アトラスコプコ 日本における事業展開の歴史

アトラスコプコ
日本における事業展開の歴史
Japan
アトラスコプコが日本市場に参入
したのは1912年のこと。最初の製
品はディーゼルエンジンでした。
それ以来1世紀にわたって日本の
お客様の生産性向上とコスト削減
に貢献してきました。
現在の主力製品は、
コンプレッサ、産業用ツール、土木鉱
山機械、建設機械。従業員数はアトラスコプコ株式会社で
約300名、
グループ企業を合わせると総勢約450名に上
ります。営業拠点は日本全国に25カ所、合計約100名の
サービスエンジニアを各地に配置しています。
世界中で培った経験とノウハウを生産性向上のためのソ
リューションに凝縮し、
日本のお客様に最適化した形で提
供する――。
グローバル企業であり、
日本市場に根差した
企業でもあるアトラスコプコの強みは、
そこにあります。
2012年に日本上陸100周年、
さらに2013年、創業140
周年を迎えたアトラスコプコは、次の100年、200年に向
けてサステイナブルな生産性を約束します。
Timeline
1912
1961
アトラスコプコ
(当時の社名はアトラス)
前年の1911年に、
ノルウェーの探検家
スウェーデンのガデリウスABを通じて
が日本から初めて製品を受注したのは
ロアール・アムンゼンが人類史上初めて
日本のガデリウス&カンパニー株式会
1912年のことでした。
その製品は120
南極点を踏破するという歴史的出来事
社と専売代理店契約を締結。第二次世
馬力の舶用ディーゼルエンジンで、
スウ
がありました。
アムンゼンは快挙達成の
界大戦の終結から15年以上が過ぎ、
当
ェーデンの商社を通じて販売され、日
帰路、1本の電報を打ちました。
「ディー
時の日本は第一次高度経済成長期の
本で船に搭載されました。当時の最高
ゼルエンジンは素晴らしかった」
と。
アム
真っただ中にありました。設備投資主
経営責任者であったオスカー・ラムが
ンゼンが乗っていた船「フラム号」
には、
導で経済が右肩上がりの成長を遂げ
大株主のK・A・ウォレンバーグ氏に宛て
翌年の日本上陸第一号製品と同じアト
ていた時代です。3年後に開催される東
た同年12月1日付の手紙の中にも、
こ
ラスコプコ製のディーゼルエンジンが
京オリンピックに関連した需要も見込
の歴史的な取引に関する記述がありま
搭載されていました。
それ以来アトラス
まれ、アトラスコプコは土木鉱山業界
す。
その手紙は今でもスウェーデン本社
コプコは、南極(South Pole)
にちなん
向けの製品を中心に販売活動を展開し
で保存されています。
でディーゼルエンジた。
ンに
「ポラー」
と
ました。
いう名をつけまし
1971
1979
1980
ガデリウス株式会社を通じ、
日本初とな
ガデリウスとの合弁でアトラスコプコ
オイルフリーコンプレッサが主要製品と
るオイルフリーコンプレッサZR4Bを北
ガデリウス株式会社を設立し、アトラ
なる中で、ホイールタイプのトンネルジ
海道炭鉱汽船株式会社に販売。
それ以
スコプコ製品の関連事業を継承。同社
ャンボ Boomer 132 を日本で初めて
前にも鉱山用ブースターコンプレッサ
への出資比率はアトラスコプコが60%
販売。合弁会社設立前から2年に及ぶ
SG3やエンジンスターター用コンプレ
、
ガデリウスが40%でした。19年間続
営業活動の成果でした。販売先は大成
ッサMA2FPなどを東北から関西にか
いた高度成長期が終わり、1973年末
建設株式会社で、納入先の現場は鳥取
けて販売していましたが、現在の製品に
から日本は安定成長期に入っていまし
県俣野の中国電力地下発電所。受注当
連なるオイルフリーコンプレッサはこれ
た。鉱山業の衰退とともに、1976年頃
初は栃木県今市の東京電力地下発電
が第一号機でした。その3年後に販売
から徐々に日本における販売の軸足を
所に納入する予定でしたが、
さまざまな
した8台目のZR4Bは、現在でも三井化
オイルフリーコンプレッサへと移してい
事情によって中国電力の現場に変更さ
学株式会社名古屋工場で稼働してい
ました。
れました。
ます。
お客様先では
「AC8号機」
と呼ば
れ、親しまれているようです。
1985
1986
1987
大規模な産業用締付システムを日本国
アトラスコプコガデリウスの全株式を
産業機器事業エリアとコンプレッサ事
内で初めて受注。納入先はマツダ株式
取得し、社名をアトラスコプコ株式会
業エリアが、
トヨタ自動車株式会社のお
会社が米国ミシガン州に開設したフラ
社に変更。同年9月に同社代表取締役
膝下である愛知県豊田市に営業所を
ットロック工場でした。1970年代後半
に就任したネシップ・ソヤックの指揮の
開設し、同社と同地区への販売体制を
から80年代にかけて日本の自動車メー
下、大幅な組織・業務改革を実施しまし
強化。
またこの年、
シカゴニューマティッ
カーが大きく輸出を伸ばし、米国市場
た。
コンプレッサ部門はよりいっそうオ
クツールズ社の買収に伴い、日本で東
ではビッグ3が低迷していました。貿易
イルフリーに特化した販売体制を整え、
空販売株式会社の株式の50%を取得
摩擦の激化を懸念する政府の主導の
日本全国それぞれのエリアに根差した
しました。東空販売は1955年の創業
下、
日本メーカーは輸出を自主規制す
営業活動を基本に、新たな販売先とし
で、油圧アタッチメント、土木建設機器、
るとともに、米国での現地生産に踏み
て半導体や食品業界などへの拡販を進
自動車整備用ツールなどを製造・販売
切りました。
マツダが米国に生産拠点
めました。
しています。
を開設したた。背景には、
こうした事情
がありました。
1989
1990
2004
アトラスコプコ岩田株式会社が設立。
アトラスコプコ岩田の隣接地に福島コ
米国インガソールランド社ドリリングソ
出資比率はアトラスコプコが51%、岩
ンプレッサセンター(FCC)を開設。そ
リューション部門の買収に伴い、
日本で
田塗装機工業株式会社が44%、住友
れまで本社と営業事務所に併設されて
横浜の製造拠点を確保。後の事業再編
商事株式会社が5%でした。1986年の
いた各種機能(ベルギーをはじめとす
によってアトラスコプコ・サーフェスドリ
社名変更とともにコンプレッサ事業エリ
る海外工場で製造されたコンプレッサ
ル横浜工場としました。同工場ではサ
アはオイルフリーの営業活動に集中し、
を日本のお客様の仕様に合わせてカス
ーフェスドリル事業部が明かり掘削機
給油式コンプレッサの販売では代理
タマイズする作業や、サービス用部品
器を開発・設計・製造。世界各国に製品
店体制を敷いていました。給油式コン
の在庫、性能試験、
出荷前検査など)
を
を供給する重要な拠点となっています。
プレッサのより強固なパートナーを探
ここへ移管したことで、
より多くの多様
また、品質管理のISO9001、環境管理
していたアトラスコプコは、
こうした流
な作た。業を効率的に行えるようにな
のISO14001、労働安全衛生管理の
れの中で同合弁会社を設立しました。 りました。
(1999年、
アトラスコプコ内での販売
体制強化のため解散)
OHSAS18001の3つの認証を取得し
ています。
2006
2007
2009
エアツールを製造・販売する不二空機
エアツールを製造・販売する株式会社
サーフェスドリル横浜工場が開発・設
株式会社の全株式を取得、
アトラスコ
ケーティーエス(KTS)の全株式を取
計・製造した新型サーフェスドリルリグ
プコグループ傘下として産業機器事業
得、
アトラスコプコグループ傘下として
ROC T35(現PowerROC T35)
を導
エリアを強化。同社は大阪市東成区に
産業機器事業エリアを強化。同社は東
入。横浜工場の前身であるインガソー
本社と製造工場を置き、全国12カ所
京都新宿区に本社を置き、約50名の従
ルランド社の技術にアトラスコプコの
の営業拠点と約130名の従業員を有
業員と製造工場
(栃木県足利市)
を有し
技術と製品開発を融合し、同工場発で
しています。
アトラスコプコが強みを持
ていました。事業の中心は自社ブランド
全世界に導入される第一号の製品でし
つ自動車産業だけでなく、一般産業へ
であるパワーマグナムの製造・販売と米
た。開発には2004年のインガソールラ
も広い販売チャネルを持ち、製品の約
国インガソールランド社へのOEM供給
ンド社ドリリングソリューション部門買
45%を海外に輸出しています。
日本国
で、
アトラスコプコグループ傘下に入っ
収から足掛け5年を費やし、機能性はも
内では自社のFujiブランドに加え、
アト
てからはChicago Pneumaticブラン
とよりオペレーターの快適性、
デザイン
ラスコプコグループ傘下のChicago
ドへのOEM供給も手掛けていました。
性をも重視しました。
PneumaticやDesoutterといったブラ
ンドも取り扱っています。
(2009年、不二空機への一本化のた
め解散)
2011
2011
2011
日本市場と海外市場における汎用スク
神奈川県川崎市の東扇島に川崎コンプ
ドイツの接着設備機器会社SCAシュ
リュとターボコンプレッサの販売で株
レッサロジスティックセンター(KCLC) ッカー社の買収に伴い、日本でSCA
式会社IHIと提携。
日本市場ではアトラ
を開設し、福島コンプレッサセンターの
シュッカージャパン株 式 会 社の全 株
スコプコが汎用スクリュコンプレッサの
全機能を移設。それまで全国に分散し
式を取得し、産業機器事業エリアを強
完成品をIHIに供給し、IHIは自社の販
ていた製品・部品倉庫も同所に集約し
化。SCAシュッカーは、
アトラスコプコ
売網を活用して自社製品とアトラスコ
ました。
また、お客様により良いサービ
の製品ポートフォリオを補完する製品
プコの給油式スクリュコンプレッサ等を
スを提供することを目的に営業所と技
と専門ノウハウを持つ最適な買収先で
販売します。海外市場では、IHIが供給
術部門も併設し、
日本におけるコンプレ
した。SCAシュッカーは本社と製造部
するターボコンプレッサのコアユニット
ッサ事業エリアの中枢施設と位置付け
門をドイツのブレッテンに置き、
日本で
をアトラスコプコが完成品に仕上げ、主
ています。
は神奈川県横浜市に販売とサービス部
に欧州・アフリカ・中東で販売します。
門を置いています。
12
9853 8182 95