西尾幹二「人間の罪は区別できるか」 (所収:西尾幹二 (1993) 『全体主義の呪い』新潮社、p.175-189) 西尾幹二は、ベルリンの壁が崩れ、東欧社会主義体制が崩壊した東ヨーロッパを 訪れて、共産主義全体主義がどのように清算されているのかを見て回った。1992 年 3 月 16 日から 5 月 9 日までの東欧からベルリンへの旅行の中で、西尾は共産主義全 体主義に対する清算が個人道徳の尺度で行われていることに疑問を持った。この疑 問は、共産主義体制にせよ、ナチズムにせよ、全体主義体制の罪を個人の罪として 扱うことへの疑問へと発展した。そして考察は、ナチス犯罪に関して「集団の罪」 を否定し、それを「個人の罪」へと還元したヤスパースの『責罪論』の批判へと向 かっていった。 西尾幹二の批判には、論理の飛躍や強引な解釈が含まれると思われるが、ヤスパ ースによる「罪の区別」がドイツ民族の「集団の罪」を回避するための論理ではな いのかという指摘、さらには「集団の責務」を「政治上の罪」に限定しようとしな がら完全にそのような割り切った考えにとどまることができないヤスパースの思考 を指摘している点などは、考慮に値する。西尾幹二の議論は、少なくともヤスパー スの『責罪論』を再考する際の一つの視点として参考になる。 なお、以下の抜粋は西尾幹二 (1993) 『全体主義の呪い』新潮社の第 7 章「人間の 罪は区別できるか」からの一部抜粋であり、頁付けはこの本の頁に対応している。 レポートで引用する場合は (西尾 1993: 175) というように出典箇所を明示することを忘れないように。 第7章 人間の罪は区別できるか (頁は原書の頁に対応している:別所) 〔略〕 「一九六〇年代にミュンヘンの連邦パテント裁判所に、評議会議長のガンサーと いう男がいた。彼は戦時中、総督管区の判事の立場で、ある判決を無効として破棄 させている。その判決は生後十八ヵ月のユダヤ人の子供を引き取って、生存させて いたある婦人を無罪としたものである。ガンサーの介入で、裁判はやり直しとなり、 婦人は死刑の宣告を受け、子供はガス竈に送られた。戦後も彼は西ドイツの連邦裁 判所の右記の地位に一九六五年一月まで勤務していて、政府から全額の年金を受け 取っている。ヤスパースとの前述の対談の中でルードルフ・アウクシュタインは、 この例は「われわれドイツ人が今なお道徳的暗黒の世界に動いている」証拠だと言 っている。(Jaspers, a.a.. S.39f.1) しかし問題は単に道徳の次元で捉えられればそれで解決のつく事柄だろうか。む しろアウクシュタインの提起する次の問が、「匿名的な官僚たち」が「手袋」をは め、「クッションのきいた事務所」で、冷静に実行する“行政や司法の犯罪”の特 性を明確に捉えている。 運輸省のある役人が、車輌の提供を要求された。ユダヤ人をガス室に送り込むよ うに決められた車輌である。いったい彼は国民の大多数より罪があるのか、ないの か。彼は自分の兵站地ですべてのユダヤ人がひとかたまりになって射殺されるのに 目をつぶっていた軍団司令官や元帥と同じくらいに罪があるともいえるのではない か。この役人は何も知らなかったというが、何か恐しいことが起こっていることは 漠然と予感していた。彼はたまたまある用命を受け、それをたまたま、恐らく他の どの役人でもするように遂行したにしても、行政機構を通じての大量殺害の手伝い 人であった事実に変わりはない。他方ミュンヘンでは十四人の看護婦が殺人で起訴 され、法廷に立った。彼女たちは命令に従い、医師から指示された注射を患者にし た。安楽死計画で、致死的注射だった。彼女たちは刑の宣告を受けたが、運輸省の 役人もやはり命令に従って、殺人に手を貸した点で罪なしとは言えず、起訴される べきではないか。(Jaspers, a.a.O. S.36) アウクシュタインが持ち出した「運輸省の役人」は架空の人物で、罪を犯しなが ら罪を問われない典型例とし 1 Karl Jaspers: Wohin treibt die Bundesrepublik? Piper 1966 175 て取り上げられているのである。「運輸省の役人」が罪を免れ、十四人の看護婦そ の他の特定の立場にいた個人にのみ罪が帰せられるなら、一般のドイツ人は特定の 個人に不正を加えることで、自分たち自身は罪を逃れるという利益を手に入れる、 矛盾した結果となる。ここでの「運輸省の役人」は国民の大多数の意味である。特 定の個人のみを犯罪人に仕立て、裁判にかけ、国民の大多数は罪のない犠牲者を演 ずるという自己欺瞞は許されるのか、というあの疑問が、六〇年代のドイツ人にも やはり意識されていたのである。 実際、重犯を免れているガンサーという先述の男の例は、司法機構にメスを入れ なかった不完全な処罰システムが引き起こした不始末の一つであって、個人道徳の 次元だけでは解決が図れない。 対談でこれに応じたヤスパースは一生懸命に誠実に語っているが、突きつけられ た問題の性格上、論理的に混乱し、いかにも苦しげである。「みなをいっしょくた にして、同じように扱うことは出来ません。」と言いながら、他方では「いろいろ な場合を区別することは非常に困難です。」とも言うのである。ある人が命令に従 って罪を犯した場合でも、犯した罪はどこまでも罪である、というのがヤスパース の見地である。「国家による委託によって行動した、という弁解は認められませ ん。」しかし命令した側の罪、より多く国家の行政や司法の機構に関わっていた側 の刑事上の罪は問えないという見地でもある。「すべての人はつねに個人としての み起訴され、刑の宣告を受け、それは組織への従属性によらないということです。」 (Jaspers, a.a.O. S.36f.) ヤスパースの解答を丁寧に読む限り、彼もまたある解決のつかない論理の矛盾の 渦の中に立ちつくしていることが分る。 罪はどこまでも個人の罪である。それがヤスパースのこの問題での原点である。 それでいて彼は、どんなに難しくても罪は区別されるべきで、どれをも同じように 扱うことは出来ないという。そうなると、おかしなことが起こる。特定の立場にい た運の悪いドイツ人とそうでないドイツ人を否応なしに区別せざるを得なくなる。 しかも個人に罪があるのであって、ドイツ人という集団に罪はない、というのであ るから、結果として、国民の大多数は罰を免れる代りに、罪ありとされた若干数が 見せしめの血祭りに上げられるという、例の“魔女狩りのぺージェント”に哲学的 根拠を与えて来た-ヤスパース自 176 身にその意識がなくても-かのごとき印象すら、今私は受けているのである。 じつは「過去の克服」という戦後ドイツの最大の問題のそもそもの発端で、ヤス パースが果した顕著な役割を考えるとき、私はいつも、戦後半世紀近くを経て、罪 に関する彼の哲学的思想が現実社会の凡庸さに裏切られ、さらに彼の論理が現代の 全体主義の特性ともズレがあって、破綻に追い込まれてきたように思えてならない。 ヤスパースは東欧などで再度読まれるようになった。私が現にプラハで彼の名を 再三聞いている通りで、小さくない彼への関心は、「罪の区別」という最も難しい、 しかし今のチェコなど東欧諸国で最も必要とされる概念整理を、彼が戦後すぐに『責 罪論』(一九四六)の中で展開している事実に向けられている。 私もまた同書を、私の問題を解く鍵の一つと見ている。同書は戦後の西ドイツの 「過去の克服」のほぼ公式見解を代表するような名著の一つとされ、早い時期に出 て、政治的に大きな影響を与えてきた。 ヤスパースがそこで試みた「罪の区別」の理論にまず目を向けてみよう。 ヤスパースは罪の概念を(一)刑法上の罪、(二)政治上の罪、(三)道徳上の罪、(四) 形而上的な罪の四つに区別した。 (一)刑法上の罪は、明白な法律に違反した、客観的に立証の可能な行為を内容とす る。それの審判者は、裁判所である。 (二)政治上の罪は、政治家の行為ならびに各人の国家公民としての行為を内容とす る。国民が各自どのように統治されるかは、統治者だけでなく、国民各人の共同責 任でもある。この政治上の罪の審判者は、力であり、戦勝国の意志である。成功い かんが決定権を持っている。 (三)道徳上の罪は、次の通りである。私が個人としてなす行為に対し、しかも私の 政治的軍事的行為に対しても、私は道徳的責任を有している。「命令は命令だ」と いう言い方は、無条件には決して通用しない。命令されて行った行為でも(危険、脅 迫、恐怖の程度に応じて情状酌量はあるにせよ)、犯罪行為はどこまでも犯罪行為で ある。同様にどんな行為も、道徳的判断に委ねられている。この道徳上の罪の審判 者は、自己の良心である。さらに友人、隣人、愛があり私の魂に関心をもつ朋輩仲 問との交感(Kommunikation)も審判を下す。 177 (四) 形而上的な罪については、以下全文を訳す。「人間と人間との間には連帯 感(Solidalität)がある。世の中の不法や不正、ことに自分が居合わせていたときの犯 罪や、自分が気がついていたときの犯罪に誰でもが責任の一半を背負わされるのは、 人間にはこの連帯感があるせいである。そういう犯罪を阻止するためにもし私が自 分で出来る限りのことをしなければ、私にも罪の一半がある。他人が殺害されるの を阻止するために、もし私が命を投げ出さずに手をつかねていれば、私は刑法上、 政治上、道徳上は的確にははっきり掴めない仕方で、自分に罪があるように感じる ものである。これほどのことが起こったのになお私が生き延びているということが、 拭うことのできない罪となって私の上に蔽いかぶさってくる。幸運にもこういう状 況に会わずに済んだ人でない限り、われわれは人間である以上、限界に突き当り、 二者択一を迫られよう。すなわち成功の見込みが覚束ないので無益であると分った 上で無条件に命を投げ出すか、成功はとうていあり得ないので生き永らえることの 方を選ぶかの、二者択一である。どこかに二人の人間がいて、いずれか一方に犯罪 が加えられるか、物的生活条件の分割が必要となったかしたとき、共に死を選ぶか、 一方が生きつづけることが出来なくなるかの絶対的関係が成り立つ。このことこそ が人間の本質性格の実体をなしている。しかし、このような絶対的関係の成立がこ のうえなく狭い人間同士の結びつきにだけ限られていて、あらゆる人間の連帯性に よるのでも、国家公民の連帯性によるのでも、それどころかさらに小さい集団の連 帯性によるのでさえもないということが、われわれ人間の罪の生じるもととなって いる。このような罪の審判者は、神のみである。」(Karl Jaspers: Die Schuldfrage. Piper, Neuausgabe 1987, S.17f.) 第二次大戦が終った直後、ユダヤ人狩りや強制収容所やガス室や生体実験に関す る、それまでドイツ国民が薄々知りながら、詳しくは知らされていなかった情報が 次々と明るみに出た当時の、ドイツ人の「罪」の自覚が切々と伝わってくるような 文章である。ことに(四)形而上的な罪の分析に、それが感じられる。それでいて、わ れわれはヒトラーに瞞され命令されてやっただけで、われわれはむしろ犠牲者だ、 と口々に叫び出したドイツ人を前に、(三)の項は、「命令された」という弁解は通ら ないと釘を刺している。他方、"勝てば官軍"の連合国の正義の主張にも、(二)で、ド イツ国民が道徳上形而 178 上の負い目を覚える必要のないこと、戦勝国の意志が及ぶのは政治上の罪の範囲に すぎないことを宣言し、ドイツ国民をむしろ守っている。以上のように私には読め る。 敗北感に打ちのめされ、混乱の極にあったあの時期-日本人も経験している -に、よくもこれだけ冷静で、客観的で、壺を心得た「区別」をなし得たものと 感心もする。日本人はこうはいかないし、現にこういう「区別」はなされなかった。 というより私は、区別を明確にしたがるヨーロッパ人と区別を好まぬ日本人の、い ったいどちらが“体制の罪”といった複雑で割り切れない現実にふさわしい対応を しているのか、というもう一つ別の問題も意識しているのである。 区別された罪への対応にそれが見てとれる。 ヤスパースは右の四つの罪に対応した四つの結果を次のように示している。(一) 刑法上の罪、すなわち犯罪は、裁判官によって処罰される。(二)政治上の罪に対して は責任が問われ、賠償が支払われる。(三)道徳上の罪は洞察を生み、悔い改めと自己 再生を引き起こす。(四)形而上的な罪は、神の御前での人間の自覚の変貌を引き起こ す、云々。(Jaspers, a.a.O. S.20.f.) これを見る限り、(一)の罪、すなわち明白な法律違反を犯した犯罪行為以外に、な にも処罰できないことになる。いったいこれで全体主義支配下の、あの隠された政 治的意図を持つ、複雑に入り組んだ罪を「区別」するのに役立つといえるだろうか。 体制に協力した市民の罪を責任の大小に応じて細かく規定し、新しい公正を確立し たいという政治的欲求に応えているだろうか。それどころか、(二)は賠償金で片がつ き、(三)(四)はどこまでも心の内部の問題だから、人間による裁きの対象にならない。 例えば(三)道徳上の罪の項は、上司の命令によって行動したという弁解は成り立たな い、とドイツ人に釘を刺しているが、ヤスパースは、「道徳上からは、自分の罪だ けは認めることが出来るが、他人の罪を認めることは出来ない。」「何びとも他人 を道徳的に裁くことは出来ない。」(a.a.O. S.23)とどこまでも個人次元の道徳論の立 場を守ろうとしている。しかしこれは、個人の心の独立を尊重する余り、むしろ法 的処罰を遠ざける論理に道を通じていないだろうか。 患者に致死量の注射をした十四人の看護婦は(一)の罪に相当するから、判決を言い 渡されたが、想像上の「運輸省の役入」は国内に無数にいるけれども、(三)(四)の罪 に当るから、法的には事実上無罪に等しい。 179 しかしどっちが本当に罪が重いのだろうか。運の悪い立場にいた特定の個人を罪人 に仕立て、国民の大半は素知らぬ顔でナチスの犠牲者の役割を演じているこの退廃 をどう考えるかという-そこまで明確には言っていないが、そういう問を含む -アウクシュタインの質問に、ヤスパースはきちんとした論理で答えることが出 来なかった。 問題は、罪の四区別の明確化が、全体主義の罪の現実に一致していないことを意 味する。 そしてヤスパースの罪の区別の理論が孕む矛盾は、「個人の罪」と「集団の罪」 とを区別する段階において、いわば頂点に達するのである。 私たち日本人は戦時中日本兵が犯した残虐行為を非難されると、何となく自分の 体内にも残虐な血が流れていると非難されているような気がしてきて、憂欝になっ たり、身構えたりする。それに対しどうもドイツ人は違うような気がする。違う面 を持った人が多いような気がする。自国の過去を、まるで外国人のように涼し気に 批判して、さして羞しそうでもないドイツ人に私は再三出会ったと、前にも書いた。 彼らは代表的な“良心の徒”のような顔をしている。日本人はああさっぱりはいか ない。感覚や思惟の形態が違うのではないか、とつねづね疑問に思ってきたが、ヤ スパースの次の言葉は、私の疑問にある意味で答えてくれている。「ある民族全体 の犯罪を問い糾すということは理に適っていない。犯罪者はつねにただ個人である。 また、ある民族全体を道徳的に弾劾するのも理に適っていない。民族に属するすべ ての個人にはかくかくの性格がある、というような意味の民族の性格は存在しな い。」(Jaspers, a.a.O. S.24) ヤスパースがこう言うと、私の耳には、“ドイツ人よ、犯罪を犯した特定の「個 人」には罪はあるが、そうでないドイツ人にはなにも罪はない。政治的責任がある だけである。ドイツ民族が民族全体として罪を持つというようなことは決してな い。”と言っているように聞える。「ある国家に属するすべての国民に、その国家 の行動から生じる結果に対し責任を負わせるのは、疑いもなく意味がある。この場 合には集団が対象となるのである。けれども、この場合に問われる責任(Haftung)は 一定の限られた責任であって、個人に対する道徳的ならびに形而上的な問責を伴わ ない。」(a.a.O. S.23) 180 「ある民族の集団的な罪(Kollektivschuld)とか、諸民族の内部における一グループ の集団的な罪とかは-政治的に問われる責任(Haftung)以外には-存在しない。 刑法上の罪としても、道徳上の罪としても、形而上の罪としても、集団の罪は存在 しない。」(a.a.O. S.25) 非常にはっきりした割り切り方である。 あの想像上の「運輸省の役人」にまで、道徳上の罪や形而上の罪を自覚させるだ けで終らせるのではなく、いかにして刑法上の罪を適用できるかが、戦後ドイツの 最大の課題であった。しかしそれをするには、「集団の罪」の概念をある程度認め、 刑法に導入を図らなければならないだろう。一民族の絶滅という全体主義の犯罪は、 行政機構や司法機構による犯罪であった。個人の犯罪ではない。個人の犯罪の集合 体ではない。ヤスパースはそれを知っている。それなのになぜかくも明確な割り切 り方で、古典的な「個人」の砦に立て籠もろうとするのだろう。刑法上の犯罪を個 人次元の、客観的に立証できる-安楽死させた看護婦とか、発砲した「壁」元警 備兵とか-範囲に限るのは、ハナ・アーレントの言っている、ナチスドイツとソ 連という「史上かつて例のない国家機構」の犯罪に対処するには、余りに無力だし、 現実的でもない。にも拘わらずヤスパースは「集団の罪」がもしあるとすれば、「政 治上の責任」以外にあり得ない、と言っている。これは彼の先の規定(二)に従えば、 賠償、すなわち金による償いを意味するのであって、戦後ドイツの各政府もためら いもなくこの道を歩んできた。「責任」に当るドイツ語を彼がここで Verantwortung ではなく、法律用語としては「損害賠償責任」に適用される Haftung を用いている のも気になる。 政治的に問われる責任以外は、「集団」としてのドイツ民族にいかなる責任も問 うことはできず、罪を犯した個人は別として、ドイツ民族は道徳上の非難を浴びて も、民族として、国家としてこれに応じる必要も理由もないときっぱり拒絶してい るヤスパースのこの論法は、はなはだ問題が多く、ヨーロッバの他の国民の同意を 得ることは難しいであろう。 しかしこの見解は、西ドイツのテオドール・ホイス初代大統領から現ヴァイッゼ ッカー大統領まで、ナチ国家の罪に対する政府の公式見解として、繰り返し強調さ れ、継承されてきた。 ドイツの良心の鏡のように言われるヴァイッゼッカー 181 大統領の、「感動的」とまで騒がれ、ことあるたびに援用される例の連邦議会演説(一 九八五年五月八日)にも、この文言ははっきりと刻み込まれている。 「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。 罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。」(『荒れ野の四〇 年』永井清彦訳 岩波ブックレット 一五ぺージ) ヤスパースの戦後すぐの概念整理が、その後のドイツ人の道標としていかに有効 で、決定的な政治効果を持っていたかを示す一例である。 古典的な「個人」の概念で説明し切れない、現代の全体主義体制の犯罪に対処す るのに、あらためて「個人」を前面に押し立てて立論を組み立てるのは、一つには 戦後すぐのことで、新しい概念を構築する時間がなく、それから半世紀近く経って も、ドイツ人はどう考えて良いかまだ答を出していないためではないだろうか。そ して第二には、やはりドイツ人はこの論理で自分を守ろうとしているためではない だろうか。 ヤスパースは「集団の罪」は存在しない、という立論の根拠を、以下のように、 ナチスの悪辣な方式の模倣に通じる考えは避けねばならぬ、という点に求めている。 ナチスは「まるで人間というものはもはや存在せず、ひたすらただ集団だけが存在 するとでもいわんばかり」(a.a.O. S.25)のプロバガンダを、国民の頭に叩き込んでき た。しかしこれは諸民族間の憎悪を高める常套手段の、過去幾世紀を通じてみられ た遣り方と深く関わりがある。われわれはとかく「類」概念で人間を評価判断しが .... .... . ちである。そもそもドイツ人というものは、そもそもイギリス人というものは、そ ... もそもノルウェイ人というものは、あるいは男というものは、女というものは、若 い人間というものは、老人というものは、等々が集団思考の特徴である。このよう な「類」概念による見方がなにほどか当っているからといって、それで「個人」の すべてを把握し得るわけではない。それなのに、民族の中の複雑なものやはみ出た ものを切り捨て、単純化し、一民族全体といったものが存在するかのごとき集団思 考を押し進めることで、人類は民族問相互の憎悪感情を掻き立ててきた。その最も 悪質で、極端な形式がナチスの方式だった。 .... ヤスパースの言いたいことを私なりに要約すると、「そもそもドイツ人というも のは」という言い方で、戦 182 後にわかにドイツ人に世界の八方から非難の目が注がれた丁度そのときに、そうい う言い方は「そもそもユダヤ人というものは」というナチ国家の誤てる集団思考と 同じ過誤の轍を踏むことになりはせぬか、と反問したいのであろう。 しかしこれは現代の全体主義の本質を、古典的な民族性格論や人間類型論といっ たありふれた鍵で解ける問題と同一視している。 「一つの民族を一つの個体として扱うことは出来ない。一つの民族が英雄的な最 期を遂げたり、犯罪者になったり、道徳的な行動や不道徳な行動をしたりするはず がない。そういうことをなし得るのはつねに民族に属する個人のみである。」(a.a.O. S.25) ヤスパースは、本論第三章で内容紹介した通り、一九六五年のアウクシュタインと の対談「民族みな殺しに時効はない」で、ナチスドイツは「犯罪者国家」であって 「犯罪も犯すことのある国家」の程度をはるかに超えていると言ったはずである。 「時効はない」根拠をその点に求めていたはずでもある。しかし一九四六年の段階 で彼は、犯罪を犯すのはつねに個人であって、民族や国家が「犯罪者」であるとい うようなことはあり得ない、ときっぱり言い切っていたのである。ここで「国家」 と「民族」の言葉の使い分けはあるが、私には約二十年で認識が変わったか、新た な論理矛盾を犯したかのどちらかであるように思える。 ここで第三章におけるプラハの地下秘密出版の編集者ヘイダ氏が語った言葉を、 今一度思い出して頂きたい。 ひそ ヘイダ氏もヤスパースの顰みに倣って「集団の罪」という観念を否定した。チェ コ共産党はある階級に属しているから罪がある、という「集団の罪」の観念で人を 処罰したが、これは特定の人種や民族に属しているから罪がある、としたナチスの 考え方と根底において同じである。チェコ国民は長い全体主義の治下で「法」の精 神を失ったため、戦後もズデーテンのドイツ人をドイツ人であるがゆえに一括して 無差別に追放する、という「集団の罪」を再び犯した。これは同罪である。……と いった彼の倫理的な発言は、この章の冒頭でも再検討を加えている。 ヘイダ氏の立論がヤスパースの『責罪論』から概念を借りていることは、氏自身 があの本は読んでいると言った証言から紛れもないが、内容は微妙に食い違ってい る。ヘイダ氏はチェコ国民の自己否定について語っていた。 183 しかもチェコ国民は一貫して被害者であった。僅かな加害行為であるズデーテン 問題をすら、自己否定の倫理観で捉えている。なにかの「集団」に属しているとい う理由で人を罪にする考え方はナチスと根底において一致する、というこの方式を、 ヘイダ氏はヤスパースに明らかに学んでいるが、ヘイダ氏がその「集団」の概念に 「ズデーテンのドイツ人」を当て嵌めるときと、ヤスパースが「ナチ時代のドイツ 人」を当て嵌めるときとでは、概念操作は同じでも、精神の方向は完全に逆になる。 前者は自己否定であるのに対し、後者は自己肯定、前者は他国民の救済を目指すの に対し、後者は自国民の救済を目指す結果につながってしまう。 .... .... 「そもそもユダヤ人というものは」というナチスの集団思考と、「そもそもドイ ツ人というものは」という戦後世界のドイツヘ向けた集団思考は、思考の形式にお いて同一であっても、思考の内容において、同一とはいえない。前者は全体主義の 犯罪の主体が、すなわち加害者が思考しているのであり、後者は犯罪が終った後の、 反省と回顧に立脚した被害者が思考しているのである。ヤスパースの哲学的思惟が 戦後間もない時期でどこか狂っていた、とまで言えぬとしてもどこかズレていた、 ということはあるのかもしれない。同情していえばそれほど当時のドイツ人は自己 説明を迫られて苦しかったし、心の奥で狼狽していたのであろう。 勿論、私はドイツの民族性に古来悪魔的性格が宿っているとか、力に頼むゲルマ ンの文化伝統に問題がある、などと言いたいのではない。民族の性格などというそ ういう曖昧なことを言い出したら、ヤスパースの主張の通り、きりがない。そうで はなく、性格論とか、個人次元の道徳論とかで対応するのではなしに、考え方にお いてまったく別の道を進むべきだと言っているのである。すなわち一九三〇年代に 成立した二つの人類初経験の全体主義体制において主役を演じたのが、ドイツ民族 とロシア民族であったことは紛れもない。ドイツとロシアの「集団の罪」は免れな い。ただし前者の場合、ヴィシー政権下のフランスにも、オーストリーにも、スイ スにも、ヴァチカンにも、民族絶滅に加担した「集団の罪」があるのかどうかが問 われなくてはならない。後者の場合、一時期の中国や、ポル・ポトのカンボジアに は、弁解の余地のない「集団の罪」があったはずである。立法、司法、行政の全機 構によるこの大規模犯罪の再発を防ぐためにも、国家をその国家の外から、その国 家 184 の法律に縛られないで、過去の案件に新法を遡及させて裁く「視点」が確立される 必要があるということは、一九四五年以来、言われつづけてきた。そしてニュルン ベルク裁判は曲りなりにもその不完全な-勝者の報復裁判にすぎないという批判 も絶無ではないので-表現であったことは、ほぼ間違いないであろう。人類は例 外なく国家という集団に区分されて生きている以上、果して国家を超えた普遍的な 正義の「視点」が成り立つのか、ということ自体が、人類が神でない以上、また人 類が地球の外に立っていない以上、一個の謎めいた問題ではある。しかしたとえフ ィクションの正義でもいい、国家を超えた右のような正義の「視点」をともあれ創 り出し、そこを基準としない限り、「集団の罪」を告発することは、原理的には出 来ない。逆にいえば、「集団の罪」は成り立たないというヤスパースからヴァイッ ゼッカーに至るドイツ人の宣言は、罪を問われている側の国の自国防衛の論理につ ながってくるのである。 事実ヤスパースは、自分が「政治上の責任と道徳上の罪との間に簡単明瞭な区別 立てを行った」目的の一つが、「われわれの立場を防衛すること」(a.a.O. S.51)だと、 看過ごせない一語を残している。ドイツの敗戦四十周年に当り、過去を直視するよ う国民に切々と訴えたヴァイッゼッカー大統領の前述の演説の中にすら、「罪は集 団的なものではなく個人的なものです」の一語が入っている事実にこそ、われわれ はドイツ人のある意味での重い業と、自民族を集団として守ろうとするときのエゴ の発露、あるいは生命力の強靱さを感じないではいられない。 『ヒトラー以後、ホーネッカー以後』に次の一語がある。 「〈集団の罪〉の理論は成り立たない、と国中いたる所でいま論難攻撃の声が聞 こえるが、これは圧倒的に、反ファシズム的立場での歴史の徹底見直しを拒もうと する自己防衛の徴候である。」(Ludwig Elm: Nach Hitler, Nach Honecker, Dietz Berlin 1991, S.47) 同書によると、第二次大戦とナチズムに対するドイツ民族の「集団の罪」が、英 米など連合軍や左翼知識人から戦後ずっと言われてきたことに対し、ドイツの保守 階層や極右勢力には今日まで一貫して拒絶反応があった。ことに統一達成後、拒絶 的姿勢は一段と強められつつある。彼らはヤスパースの『責罪論』さえ気に入らな い。ヤスパースがたとえ個人次元であれ、罪の自覚を強調しているのが気に入らな い。言葉にこそ出していないが、 185 彼らはどの範囲まで「罪」を論じたら良いかなどは、そもそも問題にすべきではな いと考えているのだ。ナチ犯罪の責任を鮮明にすることはできるだけ止め、態度を 曖昧にするなどの、情緒的防衛を目指している。本当のところを言えば、ヤスパー スの理論は、「集団の罪」を認めたくない彼らには救いであり、問題整理の手助け になるはずなのだが、それをさえ黙殺し、頭から考えない。ドイツ社会のそういう もう一つの、昔から何ひとつ変わっていない"暗い体質"については、私は前章でも極 右との関係で考察を加えた。 「集団の罪」を認めないヤスパースの『責罪論』の範囲では、またそれを踏まえ た戦後ドイツの問題処理の仕方では、ドイツをドイツの外から、新しい法律で裁く 視点、諸国家を超えた正義の視点は成り立たない結果に終るのではないかと思う。 ニュルンベルク裁判は敢えてその正義の視点を仮構したが、ドイツ国民が自ら選ん だ道では決してない。戦勝国がドイツに強いた道である。正義の相対性というこの 観点を今一度考えてみたい。ニュルンベルク裁判は、勝者の一方的な報復裁判と言 われた東京裁判に比べれば、はるかに多く普遍的正義の立場に立とうとしているが -それはナチスドイツの民族絶滅政策が弁解の余地のない惨劇であったがゆえに、 戦勝国側は日本に対するのと違って、一義的正義の立場を取り易かったためと思う -しかし、それでも、戦勝国の力の結果であった事実は争えない。ドイツは力に よって沈黙させられたのである。それが民主主義の勝利、理性と善の勝利であった というのは、力が一定の効果を収めた後の結果であって、もしドイツが勝利してい たなら、国際社会の正義の形と内容は変わるほかなかったであろう。事実ソ連は永 い間勝利者の顔をしつづけたため、スターリンの悪事はいまだに何パーセントか正 義の名で隠されている。 言い換えれば、諸国家を超えた普遍的で、絶対的な正義というものは果してあるの か、という疑問がここから生じることになる。正義のフィクションを創るだけでも 暴力なしでは成り立たないのだ。ヤスパースを筆頭に、多くのドイツ人が「集団の 罪」は成立しない、と言い張るのは、外から自分たちを裁定する基準は所詮力を前 提とした相対的な判定によって得られたものであって、平たくいえば“勝てば官軍” にすぎない、ということを言外に言いたいがためであったろう。私はドイツ人が集 団 186 としての自分を防衛するために、「集団の罪」を否定したこの内心の動機を、少し もおかしいことだとは思わない。 しかし、そうなると、ヤスパースの場合は、先にも暗示した通り、どうにも理解 できない論理の破綻に突き当ることにわれわれは気がつく。第三章で取り上げた彼 の思想を、再三に及んで恐縮だが、ここでまた思い出して頂きたい。ヤスパースは たしかこう言った。どんな国家も戦争をすれば、人間性に対する犯罪、すなわち戦 争犯罪を犯す。しかしナチ国家が従来のあらゆる国家形式と根本的に異なるのは、 それが人間性(Menschlichkeit)に対する犯罪の程度を超えて、人類(Menschheit)に対 する犯罪を基本としていた犯罪者国家であったことにある。特定の集団、特定の民 族を皆殺しにする行為は人類に対する犯罪であり、ナチ国家は犯罪も犯すことのあ る国家の程度をはるかに超え出た犯罪者国家であった、と。ヤスパースのこのよう な規定は、各国家の立場に立たず、人類の立場に立つ意志表明であるから、当然の ことながら、ドイツという国家を外から裁く、絶対的で、普遍的な正義の立場を自 ら仮構し、設定していることを意味する。これはすなわち「集団の罪」を認め、ド イツを外から告発する立脚点は成立すると言っているに等しい。 これほどあからさまな論理上の自己矛盾は、ドイツの「過去の克服」のテーゼが そもそもの出発点で内包していた自己矛盾かもしれない。しかしヤスパースの論理 矛盾を、深層心理的に読み直すと、ドイツが犯したのはユダヤ人に対する「集団の 罪」であるから、ドイツ人に対する「集団の罪」を自ら認めるのは、ドイツ民族の 絶滅をも容認するロジックにつながりかねない恐怖がどこかで働いている。 ヤスパースは民族みな殺しは「人類に対する犯罪」だという新しい普遍的な正義 の尺度を持ち出した。しかし少し考えてみれば、これもまた所詮フィクションであ り、にわかごしらえの約束であり、相対的な一観念でしかないことに気がつく。神 ならぬ身の人間が、自分の属するあらゆる集団を超越する尺度を創ろうとすれば、 それはどこまで行っても仮りの尺度だからである。人間である限り、自分というも のを捨てられるわけがないからである。そのことは再びヤスパースの論理矛盾に現 われている。「人類」という観念を急ごしらえせずにはいられぬほど切迫していた 事情は分るが、この美しい観念とても所詮、連合国のドイツに対する力の行使なし では成立しなかった概念であった。逆からこれを見れば、「入類」 187 という新しいフィクションは、ドイツ人が戦勝国の正義の尺度の押しつけ、ドイツ に対する「集団の罪」の問責を恐怖した揚句の果の隠れ蓑、自己救済の標識かもし れない。そこまで言わぬまでも、彼らキリスト教徒はなにかの普遍の尺度を持ち出 さなければ納得しない体質がある。「人類に対する犯罪」という新しい概念をもっ て来て他の罪と区別し、それで安心する。日本人はそんなことをしない。恐らくも っと謙虚である。戦勝国の力を正義の尺度として受け入れる点でもっと素直である。 だからといって戦勝国に打倒されもしない。ドイツ人のようにあれこれ罪の区別意 識に捉われすぎて、自分を論理的に追い込んだりしないからである。 人類は第二次大戦まではともあれ、戦勝国の力ですべてを決着し、正義の尺度を 作った、という生物としての人類の太占以来の常道に従ってきた。これは健全な展 開だった。全体主義と民主主義という二つの正義が戦ったのであって、民主主義の 勝利が最初から決まっていたわけではない。しかし当時はまだ戦争が可能であり、 勝敗のけじめが着いたことは、敗者に立ち直りの新たな活路を与える結果にもつな がった。しかし問題なのは、今われわれが目の前に見ている世界の状況である。人 類は戦争を忘れた。小さな地域戦争はあるが、人類の未来の価値を争うような決定 的な戦争はもう忘れた。人類が核戦争を恐れる余り、戦争ですべての決着をつける 正義の確立の方法を見失ってから久しい。戦争のないことを人は祈願し、慶賀する が、その反面の弊害を考えようとしない。それは二つの決定的な正義が対立したと き、-これからの地上でも必ず繰り返されるであろう-どちらが正義かを決め る最も人間的な方法、暴力による方法が封ぜられたことによる、新しい野蛮の登場 である。 ニュルンベルク裁判はナチ国家を外から、この国家の法律に縛られず、遡及的に 断罪し、次いで戦後の西ドイツの基本法(憲法)もまた、ナチ犯罪を自らの適用外とし た。このような国家の外に立つ、「正義」の確立と継続にも拘わらず、「運輸省の 役人」が象徴する行政機構の犯罪の奥深くにメスを入れることは出来なかった。そ の結果としての魔女狩りの退廃と自己欺瞞の悲惨は、すでに見た通りである。 ところが、共産主義的全体主義の解体後の世界では、現在も、将来も、そもそも 右の程度の正義の確立さえ覚束ないであろう。旧東ドイツ人の多くは、生産性にお い 188 て西ドイツに敗れはしたが、道徳において敗れたとは思っていないと前にも書いた。 ということは、社会主義の理想はどこまでも正しい、と信じている人がまだ少くな いということだ。大部分の人間は自分を精神的に蘇生させようとさえしていない。 秘密警察の支配から、西側資本の支配に移っただけで、専制の体制は何も変わって いないと怠惰に考えている人もいまだに多い。しかし市場経済は勤勉と努力だけで なく、リスクに賭けるチャレンジの勇気を欠いては決して成功しない、いわば「精 神」を要する世界である。だが、東の諸国では所詮金儲けの手段だとしか考えられ ていない。「精神」は依然として社会主義的暮し方の中に求められる。かつて市民 の暮しの最低限は保障されていて、ほどほどに生きられた。彼ら東の市民は本当に 現実にぶつかった試しがない。そのため努力や競争がなによりも悪とされる。当時 は職業の選択の自由もなかったのだが、そのときの苦痛はいま忘れ、自分で選択し ないでも国家が与えてくれたぬるま湯の心地良さばかりを思い出して、不平を鳴ら す。 それもこれもみな、力による決着で新しい正義が確立され、執行されない不徹底 に由来する。力を行使できない癖に、ドイツでは西の正義と道徳を東の生活規範と して一方的に定めたため、矛盾が至る処で噴き出している。西からの圧力の少い他 の東の国々では、昔の正義への揺り戻しが始まった。九二年秋、リトアニアでは共 産党が再び第一党となり、ルーマニアでは旧共産党系のイリエスク大統領が改革派 の候補を退け、再選された。さらに九三年九月には、かつて真先に社会主義の旗を 下ろしたポーランドまでが、総選挙の結果、旧共産勢力によってついに議会の三分 の二を奪還されるに至った。 それでいて彼らは、本気で昔の正義に戻る積りもない。ロシアを初めすべての東 側の国々は、民主主義と市場経済をいぜんとして理想の旗じるしに掲げ、共産主義 はもう厭だと心底思っている。 二つの正義が対立した状態のままで揺れつづけている。いつまでも最終決着がつ かない。恐らく半永久的に。このことは人類の歴史にとっての新しい、未経験の局 面である。暴力によって正義を確定するという解決方法を採用できない核状況下の われわれの時代は、すべてが複雑化し、無気力化し、小型化し、猥褻化し、それで いて同時に怜悧で、衛生無害な、盲目の情熱も無知の誠実も知らない、単純化され た魂の砂漠が延々と広がる光景を迎えるばかりであろう。」 189
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