迷走神経切断が二酸化炭素負荷に対する換気応答

○平成19年度奨励研究
「迷走神経切断が二酸化炭素負荷に対する換気応答に与える影響」
医科学センター 助教 飯塚 眞喜人
医科学センター 嘱託助手 平岡 優一
1.研究目的
上気道や肺にある種種の感覚線維は、迷走神経を介して呼吸に影響を与える1)。例えば肺の伸展受容器は
肺の膨張により興奮し、吸息相から呼息相への切替に関与している。この反射はHering-Breuerの吸息抑制反
射と呼ばれる。迷走神経を介する感覚入力を欠いている肺移植患者が長期にわたり生存できることから、これら
の感覚入力は成体の呼吸調節において補足的な役割を果すに過ぎないという考え方がある2)。しかしながら最
近、子羊を用いた研究で迷走神経の切断により、低酸素血症となり1日以内に死亡することが報告された3)。同
様に無麻酔覚醒状態の新生ラットにおいて迷走神経の切断が、著しい呼吸周期の延長と一回換気量の増大、
分時換気量の減少、口を大きく開けるあえぎ呼吸様パターンへの変化を引き起こすことが報告されている4)。こ
れらの報告は新生児期には、迷走神経を介する感覚入力が肺の過膨張を避け適切な換気量と呼吸頻度に調
節するために重要であることを示唆している。一方、Zhouら(1996)は除脳した新生ラットを用いて、呼吸頻度が
迷走神経切断により劇的に変化することがなかったと報告している5)。
我々はラットを用い、迷走神経を切断して感覚入力の影響を遮断した時に観察される、腹壁筋の呼息性活動
パターンとその生後発達について研究してきた6, 7)。呼息筋の活動は、運動などにより酸素消費量や二酸化炭
素産生量が増大した時に、適切な換気量を維持するために重要な働きをする。我々は除脳した新生ラットにお
いて二酸化炭素正常状態の時、Zhouら(1996)と同様の短い周期の横隔神経活動を観察した5)。そして腹壁筋
を支配する腸骨下腹神経は呼息相に一相性の活動を示した。これは無麻酔覚醒状態の新生ラットを用いた
Fedorkoら(1988)の報告と対照的である4)。さらに我々は高二酸化炭素負荷により著しい呼吸周期の延長と、吸
息相の前後に活動を示す二相性の大きな呼息性活動が出現することを見出した。平成18年度の本学奨励研究
において我々は同様の現象が迷走神経を切断した無麻酔覚醒状態の新生ラット2匹においても観察できること
を明らかにした。本年度は実験数を増やすとともに、Hering-Breuerの吸息抑制反射の有無によって迷走神経の
切断を確認した。
2.研究方法
すべての実験は茨城県立医療大学動物実験委員会の承認を受けて行なった。実験には生後1~3日の新生
ラット15匹を用いた。新生ラットのうち、9匹では両側迷走神経切断を行ない、3匹では迷走神経切断前まで同様
の操作を加えた後で切断せずに縫合した。残りの3匹は外科的な操作を加えずに実験を行なった。すべての外
科的な操作は、1.5~2.0%イソフルレン深麻酔下で、後肢への痛み刺激により反射運動が起きないことを確認し
た後に行なった。腹側の皮膚を切開し、頸部の迷走神経を剖出し、2~3mm切除した。切開部を縫合糸を用い
て縫合した。外科的な操作中、直腸に温度プローブを入れて体温を計測し、33℃以上にシリコンラバーヒーター
を用いて維持した。すべての外科的操作が終了したら、イソフルレン麻酔を中止し、50%酸素下で15~30分ほ
ど回復させた。そして室内空気に戻し全体として1時間以上回復させた。そのとき室温は新生ラットの中性温度
域である31~33℃に保持した。新生ラットの換気を調べるダイレクトプレチスモグラフはOnoderaら(1997)の手法
を一部修正して用いた8)。まず8~12mmの穴をあけたスチレン系ポリマー粘着シート(約30×30×3mm)に新生
ラットの頭部を入れた。そして容量400mlの容器にあけた15mmの穴に内側から外側に新生ラットの頭部を出しシ
ートを容器内部に貼り付けた。ワセリンを用いてラットとシートの間の隙間を埋めた。差圧計を用いて容器内の圧
力変化を測定した。差圧計からの出力を呼吸アンプを用いて増幅し、オシロスコープで観察し、磁気テープに
記録した。容器内に200μl注入した時の圧変動を元に、新生ラットの一回換気量を求めた。まず15分ほど室内
気(21%酸素)を自発呼吸させ、その後50%酸素50%窒素の混合ガスを10~15分間吸入させた。そして、3、6、
9%の二酸化炭素を含む50%酸素混合ガスをそれぞれ10~15分間吸入させた。一部の実験ではMatsuoka &
Mortola(1995)の手法を用いチャンバー内を一過性に-2~-6cmH2OにすることによってHering-Breuerの吸息抑
制反射の有無を調べた9)。
3.研究結果
迷走神経切断時に大きく切開したり出血の多かったラットでは、室内気を呼吸している時にも口を大きくあける
あえぎ呼吸様のパターンを示した。迷走神経を切断した多くの新生ラットで、しばしば呼吸時にはやいリズムで
口を小さく開閉させる運動が見られた。しかし、全く迷走神経切断前と区別のつかない呼吸パターンを示す場合
もあった(4匹)。この時の呼吸周期は約0.5秒であった。迷走神経の切断の有無によって高二酸化炭素負荷に
対する換気応答が顕著に異なっていた。迷走神経を切断したラットでは9%二酸化炭素負荷によって呼吸周期
が1~2秒ぐらいまで延長し、一回換気量が増大した。一方、迷走神経を切断しなかったラットでは呼吸周期はむ
しろ短くなった。一回換気量は迷走神経を切断した新生ラットほどではないが増大した。その結果、9%二酸化
炭素負荷時、分時換気量は迷走神経を切断したラットでは負荷前の2倍以下しか増大しなかったが、迷走神経
が無傷のラットでは2~4倍になった。
迷走神経を切断した新生ラットでは高二酸化炭素負荷により口を大きく開ける呼吸パターンへと変化した。一
方、迷走神経が無傷の新生ラットでは口を開ける呼吸パターンは認められなかった。迷走神経を切断した新生
ラットでは容器内を陰圧にして吸気させたときに呼吸抑制が認められなかった。一方、迷走神経が無傷のラット
では数呼吸周期ぶんにわたり呼吸停止が認められた。
4.考察(結論)
本研究では無麻酔覚醒状態の新生ラットを用い、迷走神経切断下で高二酸化炭素負荷の効果について調
べた。迷走神経の切断はその手技の困難さから、喘ぎ様の呼吸から正常呼吸に近いパターンまで色々なパタ
ーンを示した。一般に大きく切開してしまった場合や出血が大きい場合には、喘ぎ様の呼吸が観察された。しか
し口を開けずほぼ正常呼吸と区別のつかないパターンを示した新生ラットもいた。これらの新生ラットは
Hering-Breuerの吸息抑制反射を示さず、実験終了後に迷走神経が完全に切断されていることを肉眼解
剖的に確認した。以上の結果から、迷走神経からの感覚入力遮断は新生ラットにおいて即、生命の維持を危う
くするほど呼吸に影響を与えることはないと考えられた。
Fedorkoら(1988)は、迷走神経切断後に呼吸周期の著しい延長と吸気量の増大を観察した4)。本研究でも迷
走神経切断時に大きく切開したり出血の多かったラットで喘ぎ様の呼吸パターンを認めた。一方、同様の手技で
切開と迷走神経剖出後、迷走神経を切断しなかったラットではいずれのラットも喘ぎ様の呼吸は示さなかった。
外科的操作による頸部迷走神経周辺の組織への損傷のみでは喘ぎ様呼吸にはならず、迷走神経を切断して
初めて喘ぎ様呼吸を示すように考えられた。この原因は不明である。Fedorkoら(1988)は上気道の閉塞を避ける
ため気道内にカテーテルを挿入し、無麻酔覚醒状態で迷走神経にかけておいた糸を縛ることにより切断してい
る4)。つまり迷走神経切断前に頸部迷走神経周辺の組織への損傷が大きかったと考えればFedorkoら(1988)の
観察は本研究の結果とよく一致する。また伴い障害性に生じる多くの神経線維の発火や、操作に伴う痛み刺激
が呼吸パターンを変化させた可能性がある。彼等はこのような呼吸パターンがどの程度持続するのかについて
触れていない。
本研究で、室内気を吸気している条件下では、迷走神経の切断の有無により顕著な差が認められない場合
があった。しかし二酸化炭素負荷は、呼吸周期を延長させ、分時換気量の増大を抑制した。これらの結果は、新
生ラットが高二酸化炭素負荷に対して適切な換気応答を行なうためには迷走神経からの感覚入力が不可欠で
あることを示している。
5.成果の発表(学会・論文等,予定を含む)
第85回日本生理学会大会(3月)にて発表する。
6.参考文献
1) Paintal AS. Vagal sensory receptors and their reflex effects. Physiol Rev. 1973; 53(1): 159-227.
2) Iber C, Simon P, Skatrud JB, Mahowald MW, Dempsey JA. The Breuer-Hering reflex in humans. Effects of
pulmonary denervation and hypocapnia. Am J Respir Crit Care Med. 1995; 152(1): 217-24.
3) Lalani S, Remmers JE, Green FH, Bukhari A, Ford GT, Hasan SU. Effects of vagal denervation on
cardiorespiratory and behavioral responses in the newborn lamb. J Appl Physiol. 2001; 91(5): 2301-13.
4) Fedorko L, Kelly EN, England SJ. Importance of vagal afferents in determining ventilation in newborn rats. J
Appl Physiol. 1988; 65(3): 1033-9.
5) Zhou D, Huang Q, Fung ML, Li A, Darnall RA, Nattie EE, St John WM. Phrenic response to hypercapnia in
the unanesthetized, decerbrate, newborn rat. Respir Physiol. 1996; 104(1): 11-22.
6) Iizuka M. Abdominal expiratory nerve activity in the decerebrate neonatal rat. Neurosci Res. Suppl. 2006;
55: S127.
7) Iizuka M, Fregosi RF. Influence of hypercapnic acidosis and hypoxia on abdominal expiratory nerve activity
in the rat. Respir Physiol Neurobiol. 2007; 157:196-205.
8) Onodera M, Kuwaki T, Kumada M, Masuda Y. Determination of ventilatory volume in mice by whole body
plethysmography. Jpn J Physiol. 1997; 47(4): 317-26.
9) Matsuoka T, Mortola JP. Effects of hypoxia and hypercapnia on the Hering-Breuer reflex of the conscious
newborn rat. J Appl Physiol. 1995; 78(1): 5-11.