160. 多発性硬化症におけるナルディライジンの役割 大野 美紀子

 上原記念生命科学財団研究報告集, 26 (2012)
160. 多発性硬化症におけるナルディライジンの役割
大野 美紀子
Key words:脱髄疾患,多発性硬化症
京都大学 大学院医学研究科
循環器内科学講座
緒 言
我々は,メタロプロテアーゼの M16 ファミリーに属する nardilysin (N-arginine dibasic convertase: NRDc) が,HBEGF (Heparin-binding EGF-like growth factor) の結合蛋白質であることを明らかにしてきた 1).また,NRDc が TACE
(TNF-alpha converting enzyme) を介した HB-EGF のシェディングを増強すること 2),更にその効果は HB-EGF に限定
されず広範な膜蛋白質に及ぶこと,NRDc は TACE 以外の ADAM 蛋白質の活性も増強することを示し 3,4),NRDc が細胞外
ドメインシェディングの普遍的な活性化因子である可能性を示唆した.
近年作製した NRDc 欠損マウスの解析から,中枢神経系における軸索成熟不全ならびに髄鞘低形成を呈することが明らかに
なった.電子顕微鏡による脳梁部分の詳細な解析では,NRDc-/-において,1)有髄線維の数が著明に少なく無髄線維の数
が多いこと,2)髄鞘化軸索の径が小さく髄鞘厚が薄いこと,が明らかになった.さらに,神経細胞特異的 (CAMKII プロモー
ター) にマウス NRDc を過剰発現させた NRDc トランスジェニックマウス (NRDc-Tg) においては,脳梁において髄鞘過形成
をきたすことが判明し,中枢神経系の髄鞘の厚みが,NRDc の量依存的に調節されることが示唆された.その分子メカニズムと
して髄鞘形成制御因子ニューレギュリン1のシェディング調節に NRDc が関与していることを解明した 5).
以上より,NRDc は in vivo で,発現量依存的に髄鞘厚を制御しており(ホモ<ヘテロ<野生型<過剰発現マウスの順に髄鞘
厚が増す),脱髄と再髄鞘化を主病態とする多発性硬化症における重要性が強く示唆された.
本研究では,NRDc の多発性硬化症における役割を検討するために,前脳神経細胞特異的 NRDc 過剰発現マウス (NRDcTg) と,野生型マウスを用いて,脱髄・髄鞘再形成実験(Cuprizone 含有食投与)を行い,脱髄・髄鞘再形成における NRDc
の意義を検討したのでここに報告する.
方 法
Cuprizone 負荷脱髄モデルによる検討
0.2%Cuprizone 含有食を一定期間与えると脳梁を中心とした脱髄が起こり,普通食に戻すと髄鞘再形成が起こる.我々
は,生後 6 週齢の NRDc-Tg と野生型において,脱髄期(Cuprizone 含有食 6 週間)
,髄鞘再形成期(Cuprizone 含有食
6 週間+普通食 2 週間),回復期(Cuprizone 含有食 6 週間+普通食 6 週間)における各々のマウスの脱髄形成の程度,
髄鞘再形成程度,回復程度を比較検討した.さらに脱髄期の結果を受けて,脱髄早期 (Cuprizone 含有食 2 週間,Cuprizone
含有食 4 週間) でも解析を行った.検討項目は以下の通りである.
①髄鞘マーカーによる免疫染色(抗 MBP 抗体).
②オリゴデンドロサイト前駆細胞のマーカーによる免疫染色(抗 Olig2 抗体).
③種々の髄鞘形成関連遺伝子や炎症性サイトカインなどの RT-PCR を用いた mRNA 定量.
結果および考察
髄鞘マーカーである抗 MBP 抗体による免疫染色法の結果から,6 週間 Cuprizone 含有食で飼育した脱髄期での NRDcTg における脱髄の程度は野生型よりも強く,一方で,髄鞘再形成期には野生型と同等の髄鞘形成を認め,さらに回復期では元
々の表現型である髄鞘過形成を呈するという結果を得た.すなわち,NRDc が前脳に過剰発現することで,脱髄は強く起こる
1
一方,再髄鞘化も早く起こるという逆 V 字パターンを呈することが判明した.脱髄期における種々の髄鞘形成関連遺伝子の変
化を見るべく,脱髄負荷後の全脳由来の RNA を抽出し,DNA マイクロアレイを行ったが,予想に反して野生型と NRDc-Tg
間で髄鞘形成関連遺伝子の著明変化は認められなかった.すなわち,脱髄が既に完成してしまっている時期で遺伝子発現を
見ても原因となる分子を同定できなかったということである.そのため,Cuprizone 含有食を開始して 2 週間後と 4 週間後を脱
髄早期と定義し,その時期のサンプルを採取し直し,各々の時期における遺伝子発現を RT-PCR を用いて網羅的に解析し
た.その結果,脱髄早期において,NRDc-Tg では炎症性サイトカインである IL-6 や TNF-α の発現量の増加を認めた.過
去に我々は,NRDc が ADAM プロテアーゼと協調して TNF-α のシェディング増強に関与していると報告しているが 4,6),今回
の脱髄負荷により,NRDc が過剰発現することで,炎症性サイトカインが活性化され野生型と比較して強い脱髄が生じたことが
考えられた.
次に,再髄鞘形成期から回復期にかけて,NRDc-Tg で回復が早く起こる原因を探るべく,オリゴデンドロサイト前駆細胞の
マーカー (Olig2) に対する免疫染色法や RT-PCR による検討を行ったところ,同マウスにおける脱髄部周囲のオリゴデンドロサ
イト前駆細胞の増加が認められた.NRDc は生体における中枢神経系では神経細胞に発現している.NRDc-Tg について
も,CamKⅡ プロモーターを用いて前脳神経細胞に NRDc を過剰発現させており,そこに脱髄負荷をかけると,オリゴデンドロサ
イトの前駆細胞が増えるということは,NRDc が過剰発現することでオリゴデンドロサイトの成熟を促進させるシグナルが神経側か
ら伝達されていると推測できる.我々は NRDc 欠損マウスの髄鞘低形成の原因の一つとして,神経細胞に発現する髄鞘制御因
子ニューレギュリン 1 のシェディングによる活性化が NRDc がなくなることで減弱することを報告しているが,脱髄という病理的側
面においても同様のメカニズムが存在する可能性があり,現在メカニズムの解明にあたっている.
共同研究者
本研究の共同研究者は京都大学大学院医学研究科循環器内科学特定准教授の西英一郎である. 文 献
1) Nishi, E., Prat, A., Hospital, V., Elenius, K. & Klagsbrun, M. : N-Arginine dibasic convertase is a
specific receptor for heparin-binding EGF-like growth factor that mediates cell migration. EMBO.
J., 20 : 3342-3350, 2001.
2) Nishi, E., Hiraoka, Y., Yoshida, K., Okawa, K. & Kita, T. : Nardilysin enhances ectodomain shedding
of heparin-binding epidermal growth factor-like growth factor through activation of tumor necrosis
factor-α-converting enzyme. J. Biol. Chem., 281 : 31164-31172, 2006.
3) Hiraoka, Y., Ohno, M., Yoshida, K., Okawa, K., Tomimoto, H., Kita, T. & Nishi, E. : Enhancement of
α-secretase cleavage of amyloid precursor protein by a metalloendopeptidase nardilysin. J.
Neurochem., 102 : 1595-1605,2007.
4) Hiraoka, Y., Yoshida, K., Ohno, M., Matsuoka, T., Kita, T. & Nishi, E. : Ectodomain shedding of TNFα is enhanced by nardilysin via activation of ADAM proteases. Biochem. Biophys. Res. Commun.,
370 : 154-158, 2008.
5) Ohno, M., Hiraoka, Y., Matsuoka, T., Tomimoto, H., Takao, K., Miyakawa, T., Oshima, N., Kiyonari, H.,
Kimura, T., Kita, T. & Nishi, E. : Nardilysin regulates axonal maturation and myelination in the
central and peripheral nervous system. Nat. Neurosci., 12 : 1506-1513, 2009.
6) Kanda, K., Komekado, H., Sawabu, T., Ishizu, S., Nakanishi, Y., Nakatsuji, M., Akitake-Kawano, R.,
Ohno, M., Hiraoka, Y., Kawada, M., Kawada, K., Sakai, Y., Matsumoto, K., Kunichika, M., Kimura, T.,
Seno, H., Nishi, E. & Chiba, T. : Nardilysin and ADAM proteases promote gastric cancer cell growth
by activating intrinsic cytokine signalling via enhanced ectodomain shedding of TNF-α. EMBO. Mol.
Med., 4 : 1-16, 2012.
2