シリーズ流通体系全5巻 - 日本マーケティング学会

Japan Marketing Academy
BOOK REVIEW 籌
『シリーズ 流通体系 全5巻』
石原武政・石井淳蔵 編集代表
中央経済社 2009 年
本シリーズは次の 5 巻からなり,「流通学」
の誕生を狙っている。
1 石井淳蔵・向山雅夫編著,小売業の業態
革新,326 頁
2 崔相鐵・石井淳蔵編著,流通チャネルの
再編,333 頁
3 向山雅夫・崔相鐵編著,小売企業の国際
展開,322 頁
4 加藤司・石原武政編著,地域商業の競争
構造,275 頁
5 石原武政・加藤司編著,日本の流通政策,
262 頁
シリーズ刊行前書きによれば,一つの方向性
を持った高度成長期の変化と比較すると,現代
流通の変革はその急速な多面展開にある。シリ
ーズ刊行の狙いは,1 人の研究者では捉えがた
い,このうねりの大筋の方向性を共同研究によ
だろう。水が半分も入っているという視点と半
分しか入っていないという視点である。このよ
うな視点からまず各巻別,章別に見ていこう。
第 1 巻「小売業の業態革新」の編者によれば,
本書は業態の誕生とその後の進化を,その誕生
の契機や業態を支えるインフラ(業態所属企業
に共通した取引構造)に焦点をあわせ,現在の
姿まで辿ることを課題にしている。業態として
取り上げられているのは,商業集積,総合量販
店,食品スーパー,百貨店,ショッピングセン
ター,コンビニエンスストア,ドラッグストア,
ネット型小売,SPA などであり,これらに各
章が当てられている。
これらの業態の誕生期は大きく異なっている。
百貨店の誕生はほぼ 1 世紀前であり,総合量販
店,食品スーパー,ショッピングセンターは高
度成長期に,コンビニ,ドラッグストア,ネッ
ト通販,SPA などの誕生はそれ以降である。
って俯瞰することにある。とはいえ,各巻とも
に 10 名近い執筆者によって章別に分担執筆さ
れ,総勢 43 名という執筆陣の多さは異様であ
る。他分野の研究者から見れば,流通研究者は
虚弱体質ではないかと皮肉られそうである。
このような多数の執筆者によるため,本シリ
ーズの質は各巻,各章によってきわめて多様で
ある。そのため,評価はシリーズ全体だけでな
く,各巻,各章のそれぞれにおいて行う必要が
あろう。また各章の内容の鮮度は,本シリーズ
で初出のものから,その章の執筆者がすでに他
の論文や著書で述べていることの再説に過ぎな
いものまで多様であるが,本シリーズで始めて
現れたものとして評価しよう。その評価にさい
しては,いわば半分だけ水の入ったコップを眺
誕生以降から現在に至るまでの推移をたどると
すれば,業態によって分析期間は大きく異なる
ことになる。一方,シリーズ全体の編集上の狙
いは,むしろ高度成長期以降の「現代流通」の
うねりの方向性を俯瞰するとされている。シリ
ーズ全体と本巻での編集上の狙いの相違が,本
巻の全体的なまとまりを悪くしている。各章に
よって分析視角が大きく異なり,共同研究とい
うよりもむしろ論文集である。
業態を「すぐれて集合現象」(はしがき)で
あると理解すれば,業態革新は先発者によるビ
ジネス・モデル革新と後発者によるその模倣や
修正(創造的模倣),それらによる業態インフ
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めるさいに必要な視点と同じような視点も必要
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ラの形成からなる過程であろう。この過程につ
いて重要な研究課題は,
している。いずれにせよ,複数事例にわたって
共同研究をするときには,研究課題を厳密に定
・先発者はいかなる市場機会をそのビジネ
式化し焦点を統一しなければ,共同研究として
ス・モデルによって捉えたのか
・そのビジネス・モデルが革新であれば,い
かなる意味で先行業態と不連続であるのか
の成果は上がらないことを本巻は示している。
第 2 巻「流通チャネルの再編」の内容は,大
別して 2 つに分かれる。一つは再編の全体像の
展望(第 1 章)とそれへの理論課題(第 11 章)
・先発者が市場リーダー地位を維持する期間
であり,他は各業界別に見た再編の動きを取り
はどうか。その長さを決める要因は何か。
・後発者が先発者を乗り越えるとすれば,そ
の模倣戦略にどのような創造性が見られ,
先発者は なぜそれに対抗できなかったの
か
・その業態を取り囲む取引相手,競争者はこ
の新業態にどう反応したのか。つまり新業
態はいかに流通システムにその地歩を占め
るようになったのか
などであろう。
残念ながらこれらの問題は各章にわたって斉
一的に取りあげているわけではない。ほとんど
の章は,その業態の先行事例,あるいは代表事
例と見なされた企業の活動年代記である。事例
分析にさいして取り上げる問題領域が統一され
ていないので,各章の事例を比較事例的に分
析・統合して,魅力あるコンセプトの提案や,
従来の業態革新仮説についての業態横断的な検
証という作業はできていない。
しかし,各章を独立論文と見なせば,重要な
貢献をしている章もある。たとえば,島永(第
8 章)は,ドラッグストア業界について上述の
研究課題のいくつかを総合的に分析しているし,
小川(第 7 章)は,革新者であるセブンイレブ
ンがその市場地位をなぜ長期間にわたって維持
しているかの興味深い分析を行っている。また
水野(第 4 章)は革新の普及に関して,ノウハ
ウ公開による革新の同期化という,逸脱事例も
存在することを関西スーパーの事例によって示
した。さらに西川(第 9 章)はネット型小売に
ついて楽天の事例分析により「創発的ナビゲー
ション機能」という興味深いコンセプトを提出
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扱った残りの章である。編者は第 2 章「日本型
取引制度の成立と進化」,第 3 章「日本型小売
流通システムの特性と軌道修正」をマクロ編的
性格を持つものとしているが,その内容は加工
食品,日用雑貨など大手小売商,とくにコンビ
ニや総合量販店が取り扱う製品カテゴリーにか
んした取引システム事例であり,日本の取引制
度を種々な製品カテゴリーにわたって取り上げ
たものではない。したがって,第 2 章から第
10 章までは,製品カテゴリー,業界別に流通
チャネルの再編を取り上げていることになる。
それらは文具・事務用品,酒類,家電,自動車,
日用雑貨,加工食品,アパレルなどの業界であ
る。
業界経路を取り扱った独立論文と各章を見な
せば,経路研究に重要な貢献をしているいくつ
かの章がある。たとえば,渡辺(第 2 章)は,
加工食品,日用雑貨の大手メーカーの特約店制,
建値制,リベート制からなる取引制度が,大手
流通企業の台頭によってどのように動揺・破綻
していったかを明快に分析している。日本の総
合量販店やコンビニが,日用雑貨,加工食品の
商品調達に関して,なぜ依然として卸売に依存
しているのか。この重要な問題に,根本(第 3
章)は,国際比較の視点から明快な解答を与え
ている。業界チャネルをいかに分析すべきか。
家電業界を事例とした川上(第 6 章)の分析は
その模範解答の一つであろう。他の多くの業界
とは異なって,自動車流通では,なぜメーカー
主導経路が存続し続けるか。塩地(第 7 章)は
その要因を明らかにしている。浦上(第 9 章)
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は,加工食品卸売商の物流システムに焦点を合
わせ,その詳細な経営史的分析を行っている。
りあげても,たとえばイギリスのテスコ,フラ
ンスのカルフール,中国のテスコ,中国のカル
これらの諸論文は,流通理論の構築にさいして
フールの異同とそれを生み出した要因の検討こ
念頭に置くべき重要な論文である。
そ,小売国際化研究の中心課題だと考えるから
しかし,これらの章を含めて本書全体を見る
と,とても共同研究の成果とは思えない。共同
作業が見られるのは,各業界を分担執筆によっ
である。
て分業的に取り上げたというだけである。業界
には,企業特定的な formula しか実在しないと
いう向山の業態概念は修正を迫られる可能性が
この分析視角は,小売国際化研究での新しい
知見を生み出すかもしれない。しかしそのため
経路の全体構造における再編を取り上げている
章もあれば,まったく特定企業の事例分析に終
始している章もある。また事例分析の期間が統
一されていない。再編といった変化はどのくら
いの長さの期間を取り上げるかによってその内
容は大きく変わってくる。さらに,多くの章が
採用している単独事例分析というアプローチで,
多くの企業の取引ネットワークからなる流通チ
ャネルの再編という事象が捉えられるのかに関
しても方法論的な疑問が残る。たとえバリュ
ー・ネットワーク的な視角を導入するにしても,
それは一企業の視点から見た流通チャネルの断
面にしか過ぎないからである。
第 3 巻「小売企業の国際展開」は,最近の数
十年における中心課題の一つ,流通国際化を取
り上げている。先端企業の動きを別にすれば,
流通国際化が本格化したのは,1990 年代以降
である。それは先進国における国内需要の低迷,
大型店への規制強化などをプッシュ要因にし,
共産圏の崩壊や経済開放,経済のグローバル化
などによって,ロシア・東欧圏,アジア,中南
米などに,新興国が登場したことをプル要因に
している。
向山(第 1 章)は,小売国際化の進展を展望
して,新しい分析視角を示している。いくつか
の国際化企業の動きを展望してのち,業態ベー
スの小売国際化研究の焦点を,具体的に観察可
能な企業特定的概念としての Formula(小売ミ
ックスの状態)におくべきだと主張する。さら
に formula を本国特定的なものと進出先特定的
なものに分ける。同じハイパーマーケットをと
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ある。本国,あるいは進出先国のどちらを取り
上げても,各国での地域市場の市場条件に適応
して個店対応が出てくると,同じカルフールを
とっても,たとえば中国市場で見られるように,
その formula は同一国内でも多様化するからで
ある。業態を formula レベルに固執するかぎり,
向山の分析視角にもとづく研究は,formula の
多様性の中に埋没する危険がある。この危険性
を回避する方法は,formula の類似性にもとづ
くクラスターとしての業態概念の実在性を認め
る以外にはないだろう。
とはいえ,小売国際化研究の現状では,
formula 研究を推進することは有用な第一歩で
ある。しかし,以下に続く諸章はかならずしも
この分析視角を受け入れていない。第 2 章から
第 6 章はアジアの主要国別の国際化を取り上げ
ている。第 2 章でアジア市場全体の市場特性を
取り上げてのち,韓国,中国,台湾,日本が各
章別に取り上げられる。各国の市場特性に加え,
ウォルマート,カルフール,テスコ,イトーヨ
ーカ堂,セブンイレブンなどの,これらの国へ
の参入が中心トピックスになるが,同じ企業が
formula を各国間でどう適応しているかという
視点はない。
国際化の対象としてアジア市場を取り上げる
なら,ウォルマートなど同じ企業がこれらの国
間でその formula をどう変えたのか,またある
国では成功したのになぜ他の国では失敗したの
かの比較分析こそ重要である。向山・崔(最終
章))が提案するグローバル・ポートフォリオ
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戦略の視角も,このような比較分析をその基礎
にしなえれば完成しないだろう。
外へ変化してきた」ということであり,規範的
には大型店規制を強化して,郊外よりも中心市
このように本巻も共通の枠組みにもとづく研
街地を優先的に活性化しなければならないとい
究というよりはむしろ論文集である。論文とし
て,重要な貢献をしているのは,残りの章で検
討される企業別の事例分析である。とくに南
うことである。本書を単著のごとくまとまり良
くしているのは,編者の力量に加えて,執筆者
たちが共有するこのモデルへの信仰にある。そ
こにはこのモデルへの批判的視点は希薄である。
このモデルに従えば,各都市の中心市街地が
(第 7 章)は,ザラを事例して SPA 概念をその
オペレーションの観点から掘り下げ,この概念
の深化に貢献している。また,金(第 8 章)で
の日米両国でのセブンイレブンの相互的な国際
化プロセスや,坂田(第 9 章)での大丸の国際
化失敗事例は国際化研究に重要な資料を提供す
るものである。同じように,矢作(第 10 章)
による,イオン SC 事業における中国進出構想
の事例分析は,未来志向的な事例分析であり,
国際化業務展開にかんして,とくに実務家に多
くの示唆を与えるだろう。
第 4 巻の「地域商業の競争構造」は,以上の
諸巻にくらべれば,章別分担執筆にもかかわら
ず,単著に近いほど良くまとまっている。編者
によれば,地域商業とは「地域の顧客と相互作
用しつつ独自の魅力を発揮しながら発展する商
業」(はしがき)である。この定義に従えば,
地域の顧客の欲求に個店対応しているチェーン
ストアの店舗や百貨店なども地域商業に入るは
ずだが,各章の内容を見ると,そうはなってい
ない。各章で地域商業として検討されているの
は,地域の商店街を構成する中小商店,とりわ
け中心市街地の商店街を構成する中小商業であ
る。従って本書の対象は,地域空間市場での
種々な業態店間での競争構造ではなく,その一
部,とくに中心市街地の中小商店を取り囲む競
争関係である。
本書はこのような地域商業の構造を,まちづ
くり 3 法とその改正の背後にある,競争構造の
認識・政策モデル(以下,「まちづくりモデル」
と呼ぶ)にもとづいて検討する。要約的にいえ
ば,このモデルの主張は,「流通における対立
軸が大型店 vs 中小小売商から中心市街地 vs 郊
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窮地に追い込まれているのは人口の郊外化,モ
ータリゼーション,そしてそれを市場機会とし
て捉えた大型店の郊外立地,とりわけ郊外型シ
ョッピング・センターの発展である。第 1 章か
ら第 6 章は中心市街地が窮地に追い込まれてい
く歴史的経緯を,データや分析概念に新鮮さは
ないが,多面的に検討している。そして郊外型
ショッピングセンターのデメリットや都心商業
の魅力,さらにアメリカの事例を含めて大型店
規制をさらに強化すべきという主張がなされて
いる。これらの諸章は,まちづくり 3 法改正の
根拠の弁護論である。そこでは,中心市街地以
外の近隣商業などが政策的になぜ切り捨てられ
たか,その流通政策的含意は何かといった重要
問題の検討はない。
地域商業の競争構造を,より広い流通論的な
視点からみれば,このようなまちづくりモデル
に関して多くの研究問題が浮かび上がってくる。
まず,「まちづくり」のコンセプトが理論的に
曖昧である。まちづくり=中心市街地の活性化
と理解しても,都市の中心市街地が地域市場で
果たす役割は,その都市が東京,大阪など大都
市圏に立地するのか地方経済圏に立地するのか,
その経済圏でどのような位置を占めているのか
によって多様に異なる。地方中核都市のまちづ
くりがもっとも重要であるという認識(第 6 章)
はあるようだが,中心地活性化の意義の都市類
型間で多様性を正面に据えた検討がない。
次に,中心市街地の活性化といっても,場所
としての活性化なのか,その場所の既存商業者
を含めた活性化なのかが曖昧である。このいず
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れかであるかによって活性化の方向は大きく異
なるだろう。前者であれば顧客吸引力のある大
第 5 巻「日本の流通政策」も,前巻と同じよ
うに,きわめてまとまった本に仕上がっている。
型店や専門店の誘致が考えられるが,そのさい
戦後流通政策の背景(石原,第 1 章)にふれた
中心市街地がなぜかれらの立地場所として魅力
のち,その後の章で競争政策(小林),保護政
策(石原),商業近代化政策(三村),物流政策
(中田),卸売商業政策(加藤),食料品流通政
を失ってきたかの検討は不可欠である。後者で
あれば既存商業者の顧客吸引力の再生が可能な
のかが問題となろう。しかし,まちづくり・モ
策(原田),大規模小売店舗法(川野),地域商
デルの特質は,この点に関して既存商業者の経
業振興とまちづくり(松島)などの諸政策がと
くにその歴史的経緯を中心に論じられ,最終章
で流通政策の適応性と課題が検討されている。
営体質よりも,まちそのものの文化的,社会的,
都市論的な諸特性を強調する点にある。
その具体的内容は,地域商業のブランド化,
コミュニティとの連携,町並みの保全などであ
る。小宮(第 7 章)の詳細な事例分析は,商業
集積の形成と町並み保全を統合的に管理するこ
との難しさを示している。ブランド化の可能条
件についての和田(第 8 章)のシャープな事例
分析によれば,ブランド化はどのまちでもでき
るわけではない。ブランド化の条件は,その町
の歴史資産,観光資源,全国的に著名な老舗の
存在などである。コミュニティ概念についての
田中(第 9 章)の掘り下げた分析は,コミュニ
ティ連携の多面性と連携の実践的難しさを示唆
している。
流通論を文化,社会論,都市論の領域に拡大
するにしても,そこでの流通論の検討課題は,
社会的,文化的文脈における市場諸力の変容様
式とその地域商業への影響であって,地域社会
論や地域文化論そのものを論じることではない。
これらは経済学,社会学,文化人類学,都市論
などの専門領域であり,流通研究者がそれらの
諸学の成果を利用して論じても,それは二流の
地域社会・文化論,都市論の域を出ない。流通
研究者の主要な仕事は,まちづくり・モデルが
強調するこれらの活性策が,果たして多くの都
市で実施できるのか,できないとすればそれの
実施を決める条件は何か,さらに実施できたと
しても中心市街地の活性化に有効なのかという
点の商業面から見た検討であろう。しかし,こ
の作業の多くは今後の課題として残されている。
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政府の審議会,研究会などを通じて流通政策に
かかわった論客が多いので,各章ともにそれぞ
れの政策の移り変わりについて的確な整理がな
されている。おそらく本書は日本の流通政策に
ついて書かれた本の中で最良の本の一つであろ
う。読者は本書によって日本流通政策の展開に
ついて効率的な展望をえることができる。
この展望の視座は,ほとんどの章で「善良な
政府」の想定に基づいている。善良な政府とは,
流通システムの未来展望などの情報提供,先端
的な流通技術の普及,地域商店街衰退抑止のた
めの立法化,さらには流通システムにおける
種々な利害調整を,国民経済的な視野に立って
公正にかつ賢明に解決しようとする政策形成主
体である。この善良な政策主体モデルを前提に
すれば,流通政策は流通環境の変化に機械的に
対応していく過程として描かれることになる。
しかし,他方で別の政策主体モデルもあり得
るのではないだろうか。かってパラマウンテン
がその著「流通のポリティクス」で指摘したよ
うに,流通の世界では経済的競争がしばしば政
治的闘争に転化する。経済的な競争に敗れたも
のが,ゲームのルールを変えるために利益集団
を形成し,その政治圧力によって勝者を規制す
るような立法化を目指す。百貨店法や大店法は
この例である。まちづくり 3 法も,まちづくり
という大儀にもかかわらず,郊外商業との競争
に敗れた都心商業がゲームのルールを変えよう
とする動きとも読める。さらに経済実勢に適合
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しなくなっても,既得権益を守るために既存の
法律の存続をはかる。再販売価格維持法や医薬
携し,その影響領域を拡大している。既存の店
舗流通企業は,無店舗流通の成長を脅威に感じ
品,酒にかんする許認可法などの撤廃の抗争の
てその取り込みを始めている。しかし,それを
歴史はこの例であった。
マルチ・チャネルの要素として取り込めるのか,
この場合,政策主体の行動は各利害集団の政
治力の消長によっても動くことになる。流通政
策は善良な政府の清らかな手だけではなくて,
あるいは楽天など仮想ショッピング・モールが,
生臭い政治の手によっても創られていく。そこ
流通企業の製品やその原料・資材のソーシン
グが国際化するにつれ,総合商社はますます流
では政権政党とそれを支持する利害集団,そし
て各省庁官僚組織の思惑というプリズムを通っ
て,善良な政府が企画した政策が修正され変容
していくことになる。法令,各省庁の報告書,
審議会,研究会議事録だけでなく,その背後に
ある動きを探るために新聞・雑誌アーカイブや
利害関係者へのヒアリングを資料として使えば,
最終的に政策として形成されていく過程そのも
のでの政治過程が明らかになるはずである。そ
のさい流通政策は,流通における市場過程と政
治過程の化学的混合の産物になる。本書を超え
る流通政策論が今後出現するとすれば,おそら
くこのような視座を取り入れたものとなろう。
最後に本シリーズが新しい時代の流通体系に
なっているのかという点についてふれておきた
い。前述のように,本シリーズのねらいは,現
代流通のうねりの方向性をその大筋において捉
えることにある。この課題から見ると,本シリ
ーズで十分に検討されていない重要領域がある。
例を挙げれば,ネット通販などダイレクト・マ
ーケティングによる無店舗流通,総合商社の動
き,そして消費者のショッピング行動などであ
る。
21 世紀になって既存業態が停滞する中でも,
無店舗流通は急速に伸びている。この流通様式
は,店舗型流通にとってはクリステンセンが
「イノベーションのジレンマ」でいう破壊的技
術になる可能性がある。それは長い間,流通シ
ステムの構造基盤であった店舗流通の空間的,
時間的制約を大きく変える。無店舗流通はさら
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らは現代流通のきわめて重要なうねりである。
通(小売)企業がその価値を創造するバリュ
ー・ネットワークの不可欠な部分になってきた。
総合商社が食品やアパレルなど,主要な消費財
分野の川下にまでますます介入し始めているの
も大きいうねりである。食品卸売,総合スーパ
ー,コンビニなどは総合商社と重要な資本・人
的関係にあるだけでなく,業務活動についても
密接な連携関係にある。現代流通の大きいうね
りの一つは,総合商社を核とした企業グループ
の一つの流通資本としての動きである。
さらに現代流通の大きいうねりとして,消費
者のショッピング行動を無視できないだろう。
たとえば,自動車による消費者の買い物出向と
無店舗流通との間には共通する流通活動が含ま
れている。ショッピング行動は消費と流通とが
重なり合う境界領域である。また,品揃え,価
格,接客サービス,企業ポイントなどを,それ
ぞれどの程度に重視するかによっても流通の態
様は大きく変わる。このような消費者の価値基
準だけでなく,消費者の移動性,情報収集能力
は過去数十年間に大きく変化し,コンビニエン
スストア,専門店チェーン,ネット通販の発展
など,流通に大きいインパクトを与えてきた。
新しい時代の流通体系は,これらのうねりを
本シリーズが指摘したうねりとともに捉えるだ
けでなく,これらのうねりをふまえた新しい流
通理論の構築を目指さねばならない。少なくと
も新しいうねりが既存理論にどのような課題を
突きつけているのか。どのような再概念化が必
要であり,どのようなデータ,分析技法,アプ
に企業ポイントの交換ネットワークなどとも連
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独自の発展を遂げ流通の覇権を握るのか。これ
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ローチが求められているのか。過去の文献展望
はこのような観点からなされるべきであり,う
ねりを捉えた研究を統合して流通論の新しい枠
組みを示さなければならない。その枠組みを通
して,流通システムの範囲とそれを動かしてい
るメカニズム,その発展パターンについての新
しいイメージを形成することができる。しかし,
本シリーズではこのような作業は行われていな
い。新しい「流通学」はいまだ誕生していない。
評者:田村正紀(神戸大学名誉教授)
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