第 2特集 矢崎総業 が少しずつ分かり始めてきたのだ。 幸運だったのは、配属先が海外拠点 国内勤務でも世界体感 と接点がある海外経理チームだったこ とだろう。海外法人の社員と会計につ いて話し合ったり、メールをやり取り 入社 6 年目を迎える財務室国際財務 しかし、帰国して仕事に就くと、あ 部海外経理チームの加藤理沙は、今で まりに懸け離れた生活が始まった。他 現地の状況が分からない加藤は、十分 も時々、カナダの青い空を思い出す。 の会社と何も変わらない日常業務。期 な情報を得られないこともある。 加藤は 2002 年に参加したアドベン 待の大きさ故に、失望も大きかった。 する中で、外国との接点が増えてきた。 そんな時は、限られた情報を分析し チャースクール(AS)で、カナダ西海 「あれは夢だったのか」。AS に参加し て、自分がイニシアティブを取って 岸のバンクーバー島に 6 カ月間滞在し た同期社員に、そうこぼしたこともあ 様々な提案を出すことが多くなった。 た。当時は内定者としてではなく、入 る。 状況がよく分からない中で、自分で 会社はいったい何を自分たちに求め 考えて課題を解決しなければならな られた。 ていたのだろうか。 「職場に配属され い。そんな状況は、海外で試行錯誤し 「会社は私たちに何かを求めている」 。 た当初は、その意図がつかみきれなか た新人研修の日々とよく似ている。知 そう常に感じていた。成果を上げるた った」 と加藤は振り返る。 らない土地で苦労する矢崎の仲間と 社式を終えた新入社員として海外に送 めに現地では懸命に動き回った。大学 49 ページまでで見た新人研修生と で日本語教室を開いたり、日本の料理 同じ不安を、先輩社員も抱えていた。 を教える教室を持ったりするなど“先 自由な海外暮らしから、上司と先輩 できる人になる」。今思い起こせば、 も、その苦労を共感できる。 「文化の違いを知り、自分で行動が に囲まれる新入社員の生活。仕事にも あの海外研修は、そういうことだった。 料理教室では生徒からリクエストの 慣れておらず、語学や海外体験を生か AS で自分を試した数カ月間の体験は、 あった「カリフォルニア巻き」の作り す機会など、そうはない。AS 体験者 これから数十年働くかもしれない矢崎 方を教えた。そのために、事前にプロ はそんな迷路に入り込む。 での人生が、凝縮されていたのではな 生” としても活動した。 の板前に料理を習ったのはいい思い出 だ。忙しく駆け回った180 日間だった が、充実感と達成感を味わった。 矢崎勤務を凝縮した海外体験 それでも加藤は最近になって、心境 の変化を感じている。海外研修の意味 いか――。 矢崎で働く 1 9 万 3 0 0 0 人のうち、 90 %は海外拠点の人材が占める。 圧倒的に多い外国人社員に日本のモ 佐藤 洋平 ノ作りを教えるため、日本から 2001 年入社。人事部で人事企画 チームに所属する。海外研修では、 カナダで水泳を教えていた は勤務 10 年目くらいのベテラ ン社員が海外の拠点に出向する のが通常のコース。「海外で働 く」 。それは矢崎の日常であり、 特に驚くことでもない。「いつ かは海外に行って当たり前」 「海外拠点が矢崎の柱」 という空 気が、社内にはある。 国内にいても、海外を体感し ながら働く。 加藤の体験談のように、矢崎 社員に求められるのは、この考 え方だ。それは主力商品の特 加藤 理沙 2002 年入社。財務室で海外経理チ ームに所属する。カナダで日本料理 を教えるボランティアを体験した 50 NiKKei Business 2007 年 4 月 9 日号 性とも密接に関わってくる。 矢崎の主力商品「ワイヤハ ーネス(自動車用電線) 」 。一 (写真:沼田 雄司) 海外研修の狙いは強い人作り 赴任者は多岐にわたる。「入社 5 言で言えば、電線の束だ。電気部品 に電力や情報・信号を伝える部品 で、クルマにとっての血管や神経と 1 外国の異文化の中で生活し、 適応力と語学力を磨く な製品だ。 矢崎は独立系部品メーカーで、こ のワイヤハーネスの世界シェアで 3 割を握るトップ企業だ。 49 ページの図を見れば、工場・拠 点が海外(37 カ国、164 拠点) に分布 している様子が分かる。 望を聞かれる」 と加藤は話す。 女性社員の海外出向は、まだそれ 言える。重要な部品ではあるが、普 段はドライバーの目につかない地味 年目の女性社員でも、海外勤務の希 2 1人で時間を過ごして、 ほど多いわけではない。しかし、管 自ら考え動く癖をつける 理部門では既に米国などに出向して 3 外国で働けるように 精神力と体力を強める 4 他国の文化に興味を持ち、 柔軟に受ける力を持つ いる女性幹部社員もおり、その数は 少しずつ増えているという。 矢崎はこの 5 年で売上高を 1.4 倍 に伸ばした。それに伴って従業員の 数も正比例で増加している。海外赴 5 自分と正面から向き合い、 任者は、品質を担保するために現地 やりたいことを見つける の従業員に「仕事」を理解してもら 工場はトンアン、レオンに うことから始まる。 海外拠点と言っても米ニューヨー クや英ロンドンでの華やかな勤務は矢 らよいというわけではない。文化も生 崎の本流ではない。あくまで主力は途 活も違う外国人に日本の品質を我慢強 上国の生産拠点。ベトナムのトンアン、 く教える根気も欠かせない。 サモアでシャワーのない生活 例えば、サモアでの工場立ち上げは、 定時で働くといった概念のない人々 トルコのクズルク、ニカラグアのレオ 電線の束を作るのは、多くの人手が ン、サモアなどの地方が中心。国は知 いる労働集約型の仕事だ。現地の人々 た。当初は疲れ果てて帰ってきても、 っていても、工場のある町は一体どこ を大量に集めて、朝から晩まで作業す シャワーもなく、ボウフラが浮くドラ にあるのか。知っている日本人は多く る。同じ車種でもクルマによって顧客 ム缶の水で体を洗わなければならな ないだろう。 の好みが違うため、電装部品の仕様が い。都市生活に慣れた一般の日本人に そこには、大きな日本料理屋やレン 異なる。その仕様の通りに電線を組み は慣れていないことばかり。人道支援 タルビデオ店などはない。そもそも日 合わせるには人海戦術で対応するしか に臨むような覚悟を持って働かなけれ 本人の住人も少ない。中には風土病や ない。こうした地味な作業に耐える精 ばならない。 厳しい気候の土地もあるだろう。過去 神力も必要なのだ。 には社員が殺害された事件もあった。 実は、こうした手作業は 1990 年頃 に、働く意義を教えることから始まっ 人材開発室グローバル人事室部長の 大石斉は「だからこそ、あえてサモア それでもたくましい人 までは、日本国内でも 材を育てる必要があ 行われていた。地方の 文化の違ったサモアでカルチャーシ る。 人件費が安い地域に労 ョックを与えるためだ。 「ドラム缶を 働集約型の工場があっ 叩いてから水をすくえば、ボウフラを た。しかし、国内の労 すくわずに水を汲むことができる」 働人口の減少や高齢化 (大石) 。そんなことを研修生に教えた。 が進んだ。加えて、世 仕事とは関係のない、生活の知恵。し 界規模での競争を考え かし現地で生き延びるためには、そん れば、人件費の安い国 な生活を楽しめる人材が必要となる。 で製造しなければ自動 そうして加藤のように国内にいても 車メーカーからのコストダウンの要求 海外の苦労が想像できる姿勢が大切に に対応できない。 なる。日本にいれば携帯電話もきれい 一方で、タフガイな 静岡県裾野市の「Y-CITY」にある 男女の独身寮。施設内には交流 (右) するための酒場もある 要するに、途上国の田舎で、現地の (写真:沼田 雄司) で新人研修を行った年もある」 と話す。 なオフィスも言葉も通じて当たり前。 人々を仕切り、地味で厳しい仕事をや だが、異なる環境で仕事をする人々を り遂げること。これが矢崎の社員の仕 理解しないと、社内の結束は生まれな 事となる。 い。海外研修はその大事な一歩だった NiKKei Business 2007 年 4 月 9 日号 51 第 2特集 き先さえ告げれば、1 人で行動すること 外国人社員を熱烈な会社ファンに もできる。大相撲を観戦したり、有名な 史跡を訪れたりと、彼らならではの「東 矢崎の人材育成は、日本人内定者の海 外研修だけではない。 CITY(ワイシティー)」からクルマで 10 方見聞録」は写真とともにスケッチブッ 分ほどの合気道の道場(写真下)。武道 クの日記に綴られる。 幹部候補生として育てたい外国人社員 を初めて体験する彼らは師範の動きに倣 日記は、日本で彼らの生活を支えるコ の訪日研修にも力を注いでいる。名づけ って技をかける。 「痛い!」 。失敗して尻 ーディネーターとのコミュニケーション て「グローバル研修」。毎年、世界各国 もちをついて、思わず漏れた声は日本語 ツールでもある。 から幹部候補生を呼んで、1 年間にわた だった。 って日本語や日本文化などを体験学習し てもらうという“豪華旅行”である。 ある研修生の日記を見せてもらった。 昨年 11 月 3 日の観劇の様子が書かれて 「世界に通じる矢崎の価値を求めて日 いる。きれいな漢字を使って、細かい情 本に来た」 今年は、欧州、南米、アジアから 19 矢崎のトルコ工場でホンダのプロジェ 景まで観察している。友人やラーメン屋 人の男女が研修に参加した。日本文化を クトに関わるエンジニアのアクマン・イ について、何を感じ、何を考えたか。そ 知るために、矢崎が用意した合気道の練 スマイルは訪日の目的をこう語る。昨年 うした内容まで言及している。 習や、陶芸、書道プログラムを日々、受 12 月末に来日してから約 3 カ月。1 日 10 海外研修生は数日間、日本の家庭にホ 講している。 時間以上日本語の勉強を続けている成果 ームステイすることもあるが、おおむね か、彼は流暢な日本語で質問に答えた。 Y-CIT Y 内の独身寮を生活の拠点にす 言葉の違い、食 る。寮内にある「グローバル・パブ・ポル 本社機能が集まる静岡県の拠点「Y- べ物の違い、文化 カ」に集まり、彼らの共通言語である の違い。戸惑うこ 「日本語」で、 「矢崎の仕事はどうあるべ とは少なくないが、 きか」を夜遅くまで語り合うこともある。 日本での研修生活 しかし、その答えは十人十色。 トルコのイスマイルは「他国から来た は楽しいという。 社内研修だけで 幹部候補生と話していると、国によって なく、時には東京 矢崎の経営に対する考え方が違う。なぜ や伊豆へ旅行に行 違うのか、それを理解したい」と打ち明 くこともある。行 ける。 「QC(品質管理) ? カイゼン? 意味 語学や仕事だけでなく、合 気道や書道など日本の文 化にも触れる のだ。 矢崎本社に勤務する入社 7 年目の人 事部人事企画チームの佐藤洋平も、加 藤と似た思いを持つ。 佐藤もカナダのバンクーバー島で が分からない」 矢崎アルゼンチンから参加した日系 3 日々の国内勤務は国際感覚をつかむ準 強いからだ。その典型が、矢崎の国内 備期間でもある。 生産拠点「Y-CITY(ワイシティー)」 だからこそ 51 ページの表の狙いを 持つ海外研修での数々の体験を新人時 代に刷り込まれたのだ。 (静岡県裾野市) に見てとれる。 静岡にある「ヤザキ村」 AS を体験した。帰国してから英語は これだけ海外赴任が多くても現地に Y-CITY を工場や研究所が集約した 使わないが、既に同期の何人かはイン 残ったり、帰国後に転職したりする社 場所だと思って足を踏み入れると、そ ドネシアなどの海外で働いている。人 員は少ないという。逆に海外と国内勤 の「田舎町」のようなのどかさに驚か 事担当として、大変な国で働く仲間た 務を繰り返すうちに、現地の社員と結 される。敷地は約 17 万 m 2 に及び、社 ちに思いを寄せる。 婚するなど“矢崎色”を強める人材も 員ら1100 人が暮らす。 「矢崎の空気が 少なくない。 最も濃密な場所」 と形容される。 加藤も佐藤も 「次は自分の番」 という 覚悟がある。2 人とも異動の希望届け で、海外赴任の希望を出している。 52 NiKKei Business 2007 年 4 月 9 日号 これは矢崎が「家族主義」を標榜し 矢崎の世界展開を指揮するオフィス て、徹底的に社員の面倒を見る風土が 棟から社員の居住区に向かって歩く (写真:沼田 雄司) 世のレオナルド・アゴースティン・タジ 楽しさや悩みは重 マは、そう話す。言葉の意味が理解でき なる面もある。解決 ない、という意味ではない。日系人のタ のために矢崎本社や ジマはちゃんと日本語を理解している。 日本文化を知ることが タジマの言葉が意味するのは、こうだ。 大切。そんな考え方が日 日本で何十年もかけて鍛え上げた効率 本と矢崎への好奇心と探 究心を強める。 的な生産手法があるのかもしれない。そ れを矢崎ウエーと呼ぶなら、矢崎アルゼ そして日本での体験を現 ンチンは今、まさにそれを勉強して導入 地に伝える伝道師にもなって しているところだ。だが、そこに至るま くれるのだ。 実際に、矢崎のグローバル人 でのカイゼンの過程が見えなければ、 事室部長の大石斉は「座学中心の研 「なぜそのやり方がベストなのか」が分 修から、文化や生活の体験を中心 からない。 しかし、現地に駐在する日本人幹部は とした研修に切り替えた」と話す。矢 ただ「やれ」と命じる。「私たちの『な 崎に愛着を持ってもらえば、他社か ぜ?』に対して答えはない」とタジマは ら誘われても転職しないで、長く勤めて 話す。それでも、 「なぜ」 と日本人の上司 もらえる効果もある。 グローバル研修を始めた当初、東欧で に問い続けた。返ってくる答えはいつも 研修を終えた幹部候補生の多くが、他の 同じ。 「やれ」の一言。 日系企業に引き抜かれたことがあった。 日本には諺があるらしい。「石の上に も 3 年」。しかし、アルゼンチン人の気 「日本語が話せて、日本の文化を理解し 質は違う。理解するまで、そんなに待て ている現地社員の価値は非常に高かった るものか。「それなら自分が日本でベス のでしょう」と大石は話す。その反省か トウエーを見てこようと思った」とタジ らも、矢崎のファンとなってもらうため、 マは話す。 体験や議論を重視した研修に内容を深化 英国を拠点とする矢崎ヨーロッパの幹部 させてきた。 として働いている。 イスマイルやタジマの葛藤が示す通 研修中の見聞を日記にする。 文字は練習中の日本語 り、楽しさや仕事の悩みまで「日本の矢 矢崎では 2006 年までに 20 カ国から 日本人だけでなく外国人社員の間でも 崎」で共有する点にグローバル研修の肝 184 人を超える外国人の幹部候補生を受 国をまたいだ人事異動が始まっている。 がある。普段は世界各国に散らばり、離 け入れてきた。日本語研修の 1 期生とし 矢崎版国際交流で、異国勤務もいとわ れた土地で働く彼らも同じ会社の社員。 て参加したフィリピン人は、国を越えて ない外国人社員が増えていく。 と、プール横の空いた場所で、サッカ この城下町こそ、矢崎社員の帰る場 ーをして遊ぶ子供の姿を見かけた。敷 所なのだ。海外駐在を終えたら、ここ 地内には家族寮や独身寮のほかに、保 に戻る家族や、単身赴任の夫を送り出 このように矢崎関係者全員を包み込 育園やスーパー、クリーニング店など し、残る家族もいるだろう。社内結婚 み、厳しさの半面、優しさを長く提供 もある。さらに、かぶと虫を飼育する の夫婦社員には近い職場で働けるよう する。特に海外生産が増えるからこそ、 森や人工池まで揃っている。 に、転勤も配慮。夫婦ともに同じ場所 家族主義を守る。富士山を見上げるこ への人事異動もあるという。 の町からはそんな空気が流れる。 独身寮は男子寮と女子寮が同じ玄関 でつながり、寮内にある酒場「グロー バル・パブ・ポルカ」 で彼らは語り合い、 目立たず儲ける社風貫く は 20 年も続けてきた」 と人材開発室人 材開発部部長の小田將雄は話す。 しかし、グローバル経営と家族主義 を貫くのは簡単ではない。また拠点が カラオケでストレスを発散し、マージ 社員の子弟にも配慮する。親の仕事 増えていくと 「目立たず儲ける」 という ャンを打つ。それが矢崎にとって日常 を理解してもらうために、タイの工場 矢崎の社風にも変化が出てきそう。そ の風景であり、仕事と生活が深い人間 見学会と名づけた家族旅行制度を設け れらをどう捉えているのだろうか。 関係でつながる空気を生み出す。 ている。 「こうした取り組みを矢崎で (写真:沼田 雄司) 会長の矢崎裕彦に聞いた。 =敬称略 NiKKei Business 2007 年 4 月 9 日号 53
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