レクチンの基礎情報 株式会社食の科学舎 目次 Chapter 1 レクチンの基礎知識 ............................................................. 3 1-1 レクチンとは 1-2 糖鎖とは Column レクチンの発見史 Chapter 2 生体におけるレクチンの働き.............................................. 7 2-1 免疫とレクチン 2-2 受精とレクチン 2-3 ウイルス感染とレクチン 2-4 がん転移とレクチン Chapter 3 レクチンの応用.................................................................... 11 3-1 血液型判定とレクチン 3-2 バイオマーカーとレクチン 3-3 再生医療とレクチン 3-4 骨髄移植とレクチン Chapter 4 レクチンの産業化 ............................................................... 15 4-1 糖鎖解析 4-2 オーラルケアへの応用 Chapter 5 レクチンの情報源............................................................... 18 5-1 本資料の参考文献 5-2 レビュー論文要旨 本資料に関するお問い合わせ先 ............................................................................. 20 Chapter1 レクチンの基礎知識 【1-1.レクチンとは】 ●糖鎖に結合するたんぱく質「レクチン」 レクチンは、ウイルスや細菌、植物、私たち人間を含む動物にまで広く存在しているたんぱく質です。 とう さ その特徴は、マンノース、ガラクトースなどの糖が結合してできた「糖鎖」に結合する性質があることです。 レクチンを一言で表すと、 「糖鎖に結合するたんぱく質」ですが、同様に糖鎖と反応する「抗体」や糖鎖に 作用する「酵素」はレクチンに含まれません。 糖鎖(詳細は次項1-2を参照)は、私たちの体を構成している細胞の表面をさまざまなかたちで覆っており、 この糖鎖にレクチンが結合することで細胞と細胞の間の橋渡しや情報のやりとりなどが行われます。レクチン はこうした働きを介して、生命の発生や免疫、感染症、がんの転移など多くの生命現象に関わっている重要な たんぱく質なのです。 ■レクチンと糖鎖は鍵と鍵穴 レクチン 細胞 レクチン 細胞 細胞 細胞表面糖鎖 精子 卵子 受精 細胞 細胞表面糖鎖 免疫細胞 細菌 ウイルス 免疫 粘膜細胞 感染症 がん細胞 がん細胞 がん転移 ●レクチンの数は膨大!約 20 のファミリーに分類 ほとんどすべての生物が1種類以上のレクチンを持っていることから、レクチンの種類は膨大な数にのぼり、 新しいレクチンの候補たんぱく質が見つかったとの報告が毎週のようになされています。それぞれのレクチン は認識する糖鎖が異なり、さまざまな構造の糖鎖を認識するレクチンが存在しています。 レクチンは構造や機能によって約 20 のファミリーに分類されていますが、新しいレクチンの発見に伴い、ファ ミリーの数はさらに増えつつあります。レクチンファミリーの代表的なものには、植物レクチンの中でも最も 大きいファミリーを形成するマメ科レクチン、細菌から幅広く生物全般にみられるR 型レクチン、動物に最も 広く存在しているガレクチン、同じく動物に広く存在しているC 型レクチンなどがあります。また、動物の細胞 内の輸送にかかわるL 型レクチン、主に脊椎動物の白血球などの血球細胞で見られるI型レクチン、たんぱく質 の折り畳みに関与するカルネキシン・カルレティキュリン、細胞内のリソソームと呼ばれる小器官で働く酵素 の輸送にかかわるP 型レクチンなどがあります。 ■主なレクチンファミリー マメ科レクチン 植物レクチンの中で最も 大きいファミリー L型レクチン 動物の細胞内輸送に関与 C型レクチン (セレクチン) 動物に広く存在 たんぱく質の折り畳みに関与 動物に最も広く存在 I型レクチン (シグレック) 白血球などの血球細胞に主に発現 カルネキシン・カルレティキュリン ガレクチン アネキシン リン脂質と結合 R型レクチン 幅広い生物に存在 P型レクチン 酵素の細胞内輸送に関与 ●植物におけるレクチン これまで1,000 以上の植物でレクチンが見つかっています。なかでも大豆やいんげん、ピーナツなどのマメ科 の植物には多くのレクチンが含まれており、マメ科レクチンの役割が研究されてきました。 その一つは窒素固定菌との共生です。マメ科の植物は、空気中の窒素を窒素化合物に変換することができる 根粒菌を根に宿すことで、窒素のない土壌でも育つことができます。この根粒菌の根への付着にマメ科レク チンが関与しているのです。 また、植物レクチンの中には、昆虫や草食動物に対して毒性を持つものや、菌の増殖を阻害するものもある ことから、昆虫や草食動物に食べられるのを防ぐ、あるいは菌による感染を防ぐ生体防御の役割もあると 考えられています。 ●人間におけるレクチン 私たち人間の体内にも、これまでのところ数百種類のレクチンが存在することがわかっています。その性質 や役割が明らかにされているものもありますが、多くは今後の解明にゆだねられています。 【1-2.糖鎖とは】 ●糖鎖は第 3 の生命鎖 糖は、アルデヒド基(-CHO)またはケトン基(>C=O)を1つ持つ炭化水素と定義されます。身近な糖には例 えばグルコース(ブドウ糖)があります。食事で摂取した炭水化物がグルコースに分解され、血液中に入ると、 血糖となり、体を動かすエネルギー源となります。 これ以上分解できない最小単位の糖を単糖と呼びますが、その単糖がさまざまな形で結合して鎖のように とう さ なったものを「糖鎖」と呼んでいます。 糖鎖を構成する単糖には、グルコース、マンノース、ガラクトース、フコース、キシロース、Nアセチル Dグル コサミン、Nアセチル Dガラクトサミン、シアル酸など8 種類以上が知られています。これらの単糖がさまざ まな形で結合し、かつ1つの糖に複数の糖が結合することも可能なため、糖鎖のバリエーションは多彩をき わめます。 糖鎖は細胞の生存に不可欠であり、発生や免疫、がん化などにおいて重要な役割を果たすことから、遺伝 情報を記録するDNA(ヌクレオチドが結合したもの)、体を構成するたんぱく質(アミノ酸が結合したもの)に 続く、第 3 の生命鎖として注目されています。 糖鎖は生体内ではたんぱく質や脂質と結合し、糖たんぱく質や糖脂質として主に細胞表面に存在しています。 また、糖鎖は細胞から分泌されるたんぱく質に結合して、分解や熱から保護する役割もあります。細胞膜の 表面を覆う糖鎖は、生物種や個体(個人)、臓器、組織などによって異なり、糖鎖を介して細胞どうしが互 いを認識することから、糖鎖はいわば細胞の顔(服装)のような役割をしています。 ■糖鎖は第 3 の生命鎖 第1の鎖:DNA A G T C T C A G A、G、T、C、の4つの塩基が 1 列につながって二 重らせ んに なり、遺伝子をコード 第2の鎖:たんぱく質 第3の鎖:糖鎖 20種類のアミノ酸が一列につな がり、折り畳まれて立体構造を つくる 8種類以上の糖がさまざまに結 合して複雑な構造をつくり、細胞 の顔つきを決定している ■細胞膜表面の糖鎖 糖鎖 糖たんぱく質 糖脂質 細胞外 細胞膜 細胞内 Column レクチンの発見史 レクチンの発見の歴史は1888 年、ロシア(現エストニア)のヘルマン・スティルマークがヒマシ油 の原料になるトウゴマ(ヒマ)の抽出物に赤血球を凝集させる作用があることを報告したのが始ま りです。 その後、さまざまな植物の抽出物からレクチンが見つかりましたが、赤血球の凝集を指標に発見 されたものが多かったことから、当初、レクチンは「血球凝集素(ヘマグルチニン)」あるいは「植 物血球凝集素(フィトヘマグルチニン)」と呼ばれていました。 1919 年、米国コーネル大学のジェイムズ・サムナーがタチナタマメの抽出物からレクチンを初めて 精製し、コンカナバリンAと名付けました。そして1936 年、このコンカナバリンAを用いた研究か ら、レクチンの赤血球を凝集させる作用が糖によって阻害されることを見いだし、赤血球凝集作用 がレクチンと赤血球表面にある糖の反応であることが明らかになりました。 血液型は多くの分類法がありますが、私たちがふだん使用している ABO 式血液型は、赤血球の表面にある糖鎖の違いによってA 型、B ■トウゴマ (学名:Ricinus communis) 型、O 型、AB 型に分類したものです(➡3-1 血液型判定としレクチ ン参照)。1940 年代後半、ボストン大学のウィリアム・ボイドらが相 次いで特定の血液型に対してのみ赤血球凝集作用を発揮するレクチ ンを発見しました。そして1954 年、特定の血液型に対して赤血球 凝集作用を示す血球凝集素をラテン語の legere(選び出す)にちな んでレクチンと名付けました。 その後、レクチンの定義は拡大解釈され、今では抗体や酵素以外 の糖に結合するたんぱく質をすべてレクチンと呼んでいます。 出典:Wikipedia Chapter2 生体におけるレクチンの働き 【2-1.免疫とレクチン】 私たちの体を細菌やウイルスなどから守る免疫において、レクチンは重要な役割を果たしています。代表的な レクチンの働きを3つ紹介します。 ①細菌など異物の捕捉に関わるレクチン 免疫を担う白血球の一種であるマクロファージは、体に侵入した細菌などを捕食することで病原体から体を 守っています。このマクロファージの表面にはマクロファージマンノースレセプター(MMR)というレクチンが 存在し、このレクチンが細菌などの表面にある糖鎖を認識して結合し、レクチン介在性食作用と呼ばれる、 レクチンを仲立ちとした食作用によって、病原体を取り込んで殺します。 また、マクロファージは取り込んだ病原体を断片化して細胞表面に掲げることで(抗原提示)、免疫の中枢を 担うT 細胞に病原体の情報を伝え、T 細胞の指令によってその病原体に対する抗体がつくられます。こうした 抗原提示の過程にもMMR などのレクチンが中心的な役割を果たしています。 ■ MMR の働き(異物の捕捉) マクロファージ MMR 糖鎖 細菌などの異物 ②免疫を助ける補体系を活性化させるレクチン 免疫においては補体系が重要な働きをしています。補体系とは、マクロファージなどによる食作用を促進し たり、体に侵入した細菌に穴を開けて殺す働きなどにより、免疫を助けるシステムのことです。補体系には 約 30 種類のたんぱく質が関わっています。補体系はふだんは不活性な状態にありますが、病原体に抗体が 結合することで活性化することが知られています。近年、抗体だけでなく、血液中を流れるマンノース結合 レクチン(MBL)が病原体の表面の糖鎖に結合することでも活性化されることが明らかになりました。また、 遺伝的にMBLを欠損している人は、感染症にかかりやすいことがわかっています。 ③白血球の炎症部位への移動に関わるレクチン 免疫を担う白血球の多くは血液中を循環していますが、外傷や細菌などの感染で炎症が起こると、血管外の 炎症部位へと移動します(遊走)。この炎症部位への移動にセレクチンと呼ばれるレクチンが関わっています。 炎症をきっかけに炎症部位近くの血管の内側にある内皮細胞にセレクチンが現れ、血液中を流れる白血球 上の糖鎖と結合することで血管壁に白血球がつなぎとめられます。この結合を足場に白血球は血管内皮細胞 とより強く結合し、血管外へと移動して炎症部位へと向かうのです。 ■白血球の遊走とセレクチン 血流 白血球 セレクチン 血管内皮細胞 【2-2.受精とレクチン】 精子頭部のレクチンが卵子の糖鎖を認識 精子と卵子が出合って受精に至るには両者の相互認識が鍵となりますが、その際も、レクチンが重要な役割 を果たしています。 哺乳類の卵子は糖たんぱく質を含む透明帯に包まれ、この透明帯は卵子を保護するとともに、卵子と精子 の相互認識の場となっています。この領域は特にマウスで研究されており、マウスの透明帯は ZP1、ZP2、 ZP3 の3 種の糖たんぱく質で構成されていることが明らかにされています。精子頭部に局在するレクチン Sp-56 は透明帯たんぱく質 ZP3 の糖鎖を認識して結合し、この結合を足場としてより強力に結合してやがて 受精に至ると考えられています。 例えば、人とマウスでは透明帯たんぱく質の糖鎖が異なるため、人の精子はマウスの透明帯とは結合しませ ん。種特異的に行われる受精には、レクチンによる糖鎖の認識が関与しているのです。 【2-3.ウイルス感染とレクチン】 インフルエンザウイルスのレクチンが糖鎖末端を識別して感染 レクチンは、私たちの体を守る免疫において重要な役割を担っていますが、半面、ウイルスや細菌による感 染のメカニズムにもレクチンが関わっています。 毎年、冬に流行するインフルエンザは、インフルエンザウイルスが持つレクチン(ヘマグルチニン)が、宿主 となる私たちの鼻腔や咽頭などの粘膜細胞表面にある糖鎖に結合することで感染します。その後、ウイルス と細胞膜との融合が起こり、ウイルスのゲノムが細胞内へ送りこまれ、宿主細胞の複製機能を利用してウイル スが増殖します。 鳥インフルエンザウイルスがまれにしか人に感染しない理由も、こうした糖鎖を介した感染のメカニズムで 説明がつきます。インフルエンザウイルスなど多くのウイルスはシアル酸(動物細胞表面の糖鎖末端にある 単糖の一種)を介して細胞に結合します。インフルエンザウイルスは、シアル酸の種類(NeuAcとNeuGc) と、シアル酸と別の糖(ガラクトース)との結合様式(α2,3またはα2,6)の組み合わせを認識して結合しま す。人のインフルエンザウイルスはNeuAcα2,6 に結合しますが、鳥インフルエンザウイルスはNeu5Acα2,3 に結 合するため、鳥インフルエンザウイルスはほとんど人には感 染しませんが、ブタはNeuAcα2,6、 NeuAcα2,3 のいずれのシアル酸も有するため、ブタに感染した鳥インフルエンザウイルスが変異して人に感 染する可能性が危惧されています。 また、ウイルスだけでなく、O-157 などの大腸菌、胃がんの原因とされているヘリコバクター・ピロリ菌など の細菌もレクチンを介して宿主細胞と接着することが感染の足がかりとなっています。 ■インフルエンザウイルスの感染とレクチン インフルエンザウイルス 感染 レクチン (ヘマグルチニン) 宿主細胞 糖鎖 【2-4.がん転移とレクチン】 ガレクチン-3とセレクチンはがん転移に関与 細胞のがん化に伴い、細胞表面の糖鎖が変化することが明らかにされています。一方、レクチンの中で もガレクチンファミリーの一種であるガレクチン-3や、白血球の遊走に関わるセレクチンががんの転移 に関与するとの報告があります。 ガレクチンは細胞増殖や炎症、免疫など幅広い機能をもち、臓器や組織によってもその働きは異なり ます。ガレクチン-3 は、細胞どうしの接着能を失った細胞に誘導されるアポトーシス(生理的な細胞死) を抑制し、細胞を守る働きをします。マウスや人の転移性のがん細胞では細胞表面のガレクチン-3 の量 が増加しており、がん細胞の悪性度や転移能とも相関することが明らかにされ、ガレクチン-3 は、接 着能を失ったがん細胞をアポトーシスから守ることで、血液中でもがん細胞を生存可能とし、がんの転 移しやすさに関係していると考えられています。 また、がん細胞ではシアリルルイス x/a 糖鎖の量が顕著に増えることが明らかにされています。血管の 内側の内皮細胞にあるセレクチンはこのシアリルルイス x/a 糖鎖と結合するため、がん細胞が血液の流 れに乗って転移する際、血管内皮細胞のセレクチンとがん細胞表面のシアリルルイス x/a 糖鎖の結合が 最初のステップになると考えられています。 がんの転移 10 レクチンの応用 Chapter3 【3-1.血液型判定とレクチン】 血液型判定に用いられてきたレクチン 今日広く使用されているABO 式血液型は、赤血球上の糖鎖の違いによりA 型、B 型、O 型、AB 型の 4つに 分類したものです。O 型の赤血球表面の糖鎖構造が基本で、これにN-アセチルグルコサミン(GalNAc)とい う糖が結合するとA 型、ガラクトース(Gal)が結合するとB 型、A 型とB 型の両方の糖鎖をもつ場合をAB 型 としています。そしてA 型の人はB 型の糖鎖に対する抗体を、B 型の人は A 型の糖鎖に対する抗体を、O 型の 人は両方の糖鎖に対する抗体をもっています。輸血の際、血液型を適合させることが重要な理由がここにあ ります。 レクチンは赤血球を凝集させる作用を指標に発見され、さらにレクチン研究の過程で血液型特異的に赤血球 を凝集させるレクチンが見つかってきました。最初はウナギからO 型の赤血球を特異的に凝集させるレクチン が発見され、その後、A 型、B 型特異的なレクチンが発見されました。こうした経緯から、昔は血液型を判 定するための試薬としてレクチンが用いられました。今では抗血清を用いて血液型判定が行われるケースが ほとんどですが、同じA 型でもA 型の糖鎖が少ないなど血液型には亜型があり、そうした亜型の判定にレク チンが用いられることがあります。 ■糖鎖の違いと血液型 血清 抗A&抗B抗体 抗B抗体 抗A抗体 抗体なし Pue GlcNAc Pue Gal Pue 糖鎖=抗原 血球 Gal Gal Gal GlcNAc GlcNAc GlcNAc O型 A型 B型 O型 11 Pue c GlcNA Gal Pue Gal Gal c GlcNA GlcN AB型 Ac 【3-2.バイオマーカーとレクチン】 肝線維化マーカーとして活用されるレクチン 細胞の表面を覆う無数の糖鎖は、細胞の分化や成熟などにより構造が変化し、未分化・未成熟の細胞と、 分化し成熟した細胞の識別や認識を可能にしています。また、正常細胞ががん細胞になる際にも細胞表面の 糖鎖構造が変化することが明らかにされています。そのため、糖鎖の変化の検出ががんの早期発見や診断 につながることが期待されています。 現在、腫瘍マーカーとして臨床で使用されているCA19-9 は、がん患者の血清中で上昇するシアリルルイスa という糖鎖ですが、バラエティに富む糖鎖の微妙な違いを認識するレクチンはがん患者の血清中の糖鎖を 見分けるマーカーになり得る可能性を秘めています。 2013 年には世界で初めてレクチンによって肝臓の線維化の進行度を判定するマーカーが見つかりました。 ウイルス性の慢性肝炎は放置すると、線維化が進み肝硬変を経て肝がんを発症することもある感染症です が、肝臓の線維化に伴い、Mac-2 結合たんぱく質(M2BP)の糖鎖構造が変化することがわかりました。 この変化した糖鎖構造を認識するレクチンを用いて肝臓の線維化を捉えたのが本マーカーです。肝線維化を 早期に捉えることはがんの発症予防にも役立つことから注目されており、マーカーを用いた肝線維化検査 技術が実用化されています。 肝臓の線維化 12 【3-3.再生医療とレクチン】 未分化 iPS 細胞を検出するレクチン レクチンはその性質を利用することで、さまざまな細胞が混在する細胞集団から細胞表面の糖鎖の異なる 亜集団を分画することができます。 近年、iPS 細胞を用いた再生医療の現場で、レクチンの性質を用いた技術が開発されています。iPS 細胞は、 体のさまざまな細胞に分化する能力がある細胞で、再生医療への応用が期待されています。再生医療では 目的の細胞に分化させたiPS 細胞を生体に移植しますが、この移植用細胞に未分化の iPS 細胞が残っている と、移植後に腫瘍化するおそれがあるため、未分化の iPS 細胞を見分けるマーカーの登場が望まれていました。 そこに登場したのが、未分化 iPS 細胞の糖鎖に特異的に結合する細菌由来のレクチンBC2L-C です。この BC2L-C の遺伝子組み換えたんぱく質 rBC2LCN を蛍光標識し、細胞の培養液に加えると生きたまま細胞を 染色でき、蛍光の有無で細胞を選別することで移植用細胞と未分化 iPS 細胞を分画することが可能なことが わかりました。この蛍光標識されたrBC2LCN は未分化 iPS 細胞のマーカーとして実用化されています。 また、現在ではさらに、rBC2LCN に薬剤を融合させた薬剤融合型レクチンが考案され、細胞の培養液に 加えることで、未分化 iPS 細胞だけを選択的に除去できる技術の開発も進んでいます。 ■レクチンを利用した iPS 未分化細胞の除去 蛍光標識したrBC2LCN IPS細胞 未分化細胞が残存した 移植用細胞 未分化細胞を除去 13 純粋な移植用細胞 【3-4.骨髄移植とレクチン】 骨髄移植に伴うGVHDを防ぐレクチン 造血能力が低下する再生不良性貧血、白血病、また強力な抗がん剤や放射線療法により血液をつくれなく なった場合などに、造血幹細胞移植(骨髄移植)が行われています。 しかし、HLA(ヒト白血球抗原)と呼ばれる白血球の型が患者さんと提供者(ドナー)で一致していないケース などでは、ドナーのリンパ球、特に免疫の中枢を担うT 細胞が患者さんの体の組織を異物として攻撃して しまう移植片対宿主病(GVHD:graft versus host disease)が起こることがあります。生命にも関わることが あるこの GVHD を防ぐためにレクチンが活用されています。 大豆の種子由来のレクチン SBA(Soybean Agglutinin)は、GVHD に関わるT 細胞の糖鎖に特異的に結合 します。そのため、造血幹細胞移植では、移植前に SBAを用いて T 細胞を除去する処置が行われています。 ■大豆に含まれるレクチン(SBA) 出典:NCBI(National Center for Biotechnology Information)ウェブサイト http://www.ncbi.nlm.nih.gov/structure 14 Chapter4 レクチンの産業化 レクチンはその発見から120 年以上の歴史がありますが、長い間ほとんど注目されてきませんでした。1960 年代後半、糖鎖の検出や細胞のがん化のプロセスを解析する上で、レクチンが有用なツールになることが明 らかになり、医薬品から機能性食品まで、新しい切り口からの研究開発が急速に進みつつあります。 レクチンは、穀物、豆類、きのこ、海藻など身近な食品にも含まれているたんぱく質です。これまで産業 廃棄物として捨てられるしかなかったマッシュルームの石づきの部分や、昔は食されていたものの今日では 食べる機会が減り、市場に流通していない海藻などに多量のレクチンが含まれていることがわかり、コスト を抑えたレクチンの抽出が試みられています。こうして抽出、粗精製したレクチンをサプリメントやオーラル ケア商品などに加工する試みが始まっています。 糖鎖解析 臨床研究 ●医薬品 インフルエンザ治療薬 / 感染予防薬 エイズ治療薬 ●診断薬 がん診断 細胞診断(iPS 細胞など) ●医薬部外品 歯みがき剤 洗口剤 ●機能性食品 サプリメント ガム 飲料 15 【4-1.糖鎖解析】 レクチンアレイを用いた糖鎖構造解析技術 糖鎖は、細胞の表面を覆い、細胞の顔として他の細胞との情報のやりとりを行い、免疫やがん、感染症な どに深く関わっています。医療や医薬品などの開発では、糖鎖の機能や役割、構造を解析する技術が重要 となりますが、DNAやたんぱく質が一本の鎖のように結合していくのに対して、糖鎖は1つの糖に複数の 糖が結合でき、樹状構造もとるため、構造解析が難しい点が異なっています。 そこで、厳密に糖鎖構造を決めるのではなく、ある程度の構造の特徴を捉える糖鎖プロファイリングという 簡易解析法が注目されています。この糖鎖プロファイリングにレクチンが活用されています。 レクチンは、糖鎖の特徴的な構造を認識して結合するため、あらかじめどのレクチンがどのような構造の 糖鎖とどの程度強く結合するかを明らかにしておきます。次に構造を知りたい糖鎖がどのレクチンに結合する かを検討し、結合したレクチンの種類から、その糖鎖の特徴を把握するのがレクチンを用いた糖鎖プロファイ リングの考え方です。 実際に糖鎖プロファイリングを構築するにあたり、まず100 種類以上のレクチンの糖鎖への特異性を検討し、 その中から厳選した数十種類のレクチンをガラス板にスポット状に配列(アレイ化)、固定化したレクチン アレイが開発されました。レクチンアレイに細胞の抽出液や構造を知りたい糖鎖を蛍光標識したものを反応 させることで、一度に複数のレクチンとの結合を検討することができ、スポットの発光によってどのレクチン に結合したかがわかります。そして、どのスポットがどのくらい発光しているかを解析することで、糖鎖の 構造のおおよその特徴を把握することができるのです。 レクチンアレイは、独立行政法人 新エネルギー・産業技術開発機構(NEDO)の糖鎖構造解析技術開発 プロジェクトのもと開発され、腫瘍マーカーの探索やバイオ医薬品の開発などに応用されています。 ■レクチンアレイによる糖鎖構造の解析 レクチンA レクチンアレイ 糖鎖 構造B レクチンB レクチンC レクチンD レクチンアレイの 蛍光画像 A B A B C D C D 蛍光標識 構造B 構造C 結合したレクチンの種類から 糖鎖の構造を識別できる 糖鎖 構造C 各種レクチンを並べた レクチンアレイを作成 16 蛍光標識した糖鎖を作用させると、 レクチンと結合したスポットが発光 【4-2 オーラルケアへの応用】 バイオフィルムの形成を阻害する新しいオーラルケア 今日、日本人(5 歳以上・永久歯)の虫歯の有病率は 85.7%にのぼり 1)、歯周病の有病率(歯肉の所見が 見られる人)は74.2%に達しています 2)。虫歯と歯周病は歯を失い、食の楽しみを損なう原因となるだけで なく、例えば妊婦においては、歯周病菌が早産や低体重児出産のリスクを高め 3)4)、生まれてくる子どもに 虫歯菌が受け継がれてしまうなど、オーラルケアには大きなアンメットニーズが存在します。 虫歯や歯周病の原因は、唾液に含まれる糖たんぱく質の糖鎖に細菌が結合してできるバイオフィルムです。 口腔内では、唾液に含まれる成分が歯の表面に付着して皮膜(ペリクル)を形成しています。口腔内に数多く 存在する細菌がペリクルに含まれる糖鎖に結合してコロニーをつくり、さらに口腔内の細菌が付着し合うこと で多くの細菌が集まったバイオフィルム(プラーク)を形成します。このバイオフィルムには、虫歯菌や歯周病 菌も含まれており、バイオフィルムの形成を抑制することが虫歯や歯周病予防では大切になります。 近年、岡山大学のグループは、海藻の一種であるミルから抽出したレクチンが唾液中、あるいはペリクルに 含まれる糖鎖に結合することで、細菌との結合を阻害し、バイオフィルムの形成を抑制することを見いだし ました。キシリトール、フッ化物など、従来の虫歯予防剤は、口の中でバイオフィルムができることを前提と したものでしたが、レクチンの応用によって、バイオフィルムの形成自体を防ぐ新しいオーラルケアが可能に なりました。 安倍首相が所信表明演説のなかで、地方創生の成功事例として 「さざえカレー」をとりあげた島根県海士町は、 現在、このミルの産業化に町をあげて取り組んでいます。 出典:1) 厚生労働省:平成 23 年歯科疾患実態調査「現在歯に対するう歯の有無とその処置状況(人数・割合) 、性・年齢階級別(5 歳以上・永久歯) 」より 2) 厚生労働省:平成 23 年歯科疾患実態調査「歯肉の所見の有無(CPI 個人最大コード) 、性・年齢階級別(5 歳以上・永久歯) 」より 3) Offenbacher S, et al. J Periodontol. 1996; 67(10Suppl): 1103-13 4) Vegnes JN, Sixou M. Am J Obstet Gynecol. 2007; 196(2): 135. e1-7 ■口腔内に形成される バイオフィルム ■ミル(海松) (学名 Codium fragile (Suringar) Hariot) ペリクル 細菌 歯 歯肉 糖鎖 17 Chapter5 レクチンの情報源 【5-1 本資料の参考文献】 本資料の作成に際し、以下の文献等を参照しました。 ● Nathan Sharon/ Halina Lis 著 山本一夫/小浪悠紀子訳『レクチン 歴史、構造・機能から応用まで.第 2 版』丸善出版 , 2012 ●独立行政法人産業技術総合研究所著『きちんとわかる糖鎖工学』白日社 , 2010 ●独立行政法人産業技術総合研究所プレスリリース ヒト iPS 細胞を生きたまま可視化できるプローブを開発 https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2013/pr20130319/pr20130319.html 移植用細胞から腫瘍を引き起こすヒト iPS/ES 細胞を除く技術を開発 https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2015/pr20150410/pr20150410.html ●独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構プレスリリース 日本初の技術で糖鎖解析の世界スタンダードを目指す http://www.nedo.go.jp/hyoukabu/articles/200808gp/index.html 【5-2 レビュー論文要旨】 さまざまな面からレクチンの研究が進むなか、先行する研究についてまとめたレビュー論文が近年、相次 いで出されています。以下にレビュー論文 3 編の要約を示し、レクチンの特徴や性質についてご紹介します。 Figdor, C.G. et al. C-type lectin receptors on dendritic cells and Langerhans cells. Nat Rev Immunol. 2(2):77-84, 2002. 「樹状細胞およびランゲルハンス細胞上の C-タイプレクチン受容体」について述べたレビュー論文より 自然免疫*1 は病原体を排除するために最も早く反応し、数分で感染を抑える働きをする。補体の成分やマン ノース結合レクチン(MBL)は、この自然免疫に重要な役割を担っている。なかでもMBL は、微生物に特異 的な化合物を認識する受容体、Toll 様受容体(TLRs)による自然免疫反応とともに、食胞*2 の空間的な局在 化に関与している。この研究から、MBL はTLR の補助レセプターとして働き、細菌などの微生物の取り込み だけではなく、自然免疫の増強や同調、局在などに関与することが示唆される。 *1自然免疫:マクロファージや樹状細胞などの免疫細胞がただちに病原体を攻撃する免疫の仕組み *2 食胞:食作用によって取り込んだ異物を分解する小胞 ➡2-1免疫とレクチン参照 18 Ofek, I. et al. Anti-adhesion therapy of bacterial diseases: prospects and problems. FEMS Immunol Med Microbiol. 38(3):181-191, 2003. 「細菌感染における抗接着療法:展望と問題」について述べたレビュー論文より 薬剤耐性菌の急増により、新たな感染症対策の探索が急務となっている。細菌感染初期のプロセスに細菌 の宿主組織への接着があることから、細菌の接着を阻害する物質を利用した抗接着療法が一つの方法とし て考えられる。この方法の有効性は、マウスからサル、最近ではヒトまで種々の動物を用いた研究で明白に 示されている。接着を阻害する抗接着物質には殺菌力がないため、抗生物質の使用よりもはるかに耐性菌 の出現や拡散のリスクは少ない。抗接着薬の開発は感染症対策の新たな手段になり得ると考えられる。 ➡2-3ウイルス感染とレクチン参照 Gorelik, E., et al. On the role of cell surface carbohydrates and their binding proteins (lectins) in tumor metastasis. Cancer Metastasis Rev. 20(3-4):245-277, 2001. 「腫瘍転移における細胞表面糖鎖と糖結合性たんぱく質(レクチン)の働き」について述べたレビュー 論文より これまでの数多くの研究から、腫瘍の転移が糖鎖の複雑な変化に関連していることが明らかにされている。 こうした糖鎖の変化は腫瘍細胞の浸潤性や転移性の高さに影響を与えている可能性が示唆されている。細 胞への糖鎖の付加はさまざまな糖転移酵素やグリコシダーゼ*1 に依存するが、近年、糖転移酵素遺伝子の 細胞導入によって、細胞表面の糖鎖の変化が腫瘍細胞の転移に重要であることが明らかにされた。細胞表 面の糖鎖は、腫瘍細胞と正常細胞、あるいは細胞外基質*2 との相互作用に影響を与える。これらの相互作 用は、腫瘍細胞の糖鎖や腫瘍細胞がもつレクチンを介して行われる。レクチンの生物学的重要性や腫瘍細 胞の成長・転移における役割は解明が進んでおり、あるレクチンは微生物や腫瘍細胞表面の糖鎖を認識する ことで免疫にも重要な働きをすることがわかっている。レクチンは腫瘍細胞の生存、血管内皮や細胞外基質 への接着などに関与し、腫瘍の血管新生やその他転移に重要なプロセスに影響を与えている。 *1 グリコシダーゼ:糖の結合を切断する酵素 *2 細胞外基質:細胞の外側にある繊維状の構造 ➡2-4がん転移とレクチン参照 19
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