市場細分化が創造する市場 - 日本マーケティング学会

Japan Marketing Academy
★
論文
市場細分化が創造する市場
笊 ――― 本論文の目的
笆 ――― 現代市場におけるSTPの重要性
笳 ――― 市場細分化の有効性に対する問題提起
笘 ――― パナソニック「レッツノート」の事例
笙 ――― ワコール「スタイルサイエンス」の事例
笞 ――― ローソンのマルチフォーマット戦略の事例
笵 ――― ディスカッション
清水 信年
題に対するマーケティング研究およびマーケ
● 流通科学大学 商学部 准教授
ティング実務の両面における萌芽的な取り組
みは,いずれも 20 世紀初頭の米国に現れてい
笊――― 本論文の目的
た。
Shaw(1915 ; 1916)は「市場等高線」概念
「市場細分化(マーケット・セグメンテー
を提示し,さまざまな経済的階層や社会階層
ション)」の概念は,市場において企業が直面
から構成される市場において需要創造を実現
する買い手の異質性・多様性を前提として,
するための市場分析の重要性を主張した。
マーケティング計画に際して考慮すべき重要
1923 年にゼネラルモータズ社の社長に就任し
な思考・分析の枠組みとして,マーケティン
たアルフレッド・スローンは,フォード社の
グ・マネジメントを解説する多くのテキスト
モデル T が普及していた米国自動車市場にお
ブックで広く紹介されている。その一方で,
いて,低所得階層から上層階級まで階層ごと
消費者ニーズのますますの多様化や製品のコ
に異質のニーズが現れ始めていたことに対応
モディティ化といった問題に対応するための
し,フルラインの多車種大量生産という体制
ツールとしては,市場細分化はその有効性を
を 1920 年代後半に構築した。その後,Smith
失っているということも指摘されている。
(1956)や Kotler(1967)などによって,市場
本稿では,そうした市場細分化概念が市場
細分化概念は「製品差別化」あるいは「ポジ
環境に適応するための受動的なマーケティン
ショニング」の概念とともに,大量生産・販
グ計画をもたらすのではなく,新たな市場を
売を前提としつつ異質なニーズを持つ買い手
創造することにつながる積極的な側面を持っ
の需要を獲得する,というための重要な活動
ていることを,複数事例を用いて主張したい。
として認識されるようになった 1)。
日本においても,1980 年代半ばにおける
笆――― 現代市場における STP の重要性
「少衆」「分衆」論争などに表れているように,
消費者ニーズが異質・多様であることは,高
市場を構成する消費者の異質性,という課
度経済成長期以後の市場環境を理解するうえ
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での大前提であったと言ってよいだろう。し
グメントにおける平均的な嗜好であり,それ
たがって,そうした現代の市場における企業
に合わせてすべての顧客が行動するというこ
のマーケティング戦略に関する多くのテキス
とはないからである。
トブックにおいて,市場細分化概念はひろく
しかしながら,これは市場細分化概念の限
紹介されている。
界を指摘する主張としては少々粗すぎる。た
Kotler and Keller(2005)に代表されるよ
しかに,消費者ニーズが複雑さを増している
うに,市場細分化はセグメンテーション,タ
現代市場において,細分化基準としてデモグ
ーゲティング,ポジショニングという,いわ
ラフィック要因のみを用いていては,セグメ
ゆる STP という一連の活動を解説するなかで
ント毎の消費者における知覚や選好を理解し
取り上げられる。STP は,それに先立つ事業
たり,それにもとづいて適切なマーケティン
戦略策定や市場調査活動とともにマーケティ
グ・ミックスを展開したりすることは難しそ
ング計画の重要なプロセスとされ,それにも
うだ。しかし,単純なデモグラフィック要因
とづいてマーケティング・ミックスが適切に
のみが細分化基準ではない,ということはす
展開されることの重要性が強調される 。
でに Yankelovich(1964)が半世紀近く前に
2)
指摘していることであり,その後のマーケテ
笳――― 市場細分化の有効性に対する
問題提起
ィング研究・消費者行動研究における分析手
法の発展や,購買履歴データを収集・活用す
るための近年の情報通信技術の進化などによ
ところが,STP を軸にしたそうした教科書
り,市場細分化基準に対する理解は非常に進
的なマーケティング計画を行っていては,昨
んでいるのである。
今の市場環境では逆に効果的なマーケティン
デモグラフィック要因によって切り分けら
グ活動が展開できない,という問題提起がみ
れた市場セグメントでは消費者ニーズの異質
られるようになってきた。それらは,とくに
性を捉えられないという指摘は,間違いでは
市場細分化概念に対して指摘されており,以
ないかもしれないが市場細分化概念の限界を
下の二点に整理できるだろう。
表しているとまでは言えない。Kotler(2004)
まず,従来の市場細分化の枠組みでは顧客
が指摘するように,それはありきたりなデモ
ニーズに合致した商品イノベーションを実現
グラフィック要因しか用いようとしないマー
することはできない,という点である。
ケティング実践上の問題を指摘しているもの
Christensen et al.(2005)は,多くのマーケ
と捉えるほうが妥当だろう。
ターたちが法人顧客の企業規模や消費者のデ
もう一つの市場細分化の有効性に対する問
モグラフィックスにもとづいて市場セグメン
題提起は,そもそも市場を細分化するという
トを分類しているが,各セグメントを代表す
考え方自体に対するものである。恩蔵(2007)
るような顧客ニーズに対応した商品を設計し
は,STP を中心とする伝統的なマーケティン
ても,それは購入にはつながらないと指摘す
グ理論がコモディティ化している市場におい
る。なぜなら,そのようなものはあくまでセ
ては有効性を失っていると指摘し,その理由
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市場細分化が創造する市場
として,セグメンテーションを繰り返すこと
たりという意味での市場創造を果たしたこと,
によってセグメントの規模が小さくなり,新
である。以下,これらの条件にあてはまる,
製品を投入するに値する余地が失われていく
企業ユーザー向け製品,消費者向け製品,小
という点や,STP 型のマーケティング発想で
売業の各事例を紹介する。
はどうしても既存の製品カテゴリーに縛られ
笘――― パナソニック「レッツノート」
の事例
てしまい,革新的な製品を生み出すことには
つながらないという点を挙げている。
また,石井(2009)も STP の手法には限界
があると指摘する。それは,そもそもセグメ
松下電器産業(現・パナソニック)が 2002
ンテーションを行なうための前提となる市場
年 3 月に発売したノートパソコン「レッツノ
全体をどう捉えるか,という「市場の定義」
ート CF-R1」は,バッテリー駆動時間が 6 時
が重要なのであり,既存市場の動きの後追い
間で本体重量が 960g,というインパクトのあ
のような考え方をしていては,有望な市場機
る軽量・長時間駆動の製品だった。その後,
会を見逃してしまったり,意外な参入者に市
同様の特徴を持たせたレッツノート・シリー
場を奪われてしまったりする危険性があるか
ズが展開され,モバイル PC(持ち運びされる
らである。
ことを前提としたノートパソコン)のカテゴ
リーでトップシェアを占めるに至った( 図
本稿では,現代市場における市場細分化概
3)
表− 1)
。
念の限界として挙げられたこの二点目の指摘
レッツノート・シリーズ自体は,1996 年に
について,検討を加えたいと考えている。そ
れは,実際には近年の日本市場においても,
初代モデルが発売されており,パソコン販売
顧客のターゲットを絞り込むことによって成
店や熱心なユーザーの意見を積極的に取り込
果をおさめた事例がいくつも存在するからで
むことによって,「れっつらー」と自ら名乗る
ある。この検討を通じて,市場細分化が,既
熱烈なファンを中心とした支持を得ていた。
存市場を前提とした革新性に乏しいマーケテ
ところが,1997 年 11 月にソニーが発売した
ィング活動をもたらすのではなく,むしろ新
B5 ファイルサイズのモバイル PC「VAIO
しい市場を創造するという展開につながる側
PCG-505」が大ヒットし,レッツノートの販
面も持っていることを明示したい。
売動向も影響を受けた。市場では,VAIO の
以下でとりあげる三つの事例は,次の二つ
特徴であるデザインの良い外観と充実した
の条件にあてはまる新製品あるいは新事業の
AV ・インターネット関連の機能と似たよう
展開事例である。それは,まず当該企業がそ
な特徴を備えた薄型パソコンが,他社からも
れまで展開していた製品・事業と比べてター
続々と展開されるようになった。それまで,
ゲットとする顧客層をより細分化した取り組
一部のビジネスパーソンやマニア層が主要ユ
みであること,そして,その結果としてその
ーザーだったモバイル PC が,その他の消費
製品・事業領域における当該企業の市場シェ
者にも購入されるようになり,2000 年前後に
アが伸びたり新たな顧客層の開拓につながっ
このカテゴリーの出荷台数が大きく伸びた。
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■図表―― 1
日本におけるモバイル PC 出荷台数の企業シェア
30.0%
25.0%
パナソニック
東芝
NEC
Lenovo
Dell
ソニー
富士通
HP
Apple
シャープ
その他
20.0%
15.0%
10.0%
5.0%
0.0%
2001
2002
2003
2004
2005
2006
出所 : 清水(2009),73 頁。
注:原データは IDC Japan「
『ウルトラポータブル』の出荷台数」であり,同データでの「ウルトラポータブル」の定義は,持ち
運びを前提とした形状で 12 インチ以下のディスプレイを搭載したモバイル PC である。
そうした状況で松下が「CF − R1」を発売
軽量・長時間駆動のモバイル PC を選ぶよう
するにあたり,同社ではレッツノート・シリ
なビジネスパーソンにとっては,使用中の落
ーズのコンセプトを「ビジネス・ユースを想
下やカバンの外から与えられる衝撃,満員電
定し,軽量・長時間という点で際立った特徴
車の中で押しつぶされるような圧力を受ける
を持たせる」という点にはっきり定めた。つ
ことなどがあっても製品が耐えるというタフ
まり,それは PC を持ち運んで使うビジネス
さが重要になるわけだが,実際にそうしたユ
パーソンをターゲット顧客にするということ
ーザーの使用状況を調べてみると,単に堅牢
であり,他社製品のようにデザイン面や機能
であることだけがタフさとして求められるわ
面で消費者受けするような製品を展開すると
けではなく,雨天時の屋外使用や飲み物が隣
いう方向性はとらない,という決断である。
に置かれたような状況における水へのタフさ
加えて,それまでレッツノートを支えてくれ
(防滴性能),ビジネスウーマンの指の長い爪
ていたマニア層のファンのニーズも最優先に
やハンドクリームに含まれる界面活性剤に対
することはしない,ということも意味するも
するキーボード印刷面のタフさ,なども必要
のだった 4)。
であることに気づかされた 5)。あるいは,流
しかし,そうしてビジネス・ユースにおけ
行を追わないデザイン性であることが,かえ
る軽量・長時間という特徴に焦点を絞ったこ
って企業ユーザーにとっては評価される場合
とで,レッツノートの開発担当者たちはさま
があるという側面があることもわかった。
ざまなことを発見できたという。たとえば,
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レッツノートの担当部門では,顧客企業の
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IT 担当者を招いての「PC カンファレンス」
体に関する基礎研究を続け膨大なデータや研
を開催したり,一括導入している顧客企業を
究成果を蓄積している「ワコール人間科学研
訪問する「CRM 定例会」を実施したりして,
究所」があり,スタイルサイエンスの製品開
そうしたモバイル PC のタフさやデザイン等
発を支えている。
に関する気づきを得ることができる場を設け
その研究所が 1990 年代前半に実施した顧客
ている。保守管理サービスや一括カスタマイ
調査において,「ヒップやおなかを引き締めた
ズの対応など,消費者向けとは大きく異なる
い」と考える女性が 8 割以上いるという結果
販売やサポート体制も求められるビジネス向
が出た。つまり,大半の女性がそのような願
けモバイル PC 分野で,同社は顧客関係の形
いを持っているということだが,そうした体
成と維持に注力している 6)。
型改善のために何かしているかという,さら
に踏み込んだ質問に関しては,「腹筋運動や食
笙――― ワコール「スタイルサイエン
ス」の事例
事制限に取り組んだ」ものの「持続しなかっ
た」という回答者が 4 割いたという。そうし
た,「ラクして体型を改善したい」と考えてい
ワコールのアンダーウェア「スタイルサイ
そうな人たちに対して,身につけているだけ
エンス」は,着用して 1 日 6000 歩以上・週 5
でエクササイズ効果がもたらされる製品を提
日以上歩き,それを最低 1 ヶ月継続すること
供できれば,購買意欲を刺激する効果が大き
で筋肉が刺激され体型の引き締め効果が得ら
いだろうと考えたことが,ヒップウォーカー
れる,という機能を備えた製品群につけられ
開発のきっかけだったという 11)。
たブランドである 7)。
ただし,それでも 1 日 6000 歩・週 5 日・ 1
女性用インナーウェア市場は,製品単価の
ヶ月というノルマをこなすのは,そうした挫
下落やブラジャーなどの機能の陳腐化といっ
折経験のある女性たちにとってはハードルが
た要因から,1996 年に国内販売額 4564 億円
高いものだろう。2006 年 7 月,同社はそうし
であったものが,2006 年は 4060 億円まで落
た「愛すべきなまけもの(継続着用できそう
ち込んでいた 。そのような状況のなか,
にない購入者のことを,同社がそう名付けた)」
2005 年 7 月に同社が発売した,ヒップアップ
をインターネット会員として組織化する「ス
効果を狙った最初の女性向け製品「ヒップウ
タスタ部」ウェブサイトを開設した。ここで
ォーカー」は,年末までに計画の二倍以上と
は,製品の説明情報なども掲載されているが,
なる 70 万枚を販売するヒットとなった 9)。翌
主には同社と製品購入者,および製品購入者
年以降も,腹部の引き締め効果を目的とした
同士のコミュニケーションを促進することが
8)
「おなかウォーカー」や「スタイルアップパン
目指されている。
ツ(おなか)」などのシリーズを展開し,2009
たとえば,「愛のムチプログラム」である。
年 9 月末までに累計 1100 万枚以上を販売して
これは,30 日間の継続着用をフォローするた
いる 。
めの楽しい仕掛けであり,同サイトに二日間
10)
同社には,1964 年の設立から日本人女性の
ログインをしないと,部のコーチ役である
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「愛ムチスト」からの檄がメールで届く。その
そうなってしまっては製品のもつ価値が購入
代わり,そのメールを一度も受けずに 30 日の
者に実感してもらえず,逆にネガティブな印
継続着用を達成したり,7 日目・ 15 日目・ 30
象を持たれてしまう恐れがあったのである。
日目の「スタイルチェック」を受けたりする
同社では,このスタスタ部の取り組みによ
と,賞品プレゼントへの応募に使えるマイル
って,会員との関係性継続,クロスセルへの
が貯まる。2010 年 1 月末現在,このプログラ
誘導,リアルでの口コミ伝播などの効果が得
ムを達成した会員数は延べ約 3 万 6000 人とな
られていると捉えている。また,会員とのコ
っている 。また,会員同士がお互いに励ま
ミュニケーションから得られた情報を,商品
しあったりエクササイズを続けるための情報
の改善や売り場での提案方法などにも活用し
交換をしたりするための BBS もあり,多くの
たいと考えている。
12)
書き込みが行なわれている。
笞――― ローソンのマルチフォーマッ
ト戦略の事例
こうしたサイトを開設した目的として,ま
ずスタイルサイエンス製品が説明を要するタ
イプのものであり,また購入後もきちんと着
大手コンビニエンス・ストア・チェーンの
用しエクササイズ効果を得られるようフォロ
ーする必要性が高かった,ということがある。
ローソンは現在,コンビニ業態において複数
同社は製品を小売店を通じて消費者に販売し
の店舗フォーマットを同時に展開するという
ているわけだが,量販店の売り場だと販売員
マルチフォーマット戦略を推進している 13)。
が来店客にきちんと製品説明をすることは期
経営危機に陥ったダイエーが 2000 年に子会
待できず,百貨店や専門店であっても購入後
社ローソンの株式上場を行ない,当時すでに
の継続着用を促すようなフォローまでするこ
業務提携関係を持っていた三菱商事がローソ
とは不可能である。単に機能性が高い製品を
ン株を順次取得して,2001 年 2 月に同社の筆
販売して終わりということではなく,それを
頭株主となった。翌年,三菱商事出身の新浪
情報という付加価値とともに顧客へ届けるた
剛史氏がローソン社長に就任して以降,新経
めの手段として,インターネットが適してい
営陣は不採算店の閉鎖や立地替えも含めた経
たのである。
営効率の向上と,「おにぎり屋」シリーズの展
また,その情報についても企業側から押し
開をはじめとする商品企画活動のてこ入れを
付けるようなものではなく,購入者同士が同
実施した。あわせて,異業界の企業・組織と
じ目線で自らの経験談などを交換したり,励
の協力関係を構築しながら「ホスピタルロー
ましあったり感動を分かち合ったり,といっ
ソン」「ナチュラルローソン」「ポスタルロー
た形のコミュニケーションが行なわれ,会員
ソン」「ファーマシーローソン」など,実験的
たちのモチベーションが維持されることが重
な取り組みを含めて従来の標準的なコンビニ
要だと考えられた。一般にこうしたシェイプ
エンス・ストアとは異なる立地への出店や新
アップやダイエットのための製品は使用者が
たな店舗フォーマットの導入といったことも
飽きやすく継続しにくいとされる。しかし,
始められていた。
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そして 2005 年 5 月,「ローソン」「ナチュラ
府県への出店をコンビニエンス・ストア・チ
ルローソン」「STORE100 」の 3 タイプによ
ェーンで初めて達成した。
14)
るマルチフォーマット体制をとることを発表
一方,三菱商事傘下となって以降に本格展
した。さらに,ローソンストア 100 の事業化
開された 3 つのフォーマットは,これまで長
で得た生鮮食品販売・仕入れの技術や有効な
い間コンビニエンス・ストア経営の課題であ
立地に関するノウハウなどを活用し,既存の
ると言われながらどのチェーンも開拓できて
ローソン店舗のなかから商圏の条件などによ
いなかった,若年男性以外の顧客層をターゲ
って品揃えや店舗フォーマットの変更を施し
ットとしている。その成功のために,市場セ
た「ローソンプラス」の展開を,2007 年 1 月
グメントごとに店舗フォーマットを変えて消
から本格化した。
費者にアピールし自らノウハウを蓄積するだ
2009 年 2 月末の時点で,実験段階にあると
けでなく,それぞれのビジネスに必要な技術
思われる店舗フォーマットを除いて,図表− 2
や経営資源の獲得を目的にしたと思われる業
にあるような 4 タイプがローソンの主要フォ
務提携や企業買収にも積極的である 15)。
ーマットとなっている。
従来の枠にとらわれない新しい店舗フォー
「ローソン」は,他社のコンビニエンス・
マットを開発する試みは,コンビニ市場の規
ストア・チェーンと同様に,比較的幅広い層
模が飽和しつつあるといわれる近年,ローソ
をターゲットとした店舗フォーマットである。
ン以外の他チェーンも手がけてきている。た
ダイエー子会社時代のローソンは,そうした
だし,複数のフォーマットを同時に全社的な
店舗の全国展開を提携や買収なども繰り返し
戦略として展開しているという点で,ローソ
ながら急ピッチで進め,1996 年に全 47 都道
ンは明らかに他社と異なる方向に進んでいる。
■図表―― 2
ローソンのマルチフォーマット概要
店舗ブランド名
イメージカラー
ローソン
青
ナチュラルローソン
えんじ又はクリーム
ローソンストア 100
緑と赤
リーズナブルな価格
コンセプト
多目的に対応
健康的なライフスタイル
ターゲット顧客層
若年男性を中心
とした幅広い層
都会で働く若年女性
商品・サービス
日用品、新製品中心
便利なサービス
販売アイテム数
「ローソン」と
共通のアイテム
およそ 2,800
健康と美のアイテム
ライフスタイル提案
高付加価値
およそ 2,500
-
およそ 60%
ローソンプラス
オレンジ
ハイブリッド
(住宅地商圏タイプと
高齢者商圏タイプ)
主婦もしくは高齢者
主婦,
学生,
50代以上の高齢者
生鮮食品の充実
「ローソン」と
「ローソン」の廃番品 「ローソンストア100」
サービス商品なし
の組み合わせ
およそ 4,500
店舗による
およそ 10%
店舗による
「ローソン」既存店
立地
全国
大都市圏
都市圏
からの転換
価格帯
標準的
高価格帯を含む
ワンコイン(税込み105円)
標準的
3温度帯別
3温度帯別
3温度帯別
ロジスティクス
3温度帯混載1日1回
(チルドは1日3回配送)(チルドは1日3回配送)
(チルドは1日3回配送)
1号店の開店年
1975年
2001年
2005年
2007年
店舗数
7,762
93
925
747
( 2009年 2月末)
出所:清水(2010)
,186 頁。
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とくに,最大手のセブン−イレブン・ジャパ
場環境は,いずれもコモディティ化の進行や
ンでは新しい店舗フォーマットをチェーン展
市場の成熟化といった問題が指摘されている。
開するということを明確に否定している。ま
そのなかで,レッツノートは他社製品から差
た,ローソンに次ぐ売上規模であるファミリ
別化された特徴を持つことによってターゲッ
ーマートも,店舗での生鮮食品取り扱いには
ト顧客から大きな支持を得るようになり,ス
積極的であるものの,そのための別フォーマ
タイルサイエンスはそれまで存在しなかった
ットを展開することは行なわれていない 。
ような機能性下着の新しいカテゴリーを創造
16)
ローソンの場合,ダイエー子会社時代に推
した。ローソンのマルチフォーマット戦略は,
進した全国出店の結果,お互いに商圏が重な
まだその企業業績に対する貢献を財務数値で
っている店舗が多かったり,コンビニエン
表すことが難しい段階だが,新しい顧客層の
ス・ストアの主要ユーザーである若年男性の
開拓とマルチフォーマット体制の本格化が着
人口比率がそれほど高くない高齢化が進む地
実に進んでいるように見える。
域にも多数の店舗が存在していたり,といっ
こうした成果に対して,市場細分化概念が
た事情があり,そのことが影響してマルチフ
どのような役割を果たしていると考えられる
ォーマットを展開するという戦略がとられた
だろうか。まず共通して見出されるのが,絞
可能性がある。また,三菱商事という総合商
り込んだターゲット顧客についての理解が,
社が抱える多様な業界や企業との取引関係を
実際の製品・事業の展開が始まって以降によ
活用し,従来とは異なる店舗立地や品揃え拡
り深まっているという点である。
大の機会を得たということも,新しい店舗フ
レッツノートの場合,モバイル・ユースが
ォーマットを展開する契機となっていること
多いビジネスパーソンがモバイル PC に対し
も考えられる。
て求めるタフさやデザイン性について,実際
ローソンのマルチフォーマット戦略は,本
の新型モデルを発売してからさらにその意味
稿執筆時点でもまだ実行中のものであり,そ
についての理解を深め,それを後継モデルの
の成果についてはまだ評価が難しい。ただし,
仕様や広告表現などに反映させることによっ
いくつかの雑誌記事などを参照すると,新フ
て,さらなる支持を得ることができるよう努
ォーマットに転換することで当該店舗の日販
力を続けている。使用を想定するユーザーを
が相当増加したり,ターゲットとした新たな
絞り込んだからこそ,見えてくるものや集ま
顧客層の来店が実現したり,あるいはフラン
ってくる声があるのだと言える 18)。
チャイジーの店舗オーナーの意欲が高まって
スタイルサイエンスにおいては,「愛すべき
きていたり,といった成果が現れていること
なまけもの」が集うインターネット・コミュ
が報道されている 17)。
ニティを開設できたことによって,ユーザー
共通の使用経験や感想,悩みなどについての
笵――― ディスカッション
情報を得ることができている。同様にユーザ
ー側にとっても,同じような状況におかれて
以上にとりあげた三つの事例が直面する市
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いる他のユーザーとそこで情報交換できるこ
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とによって,製品の使用方法などについての
創る顧客の役割が重要だからである。
理解が深まっていることだろう。
しかし,ここで主張したいのは,(関係性マ
ローソンは,2001 年に 1 号店を開いた「ナ
ーケティング論が議論の主な対象とするよう
チュラルローソン」,2005 年から展開を始め
な)限られた数の特定顧客を相手とするビジ
た「ローソンストア 100」とも,実際に店舗
ネス領域や,じかに顧客と接するサービス業
を運営するなかで品揃えや立地条件などに関
においてのみ,優良顧客や標的顧客を明確に
してターゲット顧客がどのようなものを求め
することが重要なのではないという点である。
ているのか試行錯誤や実験を重ね,そこから
不特定多数の顧客を前提とするような製品や
軌道修正を行なったりチェーン展開・フラン
事業の展開においても,ターゲット顧客を絞
チャイズ展開するための仕組みを構築したり
り込むという市場細分化概念は事前のマーケ
している。また,そうしたノウハウの中から
ティング計画のプロセスだけでその役割を終
既存のローソン店舗にも導入することができ
えるのではなく,マーケティング活動が行な
るものを見出し,商圏の特性に応じて店舗フ
われた後のプロセスにおいて顧客理解の深化
ォーマットを転換する「ローソンプラス」の
をもたらし,そのことが市場創造にもつなが
本格展開にもつなげている。
るということが,本稿で示した三つの事例か
ターゲット顧客についてのそうした理解を
ら示唆されることであった。市場細分化や
深めるために,継続的なコミュニケーション
STP の重要性を解説するマーケティング・マ
が可能な仕組みを持っていることも共通して
ネジメントのテキストブックにおいても,あ
いる。レッツノートは主要な法人顧客との間
るいは実際のマーケティング実践においても,
での PC カンファレンスや CRM 定例会で,ス
市場細分化概念のこうした側面についてもっ
タイルサイエンスはスタスタ部サイトで,そ
と意識が向けられるべきだと考える。
してローソンの新店舗フォーマットにおいて
は実際のコンビニエンス・ストア店頭で,そ
注
1)市場細分化概念の萌芽に関するここでの記述は ,
近藤(1988)第 2 章および第 6 章,米谷(2001)第
4 章,仁平(2006)のレビューを参照した。
2)こうしたマーケティング計画のプロセスは,消費
者を対象としたマーケティング活動だけでなく,
産業財マーケティングにおいても同様に行なわれ
ることが主張される。なお,コトラー流の STP の
解説では,実行される順番についてもマーケッ
ト・セグメンテーション→ターゲティング→ポジ
ショニングという略称の順番どおりで解説が行な
われるが,製品差別化についての理解が市場細分
化についての理解に先立って行なわれる必要性を
意図した高嶋・桑原(2008)や,ポジショニング
をマーケット・セグメンテーションよりも前に行
なうことのビジネス上の意義をより積極的に主張
する石井(2010)のようなテキストブックもある。
うしたコミュニケーションを実現できている
のである。
顧客との継続的なコミュニケーションを重
視する関係性マーケティングの議論でも,顧
客を選別することの必要性は強調されている。
あるいは,サービス・デリバリー・プロセス
における顧客参加が不可欠となるサービス・
マーケティングの領域においても,標的顧客
を明確化することが求められる。前者は,優
良顧客との継続的関係を実現することが競争
優位をもたらすからであり,後者の場合は高
いサービス品質やブランド価値を企業と共に
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★
論文
3)本事例の内容は,清水(2009)にもとづく。また,
石井・水越(2008)および 室(2009)を参照し
た。
4)もう一点,付け加えると海外ではなく日本のビジ
ネスパーソンをターゲットにしている。レッツノ
ートの販売はほとんど日本市場向けである。
5)レッツノートの生産およびアフターサポートは同
社神戸工場で行なわれており,こうした発見は神
戸工場にユーザーから戻ってきた故障品や破損品
からももたらされることができたという。なお,
そうして見出したタフさという特徴の多様な意味
を製品に反映させたのは,2005 年 5 月以降に展開
をはじめた「第二世代」レッツノートからである。
(2009 年 12 月 1 日に筆者がパナソニック株式会社
AVC ネットワークス社 IT プロダクツ事業部国内
営業グループの向坂紀彦氏より伺ったお話にもと
づく。)
6)現在のレッツノート販売における法人顧客向けの
比率は約6割で,その他は量販店での販売が約3
割,ウェブでの直販が約1割である。なお,同社
としては量販店での販売は製品のショールームと
して位置づけ,あくまで法人向けをメイン市場と
して展開している。(この情報も,注釈 5 と同様に
向坂紀彦氏より伺ったお話にもとづく。)
7)本事例の内容は,2007 年度経営アカデミーマーケ
ティング戦略コース B グループ(2008)の研究報
告書にもとづく。(同報告書を作成したグループの
研究指導を筆者が行なった。
)
8)『日経情報ストラテジー』 2007 年 12 月号,81-82
頁の記事を参照。
9)『日経産業新聞』 2006 年 8 月 3 日付 20 面の記事を
参照。
10)2010 年 1 月 20 日に発表された同社プレスリリース
「ワコールと永谷園がコラボレーション」を参照。
なお,スタイルサイエンスシリーズからは 2008 年
3 月から男性用製品も発売されているが,この累計
販売数は女性用のもののみの数字である。
11)
『日経情報ストラテジー』 2007 年 12 月号,84-85
頁を参照。
12)同サイトにおける表示による。なお,注釈 10 に示
したプレスリリース(2010 年 1 月 20 日付)では,
「部員数は現在 4 万 3000 人」と記載されている。
13)本事例の内容は,清水(2010)にもとづく。
14)その数ヶ月後,「ローソンストア 100」に名称を見
直した。
15)たとえば 2007 年 3 月に,生鮮食品を取り扱いワン
プライス販売をコンセプトとしたチェーン店舗展
開でパイオニア的存在だった株式会社九九プラス
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との業務・資本提携を結び,2008 年 9 月には連結
子会社化して同社の「SHOP99」をすべて「ローソ
ンストア 100」に転換してゆく方向にある。その他,
株式会社新鮮組本部とのフランチャイズ契約や日
本郵政グループとの包括提携,マツモトキヨシ・
ホールディングスとの業務提携も,将来の新型店
舗フォーマットの開発を視野に入れたもののよう
である。
16)たとえば,『日経 MJ』2006 年 1 月 9 日付 7 面の記
事,『日本経済新聞』2006 年 3 月 23 日付 17 面の記
事,『日経 MJ』2006 年 7 月 26 日付 1 面の記事を参
照。
17)たとえば,次のような雑誌記事を参照。『激流』
2006 年 10 月号 23-28 頁の記事,『経済界』2006 年
11 月 28 日号 42-45 頁の記事,『週刊東洋経済』2007
年 5 月 26 日号 72-76 頁の記事,『プレジデント』
2007 年 7 月 2 日号 146-151 頁の記事,『週刊ダイヤ
モンド』2007 年 10 月 27 日号 142-145 頁の記事,
『週刊東洋経済』2008 年 12 月 6 日号 106-108 頁の記
事,
『激流』2009 年 1 月号 20-22 頁の記事。
18)石井・水越(2008)
,229-233 頁を参照。
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グループ(2008)「ネット・コミュニティを活用
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(財団法人社会経済生産性本部 2007 年度経営アカ
デミーマーケティング戦略コースグループ研究報
告書所収)
。
清水 信年(しみず のぶとし)
1972 年生まれ
神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了
奈良大学社会学部専任講師,流通科学大学商学部専
任講師を経て 2004 年より同准教授。
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