流通科学大学論集―経済・経営情報編-第 17 巻第 1 号,97-113(2008) 知識のバランスとコミュニケーションの成立 ロジカル・シンキングは、ビジネス・パーソンに なぜ支持されるのか(パート6) Balance of Knowledge and Approval of Communications: Business Administrators Who Think Logically Can Enjoy Business Advantages (Part 6) 赤川 元昭* Motoaki Akagawa 本稿では、コミュニケーションが成立する理由について、論理学的な視点から考察を行なった。 その結果、発話の主旨(結論)の正しさが受け入れられるためには、コミュニケーションを行なう 当事者間の信頼といったコンテクスト情報が必須になることが明らかになった。 キーワード:論理的思考、コミュニケーション、知識のバランス(アンバランス)、文脈(コンテ クスト)、信頼 Ⅰ.はじめに パート 51)では、日常的なコミュニケーション(発話や叙述)において、推論プロセスの暗黙 化が生じる理由について考察を行なった。その結果、 「知識のバランス」が存在する場合、つまり、 前提となる事実があらかじめ対話者間で共通に認識されている場合や、前提から結論が自明のよ うに引き出せる場合のみならず、コミュニケーションのコンテクストから推論プロセスの各要素 (前提、推論形式、結論)が推測できる場合には、これらの要素に対する暗黙化が広範囲に生じ ることを明らかにした。本稿では、コンテクスト情報がコミュニケーションの成立に果たす役割 について、論理学的な視点から考察することにしたい。 Ⅱ.知識のバランスとコミュニケーションの成立 1.「知識のアンバランス」とコミュニケーションの不成立 パート 5 で議論した、坂原の「知識のアンバランス」という概念は、コミュニケーションの一 部に暗黙化が生じる理由をうまく説明してくれる。坂原のいう「知識」とは、対話者間において、 前提となる事実が共通に認識されていることや、結論が前提から自明に引き出せることを意味し *流通科学大学商学部、〒651-2188 神戸市西区学園西町 3-1 (2008 年 4 月 11 日受理) C 2008 UMDS Research Association ○ 98 赤川 元昭 ている。彼によると、前提や結論に関する「知識のアンバランス」が対話者間に存在しない場合 には、その前提や結論が発話から省略(暗黙化)されるという 2)。これは当然のことだろう。な ぜならば、前提となる事実を聞き手も認識している以上、話し手はそれをわざわざ伝える必要は ないし、結論が自明に引き出せる以上、わざわざ結論まで述べる必要もない。つまり、対話者間 に「知識のアンバランス」が存在しない以上、話し手の主旨(結論)を伝えるうえで不必要な情 報をわざわざ相手に伝える必要はないことになる。 だが、坂原の「知識のアンバランス」という概念は、日常的なコミュニケーションで発生する 暗黙化を十分に説明づけることはできないという弱点を持っている。というのも、結論を自明に 引き出せない場合や、聞き手が認識していない事実であったとしても、コミュニケーションにお ける暗黙化は実際に生じているからである。 そこで、先のパート 5 では、坂原のいう「知識」の概念よりも、さらに包括的な「知識」の概 念を用いることで、この問題を解消することを試みた。つまり、前提となる事実があらかじめ対 話者間で共通に認識されている状態や、結論が自明に引き出せる状態のみならず、コミュニケー ションのコンテクストから推論プロセスの各要素(前提、推論形式、結論)を容易に推測できる 場合についても、コミュニケーションをとる当事者間で「知識のバランス」が存在する状態と捉 えることにした。この結果、日常的なコミュニケーションにおいて、推論プロセスの全体像を形 作る各要素(前提、推論形式、結論)に対する暗黙化がより広範囲に生じるという事実を「知識 のバランス」という概念によって、うまく説明づけることができるようになった。 さらに、坂原の「知識のアンバランス」にはもうひとつの弱点がある。それは、話し手の主旨 (結論)の正しさが聞き手に受け入れられる理由について答えることができないという点である。 いま、話し手の主旨(結論)の正しさが聞き手に受け入れられることを「コミュニケーションの 成立」と呼ぶならば、 「知識のアンバランス」という概念は、コミュニケーションの暗黙化のみな らず、その成立についても、十分に説明できないという問題を抱えていることになる。 実際のところ、話し手や書き手にとって、コミュニケーションの目的とは、ただ単に情報を伝 えることだけではないだろう。自らの主張を相手に受け入れてもらうことや、場合によっては、 相手になんらかのアクションを期待することもあるはずだ。だとすれば、発話の主旨(結論)が 正しいものだと聞き手に納得してもらわない限り(つまり、コミュニケーションが成立しない限 り)、その目的は果たせないはずである。このように、コミュニケーションの成立は、コミュニケー ションが行なわれる目的から考えてみても、きわめて重要な意義をもっている。 では、コミュニケーションが伝わるだけではなく、それが成立するために必要な条件とは何な のだろうか。前稿で議論した「知識のバランス」という概念は、コミュニケーションの成立にも、 大きな影響をもつと思われる。この「コミュニケーションの成立」と「知識のバランス」との関 係を考察するために、次のような発話例を取り上げることにしよう。 知識のバランスとコミュニケーションの成立 99 (1.知識のアンバランス例 1) 村田という人物の人柄や能力は申し分ないから、あなたが店長を探しているなら、彼を雇っ たらどうですか。 コミュニケーションの目的が、自らの主張の正しさを相手に受け入れてもらい、場合によって は、相手になんらかのアクションを引き起こすことだとするならば、この発話の場合には、村田 という人物を雇うというアクションを相手に引き起こすことがその目的になる。また、この発話 では、村田という人物の存在や、その人柄や能力に関して、坂原のいう「知識のアンバランス」 が対話者間に明らかに存在すると想定しよう。つまり、話し手は村田という人物の人柄や持ち前 の能力をよく知っていて、それを根拠に村田を推薦している。これに対して、聞き手は、店を安 心して任せることのできる人物を探しているのだが、村田なる人物の人柄や能力はおろか、その 存在さえも知らない。このため、話し手は「村田という人物の人柄や能力は申し分ないから」と いう根拠を明示化して、発話することになる。 次に、この発話の論理構造を分かりやすくするために、前件R=「村田という人物の人柄や能 力は申し分ない」、前件P=「あなたが店長を探している」、後件Q=「彼を雇ったらどうですか」 と置くと、その論理構造は、 「(RかつP)ならばQ」と表現できる。そして、この発話をいわゆ る論理学のテキストにあるような、妥当な演繹法(前件肯定式)を用いた推論プロセスに当ては めるとするならば、以下のような形式になるだろう。この場合、前件RとPが正しい、つまり、 (RかつP)が事実であるならば、この発話の主旨(結論)はQということになる。 (1a.知識のアンバランス例1の推論プロセス) 前提 1 村田という人物の人柄や能力は申し分ないから、あなたが店長を探しているなら、彼 を雇ったらどうですか((RかつP)ならばQ) 前提 2 村田という人物の人柄や能力は申し分ない(R) 前提 3 あなたは店長を探している(P) 結論 彼を雇ったらどうですか(Q) この発話の場合、話し手の言わんとする主旨(結論)がQ=「彼を雇ったらどうですか」であ ることは、聞き手にも明白である。ただし、この主旨(結論)が正しいものとして、聞き手に受 け入れられるかどうかは保証の限りではない。 「本当に、村田なる人物の人柄や能力は申し分ない のだろうか?」といった疑問や、極端な場合には、 「だまされないぞ!」といった反応が聞き手に 生じても、けっして不思議ではない。だとすれば、話し手の発話の主旨(結論)の正しさは、聞 き手に必ずしも受け入れられるとは限らないことになるし、このコミュニケーションが成立する 100 赤川 元昭 保証もないことになる。 では、コミュニケーションがただ単に伝わるだけではなく、それが成立するために必要な条件 とは何なのだろうか。発話の主旨が理解できるだけでいいのであれば、発話における推論の形式 とその前提が推測できれば、それで十分なはずである。だが、コミュニケーションが成立する(発 話の主旨の正しさが聞き手に受け入れられる)には、これだけでは不十分である。なぜならば、 論理という視点から考えた場合、結論の正しさとは、推論プロセスにおける形式の妥当性とその 内容の正しさに依存するからである。つまり、推論形式が妥当であり、なおかつ、前提の内容が 正しい場合にのみ、結論の正しさは論理的に保証されることになる。 だが困ったことに、論理的な視点から考えると、坂原のいう「知識のアンバランス」が対話者 間に存在する限り、 (その情報が明示化されているにもかかわらず)話し手の主旨(結論)の正し さは保証されないことになってしまう。たとえば、先ほどの推論プロセスにおける前提の内容の 正しさについて考えてみよう。この推論プロセスでは妥当な演繹法が用いられている以上、前提 の内容の正しさが聞き手に受け入れられたのであれば、発話の主旨(結論)もまた正しいものと して受け入れられるはずである。 まず、前提 3 の正しさについては、聞き手にとって確認するまでもない。実際に、自分が店を 任せることのできる人物を探しているのが事実だとすれば、それは間違いなく正しいということ になる。次に、前提 2 の正しさについてはどうだろうか。この発話では、 「村田という人物の人柄 や能力は申し分ない」という情報が話し手によって述べられていることは事実であるが、その情 報について聞き手が何も知らなかった以上、 (話し手のいうことを信用しない限り)それが本当に 正しいのかどうかは判断できないはずである。さらに、前提 1 についてはどうだろうか。この前 提の内容についても、それが正しいとは限らない。仮に、村田という人物の人柄や能力は申し分 ないものだとしても、村田以外にも店長がつとまりそうな人は他にもいるだろうし、場合によっ ては、話し手はなんらかの事情で、村田という人物を無理やり推薦していることも考えられる。 つまり、この前提 1 についても、 (話し手のいうことを信用しない限り)それが本当に正しいのか どうかは判断できないことになる。 こうしてみると、コミュニケーションが成立するために必要な条件というのは、 現実的にみて、 いささか厳しすぎるように思える。というのも、この発話を聞いた時点で、聞き手が話し手の主 旨(結論)を正しいと受け入れることは、論理的には一見、ありえなさそうな話だからである。 つまり、対話者間の「知識のアンバランス」が存在する以上、聞き手にとって、正しさを判断で きない前提が必ず存在することになるし、また、前提の正しさを判断できない以上、結論の正し さは保証されないことになる。 では反対に、対話者間に「知識のアンバランス」が存在しなければ、どうだろうか。この場合、 聞き手は、話し手の発話に含まれる前提の正しさをすでに確認している以上、その主旨(結論) 知識のバランスとコミュニケーションの成立 101 の正しさを受け入れることができるだろう。だが、それ以前に、対話者間の「知識のアンバラン ス」が存在しないのなら、コミュニケーションを行なう必要もないはずだ。なぜならば、発話の 情報がすべて対話者間で共有されているならば、それは、わざわざ伝える必要もない発話だから である。 逆説的であるが、コミュニケーションを行なう必要性が生じるのは、対話者間に「知識のアン バランス」が存在するからに他ならない。たとえば、先ほどの発話において、前件R=「村田と いう人物の人柄や能力は申し分ない」が、すでに対話者間で共通に認識されている事実であるな らば、この事実に関して、坂原のいう「知識のアンバランス」が存在しない以上、この前件は暗 黙化され、次のような発話になるはずである。 (2.知識のアンバランス例 2) あなたが店長を探しているなら、村田を雇ったらどうですか。 また、前件P=「あなたが店長を探している」ことも、対話者間ですでに共通に認識されてい る事実であるならば、単刀直入に、次のような発話が行なわれるはずである。 (3.知識のアンバランス例 3) 村田を雇ったらどうですか。 さらに、前件R=「村田という人物の人柄や能力は申し分ない」と、前件P=「あなたが店長 を探している」という 2 つの前提から、自明のように、後件Q=「村田を雇ったらどうですか」 が導き出されるのであれば((RかつP)ならばQ) 、対話者間において、この発話自体、明示化 される必要性はまったくない。坂原の述べるように、前提となる事実が対話者間で共通に認識さ れている場合や、結論が前提から自明に引き出せる場合、つまり、前提や結論に関して、対話者 間の「知識のアンバランス」が存在しないのであれば、その前提や結論は発話から省略(暗黙化) されるからである。 2.コミュニケーションのジレンマとコンテクスト情報が果たす役割 前節で見たように、対話者間に「知識のアンバランス」が存在する場合、話し手が伝えようと する情報には、聞き手にとって真偽不明な情報が「知識のアンバランス」の定義上、必ず含まれ ている。このため、話し手の言わんとする主旨(結論)が、聞き手に正しいものだと受け入れら れる保証はない。論理学が示すように、前提の内容が正しく、なおかつ、推論形式が妥当である 場合にのみ、結論の正しさが保証されるものであるならば、これは当然のことだろう。だが、こ 102 赤川 元昭 のことは奇妙なジレンマを生み出してしまう。 コミュニケーションを行なう必要がある場合には、 対話者間に「知識のアンバランス」が必然的に存在し、対話者間に「知識のアンバランス」が存 在するなら、論理的に見て、そのコミュニケーションの成立は保証されないということになるか らである。 現実に即して考えてみた場合、これは少々おかしな事態である。たしかに、日常的なコミュニ ケーションにおいて、われわれは分かりきった情報だけを伝えているわけではない。だが、相手 の知らない情報が伝えられた途端に、そのコミュニケーションが現実に成立しなくなるわけでも ない。むしろ、聞き手の知らない情報がコミュニケーションに含まれているからこそ、そのコミュ ニケーションは、有意義なものとして聞き手に受け入れられることも多いはずである。 たとえば、先ほどの例のように、聞き手が、店を安心して任せられるような人物を探している にもかかわらず、いまだに見つけられない場合には、こうした人物の存在に関して、話し手が伝 えてくれる情報は非常に有意義なものである。だからこそ、話し手が「村田という人物の人柄や 能力は申し分ないから、あなたが店長を探しているなら、彼を雇ったらどうですか」という発話 を行なった場合、 「そういうことなら、村田を雇おうか」というアクションが聞き手に生じること は、現実的にも十分ありそうな話である。 このように、対話者間に「知識のアンバランス」が実際存在するにもかかわらず、それが相手 に正しいものとして受け入れられることは、それほどおかしなことではない。むしろ、現実によ くあることである。だが、これでは、聞き手が正しさを判断できない情報(対話者間の「知識の アンバランス」 )が存在するにもかかわらず、結論の正しさが受け入れられたということになって しまう。では、どのような理由によって、聞き手は発話の主旨(結論)を受け入れたのだろうか。 コミュニケーションの現実的な成立を考えるうえで、これは避けて通れない重要な問題だと思わ れる。 すでにお分かりかもしれないが、この場合、コミュニケーションを成立させる要因としては、 聞き手からみた場合の話し手の信頼度といったコンテクスト情報の存在があげられる。 いま仮に、聞き手が話し手のことを信頼のおける人物だと思っているのだとしたら、先ほどの 発話に「知識のアンバランス」(前提 1 と前提 2)が存在するにもかかわらず、「あの人のいうこ となら、まず間違いない(正しいだろう) 」という具合に、それらの前提をひとまず正しいものと 判断することは考えられる。また、論理的な視点から考えても、前提が正しいのであれば、この 発話の推論プロセスが妥当な演繹法を使っている以上、話し手の発話の主旨(結論)もまた、正 しいものとして聞き手に受け入れられることになる。こうした事態は、対話者間に長年の信頼関 係が存在するならば、十分ありそうな話である。 だが、その逆に、話し手が信頼の置けない人であったり、見知らぬ人であったりするとしよう。 この場合、聞き手は(何でも信じやすい人なら別として)ふつう、 「村田を雇ったらどうですか」 知識のバランスとコミュニケーションの成立 103 という話し手の発話の主旨(結論)を正しいものとは受け止めないだろう。 「本当に、村田という 人物の人柄や能力は申し分ないのか?」とか、 「なぜ、村田という人物をわざわざ推薦するのか?」 といった疑問が生じても不思議ではない。聞き手が結論の正しさを判断するためには、前提 1 や 2 の真偽を確かめる必要があるという意味で、これは論理的にみても、きわめて適切な疑問であ る。つまり、コミュニケーションとは本来伝わりにくいものだという前提を念頭において、われ われが注意深くコミュニケーションを吟味する場合には、逆に、コミュニケーションの本質的な 伝わりにくさをあらためて考慮せざるを得ないような、なんらかの問題(この場合は、話し手に 対する不信感)が生じていることになる。 3.「知識のバランス」とコミュニケーションの成立 コミュニケーションの目的が、発話の主旨(結論)の正しさを聞き手に受け入れてもらうこと (コミュニケーションの成立)だとしたら、対話者間の信頼といったコンテクスト情報は、コミュ ニケーションを成立させるうえで大きな役割を果たすことになる。 なぜならば、 コミュニケーショ ンにおいて「知識のアンバランス」 、つまり、聞き手が正しさを判断できない情報が存在するにも かかわらず、聞き手は、話し手との信頼関係というコンテクスト情報によって、その発話の主旨 (結論)の正しさを受け入れることができるからである。 また、コミュニケーションの成立という問題は、対話に限られるというわけではない。当然、 書き手の行なった叙述にも当てはまるものである。なぜならば、発話も叙述もわれわれの日常的 な思考の表出に他ならないからである。したがって、話し手や書き手の主張を聞き手や読み手が 受け入れるかどうかという問題は共通のものと考えられる。だとすれば、読み手にとってみた場 合の書き手自身の信頼度はもちろんのこと、場合によっては、書き手の文章が掲載される書物の 信頼度といったコンテクスト情報もコミュニケーションを成立させる要因に含まれることになる。 実際のところ、叙述された事柄が事実と一致するかどうかについて、われわれは、書き手の信 頼度や、その文章が掲載される書物の信頼度といったコンテクスト情報に多く依存しているよう に思える。あまりにも卑近な例で申し訳ないが、確固たる地位を確立した学術誌に掲載された主 張と、スポーツ新聞に掲載された主張を同一視することはないだろう。確固たる地位を確立した 学術誌に掲載された主張の内容が、実際に事実と明らかに反するのであれば大問題であるが、ス ポーツ新聞に掲載された主張の内容が、実際に事実と明らかに反しているとしても、それほど問 題にはならない。ただ単に、面白おかしく記事を書いただけの話で終わってしまう。 もちろん、信頼といったコンテクスト情報は、坂原のいう「知識のアンバランス」という概念 に該当するような(狭義の)知識、つまり、発話の内容の中で前提となる事実が対話者間で共通 に認識されている状態や、前提から自明に結論が引き出せるかどうかにかかわる問題ではない。 だが、それはまぎれもなくコミュニケーションをとる当事者間で築かれてゆくコンテクスト情報 104 赤川 元昭 であり、聞き手や読み手が備えている(広義の) 「知識」に他ならない。だとすれば、話し手や書 き手自身の信頼度や、さらに、掲載される書物の信頼度といったコンテクスト情報を「知識」の 概念に付け加えることによって、そのコミュニケーションが成立する理由についても、うまく説 明づけられることになる。 そこで、 パート 5 と同様、前提となる事実が対話者間で共通に認識されている状態のみならず、 発話や叙述のコンテクスト情報から、前提となる事実の真偽までも推測できる場合には、コミュ ニケーションをとる当事者間に包括的な 「知識のバランス」が存在すると表現することにしよう。 この場合にも、 「知識のバランス」という概念は、コミュニケーション全般において、暗黙化が広 範囲に及ぶ事実をうまく説明づけられるだけではなく、 コミュニケーションが成立する理由をも、 うまく説明づけられることになる。 4.信頼関係の論理 これまで述べてきたように、対話者間に「知識のアンバランス」 (聞き手が正しさを判断できな い情報)が存在する場合、 論理的にはコミュニケーションの成立が保証されないにもかかわらず、 信頼関係といったコンテクスト情報によって、その発話の主旨(結論)の正しさが受け入れられ ることが明らかになった。この場合、論理的思考というものがコミュニケーションを成立させる どころか、一見、その成立を阻害するかのように思える。 しかし、こうした見解は適切なものではない。コミュニケーションが成立しないのは、対話者 間に「知識のバランス」が存在しないためであり、論理的な思考がそれを直接的に阻害している わけではない。また、論理というものがわれわれの備えている日常的な思考のルールであるとす るならば、信頼という(広義の)知識の構築に関しても、なんらかの論理が成立している可能性 が考えられる。 この節では、 「あの人のいうことなら、まず間違いない(正しいだろう)」といった知識(信頼) が、聞き手や読み手に生じる推論プロセスを推測したうえで、その現実的な適合性について検討 を行なう。 これによって、 論理的思考がコミュニケーションの成立を阻害するものなのかどうか、 コミュニケーションにおけるジレンマが果たして解消できないものかどうかを議論することにし たい。また、信頼という知識が現実に生じているのだとしても、その現実的な適合性を論理的に チェックすることで、われわれの日常的な思考が陥りやすい思い込みや勘違いを発見できる可能 性もあるだろう。この場合には、論理的思考はコミュニケーションの成立に関しても有意義な役 割を果たせることになる。 では、先ほどの発話「村田という人物の人柄や能力は申し分ないから、あなたが店長を探してい るなら、彼を雇ったらどうですか」(1.知識のアンバランス例 1)が、対話者間のコンテクスト 情報(信頼関係)によって、聞き手に正しいものとして受け入れられた場合の推論プロセスを考 知識のバランスとコミュニケーションの成立 105 えることにしよう。 (4.信頼関係の推論プロセス 1) 前提 1 「村田という人物の人柄や能力は申し分ないから、あなたが店長を探しているなら、 彼を雇ったらどうですか」と、あの人はいった 前提 2 あの人のいうことなら、まず間違いない(正しいだろう) 結論 「村田という人物の人柄や能力は申し分ないから、あなたが店長を探しているなら、 彼を雇ったらどうですか」は、まず間違いない(正しいだろう) 上記の推論プロセスは、 「知識のアンバランス例 1 の推論プロセス」における前提1の正しさを 根拠付けるためのものである。この推論プロセスでは、いわゆる三段論法に似た妥当な演繹法が 用いられているため、前提が正しければ、必ず結論も正しくなるという特徴をもっている。 では、この推論プロセスにおける前提の正しさはどうだろうか。前提 1 については、 「村田とい う人物の人柄や能力は申し分ないから、あなたが店長を探しているなら、彼を雇ったらどうです か」という発話が、話し手によって実際になされた以上、それはまぎれもなく事実である(つま り、正しい)。次に、「あの人のいうことなら、まず間違いない(正しいだろう)」という前提 2 はどうだろうか。この前提には、過去の事実から導き出されたある種の普遍的な法則性が含まれて いるため、その正しさを確認するためには、さらに次のような推論(信頼関係の推論プロセス 2) が必要になる。この推論の前提はあくまでも便宜上付け加えたものであるが、もちろん、聞き手 は何らかの事実(前提)に基づいて推論していたはずである。もし、なんの根拠もなく、 「あの人 のいうことなら、まず間違いない(正しいだろう) 」と聞き手が考えていたとするならば、それは 信頼というよりも、ただの妄信にしか過ぎない。 (5.信頼関係の推論プロセス 2) 前提 1 Aという件に関して、あの人のいったことは、間違いなかった 前提 2 Bという件に関して、あの人のいったことは、間違いなかった 前提 3 Cという件に関して、あの人のいったことは、間違いなかった 結論 あの人のいうことなら、まず間違いない(正しいだろう) この推論形式は帰納法である。帰納法は個々の経験的な事実を集め、そこから一般的な傾向や 法則性を引き出すというタイプの推論ルールである。パート 4 で述べたように、論理学的な見地 からいえば、帰納法の推論には注意すべきポイントがいくつかある。そのひとつは、 「不十分な統 計や片寄った統計に由来する虚偽」3)である。 106 赤川 元昭 その名のとおり、 「不十分な統計の虚偽」とは、資料が十分集められないうちに一般化を行なっ てしまうことによって生じる虚偽を指し、 「片寄った統計の虚偽」とは、帰納的一般化の根拠(前 提)となる標本が全体を代表していない場合に生じる虚偽のことを指す。これらの虚偽が行なわ れた場合、帰納法的一般化は、必ずしも標本全体に共通する傾向を導き出すのではなく、なんら かの偏見を含む可能性がある。つまり、不十分な統計や片寄った統計に由来する虚偽は、帰納法 的一般化が保証されないことを意味している。これらの虚偽は、意図的に行なわれることもある だろうが、無意識的に行なわれる場合もしばしば存在する。だとすれば、われわれの陥りやすい 日常的な思考の誤りを導き出すという意味で、もっとも注意すべきポイントでもある。 たとえば、資料が十分集められないうちに一般化を行なってしまうことによって生じる(無意 識的な)虚偽の例としては、 「アンカリング効果」が知られている。ホランドたちによると、アン カリングとは、最初に受け取った情報に過度に依存してしまうことによって、その後の意思決定 にゆがみが生じる現象を指している 4)。また、いわゆる「先入観」も、不十分な統計や片寄った 統計に由来する(無意識的な)虚偽の代表例である。先入観とは、限られた前提によって作り上 げられた固定的な観念(結論)である。これらの無意識的な虚偽が、われわれの日常的に陥りや すい思考の誤りである以上、先ほどの信頼関係の推論プロセスでも、 「Aという件に関して、あの 人のいったことは、間違いなかった」という最初の事実や、いくつかの限られた事実によって、 「あの人のいうことなら、まず間違いない」といったアンカリングや先入観が生じる可能性は否 定できない。 しかし、これらの無意識的な虚偽についても、推論プロセスを明示化したうえで、 「不十分な統 計や片寄った統計に由来する虚偽」にかかわる論理チェックを行なうことによって、自分が正し いと思えることと、現実に正しいこととの溝を生めることは可能である。たとえば、このケース の場合には、帰納的一般化の根拠(前提)となる標本が十分にそろっているかどうか、あの人の いったことが間違っていたという事例がなかったかどうか、また、重要な案件だということをあ の人が知っていたにもかかわらず、何もいわなかった事例がなかったかどうかを確かめることに よって、 「あの人のいうことなら、まず間違いない」ということが、単なる思い込みや勘違いに過 ぎないことに気づく場合もあるだろう。 だとすれば、信頼というコンテクスト情報の現実的な妥当性を論理的な視点から検討すること によって、信頼という知識にしばしば含まれている思い込みや勘違いという日常的な思考の誤り を発見し、その誤りを修正することが可能になる。この場合、論理的思考とは、すでに成立した ように感じるコミュニケーションをあらためて吟味し、その現実的な妥当性を確認するうえで、 有益な役割を果たせることになる。 ただし、帰納法的一般化には、もうひとつのチェックポイントが存在する。それは、 「帰納法的 飛躍」の問題である。帰納法的飛躍とは、前提がすべて正しかったとしても、必ずしも結論の正 知識のバランスとコミュニケーションの成立 107 しさが保証されないということを意味している。これは、帰納法という推論形式に常につきまと う問題である。なぜならば、帰納法は限られた経験的事実から一般的な傾向や法則性を導き出す ため、その傾向や法則性がこれまで正しかったとしても、それが今後とも正しいかどうかは保証 の限りではないからである。たとえば、この帰納法の例では、過去の経験的事実から「あの人の いうことなら、まず間違いない(正しいだろう)」という結論が導き出されている。この場合も、 あの人のいうことにこれまで間違いはなかったとしても、この結論の正しさは、今後とも保証さ れるものではない。つまり、今回の話し手の発話「村田という人物の人柄や能力は申し分ないか ら、あなたが店長を探しているなら、彼を雇ったらどうですか」もまた、必ずしも正しいとはい えないことになる。 では、 「不十分な統計や片寄った統計に由来する虚偽」に関するチェックをクリアしたにもかか わらず、帰納法的な飛躍がある以上、今回の話し手の発話を正しいものとして受け入れてはなら ないのであろうか。実は、そういうことでもない。 「帰納法的飛躍」は、(前提がすべて正しかっ たとしても)結論に誤りがある可能性を示唆するものであるが、結論が誤っている可能性を保証 するわけではない。だからこそ、信頼関係の推論プロセス 2 の結論は、「あの人のいうことなら、 ... 絶対に間違いはない(正しい)」という普遍的な真理としてではなく、 「あの人のいうことなら、 .. まず間違いない(正しいだろう)」という仮説として受け入れることに関しては、なんら論理的な 誤りはない。つまり、これは正しく導き出された結論だといえる。 実際、対話者同士が幾度にもわたるコミュニケーションを積み重ねたうえで、これまで、あの 人のいったことに間違いなかったのだとすれば、 「あの人のいうことなら、まず間違いない(正し いだろう) 」という仮説の現実的な適合性は高いと考える方が適切である。だとすれば、今回の発 話についても、それをひとまず正しいものとして受け入れることになんら論理的な問題はない。 たとえば、確固たる地位を築いた学術誌の信頼度を高く感じるのも、それが単なる権威という感 覚的な正しさに由来するだけではなく、その権威が客観的な現実適合性のチェックによって裏付 けられているという側面を見逃すことはできない 5)。 また、これまで述べてきた「知識のアンバランス例 1 の推論プロセス」における前提1の現実 的な正しさに加えて、この推論プロセスにおける前提 2「村田という人物の人柄や能力は申し分 ない」についても、その現実的な正しさがチェックできるのだとすれば、話し手の主張の正しさ を判断するうえで、真偽不明な前提はますます限られてくることになる。さらに、 「あの人のいう ことなら、まず間違いない(正しいだろう) 」という仮説をもし受け入れた場合に、現実的なメリッ トが生じる可能性(また、現実的なデメリットを被らない可能性)が、受け入れない場合よりも 明らかに高いと考えられるのであれば、 「村田という人物の人柄や能力は申し分ないから、あなた が店長を探しているなら、彼を雇ったらどうですか」 (1.知識のアンバランス例 1)という話し 手の主張を受け入れ、村田なる人物を店長として採用することに躊躇する積極的な理由はないと 108 赤川 元昭 いうことになる 6)。 以上述べたように、坂原のいう「知識のアンバランス」 (聞き手が正しさを判断できない情報) が存在する場合でも、コミュニケーションをとる当事者間の信頼関係といったコンテクスト情報 によって、話し手の主張の主旨(結論)を少なくとも感覚的に正しいものとして受け入れること ができるようになる。また、 「あの人のいうことなら、まず間違いない(正しいだろう) 」といっ た信頼という知識が、単に感覚的に生じているのだとしても、こうした知識(信頼)が生じる推 論プロセスを論理的な視点から検討することによって、その知識に含まれる思い込みや勘違いと いった思考の誤りに気づくことができる。この場合、論理的な思考は、信頼という知識の現実的 な適合性を判断するうえで、有意義な役割を果せることになる。 さらに、信頼という知識が生み出される推論プロセスを論理的にチェックすることによって、 信頼という知識が単なる感覚的な正しさとしてではなく、現実適合性を備えた仮説として、論理 的にも正しいものとして受け入れることができるようになる。つまり、論理的思考とは、コミュ ニケーションの成立を必ずしも阻害するものではなく、話し手や書き手の主張を正しく受け入れ るうえで欠かせない役割を果たすものと位置づけることができる。 Ⅲ.コミュニケーションにおいてコンテクスト情報が果たす役割 本稿では、論理学的な視点から、発話のコンテクスト情報がコミュニケーションの成立に果た す役割について議論を行なった。以下に、日常的な思考と論理的な思考との相違点を述べるとと もに、パート 5 と本稿で議論した、われわれの日常的なコミュニケーションにおいて、コンテク スト情報が果たす役割を要約することにしたい。 まず、論理学のテキストに記載されるような推論プロセスでは、通常、明確に記述された前提 と推論ルールを用いて、結論が必然的に導き出される(妥当な演繹法の場合) 。だが、われわれが 日常的に行なうコミュニケーションの局面(発話や叙述)では、推論プロセスの全体像の各要素 (前提、推論形式、結論)がすべて明確にされているわけではない。むしろ、その一部が暗黙化 されている場合や、前提の真偽が不明である場合も多い。にもかかわらず、たいていの場合、わ れわれは日常的なコミュニケーションに対して、さほど問題を感じることもない 7)。 このような事態が生じる説明づけとして、次のようなことが考えられる。それは、われわれが 発話や叙述で明示化された情報だけではなく、それ以外の情報を活用して推論(論証)している ということである。 坂原の「知識のアンバランス」という概念は、コミュニケーションの一部に暗黙化が生じる理 由をうまく説明してくれる。坂原によると、前提となる事実が対話者間で共通に認識されている 場合や、結論が前提から自明に引き出せる場合、つまり、前提や結論に関する「知識のアンバラ ンス」が存在しない場合に、その前提や結論が発話から省略(暗黙化)されることになる。 知識のバランスとコミュニケーションの成立 109 ただし、坂原のいう「知識のアンバランス」の概念は、日常的なコミュニケーションにおける 暗黙化を十分に説明することができないという弱点をもっている。というのも、結論を自明に引 き出せない場合や、聞き手が認識していない事実であったとしても、コミュニケーションにおけ る暗黙化は多く生じているからである。さらに、 「知識のアンバランス」という概念は、話し手の 主旨(結論)の正しさが聞き手に受け入れられるかどうか、つまり、コミュニケーションが成立 するかどうかについて答えることができないという弱点をもっている。というのも、対話者間に 「知識のアンバランス」が存在する場合には、その定義上、真偽不明な情報(前提)が発話に必 ず含まれてしまうため、コミュニケーションの成立は論理的に保証されないという奇妙なジレン マが発生してしまうからである。 そこで、パート 5 では、坂原の示す「知識」の概念にコンテクスト情報を加えることで、 「知識」 の概念をさらに包括的なものとし、これによって、坂原のいう「知識のアンバランス」では説明 づけられなかった暗黙化の問題を解消することを試みた。その結果、前提となる事実があらかじ め対話者間で共有されている場合や、結論が自明に引き出せる場合のみならず、発話や叙述のコ ンテクストから推論プロセスの各要素(前提、推論形式、結論)が推測できる場合、つまり、よ り包括的な「知識のバランス」が存在する場合には、これらの要素に対して、広範囲に及ぶ暗黙 化が生じることを明らかにした。さらに、本稿では、信頼関係といったコンテクスト情報によっ て、コミュニケーションが現実に成立することを示すとともに、信頼という知識が生じる推論プ ロセスをチェックすることによって、コミュニケーションが論理的にも成立することを明らかに した。 以上述べたように、坂原のいう「知識のアンバランス」という概念では説明づけることができ なかったコミュニケーションの暗黙化や成立の問題に対して、発話や叙述のコンテクスト情報を も含めた包括的な「知識のバランス」という概念は、コミュニケーション全般において、推論プ ロセスの全体像を形作る各要素(前提、推論形式、結論)に対して、暗黙化が広範囲に及ぶ事実 をうまく説明づけられるだけではなく、コミュニケーションが現実的に成立する理由についても、 うまく説明づけられることになる。 引用文献、注 1)(赤川 2008e) 2)日常的なコミュニケーションにおいて、推論プロセス(前提や結論)の省略(暗黙化)が生じる理由につ いて、坂原は「知識のアンバランス」という概念を用いて、次のように説明している。 「(107)あなたが通訳を探しているなら、村田を雇ったらどうですか この文では、村田なる人物が英語を話すのは聴者も知っているか、(107)の発話から当然理解できることで あると考えられている。しかし、話者が、聞き手はこのことを知らない、もっと極端な場合では、村田が 110 赤川 元昭 英語を話せないと思ったときにはどうするか。とくに、後者のように、聞き手が村田は英語が話せないと 思っているときに、(107)のように言うのは唐突である。なぜなら、相手は話者が英語のできない男を通訳 に雇うように勧めていると思うからである。このときには、(108)のように、いったん(107)が成立する理由 を導入してから(107)を発話することが考えられる。 (108)村田は最近とみに英語が上手になったから、あなたが通訳を探しているなら、彼を雇ったらどうで すか。 ここで最初に現れている理由節は、もし対話者間で共有されていれば、暗黙の前提として明示されない条 件である。しかし、対話者間の知識にアンバランスが生じたため、話者はまずその補足をして、その後に 条件文を発する。 ところが、理由節と前件さえあれば、引き出すべき結論は自明に思えるときもある。そのときは、理由 節の命題が、後件に現れるべき結論を押しのけて、後件に居座る。すると、擬似条件文が生まれる。 (109)もしあなたが通訳を探しているなら、村田は最近とみに英語が上手になりました。」(坂原 1985) pp.141-142 このように、対話者間で知識が共有されているならば、その知識は暗黙の前提として明示化されない。ま た、前提から結論が自明のように引き出せるのであれば、結論のほうが暗黙化されることになる(坂原の例 では、結論が暗黙化され、理由説が後件に居座る擬似条件文となっている)。 3)(サモン 1987)pp.104-108 4)「アンカリング」とは、意思決定を行なう際、最初に受け取った情報(印象、考え、計算、データなど) に過度に依存してしまう現象をいう。ハモンドたちは、次のような事例を紹介したうえで、「アンカリン グ」が正しい意思決定の妨げになることを次のように指摘している。 「問 1 トルコの人口は 3500 万人より多いか 問 2 トルコの人口はどの程度だと思うか あなたが世間一般の人と同じならば、問 1 の 3500 万という数字(われわれが勝手に設定)は、問 2 の 答えに影響を与えることになる。われわれは長い間、多くの人にこのような質問をしてきたが、問 1 では、 半数の人に 3500 万、残り半数の人に1億という数字を使った。その結果、問 1 で使った数字が大きい場 合、問 2 の答えは、数百万単位で値が大きくなることが分かった。 (~中略~)過去の数字に重きを置き過ぎる場合、他の要素の比重が軽くなり、結果としてかたよった 決定を下してしまう恐れがある。とりわけ変化が急激な現代社会においては、過去の経験による「アンカ リング」がひどい結果をもたらすため、間違った選択へ導かれかねない。情報源が何であろうと、「アン カリング」はしばしば考えに偏りをもたらし、正しい意思決定の妨げとなるのである。」 (ハモンド他 1999) pp. 83-84 5)いわゆる権威にもとづく論証に関して、サモンは次のように述べている。 「結論の裏づけのために、そうした結論を主張しているある人物、ある機関、ある書物を引用するという 手法がしばしば採用される。このタイプの論証はつぎのような形式をもつ。 a)xはpを主張する。 ∴p。 この形式はこのままでは明らかに虚偽である。しかしながら、権威の使用はいつもあやまっているわけ ではなくて、正しい場合もある。(~中略~)実際、わたしたちはたえず権威を正しく利用している。わ 知識のバランスとコミュニケーションの成立 111 たしたちは教科書や百科全書や各分野の専門家の意見を利用している。このような場合、権威を正しく利 用するためには、まず、権威をゆがめずに利用しなければならない。つぎに権威は、それぞれの分野にお ける最高の知識を備えたものでなければならない。もちろん権威はあらゆる点から考えて、実際に正しい と考えられるようなものでなければならない。最後に、そしてこれはもっともたいせつなことであるが、 専門家は自分の判断を、客観的な証拠にもとづいて下さなければならない。というのも、証拠が客観的で あれば、そうした証拠は、必要とあれば他の適切な人間によって吟味され、検証されることができるから である。以上のような条件がそろってはじめて、わたしたちは、その権威が信頼すべきものだと主張する ことができる。権威に対する訴えのうち、そういった信頼すべき権威に対する訴えだけが正当である。と いうのもその場合、信頼すべき権威の証言が、論証の証拠として使われるからである。次の論証の形式は 正しい。 b)xはpに関しては信頼すべき権威である。 xはpを主張する。 ∴p。 この形式は演えき的には妥当ではない。なぜなら前提が真で結論が偽ということも、ありうるからであ る。こうして信頼すべき権威でも、時にはあやまることがありうる。しかしこの形式は帰納的には正しい。 なぜならそれは統計的三段論法の特別なケースだからである。b)は実際、つぎのようなケースに翻訳す ることができる。 c)問題Sに関して、xによって述べられた立言の大部分は真である。 pは問題Sに関して、xによって述べられた立言である。 ∴pは真である。 」(サモン 1987)pp.112-113 6)なぜ,われわれは科学的な知識体系を現実に応用することによって,さまざまなメリットを得ることがで きるのだろうか。その理由のひとつは,科学的な法則が幾度も現実適合性のチェックを受けてきたという 事実にある。だが,最も重要な事実とは,科学的な法則が現実に応用できるという点で,科学的な法則が 絶対的な真理とはいえないからである。つまり,われわれは 100%正しい法則を現実に応用することによっ て,さまざまなメリットを享受しているのでは決してない。その正しさがまだ 100%確かめられていない 未知の予測を現実に当てはめているに過ぎない。だが,現実に当てはめることが可能で,そこからさまざ まなメリットを得ることができるのも,科学的な法則の多くが現実に応用可能だという事実において,本 質的に仮説だからである。 7)日常的なコミュニケーションでは限られた情報だけが伝えられるにもかかわらず、コミュニケーションの 主旨(結論)がうまく伝達されるという問題について、フォコニエは言語学の立場から次のように述べて いる。 「言語は、与えられた情況での認知的構築に適した領域や原則を見つけるための最小限だが十分な手が かりを提供するに過ぎない。この手がかりが既存の環境や利用可能な認知原則や背景フレームと組み合わ されると、適切な認知的構築が行われ、その結果はどんな明示的情報もはるかに越えたものになる。 」 (フォ コニエ 1996)p. xviii 112 赤川 元昭 主な参考文献 1) K. R. ポパー(藤本隆志他訳): 『推測と反駁』(法政大学出版会 1980) (Popper, K. R.: “conjectures and Refutations: The Growth of Scientific Knowledge”, Rontledge & Kegan Paul Ltd. 1963) 2) 坂原茂:『日常言語の推論』(東京大学出版会 1985) 3) W. C. サモン(山下正男訳) :『論理学』(培風館 1987) (Salmon, W. C.: “LOGIC”, Prentice-Hall, Inc. 1984) 4) P. N. ジョンソン=レアード(海保博之他訳) : 『メンタルモデル -言語・推論・意識の認知科学-』 (産 業図書 1988) (Jonson-Laird, P. N.: “Mental Models”, Cambridge University Press 1983) 5) J. H. ホランド、K. J. ホリオーク、R. E. ニスベット、P. R. サガード(市川伸一他訳) : 『インダクション 推論・学習・発見の統合理論へ向けて』(新曜社 1991) (Holland, J. H., Holyoak, K. J., Nisbett, R. E., Thagard, P. R.: “INDUCTION: PROCESS OF INFERENCE, LEARNING, AND DISCOVERY”, Massachusetts Institute of Technology 1986) 6) G.フォコニエ:『メンタル・スペース -自然言語理解の認知インターフェイス-』 (白水社 1996) (Fauconnier, G.: “MENTAL SPACE”, Cambridge University Press, 1994) 7) E. B. ゼックミスタ、J. E. ジョンソン(宮元博章他訳) :『クリティカルシンキング 入門篇』 (北大路書 房 1996) (Zechmeister, E. B., Johnson, J. B.: “Critical Thinking, A Functional Approach”, International Thompson Publishing Inc. 1992) 8) E. B. ゼックミスタ、J. E. ジョンソン(宮元博章他訳) :『クリティカルシンキング 実践篇』 (北大路書 房 1997) (Zechmeister, E. B., Johnson, J. B.: “Critical Thinking, A Functional Approach”, International Thompson Publishing Inc. 1992) 9) J. S. ハモンド、R. L. キーニー、H. ライファ: 「意思決定を歪める心理的な落とし穴」 、 『DIAMOND ハー バード・ビジネス・レビュー 1999 年 4-5 月号』(ダイヤモンド社 1999) (Hammond, J. S., Keeney, R. L., Raiffa, H.: “The Hidden Trap in Decision Making”, Harvard Business Review, Sep.-Oct. 1999) 10)赤川元昭: 「経営実務における論理的思考:ビジネス・パーソンに必要な論理的思考とは?」 、 『流通科学 大学流通科学研究所ワーキングペーパー』No.55(2006a) 11)赤川元昭: 「ロジカル・シンキングは、ビジネス・パーソンになぜ支持されるのか(パート 1)」 、 『流通科 学大学論集-流通・経営編』第 19 巻第 1 号(2006b) 12)赤川元昭:「直感的発想の問題:ロジカル・シンキングは、ビジネス・パーソンになぜ支持されるのか (パート 2) 」、『流通科学大学論集-流通・経営編』第 20 巻第 2 号(2008a) 13)赤川元昭: 「直感的発想と論理的思考:ロジカル・シンキングは、ビジネス・パーソンになぜ支持される のか(パート 3) 」、『流通科学大学論集-経済・経営情報編』第 16 巻第 2 号(2008b) 14)赤川元昭:「経営における論理的思考」 、『慶応経営論集』第 25 巻第 1 号(2008c) 15)赤川元昭: 「日常的なコミュニケーションと論理的思考:ロジカル・シンキングは、ビジネス・パーソン 知識のバランスとコミュニケーションの成立 113 になぜ支持されるのか(パート 4)」、 『流通科学大学論集-流通・経営編』第 21 巻第 1 号 (2008d) 16)赤川元昭: 「知識のバランスとコミュニケーションの暗黙化:ロジカル・シンキングは、ビジネス・パー ソンになぜ支持されるのか(パート 5)」、 『(流通科学大学論集-人間・社会・自然編)第 21 巻第 1 号(2008e)
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