・スタジオ・ジャパンでは、与えられた時間を目いっぱい 使って遊びに熱中しました。 「よく学び、よく遊び」に「よくかかわり」 「よくしゃべり」「よく食べ」が加わり、 子どもたちには忘れられない修学旅行となったことと思います。 2人の担任は、これまで日本で体験した修学旅行とは違って「自分たち自身もとても楽しんだ」ことを解散式 の時に話していました。これは、子どもたち一人ひとりが楽しみながらも、必要に応じて集団行動を取り、ま た、ルールやマナーを守って活動をすることができ、担任も安心して子どもたちに任せることができた結果で あったと思います。子どもたち同士、そして、担任と子どもたちとの信頼がいっそう深まった旅行となったこ とも大きな収穫です。 3 八・八水災への募金活動をとおして 去る9月9日、紅十字台中支部の代表の方に来校していただき、募金額33,659元をお渡ししました。 この八・八水災への募金活動をいち早く取り上げてくれた生徒会の動きに、私はたいへん感動しました。 実を申しますと、8月24日の2学期始業式での挨拶のときに、台湾の台風被害の話をし、 「全校の皆さん にできることをしよう」と呼びかけるつもりにしていました。ところが、すでに、夏休み中に、生徒会長から 生徒会担当教師に、 「ぼくたちにできることをしたい。台中の地震のときには台湾の人々に励まされ、助けられ たのだから、今度は、ぼくたちがお返しをしたい」という旨を電話してきたそうです。それを聞いたとき、ジ ーンと熱いものがこみ上げてきました。 「台中校にはこんなにすばらしい生徒会がある。そして、このように、 すぐ行動に起こそうとした生徒会の呼びかけに応える多くの仲間がいる」と思うと、本当に嬉しくなってしま いました。 今の中3生は、1999年9月21日の台湾中部地震のときには在学してはいませんでした。ですから、そ の当時のことは直接は知らないのだと思います。でも、先輩の中学生が語り継ぎ、多くの人々に助けてもらっ て今の台中校があることを知り、また、その後、四川大地震など自然災害のときには、みんなで支援の手を差 し伸べていった経験をしたから、今回のような素早い対応をすることができたのだと思います。さらに、もう 一つ、子どもたちの心には日ごろから、人のために何かしたい、しようという温かな心が育まれているから、 ということも、見逃すことはできません。今回の生徒会の行動を、下学年の子どもたちが見て、また、下学年 の子どもたちが育っていくことを思うとき、台中校のよき伝統を大切にしていかなければと強く思いました。 窓 8月24日(月) 2学期始業式 子ども達の元気な姿が学校に戻ってきました。どの子も、夏休みの間に大きくなったように感じました。校 長先生のお話の後、児童・生徒代表として小学部5年生神能健史君と中学部3年田中裕友君が2学期の抱負を 発表しました。全校みんなも同じような気持ちだったと思います。行事の多い2学期です。一人ひとりがやる 気をもって、いろいろな場面で輝いてほしいと思います。 9月 1日(火)~4日(金) 中学部2年、3年 修学旅行 待ちに待った修学旅行に行ってきました。行き先は関西方面(奈良・京都・大阪) 。天候にも恵まれ、楽しい 4日間を過ごしたようです。寝食を共にすることで、お互いの絆を更に強められたことでしょう。台湾の文化 に囲まれて過ごす毎日ですが、今回触れることができた日本文化も心に留めておいてほしいと思います。 9月11日(金) 第2回 計算コンテスト 今年度2回目の計算コンテストを実施しました。自信たっぷりでコンテストに臨んだ子もいれば、ちょっと 心配だなと思いながら問題用紙を受け取った子もいたことでしょう。コンテストでは、全員「合格」を目指し てがんばるのですが、そのことに加えて、既習事項が身についているかどうかのバロメーターとしても捉えて ほしいと思います。合格して終わりなのではなく、十二分に理解できるまで練習を続けて、確かな力を育てて ほしいと考えています。 9月15日(火)~25日(金) 夏休み作品展 当初の予定より1週間長く作品展を開催しました。力作が並び、とても見応えがありました。鑑賞している 児童・生徒からも「これ、すごくかわいいね」 「とても上手にできてるね」などの声が上がっていました。既 に、来年の作品のアイデアを見つけた子がいるかもしれませんね。 9月22日(火) 水泳記録会(中学部1~3年) 中学部が、一足早く記録会を行いました。中学部だけでの実施なので尐し寂しい感じもしましたが、子ども たちはそんな思いを吹き飛ばすほどの泳ぎっぷりでした。保護者の皆様の温かく力強い声援にも後押しされ、 持てる力を出し切れたのではないかと思います。来年もまた、今年に負けないくらい、力一杯泳いでほしいな と思います。中学部3年生にとっては最後の記録会。会心の笑みで幕とできたでしょうか。 9月25日(金) 第2回 漢字コンテスト 計算コンテストに続き、漢字コンテストも実施しました。計算コンテストでのやる気をそのままに、問題に 取り組んでいました。このコンテストも自分の実力を知ることができるチャンス。コンテストをこれからの自 分にぜひ生かしてほしいと思います。この日実施できなかった小学部4~6年生は、後日行います。 ペンリレー 小学部 2年担任 小学 4 年生の 5 時間目。授業の内容は忘れましたが、班の友だちに、 「ツナ缶といえば、醤油」と言った ら、クラスの子たちに大爆笑され、なぜ笑われているかがわからず、一人でこっそりと泣いた記憶がありま す。ツナ缶の話題で盛り上がるあたりがさすが港町焼津。ということでも、そんなことで泣くのか?!とい うことでもなく。ほとんどの家庭ではツナと言えばマヨネーズだったことを知らなかったのです(みなさん の家では?) 。 全国どこからでも富士山は見えるものだと思っていました (富士山で天気だけでなく季節の変わり目も判 断します) 。お祭りで掛け声をかけるときには「アンイェートン!」でした。 「わっしょい!」は、知っては いましたが、使ったことはありませんでした(焼津市の荒祭りでの掛け声です) 。はんぺんといえば、黒で す。白いのは、静岡県民からみたら、お麩です。 それまで当たり前と思っていたことでも、実は家族だけのことだったり、地元だけのことだったり。 生まれ育った場所と言うのは、何年たっても愛着があります。その場所を出るまではすべてが常識、おか しなことなんて一つもないと思って育っています。私も、大人になって「全国共通ではなかったの?!」と、 思うことがたくさんありました。でも、それを知れば知るほど地元愛は強くなっていくのですね。今回は私 の生まれ育った静岡県、そして、焼津市の紹介です。その中でも、今回は特に学校の様子をご紹介します。 小学校 ☆ヘルメット……登下校時、 ヘルメットをかぶらなければいけませんでした。校章が真ん中についていて、 周りに反射テープが張られている白ヘルメット。地元の小学校なので全員徒歩圏内なのですが、 ヘルメットです。かぶらない子には先生は厳しく指導します。シールや落書きは尐しくらいだっ たら許してもらえました。ヘルメットの裏に貼ったり、書いたりするのがおしゃれさんです。ど んなに暑くても、寒くてもかぶります。もちろん、自転車に乗る時にもかぶります。 (現在は、 自転車に乗るときだけだそうです。残念です。 ) 現在日本では小学生以下の子どもは自転車に乗るときはヘルメットをかぶるように言われま すが、焼津は先取りしていたのですね。さすがです。 ☆通学……登校は、もちろん、ヘルメット着用。学区をいくつかに区切り、子ども会を結成し、朝は、子ど も会で登校します。だから地域の学年を超えてのつながりは必然的に強くなります。子ども会同 士は何となく対抗意識があります。子ども会で旅行にも行くし、公園に行ったら必ず顔見知りの 誰かはいます。下校はそれぞれですが、冬の田んぼは斜めに横切りできるだけ、ショートカット です。 ☆校服……紺のブレザー、紺のスカートまたは短ズボン。制服ではなくて、校服と言っていました。全校児 童が着ていると、確かにきりっとしています。でも、頭にはもちろんヘルメットです。 ☆給食……地元の給食センターで給食が作られていました。ご飯はアルミのカップに一人ずつ入っていまし た。給食の時には必ずお茶がでました。ラグビー部が持っていそうな大きなやかんに各クラス 名が書かれていて、当番がクラスまで運びます。これも、私の母校だけでなく、焼津市とたぶん その近隣の学校では当たり前でした。だから、給食に出る牛乳は飲み物というよりは栄養をとる ためのもの。水分はお茶でとるものだと思っていました。これは、中学でも高校でも続きました ので、長い間、本当に全国で行われているものだと思っていました。静岡は茶どころです。毎日 のお茶は欠かせません。日式で無糖です。 ☆遊びの終わり……東京でも時間になったら地域に音楽が流れていましたが、焼津では音楽ではなく、 「広 報やいづ」です。音楽の後、お姉さんの声で毎日なんらかの連絡事項が流れます。4 時 30 分に 流れるので、大抵の小学生は「こうほうで帰る~」といって、遊んでいました。遊びはゲームも していましたが、広い田んぼや砂浜、山など、自然のある場所でも泥んこになりながら遊んでい ました。 ☆避難訓練……小さいころから「東海地震はいつ来てもおかしくないんだ!」と先生に言われ続けてきま した。だから、地震にはみんな敏感です。清水出身のちびまる子ちゃんも。机の横に必ずヘルメ ットをかけて授業をしました。 学校のそれぞれの場所で地震が起きたらどうするかを教わります。 たとえば、トイレの最中に地震が来たら、まず、鍵を開けなさい、と。でないと、鍵が曲がって、 出られなくなるからです。 これから起きると言われている東海地震はマグニチュード8を超える と言われています。大きな被害にならないよういつも祈っています。 中学校 ☆移動……友だちとの遊びは基本自転車での移動です。ヘルメット着用です。つけていないのが見つかる と先生に怒られます。 実は静岡県は交通事故多発県といううれしくないランキングに入っている ので中、高生には特に厳しく先生方は指導します。 ☆教室……小学校も、中学校もそうですが、基本的に公立学校の教室には暖房器具、冷房器具、一切あ りません。本州の中でもとても過ごしやすい県と言われている静岡県。だから暖房もないので しょう。しかし、冬の教室はやっぱりすごく寒いです。でも、当たり前だと思っていたので誰も 文句は言いません。 ☆遊び……焼津で遊ぶよりも静岡の街に行く。静岡の街を知っているとちょっとかっこよく見えていました。 映画を見るのも、服を買うのもデートをするのも静岡市内がおしゃれの基本。でも、静岡市内は そんなに大きくないので、誰かには会います。 高校 ☆通学……ほとんど自転車通学。自転車の速さは並ではありません。朝の通学時間帯は猛スピードでたくさ んの自転車が走っています。 ☆高校生体操……静岡県の男子高校生は授業中に高校生体操なるものを学習します。 ラジオ体操のように全 身運動です。母校では体育大会の時に、1年生が上半身裸で運動していました。 ☆サッカー……サッカーでも有名な静岡県。 私の母校では入学時に男子全員がサッカー用のスパイクを買わ されます。囲碁部も野球部も、強制です。体育の多くの時間がサッカーに費やされていました。 でも、これは、他の県内の高校はそうではないと思います。オシムもびっくり何色ものビブスで 数チーム入り乱れてのサッカーゲームをしていました。女子はその横で、表現体操をひたすらに やっていたような気がします。 どこに行っても幼尐期や青春時代を過ごした場所は忘れられない大切な場所。 台中校の子どもたちにとっ ても、台中校、台中がそうであるように願っています。 ★『ふしぎなナイフ』ふくだたかよし 福音館書店 (小学校低学年向き) ほん いちばん ほん ほん せかい この本はぼくが一番だいすきな本です。なぜなら、この本には、世界でひとつだけのナイフ、ふつうではぜったい え にありえないナイフのいろいろな絵があります。まがったナイフやとけたナイフ、われたナイフなどなどほかにもいっ いちねんせい にねんせい ひと おも ぱいあります。すごくおもしろいので、一年生や二年生の人ならぜったいおもしろいと思うでしょう。きょうみのあ ひと よ る人はぜひ読んでみてくださいね。 (小学部学習委員) ★『天智天皇』―大化の改新 (まんが人物日本史 大和時代) 原島サブロー(イラスト) 学研 (小学校中学年~高学年向き) 聖徳太子が亡くなると、大和朝てい内部では、そがしが力を持ち始め、馬子・えみし・いるかと三代にわたって、お うぼうにふるまい始めました。この強大になったそがしに、正ぎと勇気で立ち向かい、新しい日本国づくりを行おうと した皇子、中大兄皇子(のちの天智天皇)の物語です。この本は、字だけでなく、絵も入っています。ぼくは、後半の そがのいるかをたおした中大兄皇子が天智天皇になる場面がすきです。おもしろいのでぜひ、図書館にきたら、読んで みてください。 (小学部学習委員 ) ★『最後のトキ』 国松俊英 金の星社(小学校高学年向き) トキは、ニッポニア・ニッポンという学名を持っています。その名の通り、日本のそこらじゅうにいる鳥でしたが、 ついに一羽になってしまいました。保護に努めますが、卵がかえらなかったり、事件がおきたりします。最後に残った トキのキンちゃんはどうなるのか。 ぼくは、ドキドキしたり、感動したり、応援したくなったりするこの本が大好きです。みんなも、ドキドキしたりし て、この本を大好きになってください。そして、この本をたくさんの人に読んでもらいたいです。 (小学部学習委員 ) ★『スターガール』 ジェリー・スピネッリ 理論社 (小学校高学年~中学生向き) 主人公レオ・ボーロはヤマアラシ柄のネクタイを集めるのが好きな男の子。ハイスクール 2 年生の新学期に不思議 な転校生、スターガール・キャラウェイと出会います。スターガールは、みんなを楽しませようとしたり、とっても素 直だったり、周りを全然気にしなかったり、とても不思議な子です。そんな子が主人公はとても気になります。次に何 がおこるのかとてもワクワクさせてくれる本です。この本を読むと、前向き思考になれるかもしれません。 (中学部学習委員 )
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