えびな・いちご文学賞大賞作品(表)(PDF文書)

広報えびな えびな ・ いちご文学賞大賞作品
平成21年(2009年)3月1日
たまご石の川原
芝生の丘を
ふわり
風のように下り
石の階段を
﹁あっ こっちの方がいい ﹂
!!!!
たまご石の川原から
もとの世界へ戻るとき
ちいちゃんは
一 番のお気に入りを置いていった
ここにいるから光るんだって
気づいたから
でこぼこに慣れた足には
小説部門
大賞作品
﹃苺ちゃん﹄
を捜して
うすい ゆきこ
を舐めだしたのだ。 ある。
と呼ばれるようになった。
またそのときからチビ猫は﹃苺ちゃん﹄
うちの大事な大黒柱になっていったので その可愛らしさ、健気さに心動かされ、
も私も閉口したのだが、結局苺ちゃんは
﹁あの子がいなくなるのはいつものことだ
けど、なんで苺ちゃんも連れてっちゃうの 苺ちゃんというラブリーな名前ではあ
ったが、苺ちゃんは実は♂で、性格は凶
その前をうっかりストッキングでも履い
暴だった。あまりにも悪さをする日は玄
の妹って変人よね﹂と言われ、そこにい 母はそんな私の剣幕に動じることもな
て通ろうものなら、苺ちゃんの鋭い爪の
よ!ぜったい許せない!苺ちゃんだって大
﹁大丈夫じゃない?もともと苺ちゃんは
く、
迷惑よ!﹂私は怒りで声を震わせた。
た全員が一斉に笑った。私もその場では
かしくて悔しくて、歯を食いしばって涙
あの子が拾ってきたんだし。どんな生活
であった。
餌食になり、ビリビリにされてしまうの
んでください﹂と言ったそうだ。その子
院行ったほうがいいよ。先生、救急車呼
それにこの十五年間、苺ちゃんのお世話
は人につき、猫は家につく﹄ものなのよ﹂
だ。お母さんも全然分かってない。﹃犬
女の子に突然駆け寄り﹁大丈夫?早く病 私はため息をついた。﹁だめだ、だめ
﹁ぜったい奪回してやる!﹂
んて。
している。老猫の苺ちゃんを連れ出すな
ろう今は、日がな一日ほとんど寝て過ご
そんな苺ちゃんも十五歳を超えたであ
するんだか知らないけど、苺ちゃんの面
は面食らい﹁なに?大丈夫だよ。なんな
倒はちゃんと見るでしょ﹂
をこらえた。
関の内側に犬のようにつながれていた。
妹が家出した。
笑っていたが、一人で帰る道すがら恥ず
人だ。
妹といっても私より三つ下の、いい大
家出といっても行ったところは分かっ
ている。
はしっかり人生を楽しんでいる母は、
夫を十五年前に亡くした、しかし今で
のよ?﹂と怒っていたらしい。ところが
書置きには﹁海老名でしばらく暮らし 聞いた話だが、妹は授業中にクラスの
﹁海老名って神奈川県のよね?また辺鄙
は妹でもなく母でもなく、この私がやっ 私は心に誓ったのだった。
ます﹂と書いてあった。
なところを選んだものね﹂と苦笑した。
てきたのではないか。
﹁明日さっそく海老名に行く﹂
その子が次の日に盲腸の手術をすること
私たち家族は父が健在な頃、海老名の
になったらしく、妹はますます気味悪が 私は苺ちゃんを奪われ、悶々としてい 私は苺ちゃんのゲージを枕元に置き、
一 番のお気に入りを探して
られていった。
もとの芝生は大人しすぎて
隣の市で暮らしていたのだ。当時の海老
ちいちゃんは わらしべ長者の最中
名は駅の回りはがらんとしていてまさに
早々に就寝したのだった。
丘まで登ると
手気ままに人生を渡っている。フイっと
私はイライラしていた。妹はいつも勝
っているふうもあった。
子は面白い子だ﹂と、むしろ誇らしく思
す様子はあったが、父親のほうは﹁この
母親は時おりそんな娘にため息をもら
通す子だった。
く意に介さず、自分流のスタイルを貫き
ていた。
蔵庫の中は母が好きなビールで占領され 横浜駅まで行き、昔よく利用していた
なく、触れ合うほど興味もなかった。冷
なかったのだ。誰も猫と暮らしたことは
与えていいのか母も私も妹も見当がつか
けたかというと、ずぶ濡れの子猫に何を
相鉄線に乗りこんだ。空調が効いている
うだった。
かというと姉妹バトルを楽しんでいるよ
んたもよくやるわね﹂と苦笑し、どちら
夏日になりそうな予感がした。母は﹁あ
った。
は母に由縁のある横浜市に引越したのだ
出ていったり、ノコっと帰ってきたり。
当の妹は誰にどう思われようとまった そもそもなぜ猫に﹃苺ちゃん﹄と名付 出陣の朝はまだ四月上旬だというのに、
た。
﹁結局は
夕焼けはきっと
車内は快適で、横浜から海老名の始発か
父が亡くなってほどなくして、女三人
﹁田舎﹂の印象だった。
お土産はたったひとつ
ススキも
川原も
小さく見える
そんな私も
ちいちゃんの左手を
革靴に残った いとおしいすり傷
無難ものに落ち着くのよね﹂
草の屏風の
気にしながらついていく
川のほとりに辿り着けば
いちごワインの色だから
った。朝元気に家を出て行った父が倒れた
にあったもの。それは﹁海老名の苺﹂だ 夢を見ていた。それは父の最期の場面だ
なものしかなかった。そしてちょうど家
と聞いても、深刻には思えなかった。﹁す
雲の布団が
父さん﹂﹁お母さん﹂と呼ぶようになっ
った。﹁海老名の苺﹂は海老名在住の母
ぐに病院に来なさい﹂と母に言われたの
大人だって
た。﹁お父さん﹂﹁お母さん﹂は﹁パパ﹂
に、私はタクシーではなくバスで病院に
ら終点まで、私は心地良い眠りに落ちて
﹁鰹節とかないの?﹂﹁チーズは?﹂
私はこの妹とは幼い時から気が合わなか
﹁ママ﹂よりも少しだけ遠い存在になっ
向かった。車内ではウォークマンを聞い
い、父と母を﹁パパ﹂﹁ママ﹂から﹁お 結局鰹節は切れていて、チーズは高級
外国に行っていた時期もあるらしい。ま 思春期になると私は回りの友達になら
った。妹は女の子が好む﹁おままごと﹂や
の友人が贈ってくれたものだった。
ていた。ただバスを降りたとたん、急に
ったくいい気なものだ。
﹁人形遊び﹂また年頃になっても﹁おし
ら∼贈ってくれた彼女に失礼よね﹂言い
のかずっと﹁パパ﹂﹁ママ﹂で通してい ﹁猫に苺あげちゃうなんて罰当りかし
た気がした。妹はそういうことに鈍感な
訳とも弁解ともとれないことを口走りな
ね 見て帰ろ
ゃれ﹂﹁タレント﹂などにもまったく興
た。私はそんな強い意思と個性を持った
がら、母は一粒チビ猫の口に苺を近づけ
落ちかかってきそうなくらい
味を持たない子だった。
妹に嫌悪と嫉妬の気持ちを抱いていたの
け残して外出先から戻ると﹁ピエロに綱
﹁今コロボックルがいたよ﹂とか、妹だ
小さい頃はよく変なことを言っていた。
いランドセル﹂で六年間を過ごした。
だ。
いう大切な猫を連れて行ってしまったの
情が違った。妹はうちの﹃苺ちゃん﹄と
いいと思っている。ただ、ただ、今回は事
ごそうと、どう暮らそうと、勝手にすれば
ックで病室の隅に透明人間のようにただ
ぎり、無言で涙を流していた。私はショ
は父のかたわらにいた。母は父の手をに
るのに手が届かない距離感があった。妹
けられた父が横たわっていた。近くにい
こには色んな機械やらチューブやらがつ
父の名前が書かれた個室に入ると、そ
︵詩
人︶
大賞の武田さん。まずは、それこそ無理
くっていたこともあった。私は突拍子の 苺ちゃんはもとはノラ猫だった。小汚
渡りをしろって言われた﹂と、泣きじゃ
いみすぼらしいキジ猫だった。横浜に越
なく自然に伸び伸びと書かれているのに感
してまもなく、ある冬の雨の夜に、妹が
抱えて帰って来てしまった。その時は母
佇んでいた。頭の中がグルグルと渦巻き
と足がもつれた。 心しました。﹁たまご石の川原﹂は、別世
ないことを言って両親の気を惹く妹にう
マ
―と結び付けようとした作品が散見された
界、非日常的空間です。それがこんなに身
んざりしていた。
のが惜しまれます。もっと自然体で。
近にあることの発見と歓び。何でもないよ
いました。︵以下 略︶
中学生の時、仲良しの友達に﹁あんた
うですが、これぞ﹁詩﹂という作品だと思
いった。
妹が小学校に上がる時のことだ。﹁赤
かもしれない。
詩部門
選評
いランドセルは嫌だ﹂と言い出した。し
胸がドキドキして早く早く父の病室へ、
何かを脱ぎ捨てながら
絵本の中に
かもその理由は﹁怖い﹂というのだ。結
た。するとチビ猫は一生懸命海老名の苺
清水
哲男
の、逆に全体的なレベルは高くなったという
第一回より応募数は少なかったもの
局譲らない妹は、女子の中でただ一人﹁黒 妹の家出。ぜんぜん構わない。どう過
平べったい世界で
水溜りには
たたみ込まれてしまいそうだ
流れの先と 遠い空とがくっついて
小さな魚が住んでいて
流れに帰る日を待っていた
アンダースローの体勢に入る
アキラくんが
石の広場を
そっちは 鮎釣りおじさんの竿の先
﹁ちょっと待った﹂
新しい模様が顔を出し
笑い声が溶けていき
ガシャガシャ崩して歩く度に
手に収まる形は みんなたまご
あ
ふ
青いエプロンを広げた
雨降り山はずっと見ていた
出身地の違う同士が
お母さんのように
ごま塩
縞模様
あばた顔
同じ顔で寄せ集まっているのは
なんだか可笑しい
なぜだろう
印象でした。ただ依然として、むりやりにテ
子供に帰っていく
人影は消えていくから
ススキはどんどん高くなり
向こうへ向こうへと進んでいくと
そろり
横向きに下り
武田 真樹
āȢ
āɍ
āɄ
āĆ
āȞ
Ȼ
Ȯ
ဦ
൥ߔ
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࿚
詩部門
大賞作品
第2回
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