家庭、地域社会、学校を結ぶ情報通信 NO361 2006年(平成18年)6月30日発行 大 王 や し 発 行 所 台中日本人学校 電 話 2567−2079 FAX 2567−2085 e−mail [email protected] ホームページ http://myweb.hinet.net/home5/tjs97/ 校長室より 校 長 松 井 幹 夫 1.水泳学習 5月下旬から台湾各地で雨が降り続き、土砂崩れ・洪水等の災害が発生して、大きな被害を受けた地域もあ りましたが、台中にも、やっと台湾らしい夏日が続くようになりました。 子どもたちは、水を得た魚のように水泳学習に積極的に取り組んでいます。 9月29日(金)に実施される「校内水泳記録会」を目指して、全児童生徒が、泳力の向上・新しい泳法を 身に付けようと一生懸命取り組んでいます。当日、好記録が数多く出ることを今から楽しみにしています。 2. 「計算・漢字コンテスト」を終えて 本年度初めて実施しました「第1回計算コンテスト・漢字コンテスト」が無事終了しました。子どもたちの 頑張っている様子は、各学級の通信で詳細に報告されています。努力の結果「合格証」を手にした子どもたち の誇らしげな顔は、特に印象的でした。 前号の「大王やし」にも書きましたように、本校では平成14年度より「学力の保障」を目指して、月曜日 を除く週4回、8時10分から8時25分までの15分間を「朝学習」として、国語(読書・書き取り)、算 数・数学(基礎・基本にかかわる計算を中心とした課題プリント等)に取り組んできました。今回、その成果 が十分証明されたことを、嬉しく思っています。 また、今回の結果から、全校児童生徒および教職員一同が、『継続は力なり』ということを改めて学びまし た。子どもたちの努力と各家庭のご支援の賜物と感謝しております。 3.授業参観週間ありがとうございました 19日(月)から23日(金)までの「授業参観週間」では、多くの保護者の皆様方に、日頃の子どもたちの 頑張っている様子を参観していただき、ありがとうございました。子どもたちの様子、学級の様子等で、お気 づきになられたことがありましたら、些細なことでも結構ですので、担任、学校に知らせていただければ幸い です。 また、23日(金)の小学部、中学部の宿泊学習説明会にも多くの保護者の皆様にご出席いただき、ありが とうございました。 1学期も残すところ3週間となり、各学年、1学期の学習のまとめに向けて頑張ってまいります。ご家庭で も、子どもたちへの励ましの言葉をお願いいたします。 4.バザーに向けて 7月8日(土)のPTAバザーに向けて、山口PTA会長を始め役員の皆様が中心となり、準備を進めてく ださっています。バザー開催の趣旨である『バザー収益金による学校備品の充実のため』をご理解いただき、 ご支援・ご協力いただければ幸いです。お陰をもちまして、毎年、学校備品が充実してまいりました。昨年度 は、小学部低学年の図書充実に使わせていただきました。本年度もよろしくお願いいたします。 募金活動も行われますので、皆様の善意をお願いします。 窓 小中交流会(6月7日) 小中仲良くお弁当を食べ、その後体育館でレクリエ―ションを行いました。名付けて「人間文字作り」 。 重なり合ったり丸くなったりしながら、協力して言葉を作り上げていきました。楽しい一時を過ごしなが ら、小中の絆はさらに深まったようです。 計算・漢字コンテスト(6月9日、16日) 朝学習の成果を全員見事に発揮することができました。合格証を手にした子どもたちはとてもうれしそ うでした。ちょっと自信も持てたようです。今後もさらに基礎・基本が定着し、より学習の意欲が高まる ことを願っています。 プール開き(6月12日) 今シーズンの初泳ぎです。 「きゃー、冷たい。 」などと言いながらも、子どもたちは元気に久しぶりの水 の感触を楽しみました。それぞれ水泳の目標も立てました。どんどん上手になっていくことでしょう。 授業参観週間(6月19日∼23日) 授業参観週間には、たくさんの保護者の皆様にお越しいただき、ありがとうございました。子どもた ちは普段よりも一段とはりきって授業に臨んでいたようです。これからもいつでも学校に足を運んでい ただき、子どもたちの成長の様子をご覧下さい。 水難救助法講習会(6月19日∼21日) 1年から4年生までは、 「水に入るときに気を付けること」や「溺れたときに行うこと」などの話を聞い て、実際に人を呼ぶ練習や助け方の練習などを行いました。5・6年、中学部は消防署の方に心肺蘇生の 方法を教わり、全員が実技演習を行いました。ぜひ覚えておきたい万が一のための知識と技能です。 小3音楽朝会(6月20日) たくさんの「童謡」や「あそび歌」が披露されました。 「夕焼け子やけ」 「ずいずいずっころばし」 「ゆう びんやさんの おとしもの」などなど。実際の遊びも生き生きと表現されました。心が和むようなすてき な発表でした。 夏至の日(6月21日) 6月21日は夏至でした。太陽が最も高くなる日です。日本人学校の位置では高度は89、3度、ほぼ 頭の真上まで上がりました。12時にはみんな校庭に出て自分の影を確かめてみました。「かげが、ない よ。 」 「おもしろい。 」子どもたちは日本では味わえない自然現象の不思議を体で感じることができました。 歯磨き指導(6月26日) 歯科衛生士の方の歯磨きの指導をしていただきました。楽しい紙芝居や図もあり、子どもたちは楽しく むし歯の原因やその予防方法などについて学ぶことができました。その後、正しい歯磨きの仕方を教えて もらいました。みんなうれしそうにごしごししていました。 うれしかったうんどう会 小学部2年生 前から、とっても楽しみにしていたうんどう会が5月20日に ありました。 今年のうんどう会は、白組になりました。けつだんしきでは、 だん長さんや白組のみんなといっしょに、 「ゆうしょう目ざして力 いっぱいがんばるぞ。 」という気もちになりました。そして、うん どう会まで一生けんめいれんしゅうしました。 わたしが一番がんばったのは、 50メートルのときょう走です。 きょ年のうんどう会では、三いだったので、今年は、 「ぜったいに 三いいじょうになるぞ。 」と思っていました。 スタートする時、心ぞうがいつもよりもドキドキしました。でも、これまでれんしゅうをがんばってきたの で大じょうぶだと思いました。 「ようい、バン。 」 みんないっせいに走り出しました。わたしの組は四人で走りました。みんながいつもよりはやくかんじたけ ど、自分もそれにまけないように、一生けんめい走りました。走っていると中、自分の足が思ったよりもはや くなっていたのでびっくりしました。 ゴールについたら、二番のカードをもらってうれしくなりました。そして、ママがゴールのすぐ近くで、 「が んばったね。 」と言ってくれたので、もっとうれしい気もちでいっぱいになりました。 うんどう会のれんしゅうは、あつくて大へんなこともあったけど、それにまけないで、さい後までがんばっ てよかったです。 来年のうんどう会では、一番になりたいので、これからも体いくのべんきょうをがんばりたいです。 うれしかったうんどう会 小学部3年生 わたしは、開会しきの時すごくドキドキして足がふるえていまし た。わたしは、 「どうして、あんなに楽しみにしていたうんどう会な のにあしがふるえるのかなぁ」と思いました。 わたしがうれしかったのは、 「ミッキーとあそぼう」でした。わた しは、自分がかいたミッキーの所へ行きました。そうしたら、うん よく校長先生がミッキーをだしてくださいました。だから一位にな れました。うれしかったです。 わたしは、もう一つうれしかった事があります。それは、ぜん校リレーです。ぜん校リレーは、今年がはじ めてだったので、 「白がんばれ、白がんばれ。 」と心の中で思っていました。自分の番の時、プログラムのさい ごのしゅもくなのでぜん力で走りました。四チームあって、白が二チーム、赤が二チームでした。一位は白、 二位は赤、三位は白、四位は赤でした。すごくうれしかったです。はじめてのぜん校リレーの一位は白でした。 いよいよさいごの閉会しき。わたしはけっかはっぴょうが楽しみでした。そして、けっかはっぴょうの時が 来ました。赤、五百七十六点、白、五百八十六点で白のかちでした。そのときまでドキドキしていた心が、い きなり明るくなりました。すごくうれしかったです。またわたしの心の中に、いい思い出が一つふえました。 六回目の運動会 小学部6年生 いよいよ運動会の本番がやっていました。予行練習とちがって、保 護者、来ひんの方々もたくさん来ていました。 そして、一番最初の入場行進。かっこよく決められました。 「カードでデート」では、いつも練習で二位か三位だったのですが、 今回の本番は、一位を取ることができました。 昼食を食べ、今まで一番頑張ってきた五・六年、中学部で行う組み 立て体そう。ぼくは、いつも一人技でまちがえてしまいます。しかし、当日はいつもとちがって、集中するこ とができました。その結果、一人技は、まちがえずにできました。 二人技。瀬戸くんと組むぼくは、いつもバッチリきれいに技が決まりますが、油断をせずに、一つずつの技 をビシッと決めることができました。必ず成功させるという思いがありました。きっと瀬戸くんも同じ思いだ ったのでしょう。 三人技。これもいつも成功していますが、油断をせずにがんばりました。 五人技。最初の「フラワー」はきれいに見せる技なので、いつもより体を反らして「フラワー」らしく見せ ました。 そして、見せ場の十人技。 「ピラミッド」はいつもより少しきつかったのですが、ホイッスルの合図に合わせ て、右、左、前を向くことができました。 「タワー」 。これは一回だけ失敗したことがあります。その失敗をいかして、本番では上手にタワーを作るこ とができました。一人出場することができなかったので、佐々木先生が一段目、そして僕が二段目になりまし た。いつも一段目の役をしているぼくは、いつもとちがう二段目のポジションだったので、少しふるえてしま いました。しかし、これもきれいに決めることができました。でも、技はまだ終わっていません。油断をしな いように、上の段からゆっくりおりて、最後の段がしゃがみ、そして、あいさつをしました。その時、大きな 拍手がもらえました。とてもうれしかったです。 これで、今までがんばってきた組み立て体操が終わりました。一番最高の演技ができました。 ぼくは、競技の他にも係の仕事がありました。僕たち環境委員は、招集を主にしました。招集では、練習の ときはうまくできませんでしたが、この本番では、うまくみんなを集められて良かったです。ホイッスルも、 いつもよりも強い息でふき、みんなに聞こえるようにふきました。 そして、残るのは閉会式。小学部最後の運動会は、勝ちか負けか。結果発表のときグランドは一瞬シーンと なりました。その後は白組の喜びの声でいっぱいでした。今年の運動会は赤組が負けてしまいました。でも、 全力を尽くせました。だからぼくは「負けて悔いなし」です。 しかし、来年は勝てるようにがんばりたいです。 今年の運動会は、六年間の中で一番最高の運動会でした。 最後の運動会 中学部3年生 わたしがこの学校の運動会に参加したのは、 これで九回目となる。 初めて参加したのは、もちろん小一。当時の「中学三年生」の人たち が、みんなをまとめ、懸命になっている姿を初めて見た。しかし今 では、目に映った映像としての記憶は、もう残されていない。ただ、 八歳も年上の人たちが、私にはすごく輝いて見えたことだけは覚え ている。 あの頃の中三の人達と今の私達は同じ立場にいる。そんな実感なんて全くわかない。今年運動会を成功させ る自身もない。けれど、せめて、今まで卒業していった先輩たちに、申し立てができるように頑張ろう。そう 心に決めた。 今年の運動会も、例年と何の変わりもなく、入場行進が行われた。ただ、自分が真っ赤な大きな旗を持ち、 クラスメートが全校生徒の前に立って歩いていると、 「本当に最後なんだな。 」と、改めて感じた。 今年の運動会で、一番心に残っていることは、もちろんスクラム。練習を始めたときは、なかなか上手くい かず、本当に大変だった。でも、練習を積み重ねていった結果、見事に勝利し、赤組全員が心をひとつにして 戦うことができたと思う。ゴールして、小学部からの歓声が聞こえた瞬間は、本当に最高だった。 もう一つ印象に残ったことは、スクラムの後の小学部の「紅白裏返し戦」。そのときの中学部からの声援だ。 今までで一番大きな声を出して、誰もが勝つことを願っていたときだった。きっと、スクラムのときに聞こえ た声援が、中学部のみんなにとっても嬉しかったのだろうと思う。そんな赤組の全員の姿は、とても輝いてい て、私も嬉しくなった。小一から中二までのみんなも、「声援」をもらったときの瞬間に受けた感動を忘れない でいてほしい。 今年の運動会の勝敗は、 「白が勝ち、赤が負け」という、ジンクスを破れないままの結果。あれほど望んだ、 勝利の座を掴むことができなかった。でも私は今、達成感に満ちあふれている。 「最後の運動会で、もし負けたら、どんなに悔しい思いをするだろう。どんなに懸命にやっても、やっぱり 後悔してしまうのではないか。 」と、負けたときの気持ちをあれこれ想像した。だが、心は穏やかだった。この メンバーで戦えたこと、一生懸命になれたことが、ただ嬉しかった。 そんな、台中校最後の運動会。目に浮かんでくる一つ一つの映像を、今度はしっかりと記憶に残そうと思っ ている。 ペンリレー① 「ワールドカップイヤー」 中学部3年担任 いったいどれくらいの人々がW杯サッカーに夢中になっているでしょうか。今回は、私自身がサッカーに巡 り会った時のことを書いてみようと思います。 私が本格的にサッカーを始めようと思ったのは、中学生になってからでした。そのときの冬に、テレビでみ た、ヨーロッパチャンピオンと南米チャンピオンが対戦する「トヨタカップ」で、南米チャンピオン「フラメ ンゴ」のエースだったジーコ選手のプレーに感動したことを今でも覚えています。 W杯を知ったのも中学生のときで、まだサッカーは今ほど盛んでなかった頃でした。夜中に一人で TV を見 ていたことを覚えています。その大会(スペイン)では、西ドイツとフランスが死闘を繰り広げたゲームが印 象的でした。西ドイツでは、リトバルスキー、ルンメニゲ、シューマッハという選手が活躍していました。フ ランスでは、プラティニ、ジレス、ブラジルでは、ジーコ、ソクラテス、ファルカン(かつて日本、ブラジル の代表監督を務めた) 、トニーニョセレーゾ(鹿島アントラーズの監督を務めた)が世界的に有名でしたが、本 大会になって現れた、点取り屋「パオロ・ロッシ」の活躍でイタリアが優勝しました。中3の受験生の頃でし た。 もうすっかりサッカーのとりこになってしまった私は、高校でも毎日のようにサッカー部で青春していまし た。次のW杯は、メキシコで開催され、アルゼンチンのマラドーナの大会だったといえるでしょう。ボールが 吸い付くようなドリブルで5人抜いてゴールを決めたときには、思わず「すごい!」と叫んでしまったり、 「神 の手」のゴールでうなったり、魅力あふれるスルーパスで驚いたりなどなど、忘れられないプレーがたくさん ありました。このとき私は、大学生になっていました。まさか、大学でサッカーを続けようとは夢にも思って いなかったのですが、ついつい練習を見に行ってしまったのが運のつき、バラ色になるはずだった大学4年間 が、グランドの土ぼこりと泥まみれの4年間になってしまいました。 90年のイタリアW杯では、忘れられない選手、ユーゴスラビアの「ストイコビッチ」選手との出会いがあ りました。マラドーナに匹敵するほどの技術を披露してくれました。 アメリカで開催されたW杯は、教師として働きだした頃でした。内容的にはあまりおもしろくなかったよう な気がします。決勝戦でブラジルとイタリアが戦いPK戦でバッジオがはずしてブラジルの優勝が決まったぐ らいしか覚えがありません。そうそう日本が、 「ドーハの悲劇」といわれるW杯初出場まで、あともう一歩とい うところまできた試合の方が記憶に残っています。本当に残念でした。 フランス大会では、とうとう日本がW杯初出場を成し遂げた大会でした。1993年にJリーグが開幕して から5年目の快挙でした。僕らが大学時代W杯の予選を見に行っていたときは、内容も観客数もさびしかった のですが、このころになると代表の試合はチケットが取れないほどになっていました。期待された日本代表で したが、W杯では、1勝もできずに敗退してしまいました。 韓国との共催となったW杯は、私にとっては夢がかなった初観戦でした。神戸のウイングスタジアムでスウ ェーデンとナイジェリアのチームが入場したときには思わず目が潤んでしまいました。幸運にも韓国でも試合 を観戦することができ、あらためて、W杯が、世界の祭典であることを実感した年でした。この大会で印象に 残ったことは、なんと言っても韓国の大健闘でしょう。決勝トーナメントの「日本対トルコ」戦は、韓国の TV で観戦していましたが、なんか気持ちの入っていない試合だった気がして残念でした。それに比べ、韓国は、 選手も観客も熱狂的でした。さすが、サッカーを国技としている国だと思いました。 教師になってからずっとサッカーの指導に携わってきましたが、この頃から特に「サッカーは、ドリブルが 魅力だなあ。 」と思うようになってきました。観衆を魅了する選手は、やはりドリブラーです。そんな選手が日 本代表選手にいれば、強くなるのになあと思います。ロナウジーニョのような選手が日本代表として現れてく れるのは何年後のことでしょうか。 さて、2006年W杯もベスト16が出揃い決勝トーナメントが始まりました。(皆さんがこれをご覧になら れる頃にはベスト8が出揃っていることでしょう。)ここからがW杯本気モードです。幸い、台湾でも全試合放 送していますので、時間の許す限り楽しもうと思っています。個人的には、アルゼンチン、ブラジル、スペイ ン、オランダの試合に期待しています。地元のドイツもきっといい試合をしてくれることでしょう。 取り止めもなく、思いつくままに書いてきましたが、 「サッカー」との付き合いは、本当に長いなあと実感し ています。台中日本人学校の皆さんも、何かひとつ、打ち込めるものが見つかると毎日が変わるかもしれませ んよ。 図書紹介 「たったひとつのたからもの −息子・秋雪との六年−」 著:加藤浩美 今回僕が紹介するのは「たったひとつのたからもの」という本です。 日本の生命保険会社のテレビコマーシャルで,「加藤秋雪くん」の写真を見て涙した人も多い のではないでしょうか。小さな男の子と家族の写真が数枚切り替わり,海を背景に父親が息子を 抱きしめている写真で終わるわずか数十秒のCMが全国的に話題と感動を呼びました。この本は, 秋雪くんの一生をレンズを通して見つめ続けたお母さんの記録です。全国に感動を呼んだ写真が 一冊の本となり出版されました。 秋雪くんは,生後1か月でダウン症と診断されます。ダウン症とは先天性の病気で,遺伝子の 異常によって発症する病気です。しかも,彼の場合は心臓との合併症のため,余命1年とも診断 されました。しかし,秋雪くんは1999年になくなるまでの6年間を精一杯生きました。紹介 されている写真一枚一枚を見ていると,秋雪くんは本当に幸せな表情をしています。両親から, そして幼稚園の先生からの溢れんばかりの愛に囲まれて,とてもすてきな表情を見せています。 そんな表情を見ているうちに涙が出てきました。 「人の幸せは命の長さではないのです。」これは秋雪くんの両親が心の支えとしてこられた言 葉です。秋雪くんの表情を見ていると本当に幸せそうに思えてきます。ぜひ手元に置いて何度も 読み返し,多くの人に命と幸せについて考えてほしいと思いました。そしてこの本をあなたの「た からもの」にし,またあなただけのたったひとつの「たからもの」の発見につなげてもらうこと を願います。 「あなたに会えて ほんとうによかった うれしくて うれしくて 言葉にできない」 小田 和正 中学部学習委員長
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