マキャヴェリアン・アナクロニズム

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マキャヴェリアン・アナクロニズム
森 裕 大
(堤林研究会 3 年)
Ⅰ 目的と意義
Ⅱ 生涯と作品
Ⅲ 非難と賛美
Ⅳ 言説と主義
Ⅴ 政治と経営
1 国家と企業
2 民衆と社員
3 支配と指導
Ⅵ 曲解と意図
1 企業の台頭
2 文章の簡約
Ⅶ 反省と課題
Ⅰ 目的と意義
政治や経済、あるいは哲学を論じる際、プラトニズム(Platonism)やマルキシ
ズム(Marxism)など、ある思想家や学者の名が死後そのままイズム(主義)になっ
て語られることがしばしばある。そして幸か不幸か、それらはやがて多くの思想
家や政治家に曲解され、悪用されることになった。この論文の主人公であるニッ
コロ・マキャヴェリ(Niccolò Machiavelli, 1469~1527)も、彼の思想から「マキャ
ヴェリズム(Machiavellism)」あるいは「マキャヴェリスト(Machiavellist)」が生
まれ、その冷淡な言説から多くの人々に誤解され、利用されたその一人である。
彼の『君主論』は彼の死後大きな波紋を呼び、やがてその過激な文章から「悪徳
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の書」と非難を受けることになる。しかしやがて『君主論』が再評価され始める
と、同時期に「マキャヴェリズム」が生まれ、それを多くの人々が『君主論』か
ら「目的のためには手段を選ばない」に代表される権謀術数主義へと解釈し、通
俗化した。そして現代では企業経営での非情的言説を正当化しようとするアナク
ロニズムが起き始め、
『君主論』のテクストが曲解、すり替え、あるいはつまみ
食いされ、彼の国家統治術(arte dello stato)は経営学や企業におけるリーダーシッ
プ論など、企業経営術へと流用されることになった。
ルネサンス期のフィレンツェでマキャヴェリが書いた『君主論』の論理が、現
代の企業に当てはめることが本当に可能なのか。それはただ、近現代の事例を過
去の名著に当てはめ、換骨奪胎して正当化しているに過ぎないのではないのか。
本論文の出発点は、まさにその疑問から始まった。『君主論』のはじめの部分を
読めばわかることだが、当時生きていたマキャヴェリがなぜこのような作品を書
いたのか、その意図(コンテクスト)は『君主論』のみならず、多くの彼の著作
と照らし合わせなければならない上、それでもその考察は彼の思想のごく一部に
す ぎ な い こ と を 認 識 し な け れ ば な ら な い。 ま た 学 界 で は、 ポ ー コ ッ ク
(J.G.A.Pocock) の『マキャヴェリアン・モーメント(The Machiavellian Moment)
』
以来、
『君主論』のみならず『ディスコルシ』などの著作も注目されるようになり、
今までとは異なった共和主義者としてのマキャヴェリ像も定着していることも留
意しておきたい。
しかしだからと言って、『君主論』が全く現代の経営に応用できないとは言い
切れない。国家も企業もその規模や目的は異なれど、組織、共同体、あるいは集
合体であり、その共通点の存在も否定できないからだ。またメリアム(Merriam)
が言うように、
「政治的組織以外の組織においても、統治的なもの・法的なもの・
政治的なものなどはすべて見出せるだろうし、また服従・統御・協調(sub-,super-,
and co-ordination)などといった現象も発見できるのである。したがって、これら
の組織の間に境界線を引くことは不可能であるし、またそうしたからといって得
るところは何もない。それどころか、これら組織の間の基本的な類似性、機能の
相似性、さらには、しばしば見られる機能の相互交換性といったものを率直に認
めることによって、かえってよりはっきりした観察が可能になるのである」1)。ま
たマキャヴェリが生きていた時代では、所々に資本主義経済の初期段階が見られ
ること2)、そして彼がそこでの商人的精神に影響されているのではないかという
指摘があること3)を鑑みると、たとえ21世紀と16世紀という時代の壁があろうと
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も、また経営と政治という異なった分野であろうとも、その区別を厳密に、完全
に行うことは不可能であろう。
けれどもたとえ国家と企業に「境界線を引くこと」が不可能で無意味だとメリ
アムが指摘しても、現代における安易な「マキャヴェリズムの経営化」を是認す
るわけにはいかない。もっともメリアムの指摘はあくまで組織内での関係論的視
点であり、組織そのものの目的や性質といった実体論的視点に立つことで違った
組織論が見出すことができるはずだ。またウェーバー(Max Weber)が「経済経
営における管理と政治的管理〔行政〕との間には多分に類似点がありながら、根
本的にはまったく違った法則に従っている」4)と言うように、国家と企業体の違
いを厳密に把握する必要性と可能性は残っている。このことを踏まえて本論文で
は、マキャヴェリのコンテクストを重視することによって過去と現代、つまり
「マキャヴェリの国家統治術」と「マキャヴェリストの企業経営術」の違いを認
識し、その整合性の再検討を試みることにしたい。
本論文は、曲解されつつあるマキャヴェリの思想5)を再認識し、彼をめぐる論
難と論賛の歴史を振りかえることから始まる。そしてマキャヴェリの思想とマ
キャヴェリズムがどのように乖離し、国家統治術が企業経営術へと曲解されてき
たかを探る。その上で本論文の目的であるそれらを検証・批判を行いながら、な
ぜ現代の経済界で「マキャヴェリズムの経営化」が起きたのかを考察していきた
い。
Ⅱ 生涯と作品
マキャヴェリがどのような人生を送ってきたかは、一般に書籍化されている
『君主論』の解説の部分を見れば、おおよその彼の生涯を知ることができる6)。本
論文ではマキャヴェリがどのような意図を持って『君主論』を書いたのか、に焦
点を置きたいので、ここでは概略程度に彼の人生を紹介し、のちに適宜補足をし
ていきたいと思う。
法律家の父ベルナルド(Bernardo)と詩才豊かな母バルトロメア(Bartolomea)
の間に貧しいながらも旧家の長男として生まれたマキャヴェリが過ごした時代は、
ルネサンス末期の16世紀であった。当時のイタリア半島はフィレンツェ共和国、
ヴェネツィア共和国、ミラノ公国、ナポリ王国、教皇領など大小の都市国家およ
び君主国がそれぞれ独自に統治を行い、争いあっていたと同時に、周辺にはフラ
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ンスやスペインなどの大国が虎視眈々とイタリア半島を狙っていたという殺伐と
した時代であった。また彼が生まれてから29歳でフィレンツェ政庁の第二書記官
に任命される間にも、メディチ(Medici)家による商人的寡頭制から独裁制まで
の内紛や、フランスのイタリア侵攻、それに伴うメディチ家追放、その後の修道
士サヴォナローラ(Savonarola)の神権政治とその失墜などフィレンツェ内でも
多くの変乱が起きるなど、栄華を極めたルネサンス文化というイメージとはかけ
離れた時代であった。マキャヴェリはサヴォナローラが処刑され、フィレンツェ
が民主共和国になって 5 日後にフィレンツェ政庁に就職し7)、やがてその外交・
軍事技術が買われ、やがて終身統領ピエロ・ソデリーニ(Piero Soderini)の片腕
として職務に励んだ。しかしジョヴァンニ・デ・メディチ(Giovanni de Medici)
がフィレンツェ政権に復帰し、再び独裁制になると彼は一切の役職を罷免された。
その後彼は反メディチ派の陰謀に巻き込まれ、無実の罪で拷問を受け、その経歴
から二度と政界に戻れない身となってしまった。自暴自棄に陥りながらも古典に
読みふける生活を送っていたマキャヴェリは、ジョヴァンニの弟であるジュリ
アーノ(Guriano)を支援して新たな国を興すとの知らせを聞き、『君主論』の執
筆を行うのであった。この時期の考察は後に行うとして、結局『君主論』はメディ
チ家の目に触れられることはなく、彼の死後に出版されることになった。しかし
晩年、彼はフィレンツェ政府から使節を任命されたり、フィレンツェ編年史(後
の『フィレンツェ史』
)の執筆を依頼されたりと、メディチ家からその政治能力が
買われていた節があった。また喜劇作家として『マンドラーゴラ(Mandragola)』
や『クリティア(Clizia)』を書き、母親譲りの文才を発揮した。そしてローマ略
奪とともにメディチ家が没落し、後ろ盾を失ったマキャヴェリは失意のまま病床
に伏し、58年の生涯を終えた。
ここで彼の著作について少し整理と説明をしておきたい。マキャヴェリは書記
官として諸外国と折衝する間に様々な報告書や書簡を残している。そして彼が失
職し、古典を読みふける中で生まれてきた書物と、それらと同時に作家としての
寓話や喜劇も書いていた。よって彼の著作は官僚時代の外交経験と古典から学ん
だ知識によって記述された政治的著作と、それ以外の詩文、つまり非政治的著作
に二分できる。本論文では、彼の政治的著作と、それらが後世に投げかけた波紋
の歴史を見る中で、彼の思想がどのような解釈をされたのかを見ていきたい。
現在、世間一般にマキャヴェリの政治的著作として有名なのは断然『君主論(Il
Principe)
』である 。『君主論』は日本語訳で150ページにも満たない短い書物で
8)
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あるが、これの他に『ティトゥス・リウィウスの「歴史」の最初の十巻に関する
考察(Discorsi sopra la prima deca di Tito Livio)』という、
『君主論』の 4 倍以上の量
を誇る著作がある。日本では『政略論』や『リウィウス論』
、『ディスコルシ』な
どタイトルが統一されていないが、本論文では『ディスコルシ』と呼称しておく。
この二著はマキャヴェリの死後に出版されたが、これらが具体的にいつ書かれた
かは定かではなく、未だに論争の的になっている。というのも、端的に言うなら
ば『君主論』はその名の通り君主政について書かれたものであるのに対し、
『ディ
スコルシ』はかつての古代ローマ帝国の歴史に感化されたマキャヴェリが共和政
について論じたものであるからだ。
君主政と共和政、この相反する政体論が同じ著者から生まれたことに関しては
疑問の声が出るのだが、
『君主論』でマキャヴェリは 2 章の冒頭で「共和国のこ
とは、べつのところでながながと論じたので、その論議ははぶかせてもらおう。
ここでは君主国にかぎって、すでに述べた横糸(筋道)に沿って話を進めていこ
9)
う。こうした君主国をどのように統治し、維持したらよいか考えてみよう。」
と
彼の中では君主政と共和政は両立できるものと考えている10)。次に挙げられるの
は『戦争の技術(Arte della Guerra)』と『フィレンツェ史(Istorie Fiorentine)』で
ある。
『戦争の技術』は『君主論』や『ディスコルシ』とは違い、マキャヴェリ
が存命している間に出版したものである。彼はフィレンツェ共和国の書記官で
あった頃から、自国軍の必要性を痛感しており、それは『君主論』を見れば一目
瞭然である11)。そして丁度この頃からメディチ家との関係が回復し始め、やがて
『フィレンツェ史』執筆を委託される12)。
Ⅲ 非難と讃美
『戦争の技術』や非政治的著作である『マンドラーゴラ』などの劇作品を除い
た彼の主著は彼の死後に出版化され、 4 年後に『ディスコルシ』
、翌年には『君
主論』(1532)と『フィレンツェ史』が出版された。そして彼の思想は非難と曲
解の、特に『君主論』を巡っての数奇な運命を辿ることになる13)。
彼への評価はまず道徳的あるいはキリスト教的立場にあるものから非難を受け
ることになる。彼への批判は『君主論』が出版されて間もなく、しばしば暴君の
手引として扱われ、「マキャヴェリその人と著作は悪意、背徳、無神論の帰結と
判断され、激しい非難と論争の的となっていた」14)。1559年には彼の著作は全て
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なみ
禁書目録に指定され、「自然法、宗教を蔑し破壊するもの」とキリスト教側から
多大な非難を受けることになった。「マキャヴェッリを『論駁する』ことが、に
15)
わかにカトリックの時事評論家にとっては決まり文句となっ」
ており、その程
度は計り知れなく、マキャヴェリを批判するために彼の著作を引用する際にも、
教皇からの許可を貰わなくてはならない程になっていた。ただし、ここで歴史の
逆説というべきであろうか、彼の著作が論駁されることがかえって彼の歴史的・
政治的洞察力が強調されることなり、
「この一種中世的な貴族君主政の擁護者の
書物はこれまたマキャヴェッリの思想を伝播させ、ヨーロッパ文化の中にいっそ
う根付かせることとなった。
」16)
そして17世紀になると、マキャヴェリを批判する者の中にも彼の思想の影響が
見られる者が出てきた。トマーソ・カンパネッラ(Tommaso Campanella)は『君
主論』が古代ギリシア時代の哲学者アリストテレス(Aristoteles) の『政治学
(Politike)
』 5 巻10章 で の 僭 主 制 で の 記 述 を 基 盤 と し て い る と し、
『太陽の都
(Civitas soilis)
』ではユートピア国家を描きながら暗にマキャヴェリを批判するも、
彼の思想はその後の『スペイン帝政論(Monarchia di Spagna)』や『フランス帝政
論(Monarchia di Francia)』で見られるように、徐々にマキャヴェリ的になって
いった。その後もフランシス・ベーコン(Francis Bacon)、スピノザ(Spinoza)、
モンテスキュー(Montesquieu)、ルソー(Jean-Jacques Rousseau)らによってマキャ
ヴェリを道徳的ではなく、政治的・主権的な側面から考察し、正当な評価が始め
られた。特にルソーは『社会契約論』で「彼の『君主論』は、共和主義者の教科
書である」と述べ、彼の著作からマキャヴェリの愛国的で、自由主義的で、そし
て共和主義的な要素を見出し、「王公に教えをたれるとみせかけて、マキアヴェ
リは、人民に偉大な教訓を与えたのである」と解釈した。スピノザもこの点に関
して強く主張している。『神学・政治論(Theological-Political Treatise)』で彼は、
『君
主論』は「歪んだ教え」という解釈のもと、いいかにして僭主が人民を支配して
いるか、その警告と同時に、時には人民からの反抗をすべきという民主主義的な
示唆を含んでいるとした。
ここで特筆すべきなのは、この時代の思想家・小説家であるディドロ(Denis
Diderot)が「おそらくだが、
『百科全書』における<マキャヴェリズム>という
17)
呼称の生みの親」
であることだ。『百科全書』は本文17巻、図版11巻という膨
大な情報量でありながら、日本語訳ではその「序説」のみであり、その中では「マ
キャヴェリズム」という呼称は見つからなかった。しかしディドロの著作である
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『君主の政治原理』(正確な自筆タイトルは『タキトゥスに余白に或る君主の手で書き
こまれた注』
)では「マキアヴェリスト、すなわちなにごとも自分の利益に従って
計算する人間は、しばしば正義愛を憎悪の代わりに置く」とあり、すでに「マキャ
ヴェリズム」には、今まで彼が非難されていた反道徳的な要素が意図的に含まれ
ていたことがわかる。ディドロ自身は「マキアヴェッリを全体としては共和主義
者として擁護し、『君主論』は専制的権力を皮肉ったものとして述べてい」18)た
ものの、彼への評価が歴史的に見て余りにマイナスであったせいだろうか、前述
したルソーらの自由民主主義的な解釈とは乖離し、「マキャヴェリズム」が権謀
術数主義と解釈されるのは、マキャヴェリの思想がイズムへと言語化された時点
で始まっていた。そしてマキャヴェリズムは悪徳の汚名を背負いながら多くの時
の権力者にもてはやされ、利用されていくのである。
Ⅳ 言説と主義
現代のマキャヴェリへの評価はその冷静な観察眼や分析力が評価され、「近代
政治学の父」などと評されるようになった。同時に著作の執筆時期や彼の思想変
化は大きな議論を呼び、非常に多様な研究が行われている19)。しかし世間一般で
はマキャヴェリズムという言葉は、「どんな手段でも、また、たとえ非道徳的行
為であっても、結果として国家の利益を増進させるなら許される」と解釈され続
け、さらに端的な意味として「目的のためには手段を選ばない」、権謀術数主義
と同義となった。そして日本では彼の政治的言説が「語録」として親しまれるよ
うになった。しかしそれは同時に文章(テクスト)と意図(コンテクスト)の分離
を引き起こすことになり、マキャヴェリズムは多くの非情な政治家や思想家にお
いて格好の決まり文句となった。
もっとも実際にマキャヴェリは似たようなことを『ディスコルシ』の 9 章で述
べている。「たとえ、その行為が非難されるようなものでも、もたらした結果さ
えよければ、それでいいのだ」
、と。しかし注意しなければならないのは、確か
にマキャヴェリ自身このようなこと述べたが、そのコンテクストを見ればいかに
その言葉が限定的であるかがわかる。『ディスコルシ』 1 巻 9 章では、ローマを
建国したロムルス(Romulus)について述べられている。ここでのマキャヴェリ
の論理は、一国を建設するためには独裁者に委ねることが必要であり、そのため
に弟と協力者を殺したロムルスは自分の野望のためではなく、社会のために行動
100 政治学研究42号(2010)
したため、その罪は許されるというものである。そして後の 1 巻18章では、腐敗
した国を再建させるには、民衆自身が腐敗しているのなら君主による権力を集中
させて統治すべきだとした。その時に例にあげたクレオメネス(Kleomenes Ⅲ)
も監督官を殺害したが、そうしなければ何をしても失敗すると、その残虐な手段
を認めた。
ちなみに上記のようなマキャヴェリのコンテクストは『君主論』でも見られる。
彼は 8 章で「同郷の市民を虐殺し、仲間を裏切り、信義や慈悲心や宗教心ももち
合わせない」アガトクレスを例に挙げ、しかしその統治では「よく外敵をふせぎ、
いちども市民の謀反にあわなかった」と彼の力量を評価する一方、
「ところで、
残酷さが立派に使われた―悪についても、りっぱに、などのことば遣いを許し
ていただければ―、それは自分の立場を守る必要上、いっきょに残酷さを用い
ても、そののちそれに固執せず、できるかぎり臣下の利益になる方法に転換した
ばあいをいう」と教示を述べている。つまり「非常措置を必要とする状況」と、
その「結果が社会に善いもの」であれば、たとえどんな手段であっても許される
のだ20)。またこれは彼の記述から逆説的な考えとなるが、彼は残忍な行為のうち
に、現代の法律では犯罪となりえるような殺人なども、目的が社会に良いもので
あれば許させるとしている21)。マキャヴェリにおいて現代のような一般的倫理観
は国家を統治する上では無用なものとなった。
このように見ると、やはりマキャヴェリは冷酷な人物だったのではという声が
出てきそうだ。しかしマイネッケ(Friedrich Meinecke)は彼の思想と「国家理性」
を強く結びつけ、
「マキアヴェリのいう『能力』の倫理的領域は、一つの別個の
世界のように、普通の道徳的領域と並んで存在したが、しかしそれは、国家つま
り人間の創造の最高課題である『政治的生活』の生命の源であったから、かれに
とっては一段と高次の世界であった。そしてそれは、彼にとって一段と高次の世
界であったがゆえに、その目的を達成するためには、道徳的世界にあえて干渉し、
これを侵害することすら許させたのである」22)という。端的に言えば公私の対立
であり、マキャヴェリにとって公が優先されるべきだとする。しかし非常に厳密
な条件―彼にとって建国あるいは国の再建のみ―のもとで、まさに破壊的な
優越が行われる。しかしここでは破壊と同時に再生も行われていることがわかる。
この循環的概念は彼の政体論にも強く出ている(『ディスコルシ』 1 巻 2 章)。
101
Ⅴ 政治と経営
西村貞二が言うように、「マキアヴェリその人の国家=政治論はどこまでも
十六世紀イタリアないしフィレンツェの危機において唱えられたものであって、
国家=政治の一般論ではなかった。言葉をかえていえば、実際問題に対する実際
的解答であった。そういう歴史的規定をになった自己の思想が、後にマキアヴェ
リズムなる政治原理に形成されたと知って驚くのは、マキアヴェリ自身かもしれ
23)
ない」
。既に述べたように「目的のためには手段を選ばない」という一般的な
マキャヴェリズムの意味は単に手段の正当化のみを行っているにすぎなかった。
つまり、「どのような目的のために」という最も重要な部分が抜けていることは、
この言葉が既に厳密な条件を課しているマキャヴェリの意図から乖離しているこ
とを示唆する。
そしてこのようなマキャヴェリズムのテクスト主義から派生したのが「マキャ
ヴェリズムの経営化」である。現代では、『君主論』で述べられている国の統治
者「君主」を「社長」に置き換えて企業経営を成功させるために、あるいは組織
におけるリーダー論としてマキャヴェリの著作を利用する書籍が出版されるよう
になった。しかしそれらを読んでみると、マキャヴェリの外交経験と古典知識か
ら導き出された綿密な論理を考慮し、分析をしたものは少なく、ただ日本の歴史
での武勇伝や近年の企業での成功・失敗談を並べて、「マキャヴェリはこう言っ
ている、だからこれは正しい」とただ単にマキャヴェリに付された様々な神話に
基づいて「語らせている」だけの示唆に乏しい、まがいものばかりである。
誤解されてほしくないのは、何もリストラなど経営において非情な行為そのも
のを否定するつもりはないし、それが必要ならばしなくてはならないと思ってい
る。マキャヴェリも『君主論』において「一つの悪徳を行使しなくては、政権の
存亡にかかわる容易ならざるばあいには、悪徳の評判など、かまわず受けるがよ
(第15章)と力説する。この言説が正しいことは認めよう。しかしなぜマキャ
い」
ヴェリがこのような君主を必要としたのか。また時に非情な行為をして会社を救
う社長が果たしてマキャヴェリが必要とする君主と同義なのか。そして一番の問
題は、その非情な経営を正当化する上で「なぜ『君主論』に答えを求めるのか?」
なのである。前者と後者には一見関係性と連続性があるようで、それは単なる神
話にすぎず、実は分断された、非連続的な存在なのだと強調しなくてはならない。
102 政治学研究42号(2010)
このことを認識することで安易なマキャヴェリズムの流用を防ぎ、現代の経営を
マキャヴェリズムから切り離した客観的な観測と経営の非情原理の正当性を探求
することができる。マキャヴェリに語らせて逃げてはならない。あくまで現実的
な事実、必要性を見据えた上で現代の非情な経営を語らなくてはならない。16世
紀にイタリアの分裂を見て、マキャヴェリ自身がそうしたように。
本論文の目的はここで立ち戻る。つまり、マキャヴェリのコンテクストを重視
することによって過去と現代、「マキャヴェリの国家統治術」と「マキャヴェリ
ストの企業経営術」の違いを認識し、その整合性の再検討を試みる。ここでは国
家(マキャヴェリの時代でいう stato)と企業との組織そのものの違いを把握し、そ
れらと対極にある民衆と社員の性質の違いに言及する。そしてそれらを繋ぐ支配
と指導の整合性を検討していく。
1 国家と企業
『君主論』を企業経営に活かせるとする根拠の一つに、それぞれの最低目標が
一致していることが挙げられる。すなわち「組織の維持」である。マキャヴェリ
も組織―彼の場合は国家(stato)を指しているのだが―をいかにして維持す
るかは重要な課題であり、国家が危機の場合はいかなる手段、すなわち殺人も許
されるとしている。このことは先ほど散々言及してきたが、このような言説が
「マキャヴェリズム」として人々から非難を受けてきた。そして現代の(自称)
マキャヴェリスト達はこれらの言説をリストラや人員削減の正当化に用いている。
特にカルロス・ゴーンのリストラを事例に挙げてその正しさを述べている。
もっとも、このような手段の正当化を主張しているのは『ディスコルシ』であ
り、
『君主論』では述べられていない。あるのは征服時における血統の根絶や少
数の民衆への加害行為、
「ある国を奪いとるとき、征服者はとうぜんやるべき加
害行為を決然としてやることで、しかもそのすべてを一気呵成におこない、日々
それを蒸し返さないことだ」という言説に過ぎない。「征服から維持」への過程
としての残虐行為という見方はできるが、決して組織の危機を回避するための残
虐行為という見方はできない。このように『君主論』を使ってリストラを正当化
しようとしているのに『ディスコルシ』の言説を使う、ここですでにねじれが生
じている。
さらに言うならば、
『君主論』や『ディスコルシ』で述べている残虐行為、もっ
と広く言えば「悪辣」あるいは「悪徳」と言われる行為には殺人や虐殺など、と
103
ても現代では起こせない行為も含まれている。なぜ起こせないのか、それは勿論
殺人をすれば法によって処罰されるからだ24)。しかしマキャヴェリはそのような
ことは考えない。なぜなら、国家が存在しない、あるいは国家が腐敗している中
では、法などもはや効力を為さないと想定しているからだ。それ故に彼は新たな
国家の建設を急務とし、そのためには手段を選ばないとしている、それがたとえ
殺人であっても。そして、このような行為の対象は確かに『君主論』では民衆に
なっているが、
『ディスコルシ』では国家建設者の身の回りの者となっている( 1
巻18章)
。このような彼の論理を「企業のリストラ」に当てはめることは可能な
のか。確かに『君主論』では民衆に対して危害を加えれば、民衆から恨みを買う
ことは必至で、それ故徹底的に行うことを奨めている。「人はささいな侮辱には
復讐しようとするが、大いなる侮辱にたいしては報復しえない」と( 3 章)。しか
しこの言説をそのまま現代に適用できるのか。なぜなら、『君主論』での組織構
造は君主-民衆となっているのに対し、現代では国家(政府)-企業-社員とい
う構造になっているからだ。
16世紀のフィレンツェにも教育機関や職業組織があったのは自明である。そも
そもメディチ家も元はと言えば商人であったので、これらの中間集団の存在は認
められる。しかしこの考察ではこれらの存在を無視する。なぜなら『君主論』で
はこれらに対する言及は行われていない上、ここで考えなければならないのは君
主と民衆の関係を国家の性質から見た考察であるからだ。
ルネサンス期の国家(stato)内での君主と民衆の関係は、現代と比べて直接的・
密接的な関係であった。勿論、君主の意向は軍や行政官を通しての間接的な行政
が行われていた。このような状況で君主から加害行為を受けた場合、民衆にはど
んな行動ができるのか25)。フィレンツェという小都市国家であるならば、他国へ
避難することもできるだろう。しかし現代に比べ通信手段も交通手段も限定され、
しかも当時イタリア半島を狙ってスペインやフランスといった強大国がうごめく
中で、彼らは本当にフィレンツェを離れ、言葉も文化も違う他国へと逃げること
ができるのか。それらのコストを考え、君主からの加害行為に屈伏することも十
分に考えられる。マキャヴェリが「民衆というものは頭を撫でるか、消してしま
うか、そのどちらかにしなければならない」(第 3 章)というのは当時のイタリ
ア情勢が分裂し、混迷した時期であったことをマキャヴェリ自身が外交官だった
経験から導き出されたもので、無論上記したコストも無意識であったにせよ想定
していたと考えられる。
104 政治学研究42号(2010)
では現代の企業ではどうか。前述したが、マキャヴェリの時代と最も違う点は、
科学技術の発達により通信手段や交通手段が大きく進歩したことだ。これらによ
り、権力からの回避可能性は飛躍的に上がり、他の企業、あるいは団体に逃げる
ことも容易となった。それ故に社長から丸裸にされるわけでもない上に、圧力に
屈する必要もなくなる。いざとなれば他の組織に避難して、再起することも可能
になる。また「マキャヴェリズムの経営化」に伴い、君主-民衆の関係を社長-
社員という関係に縮小せざるをえず、その上位組織である「国家」の存在が忘れ
られている。リストラといった不当な扱いを受けたのであれば、法的手段で国家
に訴えることも可能となる。また企業の外には企業に属さない国民が大勢いる上、
彼らは企業にとっての顧客でもある。君主であるならば彼らを黙殺させることも
できる。しかし現代の一企業にはそのような権力は有しておらず、仮にそのよう
なことができても、それらは完全ではない上に多くの不満を残すことになる。こ
のように、マキャヴェリの君主を現代の社長に転換させて論じるには多くの不都
合と矛盾が生じる。
そもそもの問題として、マキャヴェリスト達が企業をどのように捉えているか
がはっきりしていない。つまり『君主論』のような君主制として捉えているのか、
あるいは『ディスコルシ』のような共和制として捉えているのか。また一言に企
業といってもその種類は多岐に亘る。もっとも彼らにとっての企業は「会社」と
して捉えることができる。しかしそれが合名会社なのか、合資会社であるのか、
合同会社なのか、あるいは株式会社なのか、彼らにとっての厳密な「企業」の定
義がなされていない。なぜ厳密な定義が必要なのか、それはマキャヴェリ自身が
君主国を詳しく分類した上で論じているからだ。すなわちマキャヴェリが書いた
『君主論』における「君主国」は、彼が住まうフィレンツェに他ならず、彼はそ
のために『君主論』を書いたのだ。
ここで彼がどのような経緯で『君主論』を書くに至ったか、そしてなぜ『君主
論』を書いたのか考えてみたい。彼がフィレンツェ政庁の書記官として外交や軍
事に勤しんでいたことは既に述べた。そしてメディチ家の復権によって彼は免職
され、悲惨な目にあったことも述べた。そして教皇レオ十世の弟ジュリアーノの
新興国の知らせを聞くと彼は自分の政治能力をそれに活かしたい衝動に駆られる。
そして彼の友人フランチェスコ・ヴェットーリ(Francesco Vettori)に有名な手紙
を宛てる。
105
だから私も、彼ら26)との会話で得たものを書き留め、
『君主論(De principatibus)』
と題する小論をまとめました。君主というテーマについて私にできるうる限
り深く考えを掘り下げ、君主国とは何か、どのような種類があるのか、いか
に獲得され、いかに維持され、なぜ失われるのかを論じた作品です。今まで
は私のとりとめもない話がどれもお気に召さなかったとしても、これがお気
に召さないはずがありません。また、君主、特に新しい君主には必ずや歓迎
されるでしょう。よってこれをジュリアーノ殿下に捧げることにしました。
(中略)私は献上の必要にかられています。もうよれよれで、貧乏ゆえに蔑
まされそうなこんな状態を長くは続けておられません。さらに、メディチ家
の方々が私を採用して下さるのではないかという望みもあります。石ころを
転がすような仕事でもいいのです。献上してもそれが得られないのなら、自
分のふがいなさを嘆くだけです。でもこの作品を読めば、政治の術を探求し
てきたこの十五年の間、私が惰眠をむさぼり遊び暮らしていたわけではない
ことがわかるでしょう。それに誰だって、自分で育てなくとも既に豊富な経
験を積んでいる従者を抱えたいと望むはずです。27)
彼がどのような目的で『君主論』を書いたのかがよくわかる書簡である。もっ
ともジュリアーノは1516年に没し、彼の甥にあたるロレンツォ(Lorenzo di Piero
de ’Medici、小ロレンツォ)に献上されることになる。
『君主論』はそもそも彼を失職に追い込んだ張本人であるはずのメディチ家に
献上するために書かれていた。
『君主論』における献辞の部分、特に第26章にそ
れが顕著にみられる。しかし、これは単なる自己顕示欲や名誉欲にかられたもの
ではない。そのメディチ家賛美の裏で、メディチ家を立てることによってフィレ
ンツェを救おうと彼は試みる。
メディチ家復権の際に彼が書いた『メディチ党に告ぐ(Al palleschi)』にあるよ
うにメディチ政権を批判するよりも、「民衆の気を引いてみたりメディチ家にす
り寄ってみたりするあの連中」28)、つまり共和国時代に彼の政敵であった寡頭派
を、自分らの保身のみを考え、「メディチ家のためになるどころか、あらゆる面
で危険であり、メディチ家にとってもメディチ体制にとっても危険きわまりな
い」存在であると痛烈に批判し、フィレンツェそのものを守ろうとする。彼はフ
ランチェスコ・ヴェットーリ宛ての手紙で「私はフランチェスコ・グィッチャル
ディーニ殿を愛します。わが魂よりもわが祖国を愛します」29)と記している。マ
106 政治学研究42号(2010)
キャヴェリが愛国主義者といわれる文面であるが、彼にとって政体よりも祖国
フィレンツェの未来が心配なのだ。
このことを踏まえた上で、上記された彼の言説を見るとどうであろうか。そこ
から見えるのは、全てはフィレンツェのため、名誉欲や権力闘争をも超えた、統
治し、あるいは統治される者の基盤的な思想ともいえるパトリオティズム
(Patriotism)が全面に現れてくる。
2 民衆と社員
君主=社長なら、民衆=社員という構図もマキャヴェリズムの経営化にとって
は必然なことであった。民衆も社員もともに「人間であること」は共通すること
である。しかしその性質・能力を見れば、民衆と社員がいかに異なった存在かが
わかる。
まず民衆はその国家領域にいる貴族を除いた老若男女すべての人間を指す。そ
れに対して社員は、その経営組織内の構成員―その多くは成人した男女―で
ある。そのためその性質が大きく異なっていく。民衆は幼少から老人まで幅が広
く、その中には生産力にも兵力にもならない者が多く存在する。対して社員は全
て何らかの形でその企業のために働くことを前提として企業と契約を結んでいる。
『君主論』の言葉をあえて使うのなら、自分の祖国を守るため自ら志願した「自
国軍」というべきであろう30)。しかし経営学的マキャヴェリストにとって社員は
民衆とほぼ同義として扱われる。そうしないと君主―民衆の支配関係を経営に転
用できないからだ。
しかしここに大きな矛盾が生じる。先ほども言ったように社員とは企業との契
約によって始めて社員になるわけで、民衆のように生まれつき属する性質ではな
い。確かに企業あるいはその他の組織内で上司―部下といった上下関係や権力関
係は生じている。けれどもそれは全て「契約」した上で行われており、そしてそ
れによって社員には企業から「報酬」が支払われている。マキャヴェリにおいて
の君主国家は、少なくとも君主―民衆関係ではこのような契約に基づいた支配関
係は想定されていない。
その論拠として『君主論』での彼の科学的な国の比喩が挙げられる。例えば「医
者がよく言うことだが、消耗熱(肺結核)は、初期の発見こそ難しいが、早くに
手当てすれば、治療はやさしい。あべこべに、早いうちに病気に気づいて手当て
をしないと、時がたつにつれて、発見は簡単になっても治療は難しくなる。国の
107
政治についてもそうしたことが起きる」(第 3 章)、あるいは「突然できあがった
国は、あたかもある自然の恵み(植物)が、生まれるとすぐどんどん成育するよ
うなもので、十分に根をおろし、ひげ根をのばせないうちに、はじめての悪天候
でうちのめされてしまう」(第 7 章)がある。これらから彼が国家を一つの有機
体としてみる「国家有機体説」のような国家観がうかがえる。このような国家観
ならば、頭から体への支配といった支配の比喩から君主から民衆への支配への転
用も容易となる。前述のように『君主論』はメディチ家に献上することを目的と
した書物であるため、ジュリアーノあるいは小ロレンツォに君主の統治について
説明する上で国家有機体説的な比喩はわかりやすく、その上君主制という性質上
有効な手段であったと考えられる。
では企業はどうであろうか。繰り返しになるが社員とはその性質上、企業と
「契約」を行い企業のために働き、その労働の等価として金銭などの「報酬」を
受ける。
「社会契約説」にちなんで、いわば「組織契約説」と言えるだろう。と
すると社員を自国軍と例えるのも、厳密にいえば違うだろう。自国軍は、マキャ
ヴェリが最も嫌う金銭のために戦争を代理する傭兵とは異なり、自国の安全と平
和、あるいは繁栄を得るために組織されたものであるからだ。では社員とは金銭
のために戦う傭兵であるのか、という問いにも、違うと言えよう。確かに「金銭
を報酬として組織と契約して働く」という観点からすれば類似したものがあるが、
その手段(武装化と非武装化)やその目的(戦争や占領と企業の仕事)から見ると
大きな差異がある31)。そもそも社員をその性質上、民衆として見なせないのなら、
このような例えそのものが無意味である。
もっともこれまで述べたことはあくまで社員が契約のみを遵守した、という仮
定に基づいている理論上のものに過ぎない。社員が自らの意思で、民衆のような
一方的支配関係に服従することは、様々な条件が重なれば十分考えられる。さら
に言うならば、組織契約は社会契約と同一視することはできず、前者の方が実務
的にはより複雑なものであるため、抽象的な検討しかできない。前述したように、
まず経営学的マキャヴェリストの言う「企業」とは何か、「会社」とは何か、そ
の具体的定義がなされていない以上、あくまで民衆と社員の性質あるいは目的論
からその差異を分析するのが限界となる。
3 支配と指導
これまで政治と経営での支配的側面での比較によって経営での非情行為を正当
108 政治学研究42号(2010)
化する言説を批判してきた。つまり企業はあくまで利益を追求する営利組織であ
り、そのためにはたとえ理不尽でも非人道的であっても不要な費用や人員を削減
する、その権限を有する。そのようなことは『君主論』においてマキャヴェリの
いう国家統治術と同じであるため、これらの非情な行為は正当とされた。それに
対し、これらを「国家と企業」、
「民衆と社員」の構造論的・性質論的な立場で反
駁を行ってきた。しかし国家にしろ企業にしろ、何らかの目的を持って変容する
動的な組織である。それ故、今までの静態的な立場だけでは実際の政治あるいは
経営を考察する上で不十分となる。
ここで支配と指導との対比、つまり国家や企業の目的行為に着目する。国家に
おいては外交や軍事といった政治的行為であり、企業においては営業や人事と
いった経営的行為である。そしてそれぞれの組織の長である君主と社長は、どの
ような目的を持ってその組織を動かしていくのか、そこに類似点と相違点を見出
していく。というのも、経営学的マキャヴェリズムの中には、今まで述べてきた
権謀術数主義的な解釈の他に、
『君主論』からリーダーシップ論を導き出そうと
する「君主=リーダー」の解釈が存在し、やはりそこにも僅かな違和感が生ずる
からである。
まず理念としてこの二つの概念を区別しなければならない。
「支配(rule)」は
「統治者がその地位・身分に基づいて、追行者の利益・向上〔やその集団の公共
的利益や公共善〕とは無関係に、自己利益・私益を追求する統治を行うこと」で
あり、対して「指導(lead)」は「指導者(リーダー)がその卓越性に基づいて追
行者の利益・向上〔やその集団の公共的利益や公共善〕に資するような統率を行
うこと」を意味する32)。
『君主論』においてマキャヴェリは君主にこう語りかける。「領土欲というのは、
きわめて自然な、あたりまえの欲望である。したがって、能力ある者が領土を欲
しがれば、ほめられることはあっても、そしられはしない」(第 3 章)。私的な欲
求を肯定するような言説である。しかしマキャヴェリは同時に君主の職務につい
てこう述べる。
「君主は、戦いと軍事上の制度や訓練のこと以外に、いかなる目
的も、いかなる関心事ももってはいけないし、またほかの職務に励んでもいけな
い」
、
「君主はかたときも軍事上の訓練を念頭から離してはいけない」(第14章)と。
そして君主には二つの憂いがあるとしている。「一つは、臣下によって引き起こ
される内憂であり、もう一つは、外国勢力からくる外患である」(第19章)。「後
者については、よい兵力とよい味方があればふせげる。しかも、よい軍備のある
109
ところ、かならず、よい味方がついてくる」(同章)。そしてマキャヴェリは君主
の私的な領土欲を軍備と戦争に向けさせることで、それが衆望を集めることにも
繋がるとする。「君主が衆望を集めるには、なによりも大事業(戦争)をおこない、
みずからが、類まれな手本を示すことである」(第21章)。それの例として彼はス
ペイン王フェルナンドを挙げ、「彼はたえず大きな仕事をなしとげ、さらに企ん
でいた。その度ごとに領民はあっけにとられ、感嘆し、彼の事業に夢中になった。
彼はこうした行動を矢継ぎばやにおこない、世間の人に、一息ついて反撃する余
裕すら与えなかった」(同章)。
では前者の内憂に関してはどうであろうか。『君主論』には君主がとるべき態
度として「愛されるより恐れられよ」という有名な言説がある33)。これはマキャ
ヴェリ的リーダーシップを語る上で重要な言説となっているが、この言説を現代
のリーダーシップ論に応用するには注意が必要である。なぜならマキャヴェリが
この言説を述べる歴史的背景が現代と比べて大きく異なるからである。
マキャヴェリは「愛されるより恐れられよ」の言説を支持する理由としてこの
ように述べる。
「人間は恐れているひとより、愛情をかけてくれる人を、容赦な
く傷つけるものである。その理由は、人間はもともと邪まなものであるから、た
だ恩義の絆で結ばれた愛情などは、自分の利害にからむ機会がやってくれば、た
ちまち断ち切ってしまう」(第17章)。歴史的にみても、あるいは現実においても
十分な理由となりえる。しかし彼は続けて、
「ところが、恐れている人については、
処刑の恐怖がつきまとうから、あなたは見離されることがない」と述べている。
「処刑の恐怖」、現代社会においては国家以外の組織では持ちようがない権力だ。
マキャヴェリの時代において、君主は主権者であると同時に立法者であった34)。
そして軍備と戦争こそ君主の責務であることから、君主による統治は暴力あるい
は武力によって裏付けされたものであることがわかる。これは現代の国家概念に
おいても同じことが言える。つまりウェーバーの言うように、「国家とは、ある
4
4
4
4
4
4
一定の領域の内部で―この『領域』という点が特徴なのだが―正当な物理的
4
4
4
4
4
4
4
暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」。しかし現代特有の現
象として「国家以外のすべての団体や個人に対しては、国家の側で許容した範囲
内でしか、物理的暴力行使の権利が認められない」35)。もっとも、「処刑」は国家
のみが独占する暴力である。現代の企業に与えられているのは、その企業内の一
定の規則や人事に過ぎない。もちろんこのような力は、権力あるいは権限という
概念として扱われる。補足として国家における暴力・武力と企業における権力・
110 政治学研究42号(2010)
権限の違いは、最も原始的な「力」としての「暴力」が武装化(militarized)した
実体的権力が「武力」であるのに対し、
「権力」は現代では関係論的な側面が強い。
また「権限」は権力行使の範囲あるいは領域が限定されている。
「支配」と「指導」の違いをまとめておきたい。つまり公共の利益を目標とし
て統率するのが「指導」であり、私欲のために他者を操るのが「支配」であった。
現代の企業の最終目標は利益であるが、それが社内である程度還元されているの
ならば「指導」といえるだろう。もっとも現代の企業ではこの傾向が強い。環境
保護やアジア貢献など、単なる利益追求だけでは企業は生き残れない。社会的に
も世界的にも認められる企業経営が要請されてきた。もっともこれらが企業イ
メージの改善となり、最終的には利益に繋がるという意図は否定できない。しか
しあきらかに「指導」への試みが企業では見える。
ではマキャヴェリの『君主論』ではどうか。たしかにマキャヴェリは『君主論』
の中でメディチ家に対して指導的、つまりリーダーシップを持った君主たれと説
いた。そのために「愛されるよりも恐れられよ」という言説を使った。それは16
世紀のフィレンツェを守る上では必要なことであったし、この言説は現代でもあ
る一定の説得力はある。しかしマキャヴェリにおいてこの君主の態度は、暴力に
よって裏付けされていた。それが現代において決定的に異なることであった。逆
に言えば、マキャヴェリがこう「指導」を説くのは、指導的とも言えず、かといっ
て支配的とも言えない、不完全なリーダー達が実際の16世紀のヨーロッパで横行
していたのだろう。そして彼はメディチ家に対し、ただ支配的な君主ではなく、
不完全ながらもフィレンツェ市民を指導する君主を要求する。君主の私的な領土
欲を、何とか軍備化と戦争へと転換させる、「支配」から「指導」への転換をマ
キャヴェリは図ろうとしたのだ。
Ⅵ 曲解と意図
以上によりマキャヴェリズムの経営化には、構造論的にも性質論的にも多くの
矛盾点が存在することがわかった。とはいえ同時に、根本的な部分で国家も企業
も同一36)であることを認めざるをえなかった。しかし今までの分析で、少なく
とも日本での経営学的・リーダーシップ論的マキャヴェリ解釈はアナクロニズム
に陥っていることは証明できたであろう。では今度は、なぜこのような曲解が生
じたのかを考えなければならない。ここからは筆者の仮説にすぎないが、20世紀
111
の日本、あるいは世界の変容がどうマキャヴェリ解釈に影響を及ぼしたのか、そ
れを二つの視点から考えてみたい。それは国家経営論の台頭に着目した考察と
『君主論』そのものに着目した、テクスト主義の立場からのテクスト分析である。
1 企業の台頭
マキャヴェリの時代に巨大な主体として、他の主体と外交・戦争を行っていた
のは「国家(stato)」のみであった。しかし時代は過ぎ、21世紀になるとその主
体概念が大きく変貌することになる。その一つとして多国籍企業(multinational
corporation)という非国家的主体が挙げられる。地理的領域の枠を超え、多くの
国 に 経 済 的 な 影 響 力 を 持 つ 多 国 籍 企 業 は、 脱 国 家 的 企 業( 超 国 家 企 業、
transnational corporation)とも呼ばれ、その売上高は発展途上国の GDP を優に超
えている。軍事力というハードパワーは持ちえないものの、ソフトパワーの面で
は一国的な主体として決して無視できない存在となった。
また多国籍企業は超国家的要素を持つと同時に、その国内においても主要な産
業である側面もある。それにより、その国家の公共政策に影響を与える巨大な利
益団体となり、いわゆる「影の支配者」的な存在にもなりうる。1952年、かつて
アメリカの三大自動車メーカーの一つであったゼネラルモーターズ(General
Motors Corporation) の社長であったチャールズ・E・ウィルソン(当時) は「ア
メリカにとっての善は GM にとっても善であり、GM の利益はアメリカの国益
である」と述べた。企業の傲慢ともとれる発言だが、彼は翌年アイゼンハワー
(Eisenhower) 政権の国防長官となった。
「パワー・オブ・ネーションズ(国力)
からウェルス・オブ・ネーションズ(国富)の時代へと変わ」り、「国家を一つ
の『経営体』と見直した場合、どうすれば人間を活かして富作りに励ませること
ができるのか、そういうリーダーシップ論が、経営学の方から出てきた」37)。
このような非国家的主体の登場により、今まで世界・地域において重要な政治
的主体であった国家は相対的にその主体性と影響力を弱め、その統治能力も他の
非国家的主体へと分散することになった。超国家企業の台頭は「国家経営論」を
呼び、そこからリーダーシップ論が生まれ、やがて『君主論』の言説と結びつい
た。それはなぜか、は次節に譲るとして、20世紀から21世紀にかけてこのような
経済的・政治的変遷が「マキャヴェリズム」に新たな解釈を生み出したのではな
いかと考える。
「国家」の重要性を最も理解し、だからこそ彼の祖国フィレンツェを救おうと
112 政治学研究42号(2010)
したマキャヴェリにとって、何とも皮肉な話である。
2 文章の簡約
マキャヴェリの死後、
『君主論』が悪徳の書として非難を受けたことは既に述
べた。17世紀まで、特に道徳的立場からの批判が多い中、彼の思想を冷静に評価
する者がいた。それはマキャヴェリと同時代にフィレンツェの歴史書を書き、教
皇から厚い待遇を受けてロマーニャ総督となったフランチェスコ・グィッチャル
ディーニ(Francesco Guicciardini)である。
彼とマキャヴェリが出会ったのは1521年頃で、『戦争の技術』や『マンドラー
ゴラ』が出版され、メディチ家から仕事を請けるなど彼の人生が幾ばくか好転し
たときであった。マキャヴェリとグィッチャルディーニはフィレンツェを外国の
脅威から守ろうとする点で一致し、身分を超えて政治について語り合う仲となっ
た。前述した「私はフランチェスコ・グィッチャルディーニ殿を愛します。わが
魂よりもわが祖国を愛します」という手紙を書いた時期には、常に彼らは行動を
共にしていた。そして重要なのは、グィッチャルディーニは『ディスコルシ』を
読んでおり、共和主義のマキャヴェリを知っていたのである。彼はマキャヴェリ
の数少ないよき理解者であったし、同時にマキャヴェリの思想を冷静な観察眼で
見ることができたのである。その上で彼は、マキャヴェリの思想を批判する。
無論グィッチャルディーニのマキャヴェリ批判は、道徳的立場からの全面否定
ではない。彼は「マキァヴェリが結論を先にきめておいて、理屈に合った論証を
しないこと、事実を重視しないで法則をつくり上げることに不満を示し」38)、マ
キャヴェリの論法は性急で、特殊な事例をあたかも一般的な事例として法則化す
ることを危険視した。そして彼は「マキァヴェリが古代のことについては無批判
に受け入れて合理的に考えようとしない、当時の人文主義的風潮にかぶれてい
39)
る」
ことを気にかけていた。彼がかつて地中海一帯を支配していたローマ帝国
時代の歴史を神話化していたことが、彼の著作にアナクロニスティックな解釈を
させる余地を残してしまったかは疑問がある。しかし彼の特殊事例を一般化させ
る態度・言説には、都合の良いところだけをつまみ食いさせられる要素が残され
ていると考える。
『君主論』はその簡潔で、曖昧さのない、そして歴史的事例をふんだんに盛り
込んだ書物である。特に序盤では、君主国か共和国か、君主国なら世襲化か混成
型か、新君主国ならそれが自力で手に入れたのか他力か運によってなのか、自力
113
ならばそれが悪辣な行為なのか、それとも民衆の支持によるものなのか、
「or(イ
タリア語では o)
」による二者択一によって明快な国家の分類が進む。その簡潔さ
の余り、例えばローマ時代の事例を現代の企業成功談にすり替えることが容易で、
しかもそれほど不自然ではないのではないのか。このような仮説が出てくるので
ある。
『君主論』を読むと、そのテクストは大きく分けて 5 つに分類できる。一つ目
は君主に対して訓示を述べる言説(教示的言説)である。例えば「名君は、たん
に目先の不和だけではなく、遠い未来の不和についても心をくばるべきであり、
あらゆる努力をかたむけて、将来の紛争に備えておくべきだ」(第 3 章)や「力
量によって君主になった人は、国の征服にさいして、困難がつきまとうが、国の
維持はやさしい」(第 6 章)などが挙げられる。君主はどうあるべきか、どうす
るべきか、その理由などがこれに含まれる。
二つ目は民衆や人間そのものの性質を断定する言説(原理的言説)である。「そ
もそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりは
らおうとし、欲得には目がないものだ」(第17章) や「人間は過去のことより、
現在のことに強く心を惹かれる」などがある。マキャヴェリのペシミスティック
な人間観が根底に流れている40)。なお、原理的言説は教示的言説を補完するよう
に記述されることが多い。例えば「これにつけても覚えておきたいのは、民衆と
いうものは頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならない。
というのは、人はささいな侮辱には復讐しようとするが、大いなる侮辱にたいし
ては報復しえないのである。したがって、人に危害を加えるときは、復讐のおそ
れがないように、やらなければならない」(第 3 章)があるが、この文章では「教
示的言説→原理的言説→教示的言説」と、相互補完的に論理が展開している。
三つ目と四つ目は「ローマ事例」と「イタリア事例」である。古代ローマ帝国
時代の出来事と、マキャヴェリが実際に経験したイタリア事情がそれぞれにあた
る。教示的言説と原理的言説を歴史的に証明するために、これらの直後や直前に
置かれることが多い。
五つ目が「運命・力量」である。25章と26章で顕著に出ているが、マキャヴェ
リの思想を語る上ではずせない fortuna と virtu の運命論での闘争的対立がこれ
に当たる。教示的言説と合体することもあり、「人は、慎重であるよりは、むし
ろ果断に進むほうがよい。なぜなら、運命は女神だから、彼女を征服しようとす
れば、打ちのめし、突きとばす必要がある」(第25章)などが挙げられる。
114 政治学研究42号(2010)
以上の 5 つの言説を巧妙に用いながら『君主論』は展開され、それは既に述べ
たように明瞭で簡潔な文章となる。しかし忘れてはならないのは、このような言
4
4
説を使い分けながらマキャヴェリは様々な意図を閉じ込めている。それはまるで、
4
様々な布と布を糸で縫い合わせていくパッチワークのようである。しかしパッチ
ワークも糸を切りバラバラにしてしまえば、ただの綺麗な模様をした布となる。
つまり意図を切り離した『君主論』も、ただの聞こえの良い言説となってしまう
のである。現代のマキャヴェリ解釈はまさにこのような事態に陥っている。バラ
バラになった布一枚を取り上げたり、別の事例と縫い合わせたりして「これは美
しい」と称賛したところで、それは既に別物のパッチワークになっている。それ
らは少なくとも「マキャヴェリの『君主論』」ではなくなるのだ。
Ⅶ 反省と課題
マキャヴェリを取り巻く多くの思想家によるマキャヴェリ解釈をみると、その
多様さに驚くと同時に、マキャヴェリの聡明さが窺える。政治と倫理の対立、宗
教と反宗教の対立など、彼の著作のどこに焦点を当てるかによって、彼は多くの
顔を見せる。君主制論者であったり共和制論者であったり、現実主義者かと思え
ば理想主義者という一面も見せる。ベネデット・クローチェ(Benedetto Croce)
の言うとおり、マキャヴェリの問題は収束することなき謎なのだ。しかし彼が純
粋にフィレンツェを愛し、フィレンツェを救うため苦心をしたということは認め
てもよいだろう。
本論文を執筆するに当たり、マキャヴェリが官僚時代に多大な影響を受けたで
あろう、チェーザレ・ボルジア(Cesare Borgia)にはあえて触れなかった。彼の
果断で冷酷な行動は『君主論』にも称賛され、マキャヴェリにとって彼は理想の
「君主」であったのはいうまでもないだろう。しかしマキャヴェリの思想はチェー
ザレのみに影響されたわけではなく、14年間の外交経験と古典知識によって培わ
れたものであることも忘れてはならず、一思想家が一軍人に影響されたという構
図に囚われてほしくないという考えがあった。加えて「運命と力量」、マキャヴェ
リ思想を考察する上で重要なキーワードとなるものであるが、これらに言及する
には時間も自分の実力も足りなかった。時間があれば、シャボー(Federico
Chabod)や澤井繁男が指摘するルネサンス期の国家(stato)観をめぐっての『君
主論』の非政治性についても考察も行いたかった。
115
本論文を執筆するに当たり、現代でのマキャヴェリを題材にした出版物は全て
とは言えなかったが、出版年度が新しいものから読むようにした。そのほとんど
が『君主論』
『ディスコルシ』語録か、もしくは語録とアナクロニスティックな
解説、あるいは漫画や小説と融合されたものであった。前二つのような書物は、
実際に『君主論』を読んだ方がはるかにわかりやすい上に、マキャヴェリのコン
テクストもまだなんとなくわかるはずだと思われた。また『君主論』に述べられ
ているような君主の生き方をすれば成功するというものもあったが、それはただ
の「憎まれっ子は世に憚る」論理をマキャヴェリに語らせたものに過ぎなかった。
漫画や小説となった『君主論』は娯楽の範疇としてなら十分面白いものであろう。
彼の思想をやさしく面白く工夫する、その努力には敬服する。しかしこれが行き
過ぎて、やさしく面白い部分だけがもてはやされるとなると、今まで批判してき
たようにアナクロニズムに陥るのだと思う。
さらにいうならば社長やリーダーを目指す者なら、『君主論』には限界がある
ことを知るはずだ。そこからどう立身出世していくかは、その時代に即して自分
で考えなければならない。マキャヴェリから卒業しなければ、彼やチェーザレの
ように志半ばで倒れてしまうだろう。
1 ) メリアム『政治権力―その構造と技術―』 9 -10頁。
2 )「十四世紀にはフィレンツェの製布業に資本主義組織が支配的に貫徹する」
「毛
織物工業の栄えたイタリアのすべての大都市にほとんどかかる資本主義的形態の
芽が見られる」
、森田鉄郎『中世イタリアの経済と社会』
。もっとも現代のような
高度資本主義と同等に見るのは不適切である。
3 ) ブランカ『マキアヴェリと商人の伝統』
、池田廉『新約 君主論』
「解説」233頁。
4 ) マックス・ウェーバー『職業としての政治』19頁。ドイツ革命によって「国家」
は簒奪できたが、資本主義的経済経営内部でも簒奪は可能か、ということに関し
てそれはまた別問題であると指摘している。
5 ) あえて「マキャヴェリズム」とは呼ばない。なぜなら、現在のマキャヴェリズ
ムには「権謀術数主義」の要素が付きまとうからである。
6 ) 池田廉訳『新約 君主論』、佐々木毅全訳注『君主論』
、河嶋英昭訳『君主論』、
いずれも解説にはマキャヴェリの生前に起きたフィレンツェの盛衰と同時に、彼
の生涯が紹介されている。
7 ) 当時書記官になるものは法学を学んだ知名の者が通例で、しかも規約では30歳
以上の年齢制限があり、29歳でしかも格別良い学歴でもない彼が書記官に任命さ
れるのは異例なことであった。彼の政治能力が考慮されたのか、あるいは実力者
による推薦があったとされるがその人物は諸説あり、不明である。
116 政治学研究42号(2010)
8 ) Google や Yahoo! Japan などの検索エンジンでマキャヴェリの著書を検索すると、
驚くことに彼の名と『君主論』の検索ヒット数がほぼ同一であった(ただし「マ
キャヴェリ」か「マキャベリ」かによって大分差が出る)
。
9 ) 池田廉訳『新約 君主論』
(中公文庫)12頁。
10) 問題はどちらの著作が先に着手されたのか、同時にあるいは別の時期に書いた
ものか、である。つまり通説である「『ディスコルシ』を書いている中で、新興
国の知らせを聞き一旦中止して『君主論』を書き上げ、その後再び『ディスコル
シ』を書いた」という説と、「初めに『君主論』を書き、その後『ディスコルシ』
執筆に着手した」という説に分かれる。この違いがなぜ重要か。それはどちらを
採用するかによって、マキャヴェリの思想変遷を分析する上で大いに関わるから
である。
11) マキャヴェリは在任中『フィレンツェ国を武装化することについての提言
(Cagione dell’ordinanza)』と『フィレンツェ民兵常備軍について(Provisione
dell’ordinanza)』を著している。
12) 勿論、彼の書簡や手紙のやり取りの中には彼の重要な意図、いわゆる著作では
書けないような本音が含まれており、これは彼のコンテクストを考察する上で重
要な検討要素となりえるので、この時点で挙げていないからといって、決してそ
れらを軽視するつもりはない。
13) 私の知る限りで彼の著作を巡る様々な解釈を簡潔に、わかりやすく紹介してい
るのは、エマヌエル・レンディナ・クティネッリ(Emanuel Ctinelli Rendina)の
「研究史(Storia della critica)」
(
『マキアヴェッリ全集』補巻に収録)やアイザイ
ア・バーリン(Isaiah Berlin)の「マキアヴェッリの独創性(The Originality of
Machiavelli)」
(
『思想と思想家 バーリン選集Ⅰ』に収録)がある。
14) エマヌエル・レンディナ・クティネッリ「マキァヴェッリ研究史」、
『マキア
ヴェッリ全集 補巻』
、179頁。
15) 同書、同項。
16) 同書、180頁。
17) 同書、181頁。
18) 同書、同項。
19) バーリンの『マキャヴェリの独創性』を見れば、各研究者によって彼の人物像
が驚くほど違うことがわかる。
20) もっとも、この論理は一見正しいように見えるが、彼の教示は結果論であるこ
とは否めない。そもそも「もたらした結果さえよければ」とマキャヴェリは述べ
るが、果たしてその「良(善)い結果」とは誰が判断するか、という問題を彼は
無視している。もちろんこの場合には『ディスコルシ』を書くマキャヴェリが判
断するのだが、その判断はあくまで「マキャヴェリのローマ解釈」に過ぎない。
それをさも一般的であるかのようにマキャヴェリが述べていることに注意すべき
である。
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21) その対象も人民ではなく、ごく少数に限られている。18章の終りにあるように
残忍な手段は人民に対して行ったのではないことに注目すべきだとマキャヴェリ
自身が述べている。
22) マイネッケ『近代における国家理性の理念』
(『世界の名著54 マイネッケ』86頁)。
23) 西村貞二『マキアヴェリズム』267頁。
24) 国家レベルでは現代においても戦争といった殺人が正当化されることは度々あ
る。しかし少なくとも法治国家内での企業では、国内法に刑罰として規定されて
いる行為を犯すことができない。マキャヴェリストたちはそのことを考慮し、合
法であるが世間では非難を受ける行為、社内クーデターやリストラといった行為
にその程度を下げている。
25) 彼は『君主論』の中で、民衆が君主に反乱を起こすことは記述しているが、見
限って亡命するようなことには一切触れていない。
26) 前箇所にある「古の人々」を指す。
27) フランチェスコ・ヴェットーリ宛、フィレンツェ発、1513年12月10日(マキア
ヴェッリ全集第 6 巻、244-245頁)。
28)『メディチ党に告ぐ』
(マキアヴェッリ全集第 6 巻、122頁)
。
29) フランチェスコ・ヴェットーリ宛、フォルリ発、1527年 4 月16日(同書、345頁)。
30) マキャヴェリにおいての自国軍とは徴兵制によるものではなく、徴募した市民
の中から選抜を行った上で編成される民兵軍であった(『フィレンツェ国を武装
化することについての提言』
)。
31) またマキャヴェリの言う傭兵の印象はかなりネガティブである。
「傭兵は、無統
制で、野心的で、無規律で、不忠実だからである。仲間のうちでは勇猛果敢に見
えるが、敵中に入れば臆病になる。神への畏れを知らず、人に対して信義を守ら
ない。
(中略)傭兵が戦場に留まるのは、ほんの一握りの給料が目あてで、ほか
になんの動機も、愛情もない」
(第12章)
。契約と報酬という関係の前提として、
社員側の働く意志とそれに企業が応えて信任するという明確な意思表示が求めら
れる。現代でこのような人物がいたとしたら、企業との契約自体が成立しないか
ら、適切な例えとは言えない。
32) 小林正弥「恩顧主義的リーダーシップと公共主義的リーダーシップ」(小林良
彰・金泰昌編『リーダーシップから考える公共性』70頁)。しかし支配と指導の
関係は流動的なものであるため、厳密な区分は不可能であろう。人々のための
「指導」と言いながら、実際には自分のための「支配」であるということは、歴
史を見ても現代社会を見ても往々にして存在するからだ。
33) 正確には「君主は、たとえ愛されなくてもいいが、人から恨みを受けることが
なく、しかも恐れられる存在でなければならない」
(第17章)。マキャヴェリは恐
れられることと恨まれないことは、民衆の財産と婦女子を奪わなければ両立可能
だとした。
34) もっとも前近代では明確な主権概念が存在していないとみられる。一般的には
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ジャン・ボダン(Jean Bodin, 1530-1596)が始まりとされている。
35) ウェーバー、前掲書、 9 頁。
36)「集合体」としての国家と企業、
「人間」としての民衆と社員。ただしここでも
留意しなければならないのは、企業の存在が、その国家の法によって規定されて
いることである。まったく同じ集合体として見ることはできない。
37) 小林良彰・金泰昌編『リーダーシップから考える公共性』128頁。
38) 永井三明「
『ディスコルシ』―『君主論』と人文主義と」(
『マキアヴェッリ全
集2』
)464頁。
39) 同書、463頁。
40) 佐々木毅が『マキアヴェッリの政治思想』で指摘するように、彼のペシミス
ティックな人間像の前提となるのは、彼の「ゾーン・ポリティコーン」観の崩壊
が挙げられる。つまり、アリストテレス以来の「人間は本来上、政治的動物であ
る」という人間像はマキャヴェリにおいてもはや喪失しており、それでもなお国
家を維持しなければならないというジレンマのもと、彼は新しい国家像を創りあ
げていく。
「マキアヴェッリにおいては『共通善』や『共通利益 utilità comune』と私的な善
や利益との間にアプリオリな調和や連続性が何等存在せず、両者は完全に引き裂
かれたままである。そしてルネッサンス哲学の基本的テーゼたる『人間の尊厳』
は完全に消滅し、野心と貪欲とに駆り立てられる人間は動物以下の状態で蠢いて
いる。
」(佐々木毅『マキアヴェッリの政治思想』169頁)
参考文献
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1995年。
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1991年。
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西村貞二『マキアヴェリズム』講談社学術文庫、1994年。
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バーリン、福田歓一・河合秀和編「マキアヴェッリの独創性」(
『思想と思想家 バー
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林健太郎責任編集『世界の名著 マイネッケ』中央公論社、1969年。
バラエティ・アートワークス『君主論 まんがで読破』イースト・プレス、2008年。
マキアヴェリ、池田廉訳『新訳 君主論』
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メリアム、斎藤眞・有賀弘訳『政治権力 上
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森田鉄郎『中世イタリアの経済と社会―ルネサンスの背景』山川出版社、1987年。
ルソー、小林善彦・井上幸治訳『人間不平等起源論 社会契約論』中公クラシックス、
2005年。