死 刑 執 行 に抗 議 す る会 長 声 明 1 2015年 12月 18日 ,東 京 拘 置 所 及 び仙 台 拘 置支所 にお い てそれ ぞれ 1名 の 死刑 が 執 行 され た 。岩 城 光 英 法務 大 臣が就 任 して か ら初 めて の 執 行 で あ り,第 二 次安倍 内 閣 で は 8回 日の 死 刑 執 行 で ,合 計 14名 も の死 刑 が 執行 され た こ とに な る。 当会 は ,改 め て死 刑 執行 に強 く抗 議 す る。 2 2014年 ,い わ ゆ る袴 田事件 の 第 二 次 再 審 請 求 事 件 にお い て 静 岡 地方裁 判所 は ,証 拠 が 捜 査機 関 に よつてね つ 造 され た 可能性 を指 摘 し,再 審 決 定 を行 っ た うえ ,死 刑 と拘 置 の 各 執 行 を も停 止 す る決 定 を出 3月 , して い る。 裁 判 には ,常 に誤 判 ・ 冤 罪 の 危 険性 が あ り,袴 田事件 以外 に も ,死 刑 判決 事 件 の よ うな重 大 事件 にお い て ,再 審 無罪 が 確 定 し,誤 判 ・ 冤罪 の 存 在 が 明 らか にな つ た事 件 が あ る。 しか も,死 刑 は人 の 生 命 を奪 う究極 の刑 罰 で あ つ て ,執 行 後 に誤 判 ・ 冤罪 が 判 明 して も失 わ れ た 命 が 戻 る こ とは な い 。 この よ うに ,死 刑 判 決 事件 にお い て も誤 判 ・ 冤罪 の 可能性 が 否 定 しえ な い 以 上 ,拙 速 に死刑 を執行 した こ とに対 し,強 い 憤 りを感 じざ るを 得 ない。 3 ま た ,死 刑 制 度 は ,人 の 生 命 を奪 う究極 の 国家 権 力 の 行 使 で あ る こ と か ら,そ の 権 力 行使 の 前提 と して ,政 府 は ,死 刑 制 度 とそ の 運 用 に 関す る情 報 を社 会 に対 し十 分 に提 供 し,全 社 会 的 議 論 を尽 くす 必 要 が あ る。 しか しなが ら,何 の 議 論 もな され な い ま ま ,漫 然 と 2名 もの 死 刑 が 執 行 され た こ とに ,強 く抗 議 す る。 4 死 刑 廃 止 は 国際 的 な趨 勢 で あ り,世 界 で死 刑 を廃 止 又 は停 止 して い る 国は 140か 国 に上 っ て い る。死 刑 を 存 置 して い る 国 が 58か 国 あ る も のの, 2014年 に 実 際 に 死 刑 を 執 行 した 国 は 少 な く ,日 本 を含 め て 2 2か 国 で あ つ た 。 す で に ,全 世 界 の 大 半 の 国 に お い て 死 刑 の 執 行 は な さ れ て い な い 。 こ う した 状 況 を 受 け , 2014年 ,国 際 人 権 (自 由 権 )規 約 委 員 会 は , 日本 政 府 に 対 して 「死 刑 廃 止 を 十 分 に 考 慮 す る こ と 」 等 の 勧 告 を行 つ て い る が ,政 府 は ,か か る 勧 告 を 無 視 し ,国 際 的 な 趨 勢 に 反 して ま で 執 行 を 断 行 した の で あ る 。 5 当 会 は ,こ れ ま で も 死 刑 執 行 に 対 し ,抗 議 を して き た が ,今 回 も ま た 死 刑 執 行 が 繰 り返 され た こ と対 し,改 め て 強 く抗 議 す る と と も に ,直 ち に 死 刑 執 行 を 停 止 し,死 刑 制 度 に つ い て 全 社 会 的 議 論 を 開 始 す る こ と を 求 め る も の で あ る。 2016年 (平 成 28年 )2月 20日 青森 県弁護 士 会 会長 竹 本 真 紀
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