2010 No.4 JUL - 公益社団法人 日本航空機操縦士協会

ISSN 0389-5254
2010 No.4 JUL
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
操縦士協会のめざすもの
(第204回理事会決議)
1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保
につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促
進する」 ことです。
2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛
される航空を実現する」 というビジョンを描いています。
3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。
航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、
社会全体で安全意識を高めて行くこと)
地球環境と航空の発展との調和を図る。
航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。
第46期 (平成22年度) 重点施策
本協会は、 引き続き航空の安全に資する事業を推進し、 航空関係者の知識と能力を育
み、 大きな変化が顕在化してきた状況の下、 事業の公益性を一段と高め、 移行認定 (公
益認定) の手続きを進めます。 あわせて財政の安定化を図り、 事業に要するコストの効
率化を進めます。
本協会が行なっている事業は、 公共性を有していると判断できます。 操縦士としての
経験と知識を活かし、 日本の空の安全と発展に資するために活動を続けています。 安全
情報の提供、 制度の解説、 知識の普及は空の安全に役立っています。 行政との関わりは、
安全講習会の開催や、 安全関連検討会への委員の派遣、 専門書の監修依頼など多岐に亘っ
ています。 今後も公益社団法人の役割を担う事と考えます。
この様な環境を踏まえ、 私たちは航空機の運航と空中における豊富な経験と培った知
見を活かし、 次の事業を行ないます。
航空の安全文化の普及と啓発
安全対策 (制度と運用)
情報伝達と提供
技能習熟の支援
情報収集及び調査研究
その他、 本協会の運営に必要な事項
操縦士協会は会員を募集しています。
JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。
目的
本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を
行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的としています。
協会の会員は、 下記のように分かれます。
正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。
賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操
縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。
正会員の会費;月
額 1,500円:協会運営費
個人賛助会員;月
額
1,500円:協会運営費
法人賛助会員:一口年額 50,000円:協会運営費
入会すると?
①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手
②航空関連商品 (書籍等) の割引購入
③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加
④協会契約割引施設の利用
お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。
皆様のご入会をお待ち致しております!
社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION
TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]
Home page URL http://www.japa.or.jp/
CONTENTS
No.321
4
2010 No.4 JUL
会長就任挨拶
50
会長
6
大内
学
航空気象
安全の分水領
アクシデント・インシデント概要
56
FAI ニュース
乱気流による航空機の揺れの特性について
航空気象委員会
奥貫
57
14
ハートで飛ばそう!
博
オススメ!情報ボックス
書籍 & Goods 紹介
Fly with Airmanship ! −8−
山
22
博行
58
コウノトリ但馬空港フェスティバル 10
機長への道は副操縦士昇格直後から始まる!
全日本曲技飛行競技会 開催案内
寄稿
あるパイロットのつぶやき
神谷
國夫
62
25
航空史曼陀羅
徳田
Aviation Cafe
連載・飛行力学物語
Constant Path!
43
開催報告
航空安全セミナー開催報告
その36. 空に生きた小さな巨人
ハンナ・ライチュの生涯
32
開催予告
その7
柴田
長い Path で Stabilized!
蔵岡
63
JAPA 通信
74
JAPA 事務所で勉強会を!
75
JAPA で飛行訓練を!
忠成
眞
Flight Training Device
FTD 訓練室
賢治
78
JAPA Aerial Photo Exhibition
80
編集後記
GA:ジェネアビ情報
韓国 2010 G-Global Aviation in Ansan
奥貫
博
社団
法人
日本航空機操縦士協会
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
会長就任挨拶
日本航空機操縦士協会会長
大
このたび第45回日本航空機操縦士協会総会、
その後の理事会で会長に推挙され、 萩尾前会長
の後を受けて会長に就任いたしました大内 学
でございます。
歴代の会長をはじめ諸先輩が築き上げてこら
れた協会の歴史、 実績を考えると、 その責任の
重さに、 真に身の引き締まる思いです。 微力で
はありますが、 今回選任された33名の理事監事
の皆さんと力を合わせて協会を運営し、 航空界
の発展に貢献すべく努力していく所存でござい
ます。 会員の皆様のご協力と、 当局、 関連諸団
体、 および関係企業の皆様のご支援を心よりお
願い申し上げます。
さて、 皆様ご承知のように、 厳しい経済状況
が続く中で、 政権交代があり、 直近では独立行
政法人や公益法人の事業仕分けもありました。
一方、 航空界では、 日本航空の再建問題という
大きなテーマがあり、 これに端を発してパイロッ
トの雇用の問題も深刻になってきつつあります。
現時点では、 アジアを中心とした新興国の景気
回復等もあって、 徐々に客況は戻りつつあるよ
うですが、 エアーラインや使用事業の経営は依
然として大変苦しい状況が続いていて、 回復に
は、 もう少し時間が必要と思われます。
このような状況の中で、 協会にも既に影響が
出てきていますし、 将来的には、 会員の減少も
危惧され、 もっと厳しい状況も予測されます。
私はこのような危機的状況を乗り越えるために
一番大事なことは、 組織の皆が、 心をひとつに
して目標に向かって努力する事、 これに尽きる
と思っています。 協会に集う我々が今なすべき
事は、 先日総会で決定された平成22年度の事業
4
2010 JUL
内
学
計画にある①航空の安全文化の普及と啓発②安
全対策 (制度と運用) ③情報伝達と提供④技能
習熟の支援⑤情報収集及び調査研究、 等の事業
をまず確実に遂行する事、 そしてそれらを通し
て協会の存在価値を高め、 航空の理解者を増や
しながら協会の目指す“安全で誰からも信頼さ
れ、 愛される航空を実現する”というビジョン
に向けて一歩一歩地道に努力していく事だと、
思います。 又こうした多様な活動の実態を知っ
ていただくべく情報を開示していく事によって
会員を増やし、 ひいては協会の発言力を増して
行く事に、 繋げていきたいと考えています。
私は“顔合わせ、 心合わせ、 力合わせ”とい
う言葉が好きで、 よく使わせていただいていま
すが、 当協会のようにエアーラインのパイロッ
トから、 使用事業、 官公庁、 自衛隊、 自家用の
パイロットと幅広く色々なジャンルの人達が集
う集団では、 特にこの“心合わせ”が大切だと
思っています。 私自身としても、 ここに集う人
達の皆が、 心合わせをし、 力合わせしやすいよ
うな、 議論が必要な時には大いに議論をし、 そ
して決まった事については一致団結して協力す
る、 そういう雰囲気というか環境を整えていき
たいと考えています。 会員の皆様方を始め、 役
職員全員のご協力を、 よろしくお願い申し上げ
ます。
公益法人制度改革への取り組みについてです
が、 皆様ご承知のように、 新公益法人法が、 既
に施行されています。 この法律に規定された公
益社団法人に移行する場合には、 平成25年まで
に申請し認定される必要がある事になっていま
す。 我が協会も種々検討の結果、 認定を取得す
ることが今後の協会活動にとって有益であると
の結論に達し“公益認定”を取得するための準
備を積み重ねてきました。 その一環として、 今
回の総会で定款の変更もいたしました。 今後こ
の定款と平成22年度の予算をベースに、 申請に
向けた準備を更に整えていく予定です。 又、 申
請のタイミングについては、 公益認定委員会及
び主務官庁との情報交換を基に、 関連する諸団
体とも連携を取りながら決定していきます。 こ
の認定については、 ハードルが思った以上に高
く、 その対応に時間を要していますが、 協会と
しては今後とも“公益認定”に向けて詰めの努
力をしていきたいと考えております。
以来、 今年で54年目になります。 先般出版され
た50年記念誌を見ますと、 当時の諸先輩のご苦
労や、 航空の将来に対する熱い思いがひしひし
と伝わって来ます。 我々もこの航空に対する先
人達の熱い思いを引き継ぎ、 航空界の発展に少
しでもお役に立ちたいものです。 又、 協会は会
員の皆様方の会費で成り立っている組織ですし、
実施している活動は理事や会員の自発的なボラ
ンティアで実行されているものばかりです。 協
会はいつでも会員の皆様の積極的な参加を、 お
待ちしています。 共に力を合わせて厳しい時代
を乗り切っていきましょう。
最後に、 会員の皆様をはじめ関係する皆様方
の絶大なご協力とご支援をお願いして、 私の就
任の挨拶といたします。
協会は、 昭和32年に任意団体として発足して
略
歴
昭和41年4月
昭和48年12月
昭和50年12月
昭和59年11月
平成9年6月
平成11年6月
平成12年6月
平成13年4月
平成15年4月
平成15年6月
平成18年6月
平成22年6月
(平成22年5月
全日本空輸株式会社入社
YS-11型機 機長
B-737型機 機長
B-767型機 機長
取締役 運航本部副本部長
取締役 運航本部長
常務取締役 運航本部長
専務取締役執行役員 運航本部長
常勤顧問
空港施設株式会社 代表取締役副社長
全日空システム企画株式会社 顧問
全日本空輸株式会社 参与
社団法人日本航空機操縦士協会会長に就任)
現在に至る
2010 JUL
5
象
気
航空 C
TE H
Ta l k
乱気流による航空機の
揺れの特性について
航空気象委員会
今回は、 いま航空気象委員会で話題になっている、 乱気流による航空機の揺れの特性について
ご紹介します。
●疑問
O操縦士:いや∼、 昨日は乱気流が多かったで
すね。 もう、 どこを飛んでも揺れているとい
う感じでした。
H運航管理者:そうですね。 図1は昨日の
FBJP ですが、 昨日は、 乱気流レポートが最
近では一番多かったですね。 どうしてあんな
に乱気流が多かったか、 ということも気にな
りますが、 実は昨日のデータを見ていて面白
図1
6
2010 JUL
いことに気づいたんです。 それは、 MOD 以
上の乱気流がレポートされる割合は大型機ほ
ど高くなる、 ということなんです。 ボーイン
グで比べると、 MOD 以上の割合は B747 が
最も高く、 続いて B777、 B767 の順に高く、
B737 が一番割合が低かったんです。
O:それは意外ですね。 私はカンパニーで通報
されるレポートを見る際、 B777 で MOD の
揺れなら、 B767 では SEV に近い揺れかも
しれない、 と考えて見ていました。
当日の国内悪天予想図
H:私も今までの経験上、 B737 の方が B747
より大きな揺れを通報してきていると思って
いましたし、 先輩方からも小さい方が揺れや
すいと教えられてきました。 また、 B767 の
方が B777 よりも機体の特性的に揺れやすい
ということはよく言われていますよね?
O:そうですね。 昨日、 大型機からのレポート
が比較的多かったのは、 偶然そうだったんじゃ
ないですか?
Y機長:確かに偶然、 ということはあり得ると
思います。 また、 小型機の方が揺れやすいイ
メージがあるので、 小型機のパイロットは
「これくらいの揺れなら大型機は揺れないだ
ろう」 と通報しなかったり、 揺れを小さめに
通報することがあるかもしれません。
でも、 なぜ機体が大きいほど揺れにくいと言
われているのでしょう? ここは復習の意味
も込めて、 乱気流により航空機が揺れるメカ
ニズムを専門家Mさんに聞いてみましょう。
Mさん:はい、 我々研究者の間でも、 大型機の
方が揺れやすい、 という話は聞いたことがな
いですね。 ただ、 乱気流による航空機の揺れ
には機体特性が深く関係しており、 大型機だ
から揺れにくい、 のように単純ではありませ
ん。 次回の委員会で、 私の考えをお話しした
いと思います。
に感じます。
M:ご指摘の通り、 ピッチの変化は重要な要素
です。 上下方向の加速度変化は、 2つの要因
から成ります。 機体を支える揚力が変化する
ことによる加速度変化と、 それに伴うピッチ
の回転運動による加速度変化です。 揚力は、
特に乱気流の上下風により大きく変化します。
一方、 ピッチの回転運動は、 航空機の安定性
に深く関わっています。
まず、 乱気流による揚力変化から考えていき
ましょう。
●乱気流による揚力変化
M:はじめから数式で恐縮ですが、 揚力は大気
密度 に比例、 飛行速度 (真対気速度) の2乗に比例、 翼面積 に比例、 また揚力
係数 に比例します。
は、 失速領域を除けば、 迎え角 (気流が
翼に当たる角度) に対してほぼ線形に増加し
ます (図2)。 迎え角の増加に対して が
増加する割合 (図2の直線部分の傾き) を揚
力傾斜と呼び、 ここでは と表します。
●次回の航空気象委員会で
M:今日は、 乱気流による航空機の揺れについ
て、 お話ししたいと思います。 実際には、 航
空機の揺れは上下、 前後、 左右の揺れが複合
したものですが、 今回は説明の単純化のため
と、 乗客・乗員の負傷につながりやすいとい
う観点から、 縦の運動による上下方向の揺れ
(加速度変化) に絞って考えてみます。
また、 機体の大きさ数十 m の範囲では風が
ほぼ一定と見なせるような、 波長が数百 m 以
上のスケールの風変化を考えることにします。
Y:実際、 乱気流による乗客・乗員の死傷事故
の大半は上下方向の揺れが原因です。 しかも、
ピッチの変化を伴った揺れの事例が多いよう
図2
揚力係数と迎え角の関係 (模式図)
乱気流によって、 上昇風 が機体全体に
均一に加わった場合を考えます。 このとき、
図3のように翼の迎え角は だ
け増加し、 これによる揚力の増加分 は次
式で表されます。
2010 JUL
7
図3
上昇風 による迎え角の変化 機体の中にいる乗員・乗客が感じる上下方向
の加速度変化 は、 揚力変化 を機体重
量 で割ったものですから、 式 を で
割った次式で表されます。
Y:つまり、 上昇風 による加速度変化 は、
● 飛行速度 に比例 (速度大→ 大)
● 翼面荷重 に反比例 (荷重大→ 小)
● 揚力傾斜 に比例 (傾斜大→ 大)
● 大気密度 に比例 (密度大→ 大)
するということですね?
M:さすがYさん、 その通りです。
O:あれ、 上下風による加速度変化は速度の2
乗ではなく、 1乗に比例なんですね。 では、
速度を落としても、 加速度変化を減らす効果
表1
はさほど大きくないですね。
M:はい、 巡航時は CAS で300kt 程度の速度
だと思いますので、 例えば30kt 速度を落とし
ても加速度変化は10%程度しか減らせません。
また加速度変化は、 機体重量 ではなく、
それを翼面積で割った翼面荷重 に反比
例しますので、 大型機ほど加速度変化が小さ
い (揺れにくい) とは必ずしも言えません。
通常、 大型機 ( 大) は、 それに見合った
大きな翼 (大) を持っているからです。
表1は、 航空気象委員会のパイロットの方々
にご協力頂いて、 国内線の代表的な機種につ
いて翼面荷重と飛行速度 (巡航速度) を比較
したものです。 表の右端に、 B747-400 を100
%とした場合の加速度変化 の大きさ (揺
れやすさ) を示しています。 数字が100%よ
り大きい場合は、 同じ上下風を受けた場合に
B747-400 より加速度変化が大きくなること
を示します。 なお、 比較を容易にするために、
巡航高度は各機種で同一と仮定 (つまり、 大
気密度、 外気温が同一と仮定) していること
に注意してください。
O:B747-400 と B737-400 では、 機体重量が5
倍以上違いますが、 翼面荷重で考えるとほぼ
同等なのですね。 むしろ B737 は巡航速度が
遅いので、 B747 より加速度変化が数%小さ
代表的な機種の翼面荷重、 巡航速度の比較
加速度変化の比
巡航速度比 (巡航速度比/
翼面荷重比)
機体重量
(lbs)
主翼面積
(m2)
翼面荷重
(lbs/m2)
翼面荷重比
巡航速度
(マッハ数)
747-400
497,000
525
947
100%
0.84
100%
機種
747-300
471,000
511
922
97%
0.85
101%
104%
777-300
393,000
428
918
97%
0.83
99%
102%
777-200
379,000
428
886
94%
0.82
98%
104%
A300-600R
249,000
260
957
101%
0.78
93%
92%
767-300
248,000
283
876
92%
0.83
98%
107%
767-200
230,000
283
813
86%
0.83
98%
115%
737-800
119,000
125
952
101%
0.79
93%
93%
737-400
97,000
105
924
97%
0.78
93%
96%
MD-90
117,000
112
1045
110%
0.75
89%
81%
MD-81
107,000
112
955
101%
0.75
89%
88%
国内線を想定、 乗客数1/3、 燃料搭載量は同系統機種間で統一、 巡航高度は同一と仮定。
8
100%
2010 JUL
いですね!
M:はい、 確かに数字上はそうですが、 この差
は小さ過ぎて体感できないと思います。 表1
から読み取って頂きたいのは、 「飛行速度、
翼面荷重だけを考慮して揚力変化を考えた場
合、 大型機 (B747 など) も小型機 (B737 な
ど) も同程度の揺れやすさで差はない」 とい
うことです。
H:表1に載っていない揚力傾斜は機種間で差
はないのですか?
M:揚力傾斜は翼断面の形状や後退角などの影
響により機種毎に異なりますが、 具体的な数
値は公開されていません。 ただ、 私の理解で
は、 巡航時の揚力傾斜の機種間の差は10%も
無い程度だと思います。
Y:乱気流による揚力変化の大きさを考えた場
合、 大型機と小型機が同程度の揺れやすさ、
ということまでは言えるが、 大型機の方が揺れ
やすい、 とまでは言えない、 ということですね。
M:その通りです。 機種間の違いが顕著に出る
とすれば、 もう一つの揺れの要素であるピッ
チの回転運動による加速度変化だと思います。
次は、 これについてお話ししましょう。
作用点が重心位置より後方にあることで発生
します。 重心位置と揚力変化の作用点の間の
距離 (静安定余裕と呼びます、 図4) に比
例して、 姿勢を元に戻そうとするモーメント
が大きくなり、 安定性が強くなります。 重心
位置は、 揚力変化の作用点より後方にあると
不安定になってしまいますし、 あまり前方に
あると静安定が強すぎてピッチを変えにくく
(操縦しにくく) なります。 ですので、 重心
位置が適正な範囲に収まるように、 厳密にコ
ントロールする必要があるわけです。
前置きが長くなりましたが、 この縦の静安定
があるために、 乱気流によるピッチの回転運
動が生じます。 静安定がある航空機では、 先
に考えた乱気流による揚力変化 (式)
が重心位置より後方に作用しますので、 上昇
風を受けた場合は、 揚力の増加により機首下
げのモーメントが発生します。 下降風を受け
た場合は、 逆に機首上げのモーメントが発生
します。
Y:この回転運動は、 加速度変化にどう影響す
るのですか?
M:回転運動により、 機体の前後部で感じる加
●乱気流によるピッチ変化
M:乱気流によって生じるピッチの回転運動を
理解して頂くには、 航空機の安定性について、
思い出して頂く必要があります。 一般的な旅
客機の場合、 主翼の揚力と水平尾翼の下向き
の揚力で、 重心回りのモーメントが釣り合っ
ています (図4)。 何かの拍子に機首が上
がると、 翼の迎え角が増えて、 主翼と水平尾
翼の上向きの揚力が増加します。 この増えた
揚力の合力は、 重心位置より後方に作用しま
すので、 機首下げのモーメントを生み、 機首
は元の姿勢に戻ります (図4 )。 これを
「縦の静安定」 と呼びます。
O:この静安定があるおかげで、 多少のピッチ
の変化は自然に収まり、 パイロットが航空機
を操縦しやすくなるわけですね。
M:その通りです。 縦の静安定は、 揚力変化の
釣り合いの状態
機首が上がった状態での機首下げモーメントの
発生
図4
航空機の縦の静安定
2010 JUL
9
速度変化に差が生じます。 縦の運動だけを考
えた場合、 重心位置より前方 の位置にある
点 での加速度変化 は次式で表されます。
:重心位置での加速度変化
(式の加速度変化 と同じ)
:回転運動により生じる加速度変化
はピッチレートの変化率)
(
O:数式を見ると、 目がチカチカします……。
M:まぁ、 そう言わずに (笑)、 この式を使っ
て、 図5のように上昇風を受けた場合のコク
ピットでの加速度変化を考えてみましょう。
揚力が増加し、 最初の項 はプラスにな
ります。 一方、 揚力増加に伴い機首下げのモー
メントが発生しますので、 はマイナスにな
ります。 よってコクピット (重心位置より前
方なので がプラス) では、 2番目の項 はマイナスになり、 最初の項 による加
速度変化を小さくする効果があります。
Y:つまり、 図5のように上昇流を受ける場合
には、 機体全体は揚力の増加により上がる動
きなのに対し、 コクピットは機首下げにより
下がる動きなので、 両方の動きが相殺して、
揺れが小さくなるのですね。 では、 キャビン
図5
10
上昇風を受けた時の機体の動き
2010 JUL
後部 (重心位置より後方) では、 その逆に揺
れが大きくなってしまう?
M:その通り、 重心位置より後方では、 回転運
動により揺れが大きくなってしまいます。
乱気流中の航空機の縦の運動は、 機体の数十
∼数百m前方の点を中心とする回転運動とイ
メージすると分かりやすいと思います。 図6
は、 揺れている機体を、 その横で一緒に飛ん
でいる同伴機 (同伴機は揺れないと仮定) か
ら見たイメージです。 回転中心に近い機体前
部ほど揺れが小さくなります。
図6
乱気流中の機体運動のイメージ
次頁の図7は、 B747 相当の大型機が正弦波
状の上下風を受けた場合の機体各部での加速
度変化をシミュレーション計算した例です。
加速度変化は、 コクピットが小さく、 キャビ
ン後部が大きくなっています。
O:機体前部より後部の揺れが大きい、 という
のは本当だったのですね。
M:はい、 実際には図7の計算例で考慮してい
ない様々な要素 (パイロット/オートパイロッ
トの操縦や機体構造の変形など) の影響があ
りますから、 計算例はあくまで目安ですが、
機体後部の揺れが大きくなるというのは、 航
空機の縦の静安定という特性に基づく一般的
な傾向と考えてよいでしょう。
H:重心位置 (前方重心、 後方重心) はどう影
響しますか?
M:前方重心の方が静安定が強まるので、 全体
的に揺れは小さくなりますが、 機体前部と後
部の揺れの差は大きくなります。 これは、 機
図7 周期的な上下風を受けた場合の上下加速度変化の計算例
(機体は B747相当、 高度37,000ft、 マッハ数0.85、 重心位置25%MAC。 操舵は無し。
剛体を仮定した線形計算)
体前方に位置する回転中心が、 静安定が強い
ほど機体に近づくと考えて下さい (図6)。
具体的な例として、 図7のような人工的な正
弦波状の上下風ではなく、 より自然の風に近
いランダムな上下突風を B747 相当の機体に
与えた場合のシミュレーション結果を表2に
示します。 この計算例では、 最前方重心では
機首の前方約40m に、 最後方重心では機首
の前方約140m に回転中心があります。
表2
ランダムな上下突風を受けた場合の加速度変
化の計算例
重心位置
最前方
15%MAC
最後方
35%MAC
加速度の
評価位置
前部
加速度変化の振幅
(最大値−最小値)
0.70G
重心
1.21G
後部
→ 1.71G
前部
1.25G
重心
1.48G
後部
→ 1.72G
増大
増大
計算条件は、 下記を除いて図7と同じ。
・ランダム突風として Dryden モデルを使用。
・ピッチホールド制御を実施。
Y:この乱気流によるピッチの回転運動につい
て、 機種による違いはありますか?
M:はい、 今まで述べたように、 この運動は航
空機の安定性と深く結びついていますので、
機種間の違いは大きいはずです。 大型機の方
が MOD の乱気流レポートが多いのも、 こ
のピッチの回転運動の特性が関係している可
能性があります。 また、 今までお話しした操
舵を考慮しない素の機体特性に加えて、 各機
種のオートパイロットの特性も考慮すべきで
しょう。
O:ピッチの回転運動についても、 表1のよう
に各機種で比較できませんか?
M:そのためには、 各機種の空力性能やオート
パイロットについて、 詳細な情報が必要です。
しかし、 この種の情報はメーカーの機密事項
に属するため、 ほとんど公開されておらず、
比較は困難なのが現状です。
なお、 図7などの今回示す計算例は、 米国の
NASA が公開している B747 初期型の空力
特性データを用いて計算しました (参考文献)。
このように、 現在はもう飛んでいないような
古い航空機の場合は、 情報が公開されている
ケースがあります。
Y:もう一歩のところで、 データ不足の壁です
ね……。
2010 JUL
11
M:確かにそうなのですが、 今後様々な機種で
実際に乱気流に遭遇した事例を集め、 それら
を解析していけば、 各機種の比較を行うため
に必要な情報が得られる可能性があると思っ
ています。
Y、 O:そこに期待しましょう!
●航空機が揺れやすい風の波長
Y:今までの話で、 航空機の揺れの性質につい
てだいぶイメージが湧きましたが、 航空機が
揺れやすい風というのはあるんですか? 乱
気流を予報する観点からも、 どういう波長の
風変化が航空機を大きく揺らすのか、 非常に
興味があると思います。
M:はい、 航空機が揺れやすい風には2パター
ンあると思います。
一つは、 機体の大きさより小さな空間スケー
ルで風が変化する場合、 つまり風変化の波長
が数十m以下の場合です。 建築物の後流や航
空機の後方にできる後方乱気流などはこのよ
うな小スケールの乱流です。 このような乱気
流に遭遇した場合は、 機体の各部で異なる風
を受け、 大きな姿勢変化が生じる可能性があ
ります。 これについては、 また別の機会にお
話ししたいと思います。
一方、 今までお話ししてきたように、 機体の
大きさより大きな空間スケール (風変化の波
長が数百 m 以上) で風が変化する場合は、
航空機固有の姿勢変化特性の周期に近い周期
を持つ風変化が揺れを誘起しやすくなります。
H:航空機固有の姿勢変化特性とは、 どういう
ものですか?
M:縦の運動に限定してお話ししますが、 一般
的な旅客機には、 先に述べた縦の静安定のお
かげで、 ピッチの変化が生じても元の姿勢に
戻る性質があります。 図7の例でも、 上下風
が止んだ時間11秒以降は、 操舵をしなくても
ピッチ角の変動が徐々に収まりつつあります。
ただし、 すぐに元の姿勢に戻るのではなく、
数秒程度の周期 (図7の例では周期約6秒)
で振動しながら変動が収まっていくという特
12
2010 JUL
性があり、 これを 「縦の短周期モード」 と呼
んでいます。
H:この短周期モードの周期は、 何によって決
まるのですか?
M:短周期モードの運動は、 縦の静安定が原動
力ですので、 先に出てきた静安定余裕 (重心
位置と揚力変化の作用点の間の距離、 図4
) や飛行速度によって変化します。 細かい
説明は省きますが、 前方重心で静安定余裕が
大きいほど、 あるいは飛行速度が速いほど、
周期が短くなります。 今回の計算例の機体で
は、 巡航時は5∼10秒程度、 離着陸時は8∼
13秒程度の周期になります。 数字に幅がある
のは重心位置の影響です。
O:では、 この短周期モードの周期と同じ周期
の風変化が最も揺れやすいわけですね?
M:それを確認するため、 今回の計算例の機体
に、 図7と同じ正弦波状の上下風を周期を変
えて与え、 ピッチと加速度の変化の振幅を計
算してみました。 結果を図8に示します。 横
軸が正弦波状の風変化の周期、 縦軸がピッチ
と加速度変化の振幅 (最大値−最小値) です。
ピッチの変化を最大にするのは、 やはり短周
期モードの周期とほぼ同じ周期の風変化です。
この場合、 ピッチの変化が風の変化と共振し
ます。 しかし、 共振しているので、 ピッチと
風の変化の位相が90度ずれています。 このた
め、 加速度変化、 つまり揚力変化を起こす迎
え角変化は最大にはなりません。
Y:迎え角変化を最大にする風変化の周期はど
ういう周期ですか?
M:ピッチの変化が風の変化と共振する一歩手
前の周期、 つまり短周期モードの周期より若
干短い周期の風変化が、 迎え角変化を最大に
します。 この場合、 風変化とピッチ角変化が
ほぼ同期し、 迎え角変化を最大にしています。
今回の計算例ではこの周期は約5秒になります。
Y:周期約5秒の風変化というと、 巡航状態
(速度250m/s 程度) では1.25km 程度の波長
と言うことですね。
M:そうなりますね。 ただ、 注意して頂きたい
のは、 パイロットやオートパイロットの操縦
図8
上下加速度、 ピッチ角の変化の振幅の風変化の周期の関係
(計算条件は図7と同じ)
特性、 つまり揺れへの反応の仕方により、 揺
れやすい風の波長は変わってしまうと言うこ
とです。 図8の計算例は、 操縦を全く行って
いない場合ですので、 いわゆる裸の機体特性
のみが反映されています。 一般的には、 レー
トダンパーなどの姿勢安定化のための操縦が
加わると、 短周期モードの周期は短くなる傾
向がありますので、 揺れやすい風の波長も若
干短くなると考えられます。
Y:過去の乱気流事故の調査報告書を見ると、
ほとんどの事故において、 怪我の発生した時
点で機体は3∼5秒周期の振動を起こしてい
ることが分かります。
M:乱気流によって縦の短周期モードの運動が
誘起され、 それが事故につながっていると考
えられますね。 やはり、 短周期モードの周期
に近い風変化は要注意だと思います。
●To be continued...
Y:今日の話は、 本当に興味深かったですね。
私もいろいろな機種に乗りましたが、 MD
はいつもガタガタ揺れているイメージですが、
揺れる空域はシートベルトサイン ON で突っ
切れる自信がありました。 一方、 B747-400
は普段は揺れないけれど、 揺れ始めると振り
飛ばされそうになるくらい揺れるイメージが
あり、 何とかして揺れる空域を避けようとい
う気持ちになります。 「小さな空間スケール
で風が変化する場合」 は小型機の方が影響が
大きく、 「大きな空間スケールで風が変化す
る場合」 は大型機の方が影響が大きい気がし
ます。 あと、 機体の剛性によって、 大型機の
小さな揺れは吸収されるのかもしれませんね。
M:実際に乱気流に遭遇しているパイロットの
方々の意見には重みがあります。 ぜひ、 その
体感を理論的に説明して、 定量的に各機種の
比較ができるようにしたいと思っています。
Y:この航空機と乱気流の関係の話はまだまだ
奥が深いですね。 乱気流中にどれくらいの大
きさの渦が含まれているかも、 詳しくは観測
されていませんし……。 引き続き、 航空気象
委員会で検討していきましょう。 今日はあり
がとうございました。
M:どうもありがとうございました。
(参考文献:NASA-CR-2144“Aircraft Handling Qualities Data”)
2010 JUL
13
「ハートで飛ばそう!」
Fly with Airmanship !
8
運航技術委員会
山
博行
・運航技術委員会では、 前号に引き続き操縦技術や経験の伝承というコンセプトで、 操縦の技量向
上につながる考え方や、 ヒントのようなものをまとめています。
……………………………………………………………………………………………………………………
操縦の心
【Drag Management】
Steady な水平飛行中の機体には、 次図左の
ように、 重心からのさまざまな距離に力が作
用し、 それらの力で重心まわりのモーメント
が釣り合って定常飛行になります。
【Final Course への Alignment】
Visual や ILS、 あるいは Non Precision に
せよ Final Course への Stabilize した Line
Up が大切です。 Final Course を Capture
す る ま で 、 170∼180kts に 対 応 し た Flap
Angle、 例えば B767、 B777 では Flap 5、 が
適しています。 その Configuration では、
25゜Bank で、 Stall Margin も十分あり、 狭
い Terminal Area 内でも1NM 程度の旋回
半径が得られます。
Final Approach のための Configuration を
Set す る た め に は 、 Final Approach Fix
(FAF) の2∼3NM の間に Final Course
を Capture して Wing Level で安定させた
いものです。
Terminal Area 内では、 ただでさえ Task
が多く、 何か通常と異なることが発生すると、
対応が遅れおくれとなり、 ミスを誘発しかね
ません。 FAF の手前までには 「この Configuration でこの Speed」 というような自分
なりの標準的な 「型」 を決めておくと良いで
しょう。
Flap や Gear を操作すると、 Drag が増える
だけでなく、 と の作用点が移動し、 主
翼後方の Down Wash Angle も変化するの
で、 モーメントのバランスがくずれ Pitch が
動揺します。
この時 Thrust を必要以上に変化させると、
モーメントをさらに変化させ、 Pitch Control が難しくなります。 従って、 Hand Flying の時は Thrust Lever の操作はできるだ
け少なくし高度維持に専念した方が余裕が生
まれます。
また減速は Flap と Gear の Drag の増加を
利用し Thrust Lever の操作は最小限にとど
めれば、 ちょっとした余裕が生まれます。
次図は B767 で Thrust Lever を変化させな
いで Flap と Gear を操作した時の減速率と
・今回は Approach から Landing についてお
話しましょう。
14
2010 JUL
距離と時間です。
Flap
と Gear を Drag の Component として
利用し Drag Management をすれば操縦が
樂になります。
余裕づくり 少しずつの 積み重ね え Pitch Angle が大きくなることがわかり
ます。
[例題1]
・ B767-300ER ( 翼 面 積 3050ft2 ) 、 Weight
260,000lbs、 Flaps 30 135kts で3゜の Glide
Slope 上を Approach している時の Thrust
と Pitch Angle を求めてみます。 ただし、
Acceleration Factor は、 TAS が比較的小さ
く0.02程度なので無視します。
で次の Low Speed Polar カーブの図から
【Final Approach での釣合】
次図は Final Approach での釣合いを表して
います。 基本的に Descent と同じです。
=0.182が得られるので Drag は
風がある場合は
Final Approach では次図の
ように地表面に対して Glide Path Angle を維持して進入するので、 大気に対する
Flight Path Angle が変化します。
となり、
1ENG あたり10,370lbs なので、 グラフから
Fuel Flow と N1 が得られます。
図中の式は
角度は小さい値なので、 ラジアンでは
となり、 Head Wind を (−) Tail Wind を
(+) として向かい風のほうが が小さく
(浅く) なり Thrust が余計に必要になるう
・また、 次の 図から =1.38の迎え角
が5.0゜、 Pitch Angle =−3.0゜+5.0゜=
+2.0゜となります。
2010 JUL
15
次の図の左は1秒間に 風速が増えた場
合、 右は1秒間に の上昇流が吹いた場
合を誇張して描いた図です。
【Thrust Required, Speed Stability】
での必要
グラフは各機種の Glide Slope 3゜
な Thrust を IAS を横軸に Plot したもので
す。 (・は )
左は対気速度が増加して揚力が増え、 右は翼
の迎え角が増加して揚力が増えます。
次図はグライダー・パイロット達に一般的に
知られているサーマル (Thermal) のモデル
図です。
B777-200
と B747-400 で は 進 入 速 度 付 近 で
Speed Stability がほぼニュートラル、 旧型
B747-200 では明らかに“Backside”(速度が
小さくなると、 推力がより必要になる領域)
に入っており、 Speed を切ると修正のため大
きな Thrust が必要でした。 最近の機体は概
ねニュートラルか Front Side の Area にあ
ります。
【風】
Big Jet は大きな慣性を持っているので、 いっ
たん Glide Slope に乗り Stabilize すれば、
少々の大気の擾乱があっても Aiming Point
へ向かいまっすぐ飛んで行きます。 空港の見
学テラスの見物客には、 いかにもゆったりと
進入しているように見えます。 しかし、
Pilot が常に細かな修正をしていることを想
像するのは難しいことでしょう。
風の変化を FPA (ほぼ水平) 方向の変化と
垂直方向の変化に分類して考えてみましょう。
16
2010 JUL
地面が太陽の輻射熱で温められ、“バブル”
状の気隗が地表を離れ、 上昇に伴う周囲の大
気との摩擦でドーナツリング状に変化してい
きます。 外側は下降気流で中心部は強い上昇
気流で、 その強さは6kts (600ft/min) 以
上になることも普通です。 速度が小さく旋回
半径が小さいグライダーは、 中心部をトンビ
のように旋回し高度を獲得します。
数十から数百 feet 単位の直径と言われてい
サーマルでも、 Jet 旅客機の場合は数秒で通
過します。 その際、 短時間に向かい風から追
い風になったり、 上昇気流の直後に下降気流
になることがあります。 Tower から“Wind
Calm”あるいは“Light and Variable”と
言われてつい油断して、 ドシーンと思わぬ着
陸をした経験をお持ちではないでしょうか?
ドンと着き 冷や汗隠し 涼しい顔 ……腕自慢パイロット
【Wind Gradient】
定常風は次図のように地面の摩擦によって高
度が下がるにつれて減少します。 慣性を持っ
た機体の IAS は Head Wind では減少し、
Tail Wind では増加します。
【IAS Constant の意義】
Final Approach で IAS Constant の意味を
もういちど考えてみましょう。
程度なので 釣合いの式で、 は−3゜
と見なし、 としてかまいません。
【Aiming Point】
絵画の世界に本格的に 「遠近法」 を取り入れ
たのはレオナルド・ダ・ヴィンチでした。 名
画 「最後の晩餐」 を観ると、 明らかに絵の中
心付近から放射状に線を引き、 下絵の配置を
したことが見て取れます。
この式で揚力 が一定、 翼面積 は定数な
ので、 速度の2乗と の積が一定です。
は迎え角 の一次関数 (直線) であらわ
せます。 つまり速度の2乗と迎え角 は逆
比例で補完関係にあります。 つまり速度が一
定ならば が一定となり Pitch を Steady
に保つことになります。
速度を正確に保つことが Pitch を Steady に
し、 「見え方」 が一定になります。
通常運航で重量によって を増減している
のは Stall Margin への Protection だけでな
く Pitch Angle を同じにするという意味も
あります。
Final で速度と Pitch は もちつもたれつ Pilot
にとっての Aiming Point もこれに似
ています。 正確に3゜の Glide Slope に乗り
Runway Center
Line を 飛 べ ば 、
Aiming Point は
図のように止まっ
て見えるはずです。
また Aiming Point 周辺は放射状に視界内を
外に移動しているはずです。
Visual の Aiming Point 静止点 人間の目は動いているものは素早く発見でき
【Glide Slope と Eye Path】
ILS の Glide Slope に乗っている時、 Pilot
の Eye Position は、 B767 やB777 で機体の
アンテナより約8ft 高く、 Pilot の Eye Path
は Glide Slope Antenna の約150ft 前方にな
ります。 この点が Flare 開始までの Aiming
Point となります。
ますが、 動きの中の静止点を見つけるのは意
外に難しいものです。 常に Aiming Point を
中心に Path と Track の変化傾向を発見で
きるように練習する必要があります。
“Aiming Point”はねらう点と言うより機
体が向かっている点、 つまり止まって見える
点と言った方が正確と言えます。
Air Line Pilot が計器飛行に慣れすぎて Visual Approach で逆に安定しないケースを見
2010 JUL
17
かけます。 天気のいい日は計器に集中せず外
を見て目を鍛えましょう。
いい天気 計器ばかりじゃ もったいない 【Track と Path の修正】
基礎課程で言われた、 Deviation が大きい
ときは十分な Cut Angle、 小さいときは小
さな Cut Angle は基本中の基本です。
ひとたび Track と Path に正確に乗れば、
ILS の場合は FD が Deviation の初動の発見
に有効です。 最近の機体の FD/Auto Pilot
Computer は、 人間では感知できない小さな
Gの変化や Beam の変化率などのシグナル
から、 Raw Data がずれ
る前に修正量をささやく
ように教えてくれます。
この FD のささやきを上
手に利用し、 次図のよう
に 真ん中の真ん中
(田んぼの田) を目指し
ましょう。
しかし、 どの機種でも大きくずれると、 FD
より Raw Data で修正しましょう。 Track
を 変 更 す る 場 合 、 Bank 角 が 浅 け れ ば
Thrust Adjust は殆ど必要ありません。
いっぽう、 Path の修正は FPA の変更が必
要です。 小さな修正は別として、 大きな変更
では、 Thrust の Adjust が必ず必要になり
ます。 Pitch Control だけで Path に乗る癖
をつけないようにしたいものです。
機体に習熟してくれば、 必要な修正量を
Thrust Lever の Stroke 量でできるように
なります。 Engine 音にも注意を払い、 でき
るだけ少ない計器スキャンで滑走路を見る時
間を増やして下さい。
いずれにせよ Path も Track も Deviation の
小さいうちに FD を利用して素早く小さな量
で修正してしまえば余裕が生まれ、 その余裕
を他に振り分けることができます。
修正は 素速くマメに サボらずに 18
2010 JUL
【Ground Effect】
「地面効果 Ground Effect とは?」 と訊か
れた時、 いくつかのポイントを明確にすぐに
答えられるでしょうか。
Ground Effect
GEを 知って 着陸ウデを上げ Ground Effect は次図のように、 地面によっ
て主翼の Down Wash が遮られ、 Aspect 比
が大きくなったのと同じ効果が生じ主翼の効
率 () が良くなります。
まとめると、
1. 同じ迎え角でも が増える、 つまり
Pitch が同じでも揚力が増える。
2. 同じ迎え角でも が減る、 つまり抗力
(=必要 Thrust) が減る。
3. 主翼後方の Down Wash が地面に遮られ、
水平尾翼の (下向き) 揚力が小さくなり、
頭下げ傾向となる。 (除くT尾翼機)
これらの傾向は上空でも全くの0ではないの
ですが、 翼幅 (スパン長) 付近の高度から現
れます。 大型 Jet 旅客機では200ft AGL 付
近から Ground Effect を意識しなければな
りません。
地面が近づくにしたがい Ground Effect で
増加する揚力と速度の処理は、 Pilot の 「流
儀」 に関することなので、 一概に 「これがい
い」 とは決めつけられません。
また、 Ground Effect は、 気象条件によって
明確に感じられる時とそうでない時がありま
す。 先入観を持たず状況に応じて柔軟に対応
するのが良いでしょう。
参考に Auto-land を考えてみます。
Auto-land では、 50ft 以下の Flare に至る
まで、 Ground Effect や Wind Gradient が
あっても、 Target Speed を維持し、 Flare 中
に既定の高度から Thrust を Reduce し、 120
ft/min の降下率で接地するよう Pitch をコ
ントロールしています。
Manual Control の着陸では Auto-land を
参考にして下さい。 次図はB767 で、 静穏な
条 件 下 、 200ft∼50ft AGL ま で +5kts
を維持した計算例です。 Ground Effect のた
め、 Pitch を下げて Path を Keep していま
す。 結果的に30ft の Flare 後、 Touch Down
の Pitch が3.8゜、 Speed が130kts 付近になっ
ている典型的な Landing です。
次のグラフは筆者が“Attitude
Landing”
と言って、 50ft まで Pitch 2゜を基準に計算
(太線) したものです。
で速度は +3kt と少なめ、
Pitch は10ft で4.1゜、 Touch Down で4.3゜速
度は 付近で、 Pitch は高め速度は少なめ
となっています。
細線は筆者の実際の Manual での着陸をプ
ロットしたもので、 IAS は計算値と一致し、
最終的に接地時の Pitch は 「いつもの Pitch
太線は50ft
4.3゜」 を目指していますが実際の Pitch は10
ft で4.8゜、 Touch Down も同じ4.8度でした。
太線の様な Pitch を基準にした着陸は気流が
安定した時にできますが、 職人芸的で一般的
とは言えないかも知れません。 しかし、 「い
つもの Pitch」 にすれば 「いつもの速度」 に
なるはずで、 自分では易しい方法だと思って
いますが……どう思われますか?
ともかく自分のスタイル決めて、 毎回 Review して自信を深めていくことです。
【着陸の目的】
着陸の目的を3つ挙げよと言われたらなんと
応えますか?
① 安定した姿勢で接地させる。
② 目標とした接地点に Touchdown させる。
③ 可能な範囲でスムーズに接地させる。
と答え、 上から順に重要と思っています。
①は Pilot がその機体で、 しっかりした 「見
え方」 を習得している必要があります。
②は30ft まで正確に Path を Keep して、 次
に述べる適切な Flare と Thrust の絞りを行
う必要があります。
③は次図のように Main Tire 接地後の垂直
方向の Sink Rate と Tire, Oleo, Tilt 機構な
どによるショックの吸収時間 (
) に左右
されます。
【Flare】
Flare は接地時のショックをやわらげるため
Flight Path Angle を浅くする、 言いかえれ
ば沈下率を小さくする操作です。
機種によって差異があり、 それぞれの Pilot
の流儀と得意パターンがあるので画一的に論
ずることはできませんが、 次図のように
−3゜Flight Path Angle を Keep し、 Main
Tire Height 30ft から Flare して、 10ft 以下
2010 JUL
19
で−0.5゜の Touch Down Flight Path Angle
にする、 と考えてみましょう。
復習してみましょう。
この図は Wing Low と Crab Method を組
み合わせた図です。
Main
Tire Height30ft から Flare を開始し、
3秒後に Auto-land の Touch Down の Sink
Rate 120ft/min の Path (0.5度) にすると考
えてみます。 この Flare を円運動とみなすと、
Flare のGは0.1g=3.22ft/sec2 で Sink Rate
が減り、 約3秒後に Main Tire Height が8
ft まで下がります。 以後0.5゜Path の Touch
Down Point は1,600ft 付近になります。
の Flight Path になると、 Seat of Pants
0.5゜
の 感 覚 は 1 G と な り 、 次 図 の よ う に Eye
Path は約4,000ft 前方へ移ります。 この段階
の Aiming はパイロットで違いますが、 接
地点付近の Runway Marking などを参考に
Sink rate を Control します。
Thrust
Idle のタイミングいつも同じではな
く、 Head Wind が強い場合は絞らないで接
地させる場合もあります。 Tail Wind の場合
に絞るタイミングを失すると Touch Down
Point が 延 び る 場 合 も あ り ま す 。 前 述 、
Light and Variable の風で接地直前に気流
が変化する場合もあり、 機械的に Idle にせ
ず、 Gの感覚と視覚で判断し、 状況に応じて
Idle にすべきです。
Flare は Gと視覚を 研ぎすまし 【Roll and Yaw Control】
Cross Wind での Lateral Control について
20
2010 JUL
Side Slip Angle に よ っ て 生 じ る Side
Force は次式で釣り合っています。
こ こ で 全 く Runway に 正 対 さ せ て Crab
Angle を0にするのは次のような弊害があ
り Recommend できません。
1. Wind Gradient で風が弱くなり、 接地
時に Heading が風下へ向いてしまう。
2. Crab Angle を0にするには、 大きな
Rudder が必要となり、 Side Slip Angle
も大きくなり Drag も増加する。
従って、 Cross Wind Component の大きさ
に応じ、 風上側に Crab Angle を残しておく
ことが理にかなっています。
【Landing Roll】
接地時の Pitch 姿勢はいつも同じであれば自
然と Touch Down Speed もある幅におさま
ります。
Nose Gear の接地操作は、 出来るだけ早く
主翼の迎え角と揚力を減らすことで、 Main
Tire への Vertical Load を増加させ、 Brake
の効きを確保したいところです。
従って、 Pitch は Positive に下げ始め、 Nose
Gear をスムーズに接地させることに注意を
払いましょう。 接地直前の高さの判別は難し
いので、 角速度を少なくし最後まで油断無く
Control しなければなりません。 Nose Gear
は Main Gear ほど丈夫には出来ていません
から。
強い
Cross Wind での着陸後は、 減速ととも
に Aileron の効きが低下するので、 風下に傾
かないように Aileron を深めます。
前もって Briefing で PNF (PM) に Monitor と補助を頼んでおくと良いでしょう。
速 率 の Braking Force に な る の で 、 Air
Line の通常運航には適さないでしょう。
この Distance を0.6で割った値が Manual の
性 能 編 に 記 載 さ れ て い る Required Field
Length です。
【Reverse Operation】
Reverse の操作はその日の Condition に応じ
て使い分けましょう。 Turn Off する Taxi
Way ま で の Distance に よ っ て は Reverse
Idle だけで十分な場合もあります。
いっぽう Slippery Condition では主要な減
速デバイスなので、 できるだけ早い時点で
Full Reverse にしなければなりません。
Reverse の利点は、
・高速時に減速力に寄与する。
・Brake Temp の上昇を抑制する。
・Brake の磨耗を抑制する。
難点は、
・大きな Noise を発生する。
・燃料を消費する。
それぞれの Factor を考え Reverse Operation をしたいものです。
Reverse の 使い分け出来て Skillful [例題2]
130kts で Threshold から2000ft に接地
後 Auto Brake“2”で Landing Distance
を求めてみましょう。 Auto Brake の減速率
は機種ごとのものを使用してください。 ここ
では5ft/sec2として計算してみます。
【FAR Landing Distance】
5ft/sec2は 5÷1.688=2.96≒ 3kts/sec でイメー
ジが容易な単位になります。
フライトの心
昨年5月号
「ハートで飛ばそう」 シリーズ第
2回から担当して執筆してきました。
技術の伝承は先輩から後輩へ引継がれるもの
ですが、 「心」 も引継いでもらいたいもので
す。 今回のシリーズから 「操縦の心」 「フライ
トの心」 をくみ取っていただければ幸いです。
語れども
語れども尽きぬ
操縦の心 フライトの心 図は
FAR Landing Distance で B767-300ER
270,000lbs の例です。 50ft を で通過し
1,000ft 付近に接地後、 Full Brake の条件で
計算されています。 Carbon Brake の は
B767 で0.4122にも達し、 Dry Runway では
Auto-brake-Max をも超える 9kts/sec の減
2010 JUL
21
◎寄
稿
あるパイロットのつぶやき
―今も通用する操縦こと始め―
あの頃は若かった!
元 JAL 機長
PILOT 誌2010年発行、 No2の表紙にひかれた。
単発複葉機、 プロペラ・スピナー、 主車輪の
カバー、 尾輪式、 しかもオープン・コクピット、
飛行帽にゴーグル、 後部座席での操縦とくれば、
懐かしい68年前の自分の若き姿を彷彿とさせる。
偉大だったあの教官、 この上官達の忘れ得な
い貴重な言葉、 アドバイスそして叱責等のお陰
で、 私の総飛行時間16,720時間があり、 84歳の
現在においても航空一筋の人生がある、 と思っ
ている。
今でも私の心に残っている言葉は、 断片的で
あるものの、 鮮明に思い出すことが出来るし、
そのほとんどが戦争中の昭和16年から昭和20年
にかけて受けた訓練の中にあり、 しゃちこばっ
た講義の中ではなく、 飛行前、 飛行中そして飛
行後の、 ほんの僅かな会話?のなかで聞かされ
た、 多分この言葉はこんな意味なんだろう、 と
勝手に解釈した言葉である。
どうぞ気楽に、 コーヒー片手、 あるいはお酒
でも飲みながら読んでいただければ、 と思い投
稿したしだいである。
●初心
“初心にかえって”、“初心を忘れるな”誰も
が聞いた言葉だろう。
同僚のO君はちと天邪鬼で 「初心、 初心と言
うが、 具体的に何々と言わなけりゃ、 俺にはわ
からないよ」 という。
確かに……でも私には言える。
私にとって心情的な初心は、 昭和10年小学校
4年生の時、 確か10月11日金曜日だったと思う
22
2010 JUL
神谷
國夫
が、 秋の遠足で生地名古屋市郊外の小幡が原に
あった名古屋飛行学校という、 私立のパイロッ
ト養成機関を訪れたときのことである。
生まれて初めて、 私は目の前で飛行機を見た。
明るい橙色が目に沁み、 布張りの2枚羽、 オー
プンの操縦席が前後に二つ、 天に向かった三角
の方向舵、 走りよって触りたい、 と思った。
操縦席に乗ってみたいと思ったが、 先生に遮
られた。
飽きることなく長い時間眺めていた。
やがてそれは衝撃的な場面に変わる。
一人の飛行士がトコトコ歩いてきて飛行機の
前席に乗り込むと、 プロペラが回りだし、 咳を
するようにぽこぽこしたとおもったら、 大きな
音とともに、 白い煙がもくもくと排気管から吐
き出されると、 プロペラの後流に走る。
目を見張って見守る中、 飛行機は機首を90度
右に回し、 お尻を私達のほうに向け、 離れていった。
カストロール・オイル (ひまし油) の排気臭
と枯れ草が私の体を包んだ。
飛行機乗りになりたい! カストロール・オ
イルの臭いが私の脳の中を駆け巡り、 一生の道
を決定させた。
飛行機少年になった私の教科書、 ノートの余
白は飛行機の絵で何時も一杯になった。
この心情的な初心は、 飛行機操縦の基盤を支
えてきた。
“よし、 飛行機の操縦にかけては誰にも負け
ないぞ、 10歳のときから俺は飛行気乗りだか
ら……”と。
では操縦術の初心は、 というと昭和16年4月、
15歳で念願の飛行機乗りの第一歩、 逓信省航空
機乗員養成所、 本科1期生として本格的に航空
学を習いはじめた時からで、 もろもろの場面で
それはあったのだろうが、 強いインパクトを受
けた言葉に関する記憶はない。
実際には昭和17年の10月、 95式3型で始めて
飛行技術を教えてくれた、 N助教官の言葉から
である、 と思っている。
山陰の米子飛行場が空への第一歩の道場となった。
●技術の伝承
N助教官のこと
基本の第一歩 (生卵 尻の穴)
当時私の飛行時間は0時間 (正確には適性検
査のときの飛行時間17分)、 年齢16歳。
N助教官は乗員養成所の先輩で23歳、 175cm
の長身で、 パイロットというより僧侶のような
印象を受けた。
「操縦は座席に座った姿勢から始まる。 先ず
座席に着いたら落下傘の茄子環を左右の縛帯に
つけること。 次に機軸の中心線上に尻の穴を重
ねて座り、 座席ベルトをしっかり締める。 次に
伝声管をつける。 そしておもむろに方向舵に足
を沿え、 肩の力を抜いて操縦桿を、 生卵を持つ
ように握る。」
「いいな、 生卵か。」 と思った。
私は小学生のときから剣道をしていたので、
操縦桿の握り方については、 竹刀の持ち方のほ
うを選んだ。
つまり、 小指、 薬指、 中指の3本で締めて持
つ方がコントロールしやすいからである。
尻の穴は飛行機の変わるごとに気にし、 その
ように座った。
●着陸操作高度1メートルの見切り
(走る草が止まって見えれば一人前)
私の飛行時間35時間、 年齢16歳
訓練機が95式3型初練から95式中練に移行し、
着陸速度も早くなった時点で、 五感の演練を心
がけるように言われた。
特に目に関してはやかましかった。
目配り四項目
其の一 真っ直ぐ前を見て、 眼球を動かさない
で、 視野の中に動くものがあれば、 す
ぐに反応。
其の二 眼球を動かすときは一点集中型でなく
素早く見てすぐ次へ移る、 見たものは
確実に視認すること。
いわゆる泥棒目、 刑事目、 動体視力目、
トンボの目。
何時しかパイロットは身に付けつが、
意識しだいで大きな差になる。
其の三 首を左右に振って、 真後ろも見よ。
其の四 首を上下に振って見る時は、 真上から
後方まで見よ。
一は後日、 大型機の計器の異常をすぐ発見で
きるようになった。
二は確実に動体視力が高まり、 走る草が止まっ
て見えて、 毎回安定した接地となった。
三と四は、 きっと戦時中だったので敵機を想
定したのだろうが、 アクロバット飛行に移って、
宙返りの頂点で頭を上げると水平になっている
かどうかが良くわかるし、 気持ちに余裕が出来
る。 また錐もみ状態になった時、 頭を上げると
回転が遅くなって、 判断に結構役立った。
●A主任教官のこと
2点を捉えて、 変化の初動を見逃すな (くの字
を正せ)
A主任教官は陸軍の軽爆撃機のベテラン操縦
士で、 位は准尉、 小柄で精悍な感じにあふれ、
特に鋭い目つきは畏敬の人であった。
なぜか良く指導を受けた。
2点を捉えると言うことは、 着陸進入のなか
で、 飛行場の中心線上その端に一点と、 自分
の間にある線上に著名な物件を1点として
選び、 ABC が常に一直線上になっていれば、
正しい進入といえる。 自分が中心線より右にい
れば、 ABC は くの字 になり、 左にいれば
逆くの字 になって、 進入線上を外れている
ことになる。
2010 JUL
23
素早くBの方向へ舵を切ればよい。
編隊飛行をものにするにはこれが一番の方法
だと考え、 実行したら褒められた。
●アクロバット飛行の舵
(頭で考え、 体で覚えろ)
私の飛行時間80時間 年齢17歳
PILOT を操縦士という日本語に誰かが訳した。
いみじくも、 よく訳したなと思った。
地球の表面から大空へ、 飛行機という機械を
縦に操るサムライ。 その中でもアクロバットは
醍醐味の極致。
95式1型練習機は時速160キロメートルでア
クロバットを開始するが、 如何せん350馬力で
力不足、 今のジェット練習機なら難なくこなす
であろう宙返り、 緩横転、 垂直旋回、 背面飛行
を行う。 機内のごみが顔に降りかかる中、 操縦
桿を前に (機首下げ操作) 押して高度を維持し
1, 2分すると、 燃料が途切れてエンジンが止
まりそうになる。 横転して戻すが、 とんでもな
い方向だったりする。
飛行機の姿勢で、 方向舵が昇降舵となって高
度を保ったり、 昇降舵で方向を決める等々、 飛
行機のバランスコントロールを地上でしっかり
勉強し、 空中で体に覚えさせる。
普通の人間がすることではない、 空中で鳥の
まねを技術でこなす楽しさ、 これに勝るものは
ない。
私の初心が生きて、 第一人者になることが出
来た。
●重心の位置 (トリムを正しく取る)
私の飛行時間120時間 年齢17歳
昭和18年の冬、 2枚羽の95式1型から全金属
製、 低翼一枚羽の99式高等練習機に移り、 前席
で操縦することになった。
プロペラ・ピッチの変化機構が付いている。
フラップを下げて着陸し、 すぐ単独飛行となる。
後席の教官が降り、 そのまま離陸し、 場周を
回り、 降下着陸しようと高度1メートルで水平
飛行から引き起こしにかかったが、 機首はおき
ない。
操縦桿を腹までつけても飛行機は3点姿勢に
ならず、 接線着陸した。
後席の教官が降りたため、 重心が前に移動し
たことに気付かなかった。
教官の指摘。
フラップを降ろしたらトリムをとれ、 トリム
は飛行術の最右翼であることを銘記せよ。
なるほど、 気流が良ければ、 操縦桿から手を
離してもうまく飛ぶよ、 模型飛行機のように。
●好きこそものの上手なれ (なぜ?
どうして? どうしたらどうなった)
私の飛行時間166時間 年齢18歳
昭和19年3月、 太平洋戦争が負け戦になりつ
つあるとき、 乗員養成所での3年間の教育を無
事終了し、 2等航空機操縦士、 2等航空士の免
状を貰った。
針、 ボール、 スピード、 針、 ボール、 スピー
ド、 操縦といえばこの声がいまだに聞こえてくる。
針、 ボール、 スピード、 判りますか?
B777 ではボールも無くなったとのこと……
寂しいね。
とにかく技術は真似ること、 盗むことから入
り、 考え考え実行するしかない。
何時までの好奇心を忘れずに……なれたとき
に技術の進歩は止まる。
この稿おわり
95式1型中級練習機
24
2010 JUL
軍隊編、 大日本航空編に続く
連
載
航
空
●
曼
史
●
陀
羅
その36. 空に生きた小さな巨人
ハンナ・ライチュの生涯
ハンナ・ライチュ (Hanna Reitsch) ほど女
性パイロットとして波瀾な人生を送った人はい
ない。 身長 5ft1inch (154cm) で体重41キロそ
こそこという、 日本人女性と比較しても小柄な
彼女は、 医学生だった20歳のときにグライダー
に魅せられて以来、 男の牙城だった空への道を、
死の直前まで追い求めて止まなかった。
彼女がグライダーと飛行機で達成した世界飛
行記録は、 戦前戦後を通して40にあまる。 ヒト
ラーによる一級鉄十字章受章、 それに民間女性
でありながら、 ドイツ空軍のダイヤモンド航空
功労賞を受賞した唯一の女性、 有人ロケット爆
弾の飛行実験、 さらにはナチス・ドイツ降伏直
前、 ソ連軍に包囲されたベルリンの地下総統官
邸から、 劇画もどきの脱出を敢行した。 戦後は
捕虜としてアメリカ軍に拘留されたが、 釈放後
は再び不死鳥のごとく蘇った、 彼女の波乱に満
ちた人生を追ってみたい。
● フライング・ドクターを夢見る
ハンナはドイツのシュレージェン地方にある
ヒルシュベルグ
と い う 人 口
45,000人ほどの
小さな田舎町
で、 眼科の開業
医の娘として、
1912年3月29日
に生まれた。 3
人兄妹の2番目
である。 北には
5歳のころのハンナ
山脈をいただ
徳田
忠成
き、 南はアルプスと見まがう標高1,600mのリー
ゼンゲビルゲの尾根に縁取られており、 その中
に中世の城郭や城館が点在する、 平和で牧歌的
な山紫水明の地で幼児期をすごした。
教養豊かな父だったが、 子供たちの躾には厳
しいものがあった。 ブロンドがかった髪の毛に
クリッとした瞳のハンナは、 いつも優等生で運
動神経も抜群だったが、 決してお行儀がよいと
はいえなかった。 いたずらが過ぎて、 いつも問
題児の筆頭にあげられていたし、 同年代の女の
子よりも好奇心旺盛で多感、 鼻っ柱が強かった
から、 よく父親に反抗して家を飛び出し、 その
都度、 辛抱強い母親によって救われていた。
ハンナが空へ関心をもつようになったのは
13、 4歳のころだったが、 それは何でも首を突っ
こもうとする普通の女の子の域をでなかった。
それよりも父の医療活動をみて育った彼女は、
将来、 漠然と医師になりたいと思っていた。 そ
れに高く輪を描いて飛ぶタカを眺めているうち
に、 空への興味が沸き、 信心深い母の敬虔な祈
りに影響されて、 飛行機で飛び回る伝導医師を
心に描いていた。 現在のフライング・ドクター
とは、 やや主旨を異にしている。
● ヴォルフ・ヒルトとの出逢い
父母はハンナの空への関心を快く思わなかっ
たが、 それに素直に従う彼女ではない。 伝導医
師への前段階である移民教育女学校に在学中、
1932年の秋、 20歳のとき、 ようやく郷里の近く
にあるグルーナウ滑空学校でグライダーに乗る
チャンスをつかんだ。 第一次大戦後、 敗戦国だっ
たドイツは、 ヴェルサイユ条約によって動力付
2010 JUL
25
● 紅一点の練習生
グライダーのメッカ、 ヴァッサークッペ
航空機の飛行が禁止されていたのである。 校長
は後に“グライダーの神様”といわれたヴォル
フ・ヒルトである。 この時以来、 ヒルトはハン
ナの生涯の師となった。
ヒルトは日本帆走飛行連盟の招待で、 1935年
10月に来日、 2ヶ月間の滞在中、 日本帆走飛行
界を指導し、 多大な影響を与えた。 単に山裾の
斜面上昇気流のみに頼って滑翔していた日本に、
テルミーク (熱上昇気流) の技術を指導した、
近視と義足のグライダー・パイロットである。
千葉県関宿滑空場には、 ヒルトの功績を称えた
顕彰碑が建てられている。 彼はドイツの外、 ヨー
ロッパや米国、 南米、 アフリカ、 そして日本と、
精力的にグライダーを普及させた。
ハンナの第1回目のグライダー飛翔訓練は、
夢中になりすぎて規定を無視し、 3日間の訓練
停止という罰を受けている。 しかし、 彼女の天
性の操縦感覚はヒルトをはじめ、 周囲を驚かし
た。 半年後には上級試験に一発で合格、 5時間
半の女性世界滞空記録をつくるまでに成長して
いた。 彼女の航空人としての存在が、 マスコミ
の話題になった最初である。
女学校卒業後、 いよいよ医学生としての第一
歩を歩むべく、 ベルリンのキール大学で入学手
続きをおこなったが、 飛行機をあきらめた訳で
はない。 彼女は、 将来、 フライング・ドクター
としてアフリカで働く夢があったから、 再び親
を説得して、 在学中、 ベルリン郊外にあるドイ
ツ航空スポーツ連盟所属のシュターケン飛行場
で飛行訓練に入った。
完全な男社会で、 訓練生は会社々長や商人、
技師や科学者などがいたが、 女性はハンナ1人
だった。 練習機は 「クレム」 という20馬力エン
ジン付グライダーだった。 持ち前の負けん気に
くわえ、 天性の才能と熱意で、 彼女は順調に上
達していった。 飛行訓練のかたわら、 彼女は時
間を惜しんで整備、 とくにエンジンについて学
んだ。 同時に、 ヒルトによって飛行理論、 とく
に熱上昇気流による飛翔を学んだ。 ハンナの両
親も、 彼女の空への情熱が並々ならぬものを感
じ、 ようやく娘のパイロットとしての道を認め
たのである。
医学生を一学期で放棄したハンナの最初の競
技会参加は、 1933年のレーン山系にあるヴァッ
サークッペでのグライダー競技会であった。
1920年にオスカー・ウルジヌスによって開かれ
たこの地は、 400mの小高い山岳があり滑空に
最適であった。 ウルジヌスは、 第一次大戦後の
ヴェルサイユ条約によって、 エンジン付飛行機
で飛ぶことを禁じられた戦後のパイロットや学
者、 技師、 若者を、 ヴァッサークッペに呼びあ
つめた。 やがてグライダー愛好者が自然と集まっ
てグライダー・スポーツを愉しむようになり、
以来、 グライダーのメッカとして歴史をきざみ、
今日にいたっている。
ヴォルフ・ヒルトとハンナ
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2010 JUL
競技会でのハンナの成績はさんざんだったが、
しぶとく何回も挑戦する小柄な女性が、 主催し
ていたゲオルギー教授の目に止まった。 彼はす
でに“飛行の父”として名を成しており、 ヒル
トと共に南米行きを計画していた。 目的はグラ
イダーのデモンストレーションと、 その地域の
上昇気流の調査にあった。 教授の誘いでハンナ
は、 南米行きを二つ返事で承諾したものの、 旅
行の参加費用として3,000マルクを用意する必
要があった。
そのために彼女は航空映画のスタントをやっ
て稼いだ。 レーンとロジッテンで行われた代役
飛行では、 思わぬ福音をハンナにもたらした。
撮影の合間の自由時間に飛び、 ロジッテンでの
理想的な気流状況が幸いして、 たちまち9時間、
そして翌日には11時間20分の女子滞空記録をつ
くってしまった。 ハンナが21歳のときである。
1934年1月に出発した南米への旅は約40日間
におよんだ。 ブラジルやアルゼンチンでの数々
の飛行は、 地域住民の協力もあって大成功をお
さめた。 この滞在期間中、 ハンナは滑空士とし
ての功労章を受章したが、 これは25人目であり、
女性初の栄誉であった。 なおヒルトは、 アルゼ
ンチンで76回の連続宙返りをして聴衆をわかせ
た。 調査飛行は、 1939年2月にリビアでもおこ
なって、 ハンナも同道している。 ここでの彼女
は、 何の変哲もない砂漠という自然が、 一瞬に
して暴風を巻き起こし、 グライダーが翻弄され
る恐ろしい経験をしている。
● ドイツ・グライダー研究所員に指名
南米から帰国後、 ゲオルギー教授はすっかり
ハンナに惚れこみ、 彼女をドイツ・グライダー
研究所 (DFS) の一員に指名した。 DFS は
1925年に設立され、 ゲオルギー教授が中心になっ
て拡大していった。 戦時には空軍による大型グ
ライダーの発注など、 グライダーの研究開発お
よび設計で、 ドイツのグライダー研究の権威あ
る組織となっていた。 ここでハンナは、 テスト・
パイロットという肩書きで腕をふるい、 1945年
5月まで所属している。
DFS でのハンナは正に命を削って試験飛行
ユンカース Ju 87襲撃機 「シュツーカ」
に取りくんだ。 強運な彼女は、 数々の危険なテ
ストを消化したが、 ここではダイブブレーキの
テストを紹介するに止める。 このテストはダイ
ブによる度重なるグライダー事故対策であった。
急降下中、 主翼に取り付けたダイブブレーキが
垂直に立ち上がることで減速されたが、 操縦不
能に陥る危険があった。 ほぼ垂直に降下し、 ダ
イブブレーキによって地上200mでリカバリー
したこともある。 実験と改良が繰り返され、 つ
いに成功したダイブブレーキは、 後にユンカー
ス Ju87襲撃機 「シュツーカ」 に取り入れられ
て、 対ソ連戦では急降下爆撃機として戦車キラー
の異名をとった。
この間のハンナは、 1934年には2,800mの女
性世界高度記録、 さらに1936年にはグライダー
による305km の世界飛行距離記録、 続く1937
年に自分の記録を塗りかえ、 1938年から1939年
にかけて、 往復対目標飛翔での女性世界記録を
塗り替えるなど、 止まることを知らない記録更
新の日々が続いた。
1937年5月、 ハンナはスイス・アルプス越え
をした初の女性になった。 ザルツブルグでの国
際グライダー大会でのことで、 ハンナ用に特別
設計されたグライダー 「シュペルバ・ジュニア」
号で完成した。 何度も失敗しそうになったが、
執拗に上昇気流をとらえ、 4,000mの高度まで
上昇し、 寒さでガチガチになりながら、 距離約
100マイルを飛行し、 イタリアの地に降り立っ
た。
2010 JUL
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● 空軍飛行実験部に協力
すでに国内外にハンナのパイロットとしての
名声は広がっていたが、 この年9月、 空軍司令
官エルンスト・ウーデットの要請により、 ドイ
ツ空軍テスト・センターのあるレヒリンで、 新
しいダイブブレーキを備えた飛行テストをする
ことになった。 空軍にかかわった最初であった
が、 彼女は軍用機を平和への守護者と呼んで喜
んでこれに応じた。
これは公式なものではなく、 多分にウーデッ
トによる個人的な考えによっていた。 そこでの
彼女は、 主任テスト・パイロットの指示でのみ
飛行した。 何故なら彼女の飛行経験は、 正規の
ものと見なされなかったからである。
名だたるテスト・パイロットのいるレヒリン
で紅一点の彼女は、 男性からの拒否反応に晒さ
れたが、 彼女の能力が認められるのに時間はか
からなかった。 ハンナはユンカース Ju 87のダ
イブブレーキの飛行テスト、 その形状から“空
飛ぶ鉛筆”の愛称のあるドルニエ Do 17爆撃機、
それに世界初の完成されたヘリコプターといわ
れたフォッケ・ウルフ FW-61型ヘリコプター
のテストを手がけ、 たちまちテスト・センター
の人気者になっていった。
1938年2月にベルリンにある屋内展示ホール・
スタジアムで、 世界初のヘリコプター FW-61
型に搭乗して、 飛行をおこなった。 屋内飛行の
アイデアはウーデットの発案で、 ドイツ技術の
優秀さを、 世界へ向けて PR する意図があった。
この機体はヨハン・フォッケ教授が中心になっ
て設計したもので、 逆回転するローターを支え
る二つの支柱がある小型複葉訓練機で、 星形エ
ンジンの前に冷却用の小型プロペラが装備され
ている。 ハンナは予定された3週間というもの、
毎晩、 飛行した。 面白いのは、 締め切った屋内
に多くの見学者がつめかけたため、 酸素不足に
なり、 最初のころはヘリコプターのエンジン性
能が予定通り出なかったらしい。
ハンナのデモンストレーション飛行によって、
この機体はたちまち有名になった。 彼女曰わく
「なんと素晴らしいことか! 夏の野でホバリ
ングしている、 軽くて小さな羽根のヒバリを連
想した。 今、 人類はヒバリから愛すべき秘密を
もぎとった」 と感嘆している。 同時に、 「操縦
しやすく、 私はこのデモンストレーション飛行
の前に、 わずか3時間しか乗っていない」 と、
容易な操縦を宣伝することを忘れなかった。
これらの功績が認められて彼女は、 ゲーリン
グ空軍元帥からダイヤをはめ込んだ黄金の航空
功労賞を授与された。 1941年4月には、 故郷ヒ
ルシュベルクに錦を飾り、 地元市民によって大
歓迎された。 市会議員室で名誉市民章が授与さ
れ、 グライダーが送られたが、 これはグルーナ
ウ滑空学校へ寄贈した。
● Me163/V-1
フォッケ・ウルフ FW61型ヘリコプター
28
2010 JUL
のテストに従事
1942年10月に入り、 アウグスブルクのメッサー
シュミット社で、 ハンナはロケット推進機
Me163のa型 (攻撃型) およびb型 (迎撃型)
のテストをおこなった。 この機体は日本の 「秋
水」 の原型になったことで、 よく知られている。
滞空時間が余りにも少なく、 戦果が得られなかっ
たことから、 約370機で生産を打ち切っている。
装備されるロケット・エンジンは、 濃縮された
過酸化水素と特殊燃料の混合したものを圧縮し
て、 ジェット噴流を発生させた。 離陸後、 約
4,000馬力の推力で数秒のうちに時速800km に
加速、 60度から70度の角度で90秒間、 一気に
1944年、 1級鉄十字章受章
Me163ロケット戦闘機 (上) と V-1 号ロケット爆
弾 (下)
30,000ft まで上昇した。
しかし、 ハンナは Me163b 型での5回目の
テスト飛行で、 操縦不能に陥って地面に激突、
瀕死の重傷を負った。 再起不能に思われたが、
優秀な外科医の執刀と超人的なリハビリのお陰
で、 約半年後には現場に復帰した。 パイロット
生命を断たれるかも知れないこの時期は、 彼女
の生涯でもっとも苦しかった、 と回想している。
大事故の数日後に彼女は、 女性初の一級鉄十字
章の授与が決定された。
病が癒え、 1943年8月にベルリンに帰ったこ
ろのナチス・ドイツは、 前線での劣勢がひしひ
しと迫っていた。 仲間の間で祖国を救う術が真
剣に論議され、 戦争の継続によって増え続ける
死傷者にかわる、 自己犠牲の武器として、 有人
滑空爆弾や有人 V-1 号による攻撃が討議され
た。 日本陸海軍の特攻は、 このおよそ1年後に
始動されている。
すでに V-1 型 (フィーゼラー社製で“Fi 103)
は、 非誘導有翼小型ロケット爆弾として開発さ
れていた。
1944年6月の連合軍によるノルマンディ上陸
作戦を阻止せんと、 V-1 号による反攻が開始さ
れた。 英本土へ8,000発が発射され、 約1/3が目
的地に到着したが、 後半にはいって、 ほとんど
が着弾前に撃墜された。 この補強策として考え
られたのが、 有人型 V-1 であった。 そしてハ
ンナは、 1944年2月の一級鉄十字章授与式でヒ
トラーに面会した折、 この有人 V-1 号の開発
を直訴したのである。
こうして多くの破滅的なプロジェクトの一つ
である自己犠牲攻撃への準備が進められていっ
た。 極秘コード・ネームは 「ライヒェンベルク」
とされ、 V-1 型の有人爆弾 (V-1e 型) のテス
ト飛行が始まった。 そして1944年中頃、 英国南
部に集中している連合軍を攻撃するべく、 大量
生産が準備されようとしていたのである。
方向制御がなく、 全長8m、 全幅5m、 重量
2tの V-1 型に、 操縦席と数個の基本計器と
懸架装置が装備された。 降着装置は無かったが、
帰還を考えないので問題ではない。 V-1 型と同
じアルゴス・パルス・エンジンを動力としたが、
飛行中の推力調整はほとんど不可能だった。 こ
の V-1e 型は、 親飛行機に懸架されて運ばれ、
目的地近くではなたれ、 そこで V-1e パイロッ
トは、 目的に向かってダイブするのである。
不幸にして2人のテスト・パイロットがクラッ
シュで死亡、 その後のテスト飛行は、 DFR テ
スト・パイロットのハンナと他の1人によって
おこなった。 ハンナは V-1e を数回にわたって
2010 JUL
29
テストしたが、 V-1 型の欠点であるエンジン音
からくるバイブレーションを改良するテストが
続いた。 V-1e 型では、 パイロットは風防を取
り外し、 爆発直前にベイル・アウトする構想だっ
たが、 写真のような位置関係では、 脱出は不可
能に近いと思われる。
他方、 航空団内に特別グループを組織した空
軍には、 特攻志願者約175名が登録され、 選抜
された約70人が訓練にはいっていた。 しかし、
この計画は熱狂的ナチス信奉者を除いて賛同者
が少なく、 縮小されていった。 例えパイロット
が特攻に同意したとしても、 ベテラン・パイロッ
トの減少をまねくものであり、 結局は軍高官た
ちの反対にあい、 実現することはなかった。
● 総統官邸からの脱出
終戦直前の45年4月26日、 ハンナはフォン・
グライム上級大将を乗せて、 ベルリンの地下総
統官邸へ飛んだ。 すでに周囲はソ連赤軍によっ
て包囲されており、 制空権も奪取されていた。
イタリアのムッソリーニ総統の脱出にも使用さ
れたフィーゼラー Fi 156 「シュトルヒ」 を操
縦し、 監視のうすい払暁に超低空でブランデン
ブルグ門の前に着陸、 そこで待っていたトラッ
クに移乗、 総統官邸へたどり着いた。 不幸にし
てグライム将軍は、 飛行中、 装甲車からの炸裂
弾で右足を負傷していた。
地下壕で目にしたヒトラーは肩を落とし、 青
白い顔をした老人にすぎなかった。 よどんだ目
とほとんど抑揚のない声には、 かつての自信に
満ちた面影はなく、 ナチス・ドイツの落日を象
徴していた。 ヒトラーは、 「君はなんと勇敢な
女性なんだ! この世にはまだ忠誠心や勇気が
残っている」 と、 ハンナの手を弱々しく握りし
めたという。
ヒトラーはゲーリングを裏切り者と非難、 グ
ライムを後任として、 すでに有名無実の空軍総
司令官に任命すると同時に、 元帥に昇進させた。
ハンナは官邸内での死を覚悟したが、 外部との
連絡に最後の望みをかけたヒトラーの命令に従っ
た。 そして29日、 ハンナは彼の遺言書と第三帝
国の重要書類をたずさえ、 負傷しているグライ
30
2010 JUL
アラド型 Ar96B 練習機
ム元帥と共に、 再び防空壕からの脱出を敢行し
た。
まだ辛うじてドイツ側の手中にあった廃墟同
然の道路を疾走、 戦勝記念塔の側に待機してい
たアラド96型練習機に飛び乗り、 深夜の脱出劇
に成功した。 しかし、 ドイツは降伏を目前にし
ていた。 ベルリン陥落後の5月1日にヒトラー
は愛人エバ・ブラウンと共に自決、 そして5月
8日に無条件降伏、 グライム元帥も負傷が元で、
間もなく亡くなった。 ハンナの親兄妹も戦争の
犠牲になっていた。
● 戦後の活躍
戦後、 ハンナは米軍に重要犯罪人として逮捕
された。 15ヶ月間の独房での屈辱的な不自由さ
と単調な日々のあと、 ようやく解放されてフラ
ンクフルトに居を構えたが、 ドイツ国民の飛行
は禁止されており、 数年後にようやくグライダー
が解禁された。 1952年にスペインで開催された
世界グライダー選手権大会に紅一点として出場、
いきなり銅メダルを獲得、 1955年にはドイツの
グライダー選手権でチャンピオンに輝いた。 翌
年のサン・ヤンでは370km の女子長距離飛翔
記録樹立、 さらに次の年、 6,848mの女子高度
記録を樹立と、 ふたたび次々と飛行記録を塗り
替えていった。
チャンピオンに輝いた直後、 彼女は放映用の
インタビューを受け、 戦時中にテストした飛行
の記憶をたどった。 映像の一部は、 いろいろな
テレビ・ショウで再放映された。 これらの話は、
FW61、 Me262、 Me163 の操縦特性と性能に関
する信頼すべきガイドとして貴重な記録となっ
ている。
しかし、 1958年、 グライダー世界選手権大会
がポーランドで開催されたとき、 ハンナは癒し
がたい屈辱を受けた。 彼女はドイツ人選手の1
人として参加したが、 ポーランド入国を拒否さ
れ、 しかも、 他の選手は何の抗議もせずに入国
した。 戦後、 13年も経っていたが、 民間人であ
りながらナチスに協力したという理由からであ
る。 このとき以来、 ハンナは絶対にドイツ国内
では飛ばないことを心に誓っていた。
1959年にハンナは、 グライダー飛行を広める
ために、 ネール首相に招かれてインドに招待さ
れ、 ニューデリー上空をネール首相と共に飛行
した。 1961年には、 恩讐を越えて渡米、 カリフォ
ルニア州シェラネバダでの滑空大会に招待され
た。 ここでは、“ロケットの父”フォン・ブラ
ウン博士やイゴール・シコルスキーとの会見も
実現した。 しかも、 ケネディ大統領は、 ホワイ
ト・ハウスのレセプションに彼女を招待してい
る。
ハンナは1962年から66年の間、 ネール首相の
仲介によるエンクルマ大統領の要請を受けてガー
ナ共和国に赴き、 そこで国立滑空学校設立に協
力した。 その後、 1970年代には、 各種カテゴリー
の記録を塗りかえていった。 1976年に距離715
km という女子往復飛行記録を達成、 1979年に
は、 米国のアパラチアン山脈上空を飛び、 802
km という自らの女子往復飛行距離記録を更新
した。
生涯にわたって徹底して空に生き、 万丈の気
を吐いた小さな巨人ハンナ・ライチュは、 1979
年8月24日、 フランクフルトの自宅で心臓麻痺
によって亡くなった。 享年67歳だった。
最後に、 1970年代初期にある米国人ジャーナ
リストによってインタビューを受けたときに残
した、 ハンナの言葉を紹介する。
「今のドイツには何がありますか? かつて
の栄光の軍は過ぎ去り、 街は起業家と自動車メー
カーたちであふれています。 老兵たちはヒゲを
たくわえ、 勲章を要求している。 何を言っても
非難されない世の中です。 私は今も、 ヒトラー
から授与された一級鉄十字章を身に着けていま
す。 しかし、 アドルフ・ヒトラーを返り咲かそ
うと思う人は、 一人もいません。 多くのドイツ
人は、 戦争についての罪を感じています。 しか
し、 われわれが経験した真の罪−失ってしまっ
た罪−についての説明はありません」。
参考文献:「私は大空に生きる」 ハンナ・ライ
チュ著。
2010 JUL
31
我々パイロットは飛行機の Manual に従って運航しています。 しかし、 それ以外に先輩・同輩
に加え後輩からの 「技術の伝承」 で培われた部分が大きいのも否定できません。 一人前の刀鍛冶
になるのは、 少なくとも5年はかかります。 炎に照らされた鉄の色合いなどを見て判断する名工
の一挙一投足から、 技術を盗む 「技術の伝承」 で一人前になります。
この新企画は、 刀鍛冶とまではいきませんが、 「技術の伝承」 「技術の研究」 を目指す読者のサ
ロンのコーナーです。
皆様からの 「技術に関する情報」 等々、 その他有益な投稿をお待ちします。
編集委員会
連載・飛行力学物語
その7
徳川大尉と Piaggio P180 Avanti (前編)
JAXA 風洞技術開発センター
国産旅客機チーム客員
柴田
眞
今年 (2010年) の12月で、 徳川大尉が明治43年に日本最初の飛行に成功してから、 ちょうど
100年になります。 使用した機体は、 アンリー・ファルマン式1910年型でした。 またイタリアの
Piaggio P180 Avanti は、 1986年に初飛行したターボプロップ双発の7∼9席のビジネス機で、 独創
的かつキュートな機体として知られています。 この両機に共通するのは 3LSC (Three Lifting
Surface Configuration)、 すなわち前方翼、 主翼、 水平尾翼と3枚の揚力面を持つことです。 初
期の飛行機に現れた 3LSC も、 やがて水平尾翼つきのふつうの形態が主流になるにつれ、 忘れ去ら
れていきました。 ただ最近のように閉塞感がただよう時代になると、 技術の世界でも何かブレーク
スルーを模索する必要があり、 この機会に 3LSC を再検討してみたいと思います。 この物語の前編
は日本の航空100年にちなんだ昔話ですが、 後編は現代、 そして将来の新形態機へと展開していき
ます。
寒気甚だしかりしも無風
これは代々木練兵場における明治43年12月19日早朝の気象記録です。 代々木の練兵場はかつて、
山手線の原宿駅西側一帯にあって、 現在は代々木公園などに受け継がれています。 徳川好敏大尉
(1884∼1963) はこの日、 早朝から地上滑走を繰り返して機体の調子を確認し、 午前7時50分に日
本最初の飛行に成功しました。 左回りの“場周経路”をきちんと飛んだ堂々たる初飛行でした。 飛
行距離は3000m、 時間は3分間で、 高度は70mだったと記録されています。 なお滑走距離は30m、
着陸距離は20m、 今の感覚からはうそのような数字です。 参考資料1には、 徳川大尉自筆の簡単な
飛行経路の図が掲載されています。 この図と国土地理院の1/10000地形図を参考にして、 現在の位
32
2010 JUL
図1
現在の代々木ヶ原と徳川大尉の推定飛行経路
置関係でどのあたりを飛んだのかを、 図1 (右が北になっている) にまとめてみました。 出発点
(図のA点) は、 いまの第二体育館あたりと推定されます。 なお図に示した格納庫は、 天幕式の仮
設のものでした。 翌年の春には、 所沢が日本最初の飛行場として使われ始めます。
日本航空発始の碑
いま代々木公園に行くと、 西南隅に 「日本航空発始の碑」 があります。 図1に示したように、 初
飛行の時のいまでいう down wind leg の下、 第三旋回の手前あたりに相当する場所です。 この碑
は、 徳川大尉の初飛行から30年後、 昭和15年に建設されました。 昭和15年は皇紀2600年、 その頃の
雰囲気を表した堂々たる記念碑です。 碑に向って右手の奥のほう、 碑からみると左翼後方に、 小さ
な石の標識が埋め込まれ、 かたわらに 「日本初飛行離陸之地」 と書かれた比較的新しい石柱が立っ
ています。 この地点を離陸の出発点と想定し、 かつ明治末の情景を頭に浮かべながら、 何回も地図
上に飛行経路を描いてみました。 残念ながら、 徳川大尉のポンチ絵 (手書き略図) と異なるだけで
なく、 他の記録とも矛盾する点がでてきます。 図1の推定飛行経路は、 筆者の判断で、 参考資料1
の 「日本航空事始」 にもとづき描いたものです。 今年は日本の航空100年記念行事も予定されてい
るので、 この離陸の出発点に関しても、 またどこかで話題になるかもしれません。
アンリー・ファルマン式1910年型
徳川大尉が使用した機体は、 アンリー・ファルマン式1910年型でした。 これは通称で、 正しくは
‘1909年型ファルマン’らしいのですが、 何れにしても徳川大尉が操縦訓練を受けたフランスで
購入してきた機体です。 図2の左側に機首を上にして平面図を示しますが、 全巾が10.5m、 全備重
2010 JUL
33
図2
機体平面形の比較
量が600kg、 そして50馬力のグノーム式発動機でプッシャー・プロペラを駆動していました。 平面
形をみると、 今で言うところの 3LSC (Three Lifting Surface Configuration) の機体であること
が判ります。 前方翼は全体が動いて前方昇降舵として働き、 水平尾翼には後方昇降舵が設けられて
います。 主翼は複葉で上下翼ともに補助翼がついており、 そのころライト機などにみられた撓翼
(たわみよく) 方式の機体に比べ、 ロール操縦は容易だったでしょう。 ただ縦の操縦に関しては、
主車輪の接地中心から考えると重心がかなり後方なので、 相当不安定な機体だったのではないかと
想像されます。 このファルマンはなかなか実用性が高い機体で、 シリーズとして130機も作られ、
そのうち75機が輸出されたそうです。
会式一号機の製作
会式の“会”は、 明治42年に官制が発布された臨時軍用気球研究会のことです。 輸入した機体は
何れ損耗するから国産機を作ろうと、 明治44年の7月から製作を始め、 三ヵ月後の10月13日から所
沢で飛行試験に入った機体が会式一号機です。 図2の右側に平面図を示しました。 徳川大尉たちが
素晴らしかったのは、 まずデッドコピーを作らなかったことです。 輸入機を飛ばして学んだ多くの
ことを設計に反映し、 さらに最初から実用機として用いることを目指しました。 そのころ飛行機の
主な任務は、 もちろん操縦練習が主体で、 さらにいえば偵察将校の養成も急務とされていました。
会式一号機は、 少しずつ改良を重ねながら続いて製作された二号機、 三号機、 さらに四号機ととも
に、 後に制式機となるモーリス・ファルマン1913年型が大正2年に到着するまで、 その任務を立派
に果たしました。 なお会式五号機と会式六号機は、 その後に製作されたほぼ同じ設計の機体、 また
最後の会式七号機は駆逐機と呼ばれた別の形式の機体として知られています。
34
2010 JUL
徳川好敏さんのこと
会式一号機は、 アンリー・ファルマン機に比べて全体をやや小型化しています。 複葉の主翼の下
翼を小さくし、 補助翼は上翼のみに設けました。 そのほか複葉の水平尾翼を単葉にするなど随所に
工夫がみられます。 また参考資料1には、‘エッフェル氏空気抗力実験研究に基づき、 翼断面を若
干変更した’という記述があります。 徳川大尉は 「風試結果を設計に応用した日本最初の人」 と言
えるかもしれません。 この会式一号機ですが、 飛行試験で‘相当の力で操縦桿を押し返していない
と水平飛行できない’ことが判りました。 現代風にいえば縦のトリムが取れていない状態なので、
水平尾翼の取付角を変更したことは云うまでもありません。 徳川大尉は 「飛行試験で機体の空力形
状を修正した日本最初の人」 とも言えるかもしれません。 なお徳川大尉はその後も陸軍の航空畑を
歩み、 昭和14年5月に陸軍中将で予備役に編入されましたが、 昭和19年に召集され終戦時は陸軍航
空士官学校長でした。 しかし本稿では、 初飛行当時の (26歳だった) 「徳川大尉」 と表記すること
にしました。 きわめて誠実な人柄だったと伝えられています。
モーリス・ファルマン1913年型機
大正2年に到着したモーリス・ファルマン1913年型機は、 操縦性、 安定性、 実用性ともにすぐれ
た機体で、 所沢飛行場を中心に活発な飛行活動を展開しました。 モーリスはアンリーの弟で、 この
機体もアンリー・ファルマン1910年型や会式一号機と似ていて、 やはり 3LSC 機です。 そのころ人々
は、 前方昇降舵ともいわれた前方翼のことを、 チョンマゲと称していました。 形からというよりも
‘役に立たないことは判っているけれどなかなか切れない’、 そんな意味でしょう。 明治維新から
やっと50年、 今から100年前の人々の気持ちをよく表していると思います。 そして大正4年に到着
したモーリス・ファルマン1914年型機になって、 前方昇降舵が廃止され、 水平尾翼だけを持つふつ
うの形態に移行しました。 徳川大尉の表現によれば‘いかにも軽快となって近代飛行機に昇格した
観があった’そうです。 時代は大正3年からの第一次世界大戦 (1914年7月∼1918年11月) を迎え
ています。 この4年間に、 飛行機は大きな進歩をとげました。
図3
水平尾翼による縦トリムの基本
2010 JUL
35
ふつうの飛行機の縦の釣合い
このころ飛行機は、 水平尾翼を持つふつうの形態に落ち着いていきます。 そしてこの形態は現在
でも飛行機の主流になっていますから、 非常に優れた基礎形だったのです。 図3に水平尾翼による
縦トリムの基本を示しました。 図の上方に示したのは、 重心が主翼の空力中心より前にある状態、
すなわち前方重心の場合で、 このとき水平尾翼はもちろん下向きの力を出しています。 前方重心限
界は、 ふつう着陸引起しの条件で決まります。 着陸のとき水平尾翼は、 後縁上げでかなり大きな下
向き揚力を出しますが、 あの状態です。
図の下方には、 後方重心の場合を示しました。 このとき重心は主翼空力中心よりは後方ですが、
ふつう、 主翼風圧中心よりは前方になることに注意してください。 したがって、 この状態でも水平
尾翼は頭下げモーメントを打ち消すため、 上向きではなく下向きの揚力を出さなければなりません。
後方重心限界は、 一般に縦安定の条件で決まります。 このところの RSS (Reduced Static Stability) の技術をもって、 さらに重心を後方に移したらという議論も、 主脚位置をふくむ全機レイア
ウトからみて、 ふつうはまず不可能です。
最近の旅客機の主翼翼型は、 図3の右下に示したように、 頭下げモーメントがかなり大きく、 風
圧中心が後退しています。 旅客機は翼面荷重が高いので、 翼型の設計揚力係数が大きくなり、 衝撃
波の発生を遅らせようとすると、 リアローディングを採用せざるをえないからです。 このように重
心を後方にしても尾翼の揚力はなかなか上向きになってくれませんが、 重心を許容範囲内で後方に
設定することは、 トリム抵抗の低減、 すなわち燃料の節約になることは云うまでもありません。
カナード機、 3LSC 機
水平尾翼を持つふつうの形態は、 優れた基礎形ではあるものの、 尾翼が下向きに揚力を出さねば
ならないという本質的な‘欠点’を持っています。 これを何とかせねばという設計者の願いから、
カナード機や 3LSC 機の構想がでてきます。 次号後編では、 まずカナード機と 3LSC 機の縦トリム
の話から入りたいと思います。 そして具体的な事例として、 現代の代表的な 3LSC 機である独創的
かつキュートな Piaggio P180 Avanti を登場させましょう。 前編で参考にした主な資料は、 次の
とおりです。 なお 「日本航空事始」 は、 徳川大尉の没後、 昭和39年に出版されました。
参考資料1:「日本航空事始」、 徳川好敏、 出版協同社、 1964年
参考資料2:“写真で見る日本航空史、 鈴木一義、 日本航空宇宙学会誌、 2003年4月
参考資料3:日本航空機総集、 第六巻輸入機篇、 野沢正、 出版協同社、 1972年
(H22.6.9記)
36
2010 JUL
飛行機の機能を知る!
知って使いこなす!
Constant Path!
長い Path で Stabilized!
B767 機長(元)
蔵岡
賢治
最近、 ILS DME や GPS で、 距離情報が正確に表示されています。 Constant Path Approach
には有効な情報です。 しかしながら、 その距離情報を Outer Marker や FAF の通過確認のみにし
か利用していないでしょうか?
過去、 DC-8 等の第一世代 Jet 機が飛んでいた頃、 ILS DME や GPS の様な0.1nm 単位での正確
な距離情報は得られず、 当時の Navigation System の正確とは言い難い距離情報を基に、 おおよ
その FPA (FLT Path Angle) で飛行していました。 このため Approach では Chart の高度が重
要視され、 その高度に降下するのが主眼とされ、 距離を誤り事故に至った例もあります。
当時、 Outer Marker や Runway 等への距離情報が正確であれば防ぎ得た事故もあったでしょう。
現在は正確な距離情報で FPA も掴み易く、 その距離情報を利用し Constant Path Approach す
れば Stabilized Approach や Fuel Save も図れます。 正確な距離情報の利用方法を考察してみます!
※この稿では、 ILS Beam は直進するものとして幾何学的に計算しています。
〈Flight Path〉
図−①
Geometric & Barometric
表−①
Barometric ALT と ILS Glide Path ALT (地球湾曲と TEMP の影響)
ILS3度 Barometric 幾何学
表示高度 3度 ALT PATH
DIST (nm)
湾曲高度 (ft)
2.5度
3.0度
3.5度
15℃
0℃
15℃
30℃
15℃
0℃
15℃
30℃
3.0
8
796
955
1115
857
910
963
1016
1082
1019
963
913
5.0
22
1326
1592
1858
1437
1526
1614
1703
1813
1708
1614
1530
6.0
32
1592
1911
2230
1729
1836
1942
2049
2182
2055
1942
1841
6.2
34
1638
1967
2295
1781
1890
2000
2110
2247
2117
2000
1896
7.0
43
1857
2229
2601
2023
2147
2272
2397
2553
2404
2272
2154
8.0
57
2122
2547
2973
2318
2461
2604
2747
2925
2755
2604
2468
9.0
72
2388
2866
3345
2615
2776
2937
3099
3300
3108
2937
2784
9.2
75
2437
2925
3414
2670
2835
3000
3164
3370
3174
3000
2843
10.0
88
2653
3184
3716
2913
3093
3273
3452
3676
3463
3273
3102
12.0
127
3183
3821
4459
3515
3732
3948
4165
4436
4178
3948
3743
12.2
130
3223
3869
4516
3560
3780
4000
4219
4493
4232
4000
3791
14.0
173
3714
4458
5203
4123
4377
4631
4885
5203
4900
4631
4390
16.0
226
4245
5095
5946
4737
5029
5321
5613
5978
5630
5321
5044
18.0
286
4775
5732
6689
5357
5688
6018
6348
6760
6368
6018
5705
20.0
353
5306
6369
7432
5984
6353
6722
7091
7551
7113
6722
6372
※真高度≒QFE 高度×(1+⊿T/273.15) にて近似計算。 表示距離以外は比例計算でも良い。
2010 JUL
37
図−①、 Flight Path は、 地表面の湾曲 (Earth Curvature) が影響する。
例えば、 3000ft の高度 (Barometric ALT) は湾曲した地表面に平行な高度で、
ILS Glide Path の3度は滑走路の水平面に対する Geometric Path となる。
標高0ft の ILS Glide Path Antenna から9.2nm 地点の3度 Path の高度は、
表−①、 幾何学3度 (Geometric Path) 2925ft に、 滑走路面と地表面の湾曲差75
ft を加えた3000ft になる。 VNAV の Path は、 WPT の高度へ向う Barometric
Path であり、 図−①、 同じ3度でも、 滑走路表面に向けた Glide Path3度と異
なり、 Outer Marker が9.2nm の時は約0.15度低くなる。
図−②
Approach Path 模式図
図−②、 Outer Marker が3000ft の場合、 表−①、 標準気温 STD Temp−15
℃では、 高度計が3000ft でも真高度は165ft 低い2835ft となり、 Glide Slope Intercept は Outer Marker 通過後0.52nm となる。 +15℃では逆に164ft 高い3164
ft となり、 Glide Slope Intercept は Outer Marker の0.52nm 前になる。
気温が高い時は、 表−① 「ILS3度表示高度」 の様に、 Outer Marker を
Chart ALT より低い高度で通過するのは当然で False Capture! ではない。
Geometric3度の Glide Path に対し、 VNAV は Barometric で計算され、 気
温が高いと真高度と Path も高く、 Glide Slope Capture が早まり減速が十分で
きない場合もある。 Geometric3度と Barometric3度がほぼ一致するのは、
STD Temp 時の RWY 直前の区間のみで、 それ以外は同じではない。
Geometric Path と Barometric Path の違いを知っておく必要がある。
38
2010 JUL
地上気温が30℃の時、 高度計が3000ft でも実際は3164ft! どうりで! その
影響で減速にドタバタした事もあります。 目安は 高度1000ft につき、 ±15℃で、
距離±0.17nm、 高度±50ft Rule of Thumb 「1000ft (0.17nm) の3度 Path」
と簡単に覚えられ、 高度3000ft なら3倍、 ですか。 この目安を知らなければ、
Outer Marker や FAF で高度確認の意味がありません。 VNAV では気温が高
い夏場ほど、 Outer Marker 手前に WPT を作るなど、 減速の余裕が必要ですね。
図−①、 表−①は、 他の APP にも利用でき便利なので、 資料にします。
過去、 ILS Approach でありながら、 あたかも On Glide Path であるかの様な
FD に従い RWY 手前に激突した事故、 FD の機能を知らず同様に FD に従い
RWY 手前に着水した事故等々、 Outer Marker 通過を確認しない不幸な事故が
起きた。 当時、 NDB が Outer Marker で、 個人的に DME から距離を測っても
いたが、 ILS DME や GPS の様な正確な距離情報は無かったのだ。
もし、 Outer Marker 通過を示すものが NDB のみだったら? 距離情報が無
い、 または誤差があったら?を想像して欲しい。 頼れるのは高度だったのだ。
これらの事故から、 Outer Marker 通過の確認が重要視され、 Outer Marker
の高度にとにかく降下し、 その高度で Glide Slope の Capture と Outer Marker
の NDB の Needle 反転で通過を確認する事が強く叫ばれ、 金科玉条の如く Pilot
の常識とまで言われた。 距離情報が無いか、 不正確なので当然とも言える。
現在、 ILS DME や GPS 等で距離情報が正確になっている。 にも関わらず依
然として、 Outer Marker の高度へのこだわりと降下が強調され、 それがトラウ
マの如く、 無理な降下も見られる。
Outer Marker の高度へ降下できる時は降下する。 しかし、 APP で高度が高
い時 Outer Marker 通過前に、 ILS DME で Glide Path の高度を 距離の3倍
+α で確認すれば、 無理して 「何が何でも Outer Marker 高度へ降下する!」
ことに拘る必要はありませんね。 臨機応変 は常に Pilot に求められます。
Glide Path に沿って降下し、 Outer Marker で、 気温を考慮して高度確認す
れば、 ILS は成立ち、 同時に False Capture や Ghost Beam も確認できます。
ちなみに 3度 Path/nm=318ft≒320ft
距離の3倍/nm=300ft≒2.83度
「Glide Path3度と距離の3倍の気圧高度が一致するのは35℃」 です。
高度計の指示はあくまで気圧高度で、 Approach に重要な真高度ではない! 、
気圧高度は温度誤差がある! ことを肝に銘じなければなりませんね。
常に、 距離情報を基に Flight Path Angle を考える! は、 Descent のみで
はなく、 Approach でも極めて重要ですね。
2010 JUL
39
〈Flight Path Angle の把握〉
図−③
解説:FPA1度は、 概略、 距離の100倍、 1nm で100ft、 Pitch 変化は
1度、 Descent Rate は1分間の GND SPD の100倍、 が目安。
図−③、 Descent Phase での FPA を考える際、 FPA1度≒100ft/nm や、
よく利用する 距離の3倍は FPA3度≒300ft/nm は Pilot の常識と言える。
VNAV は Idle Descent を基本とし、 その Path との Deviation (VTK Error)
から、 FPA との関連で、 Descent Rate や Pitch の Control が見えてくる。
例えば図−③、 Tail Wind で Idle Path が2.5度の時、 WPT から30nm で VTK
Error が+3000ft、 つまり距離の100倍で、 FPA は Idle Path+1度の3.5度とな
る。 Descent Rate は、 GND SPD 300kts=5nm/min なので、 その100倍の500
fpm 以上、 Pitch は現在の Pitch−1度以下、 変えれば Idle Path に戻る。
VTK Error と FPA の関係は、 Tail Wind・Head Wind の風も考慮される。
目安 FPA1度≒100ft/nm≒Pitch1度 は全ての Phase で適用できる。
〈Constant Path Approach〉
図−④
※2010. APR. 01 Chart 3度 Path の高度は計算による。 Chart ALT 以上、 距離の3倍が
目安。
40
2010 JUL
図−④の ILS で、 FAF D6.0以前の WPT 高度は ILS3度 Path 以下である。
表−①が参考になる。 VNAV 以外の Mode で、 短距離で頻繁に高度を変える
と Workload が重なり Stabilized も覚束ない。
この場合、 ILS Glide Path に沿って降下する方が Stabilized し易い。 その観
点で、 私も WONKO 以降 Glide Path や VNAV3度で降下していた。
気温が高い時は、 通常の ILS と同様、 D6.0の WPT 以前で Glide Path に Intercept するが、 それ以前に ILS DME で FPA を確認すれば良い。
FAF D6.0まで1950ft で飛ぶと当然 Glide Path より高くなり、 D6.0から Glide
Path への急降下が余儀なくされ、 Un-Stabilized APP が予想される。
Approach Chart は、 FPA の観点で見よ! Control せよ! と言いたい。
〈Flight Path Angle と Configuration〉
表−②
B767-300PW IDLE Descent Data WT 260,000lbs ALT 4000ft
Flap
0
Gear
Up
SPD (kts)
240
210
Fuel Flow (lbs) 1940
1890
Pitch (deg)
0.4
2.0
Path (deg)
2.5
2.5
Rete (fpm)
1140
980
1
Up
210
190
1890
1860
2.2
3.7
3.0
2.9
1160 1040
5
Up
190
170
1860
1840
1.4
0.4
3.6
3.5
1270 1120
20
Up
160
1830
0.9
4.2
1260
Down
150
1820
0.6
5.4
1510
Outer Marker 以前から3度 Glide Path に沿って降下する場合、 Configuration が問題となります。 例えばB767-300PW では、 Flap5−Idle が3度 Path で
降下できます。 しかし、 私の失敗談ですが、 Fuel Save を考え、 Flap Configuration を遅らせた結果、 Tail Wind や Anti-Ice ON で SPD が増え、 減速のドタバ
タが Short Final まで続き、 危うく Un-Stabilized APP になりかけました。
Fuel Save も重要ですが、 Un-Stabilized APP の方が問題ですね。
表−②で判るが、 Flap0と Flap1の Path は3度を超えない。 従って、 Approach が高くなった時は躊躇なく SPD Brake を使い Flap5まで Down した方
が良い。 Flap5まで Down すると 距離の3倍 で高度が確認できる。 状況に
よるが、 FAF 10nm 以内は Flap5 を目途にすれば、 Glide Path や VNAV
Path の3度降下が可能で、 より長い Final となり、 Stabilized APP に近づく。
各機種で 3度降下ができる Configuration を掴んでおく事が望まれる。
また、 Outer Marker 以前の Glide Path3度は、 図−①、 表−①でも判るが、
VNAV3度 Path より高い。 従って、 Descent でも、 表示された Glide Path、
またはそれ以下の VNAV や FPA の3度にいる事が望まれる。
2010 JUL
41
過去、 Non-Precision APP の CFIT 事故の殆どが3度 Path 以下の低高度で
起きています。 また、 Chart ALT を守らんばかりに急降下する Un-Stabilized
APP の事例もあり、 如何なる APP でも 距離の3倍 等で、 FPA と高度の確
認が必要ですね。 FPA を把握する時は、 Descent や Approach で重要な距離、
を必ず把握しなければなりません。 先ず距離! 距離や! そして FPA を考
える! その癖がつけば良いですね。
Descent Plan や APP Plan でも、 高度にこだわり、 その高度に降りる事が主
眼となっている事例が多い。 しかし、 Stabilized APP は Constant Path から生
まれる。 標題の Constant Path! 長い Path で Stabilized! は、 Glide Path
の有効範囲を超えても、 ILS DME で Constant Path APP ができる事を言って
いる。
SEOUL 32R など、 APP で高度にこだわると、 Descent と Level Off を繰返す
APP となり Stabilized が遅れ、 ややもすると Short Final まで持越してしまう。
ILS や VNAV を利用し、 Constant Path APP を主眼に自分の Approach
Plan を考えてはどうだろうか?
CFIT 事故の教訓から、 Constant Path APP が叫ばれ、 GPS により距離情報も正確になり、
VNAV APP や RNAV APP が増えてきました。 この稿では、 VNAV Path を使うだけではなく、
ILS Glide Path も使う Constant Path APP を述べました。 Constant Path APP には Descent
Plan や APP Plan に重要な距離情報が必要です。 Flight Path Angle を考える! を再認識しま
せんか?
Approach!
42
高度にこだわる前に、 先ずは Flight Path Angle 考える!
2010 JUL
GA:ジェネアビ情報
韓国 2010 G-Global Aviation in Ansan
奥貫
昨年に引き続き、 今年も5月の連休に韓国で
飛 ん で き ま し た 。 こ の イ ベ ン ト G-Global
Aviation in Ansan (2010 International Sky
Leisure Expo) は、 第1回国際スカイレジャー
EXPO に続き、 今年は4月30日∼5月5日の
6日間を会期として、 ソウル南方の京畿道地区
で開催されたものです。
日本からの FA200 は、 昨年のアクロ飛行が
好評であったことから、 今年は計4日間にわた
り、 午前午後各1回のアクロ飛行がオーダーさ
れました。 それは大変であったのですが、 韓国
の皆さんに喜んでいただけましたので、 日韓の
良い空の交流になったのでは、 と思います。
開催地、 京畿道の金文殊知事によれば、 韓国
のレジャー航空の技術力と関係者の力は世界的
に遜色ないレベルにあるものの、 訓練環境、 関
連制度及び法整備が十分ではなく、 体系的な発
展への努力が必要とのこと。 このイベントを通
じて空の産業やレジャーへの関心を集め、 法と
制度の改善を働きかけ、 航空関係者を始め、 子
供と青少年たちに空への夢と希望を与えるよう
にしたいとのことでした。
この目的に沿って、 航空科学教育パビリオン、
航空宇宙体験パビリオン、 航空関係産業パビリ
オンが用意され、 子供達が体験を通じて航空を
学べるよう、 様々な工夫が凝らされていました。
また、 先生に引率された学生、 生徒、 園児が
多く見られ、 地域を挙げての、 このイベントへ
の取組が、 改めて認識されました。
博
韓国への飛行
今年も韓国と日本の AOPA (Aircraft Owners and Pilot Association) 経由 NPO Super
Wings に飛行展示の依頼が来ました。
韓国に飛行可能な FA200 はありませんから、
九州は熊本の FA200 を空輸しての参加となり
ました。 4月30日を移動日として、 金浦国際空
港経由計4時間半のフライトで現地入りし、 1
日、 2日、 3日、 4日の午前・午後と、 計8フ
ライトのオーダーです。
日本の AOPA からは、 地上展示用の機体を
合せ、 以下の6機、 総勢22名でのフライ・イン
となりました。
・FA200-180 JA3704 NPO Super Wings
・FA200-180 JA3625 NPO Super Wings
・PA28R-201T JA59FB NPO AOPA Japan
・M20J JA4225 NPO AOPA Japan
・PA28R-201 JA201R NPO AOPA Japan
・TB10 JA4176 NPO AOPA Japan
今回の遠征も、 韓国 AOPA の Lee 会長、 日
本 AOPA の畑仲事務局長他による、 大変なお
骨折りと、 韓国と日本の AOPA の交流実績に
よって実現したものです。 昨年に続く2回目の
参加の背景には、 韓国の関係者との信頼関係が
あったものと思います。 とはいえ、 現地ではま
た別な出来事や印象等もありましたので、 改め
て報告をさせていただくことにします。
2010 JUL
43
韓国の取り組み
イベントのテーマは 「青空に描く夢と希望」
というものです。 内容は各種小型機及び関連産
業の地上展示、 パビリオン3館 (航空科学教育
館・航空宇宙体験館・航空宇宙産業館)、 体験
飛行、 及び、 エアショーです。
主催は京畿道安山市、 主管は京畿観光公社国
際レジャー航空組織委員会というもので、 ソウ
ル南方に広がる京畿道で小型機の活動の振興を
図り、 韓国の航空界の発展に寄与することを目
指しています。 後援には、 国際航空連盟
(FAI) の韓国組織、 文化体育観光部、 知識経
済部、 国土海洋部、 空軍本部、 大韓民国航空会、
韓国航空少年団、 韓国航空大学校等が名を連ね、
国を挙げてのイベントであることが伺えました。
レジャー産業と航空産業が結びついたレジャー
航空産業は、 軽飛行機、 超軽量航空機、 ハング
グライダー、 スカイダイビング、 模型航空機、
サイバー飛行シミュレーション体験など多様な
レジャー航空活動を含む、 期待の分野とのこと。
このレジャー航空産業を、 製造業、 サービス
業など関連産業部門が包括された、 成長の可能
性と雇用効果が高い、 韓国社会の先進国化に必
須の産業分野と位置付け、 国内約15万人のレ
ジャー航空愛好者や、 子供たちに夢と希望をプ
レゼントできるように、 諸外国からのチームの
参加を招いて、 東アジア最大の Air-Show を
目指したとのことでした。
航空科学教育パビリオン前の子供達
主催者によれば、 韓国のレジャー航空の愛好
者は多いものの、 基盤はまだまだ不十分で、 誰
もが簡単に接して楽しむことができる状況とは
言えないとのこと。 その対策として、 レジャー
航空スポーツの健全な育成と、 先進国型航空レ
ジャー文化の定着を図るべく、 今回のイベント
が推進されているとのこと。
そして、 2009年の最初の行事が大成功であっ
たことから、 2010年には、 エアショー、 地上展
示、 展示パビリオン等、 一層発展されたプログ
ラムと見どころを用意したとのことでした。
会場全景の図
多くの入場者で賑わうメインゲート
44
2010 JUL
会場は、 西側に 17-35 の滑走路があり、 その
脇が“Air Show Safety Zone”とされていま
す。 「この場所でアクロを」 と言うことのよう
ですが、 RWY35 正面のすぐ近くにはカフェテ
リアの建屋があって、 大勢の人で賑わっていま
すから、 リスクを考えますと、 低高度の北向き
の曲技飛行はとても無理です。 この辺は、 飛ぶ
人の視点が乏しく、 この種のイベントの経験が
少ないと言うことなのでしょう。
エアショーの内容
では、 エアショーの内容ですが、 今年は充実
したアクロ飛行展示を中心に、 以下の順での飛
行が行われました。
スベトラーナ・キャパニナ Svetlana Kapanina
ロシア:SU-26M 曲技飛行
ポール・ベネット Paul Bennet
オーストラリア:Pitts S1S 曲技飛行
フィル・ユニコム Phil Unicomb
オーストラリア:Pitts S2A 曲技飛行
ハビー・トルソン Hubie Tolson
米国:SU-31 曲技飛行
奥貫 博 Hiroshi Okunuki
日本:Fuji FA-200-180 曲技飛行
大韓民国空軍ブラックイーグル Black Eagles
T-50 (Golden Eagle) 編隊飛行
農薬散布展示飛行
K-BAS, 韓国:AT-502
ヘリコプター 山火事鎮火展示飛行
山林庁:S-64
軽量航空機編隊飛行 韓国:CH601
先ずはスベトラーナ・キャパニナの曲技飛行
です。 日本ではツインリンクもてぎのエアロバ
ティックスでおなじみの女性の曲技飛行世界チャ
ンピオン、 スベトラーナ・キャパニナは、
Sukhoi SU-26 での飛行を披露しました。
この機体は米国のハビー・トルソンからの借
り物で、 速度計が米国の KT と MPH の併記表
示でしたから、 いつも Km/h の速度で飛んで
いるキャパニナは困り果て、 結局、 速度計の数
字の所にテープを貼って、 Km/h の速度を手
で記入して飛行していました。
曲技飛行では、 目から、 頭を経由せず、 手足
の動きに直結する場面がありますので、 こうし
ておかないと、 飛ぶことが出来ないのです。
このような苦労はありましたが、 飛行そのも
のは、 いつものように正確で華麗、 また、 時に
は豪快にと言った内容で、 非常に見応えがあり
ました。
スベトラーナ・キャパニナの豪快な飛行
ポール・ベネットは、 高度な改良を施した
Pitts S-1 を持ち込みました。 現役のオースト
ラリア・曲技飛行チャンピオンですから、 その
フライトは正確で歯切れが良く、 定格
2700RPM のライカミングエンジンは、 チュー
ンされて 4000RPM も回るとの事で、 軽量化と
運動性向上の改造を施した機体は、 まさに異次
元の飛行といえるものでした。 楽しみにしてい
た低高度3段リボンカット飛行は、 許可が出な
いことから中止となり、 それは残念であったの
ですが、 それでも世界一の Pitts のフライトに
は、 大きな感動がありました。
高度に改造されたポール・ベネットの Pitts S-1
ベテランのフィル・ユニコムは、 酔っ払い飛
行を披露しました。
酩酊した観客を装ったオッサン (実はベテラ
ンパイロット) が、 フラフラと機体に乗り込み、
懸命に制止するスタッフを振り切ってエンジン
をかけ、 離陸して、 酔っ払い飛行を披露する筋
書きのショーです。
臨場感を増すために、 サイレンを鳴らしたパ
2010 JUL
45
トカーや消防車を配置し、 場内アナウンスも
「緊急事態です!!」 とやったものですから、 韓
国では、 真に受けた観客が逃げる騒動になって
しまいました。 米国等では、 Crazy Flight と
も呼ばれている楽しいショーです。
この2機の Pitts は、 それぞれのソロ演技と
共に、 息の合った、 見事な編隊飛行も披露され
ていました。
韓国空軍 Black Eagles の演技は、 編隊航過
のみであったのですが、 非常に見応えのある飛
行でした。 その特徴は、 様々な編隊の体系変換
が、 会場通過後の再進入に向けたハードな旋回
中に実施されることでしょう。
遠くへ行くことなく、 常に見える範囲内での
間延びの無い演技には、 練度の高さが伺えまし
た。 写真では、 様々な編隊の姿が写るのみです
から、 気がつきにくいのですが、 会場で見ます
と、 その違いは歴然です。
久々に、 ジェット機の素晴しい編隊演技を見
た印象がありました。
フィル・ユニコムの酔っ払い飛行
米国曲技飛行選手権常連のハビー・トルソン
は、 乗り慣れた Sukhoi Su-31 で、 良く演出さ
れた、 豪快かつ正確で見事な演技を披露されま
した。 ショーの後半では、 会場上空での垂直上
昇の後、 エンジンのスイッチを切って、 エンジ
ンとプロペラを完全に止め、 無動力での背面飛
行を披露する等、 自由自在な飛行は、 スリリン
グで、 息を呑むものでした。
この Sukhoi の2機もまた、 Pitts とは一味
違う星型エンジンの音を響かせ、 豪快な編隊飛
行を披露されました。
ハビー・トルソンのエンジン停止背面飛行
46
2010 JUL
韓国空軍 Black Eagles の見事な編隊飛行
FA200 の 曲 技 飛 行 は 熊 本 Super Wings の
FA-200-180 JA3704 使用して奥貫が実施しま
した。 この機体は背面飛行用オイルシステムの
追加以外は全くのノーマル仕様です。
韓国では、 以前、 航空学校で FA200 が使用
されていて、 その時の関係者にもお会いしまし
たが、 このような飛び方ができるとは思わなかっ
たとのこと。 まだ飛んでいれば、 色々教えてあ
げられるのに、 と少々残念でした。
前後して飛んだ米国やオーストラリアのアク
ロのチャンピオン達も、 FA200 のアクロ飛行
を興味深く見守って 「ナイスフライト」 と、 喜
んでくれました。 展示飛行では、 皆、 他の人の
フライトを見守り、 上手くいくと、 それは自分
のことのようにうれしいものです。
また、 昨年同様、 韓国の人にも喜んでいただ
くことが出来ました。
日本から参加した FA-200 の背面飛行
韓国の軽量動力機による編隊飛行
次は日本では見かけることの無い固定翼の農
薬散布機、 Air Tractor AT-502 の飛行展示で
す。 会場には、 地上展示用に2機、 飛行展示用
に1機が参加し、 滑走路上、 超低空での水撒布
飛行を披露されていました。 この機体は、 500
ガロン (約2トン) にも及ぶ農薬を搭載するこ
とが可能とのことです。
ヘリコプターによる山火事鎮火展示飛行には、
林野庁の S-64E 及びカモフ 32A が使用されま
した。 合計約9トンにも及ぶ搭載量に物を言わ
せて水タンク、 吸い上げ用のホース、 機首の消
火ノズル等の消火用機材を装備した S-64E の
デモでは、 大量の水を一気に投下する等、 その
大きな能力が披露されました。
農薬散布機 Air Tractor AT-502 の飛行展示
韓国の軽量動力機とライトスポーツ飛行機
(LSA) は、 しっかりとした作りのものが多く、
水平儀、 定針儀、 VHF 送受信機、 ATC トラ
ンスポンダー等も装備して、 クロスカントリー
飛行も行なわれているとの事。
このイベントでも、 連日、 安定した飛行展示
を行い、 技量の高さが感じられました。 ライト
スポーツ飛行機 (LSA) については、 米国等、
先進国と同様な運用を可能とさせる航空法が制
定されているとのことで、 残念ながら、 日本の
先を行かれてしまいました。
シコルスキー S-64E
カモフ 32A
2010 JUL
47
地上展示
日本からは AOPA の4機がフライ・インし、
会期中を通じて地上展示されていました。
また、 Super Wings の2機の FA200 は、 フ
ライトエプロンの方に置かれていました。
観客エリアで地上展示されていた AOPA の
4機には、 残念ながら、 説明用のプラカード等
が一切無かったのですが、 「韓国と日本の
AOPA が力を合せ、 韓国の皆さんとの友好の
ために、 日本から、 海を越えて飛んできました」
と言った、 韓国語でのプラカード等があれば、
より大きな親善になったのではと思います。
韓国の軽量動力機の地上展示
おわりに
今回は、 気圧配置の関係から、 FA200 の場
合、 往復とも福岡∼金浦空港間に4時間半を要
し、 大変な苦労が有ったのですが、 着いてみれ
ば、 参加国の国旗を掲げたゲートで歓迎され、
さわやかな印象を受けました。
この国旗は、 会場内のパビリオン等にも掲げ
られ、 韓国の、 このイベントに対する意気込み
と配慮が感じられました。
日本 AOPA の展示機
Super Wings の2機の FA200
韓国の地上展示機体は、 セスナ等の単発機及
び、 ヘリコプターの展示等がありましたが、 主
体は、 様々な種類の軽量動力機とライトスポー
ツ航空機でした。
48
2010 JUL
参加国の国旗が掲げられたゲート
しかし、 進行の細部までは、 そのような暖か
な配慮が浸透せず、 実際に飛行した立場からは、
かなりギクシャクした印象を受けることがあっ
たのも事実です。
先ずは、 パイロットのブリーフィング室です
が、 掲示資料は全て韓国語のみで、 また、 天気
図等の掲示もありませんでした。
員が 「飛行可能です」 と答えていました。
実際、 朝8時半からのパイロットブリーフィ
ングに出席してみれば、 米国、 ロシア、 オース
トラリア、 及び日本のパイロットを前にして、
配布する資料は、 韓国語のみ。 また、 説明も、
全て韓国語のみというものでした。
聞く側のパイロットは、 全員、 何を言ってい
るのかわからず、 しかも、 その説明の姿勢が高
圧的で、 一方的に物を言う態度であったため、
質問をする気にもなれませんでした。 仕方ない
ので、 ブリーフィングが終了して解散した後、
それぞれのメンバーのサポートを担当している
現地スタッフの方に、 個々に、 ブリーフィング
の結果を聞いて、 時間や注意事項等を確認する
ような状況でした。
このような意思の疎通が欠けた状態でしたか
ら、 事前情報では、 最大の見世物であったはず
の、 オーストラリアの現役曲技飛行チャンピオ
ン、 ポール・ベネットによる超低空3段リボン
カットは実現せずに中止となり、 日本からは、
事前に詳細に情報を伝えていたにもかかわらず、
Super Wings の楽しい風船割り飛行も許可に
なりませんでした。
また、 大ベテラン、 フィル・ユニコムの、 楽
しく演出された酔っ払い飛行は、 冗談の通じな
い観客が真に受けて、 避難するという、 予想外
の結果になってしまいました。
そのように、 主催者側の楽しい意図と、 飛行
を管理する側の姿勢が大きく離れた状態でした
から、 5月3日の朝のブリーフィングでは、 と
んでもないことが起こりました。
当 日 の 視 程 は 5 Km 以 上 、 雲 高 は 2000∼
3000Ft 程度といった状況でした。
例によって韓国語での朝のブリーフィングが
始まりましたが、 何故か険悪な様相です。
何が何やらわからないでいますと、 サポート
の現地スタッフが 「この天気で飛べますか」 と
聞いて来るものですから、 事前に提出した書類
を示し、 「所用高度は対地1250Ft ですから、 問
題なく実施可能です」 と答えました。 同様な質
問が他のパイロットにもあり、 当然ですが、 全
現地のサポートスタッフは、 パイロットの意
向をブリーフィングの担当者に韓国語で伝えて
いましたが、 それを聞いていたブリーフィング
担当者の顔が次第に赤くなり、 険しい顔つきに
なって、 とうとう、 怒鳴り合いになってしまい
ました。
韓国語での怒鳴り合いでは、 何が何やらわか
りませんから、 パイロット全員、 肩をすくめて
静観していますと、 やがて、 ブリーフィングの
担当者が、 机を 「バーン」 と手で叩いて、 それ
でブリーフィングは終わってしまいました。
サポートのスタッフに聞いてみましたら、 今
日のフライトは全て中止とのこと。
何でも、 彼らが用意した運航の基準には、 曲
技飛行は雲高4000Ft 以上で実施と決めてあっ
たとのこと。 それなら、 そのように言っていた
だければ良いのに、 パイロットに聞いてくるも
のですから、 全員が 「飛行可能」 と答え、 それ
が怒鳴り合いに発展してしまったと言うのです。
この一件では、 韓国の小型機の世界の楽屋裏
を垣間見た気がしました。 このイベントの趣旨
に沿って 「子供と青少年たちに空への夢と希望
を」 と考え、 様々な飛行イベントを用意した主
催者側と、 飛行を厳格に管理したい側との大き
な溝は、 韓国が、 これから解決して行かなけれ
ばならない、 大きな課題でしょう。
更に聞いてみれば、 FAI の下部組織である
韓国の航空協会、 小型機の運用ではグローバル
な視点と実行力の韓国 AOPA、 そして、 飛行
を管理する側、 その3者の間には、 解決すべき
大きな課題があるようです。
しかし、 そのような環境ではあっても、 昨年、
今年と、 この日本でも例が無いような、 計6日
間にも及ぶ素晴しい空のイベントが実施出来た
ことには、 韓国の前向きな大きなエネルギーを
感じました。
色々有りはしましたが、 このイベントに協力
できたことへの満足感を覚えると共に、 このま
までは日本の先を行かれてしまうとの印象もあ
り、 やや複雑な想いの残る韓国遠征でした。
2010 JUL
49
“安全の分水領”
アクシデント・インシデント概要
フライト・セイフティ・ファウンデーション(FSF) 2010年3月号より
訳
佐藤
裕
ここに示す文書は、 読者の皆さんが飛行中に遭遇するかもしれない困難な状態を切り抜ける何ら
かの手助けになれば、 と思い掲載し続けています。
なお、 この文書は各国の運輸安全委員会の発行した正式な報告書をもとに、 まとめてあります
:FSF 編集部
ジェット
消えてしまったグラス・コクピット。
ドルニエ328-300:小破、 負傷者無し。
2009年3月3日の午後、 イングランドのビギ
ンヒルからサザンプトンへフェリーしていたこ
の航空機に装備してある5セットのエレクトロ
ニック・フライト・ディスプレイは全て消えて
しまったが、 事故調査官は原因を突き止められ
なかった。
英国航空事故調査委員会 (AAIB:U.K. Air
Accidents Investigation Branch) の事故調査
報告書によると、 この航空機は事故により尾部
を破損し、 これを修理した後1年近く格納庫内
に入っていたと言う。
そしてこの1年の間にわずか3時間しか飛行
していないが、 定期的にエンジンを地上で試運
転し、 定期点検整備も行われていたと言う。
フェリー・フライトを開始した30分ほど後、
こ の ド ル ニ エ 航 空 機 は 高 度 8,000 フ ィ ー ト で
IMC に突入したが、 このとき No1 マルチファ
ンクション・ディスプレイは故障してしまう。
そしてこの15分ほど後、 今度は No2 マルチ
ファンクション・ディスプレイ、 2セットのプ
50
2010 JUL
ライマリー・フライト・ディスプレイ及びエン
ジン・インディケーティング・アンド・クルー・
アラーティング・システムも消えてしまう。
フライト・クルーは補助用の計器を使用し、
サザンプトン空港にローカライザー・アプロー
チを行い、 無事に着陸している。
ディスプレイが故障した原因を調べると、 高
圧電力を供給するトランスが破損していた。
“このトランスはエポキシ樹脂で固められて
いて、 各トランスの2次線側にあり、 故障の原
因については巻き線のショートにより、 オーバー
ヒートしたためであろう”と事故報告書は書い
ている。
オーバーヒートによる破損を防ぐため、 ディ
スプレイ製造会社はコクピット内の温度が40℃
(104°F) 以上の場合、 作動させないようにと
注意している。
しかし事故調査官は、 当時の気象状態から、
インシデントを起こした航空機のコクピット内
がこのように高温になっていたとは考えられな
い、 と言う。
“このインシデントを起こした航空機を詳し
く調査したが何も発見できず、 トランスがなぜ
オーバーヒートし、 壊れてしまったのか、 これ
に結びつく原因を究明することはできなかった
ものの、 世界中で飛行しているこのユニットを
装備する同型航空機に発生した事例を調査すれ
ば、 究明できるのかもしれない”と報告書。
最近、 このユニットを装備する3機のドルニ
エ328航空機は、 地上で似たような故障を起こ
している。
“これらトラブルを起こした3機の航空機は、
飛行することなく地上で長時間、 このユニット
を作動させていた”とも書いている。
2機の航空機、 お互いの後部を衝突させてしまう。
ボーイング757-300、 737-800:中破、 負傷者無し。
2008年12月28日夜、 VMC だった合衆国ワシ
ントン州シアトル・タコマ空港で、 ゲートから
プッシュ・バックされた両航空機は衝突してし
まう。
757航空機のフライト・クルーは先にプッシュ・
バックを要求し、 これを許可されていた、 と
NTSB ( 合 衆 国 運 輸 安 全 委 員 会 : U.S. National Transport Safety Board) の報告書。
757が許可を受けた直後、 737航空機のクルー
は現在ゲート11にいること、 そしてプッシュ・
バックの許可を要求する、 と送信をしている。
しかしランプ・コントローラーはプッシュ・
バックを要求している737航空機について、 ゲー
ト14にいる、 と思ってしまい、 これを許可して
いる。
プッシュ・バック後、 737航空機はランプの
ガイドライン上で北を向いて停止し、 パーキン
グ・ブレーキをセットする。
フライト・クルーは No2 エンジンを始動し、
地上作業員もトー・バーを外すが、 このとき機
体の揺れを感じる。
“直ちに737航空機の後方へ走ったタグのオ
ペレーターと作業補助員は、 737航空機のすぐ
後ろに757航空機にいることに気付く”と報告
書。
757航空機はガイドライン上を南向きにプッ
シュ・バックされていたが、 この時クルーは
“濡れているランプ上で、 ノーズホイールがス
リップしたような感じを受けた”とも書いてい
る。
フライト・クルー、 そして地上作業員とも、
地上で航空機同士が衝突することなど、 予想も
していなかった。
地上作業員はトー・バーを外し、 ゲートへと
戻って行く。
757航空機のフライト・クルーは、 左エレベー
ターの状態を示す、 ステイタス・メッセージが
何も表示されていないことを確認する。
“特に異常は感じられなかった”と当時の様
子について、 事故調査官に話している。
この直後ランプ・コントローラーはクルーに、
機体が衝突した、 と送信を。
空港内を監視カメラの映像によると、 この衝
突が起こるまで737航空機は36秒間ほど停止し
続けている。
異なる航空会社が運航しているこれら2機の
航空機は、 両機とも左側のエレベーターを破損
している。
この事故の原因は“タグのオペレーターそし
て主翼の翼端を見張る757航空機のウイング・
ウォーカーとも、 他の航空機との間隔に気を配
らなかったせいであろう”と原因を推定してい
る。
“ランプ・コントローラーが737航空機の駐
機しているゲートを聞き間違えてしまったこと、
そしてほぼ反対側にあるゲートに駐機している
両航空機に対し、 誤まってほぼ同時にプッシュ・
バックの許可を発出してしまったことも上げら
れる”と書いている。
ハード・ランディングしたものの、 異常は発見されなかった。
エアバス A321-231:中破、 負傷者無し。
2008年7月28日の夜、 この A321はスペイン
からイングランドのマンチェスターへ向かいチャー
ター・フライトを行っている。
着陸するため、 操縦を担当していたコーパイ
ロットはフレアー操作を開始するが早すぎ、 機
体もランウェイ上10フィート付近で浮き上がっ
てしまう。
“浮き上がってしまった状態でコーパイロッ
トはサイドスティックを最前方まで操作し、 そ
し て す ぐ 後 方 一 杯 ま で 操 作 し た ” と AAIB
2010 JUL
51
(U.K. Air Accident Investigation Bureau)
英国航空事故調査委員会の報告書。
“機体は機首を下げ、 ほぼ水平姿勢のままノー
ズギアから接地した。
機体は大きくバウンドしたが、 コーパイロッ
トは操縦し続け、 無事2度の接地をする”とも
書いている。
操縦を替わり、 機体をタクシーさせた機長は
スポットに停止、 乗客159名を降ろす。
“乗客用酸素マスク3組が収納部から飛び出
していたものの、 これ以外ハード・ランディン
グによる異常は見られなかった”と報告書。
フライト・クルーはハード・ランディングに
ついて社のエンジニアに話し、 何らかの破損箇
所があるのでは?とも伝える。
しかし機体に搭載してあるデータ・システム
には、 接地時の過大な降下率及び垂直方向の加
速度による機体構造へ加わったと思われる過大
な応力については記録されていない。
クルーの報告どおり、 何らかの異常が発生し
ているのか、 エンジニアは DMU (Data Management Unit) を調べるが、 何の異常も記録
されていない。
“DMU にクルーの報告した異常は記録され
ていなかったので、 彼らが話すほどハード・ラ
ンディングは激しくなかった、 従って点検する
必要はない、 とエンジニアは判断する”と報告
書。
破損しているのでは、 というクルーの言葉を
受け、 エンジニアは機体を目視点検するが、 特
に異常もなかったので、 酸素マスクを収納部に
戻し、 この A321 も通常の飛行へと戻される。
当日の夜遅く、 他のフライト・クルーはこの
航空機でマンチェスターを離陸するが、 ランディ
ング・ギアを上げられなくなってしまう。
直ちに空港に戻り、 無事に着陸を。
“機体を詳しく点検すると、 ノーズ・ランディ
ング・ギア内部の破損と、 スイッチ・リンク・
ロッドが曲がっていることが発見される。
ノーズ・ランディング・ギアは全て交換され、
さらに詳しく点検を実施した後、 機体は通常の
運航へ戻された”と報告書。
52
2010 JUL
この調査結果を重視した AAIB はエアバス
社に対し、 機体に搭載しているデータ・システ
ムのパラメーターについて再調査し、 ハード・
ランディング及び着陸重量を上回った状態での
着陸、 ノーズホイールから接地してしまう、 と
いった異常な着陸による破損を防ぐため、 記録
できるようにすること、 という勧告文書を送付
している。
ターボプロップ
多忙を極めていたパイロット、 操縦不能に。
ビーチ1900C:大破、 1名死亡。
2008年1月14日の夜、 この航空機は合衆国ハ
ワイ州、 オアフ島のホノルルからカウアイ島の
リフエに向かい、 パイロット1人きりで荷物を
輸送していた。
目的地の南、 高度2,000フィートを飛行して
いる時 ATC より、“ボーイング737航空機もそ
ちらに向かっているが、 視認できているか”を
確認する送信が。
そして“視認出来ている”、 との応答を得た
ATC は、“737航空機に続いてアプローチする
ように、 ビジュアル・アプローチを許可するこ
と、 レーダー・サービスを終了すること、 そし
て周波数をリフエのコモン・トラフィック・ア
ドバイザリーに切り替えること”、 と指示して
いる。
ATC のレーダー映像記録によると“この航
空機は前方を飛行している737機との間隔をよ
りとろうとしたものと思われるが、 西へ方位を
変え洋上で高度を下げ、 その後空港へ向け、 旋
回を開始している”と NTSB の報告書は書く。
事故は空港の6nm (11km) 南で発生した。
事故機の残骸の多くは、 深さ4,800フィート
の海中に水没してしまったため、 回収されてい
ない。
パイロットも行方不明のままで、 死亡したも
のと推定されている。
パイロットは機体の計器をモニターしながら
ランウェイにライン・アップし、 しかも737機
とのセパレーションを保ち続ける、 と言った
“極めてワークロードの高い状態にあったと思
われる”と報告書。
このような状態にあったので、 錯覚を起こし、
高度を失ってしまったのだろう、 とも書いてい
る。
“パイロットは空間識失調に陥り、 海面に突っ
込んでしまった、 と思われる。
気象状態は VMC であったものの、 水平線は
見えなかったうえ、 ビジュアル・アプローチ中
も、 目標もほとんど無かったと思われる”と報
告書は結んでいる。
ジャイロの故障、 事故を招く。
ジェットプロップ DLX:大破、 5名死亡。
2008年3月28日の朝、 パイパー・マリブ航空
機のエンジンをターボプロップに換装してある
機体は、 カナダ・アルバータ州エドモントンを
離陸、 マニトバ州ウィニペグへとプライベート・
フライトを行っている。
指示された高度フライト・レベル270でレベ
ル・オフするものの、 なぜか ATC のレーダー
には上昇し続ける同航空機の姿が。
“管制官が呼びかけると、 パイロットはオー
トパイロットとジャイロ・ホライズンが故障し、
高度を保てない、 と応答している”とカナダ運
輸安全委員会 (TSB:Transportation Safety
Board of Canada) の報告書。
“そしてこの後、 ジャイロ・ホライズンが不
調で、 この計器を参照して機体をコントロール
することが出来なくなってしまった”とも送信
している。
数回機首方位と高度を変えた同航空機との無
線交信は途絶え、 レーダーからも機影は消えて
しまい、 この後30,000fpm 以上の降下率で降下
し続けたものと思われ、 降下の最終段階におけ
る対地速度は260ノットから100ノットまで低下
しているが、 これは同航空機がほぼ垂直姿勢の
まま降下したことを意味する“と報告書。
エマージェンシー・ロケーター・トランスミッ
ターの信号が受信され、 約4時間後、 カナダ王
立山岳警備隊は、 アルバータ州ウェインライト
の北西16nm (30km) 地点に墜落した同航空機
を発見する。
事故調査で、 両主翼、 垂直尾翼そして水平尾
翼とも飛行中に破壊されてしまったことが判明
する。
事故調査官は、 事故当時の航空機の重量及び
重心位置について、 最大離陸重量を712ポンド
(323kg) 上回っていて、 重心位置も後方限界
より0.87インチ (2.21cm) も外れていたことを
突き止める。
“バキューム・システムは正常に作動してい
たと思われるが、 計器が多めに指示してしまう
ため、 製造会社で規定している圧力より低くセッ
トされていた可能性がある”と報告書。
事故に至ったフライトの直前、 計器修理業者
は、 計器内にあるベアリングが異常音を発して
いること、 オートパイロットへの信号が不安定
になっていることから、 アティテュード・イン
ディケーターの交換を勧めている。
このアティテュード・インディケーターの使
用時間は1200時間ほどに達していた。
この航空機を所有する会社の役員であったパ
イロットの総飛行時間は2,200時間で、 ジェッ
トプロップ機での飛行時間は約87時間である。
2007年12月、 計器飛行のプロフィシエンシー・
チェックを終えている。 このチェックにパーシャ
ル・パネルでの飛行は含まれていないため、 こ
の科目は行われていない。 記録によると、 この
パイロットがパーシャル・パネルでの飛行訓練
を最後に受けたのは2001年5月であった。
これらの事実から TSB は“カナダ国内では
多くの小型高性能航空機がパイロット1名で計
器飛行気象状態の中を飛行している。
信頼性を高めるため予備の計器を装備するか、
有効なパーシャル・パネルによる飛行の経験を
持っているか、 これら両条件を満たしていない
限り、 このような事故は繰り返し発生すること
であろう”と述べている。
2010 JUL
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ピストン航空機
電気系統の故障、 フェリー・フライトを困難に。
セスナ421B:中破、 負傷者無し。
2009年3月21日朝、 耐空証明の有効期限が切
れているため、 この421を運航する会社は VFR
のみで飛行する許可を受け、 インドのインドー
ルからシブブリーまでのフェリーに向かわせる。
離陸した15分ほど後、 この航空機の電気系統
は全て故障してしまう、 とインドの民間航空委
員会 (India s Directorate General of Civil
Aviation) は言う。
ボーバールから30nm (56km) ほどの地点で、
パイロットは同乗者である運航会社のフライト・
スクール部門のチーフ・インストラクターに、
携帯電話でボーバール空港の ATC と連絡を取
り、 現在の状況、 現在位置及びシブブリーに向
かって飛行していることを伝えてくれ、 と頼む。
この電話連絡を受けた ATC はボーバールに
着陸するように、 と送信するが応答は無い。
パイロットは携帯式の GPS を使用し、 長さ
2,800フィート (853m) のランウェイが在るも
のの、 管制の行われていないシブブリー空港へ
飛行し続ける。
VMC の中をアプローチしながら、 パイロッ
トは手動でギアを下げたが、 フラップを下げる
ことは出来ない。
フレアーした機体は上手く沈まず、 スレッシュ
ホールドから約800フィート (244m) も離れた
地点で接地する。
“ランウェイ・エンドまで残り、 約150フィー
ト (46m) まで滑走した機体はランウェイの左
側にずれてしまうが、 これはパイロットがその
ように操縦したためであろう”と報告書。
ランウェイを飛び出し、 側溝に突っ込んだこ
の航空機のメイン・ランディング・ギアは機体
から吹き飛び、 ノーズ・ギアも折れ、 エンジン
と機体も破損してしまう。
火災は発生せず、 パイロットと同乗者も無事
54
2010 JUL
に機外へ逃れている。
報告書は事故の原因について、 電気系統の故
障は離陸前、 パイロットがオルタネーターのサー
キット・ブレーカーをリセットしなかったため、
と書いている。
オルタネーターが回路から外れているため、
バッテリーは充電されなかった。
今回の事故に結びついた要因として、 最近の
飛行経験の不足があげられる、 とも報告書は書
いている。
このパイロットの総飛行時間は11,600時間で、
421での飛行時間は250時間であった。
しかしこの事故を起こすまでの18ヶ月間、 こ
のパイロットは421で飛行していなく、 求めら
れている再訓練も受けていなかったと言う。
離陸時、 荷物室のドアは開いてしまう。
ブリテン・ノーマン・トライランダー:小破、 負傷者無し。
2009年3月24日、 チャネル・アイランドのジャー
ジー空港を離陸しようと機首上げ操作を開始し
た機長は、 ノーズにある荷物室のドアが開いた
ことを警告するドアの警報灯の点灯に気付く。
“そのまま離陸を継続しようと決めたパイロッ
トの目には、 開いてしまったドアの様子が飛び
込んでくる”と AAIB (英国航空事故調査委員
会) の報告書。
機長は空港へ戻ろうとトライランダーを旋回
させるが、 旋回中にドアは千切れ、 海中に落下
してしまう。
“機長はこの状態のままアプローチし続け、
無事に着陸した”と報告書。
荷物室のドアは発見されなかったため、 なぜ
開いてしまったのか、 その原因を突き止めるこ
とは出来なかった。
この航空会社の保有する別のトライランダー
機のドアを調べると、 ドアをラッチするメカニ
ズムはかなり磨耗しており、 事故機のドア・ラッ
チ・メカニズムはこれよりもひどく磨耗してい
たため、 ドア・ハンドルが破損したのでは、 と
想定された。
この結果を受け、 航空機製造会社はラッチ・
メカニズムの定期点検を義務付ける内容のサー
ビス・ブリテンを発行した。
この後、 12分ほど整備後のテスト・フライト
を無事に終えたヘリコプターは通常の飛行へと
復帰する。
そしてこの後のエンジン始動時、 事故は発生
した。
ヘリコプター
メカニック、 ドライブシャフトのボルトを締め忘れてしまう。
ベル206L-3:中破、 負傷者無し。
フェリー・フライトへ向かおうとエンジンを
始動した直後、 ロングレンジャーのパイロット
は大きな音と異常な振動を感じる。
“直ちにエンジンを停止させたパイロットは、
ヘリコプターの外に出た。 ヘリコプターを点検
すると、 テイル・ローター・ドライブ・シャフ
トとカップリングがギアボックスのすぐ近くで
破損してしまったため、 テイル・ブームを破壊
していた”と NTSB の報告書。
この事故は2009年3月2日、 カップリングか
らテイル・ローター・ドライブ・シャフトの取
り外しを含む整備作業の終了直後、 合衆国ルイ
ジアナ州ギャリアノで発生。
“これらのコンポーネントを再び組み込むと
き、 まだギアボックス周りの作業が残っている
ため、 メカニックはボルトを取り付けたものの、
トルクをかけず、 ボルトを指で回すだけで固定
していなかった”と報告書は書く。
このメカニックはドライブ・シャフトのカバー
を取り付けたが、 ログブックに、 ドライブ・シャ
フトとカップリングを固定するボルトについて、
仮止めしてあるだけで、 トルクをかけて固定し
ていない旨の記入をし忘れてしまう。
“ギアボックスの整備を行った別のメカニッ
クは、 メインテナンス・マニュアルにテイル・
ローター・ドライブ・シャフトの取り外しに関
する指示項目が無かったため、 このボルトを点
検しなかった”とも報告書は書く。
ギア上げ操作時、 セレクターは壊れてしまう。
アグスタ A109A:小破、 負傷者無し。
2008年5月2日、 イングランドのマンチェス
ターからロンドンに向かおうと離陸し、 ランディ
ング・ギアを上げた機長は、 ランディング・ギ
アのハンドルが手の中で回ってしまうことに気
付く。
機長はコーパイロットに、 ギア・システムの
点検をするように、 と指示する。
“この指示を受け、 ランディング・ギアのレ
バーを下げ位置に操作する前に、 コーパイロッ
トがハンドルを引っ張ると、 ハンドルとスピン
ドルはレバーから外れてしまう。
見えているレバーのスタブを押し、 何回かギ
ア下げ操作を試みたが、 うまく行かない”と
AAIB (英国航空事故調査委員会) の報告書。
機長はベースのあるレッドヒルへダイバート
を。
低高度でホバリングしながら、 機長は整備士
と現在のトラブルについて意見を交換する。
燃料が残り少なくなるまでホバリングし続け
た機長は、 さらにホバリング高度を低くし、 こ
の状態で乗客4名を降ろし、 空港内の離れた場
所に移動し、 タイヤを2列に並べてある上に着
陸を。
調査の結果、 2年前に実施されたオーバーホー
ル作業時、 ランディング・ギア・セレクター・
アッセンブリーを再度組み込む際、 溝に取り付
ける円形のサークリップが取り付けられなかっ
たことが判明した。
2010 JUL
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ews
FAI N
FA I ニュース
Federation Aeronautique Internationale
今年の FAI 曲技飛行選手権への参加者は飛
行機、 グライダー共、 国内の練習環境で準備を
進められています。 特にグライダーの参加者に
は、 世界選手権参加経験のあるジャッジ資格保
持者が、 地上で指導されています。
これは、 従来の日本の環境では無かったこと
です。 今年は第1回曲技飛行選手権の準備が進
む等、 徐々にではありますが、 日本の航空スポー
ツ活動の基盤が出来つつあります。
ロータークラフト (ヘリコプター)
ヘリコプターならではの、 物件を吊り下げた
状態で安定した飛行を実現し、 最短の時間で物
件を移動させ、 精密なホバリングで、 所定の場
所に降ろす技術、 またヘリコプターの機動性を
最大限に発揮した飛行等、 ヘリコプターの操縦
技術を競うのが、 この競技の目的です。
日本では、 アルファチームがこの競技の意義
に注目し、 国内に練習環境を備えて練習を重ね、
世界選手権で立派な成績を残してきました。 そ
れはまた、 全く実績の無い手作りの新参プライ
ベートチームが、 世界で最も小型な機体と言え
る R22 ヘリコプターを使用して、 ロシア等の
先進国を相手に戦い、 そして勝利した、 歴史的
な出来事でもありました。
その実力は本業のヘリコプター業の発展へと
つながり、 多忙となって、 競技会への参加が思
うようにならない状況です。 後継者が期待され
ていますので、 興味のある方は JAPA まで連
絡いただきたく、 よろしくお願いいたします。
GAC:ジェネラル・アビエーション(飛行機)
今年の FAI ラリー飛行世界選手権は、 8月
9日−15日の間にスロバキアで開催されます。
現時点では、 イスラエル、 オーストリア、 フ
ランス、 イギリス、 南アフリカ、 ロシア、 イタ
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2010 JUL
奥貫
博
リア、 ドイツ、 キプロス、 スロバキア、 チェコ、
ハンガリー、 スペイン、 リトアニア、 ポーラン
ドの計15カ国が参加を表明していて、 選手、 ジャッ
ジ、 関係者等、 計150名を超える規模の競技会
となります。
セスナ150, 152, 172のレンタルでの参加も可
能とのこと。 興味がある方の見学をお勧めします。
細部につきましては、 http://www.wrfc-2010.sk
を御参照ください。
もうひとつの Red Bull エアレースの方は、
9月まで、 世界各地での転戦が続きます。
エアロバティックス (FAA-CIVA)
前回のニュースでもお知らせしたとおり、 今
年は8月にポーランドの Radom で開催される
第9回パワー (飛行機) アドバンスドの世界選
手権に内海昌浩さんが、 7月にフィンランドの
Jamijarvi で開催される第10回グライダーアン
リミッテッドのヨーロッパ選手権に梶智就さん
が、 それぞれエントリーしています。
遠い日本から参加するわけですから、 競技に
使う信頼できる機体をどのように調達するか、
そしてその機体で事前にどれだけ練習できるか
が、 上位を目指すための重要なポイントになり
ます。
内海さんはドイツの機体を借り、 早めに渡欧
してベルギーでのトレーニングキャンプに臨み、
梶さんは昨年と同様元世界チャンピオンのイエー
ジー・マクラ氏 (ポーランド) の機体を借りる
ため、 世界選手権の2週間ほど前に開かれるポー
ランド選手権に練習を兼ねて出場し、 その後フィ
ンランドに渡ります。 何の援助もなく、 長い休
みを取ってすべて自費で参加するわけですから、
金銭的にも、 身体的にも、 精神的にもタフでな
ければやっていけません。 そんなお二人に声援
をよろしくお願いします。
オススメ! 情報ボックス
書籍&Goods紹介
編集委員会
このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めグッズ等を紹介しています。 読者の皆
さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍など
の情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報なども大歓迎です。
飛行機の操縦 −応用操作編
著者:土屋 正興
発行:鳳文書林出版販売株式会社
〒105-0004 東京都港区新橋3 7 3
T E L :03−3591−0909
FAX :03−3591−0709
E-Mail :[email protected]
ISBN 978-4-89279-295-3
定価:3,300円+税
本書は 「飛行機の操縦 −基礎編」 「飛行機の
操縦 −航法編」 に続く、 応用操作編です。
パイロットは、 どのような事態に遭おうとも、
最善を尽くして飛行の安全を確保することが求
められます。 基本に忠実に、 謙虚な姿勢で航空
業務に臨むことの重要性は言うまでもありませ
んが、 習得したことや、 経験したことには限り
がありますから、 更に応用対処の情報を学習す
る姿勢が重要になります。
飛行の全てを完全に管理することは、 容易で
はありません。 飛べば飛ぶほど、 飛行経験を積
めば積むほど、 様々な場面、 あるいは未知の事
象に遭遇する可能性も増大してきます。 そのよ
うな未経験の状況との遭遇は、 事故に直結する
可能性のある危険な要素を含むものといえます
が、 例え未経験のことであっても、 予め知識と
して学び、 考えたことがあれば、 事態を冷静に
認識し、 分析して、 最善の結果につなげること
が出来る可能性も増大することになります。
また、 飛行に臨む自己の心身の管理も、 飛行
安全には極めて重要なものですし、 ヒューマン
ファクターの視点に立って、 航空機や、 その運
航に関わる様々な事柄から 「事故の芽」 になり
うる恐れのあるものを見出すことも、 極めて重
要なことです。
本書では、 そのような様々な事象にかかわる
応用知識が 「離陸」、 「着陸」、 「空中操作」、 「異
常操作」、 「緊急操作」、 「危機回避」 の順に記述
されています。
それぞれに、 思いもしない様々な事象、 ある
いは、 遭遇したくない事や、 その対処要領が詳
細に記述されていて、 読み始めると思わず引き
込まれてしまいます。
本書は、 記述されている様々な内容が、 その
まま、 いざと言うときの知識として役に立つと
共に、 飛行に対する自己の姿勢、 視点、 未知の
ものへの対処姿勢等を見直す意味でも、 有意義
なものと思います。
本書を、 全てのパイロットにお勧めしたいと
思います。
2010 JUL
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開催予告
コウノトリ但馬空港フェスティバル 10
平成22年7月24日∼25日
入場無料
1995年以来毎年の開催を重ねてきた 「コウノトリ但馬空港フェスティバル」 が、 今年で16回目を
迎えます。 このイベントは、 航空スポーツの安全性や楽しさの理解を深め、 さらには、 参加・体験
型のイベントを実施し、 「空」 を身近なものとして親しみを深めていただくことを目的としていま
す。 会場は全てコウノトリ但馬空港内です。
また、 空港の利活用を通じ、 但馬地域の振興・活性化を目指すもので、 地域と空港が一体となっ
た活気あふれるイベントです。 特に、 レッドブル・エアレース参加選手による飛行機のエアロバティッ
クス演技や各種小型航空機によるデモフライト等々、 スポーツ航空分野の飛行展示の充実は大きな
特徴で、 大人から子供まで、 ご家族揃って楽しめます。 では、 その内容を以下に紹介します。
■ スカイイベント
(予定)
・ディープブルース・エアロバティックス (レッドブル・エアレース参加者による演技)
・スーパーウィングス FA200 編隊飛行
・エアロスバル FA200・エアロバティックス (国産機によるエアロバティックス飛行演技)
・但馬飛行クラブデモフライト
・モーターパラグライダーデモフライト
・ジャプコン WACO 複葉機デモフライト
・ヒラタ学園シーラスデモフライト
・陸上自衛隊ヘリコプターデモフライト
■ 体験イベント
空に関するフィールドイベントにより、 空への関心を高めていただくことを目指しています。
・航空機地上展示…演技に使用した機体や展示用の各種航空機材の一般公開
・紙飛行機工作教室等…日本紙飛行機但馬支部の指導による、 子どもを対象とした工作教室
・プレイランド…子どもに人気の大遊具などを設置
・テントブースコーナー…但馬観光、 空港インフォメーション、 スカイイベント出演団体 PR ブー
スなど
・YS-11 機内公開展示…普段開放していないコックピットなどの一般公開
■ ステージイベント…テレビで人気のキャラクターショー、 郷土芸能、 音楽演奏、 その他
■ 但馬グルメまつり…但馬地域の特産品の展示・即売や美味いものコーナーの設置
お問合せ先:
コウノトリ但馬空港フェスティバル実行委員会
http://tajima.or.jp/taf
〒668-8666 兵庫県豊岡市中央町2−4 (豊岡市役所内)
TEL:0796 23 1401 FAX:0796 22 3872
E-MAIL:[email protected]
後援:国土交通省 日本航空協会
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2010 JUL
開催予告
機長昇格を目指す方々へ
機長への道は副操縦士昇格直後から始まる!
「機長養成講習会」 開催案内
エアライン委員会
エアライン委員会では、 以下の通りセミナーを開催致します。
このセミナーは、 航空局より運航審査官、 航空従事者試験官を迎え、 審査・試験制度概要、 およ
び審査や試験の着眼点などを中心にスクール形式で行われます。 もちろん質疑応答の時間もありま
すので、 普段疑問に思われている事など運航審査官、 航空従事者試験官に直接聞ける良い機会です。
過去に参加した皆様の声を紹介します。
・笑いありの講義で機長昇格の道筋についてもわかりやすく説明してくれたと思う。
・かなり具体的に突っ込んだ話をしていただいたので参考になりました。
・チェックに対しての考え方が良く理解できた。
・オーバーアシスト等、 詳しい具体的な話が聞けてよかった。
・試験や審査に対する考え方が大きく変わったと思います。
・昇格へ向けての心の持ち方を学びました。 今後の訓練を楽しめるよう頑張ります。
開催予定
第23回、 第24回の受け付けを開始しました。
第23回:東京
日時:9月6日 (月) 13時∼17時
場所:操縦士協会 会議室
講師:猪狩首席運航審査官
梶川首席航空従事者試験官
定員30名
第24回:大阪
日時:11月18日 (木) 13時∼17時
場所:大阪国際空港 星の間会議室
講師:運航審査官、 航空従事者試験官
開催準備中 (9月または11月号のPILOT 誌で改めてご案内いたします。)
第25回 東京 1月20日 (木) ⇒ 都合により福岡に変更する場合もあります。
第26回 大阪 2月17日 (木)
問い合わせ:JAPA 事務局 (齋藤
03-3501-0433
saito@ japa.or.jp ) までお願いします。
当セミナーは、 長年親しまれた 「機長養成講習会」 の名称に副題 「機長への道は副操縦士昇格直
後から始まる!」 を付加し、 副操縦士に昇格したばかりの若い世代の皆様にも参加しやすいセミナー
として運営いたします。
2010 JUL
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開催予告
全日本曲技飛行競技会
開催案内
第1回全日本曲技飛行競技会を開催します。 この競技会は、 曲技飛行競技の要領、 安全確保、 技
量向上、 審判・採点要領等の講習を含むものとし、 また、 曲技用飛行機の安全確実な着陸技術を身
に付けるための着陸競技会を合せて実施します。 参加希望者は、 7. 連絡先等の 「競技会情報 HP」
より申込んで下さい。
1. 日時:平成22年10月9日 (土)、 10 (日)、 11 (月)
9日 AM フライイン/講習・競技ブリーフィング/PM 公式練習 (10分/1スロット)
10日 競技会1日目 (10分/1スロット)
11日 AM 競技会2日目/ディブリーフィング&表彰式/PM フライアウト
2. 場所:福島県 ふくしまスカイパーク
3. 競技の内容:曲技飛行競技:
クラス1:プライマリークラス (FA200 C150/152エアロバット シタブリア等の機体)
クラス2:スポーツマンクラス (デカスロン エクストラ200/300 ピッツ等の曲技飛行用機体)
着陸競技:曲技飛行競技機を優先するが、 その他の機体での着陸競技のみの参加も可。
4. 参加機体:曲技飛行競技への参加は、 曲技飛行の実施が承認された飛行機のみ。
5. 安全対策:飛行開始前にパイロットブリーフィングを実施し、 安全対策確認の署名を得る。
6. 主催・後援:主催:全日本曲技飛行競技会実行委員会 大会会長:福島市長(予定) 共催:福島市 スカイ
パーク新観光事業実行委員会 後援:福島県県北地方振興局、 特定非営利活動法人ふくしま飛行協会、 特定非
営利活動法人 Super Wings、 TEAM Deepblues、 JNAC(Japan National Aerobatic Club)(調整中)、 WP
Competition Aerobatic Team、 日本女性航空協会、 日本航空機操縦士協会(予定)、 日本飛行連盟
7. 連絡先等:有限会社パスファインダー 福島市北沢又日行壇7 48 024 558 8318 担当:青島信介
競技会情報 HP URL:http://teamdeepblues.jp/championship/
エアロバティックス競技規定科目
クラス1 (プライマリークラス)
競技は IAC (International Aerobatic Club) の2010
年の規定科目、 及び、 IAC のルールで実施する。
Total K (Figure+Presentation)
プライマリークラス: 63 ( 60+3)
スポーツマンクラス:143 (137+6)
各課目は水平飛行で開始し、 水平飛行で終了する。
科目間に加速のための降下を入れると大きな減点
となるので注意のこと。
60
2010 JUL
クラス2 (スポーツマンクラス)
競
技
空
域 (案)
ふくしまスカイパーク
RWY 14 32 800m×25m
〒960-8251 福島市北沢又日行壇7 48 37°
49′
12″
N/140°
23′
27″
E
FIELD ELEV. 1318FT 130.675MHz Fukushima Flight Service
・競技空域は1000m×1000m/下限高度 3000Ft (MSL)/上限高度 5000Ft (MSL)
・4隅にマーキングを設置 (の予定)
合せて、 曲技飛行用飛行機の確実な離着陸操作習得を目指す着陸競技を実施する。
FAI 方式準拠の着陸競技は、 Super Wings 主催の
枕崎空港での着陸競技方式に準じて実施の予定。
(PILOT 誌2009年5月号の GA 部会活動報告参照)
2010 JUL
61
開催報告
航空安全セミナー開催報告
2010年度のシラバスは、 計画段階で議論を重ね
た結果、 計器飛行証明の取得を目指す人、 取得後
のリカレントを希望する人を対象に基礎編と応用
編の2回に分けて開催することになりました。
その1回目となるセミナーを5月22日に開催い
たしましたので報告致します。
勉強会という位置づけで募集しましたが、 事業
用操縦士、 官公庁操縦士、 自家用操縦士と幅広い
分野から30名を超える申込みがあり 「計器飛行証
明」 に関心が高いことを改めて知ることが出来ま
した。
講師は、 防衛省、 民間事業会社、 定期航空で長年飛行をした、 小西正人会員が務めました。
小西さんは、 「基礎を知らずして計器飛行を行うことは難しい」 と強調されています。
航空法、 その他の関連法規、 管制方式基準、 飛行方式設定基準などの基本的な内容が盛り込まれ
ている AIM-JAPAN を教材として、 講義が進められました。 参加した方から 「AIM はとても良
くまとめられた情報源だということに改めて気付いた」 という感想を聞きました。
2回目は7月17日に続編を開催いたします。
このセミナーは、 2回続けて受講するよう内容がプログラムされています。 同様の内容で11月及
び12月に開催する予定です。
アンケートの回答
・法規を読むだけではなく、 解説を聞くことができて理解が深まった。
・年末に計器飛行証明受験を予定しており事前の準備として非常にタイムリーな内容であったと思
います。 7月も期待しています。
・気軽に参加できるセミナーであって内容がしっかりしている講義だったと感じた。 オーラルで聞
かれそうな内容であり、 ポイントがコンパクトにまとめられていて良かったと思う。
62
2010 JUL
通信
開催報告
第45回通常総会開催報告
平成22年5月27日 (木) 14:00から羽田空港第1旅客ターミナルビル 「ガレリア」 6Fのギャラクシーホー
ルで、 第45回通常総会を開催致しました。
白石専務理事が開会を宣言しました。 その後事
務局から総会運営規程第10条による議長委任を含
め、 正会員の総数の過半数を超えており、 第45回
通常総会が成立していることを報告しました。
冒頭、 萩尾会長から、 今期で協会会長を終える
にあたり、 退任の挨拶がありました。 続いて白石
専務理事から、 岩井
英樹会員を議長に推薦し、
満場一致の賛成を得ました。 岩井議長は、 定款第28
条第2項により、 書記を事務局とし、 議事録署名
人には小西
正人会員、 上杉
美治会員を指名し
たのち、 議案の審議に入りました。
第1号議案
平成21年度事業報告及び決算報告について
原案通り承認されました。
第2号議案
平成22年度事業計画及び予算案について
原案通り承認されました。
会
第3号議案
役員の選任について
原案通り承認されました。
役員が承認された後、 選任された新役員は別室にて理事会
(第257回) を開催し、 右のとおり会長職等が選ばれました。
第4号議案
公益社団法人認定取得に向けた定款変更について
原案通り承認されました。
長
大内
学
副 会 長
小林
宏之
同
薬師寺
進
同
大畑
隆
専務理事
中村
俊治
常務理事
池田
晃二
同
楠本
晋一
同
蔵岡
賢治
同
吉田
徹
以上をもって議案全部の審議を終了したため、 岩井議長が終了を宣言し、 最後に中村新専務理事より閉会
の挨拶を行いました。
2010 JUL
63
記念講演
総会終了後、 電子航法研究所主幹研究員 新井直樹博士による記念
講演 「パパは南極へ行った。 第48次南極観測隊486日間の越冬生活」
が行われ、 多くの質問もあり好評のうちに終了しました。
引き続いて懇親パーティーが開催され、 大内新会長、 宮下
徹航
空局技術部長の挨拶の後、 平成21年度協会表彰の表彰式が挙行され、
下記7名の方が受賞されました。 表彰式終了後、 今井
孝雄日本航
新井氏
空技術協会会長による乾杯により、 盛会に実施されました。
(五十音順)
伊藤
勇一
(東京消防庁)
小賀野耕正
(全日本空輸)
小山
敏勝
(全日本空輸)
千葉
博茂
(日本航空インターナショナル)
村上
耕一
(全日本空輸)
山崎
博行
(日本航空インターナショナル)
協会表彰者
第46期役員一覧
会
64
長
大内
学
(新任)
理
事
早乙女一成
(新任)
副 会 長
小林
宏之
(新任)
理
事
酒井
文彦
(新任)
副 会 長
薬師寺
進
理
事
佐藤
香
(新任)
副 会 長
大畑
隆
理
事
白石
豊樹
専務理事
中村
俊治
(新任)
理
事
管
常務理事
池田
晃二
(新任)
理
事
菅原
弘行
常務理事
楠本
晋一
理
事
鈴木
英明
常務理事
蔵岡
賢治
理
事
中野
計人
常務理事
吉田
徹
理
事
根本
裕一
理
事
有野
達也
理
事
野口
義博
理
事
池内
宏
理
事
蓮
康夫
(新任)
理
事
石井
清
理
事
馬場
良直
(新任)
理
事
大澤
一朗
理
事
平山
開偉
理
事
大関
春樹
監
事
志鳥
學修
理
事
大塚
敬久
(新任)
監
事
増田
奉和
(新任)
理
事
大村
大
(新任)
監
事
菅生
徹
(新任)
理
事
木村
貴文
(新任)
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聖
(新任)
新役員紹介:新役員の方からご挨拶をいただきました。
副会長
小林
宏之 (日本航空インターナショナル)
第45回総会で理事に選任され、 第257回理事会の互選により副会長に就任しました小林
です。
航空界には、 民間航空会社のパイロットとして長年お世話になって参りました。 その
間、 当協会の会員としても PILOT 誌や AIM 等を通じて会員としての恩恵を享受して参
りました。
今回、 協会役員のひとりとして、 大内会長を補佐しながら、 その運営に携わってゆく
ことになりましたので、 紙面をお借りしてご挨拶申し上げます。
日本航空機操縦士協会の発展に尽力されてこられた萩尾前会長から、 その職を引き継
がれた大内会長のもとで、 航空界の新しい環境に対応しつつ、 更に航空の安全と発展に
寄与できる協会を目指して、 会員の皆様とご一緒に活動して参る所存です。
会員の皆様方の積極的な参加が、 当協会、 航空界の発展、 ひいては社会におけるパイ
ロットのプレゼンスの向上にも繋がるものと確信しています。
皆様のご支援、 ご協力をよろしくお願い申し上げます。
専務理事
中村
俊治 (日本航空インターナショナル)
この度、 専務理事に就任いたしました中村でございます。
日頃より操縦士協会へのご理解とご支援に感謝申し上げます。
私は、 日本航空におきまして約37年間わたり B747、 DC10、 B777 と乗務し、 今年一月
で定年退職をいたしました。 そして、 今回初めて協会の仕事に携わることになりました。
専務理事という重責を無事に果たせるかどうか甚だ心配ではありますが、 大内会長を補
佐し、 皆様と力を合わせて頑張りたいと思っております。
さて、 一昨年のリーマンショック以来の景気も、 全産業で見れば少しづつ回復してき
ておりますが、 依然として航空業界では、 その回復のテンポが緩やかなようです。 JAL
の経営破綻、 路線網縮小、 新規 LCC の参入、 さらに大規模なリストラといった航空の世
界にも大きな変化の波が押し寄せております。 航空業界そのものが、 構造的な諸問題を
抱えていることは明らかで、 世界の大手エアラインの合従連衡もそういった情勢の中で
の対応の一つの現れと言うことができると思います。
明るいニュースと言えば、 今年10月に予定されている羽田空港の新滑走路供用開始が
挙げられます。 何か大きな良い変化が起こりそうな予感と期待を持っております。
そうした中で、 今46期を引き継ぎました。
基本的には、 前期の運営方針を踏襲する形でのスタートになると考えております。
引き継いだ課題の中で、 大きなテーマは三点あると認識いたしております。
第一は、 かねてより論議されてきました公益法人認定取得への歩みです。 平成18年よ
り昨年にかけて多くの時間をかけて議論されて参りました。 そして、 本年5月27日の第45
回通常総会におきまして、 停止条件付ではありますが定款変更の承認を受けるに至って
おります。 また、 事業内容においても見直しが順次実施され、 収支均衡或いは赤字事業
へと収益面での法的要件を着実に満たしつつあります。 今後、 適切な時期を見定め、 認
定への手続きを進めることになると思います。
次に、 会員確保の問題です。 ご承知の通り、 当協会の運営は皆様の会費及び幾つかの
2010 JUL
65
主要事業の収入により支えられております。 近年、 新規会員の加入数が伸び悩んでおり
会費収入が増えてこないことが課題として挙げられます。 加えて、 団塊世代の会員の方々
が定年退職されシニア会員になられたことも、 収入の減少に拍車をかけてきております。
安定的な収入確保という観点からも新規の会員確保は喫緊の課題であります。 又、 当協
会の会員を増やすことは、 パイロットを代表する団体としての役割を高めることにも繋
がると確信いたしております。 新規の会員を増やすにあたり、 具体的に何をすべきかを
皆様と共に考え、 解決していきたいと思っております。
そして最後に、 種々の委員会の運営の問題があります。 個々の委員会が独立して運営
されており、 他の委員会や事業との連携が希薄になっていることが挙げられます。 独立
して運営されること自体は決してマイナスの面だけではありませんが、 協会の運営を全
体としてみれば、 非効率な部分も見えてきております。 今後、 人的な交流ということも
見据えながら、 どのように整理統合し、 有機的な繋がりを持ったものとして再編するか
が問われております。
以上の三点が大きな課題として考えられますが、 そのどれもが解決可能なものと認識
いたしております。 ただし、 それには皆様の卓抜な英知と弛まぬ努力と協力が必要と考
えております。
又本年は、 1910年12月に徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉が東京の代々木練兵場で、 わが
国初の動力機による公開飛行を実施してからちょうど百年目にあたります。 関係イベン
トも、 日本中で開かれると聞いております。 そのような記念すべき年に、 協会の仕事に
携われる喜びと遣り甲斐を強く感じております。
申すまでもなく、 当協会は皆様の地道な努力で運営されております。 これまで営々と
引き継がれてきた当協会のバトンを次の世代にしっかりと渡すことが、 我々に課せられ
た使命だと思っております。 皆様の力をお借りして、 より活発に、 より透明性を持った
協会を作ることによって、 協会のビジョンである
航空を実現する
安全で誰からも信頼され、 愛される
ことに、 寄与して参りたいと考えております。 どうぞこれまで同様の
力強いご支援、 ご協力をお願い申し上げます。
常務理事
池田
晃二 (全日本空輸)
今期の常務理事を務めます池田晃二です。 現在、 ANA でボーイング777型機の機長と
して乗務しています。 さて不況の中、 ご存知の通り航空界を取り巻く環境も大変厳しく
なっています。 その中で JAPA も少なからずその影響を受けています。 しかしながら経
済的に厳しい状況下に於いても航空界の健全な発展は国民の安全と国益を守るという点
でも大切なことであり JAPA が微力ながら自家用、 使用事業、 定期運送事業と全ての分
野へその役割を果たすことも大切と考えています。 今後も会員の皆様のご理解とご協力
を賜り、 諸活動に取り組みたいと考えます。
66
2010 JUL
理事
大塚
敬久 (日本航空インターナショナル)
皆様初めまして。 このたび理事に就任いたしました、 大塚と申します。
私は1990年に日本航空に入社後、 自社養成訓練、 ボーイング747-400の訓練を経て、 現
在は機長として運航しております。 ご存知のように弊社は現在厳しい局面にあり皆様に
はご迷惑をお掛けしておりますが、 協会の先輩方から 「若手の意見を」 というお誘いが
あり今回の職をお受けした次第です。 微力ながらお役に立てればと思っております。 ど
うぞよろしくお願い致します。
理事
大村
大 (エアージャパン)
皆様初めまして!
この度理事を拝命いたしました大村です。 JAPA では気象委員会
で毎回勉強させて頂いております。 私は所謂 「自費ライセンサー」 で、 米国で CFI 等を
経験後に帰国し、 幸運にもエアラインで飛ぶことができた一人です。 これまでのパイロッ
ト人生は多くの皆様から受けたご恩の賜です。 不惑の齢に達し、 今後は自分が後に続く
方々へご恩をお返しする番との思いを持っております。 大先輩方の中で私の様な若輩に
何ができるのか全く未知数ですが、 今後の日本のパイロット界の発展に少しでも貢献で
きたら幸せです。 皆様よろしくお願い申し上げます。
理事
木村
貴文 (エアーニッポン)
当協会の基本指針には 「航空に携わるもの同士が心を通わせ共存共栄を図る。」 という
目的・ビジョンが定められておりますが、 昨今の航空界における様々な変化の中で、 今
正に各組織、 個人に浸透すべき共通理念であり、 協会の喫緊の課題ではないかと思って
おります。 協会とは今まで AIM−J や PILOT 誌の愛読者としての関わりのみでしたが、
このような時期に理事として運営に携わらせて頂きます重責に身が引き締まる思いです。
会員6,000人超のエアーマンシップの力をお借りし、 微力ながら精一杯努めて参りますの
でご指導、 ご教授の程宜しくお願い致します。
理事
早乙女
一成 (アジア航測)
今回、 理事の任を努めさせていただくことになりました早乙女一成です。
ちょうど昭和の時代が終わった年、 平成の始まった年にこの業界にて仕事を始めまし
た。
以来20数年、 小型飛行機の機長として運航業務に従事しております。 主に有視界飛行
で飛行する小型航空機の業界は、 決して恵まれた環境ではありません。 そんな中でも航
空安全に少しでも寄与出来ますよう、 微力ながら努力してまいりたいと思っています。
諸先輩方々のご指導ご支援の程をよろしくお願い致します。
2010 JUL
67
理事
酒井
文彦 (日本航空インターナショナル)
昨年7月に、 日本航空における在来747の最終運航を担当し777への型式移行訓練を終
了して、 残りの時間をのんびりと空を楽しもうと思っておりましたところ、 突然の操縦
士協会理事という大役を仰せつかり、 いささか当惑しております。
昨今の航空界の激変は、 今後 PILOT にとっても、 既存の枠に囚われず各個人で行動す
る必要性が増すものと思われます。 特に、 次代を担う若い方々に情報の提供と人的交流
の場を提供出来るように、 協会活動を通じて微力ながらお手伝いしたいと思います。
理事
佐藤
香 (新日本ヘリコプター)
この度、 東日本支部より推薦を頂き理事を勤めることになりました新日本ヘリコプター
の佐藤です。 昨今の航空環境・機材の変化は著しく、 目を見張るものがあります。 協
会活動に携わるのは今回が初めてですが、 操縦士協会の果たすべき役割の重要性を常に
心に留め、 安全運航を推進していく為に努力して参ります。 充分経験を積まれた諸先輩
方から新人の皆様に至るまで、 多くの方々との意見交換を行い、 協会活動に反映させて
いきたいと思います。 操縦士協会の目的・ビジョン実現の為、 微力ながら努力致します。
よろしくお願い致します。
理事
中野
計人 (日本航空インターナショナル)
新理事として、 今回 JAPA の仕事に初めて携わることになりました。 若輩者の故、 先
輩理事がご活躍される中で貢献ができるかどうか不安も多々ありますが、 種々の情報を
会員の皆様と共有し、 操縦桿を握る皆様の日々の安全に少しでも役立てること、 またご
く単純に広い空を飛ぶ、 というパイロットの原点の素晴らしさを内外で分かち合うこと、
そして協会のさらなる発展に尽力することが課せられた役割だと、 思っております。 ど
うぞよろしくお願いいたします。
理事
蓮
康夫 (日本航空インターナショナル)
JAL で B777 に乗務しています。
飛行時間はまもなく14000時間になるところです。
趣味はテニス・映画鑑賞・ドライブ等です。
JAPA における担務は ATS に関係する事柄です。
2メン機のシングル編成での長時間勤務に不満を持ち、 JAPA を退会していった方々
に再度 JAPA の会員になっていただくよう努力します。 又、 pilot の皆様が自ら進んで会
員になろうと思っていただけるような組織にしていきたいと思っています。
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2010 JUL
理事
馬場
良直 (川崎重工業)
初めまして。 この度、 協会理事を勤めさせて頂くことになりました馬場良直と申しま
す。 現在の勤務内容は、 川崎重工岐阜工場において、 テスト・パイロットとして新造
機、 定期修理機及び新規開発航空機の飛行試験を行うことです。 これまでのフライト・
テスト委員会での活動を踏まえ、 協会理事として、 航空機の製造及び修理に携わる者の
視点を持って活動させていただければ幸いと考えています。 微力ながら力を尽くしてい
きたいと思っておりますので、 皆様のお力添えをお願い申し上げます。
監事
菅生
徹 (朝日航洋)
先ず、 日本の空の安全と発展に大きく寄与されている日本航空機操縦士協会の運営に
携わる機会を頂き、 感謝申し上げます。 しかし、 協会の活動に当たり、 今までの航空業
界での経験、 知識で、 諸先輩の築かれた数々の金字塔を継承できるか、 また、 一般社会
同様に、 航空業界にも大きな変化の波が訪れている昨今、 私の力量で大丈夫かとの不安
が有ります。 このような状況ですが、 協会発展への 「熱意」 を強く持たれた委員の方々、
そして会員の皆様方が身近に居る事を心強く思い、 微力ですがお役に立てるよう前へ進
んで参りますので、 宜しくお願い致します。
理事会通信
第45回通常総会が5月27日に開催されました。 平成21年度事業報告及び決算、 平成22年度事業計画及び予
算案、 役員候補者の選任等予定された決議事項は全て承認されました。
6月11日開催の第258回理事会で、 各理事の担当業務と航空関係団体は主催する外部委員会の委員などを確
認しました。 各委員会の委員長は下記のとおりです。
・ATS 委員会
蓮
康夫
・航空安全委員会
根本裕一
・運航技術委員会
大塚敬久
・法務委員会
熊坂洋二
・航空医学委員会
白石豊樹
・航空気象委員会
山本秀生
・フライトテスト委員会
馬場良直
・ジェネラルアビエーション委員会
齋藤賢二
・乗員養成検討委員会
池田晃二
・ビジネス航空委員会
・編集委員会
楠本晋一
蔵岡賢治
[活動報告]
−平成22年5月−
5月8日
ATS 委員会
5月11日
航空身体検査証明審査会
5月14日
フライトテスト委員会
5月22日
航空安全セミナー (GA)
航空気象委員会
5月25日
航空保安大学校講義 (レーダー管制専門
H22春季黄綬褒章伝達式
研修)
5月15日
航空安全講習会 (宮城県)
航空保安業務運用連絡会議
5月20日
技量維持連絡会
SLJ 運航委員会福井
5月21日
運航技術委員会
5月26日
航空保安施設信頼性センター評議員会
経理委員会
帝京大学準会員入会説明会
航空振興財団理事会
5月27日
第45回通常総会・第256・257回理事会
航空保安協会理事会
2010 JUL
69
5月28日
5月29日
航空医学研究センター理事会
6月16日
航空保安施設信頼性センター理事会
6月17日 GA 委員会
航空大学校卒業式
6月18日
ビジネス航空委員会
GA 委員会主催 (施設見学) JAL 啓発
航空輸送技術研究センター評議員会
センター
航空安全講習会 (熊本)
航空安全委員会
管制施設
6月20日
夢は叶う Yes I Can (航空教室) 大阪
−平成22年6月−
6月23日
航空交通管制協会理事会
6月1日
航空身体検査証明審査会
6月24日
運航技術委員会
6月2日
平成23年度 VOR 縮退に係る調整会議
経理委員会
6月5日
航空安全講習会 (東京)
協会制度検討委員会
6月7日
「指定医のつどい」 航空医学委員会
6月25日
編集委員会
自発的安全報告制度のあり方委員会
6月26日
航空気象委員会
(ATEC)
航空安全講習会 (神奈川)
6月11日
第258回理事会
6月27日
航空安全講習会 (東京)
6月12日
認定講師研修会/航空安全講習会(愛知県)
6月28日
第1回 CARATS 企画調整会議
ATS 委員会
6月29日
第7回航空安全情報分析委員会
6月15日
航空機安全運航支援センター理事会
編集委員会
[活動計画]
−平成22年7月−
7月1日
編集委員会
7月23日
7月6日
航空身体検査証明審査会
7月24日
7月7日
航空管制定期連絡会議
RNAV/RNP に係わる連絡会
航空保安研究センター理事会
航空気象委員会
航空安全講習会 (長野)
7月27日 ASI-NET 会議
小型機 WG
7月9日
運航技術委員会
JAPA 創立記念日
7月28日
SLJ 会議
第202回常務理事会
顧問会
−平成22年8月−
ATS 委員会
8月3日
航空身体検査証明審査会
7月11日
夢は叶う Yes I can (航空教室) 千歳
8月5日
三役運営会議
7月14日
東海大学準会員入会説明会
8月14日 ATS 委員会
羽田空港D滑走路供用開始に係る運航者
8月16日
編集委員会
説明会
8月17日
子供飛行機教室
7月17日
航空安全セミナー (GA)
8月19日
子供飛行機教室
7月22日
経理委員会
8月25日
編集委員会
航空医学委員会
8月28日
航空気象委員会
7月10日
(ご報告) 平成21年度協会表彰者6名のうち、 伊藤勇一会員につきましては、 5月27日第256回理事会にて推薦を受け、
承認されましたので報告致します。
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事務局だより
PILOT・AIM−J 等確実にお届けするために、 自宅・勤務地・mail box 等、 変更された場合は速やかに協
会事務局までご連絡下さい。 また郵便振替にて会費を納入いただいております会員の皆様には、 便利な口座
自動引落による納入についてご案内致しますので、 協会事務局までご連絡下さい。 申込書をお送りさせてい
ただきます。
∼ 結婚祝金を給付しております ∼
正会員の方 (60歳未満の方) が対象となりますが、 結婚祝金を給付しております。 (給付額は20,000円) 給付申請には戸籍抄本1通 (原本)、 振込口座の書類提出が必要となります。 なお、 婚姻届の届出より 6ヶ月以内に申請いただくこととなっておりますので、 予めご了承願います。 JAPA ホームページ (http://www.japa.or.jp) 会員限定ページより申請書をダウンロード出来ますので、 是非ご利用下さい。 JAPA ホームページ会員専用ページ開設しました
JAPA ホームページ (http://www.japa.or.jp) に会員専用ページを開設しました。
ログインしていただくには、
①
TOP ページ左上の【会員専用ページ】をクリック
②
ユーザー名欄に [ja 会員番号] (小文字 ja の後ろに続けて入力。 会員証の番号)
③
パスワード欄に [********] (本誌巻末の編集後記 下欄にある JAPAWEB**** の数
字部分を入力)
*パスワードは毎号変わります。 新しいパスワードは発行月 (奇数月) の翌月1日
(偶数月) より適用となります。 (例:3月号のパスワードは4月1日から適用)
現在 PILOT 誌記事等掲載していますが、 今後コンテンツの充実を図っていきます。
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JAPA 事務所で勉強会を!
《操縦士協会会議室を会員の皆様に提供します!》
JR 新橋駅から徒歩10分弱にある事務所は、 集まりやすく、 設備や航空関係の各種情報も充実
していますので、 グループミーティングや各種勉強会などで利用するには最適です。
お申し込みにあたって
代表者が JAPA 会員であればその他利用者の会員資格の有無は問いません。
会員番号 (会員番号不明の場合は所属)、 代表者氏名 (フリガナを含む)、 希望日時、 使用目
的、 使用人数及び連絡先を記載の上、 メールにてお申し込みください。
なお、 ご利用は平日10時∼17時とさせて頂きます。
利用にあたり
JAPA 委員会やその他行事と重ならない場合に使用できます。 事前に JAPA 事務局までメー
ル若しくは電話にて会議室の使用状況をご確認ください。
設備について
会議室には、 パソコン、 プロジェクターならびにホワイトボードが設置されています。
またラウンジでは簡単な飲物もご用意しています。
(会議室での飲食は原則禁止です。 また、 ラウンジでの飲食についてはお問い合わせください)
注意事項
勉強会やグループミーティング及び会員の情報交換を目的とした会議室提供です。
学校説明会ならびに営利目的な催事等は対象外となります。
その他
事務局で判断出来ないお申込みが
あった場合、 理事会判断となります
ので予めご了承願います。
お申し込み
日本航空機操縦士協会 事務局
TEL03-3501-0433
FAX03-3501-0435
E-mail:[email protected]
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JAPA Aerial Photo Exhibition
複合材構造の主翼のたわみが印象的な Boeing787
B787 の操縦席の窓は片側2枚の計4枚
型式証明の取得に向けて飛行試験が進む全日空塗装の Boeing787
榊原
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寛様の投稿写真です
あなたが写した
航空機の写真が
表紙 に!
編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を
募集しています。
尚、 応募写真は編集委員会で審査の上、 掲載いたします。
下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。
・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 投稿者が撮
影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の添書きも添
付してください。
尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも
のとして下さい。
・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき
ませんのでご了承ください。
・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として2万円
(複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな
かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。
・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記
してください。
※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。
送付・お問合せ先
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編集委員会
〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14
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JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
2010 JUL
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編集後記
●2010年6月2日、 JAXA 宇宙飛行士の野口聡一さ
んが、 ISS (国際宇宙ステーション) 長期滞在
(161日) の任務を終え、 無事地球に帰還しました。
若田光一さんを抜いて、 日本人の宇宙滞在期間記
録を更新しました。 打ち上げ、 帰還ともに、 ソユー
ズ宇宙船を利用した初めての日本人宇宙飛行士で
す。 米国のスペース・シャトルの運用が2010年末
で終わるため、 この次の ISS 長期滞在予定の古川
聡宇宙飛行士も、 ソユーズ宇宙船での往復にな
ります。 飛行安全の確保は航空も宇宙も共通の目
標だとの思いを強くしています。
(KEN)
● 「気合を入れて書いたので大きく載せて」 とは本
誌33ページの図。 徳川大尉の100年前の飛行航跡
を古い文献をたどって描かれた JAXA 柴田 眞
さんは言います。 こういったコメント付きの投稿
を頂くと、 受け手も嬉しいものです。 公益社団法
人を目指す JAPA に相応しい記事になっている
でしょうか。
(カレン)
●今年も韓国で FA200 のアクロ飛行展示をしてき
ました。 昨年に続く2度目の依頼は、 何か伝わる
ものがあってのことなのでしょう。 空を志す者と
しては、 何はともあれ、 与えられた機会を大切に
したいと思います。
(奥貫)
●サッカーワールドカップ。 PK は、 はずしちゃダ
メ、 責めちゃダメ。
(T. O)
●7年間宇宙空間を飛翔続けた 「はやぶさ」 は大気
圏に突入し燃えつきた。 JAXA の偉業に敬意を表
します。
(K. A)
●初めて編集を行った新参者です。 宜しくお願いし
ます。
(H. Y)
●先日、 映画 「ハート・ロッカー」 を観た。 キャス
リン・ビグローが女性初のアカデミー監督賞受賞
するなど、 9部門にノミネートされたことも興味
をそそった。 それにしてもイラクを舞台にした
「終わりなき戦い」 に、 心が痛む。
(徳田)
● 「はやぶさ」 が満身創痍で地球に帰って来た。
JAXA の誘導技術に感動した。
航空機とグライダーのラインナップ、 索の張り
合わせ、 そして 「出発」 の合図で、 曳航飛行が
始まります。 羽布貼りの尾輪機体で、 柔らかな
草地滑走路を離陸する味わいは、 グライダー曳
航ならではのものです。
(奥貫)
JAXA には 「はやぶさ2」 の計画があるのだが、
例の事業仕分けで予算が大幅にカットされそうだ
が、 何とか復活してもらいたい。
(T. A.)
●日本のあらゆる分野で“ガラパゴス化”がおき、
世界の成長にとり残されている様で不安を感じて
います。
(RYU)
●編集委員会が終ったらサイクリング。 でも蒸し暑
いし、 蚊に刺されるしどうしよう。 (佐藤 裕)
●JAPA で原稿を読み、 持ち帰って原稿校正、 編集
長は忙しい!
(編集長 蔵岡)
No.321 2010年 7 月号/平成22年7月発行
発行
社団法人 日本航空機操縦士協会
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80
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2010 JUL
禁無断転載
URL http://www.japa.or.jp/
JAPAWEB20100701
編集人
蔵
岡
賢
治
発行人
中
村
俊
治
定価
印
刷
800円 (税込)
株式会社プリカ