「捨てて得る」という生き方 日本基督教団姫路福音教会牧師 田添禧雄 今

「捨てて得る」という生き方
日本基督教団姫路福音教会牧師
田添禧雄
今の時代を見ると、確かに、例外はあるけれど、豊かな時代になった。戦後のハング
リーな時代は、今思うと嘘のようである。しかし、逆に、余りに豊かな物を持ち過ぎる
ために、物ばかりでなく、多量の情報を持っている故に、何が本当に大切なものなのか、
何が真実なのかが非常にわかりにくくなっている。
もう故人となった私の恩師で、普段余り気が付かないようなことを、全く予想もしな
い仕方で大切な真理を示唆して下さった青山学院大学教授の脇屋義人という先生がおら
れたが、先生は茶人で、たくさんの茶碗を蒐集されておられたが、ある時、行きつけの
万 集 堂 と い う 骨 董 屋 に 行 く と 、 主 人 は 、 先 生 に 一 個 の 楽 茶 碗 を 見 せ 、「 相 当 時 代 の あ り
そ う な 茶 碗 じ ゃ な い か 、 一 体 誰 の 茶 碗 」 と 思 わ ず 言 わ れ る 脇 屋 先 生 に 、「 光 悦 」 の 作 に
持 っ て 行 く よ り 仕 方 が な い 茶 碗 だ と い い 、「 実 は こ の 茶 碗 は あ る 事 情 が あ っ て 手 に 入 れ
たもので、先生に現金売ろうとは思っていませんよ。先生の蒐集された茶碗の中から、
卒業してしまったものだけを出して下されば」ということで、脇屋先生はその茶碗を手
に入れた。このことを脇屋先生はこういっている。
「この話をすると、ひとは、私がみすみす損をしたともいい、道具屋の口車に乗った
お人よしといった人もある。しかし老境にある私は、多くを所有する煩わしさより、自
分の好きなもの少しを、身辺に置いて、日常を楽しむ考え方を探りたいのである。私は
あえて、道具屋に欲しいだけを持って行かせたのであった」
この話はただ単に茶碗のことではない。脇屋義人という人の生き方を如実にあらわし
ているのである。人生の中でなくてはならぬものは多くはないということを、端的にい
いあらわした出来事といえよう。物質的な豊かさの中で、何が重要であり、一つのもの
の意味とか、重さということを考えさせる話である。脇屋先生のように、捨てることが
必要なのではないだろうか。
私はもう一つ、そのような生き方を実際にした人物を紹介してみたい。
私がかつて牧師をしていた教会に伊藤甲子次郎さんの御父様の伊藤幸次郎氏のことで
あ る 。 伊 藤 幸 次 郎 氏 は 財 団 法 人 四 百百荘 を 設 立 さ れ た 方 で あ る 。 氏 は 、 は じ め か ら 資 産 家
であったのでなく、幼くして父親を亡くし、母親の八百屋の手伝いをしながら苦学して
いた。幸い才能が豊かであり、後援者らの奨学金によって大学を出、その間いろいろな
遍歴もあったが、東洋汽船から満州日報社社長を経、現在、大会社となった日本鋼管株
式会社(現在は社名が代わった)を創設するにあたり初代取締役支配人・取締役になら
れ、粉骨砕身、早々期の会社のため働かれたのであった。かくして財を成したのである
が、最初からそれを私有する考えは毛頭なかったのである。あるとき、幸次郎氏はご夫
人の遺言書をこっそり見ると「学資の乏しき者のために一切の財産を提供したい」と認
めてあり、図らずもご自分の遺言書の趣旨と全く一致していたのである。そこで伊藤夫
妻 は 生 前 に す べ て の 財 産 を 、 大 正 七 年 九 月 三 日 付 け で 「 財 団 法 人 四 百百荘 」 を 設 立 し 、 寄
贈 さ れ た の で あ る 。 因 み に 「 四 百百荘 」 と は 二 百 が 四 つ で あ る か ら 八 百 、 即 ち 八 百 屋 を 意
味している。己の出所を明らかにすると共に、子々孫々に至るまで祖先の八百屋である
ことを記念し、またその苦学を覚え、苦学生に奨学金を提供しようとしたのである。
伊 藤 幸 次 郎 夫 妻 の こ の 動 機 と 心 境 を 詳 し く 知 る の に 遺 言 書 の 一 部 を 見 る と 、「 予 ハ 既
ニ人生行旅ノ半バヲ過ギタリ今静ニ往事ヲ追懐スレバ予ノ五拾餘年ノ幸福ナル生涯ハ一
トシテ神恩ノ漲溢ニ非ラザルハナシ然ルニ此間ニ於ケル予ノ行動ニシテ能ク世道人心ヲ
稗益セルモノ果シテ幾何カアル思フテ茲ニ至レバ衷心實ニ慚愧ニ堪ヘザルモノアリ是レ
予ガ曩ここニ寄附行為ニ依リ財団法人四百荘ヲ設立シ今又財産ノ残部ヲ挙ゲテ之ヲ四百
荘ニ寄附シ以て聊カ神ニ対シ感謝シ微意ヲ表セント欲スル所以ナリ」
ま た 、 お 子 様 方 へ の 遺 言 書 に は 、「 汝 等 ニ 何 等 遺 贈 ス ル モ ノ ナ キ ハ 誠 ニ 御 気 ノ 毒 ナ リ
去リ乍ラ世ノ朽ツベキ些些タル物質ノ遺贈ヲ受クルヨリモ寧ロ此機会ニ於テ朽チザル至
大無限の天恵ヲ与ヘラレタルモノト云フヲ得ベシ汝等先ヅ与フルコトヲ勉メヨ得ルコト
ヲ考フル勿レ願クバ自我利己ヲ棄テテ神ノ為メ又人ノ為に犠牲的生活ヲ送ルコトヲ努メ
ヨ又之ヲ以テ子孫ヲ誡メラレンコトヲ望ム」とある。
財団法人創設以来92年を経た今日なお四百荘の奨学金を受け、数多くのよき働き人が
育 成 さ れ 、 社 会 に 送 り 出 さ れ て い る の を み る 時 、「 一 粒 の 麦 」 と し て の 伊 藤 幸 次 郎 氏 ご
夫 妻 を 見 る の で あ る 。( 現 在 は こ の 基 金 は す べ て 東 京 神 学 大 学 へ 寄 贈 さ れ た 。)
はじめに述べたように今の時代、豊かな恵まれた時代に、このような「捨てて得る」と
いう逆説的人生を生きた証のあることを知る時、私たちも、自分の生き方、職業の選択
とか結婚など人生の岐路にあって、ただ多くの人のとる、安全な道のみを辿るのでなく、
多くのものを捨てて、<実は得るのであるが>,逆説的な人生を生き、自己のためのみ
に生きるのでなく、社会のため、人のために生きてみたいものである。それは必ずしも
大業な事としてでなくても、私たちの生活の中で小さな業としてでも生かしてみたいも
のである。そしてそこに真の自由な生き方を見出したいものである。