校長室だより

校長室だより
2010.5.25
思いやり
出雲市立四絡小学校
修学旅行(6年生)-語り部さんの話-
昭和 20 年 8 月 6 日 8 時 15 分、広島に原爆
が投下されました。私が広島県の中学校に勤
務(S55 年~ S61 年)していたときは、8 月 6
日は登校日で、8 時には生徒全員が学校にそ
ろっていました。8 時 15 分になると校内放送
で全校一斉に黙とうをし、その後、平和学習
を行いました。
広島への修学旅行の引率は何回かしました
が、語り部さんのお話を聞いたのは、今回が
初めてでした。講師の語り部さんは被爆され
たときに、飛ばされてうつぶせに倒れたそう
です。当時 10 才でした。気がついたとき、母
親がいないことに気づき、捜そうとして、近
所のおばさんが立っておられたので、声をか
けたそうですが、おばさんに、誰なの?と言
われたそうです。寺本さんの顔がケロイド状
に焼けただれていたので、分からなかった訳
です。お母さん(被爆死されていたらしい)
は、他の人が捜してくれるから一緒に逃げよ
うと言われ,その場から立ち去ろうと歩きは
じめた。まわりの状況はこの世とは思えない
修羅場化していたと話をされました。
人間にとって、1番大切なことは他人を思
いやり、人を大事にする心です。生きるか死
ぬかの状況下でも人を大事にする心(思いや
りの心)には人間の美しさがあるというよう
なことを話され、私はものすごく感銘を受け
ました。九死に一生を得た語り部さんの重い
重い言葉でした。
6年2組の飯塚和敬君が語り部さん(右上
写真)にお礼の言葉を述べました。
『今日、話を聞いて、戦争の恐ろしさや原
爆の怖さがよく分かりました。原爆が落ちた
2㎞以内は、すべて焼け尽くされてしまった
なんて、本当に悪魔の武器と言ってもおかし
くないと思いました。
食べ物や着る物が不足していると大変だな
ぁと思いました。原爆を受けた後も原爆病に
なってしまうという、怖いことがあるという
ことも分かりました。
この話を四絡小学校に帰ったら勉強に生か
していきます。そして、平和について深く考
えていきます。ありがとうございました。』
働くこと(キャリア教育)への意識を
学校経営の重点の 1 つに、
『子どもへ「働く」
ことを意識させる』ことを挙げました。35 年
間の教員生活から、改めて教育を考えるとバ
ランスの取れた「知・徳・体」が必要である
と思います。普通は「知・徳・体」の順です
が、「徳・知・体」、「徳・体・知」、「知・体・
徳」、「体・徳・知」、「体・知・徳」順は子ど
も一人一人によって違うと思います。そして、
違わないといけません。
順が「体・徳・知」の二人の中学3年生(簡
単に言うと学力が低くて体が丈夫な子ども)
のことを話します。
一人(M君)は、数学や英語などの難しい
勉強が全く理解できないために、授業をエス
ケープしたり使い走りをしたりして問題行動
が多く、欠席がちの子どもでした。お母さん
とお姉さん(高校生)の3人で学校近くに住
んでいました。3学期は全く学校に来なくな
りました。その時は担任(2年生の時担任し
た)ではありませんでしたが、校長の指示で
私が家へ様子を見に行きました。お母さんが
お家におられ、私が「M君はいますか?」と
訪ねると「・・・」と黙っておられるので、
「何
処かに行っていますか?」とさらに聞いても
「・・・」で言いにくそうなので、「何か変わ
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ったことでもあったのですか?」、「それとも
何か言いにくいことでもありますか?」とし
つこく聞いたので、お母さんがぽつりと話さ
れました。「今、大工をしている親戚(伯父)
の手伝いに行っています。もう1ヶ月くらい
になりますが、毎朝、弁当を持って喜んで出
かけています」と。私は心の中で、「M君、仕
事をがんばれよ!」と思っていましたが、声
に出すことはできませんでした。義務教育の
子どもが学校へ行かないで、働くことが良い
訳ないからです。皆さんはどう思われますか?
学校に帰って、このことを校長に報告しま
した。「大工の手伝いを止めさせて、学校へ来
るように言いましょうか?」と聞いたら、校
長は、「家でごろごろしていないで働いている
のだから、そのままにしておこう。だが、卒
業証書は卒業式には渡せない。3月31日に
校長室で渡すことにする。」と話されました。
これは昭和59年頃で、私が30代前半の若
かりし時のことです。広島県のことです。
もう一人(S君)は、島根県のある中学校
のことです。私はS君を2年生と3年生の2
ヵ年担任しました。S君は勉強は苦手で、2
年生の時は授業日の半分くらい、3年生では
3分の1くらいしか学校に来ない不登校生徒
でした。しかし、体は丈夫で、短距離はその
学校でトップ(1番か2番)でした。学校の
勉強は分からないためほとんどしませんでし
たが、働く(?)ことは一生懸命でした。夏
には海でサザエやアワビなどを捕り、中学3
年生では考えられないお金を稼いでいました。
中学校を卒業後、体は人並み以上に丈夫でし
たので、熱心に働き、経済力を得て同級生の
中では最も早く結婚し、幸せな人生を歩んで
います。
今回は二人の教え子しか話題にしませんで
したが、小中学校時代に学力が低く心配する
子どもでも「働く」ことができるなら、将来
の社会生活は大丈夫ですと、声を大にして言
いたいと思います。高等専門学校、中学校、
小学校に勤務し、6歳から20歳の子どもを
見てきた私の結論は、子どもたちに「働く」
ことの意義を理解させ、子ども一人一人の長
所を家庭と学校が連携してしっかり伸ばすこ
とだと考えています。
割を担っています。
学校内での役割は、①子どもの発達特性と
支援方法について、教職員の共通理解を図り
ます。②担任の相談および学校内の支援体制
を検討します。③学校内の研修の企画・運営
をします。④個別の指導計画や個別の教育支
援計画の作成指導を行います。
そして、外部関係機関との連絡調整等の役
割は、①専門機関へ相談をする際の連絡・調
整を行います。②専門家による巡回相談の連
絡・調整を行います。
最も重要な役割は、保護者の皆さんからの
相談・問い合わせに対応します。「お子さんが
発達障がいではないか心配している」、「家で
お子さんの様子が少しおかしい」などの相談
・問い合わせは、担任でもいいですし、四絡
小学校の特別支援教育コーディネーター(専
門的な知識をもっている)に直接相談されて
もいいです。
特別支援教育コーディネーターの役割
特別支援教育コーディネーターは、次の役
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本校の特別支援教育コーディネーター
・来 間 由 美(特別支援学級担任)
・安 井 睦 美(1年3組学級担任)
出雲市教育委員会の特別支援教育
◇ 特別支援教育推進委員会の設置 ◇
通常の学級に在籍している特別な支援を
必要とする児童生徒への支援を行うため、
大学教授、医師、児童心理士、社会福祉士、
教員等で構成する特別支援教育推進委員会
を設置しています。これにより、個々の実
態や教育的ニーズを把握し、各小中学校に
望ましい対応や支援体制について専門的意
見の提示や助言を行うとともに、障がいの
ある児童生徒の教育のあり方について、協
議・検討を行い、巡回相談「わくわく相談
会」を実施します。
◇「出雲市子ども支援ファイル」の作成◇
発達障がいを含めた障がいのある幼児児
童生徒 一 人一 人に つい て関係 機関と 連携
し、長期的な見通しをもった支援を行うた
め「出雲市子ども支援ファイル」を保護者
の同意のもとに作成し、幼児児童生徒一人
一人の特性に応じた適切な支援を行います。