2010 年 9 月 5 日 聖霊降臨後第 15 主日 申命記 29:1-8 フィレモン 1-25 ルカ 14:25-33 ★ 今週の聖句 「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、 だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」ルカ福音書 14:27 ★ ねらい ① イエスさまに、自分の悩み事や大変なことなど、心にあるものを祈りによって捧げよう。 ★ 説教作成のヒント ・ イエスはルカ 14 章で、ファリサイ派と向き合う。ファリサイ派は神を彼らの視点で語り、それ が人々には「堅苦しい神」と聞こえたが、イエスは神の元来の優しさ、暖かさを語る。 ・ それ故に人々はファリサイ派ではなく、イエスに従う者となった。だから「大勢の群衆が一緒 についてくる」ということが起こる。神を説教壇から語る際の注意点を、イエスから学ばされ る。 ★ 豆知識 ・ 26 節の「憎む」という言葉は、丁寧に受け止めないと誤解を招くこともある。それは 33 節「捨 てる」もまた然り。これらの言葉が意味することは何か、ということをきちんと理解したい。 ・ 「憎む」 「捨てる」の意味することを一言で言うと、 「自分の手から離す、つまり自分で何とか しようとは思わない」こと。例えば深刻な課題でも自分だけで解決するではなく、神に任せる こと。 ・ 一方で、それぞれの教会のCS子弟の中には、家族間の深刻な問題(成長期特有の問題やそれ 以上の問題)を抱えている子があるかもしれない。CS奉仕者としてその子の心に寄り添いた い。 ★ 説教 【導入】それぞれの説教者が、自分とその親との関わりを話しても良い。それぞれの親は、信仰 者である無しに関わらず、子どもに後姿を通して生き方を教示してきたに違いない。説教者がそれ を話すことによって、聴衆は説教者を身近に感じ、或いは自身と親との関わりを再想起するに違い ない。 【初めに】イエスさまの後には大勢の人が従いました。なぜかと言うと、イエスさまは優しい神 さまをお話し下さったからです。 「神さまは優しいんだ、愛して下さるんだ、もっと神さまのお話を 聞きたいな」そういう思いの中で、イエスさまの後に従ったのです。イエスさまに従えば、優しい、 嬉しいお話が聴けるし、もしかしたら悩みや苦しいことが解決するかもしれない、と思ったからで す。 【イエスさまの言葉】イエスさまはそういう人たちに言います。 「自分の家族とか、自分の命、自 分の悩み事を捨ててしまいなさい」って。聞いた人たちはびっくりしました。どういうことでしょ う。家族を捨てる、命を捨てる、悩み事を捨てる…? お父さん、お母さんのことが好きな人もい ましたし、毎日を一生懸命に生きている人もいました。 「捨ててしまいなさい」ってイエスさまは云 われたけれど、それはどういうことなんだろうと。イエスさまの言葉を聞いた人たちは一生懸命考 えます。 【言葉の意味】でも、イエスさまのお話を聞いていた人の中には、お父さんが嫌いなひと、お母 さんと上手くいっていない人、自分の悩みや大変なことを持っている人が居ました。イエスさまは 実は、心に悩みを持っている人のことを覚えながら話したのです。だから「自分の家族や命、悩み を捨てなさい」と言ったのは、例えばゴミ箱みたいなものに捨てる、ということではありません。 そうではなく、 「自分の悩み、つまり家族の悩みなどを、私に話して御覧なさい」と言われたという ことです。 【自分の十字架を背負う】今日の聖書の言葉は「自分の十字架を背負う」ということです。十字 架というのは、イエスさまも背負っておられるものです。私たちは今、心にある色々な悩み事を、 自分一人で背負っていると考えていますか? もしもそうならば、今日教会で、 「イエスさま、私の 悩みを聞いて下さい、一緒にいて下さい」とお祈りしましょう。イエスさまは優しい方ですから、 私たちと今週も一緒にいて下さいます。心の中にあるものを、神さまや教会の先生に話して下さい ね。 ★分級への展開 さんびしよう *讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より □31番 □119番(改訂版) やってみよう ☆十字架をつくろう <用意するもの> クラフトテープ(12cm・17cmに切ったもの 1 本づつ)、紙テープ(色)、 画用紙(直径 5cmに丸く切ったもの)、ホッチキス、のり ① 2 本のクラフトテープを合わせて、十字架の形に重ね、中央をホッチキスで止める。 ② 好きな色の紙テープで、カバーするように覆い、裏側にのりをつけて貼り付ける。 ③ 丸い画用紙に自分の顔をかいて、十字架の真ん中に貼る。 ※いつも、イエス様の弟子でいられますように、私たちを強めてください。 2010 年 9 月 12 日 聖霊降臨後第 16 主日 出エジプト 32:7-14 Ⅰテモテ 1:12-17 ルカ 15:1-10 ★ 今週の聖句 「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください。」 ルカ福音書 14:27 ★ ねらい ① イエスさまは、どんなに小さなものでも、小さなことでも、きちんと見ていて下さる。 ★ 説教作成のヒント ・ 「探し物を見出す」話、三部作のうちの二つ。何れの話(放蕩息子の例えも含めれば)の結び にも「喜び」という言葉が見出し得る。私たちは、神によって育まれている存在なのである。 ・ イエスはそのようにして、私たちを大切な存在をして見て、受け止められる。その表れとして、 神は独り子イエスを私たちのもとに置かれる。ここに神の私たちへの愛を見出すことが出来る。 ★ 豆知識 ・ 羊は広い視野を持ち、そして良い耳を持っている。一方で群れたがる性質を持つ動物である。 自分を守ってくれる人や動物の顔を良く覚え、その後に従う。一方で単体ではストレスに弱い。 ・ 「ドラクメ」とはお金の単位。 「デナリオン」と一緒であるから、一日の賃金。探し物を見出そ うとするのは当然だが、彼女にとっては特に思い入れのある品物だったに違いない。 ・ 失われた羊、見失われた銀貨に準えられているのは言うまでも無く私たち人間。神は私たちの 居場所、心の在りかを絶えず気にかけておられる。神の元に私たちが帰ることを喜ばれる。 ★ 説教 【導入】大切なものを無くした経験は説教者自身にもあるだろう。無くしたものが、金銭や宝物 等の物体であったとき、それを再度見出した時の喜びを語っても良い。自身の経験を通して、神と 説教者自身との関係性をこの機会に再確認することも良いのかもしれない。その上で奉仕に臨みた い。 【初めに】皆さんは何か、大切な宝物とかお金を無くしたことがありますか。せっかくもらった おこずかいを無くしたら嫌ですし、 誰かから貰ったプレゼントでも無くしたらとても悲しいですね。 今まだ見つかっていない人もいると思いますし、一生懸命に探し物をして、見つけて嬉しい思いを した人もいると思います。イエスさまは今日、探し物を見つけた二つの話を私たちにして下さいま す。 【羊の話】昔、たくさんの羊を持っている羊飼いが居ました。羊はたくさんいましたけれども、 羊飼いにとってはどの羊も大切でした。ところがある日のこと、羊の数を数えていると、一匹足り ません。どうしたのかなあと思って探しても、いません。羊飼いは段々と不安になって来ました。 狼とかに食べられていないか、 泥棒に連れ去られたのか、 穴に落ちたりして道に迷っていないかと。 羊飼いは一匹の羊を探し始めます。そしてようやく、一匹の羊を見つけました。羊飼いはとても喜 びました。 【銀貨の話】また、10 枚の銀貨を大切にしている女の人がいました。その銀貨は、女の人にとっ てとても大切な宝物でした。でも、ある日その銀貨を見てみると、9 枚しかありません。一枚はど こかに行ってしまったのです。女の人は一枚を探して一生懸命になりました。今みたいに電気が在 るわけではありません。薄暗い家の中で、銀貨は見えにくいですから、それでも女の人は頑張って 探すのです。そして銀貨が見つかった時、女の人はとっても喜びました。イエスさまは 2 つの話を しました。 【イエスさまのお話】 イエスさまはこんな話をして、 なくしものを見つけた時は本当にうれしい、 ってことを言われました。 イエスさまはこの話を私たちのためにして下さいます。 つまり私たちが、 神さまなんか知らない、神さまのことを忘れてどこかに行ってしまうことをイエスさまは悲しみま す。でも、そんなイエスさまは私たちのことを一生懸命に探して下さるのです。私たちはイエスさ まによって守られ、愛されているものですから、今週もそのことを心に覚えて生活をして行きまし ょうね。 ★分級への展開 さんびしよう *讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より □108番 □55番(改訂版) やってみよう ☆迷子の羊をさがそう <用意するもの> 厚紙(14×9cm ぐらい)、はさみ ① 厚紙に泣いている羊をの絵をかき、切り取る。 ② 表に自分の名前、裏に今週の聖句「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください。 」 と書く。 ③ 1 人ずつ、順番に自分の作った羊を、部屋のどこかに隠す。 ④ 他のメンバーで、お友達の迷子の羊を探す。 ⑤ 見つけた人は、みんなを呼んで「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んで下さい。 」と 言う。 ※どこにいても、神さまは必ず私たちを見つけてくださいます。 2010 年 9 月 19 日 聖霊降臨後第 17 主日 コヘレト 8:10-17 Ⅰテモテ 2:1-7 ルカ 16:1-13 ★ 今週の聖句 「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。」 ルカ福音書 16:13 ★ ねらい ① 自分の生活の場の中で、不義、不正、不公平ではなく、赦すものへと替えられることを祈る ★ 説教作成のヒント ・ 言うまでもなく不正の勧めではない。例え話の中でイエスが言おうとしていることを考え、説 教奉仕に臨みたい。結論は上記載の通り、自身の生活の場で赦すものへと替えられることであ る。 ・ そうであっても、子どもたちも聖書を読む中で「不正は良いのか」ということに思いが至るか もしれない。世の中はそういうことで溢れているから。だから結論から云えば良いと思われる。 ★ 豆知識 ・ 「今の世の中はひどい」そんなことを子どもたち自身も感じているかもしれない。ただ覚えた いのは、社会の巨悪に注目する前に、自身の小悪を思い出すこと、すると立つ瀬が無くなるか も。 ・ 6 節~7 節の、 「パトス」 「コロス」は何れも単位。数値換算すると更に大きな数字になるので、 口語訳聖書では「樽」 「石(こく) 」と記載。どのように説明するか、それは個々の教会に依る。 ・ 管理人は、自身の裁量で出来ることを行った。それが主人の債権をごまかすということであっ ても、管理人の裁量で行ったことを主人は褒めた。自身で出来ることを行うものでありたい。 ★ 説教 【導入】歩行時の急ぎの際の信号無視も、ゴミの散らかしも、自転車で歩道を走ることも全て、 法令違反。その意味で説教者自身には、不正、不義、不道徳の経験はないだろうか。なかなかそれ らを告白することは勇気がいることでもあるし、そもそもまだ自身の中に留め置きたい、或いは墓 場まで持って行きたいということもあるが、自身の経験を子どもたちに分かち合うことも大切なこ とと思う。 【初めに】皆さんは、悪いこと、いけないことをしたことがありますか。例えば先生は、道に小 さなゴミを落とすこともありますし、横断歩道を赤信号で渡ることもあります。横断歩道が遠くに あって、でも急いでいる時にはその横断歩道まで行かないで道路を渡ってしまうこともあります。 それらは本当はいけないことですけれども、でもしてしまうことがあります。皆さんはどうでしょ うか。 【聖書】 今日の聖書を読んでびっくりする人もいるかもしれません。 イエスさまは聖書のお話で、 悪いことを勧めているように書いてあるからです。ある人が主人のお財布を預っていました。その 人はご主人さまのお財布にあるお金を勝手に無駄遣いしています。自分のお金ならば、無駄遣いし ていてもそれは自分のお金なのですからどうのこうの云われることはないのですが、ご主人さまの お金なのです。例えば誰かが自分のお財布を持って行って、そのお金を使ってしまったらどうでし ょうか。 【聖書2】悪いことが見つかった人は、ご主人さまから怒られます。もうお金を扱わせることは 出来ないと云われ、お金の仕事から外されそうになります。そこでその人は考えました。自分が仕 事を無くしても、誰かが自分のことを守ってくれるようにしよう、と。その人はご主人さまにたく さんの借金がある人を尋ねます。そして、たくさんの借金を少しにしてしまうように、ずるをする のです。ご主人さまはびっくりしますが、この人を褒めるのです。自分の出来ることをした、と。 【ずるは駄目だけど】悪いことはいけません。イエスさまはここで悪いことを勧めていることで はありません。ご主人がこの人を褒めた理由は、 「自分の出来ることを一生懸命に考えて、実行した」 ということです。何度も言いますが、悪いことは駄目ですよ。でも、自分の出来ることを考えて、 それぞれの場所で、少しでも良いことをすることが出来ればいいなあと、先生は思います。 ★分級への展開 さんびしよう *讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より □49番 □47番(改訂版) やってみよう ☆神さま、それともお金? ① 紙を半分に折り、左側に「もし、1 万円あったら何に使うか?」を書いてみます。 →1 人ずつ発表する。 ② 聖書(ルカ 16:1~9)を読みます。 ③ お金は、神さまからの預かり物です。不正がばれた召使いは、貧しい人達へ目を 向け、友達になろうとしました。 ④ 主人はこの召使を許し、ほめました。 ⑤ 今度は、右側にどんな事をすれば、神さまが喜ばれるかを書いて発表します。 今日は敬老の日です。自分のおじいちゃん、おばあちゃん、又、教会のおじいち ゃん、おばあちゃんにお手紙を書いてみましょう。 2010 年 9 月 26 日 聖霊降臨後第 18 主日 アモス 6:1-7 Ⅰテモテ 6:2C-19 ルカ 16:19-31 ★今週の聖句 「やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムの すぐそばに連れて行かれた。」 ルカ福音書 16:22 ★ ねらい ② 神さまは私たちが、病気のときも、健康なときも、他の人が見捨てるときも、守って下さる。 ★ 説教作成のヒント ・ ラザロの様子が冒頭で記載。 「できもの」がラザロの身体にはあった。当時は特に、このような 病を、神の祝福から外れた者、と解する風潮が為されていた。ラザロもそういう眼の中にある。 ・ ほどなくしてラザロは死ぬが、そのラザロは天国で神の宴席に加えられるものになった。ラザ ロは少なくとも、生前神に祈るとかの記載はない。だが神はそんなラザロをも御許に招くのだ。 ・ 生前の善行悪行に神は報いるということではないように思う。大切なことは、神のみ言葉に耳 を傾けること、その言葉に従って生きようと願い、祈ること。そのことの大切さを日課は示す。 ★ 豆知識 ・ 金持ちが「紫の衣」を着ていたとある。紫は高貴な色である。だが、目に見える高貴さ、豊か さがそのまま天国に直結すると云うことはなく、むしろ、見えない部分も含め神は考慮なさる。 ・ 聖書には多くの「病んだ人」 「貧しい人」 「虐げられている人」が出てくる。私たちはこの人々 の存在を、本当に大切に受け止めたい。元気な時には想像も出来ない痛みが入院中には起こる。 ・ アブラハム、モーセ、預言者等、少なくとも子どもには耳慣れない人名が登場する。彼らは無 論旧約聖書の人々。言い換えれば、聖書そのものである。み言葉を大切にすることが云われる。 ★ 説教 【導入】説教奉仕者自身、ラザロをどのように説明できるだろうか、すなわち、病気を抱え、そ れ故に他者からの交わりを阻害され、一人で生きざるを得なかったものの心境を説明し得るだろう か。ラザロの心地を説明することによって、初めてラザロの喜びの真意が分かるに違いない。自身 の病気との体験や、或いは社会との交わりを阻害された経験等、話して見るのも良いかもしれない と思う。 【初めに】病気になりたいひとは、だれもいません。病気になると、入院をしたり、退院しても お家で休まなければならないからです。元気ならば遊んだり仕事をしたり、そういうことが出来る のに、病気は私たちから自由を奪ってしまいます。昔の日本や、イエスさまの時代はそれに加えて、 病気をした人は他の人から無視される、ということがありました。今日の聖書もそういう人が出て きます。 【聖書】ラザロという人が出てきます。ラザロは「できもの」があったと書かれています。身体 にぶつぶつができて、そのために周りの人から仲間はずれにされたのです。ラザロはそれでも、元 気になりたい、みんなと仲良くしたいと思っていましたが、誰もラザロに声をかけませんでした。 一方でたくさんのお金を持っている人は、毎日キレイな洋服を着てご馳走を食べて遊んで暮らして いました。 【聖書2】ラザロもお金持ちもやがて死にます。ラザロは神さまが用意して下さったご馳走を食 べています。でも金持ちは、熱い地獄で苦しい思いをしています。金持ちはラザロが美味しいご馳 走を食べ、楽しく暮らしているのを見つけます。金持ちは神さまに、喉を潤す水を頂戴と言うので すが、神さまは、生きている間に良いものを貰っていたことを思いなさい、と言うのです。それな らばと金持ちは言います。自分の兄弟たちに、こう云う地獄に来ないように言い聞かせて欲しいと 云うのですが、神さまは、兄弟たちが今、聖書に目を通して置けば、こんな所には来ない、と言う のです。 【結びに】私たちは、毎日が楽しいということはありません。時には嫌なこともあります。でも 神さまは、そんな私たちをきちんとご存じですから、毎日をきちんと確かに、生きて行きましょう。 ★分級への展開 さんびしよう *讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より □49番 □47番(改訂版) やってみよう ☆寸劇をしよう「天国に行くには」 <役>金持ち、ラザロ、アブラハム、ナレーター、天使、 (人数によっては、前半、後半で役をわけてください) あそんで く ら し ナ「あるところに、金持ちがいました。その金持ちは、いつもきれいな服を着て、毎日ぜいたくに遊んで暮らして いました。」 金「うまい!うまい!今日もごちそうだ。もっともっと持ってこい。 」 ~ラザロ、ふらふらと金持ちの前に横たわる~ まずしい ナ「金持ちの家の門の前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわりました。」 ラ「お腹すいたなぁ~。寒いなぁ~。ああ、おいしそうな、いいにおい。せめて、テーブルの下にこぼれた物でも、 食べたいな~。」 ナ「時が過ぎ、やがてラザロは死んで天使たちによって、天国にいるアブラハムのすぐそばにつれていかれました。 てんし ~天使たちは、ラザロをアブラハムのそばにすわらせる。~ よ み ナ「そして、あの金持ちも死んで、陰府に連れていかれました。」 てんし はな ~天使たちは、金持ちをアブラハムから遠く離 れた所にすわらせる。~ 金(もだえながら)「ああ、暑い!苦しい!」 ナ「ふと、遠くを見ると・・・」 金「あっ!父アブラハムのそばで笑っているのは、ラザロではないか!」 ナ「金持ちは、大声で言った。」 金「父アブラハムよ!わたしをあわれんでください。ラザロをよこして、 した ひ ほのお くる 指先を水にひたし、わたしのに舌 を冷やさせて下さい。わたしは、 炎 の中でもだえ苦 しんでます。 ア「子よ。思い出してみるがよい。おまえは、生きている間、良いものをもらっていたが、ラザロは、反対にわる かれ くる いものをもらっていた。今は、ここで彼 は、なぐさめられ、おまえは、もだえ苦 しむのだ。 (おしまい) ※この金持ちのように、いつも自分だけのことを考えていては、天国へ行くことはできません。神さまは、みんな を天国へとまねきたいと思っています。すぐ、となりに苦しんでいる人がいても気づくことができないとこの金持 ちのようになってしまします。すぐそばに、ラザロさんのように困っている人がいないか探してみましょう。
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