1 第8回 民主主義と共和国 似ているがゆえの共通理解 今回の論題の第

第8回
民主主義と共和国
●似ているがゆえの共通理解
今回の論題の第一は、「民主主義(民主制)」という日本語である。言い換え
れば、西洋語の「デモクラシー」の翻訳語としての「民主主義」を取り上げる
のであって、
「民主主義/デモクラシー」の本質を深く議論をしようというので
はない。
そもそも、民主主義とは何かという問いには、明らかな誤答は存在しこそす
れ、ただ一つの正解など存在しないだろう。実際、これまでに提起されてきた
民主主義論は実に多様だし、現に民主主義(民主制)を掲げる国々を見ても、
その政治形態は決して単一ではないのである。
ただし、多くの西洋語において、
「デモクラシー」に相当する語は非常に似通
っており、あまり多様ではない。例えば、democracy(英)/démocratie(仏)
/Demokratie(独)/democracia(西、葡)/democrazia(伊)/democratie
(蘭)/demokracja(波)/demokratia(希・羅字転写)といった次第である。
こうなると、各語間での意味の齟齬もまた、あまり大きなものにはなるまい。
要するに、西洋語の世界では、
「デモクラシー」に関して、かなり共通した理
解が成立し得ると思われるのである。少なくとも、日本語やタイ語の世界と比
べれば、言語の違いによる解釈の違いは小さなものであろう。ちなみに、タイ
語では、民主主義を「プラチャーティッパタイ」と言うらしい。
●「民主主義」も「民主政治」もデモクラシー
ともあれ、改めて言うまでもなく、日本語の「民主主義」は、
「democracy(英)
や「démocratie(仏)」といった西洋語を和訳した語である。ただし、「デモク
ラシー」の和訳語は、
「民主主義」だけではない。それは、時として、
「民主制」、
「民主政」、あるいは「民主政治」とも訳されるのだ。なお、漢語の「民主」は、
「民」の「主(あるじ)」たる者、すなわち「君主」を指す語なので、「デモク
ラシー」の翻訳とは直接関係がない。それらのことを踏まえた上で、『広辞苑』
(第六版)の記述を見てみよう。
【民主主義】(democracy)語源はギリシャ語の demokratia で、demos(人
民)と kratia(権力)とを結合したもの。権力は人民に由来し、権力を人
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民が行使するという考えとその政治形態。古代ギリシャの都市国家に行わ
れたものを初めとし、近代に至って市民革命を起こした欧米諸国に勃興。
基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主
たる属性であり、また、その実現が要請される。
【民主政治】民主主義に基づく政治。主権が人民にあり、人民の意思に基
づいて運用される政治。⇔独裁政治。
まず注目すべきは、
「民主主義」と「民主政治」が別語として取り扱われてい
る点である。なるほど、日本語だけを考えた場合、
「主義」と「政治」は別語で
あるに違いない。一般に、
「……主義」という日本語は、行為や作用や制度では
なく、むしろ思想や信条、あるいは立場や主張などを指す表現だからである。
実際、『広辞苑』による「民主主義」の説明もまた、「……という考えとその政
治形態」という表現になっている。つまり、まず「考え」が先にあり、次いで
「その政治形態」も含むという説明なのである。
だが、西洋語の「デモクラシー」は、それ自体、「民主制」や「民主政」、さ
らには「民主政治」などとも和訳されることを思い出そう。これらの訳語は、
どれも間違っていない。逆に、
「デモクラシー」は、第一義的に、政治体制や政
治形態の一分類であり、思想や主張といった含意の方が、むしろ付随的なのあ
る。そもそも、
「……主義」という語は、菜食主義がベジタリアニズムで悲観主
義がペシミズムだといった例が示すとおり、一般に「……イズム」の訳語とし
て用いられることが多いのだ。逆に言えば、
「デモクラシー」の訳語として「民
主主義」が定着すればするほど、それもまた一つの「イズム」だという語感的
印象を与えてしまうことにもなろう。いずれにせよ、
「民主政治」という日本語
もまた、「民主主義」と同じく、その原語はデモクラシーなのである。
●君主制と貴族制と民主制
議論を先に進めるに当たり、ここで「民主主義/デモクラシー」の基本定義
を確認しておこう。もちろん、その定義には諸説あるので、以下に示すのは最
も根本的な次元での共通認識に過ぎない。
まず、上の『広辞苑』の記述にあるとおり、デモクラシーの「語源はギリシ
ャ語の demokratia」で、その原型は「古代ギリシャの都市国家」における直接
民主制である。当時のギリシャでは、政治形態を三種に分類して考えるのが一
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般的であった。すなわち、君主制(monarchy)、貴族制(aristocracy)、民主制
(democracy)の三種である。この分類法自体は、それほど違和感を与えるもの
ではあるまい。むしろ、問題は、この分類が何を第一の基準にしていたのかと
いう点にある。
その解答を敢えて単純に言うならば、統治者の数だということになろう。具
体的には、それが一人なのか、一部の者なのか、全員なのかということである。
君主制には一人の統治者がおり、貴族制には一部の統治者がいる。それに対し
て、民主制は、まさに「demos(人民)と kratia(権力)とを結合したもの」、
すなわち全員による統治だというわけである。繰り返すが、この分類は、あく
までも統治者の数に基づくもので、世襲支配か否かを基準にしているのではな
い。だから、貴族制にしても、一部の優れた者による統治をも含意するもので
あって、必ずしも世襲の貴族身分の者による統治だけを指すのではないのであ
る。
●共和政体は「民主国」or「共和国」?
この基本定義を確認した上で、今度は『広辞苑』による「民主政治」の項目
を見てみよう。そこでは、民主政治の反対語として「独裁政治」が挙げられて
いる。この点は、正しい。なぜなら、統治者が唯一人という意味での「君主制
(王制)」は、まさに独裁――必ずしも悪政や弾圧とは限らない――に他ならな
いからである。逆に言えば、単に君主が存在するという事実のみによって、当
該国を「君主制(王制)」に分類することは出来ないということになろう。実際、
スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、スペイン、イ
ギリス、ルクセンブルクといった民主制国家にも、王や大公は存在するのであ
る。
ともあれ、古代ギリシャ以来の政体分類法は、早くも明治一〇年代には日本
でも紹介されていた。長束宗太郎『民権家必読主権論纂』(一八八二年)には、
以下のように記されているのである。
ブラックストーン英法註釋總論ニ曰古代の政治學士ハ三種の政体ヨリ外に
デ モ ク ラ シ ー
政府ノ成立ツヿヲ許ス者ナシ即第一ハ共和政体 ハ主権ヲ持テ自由人民ヨリ
ア リ ス ト ク ラ シ ー
成立ツ集合体ニ住层セシムル者、第二ハ貴族政体、是ハ主権ヲ以テ社会中
モ
ナ
ー
キ
ー
ヨリ選抜セラレタル若干人中ニ住层セシムル者、第三君主政体、是ハ主権
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ヲ以テ一人ノ手ニ委任スル者……(文中:ヿ=コト)。
上に記された内容自体には、何ら問題はない。ただし、そこでは、デモクラ
シーに対して、「民主政体」ではなく、「共和政体」という訳語が宛てられてい
モ
ナ
ル
キ
ー
ア リ ス ト ク ラ シ ー
デ モ ク ラ シ ー
るのだ。同書には、「帝王政治ト貴族政治ト共和政治」という記述も登場する。
これまた、訳語として誤っているわけではない。明治一五年の時点では、多く
の西洋語が、まだ定訳を獲得していなかったからである。とは言え、明治一ケ
タの時代に西周が講じた『百學連環』――百科事典の意――の筆録では、「此
君
主
ノ
治
民
主
の
治
政体なるものに二ツあり。一をMonarchyとし、一をDemocracyとす」となってい
る。これは、「君(=君主)」を主(あるじ)とする統治と、「民」を主とす
る統治との訳し分けなのだろうが、何にせよ、デモクラシーに対して、西周は、
「共和……」ではなく「民主……」という訳語を宛てているのである。
実は、長束宗太郎の『民権家必読主権論纂』にも、
「民主」という字句は登場
している。すなわち、
「君主国民主国ノ間ニ判然タル一大分界アルハ他ナシ」と
いった箇所である。ここでは、民主国と君主国が互いに反対語になっている。
つまり、「民主の治(democracy)」と「君主の治(monarchy)」を対立させた西
周の図式と、基本的に同じなのだ。となると、長束宗太郎の用語法では、君主
国の政体が君主政体で、民主国の政体が共和政体だということになろう。しか
しながら、長束宗太郎は、別の箇所で「共和国即民主制度ヲ用ル国」とも述べ
ているのだ。こちらの場合は、民主国の政体が共和政体なのではなく、共和国
の政体が民主制度だということになってしまう。はっきり言ってしまえば、用
語が混乱しているのである。この混乱は、現在に至っても解決しているとは言
い難い。
●「民主制」と「共和制」の区別が不明確
そこで、今回の論題の第二である「共和国/共和制」という語について、少
し検討してみよう。現代の日本語において、
「共和政体(共和制)」や「共和国」
といった語は、デモクラシーの訳語ではなく、リパブリック、すなわち「republic
(英)/république(仏)/Republik(独)」の定訳となっている。簡単に言え
ば、デモクラシーが民主制で、リパブリックが共和制だというわけである。な
るほど、翻訳のことだけを考えれば、これで解決なのかもしれない。だが、
「共
和制」と「民主制」は、いったい何がどう違うのだろうか。おそらく、
「共和制
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(共和政体)」や「共和国」といった翻訳語は、日本語を母語とする我々にとっ
て、かなり分かりにくい言葉の一つであろう。ともあれ、それに関する『広辞
苑』の記述は、以下のとおりである。
【共和国】共和制の国家。
【共和制】(republic)主権が国民にあり、国民の選んだ代表者たちが合議
で政治を行う体制。国民が直接・間接の選挙で国の元首を選ぶことを原則
とする。共和政体。⇔君主制。
これらの説明そのものは、特に分かりにくいものではないだろう。しかしな
がら、
「共和制(republic)」と「民主制」との違いは、ここからは全く見えて来
ない。さらに言えば、『広辞苑』では、「共和制=共和政体」と「君主制」とが
反対語とされているが、西周は「君主の治」と「民主の治」を対立させ、長束
宗太郎は「君主国」と「民主国」を対立させていたはずである。つまり、
「君主
……」の反対は「民主……」とされていたのであって、
「君主……」と「共和…
…」とが対比されていのではなかったのだ。これらの不整合や齟齬の根本原因
は、結局のところ、日本語の世界において、
「民主制」と「共和制」とが、混同
あるいは同一視されているという点に求められよう。実際、
『広辞苑』には、次
のような記述も存在するのである。
【代表民主制】国民・住民が議員その他の代表者を選挙し、それを通じて
政治に参加する制度。間接民主制。
この説明と、先出の「共和制(republic)」の項目とを比べてみよう。それら
の内容は、誰がどう見ても、ほぼ同一なのだ。もちろん、現に用いられている
日本語の説明として、
『広辞苑』の記述が誤っているのではない。むしろ、日本
語の世界では「民主制」と「共和制」との区別が不明確だという事実が、
『広辞
苑』にも反映されているのである。この問題を解決するためには、日本語の世
界から少し離れ、そもそも共和制や共和国とは何なのかを知っておくことが、
どうしても不可欠であろう。
●共和制の本質
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デモクラシーの語源がギリシャ語「demokratia」であるのに対して、リパブ
リック(republic/république /Republik )という語は、ラテン語の「res
publica」に由来している。つまり、民主主義が古代ギリシャを起源とするのに
対して、共和国(共和制)の方は――少なくとも直接的には――古代ローマを
起源としているのである。ともあれ、ラテン語の「res publica」は、英語に直
訳すると「public thing」となり、フランス語に直訳すると「chose publique」
となる。そして、これらの横文字を日本語に翻訳すれば「公共の事物」となる
のだが、平たく言ってしまえば、
「みんなの物」あるいは「全員の物」というこ
とである。具体例を示せば、イタリア共和国という日本語国名は、
“みんなの物
たるイタリア”という意味なのだ。ちなみに、「共和国」の正当な構成員こそ、
「市民(citizen/citoyen)」に他ならない。
いずれにせよ、共和国(共和制)の定義において、君主の有無も普通選挙の
有無も、本質的な規準ではない。また、共和国は君主国の単なる反対語でもな
ければ、共和制と民主制が同意語であるわけでもない。さらに、君主による統
治が、それ自体で必ずしも悪姓や暴政と同値であるわけでもない。少なくとも
言葉の上では、一人の君主が統治を担当していたとしても、その国が君主の物
ではなく、全員の物であれば、それは共和国だという理屈も成り立つのである。
この理屈は、詭弁や空論ではない。そのことは、歴史的な出来事が例証してい
る。
一八〇四年一二月、ナポレオン・ボナパルトがフランスの皇帝(empereur)
に即位した。当時、革命によって国王(roi)という地位が廃されていたことも
あって、皇帝という称号が選ばれたのである。まあ、称号が何であれ、ナポレ
オンが独裁君主であったことは、厳然たる事実である。ところが、一八〇六年
頃から発行された硬貨には、表に「皇帝ナポレオン(NAPOLEON EMPEREUR)」、裏
に「フランス共和国(RÉPUBLIQUE FRANÇAISE)」と刻まれているのだ。つまり、
ナポレオンは、フランス共和国の君主だというわけである。内実はともかく、
形式的にはそのように自称していたのだ。ナポレオンは、何も無茶苦茶な屁理
屈に乗っかっていたのではない。フランス革命に思想的な影響を与えたルソー
は、一七六二年に著した『社会契約論』の中で、次のように述べているのであ
る。
たとえどのような形の行政統治の下に置かれていようとも、私は、法によ
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って治められる国家を全て共和国と呼ぶ。なぜなら、その場合にのみ、公
共の利益が指針となり、公共の事物(chose publique<res publica=共和
国)が実在の事物になるからである。
上のような理由から、ルソーは、君主制の共和国の存在可能性を否定してな
かった。すなわち、「政府が主権の代行者(ministre)であるならば、君主制
(monarchie)でさえ共和国(république=共和制)なのだ」と明言しているの
である。逆に言えば、君主制か貴族制か民主制かといった分類と、共和制(共
和国)か否かの区別は、別次元の問題だということになろう。政体の形式が何
であれ、みんなの物である国家において公共の利益を指針とする統治が行われ
ること、これこそが、共和制(共和国)の本質規定なのである。
●「民主制」と「共和制」の区別が不明確
一方、日本語の「共和」からは、このような意味は汲み取りにくい。民主主
義の「民主」とは違い、共和制の「共和」は漢語に由来しているからである。
漢語の「共和」は、古く司馬遷の『史記』にも登場し、元来は、周代に召公と
周公が合議で政治を行ったことから、独断専横ではなく、複数の者の共同和合
による合議政治を意味する言葉あった。すわなち、共に和して合議で政治を行
うということである。先出の『広辞苑』もまた、共和制を「……合議で政治を
行う体制」と定義していたことを思い出そう。要するに、
「共和」が「合議」と
結び付き、さらに合議が議会を想起させ、ひいては代表民主制へと連想が繋が
っていったのであろう。このような経緯から、『広辞苑』の記述において、「共
和制」と「代表民主制」の説明が、ほぼ同じ内容になったと思われるのである。
しかしながら、共和制は合議制のことでもなければ、代表民主制の同義語で
もない。さらに言えば、ナポレオンがフランス共和国の君主を――実情はとも
かく――自認していた事実に照らせば、共和制は君主制の反対語でもないので
ある。日本語の世界では、これらの諸点が広く理解されて来なかった。だから
こそ、共和制と代表民主制が混同されていたのである。
※ナポレオンが、姓の「ボナパルト(Bonaparte)」ではなく、名の「ナポレオ
ン(Napoléon)」で呼ばれることからも、その君主的性格は明らかである。
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●「共和」が「合議」と誤解されている日本
問題は、言葉の世界だけに留まらない。共和制(共和国)に対する理解を欠
く民主制は、普通選挙や多数決といった形式手続だけに堕してしまう危険性が
非常に高いからである。すなわち、普通選挙で代表者を選び、その代表者によ
る議会において多数決を行えば、それで事足りるとなってしまうのだ。これで
は、トクヴィルの言う「多数の暴政」にしかなるまい。多数派であれ少数派で
あれ、
「みんな」が国民の一員であることに違いないという事実を無視ししてし
まえば、民主的手続は国内対立と多数派工作しか生まないのである。これでは、
最悪の事態だ。
もちろん、この種の問題は、多くの論者によって指摘されて来た。例えば、
ケルゼンは、『デモクラシーの本質と価値』の中で、「少数保護は議会主義デモ
クラシーのあらゆる近代憲法において保障せられているいわゆる基本権、自由
権、または人権、公民権の本質的機能である」とした上で、少数派代表の必要
性に関して、次のように述べているのである。
少数が多数意思の上に及ぼす電気感応のような影響は、この一つまたは数
多くの少数がより強力に議会に現れれば現れるほど、ますます重大となら
ねばならないからである。比例選挙制度は、多数の意思が無制限に少数の
意思を支配することを妨害すべきあの自由の傾向を強めていることは、疑
う余地がない。
現実問題として、民主制――特に近代以後の間接民主制――という統治形式
の土台には、共和制という基本理念が不可欠なのだ。そうでなければ、民主制
が単なる手続として正当化され、「多数の意思が無制限に少数の意思を支配す
る」という事態が生じてしまうからである。多くの欧州諸国では、そのことが
大きな困難を伴わずに受け入れられて来た。古代ギリシャを起源とする「デモ
クラシー(民主制)」や、古代ローマに由来する「リパブリック(共和制)」が、
たとえ直接的な連続性を欠くにせよ、自分たちの歴史の中で把握されて来たか
ら で あ る 。 実 際 、 デ モ ク ラ シ ー は 、 英 語 で 「 democracy 」、 フ ラ ン ス 語 で
「démocratie」、ドイツ語で「Demokratie」だし、リパブリックは、英語で
「republic」、フランス語で「république」、ドイツ語で「Republik」だといっ
た次第で、それぞれの言語の中に、共通の歴史が刻み込まれているのである。
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これに対して、西洋の知識や文化を未消化のまま輸入することを余儀なくさ
れた日本では、
「共和」の意味が「合議」と誤解されたまま、普通選挙や多数決
といった形式手続だけが取り入れられてしまうことになった。挙げ句の果てに
は、単なる多数決が民意と誤解されることさえあるのである。いずれにせよ、
少数意見が負け犬の遠吠えにしかならない政治は、烏合の多数派工作しか生み
出すまい。それを避けるためには、第一の前提条件として、民主制と共和制と
の違いぐらいは正しく位置づけておく必要があろう。
●ギリシャ語の場合
とは言うものの、ややこしい問題も存在する。ラテン語より古い歴史を持つ
ギリシャ語では、共和国と民主主義とが、他の西洋諸語と同様には区別されて
いないのだ。例えば、ギリシャ共和国(=エレニキ共和国)ラテン文字表記の
ギリシャ語で表せば「Ellinikí demokratia(dhimokratía)」で、その英訳は
「Hellenic Republic」、仏訳は「République hellénique」となる。よく見比
べれば分かるとおり、ギリシャ語で民主主義を意味する「demokratia」が、こ
こでは「republic/république」、すなわち「共和国」に対応しているのである。
※なお、「 demokratia 」と「 dhimokratía 」は、ギリシャ文字では両語とも
「δημοκρατία」と表記され、これをラテン文字転写する際に生まれた二流儀に過
ぎない。要するに、どちらも同じなのだ。
とな ると 、素 朴な 疑問 が生 じて しま う 。民主 主義 と共 和国 が両 方とも
「demokratia」ならば、ドイツ民主共和国(Deutsche demokratische Republik:
旧東独)は、ギリシャ語で何と言うのだろうか。答えは、
「Laïkí demokratia tis
jermanías 」 で あ る。 こ の 場合 、 「 jermanías 」 は ド イツ で 、 「 demokratia
(dhimokratía)」は共和国を指すのだが、「Laïkí」の表示義は「民主」ではな
い。ギリシャ語の「Laïkí」は、「人民」あるいは「人民の」を意味する言葉で
ある。おそらく、この「Laïkí」という語の中に、「みんなの物」という含意が
込められているのだろう。ともあれ、「Laïkí demokratia(dhimokratía)tis
jermanías」を直訳すると、「ドイツ人民共和国」ということになるのである。
しかしながら、古代ギリシャの哲人プラトンが著した『国家(Politeia)』と
いう書物の英訳タイトルが『The Republic』で、仏訳タイトルが『La République』
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であることを見ても、「共和国」に近似した概念は、すでに古代ギリシャにも
存在していたと考えられよう。あるいは、ギリシャの場合も、自文化の歴史と
伝統に照らした用語法が採用されている点では、他の欧州諸国と違いあるまい。
少なくとも、舶来文化の急速な輸入を迫られた日本とは、かなり状況が異なる
のである。まあ、複雑な歴史を持つギリシャが、第二次世界大戦後になっても
軍事独裁政権を経験したことは事実なのであるが……。
●日本の場合、「民」の反対は「君」ではなく「官」
日本語として定着した「民主主義(民主制)」は、もう一つ厄介な問題を抱え
ている。それは、
「民」を「主」とするという表現が、現代語の日常感覚におい
て、「君(君主)」を「主」とすることの反対語ではないという点である。なる
ほど、明治初期には、
「君主の治」と「民主の治」を区別した西周も、
「君主国」
と「民主国」を区別した長束宗太郎も、
「君」と「民」を両極に置いていた。両
者が用いた対立図式は、君主制、貴族制、民主制という古典的な三分類と矛盾
するものではない。しかしながら、今日の日本語の中で、
「民」の反対側の極に
あるのは、「君」ではなく、むしろ「官」なのである。
実際、二一世紀初頭の日本において、
「官から民へ」の標語の下、いわゆる聖
域なき構造改革が進められたことは、記憶に新しいだろう。さらに時間を遡れ
ば、星新一が『人民は弱し官吏は強し』と題する伝記的小説を出したのは一九
六七年のことであった。いずれの場合も、今日の日本語の中で「民」と対比さ
れたのは「官」なのである。このことに、
「民主」に「主義」が付け加わってい
る状況を加味すれば、民主主義とは、「民」が「主」となるために、「官」によ
る上からの統治に反対する思想だという、何とも奇妙な誤解が生まれてしまう
ことになるのだ。
言うまでもなく、普通選挙で選ばれた代表者による議会が決定を下し、その
決定を全体の奉仕者たる公務員が遂行すること、それが今日の民主制国家の大
原則である。となると、国の政務を執行する機関である「官」こそが、民主主
義の第一の担い手だということになろう。逆に、なるべく多くの事柄を「民」
の自由に任せるというのは、極端な話、政治の放棄でさえある。全員の一票が
届かない場所での決定や、私的行為の遂行などは、全て民主制の枠外にある行
為だからである。
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●日本は本当に議員や公務員の数が多いのか?
民主的な政府の役割は、全員のために、私的自由や市場原理だけでは実現で
きない公共利益を保護することに他ならない。そして、全体の声を国政に反映
させるためには、充分な議員定数が不可欠である。実際、イギリスやフランス
の人口は共に六千数百万なのだが、両国の下院議員の定数は、順に六四六と五
七七である。人口八千万強のドイツでも、現在の下院議員数は六二二人である。
また、アメリカの場合、連邦議会の下院定数は四三五であるが、ほとんどの州
に上下両院が置かれており、人口約一三〇万のニューハンプシャー州でさえ、
その下院定数は四〇〇(三七五以上)なのである。これに対して、日本の人口
は一億二千万を超えるにもかかわらず、その衆議院の議員定数は四八〇に過ぎ
ない。
もちろん、不可欠なのは議員数だけではない。全体の利益に奉仕する
公務員もまた、民主国家には不可欠なのだ。しかしながら、人口あたりの公務
員数を見ても、日本は、被傭者の約二割を公務員が占めるフランスはもとより、
アメリカと比べても少ない。フランスでは、一九八〇年から二〇〇八年までの
間に、地方公務員が七一%も増加し、国家公務員も一四%増加しているのだ。
例えば、二〇〇一年の時点では約三万八千人だったパリの公務員数は、七年間
に一万人ほど増加し、二〇〇八年末で約四万八千人になっているのである。つ
いでに、人口約二一七万のパリには、市会議員が一六三人いることも付け加え
ておこう。
いずれにせよ、
「デモクラシー」が「民主」+「主義」という形で和訳された
ことが、それ自体は何ら誤りではないとは言え、日本における「デモクラシー」
理解を混乱させてしまったことは事実であろう。そして、
「共和」という字面に
よって、
「共和国」や「共和制」に対する誤解が引き起こされたこともまた、否
定し難いだろう。もちろん、このような事態は、
「民主主義」や「共和国」とい
った訳語に限ったことではない。それは、日本語の宿命において、まさに氷山
の一角なのだ。ともあれ、西洋語の和訳にまつわる問題は、単なる言語的な次
元に留まらず、政治的な世界にまで深く影響を及ぼしているのである。
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