環境配慮型都市開発一考 中国・日本(PDF/325KB)

社会動向レポート
環 境 配 慮 型 都 市 開 発 一 考 ─ 中 国・日 本
― □□□□□□□□□□□□□□ ―
社会経済コンサルティング部
シニアコンサルタント
藤井 康幸
サステナビリティの観点から、日本の経験や状況とも対比しつつ、中国の大都市、特にエコシ
ティ開発を論じた。膨大な流入人口、グローバリゼーションの中で展開される世界の都市史上で
類を見ない壮大な実験である。
ルギー問題、地球環境問題といった点である。
1.はじめに
中国においては、経済発展、都市人口増大の中で、
本稿では、サステナビリティ(持続可能性)とそ
の3要素(環境、経済、社会)の観点から、日本の
エコシティ(中国語では生態城)と呼ばれる環境都
経験や状況とも対比しつつ、中国の大都市、特に進
市が建設中あるいは構想中である。その多くは大都
行中のエコシティ開発を論じる。
市部の未開発地を対象としている。一つの都市全体
を扱ったり、無から新都市を造ったりするものでは
ない。また、シティからは一定の居住機能が想起さ
環境は、今日の都市開発に欠かせぬ事項となり、
れるが、発表されたエコシティには、工業系やエネ
中国のエコシティ開発においても、最も注目度が高
ルギー拠点といった性格のものがみうけられる。そ
いものである。エコシティ自体が、最新の環境技術
の意味からは、環境拠点くらいの呼称のほうが正確
の適用、都市なりまちとしての統合を実証する場、
に実態を示すといえる。
01
2.環境
“環境ショーケース”と化している。
中国の特質はそのスケールの巨大さやスピード感
シンガポールの参加を得て進められている天津エ
にある。この規模と速さは、都市形成の歴史におい
コシティ(開発面積約30km2)では、大気質、再生
て、欧米や日本も経験したことのないものである。
可能エネルギー利用率、GDPあたりのCO2排出、
無論、日本は、1950年代の半ばから1970年代初頭
グリーンな交通、ごみ発生量などに亘り、開発を通
まで20年近くに及んだ高度成長期を経験し、大都市
じて実現すべき全26項目の環境面等の目標が設定さ
圏の膨張をみた。1992年のいわゆる南巡講和以降
れている。あらゆる建築物がグリーン建築物基準を
に限定しても、中国における高度成長の継続期間は、
満たすこと、90%以上の交通を公共交通や自転車・
既に日本のそれに肩を並べ、様々な懸念や課題を抱
徒歩とすること、70%以上の植生を在来種によるこ
えつつも、今しばらくは現在の発展が続くものとみ
と、域内就労可能者の50%以上を域内から雇用する
られる。
こと等、高いあるいは従来の着想にはなかった目標
1960年代前後と現在を比べた際に、外部環境が
設定といえる。もっとも、中国のエネルギー産業界
大きく異なっている点は重要である。グローバリゼ
の事情もあってか、再生可能エネルギー利用率目標
ーション、情報通信をはじめとする技術革新、エネ
は20%と、ハンブルクのウォーターフロント再開発
環境配慮型都市開発一考 ─中国・日本
のハーフェンシティ(HafeCity、再開発面積157ha)
(香港除き)で地下鉄の開通している都市は6都市に
の100%目標といった欧米の先進開発事例における
すぎず、14都市で現在、地下鉄が建設中である(王
設定水準に比して、決して高い水準とはいえない。
鋭(横浜国立大学)氏ブログ「中国での都市鉄道計
中国のエコシティ開発は、都市開発やインフラ整
画一覧」(2010年9月時点)による)。既存市街地か
備に関連する欧米や日本の企業にとっては、まさに
ら新開発地への公共交通はいかに確保されるのか。
ビジネスチャンスであり、中国側も自国に足りない
自動車保有台数では、北京が人口千人あたり167
技術を積極的に導入しようとしている。企業群では、
台(上海は同64台)と、日本の596台(いずれも
従来の都市ハードを中心に扱うプレイヤーに加え、
2007年データ(住友信託銀行(2010))との開きは
ICT系の企業が都市開発の構想全般に参入するとい
大きいが、中国の大都市は早晩、日本の水準に近づ
うのが新傾向である。
いてくるものと思われる。仮に、エコシティ内のグ
訓、長沙
中国では、現在進行する天津、唐山、深垣
リーン交通は実現できても、都市全体の交通体系は
などに加え、将来的には全国100箇所程度のエコシ
どうなるのであろうか。環境を標榜する開発が、皮
ティ開発が建設されるというが、その規模や立地は、
肉にもスプロール(都市の無秩序の拡散)になりか
既存の都市構造との連続性という点で懸念される。
ねない。
例えば、浜海新区と呼ばれる臨海部にある天津エコ
シティは、天津市中心部からは約40km離れている。
3.経済
天津の行政区人口は約1000万人に及ぶが、人口密
中国の経済成長の水準と期間は稀有のものといえ
度は、東京区部の面積の3割程度の中心6区において
る。先進国が安定成長に入り、一時的に高いGDP
高く、浜海新区を含むその外側では激減する(図表
成長率を達成した新興国があっても長続きせず浮沈
1)。天津市の北東に隣接する唐山市(人口約720万
があることを鑑みれば、中国の動向は突出している。
人)で進行中の曹妃甸エコシティについても状況は
得られたデータの関係から日本についての比較年を
同じである。曹妃甸地区は、唐山市中心部から
1969年からとしたが、1992年以降の中国の経済成
50kmほどの臨海部に位置し、開発面積160km2、開
長は、日本の高度成長期のそれを凌駕している(図
発最終時点の人口は100万人とまさに巨大である
表2)。
地下鉄は、建設単価も高く、人口と経済の集中す
300
China
250
200
150
100
yr 17
yr 16
yr 15
yr 14
yr 13
yr 12
yr 11
yr 9
yr 10
50
yr 8
(資料)中華人民共和国行政区画データ集(2006 年)
、平成
17年国勢調査
Japan
yr 7
0∼10km程度
10∼30km程度
30∼70km程度
30∼70km程度
20∼120km程度
350
yr 6
223
7
5
7
4
9
400
yr 5
3,860
173
1,350 1,884
1,000 1,987
1,500 2,093
1,690 4,483
9,400 10,620
東京圏の
左記距離帯
の人口密度
(人/km2)
139
83
27
27
−
yr 4
中心6区
郊外4区
浜海新区
外縁2区
3県
合計
都心からの
直線距離
yr 3
行政区
面積 人口密度
人口
(千人) (km2) (人/ha)
yr 2
図表 1 天津市の地区別の人口
図 表 2 日 本 と 中 国 の 世 界 全 体 に 対 す る 実 質
GDPの推移(日本について1969年を基準年とし
1986年まで、中国について1992年を基準年とし
2009年まで)
yr 1
29km2、30万人、千里ニュータウン12km2、15万人)。
yr 0
(日本の主要なニュータウンは、多摩ニュータウン
(資料)米国 USDA Economic Research Serviceの
International Macroeconomic Data Set より作成。
る都市らしい公共交通機関といえるが、中国の都市
02
グローバリゼーションの渦中にあるかどうかも、
がまだ見えない。
中国の都市の膨張をとらえる大きなキーワード、日
日本では、国によって選定された13の都市におい
本の高度成長期との相違点となる。中国のエコシテ
て「環境モデル都市」が展開されている。ここでは、
ィを含む今日の世界の大規模開発の多くでは、外国
持続社会を作り上げるのは市民一人ひとりにかかる
資本の参入とノウハウの導入を得て、展開されてい
ところが大きいとの認識のもと、市民の参画や市民
る。従来では都市開発は、地域というローカルな閉
意識の啓発が重視されている。特異な政治体制の国
じられた圏域で、行政と地元の民間企業が協調して
であり、中国のエコシティ開発に、市民の視点は少
なされてきた。日本風にいえば民間活力の活用、洋
ないものと思われる。
風ではPPP(パブリックプライベートパートナーシ
ップ)である。さらにそれより前は、偉大な都市プ
4.社会
ランナーの思想により部分が大きかった。20世紀初
中国を含むアジアについては人口が非常に多いも
頭のシカゴプラン、都市美運動のダニエル・バーナ
のの、未だ都市人口割合は低い水準にある。現在、
ム(Daniel Burnham)や“機能的都市”を謳った
中国の大都市では急速な都市への人口移動が進行し
1933年のアテネ憲章の中心人物であるル・コルビ
ている。経済成長同様に、日本の高度成長期と比較
ュジエ(Le Corbusier)などである。
した際にも、中国の都市人口割合の増加のスピード
本を含む多くの国で確認される。各国主要都市はこ
150
うした情勢にあり、国際競争力を高めることに躍起
140
となっている。そこでは、器としての都市は、よく
130
いえば国際経済に導かれ、悪くいえば振り回されて
120
いる点はないだろうか。
110
持続するまちのために思案を巡らせ、市民もそれを
yr 12
yr 13
yr 11
yr 9
yr 10
yr 8
yr 7
100
yr 6
家並びに地域行政がより良いまち、魅力があるまち、
China
yr 0
中国のエコシティ等の大規模開発においては、国
Japan
yr 5
市の隆盛と第二都市(群)の相対的な地位低下は日
図表3 日本と中国の都市人口割合(日本につい
て1960年を基準年とし1973年まで、中国につい
て1992年を基準年とし2005年まで)
yr 4
伝統的に主要都市分立型のドイツを除いて、第一都
yr 3
で主要都市の役割分担がなされている例、さらには
が確認できる(図表3)。
yr 2
をもたらす。米国、中国、インドなど、国土が広大
は日本の高度成長期のそれを上回るものであること
yr 1
グローバリゼーションは、人、モノ、カネの集中
(資料)NationMaster.com データより作成。
考える。無論、都市の開発、運営、維持管理に関わ
03
る様々な企業群も、自らの本拠地であるなしにかか
今後、2025年までに中国の都市人口が2.5億人増
わらず、少なくとも一定割合はビジネスベースプラ
えるとし(McKinsey Global Institute (2009))、
スα の都市づくり・まちづくりに参画する。いずれ
100箇所のエコシティが各30万人の人口規模で建設
にしても、MOU(ビジネス上の覚書)をもって、
されるとしても、そこで収容できる人口は、増加都
国外資本が大々的に参画する都市開発は新たな試み
市人口の1割強にすぎない。エコシティの居住者に
である。様々な思惑を持つプレイヤーを束ね、でき
は当然に、近辺からの転居者が一定数見込まれる点
あがったまちをマネジメントしていく主体は誰にな
を考慮すれば、エコシティによる実質的な収容割合
るのか、建設中の中国のエコシティでは、この部分
はもっと低いものとなろう。
環境配慮型都市開発一考 ─中国・日本
中国の大都市の住宅価格は高騰を続け、上海や北
持続する都市社会である。
京では、住宅平均価格は、世帯あたり年間可処分所
都市学者が好んで用いる用語に“indigenous(生
得の20∼30倍にも達しているという(日本銀行
来の)”というものがある。都市は時間をかけて成
(2010))。世帯あたり年間可処分所得はおそらく平
熟するものであり、そこにしかない固有のものであ
均値を意味するであろうから、中央値で統計をとれ
ることが理想である。悠久の歴史を誇る中国の都市
ば、20∼30倍という数字はさらに大きくなると思
の“型”とは何だろうか。まちの写真を撮って、中
われる。富める者がいっそう富み、そうでない者が
国か日本か西洋か、どこの都市かわからぬようでは
なかなか社会的階段を登れないというのがグローバ
型とはいえない。膨大な流入人口、グローバリゼー
リゼーションのもたらす負の一面である。中国では
ションの中で展開される大都市やその一部としての
都市内、都市対農村ともにジニ係数は拡大基調にあ
エコシティの整備開発は世界の都市史上で類を見な
る。
い壮大な実験である。
こうした状況下にあり、エコシティ開発は、中国
中国もいよいよ、2033年頃に人口は15億人でピ
政府当局が政策課題の一つとして掲げる「農村労働
ークとなるとされる(中国国家人口計画出産委員会、
力の都市部への秩序ある流動の促進」に一役を買え
2009年)。その点からは、将来的な高齢化、世帯構
るのであろうか。例えば、天津エコシティでは、
造の変化、都市内の部分的な縮退(シュリンケージ)
20%の住宅をアフォーダブル住宅(低中庸所得者向
も織り込んだ都市計画・開発が展開されることが望
け住宅)とすることが盛り込まれているが、これは
ましい。既に人口減少高齢社会に入った日本の取組
いかに実現されるのであろうか。ピカピカの環境配
が、中国をはじめとする諸外国から参照される先例
慮型住宅に住まう人と、密集した既存市街地に地方
となっていくべきである。
部から流入する人は、いかに選定され、差別感なく
事が運ぶのであろうか。
日本の高度成長期においては、団地というそれま
でになかった集住空間といわゆる木賃住宅が、地方
部から大都市に流入した労働力の受け皿となった。
高齢化や防災上の課題を抱えつつも、大都市におい
ても、それなりのコミュニティが形成され、現在に
至っているというのか身贔屓であろうか。
5.まとめ
参考文献
日経ビジネス(2010)
「特集 スマートシティ」2010年9
月6日号
住友信託銀行(2010)
「経済の動き∼中国自動車市場の
現状と展望」住友信託銀行調査月報2010年2月号
McKinsey Global Institute(2009)Preparing China’s
Urban Billion
日本銀行(2010)
「最近における中国の不動産価格の上
昇について」日銀レビュー2010年3月
Jane Jacobs(1961)The Death and Life of Great
American Cities, Random House
ジェイン・ジェイコブズ(Jane Jacobs)は、連
邦政府等の行政が主導したスラムクリアランス型都
市整備全盛の時代に著した名著『アメリカ大都市の
死と生』において、都市においては、小さな単位で
用途を混合させ、所得や世帯構成においても様々な
人が住まうべきとする趣旨のことを説いた。まだサ
ステナビリティの概念がなかった確立されていなか
った時代において、言わんとしていることはまさに
04