ジュマ・ネット通信

バングラデシュ・チッタゴン丘陵地帯の平和を求めて
July 2010
VOL 22
ジュマ ・ ネット通信
発行;ジュマ・ネット 〒 110-0015 東京都台東区東上野 1-20-6 丸幸ビル 5F
TEL・FAX 03-3831-1072 Email [email protected] URL http://www.jummanet.org
撮影地:バングラデシュ、チッタゴン丘陵地帯バンドルボン県のチンブック山ムロー民族の村にて
撮影:渋谷敦志
チッタゴン丘陵地帯を訪れると誰しも、
美しい景色とそこに隠された厳しい現実との悲しいコントラストに
心を痛めずにはいられない。
どんなに美しい山の景色の中にも、湖や川の景色の中にも、
そしてそこで暮らす人々の笑顔の中にさえ、
目に見えない苦しみが潜んでいる。
でも必ずこの美しい景色を心痛めることなく純粋に楽しめる日はくる。
心の痛みをそう信念に変えて。
●CHT委員会活動報告・・・文・写真 トム・エスキルセン(共同代表)
ト リ ー・ ビ ハ ー ル( 慈 悲 寺 ) と 呼 ば れ る 仏 教
寺 院 で す。 本 堂 の 焼 け 跡 に 痛 々 し い 姿 で 置 か
れた仏像が襲撃の凄まじさを物語っていまし
人ほどのベ
た。若い住職は次のように証言しました。
『
日 の 昼 過 ぎ、 ナ タ や 棒 を も っ た
ン ガ ル 人 入 植 者 が 境 内 に や っ て き て、 本 堂 の
む 約 5 0 0 戸 の 家 屋 が 全 焼 し、 ジ ュ マ 2 名 が
る 2 つ の 学 校、 6 つ の 農 村 開 発 セ ン タ ー を 含
国 境 な き 医 師 団 の 診 療 所、 B R A C が 運 営 す
見 え ま し た。 今 回 は 2 回 目 の 襲 撃 事 件 で す。
け ま し た。 そ の 背 後 に は、 多 く の 兵 士 の 姿 が
り 落 と し て 捨 て ま し た。 そ し て 本 堂 に 火 を つ
き り 分 か っ て い ま せ ん が、 ど の 報 告 も 大 半 の
実 施 さ れ て お ら ず、 未 だ に 被 害 世 帯 数 も は っ
て い ま し た。 2 0 0 8 年 4 月
経緯を聞きました。『問題は2年前から始まっ
集会所で待っていたジュマ住民から事件の
日、 土 地 収 奪
被 害 者 が ジ ュ マ 民 族 だ っ た と 認 め て い ま す。
です』
。
こ の ま ま で は、 住 民 は 平 和 な 生 活 を 回 復 で き
戸 が 全 焼 し、 ベ ン ガ ル 人 1 人 が 死
銃 弾 で 死 亡 し、 数 十 名 が 負 傷 し ま し た。 2 月
〜
ま せ ん。 そ の 苦 し み は 言 葉 に 尽 く せ な い ほ ど
とも
70
23
亡 し ま し た。 独 立 機 関 に よ る 本 格 的 な 調 査 が
60
日にはカグラチャリ市で放火により少なく
12
20
今年2月に大規模な襲撃事件が起こったラ
ンガマティ県バガイチャリとカグラチャリ市
日に
に、 6 月 下 旬 C H T( チ ッ タ ゴ ン 丘 陵 ) 委 員
〜
扉 を 壊 し、 貴 重 品 を 略 奪 し ま し た。 ま た、 ご
会 と 一 緒 に 行 き ま し た。 今 年 2 月
土 地 争 い に 端 を 発 し た 襲 撃 事 件 で は、 バ ガ イ
本 尊 の ガ ラ ス 製 の 光 背 を 叩 き 割 り、 頭 部 を 切
20
チャリ地区の の村で、二つの仏教寺院、教会、
19
40
調査概要
バガイチャリ・カグラチャリの襲撃現場を訪問しました
モイトリー・ビハール(慈悲寺)は襲撃 4 ヵ月後も傷跡が痛々しい
ジュマの家屋
に抵抗したことがきっかけで襲撃事件となり、
戸 が 放 火 さ れ ま し た。 そ の 後
両事件とも警察や軍隊が多く駐留する場所で
20
発生しており、その役割が問われています。
バガイチャリ〜今も痛々しい焼け跡
ジュマの証言
バガイチャリで最初に訪問したのは、モイ
収 ま っ て い ま し た が、 2 0 1 0 年 1 月 に 土 地
る 不 買 運 動 を し て き ま し た。 一 旦 事 態 が 少 し
ベンガル人入植者が運営するバザールに対す
がらせが続き、ジュマは土地の返還を求めて、
も 軍 に よ る 不 当 逮 捕・ 拷 問、 入 植 者 に よ る 嫌
77
2
足に銃弾を受けたジュマ青年
糧配給を受けにきたジュマに軍が暴力をふる
収奪が再開し、世界食糧計画(WFP ) の 食
姿がありました』。
をもって放火して廻る入植者のそばに兵士の
2006年にチャクマの村長と相談した上で
害 者 は 援 助 物 資 を 受 け 取 っ て い ま せ ん。 元 々
その後、政府は被災者各世帯に米121キ
金として受け取った何百万タカもの金を返却
買 運 動 を 行 っ た だ け で な く、 農 産 物 な ど の 前
は あ り ま せ ん。 し か し、 丘 陵 民 は バ ザ ー ル 不
入 居 し て い ま し た。 無 理 に 土 地 を 奪 っ た の で
ロ、現金6200タカ、トタン1束(7〜8枚)
せず、1ヶ月間道路を封鎖し、出て行けといっ
い、ベンガル人入植者がジュマの教師と受験
を 配 っ た そ う で す が、 そ れ で は 家 を 再 建 す る
生たちを小屋に閉じ込める事件がありました。
に は 足 り ず、 焼 き 出 さ れ た 住 民 は、 残 っ た 家
日朝にベンガル人入植者が
小屋を無理に建てようとしたのをジュマが阻
そして今年2月
止したところ、その夜、兵士を後ろ盾 と し た
て脅迫してきました』
。
警官に助けを求めると「どうすることもでき
を ど う 続 け よ う か と 嘆 い て い ま し た。 青 年 が
銃 弾 で 亡 く な っ た 2 名 の 遺 族 は、 子 供 の 教 育
の 経 緯 を 聞 き ま し た。
『
日朝、丘陵民が軍の
カグラチャリ旅団長からバガイチャリ事件
軍の説明
に 数 家 族 ず つ 同 居 し て い る と の こ と で し た。
ない。逃げなさい」と忠告されました。翌朝、
銃 弾 の 傷 跡 を 見 せ て く れ ま し た。 国 連 開 発 計
戸のジュマの家に火をつけました。
ジ ュ マ 村 人 は 怒 っ て デ モ 行 進 を 始 め ま し た。
画 は 未 だ に 復 興 事 業 の 政 府 認 可 が 得 ら れ ず、
て病人を診ていました。軍や行政は、
山 か ら 銃 声 が 聞 こ え、 そ れ に 応 じ る 形 で 軍 は
士に切りかかり、軍曹に大怪我をさせました。
検 問 所 に 向 か っ て デ モ 行 進 し、 最 前 列 の 女 性
商売を疲弊させている不買運動を止
発 砲 し ま し た。 放 火 は 仮 面 を 被 っ た 丘 陵 民 テ
B R A C の 学 校 も 再 開 し て い ま せ ん で し た。
め な け れ ば、 W F P の 食 糧 配 給 を 止
ロ リ ス ト が 行 い、 そ の 流 れ 弾 に 当 た っ て 死 者
2名を殺害、多数を負傷させました。 そ し て
めるといってジュマに圧力をかけて
が で ま し た。 阻 止 し よ う と し ま し た が、 橋 が
たちの後ろからナタ等をもった男性たちが兵
い る と 聞 き ま し た。 一 方、 事 件 直 後
焼かれたため入れませんでした』
。負傷した兵
国境なき医師団だけが焼け跡にテントを張っ
軍との揉み合いとなり、兵士が銃を乱射して
入植者が
19
大規模な放火事件に発展しました。燃料の缶
に 陸 軍 の 旅 団 長、 地 元 司 令 官、 郡 行
士 や 手 製 ラ イ フ ル の 写 真 も 見 せ ら れ ま し た。
分 か か ら な い の に、 な ぜ 止 め ら れ
カグラチャリ市
なかったかの説明はありませんでした。
装道路で
し た。 た だ し、 事 件 現 場 ま で 陸 軍 基 地 か ら 舗
と「 国 連 か ら 補 償 金 を 得 る た め 」 と 言 わ れ ま
ジュマがなぜ自分の家に放火するのか尋ねる
政官が左遷されたと聞きました。
入植者の主張
バガイチャリへの道中でベンガル
人 入 植 者 に 車 を 止 め ら れ、 全 く 違 う
話 を 聞 か さ れ ま し た。
『警察が呆然
と 見 て い る 前 で、 丘 陵 民 の テ ロ リ ス
ト が「 ウ ジ ョ ー、 ウ ジ ョ ー( 進 め )」
と 言 っ て 押 し 寄 せ、 私 た ち に 銃 口 を
日に放火事件のあったカグラチャリ
し た。 ベ ン ガ ル 人 2 5 2 人 が 家 を 失
バガイチャリ事件に抗議するジュマ政党UP
市 で も、 似 た よ う な 話 を 聞 き ま し た。 発 端 は
2月
い、 バ ザ ー ル に 避 難 し て い ま す が、
DFのデモ行進がベンガル人と衝突したこと
向 け て 出 て 行 く よ う 命 じ、 放 火 し ま
10
23
世 帯 し か 認 め ず、 他 の 被
政府は
3
20
35
77
鋸左側の EU、CHT 委員会、宣教師の国外 3 者と
右側の PCJSS と UPDF の国内 2 者が
チッタゴン丘陵を国から切り離そうとしている風刺漫画
でした。マルマ人居住地区で
戸の家が放火
切 り 落 と す 風 刺 漫 画 が 載 る な ど、 そ の 活 動 を
(ベンガル人)の遺族は、家の火を消そうとし
と苦言を呈しました。死亡したアンワルさん
人と同じように話だけ聞いて去っていくのか
いない被害者たちは、CHT委員会も政府要
うです。僅かの現金とトタンしか支給されて
PB)と警察の拠点から助けは来なかったそ
に 提 言 し ま し た。 記 者 会 見 は、保 守 派 か ら 妨
和平協定に基づく駐屯地の撤退を書簡で政府
ガ ル 人 の 入 植 の 停 止、 土 地 委 員 会 法 の 改 定、
市 民 運 動 や 報 道 な ど 言 論 の 自 由 の 保 障、 ベ ン
実 施、 全 て の 被 害 者 の 生 活 再 建 と 安 全 確 保、
警察の役割も含め真相を究明する独立調査の
首 都 ダ ッ カ に 戻 り、 C H T 委 員 会 は、 軍・
文民統制を保ちながら和平協定を実施できる
号ニュースクリップ参照)。現政権がどこまで
問 題 を 強 引 に 片 付 け よ う と 動 い て い ま す( 今
と し て お り、 土 地 委 員 会 も ジ ュ マ 抜 き で 土 地
首脳はチッタゴン丘陵への支配を強化しよう
い る よ う に 見 え ま し た。 ま た、 軍・ 諜 報 機 関
よ る 負 の イ メ ー ジ を 払 拭 し よ う と、 も が い て
け る 報 道 も 見 ら れ ま し た。 政 府 は 襲 撃 事 件 に
CHT委員会の提言
ていた時に彼が殺され、ジュマらしい仮面を
害予告があり、数日後に野党ゼネストを控え
不 当 な 内 政 干 渉、 政 府 へ の 揺 さ ぶ り と 決 め 付
被った人々が逃げていくのを見たといってい
か、 雲 行 き は 怪 し く な っ て き ま し た。 C H T
日時点で
ジ ュ マ・ ネ ッ ト で は 今 回 の 襲 撃 事 件 の 被 害
万円を現地N
万円の貴重なご寄付を頂きました。特別
者への支援募金を呼びかけ、7月
約
会計からの繰入金と合わせて
い。当面は被害者へ食糧配給を続ける」とい
「事件を調査したが報告書はまだ公表できな
報告は次号以降になることをご了承ください。
が、 ま だ 承 認 の 目 処 が 立 っ て い ま せ ん。 結 果
担当省にプロジェクト許可申請をしています
定 で す。 4 月 初 め か ら 政 府 N G O 局、 C H T
われました。森林局長は、事件の起こった村々
去年夏の「和平協定実施ムード」は、今年
最後に
温かいご支援に心からお礼申し上げます。
きで、道路も森林局との相談無しに建設され
た と 言 い ま し た。 土 地 委 員 会 委 員 長 か ら は、
るのに、なぜ批判するのか」と文句を言われ
に 入 り、 地 域 評 議 会 を 違 憲 と す る 高 裁 判 決、
「ルール通りに土地問題を解決しようとしてい
ました。CHT担当大臣のタルクダール氏に
相次ぐ放火事件で、すっかり後退してしまっ
た 感 が あ り ま す。 保 守 系 新 聞 では、 C H T 委
は再三連絡しましたが会ってもらえませんで
した。
員 会 が 欧 州 連 合、 宣 教 師、 ジ ュマ 政 党 と 一 緒
にチッタゴン丘陵をバングラデシュから鋸で
なりました。
今回のCHT委員会ミッションの顔ぶれ
右からアドバイザーのメグナさん
ダッカ事務局ハナさん
国際事務局クリスティーナさん
委員のショ ポンさん
筆者
要になっていることを肌で感じる現地訪問と
平 和 構 築 キ ャ ン ペ ー ン も、 新 し い 突 破 口 が 必
た政府を刺激しすぎないよう見合わせました。
メラを壊され、警察が放火を呆然と眺めてい
た様子を話してくれました。市内には、 大 き
な陸軍基地もあるのに、昼過ぎに始まった暴
動を特殊部隊が止めに入ったのは夕方だった
そうです。
政府関係者の主張
20
GOマヌシェル・ジョンノを通して届ける予
80
65
は保護林にあり、住民は全員立ち退かせるべ
国 会 C H T 担 当 常 設 委 員 会 委 員 長 か ら は、
被害者支援募金
ました。地元ジャーナリストは、放火犯 に カ
されましたが、すぐ近くの武装警察部 隊( A
37
4
ジュマ・ネット 2010 年度 役員一覧
アドバイザー委員
2010年度 ジュマ・ネット会員総会が開催される
下澤 嶽(共同代表)
めることになります。「アドバイザリー委員」は、ジュマ・ネットに関心を
す。 2 0 1 0 年 度 は、 ト ム・ エ ス キ ル セ ン と 下 澤 嶽 の 2 名 が 共 同 代 表 を 務
プが生まれる環境をつくる必要があることを意識して、立ち上げた制度で
間を十分使えなくなっていること、また、できるだけ多くのリーダーシッ
会則の大幅改定が議論されました 2010年7月3日(土)
、JICA地球ひろば広尾の4階会議室
で、2010年度ジュマ・ネット会員総会が開催されました。
名 の 会 員 や 関 係 者 の 方 々 が 出 席 さ れ、 賑 や か な う ち に
無 事 終 了 す る こ と が で き ま し た。 司 会 と 総 会 の 議 長 は、 運 営 委 員
持ち応援したいと思っている方々の声を身近に聞ける場を設定し、ジュマ・
当 日 は、
の 北 村 賢 一 が 務 め ま し た。 ま ず 副 代 表 の ト ム・ エ ス キ ル セ ン の 挨 拶
ネ ッ ト を 応 援 し て も ら い や す く す る た め の も の で、 年 2 回 程 度 ア ド バ イ ス
通、 合 計
が 終 わ る と、 定 足 数 の 確 認 が さ れ ま し た。 議 決 権 を 有 す る 会 員 総 数
名、 委 任 状 が
をしていただく予定です。わかりやすく言えば「責任をとる必要はないので、
2 0 9 名 の う ち、 当 日 の 出 席 者 が
94
認されました。
組織体制の強化とキャンペーンの準備期間に
2 0 0 9 年 度 活 動 報 告 案 と 決 算 案、 2 0 1 0 年 度 活 動 計 画 案 と 予
くの方にお声をかけ、
名の方が引き受けて下さいました。
ま た こ れ ま で 長 年 監 事 を 務 め た 今 村 公 保 が 副 代 表 に 付 き、 よ り 役 員 の 体
制が強化されたことになります。
した。2010年度は、これまでの事務局スタッ
議 案 と し て、 会 則 の 変 更 と 新 し い 役 員 体 制 に つ い て、 説 明 が さ れ ま
への提言や情報交換をして頂きました。いろいろ有効な意見が出されまし
さ れ ま し た。 そ の 後、 4 つ の グ ル ー プ に わ か れ て、 自 由 に ジ ュ マ・ ネ ッ ト
総 会 の 議 題 に 関 し て は、 特 に 大 き な 修 正 案 が 出 さ れ る こ と は な く、 承 認
意見交換会
フ2名が退職し、新しいスタッフ体制となったた
たので、一部だけでもご紹介させていただきます。
2 0 0 9 年 度 の 署 名 キ ャ ン ペ ー ン の 成 果 に 続 き、
新しいキャンペーンの準備案などが紹介されまし
た。
会則の変更と新しい役員体制
今 回 の 会 則 変 更 は、「 共 同 代 表 」 の 制 度、 そ し
て「アドバイザリー委員」のふたつの新しい制度
を立ち上げるためのものでした。「共同代表」は、
そ の 後、 近 く の 居 酒 屋 に、
名 が 移 動 し、 こ れ ら の 議 論 が そ の 後 も 続 き
・キャンペーンにもっと市民が参加できる知恵はないか
・ベンガル人側の立場もきちんと伝えるべき
・大学と連携してスタディツアーができないか
・働きかける層をもっと絞った広報戦略を考えるべきではないか
・若い層が参加しやすいテーマや企画をもっと考えてほしい
・暗いニュースが多いので、人々の生活や文化が伝わる情報を増やすべき
め、慎重に事務局体制の維持と強化に努めること、
算 案 に つ い て は、 代 表 の 下 澤 嶽 か ら 説 明 し ま し た。 続 い て、 第 3 号
い い 意 見 や ア イ デ ア を 運 営 委 員 に く だ さ い 」 と い う こ と で す。 そ の た め 多
の有
29
効な出席数が確認され、総会開催の定足 数 を 満 た し て い る こ と が 確
68
これまで下澤嶽が7年以上にわたり代表を務めて
ました。
5
26
いましたが、仕事が静岡県になり以前のように時
20
副代表
運営委員
14
通訳
大学教員
僧侶
会社員
公務員
大学教員
パン屋
G・デザイン会社取締役
トム・エスキルセン
下澤嶽
今村公保
青山亜紀
北村賢一
木村真希子
早見英子
福澤郁文
共同代表
大学教員
NGO スタッフ
NGO 理事
ジュマ・ネット会員
会社員
団体職員
ボランティア
ボランティア
団体理事
会社員
NGO スタッフ
ボランティア
僧侶
会社員
会社員
上村英明
枝木美香
大畑豊
郡司真弓
佐藤充
神仁
高橋順子
津覇絹子
野口陽一
藤井文男
藤﨑文子
森本有紀
持田貫信
谷中美樹
監事 清水亜衣
 œ¦—”–k200957FQpƒ€201057Q
1^
Z_K
b
0
œ¥‘¢§Ž›§’§
1^
9g
WE21Ÿ˜¥
I%-4
–¡’_#
?B$i‘•
ŠŠ\C~'g
1^
D
;YD
w~
1^
`)ND
ž¤¥
pS
w~
8@^
57Wdg
U^
=
1^
4eG
“”’¥h+!=<
&3EŒŸ¥š§¥
w~
1^
]/X=<
£‹™]/X=<D
*,g=<D
w~
1^
œ¥‘¢§Ž›§’§7zr…
O„vHu†G 6(G
;YD
w~
1^
`)ND
ž¤¥
sˆ~|
w~
1^
RLb
RLf"b¨b1©
RLf"b¨b2©
RLf"b¨b3©
:ca>
M P
w~Tb
8@=^
8@=2j
57Wdg
57Wdg
U^
200957.V
4,943,255
1,370,000
3,430,255
143,000
12,209,653
1,010,000
850,000
9,009,653
840,000
500,000
1,041,785
225,420
816,365
1,237,190
350,500
373,840
512,850
19,431,883
2,593,666
22,025,549
201057Q
5,240,000
1,500,000
3,380,000
360,000
6,047,910
861,744
500,000
3,958,008
0
728,158
430,000
0
430,000
1,035,000
360,000
370,000
305,000
12,752,910
4,420,925
17,173,835
200957.V
3,980,138
3,303,091
669,170
7,877
1,472,662
271,842
1,052,564
148,256
1,861,922
450,249
304,001
846,442
261,230
802,094
237,750
233,095
331,249
6,079,901
2,737,890
2,178,960
340,660
360,000
127,494
334,897
14,196,717
5,235,166
2,593,666
7,828,832
22,025,549
201057Q
4,922,200
4,442,200
460,000
20,000
2,332,000
1,500,000
500,000
332,000
1,085,220
433,220
430,000
60,000
162,000
706,500
238,000
240,000
228,500
4,150,620
2,640,000
660,000
0
360,000
60,000
430,620
13,196,540
-443,630
4,900,515
4,456,885
17,653,425
*
2009 年度の当期収支差額 5,235,166 円のうち、3,047,901 円は未使用の助成金が含まれる。
ª200957~8@=2j5,235,166~oyl3,047,901AM~9gq‡†m
* 2010 年度の前年度繰越金は、2009 年度未使用助成金 3,407,910 円を 2010 年度の一般会計に繰り入れているため、
ª201057~57Wdgl200957AM9g3,407,910‰201057~[^}W…‡{n†x
その分を減額している。
‚lw~‰Jjt{n†m
( 注 ) 総会で提出した予算書に単純な集計ミスが見つかりましたので、それを修正した表を掲載しています。
このため収支差額がマイナスになり、この対応方法は現在運営委員会で話し合っております。
6
●CHTニ ュ ー ス ・ ク リ ッ プ
ジ ュ マ 政 党 を 管 理 下 に、
放 火 被 害 者 を 軍 の「 避 難
施設」に
今年5月5日に首相が座長を勤めたチッタゴン丘
陵に関する会議で、治安を改善する名目で次のよう
な重大な決定が下されたことが報じられ、ジュマ政
党が反発している:
2月のバガイチャリ/カグラチャリ襲撃事件で
家 を 焼 か れ た 人 々 を 陸 軍 が 監 督 す る「 避 難 プ ロ
ジェクト」に再定住させること。
②同地域で「治安を乱している」UPDF(統一
人民民主戦線)の活動を厳しく取り締まり、全て
の地域政党の登録を義務付け、管理を強化するこ
と。
CHT
NEWS
民族首長が土地委員会委
員長に苦言
ガントル紙7/5、ニューエージ紙7/6)
であり、激しい反発にあうだろうと警告した。(ジュ
協させようとする「政治プロセスを無視した強硬策」
PCJSSの改革派は、ジュマ政党を全国政党に妥
こと、その精神に反する内容を含むことを指摘した。
置を歓迎しつつ、CHT和平協定に言及していない
( チ ッ タ ゴ ン 丘 陵 人 民 連 帯 連 合 協 会 ) は、 一 部 の 措
シ ズ ム の 表 れ と し て 痛 烈 に 批 判 し た。 P C J S S
犯人」からUPDFに転嫁しようとする政府のファ
UPDFは、この計画を、政情不安の責任を「真
※ CHT とは Chittagong Hill Tracts
のことで、チッタゴン丘陵の意味
去年春に再結成された土地委員会の委員長は、い
ち早く土地紛争を裁定するために、すぐに土地台帳
調査を行うと発表し、土地に関する申立書を一定期
限 内 に 提 出 す る よ う 住 民 に 通 達 を 出 し て い る。 し か
し、チッタゴン丘陵の三人の民族首長(チャクマ/
モ ン / ボ マ ン・ ラ ジ ャ) は、 土 地 争 議 の 裁 定 を 行 う
前 に 土 地 台 帳 調 査 を 実 施 し な い よ う、 土 地 委 員 会 委
員長に手紙で要請し、一般に土地台帳調査では、土
地を占有している人に一定の権利を追認することが
多く、土地所有を明確にしないまま実施すれば、土
地収奪を合法化しかねないと警告した。CHT和平
協定にも違反するという。
首長たちはCHT和平協定と矛盾する条項(委員
長の最終決定権など)を含む2001年土地委員会
法 の 改 正 を 政 府 に 提 言 し、 法 が 改 正 さ れ る ま で 活 動
を中断するよう要請した。また、全委員の合意を得
る ま で 住 民 へ の 通 達 を 行 わ な い よ う 要 請 し た。 し か
し土地委員会委員長は「土地台帳調査こそ、問題解
、デイリースター紙7/
)
決 の 早 道 」 と 力 説 し、 反 発 し て い る。( プ ロ ト ム・
アロ紙7/
と心配である。
翻
< 訳 トム・エスキルセン
>
■ ト ム 解 説 : 土 地 台 帳 調 査、 申 立 書 提 出 命 令 の 決 定 は、
土地委員会のジュマ側委員である民族首長、地域評議会
議長、県評議会議長が参加しなかった会議で決められた。
委 員 長 は、 ル ー ル 通 り に 招 集 し 定 足 数 を 満 た し た 会 議
だったと主張している。不信感からジュマ民族はほとん
ど申立書を提出しておらず、ベンガル人の申立書だけが
土 地 委 員 会 に 多 数 届 い て い る。
「この申立に異議があれ
ば、すぐに回答するよう」命じる通達がジュマ側に届き
はじめているらしい。この非協力姿勢が裏目に出ないか
30
③ 早期に県評議会と地域評議会の選挙を実施する
こと。その際、有権者は自分の属する民族の委員
だけを選び、定められた民族枠に従って評議会を
構成すること(UNDP(国連開発計画)提案)
。
④ ケシの栽培を取締り、他の作物の栽培を奨励す
ること。
⑤ 県境を改め、バガイチャリ郡をカグラチャリ県
に編入すること。
⑥諜報機関の連携を強化すること。
⑦国境警備軍と民兵組織を強化すること。
⑧「 戦 略 管 理 フ ォ ー ラ ム 」 を C H T 省、 内 務 省、
国防省、森林局、諜報機関、先住民族首長で結成し、
以上の施策を行うこと。
7
15
①
アースデイの『マルハバ!パレ
スチナ』のブースでパレスチナ
の商品を物販中、ちょっと一息
入れている岡 美由紀さん
●ジュマでつながる人々
ジュマとの出会いは、私たちが私たちの社会について
私は初めての海外渡航が2002年のバン
れたジュマの村を訪れて、殺害された家族の話や実際に被害を受けた
ラチャリ県へ行ったのですが、マハルチャリの襲撃事件で焼き打ちさ
2006年には、ジュマ・ネットのスタディツアーに参加してカグ
状態で少し大変でしたね。
していました。検問所で足止めされるたびに、ここから先へ進めるの
かどうかわからない、いつ目的地に着くのかわからない、という緊張
はいくつもの検問所があって何度も足止めされました。ちょっと小高
い所には軍の監視小屋のようなものがあって、兵士が銃を持って監視
金が尽きるとそのまま放置して、お金ができたら建築が再開する、そ
れがバングラデシュの建築の仕方だったのですね。
混沌としたチッタゴン市内を抜けて、ランガマティに向かう途中に
グラデシュでしたので、チッタゴンの空港から出てすぐに驚く事もあ
りました。
バングラデシュに向かう途中でタイのバンコクによったんですけれ
ど、バンコクは道もきれいで建物も風景も日本とそんなに変わりがな
い よ う な 感 じ で す よ ね …、 で も そ こ か ら チ ッ タ ゴ ン に 着 い た ら 全 く
違っていました。
特にチッタゴンでは交通法規がなくて驚きました。大量に荷物を積
んだリキシャや車、バスがひしめき合うわずかな隙間を人間も横断し
ていたりして、もう皆が自分勝手に進みたい方向に向かって突進して
いるというか…だからもうめちゃくちゃですよね。結局全然進めなく
て…(笑)。
それから、ビルの建築の仕方も驚きでしたね。骨組みがむき出しの
ままで、まるでパレスチナの爆撃を受けた建物のような感じで、建築
中なのか破壊されているのか…、最初はわからなくて。建築途中で資
考えるきっかけでもあると思います 岡 美由紀
Q 岡さんがチッタゴン丘陵地帯のことを知るきっかけとなっ
たのは何だったのでしょうか?
岡 沖縄の米軍基地に反対する署名運動です。2000年頃だっ
たか、当時参加していた市民運動の仲間が、街頭で偶然、岡山
大学の真実一美(まざね・かずみ)先生から署名をいただきま
した。そして真実さんから「こんな問題がある」と教えられた
のが、バングラデシュ・チッタゴン丘陵地帯の少数民族問題で、
在日ジュマ人の方々を紹介していただきました。
そ の 後、 ジ ュ マ の 方 々 と 一 緒 に お 料 理 を 作 っ
て食べたり、お話を聞いたりする場を設けて交
流が深くなり、様々なジュマの集まりにも呼ば
れるようになりました。
そ の ひ と つ が ボ イ サ ビ( ジ ュ マ の 人 々 が お 正
月を祝う行事)で、この時はジュマの方々だけ
でなく、ジュマと繋がる日本人も多く参加して
いていろんな方とお話ししました。確かジュマ・
ネットとの出会いも、このボイサビだったと思
います。
Q ジュマと出会い、チッタゴン丘陵地帯の問
題を知ったあと、2002年と2006年にC
HTを訪問されたそうですが、何か印象的だっ
たことがあれば教えてください。
岡
8
岡 美由紀(おか みゆき)
1960 年生まれ。50 年間千葉県千葉市の在住。
1985 年より平和や人権をテーマとした市民運動に参加。
2000 年頃、ジュマと出会い、ジュマと歩む会を結成。
2008 年からマルハバ!パレスチナも始める。家族は夫と二人。
現在、就職浪人中。
趣味は食べることと飲むこととしゃべることと映画を見ることと読書。
これらすべてを同時に実現するような後半生を目論見中。
人々の話を聞きました。お寺も仏像も壊されていました。
その後、それとはまた別の面…つまりベンガル人入植者のキャ
ンプ施設も視察しました。おそらく和平協定より以前に、土地
や食べ物の支給を約束されて平野部から連れて来られたベンガ
ル人だと思うのですが、ずっと長い間キャンプ生活が続き、そ
こで次の世代が生まれ育ち…といった感じで、キャンプの人口
密度も高くて決して良い状態ではなく、不満を蓄積させている
ような感じが伝わってきました。ただ、やはりどこでもどんな
状況でも、子どもたちはすごく元気でしたね。
ジュマの問題は非常に認知度が低いので、できるだけ日本にいるジュ
マの方々とお友達になって交流を深めて、ジュマの問題に関心を持っ
てもらうというか入り口を広げていくことが私たちの役目かなと思っ
ています。
例えば入管法のことなどは、私たちが日本の社会を考えることでも
あるし、そういうことを考えるきっかけになれたら良いなと思います。
Q 今後の岡さんの活動やお知らせなどがあればお聞かせください。
岡 もうずいぶん前になりますが、在日の外国人は登録証に指紋を押
さなければいけなかったんです。5本の指全部の指紋を。普段、自分
たちの生活の中で指紋を押すという状況はほとんどないので日常とか
け 離 れ た 出 来 事 だ っ た ん で す け れ ど、 日 本 で 生 ま れ 育 っ て 日 本 語 し か
話せない在日の方たちがすぐ隣にいるのに、そういう状況に置かれて
い る こ と に シ ョ ッ ク を 受 け ま し た。 そ う い う 日 本 の 社 会 の 在 り 方 は、
私個人にとっては大きなことでした。
私たちは在日の外国人が様々な困難を抱えていることを見てきてい
るので、そのような人たちの現状や祖国への思いなどを、日本でももっ
と多くの人に知ってもらいたいと思っています。
今 後 は『 マ ル ハ バ! パ レ ス チ ナ 』 を『 マ ル ハ バ! サ ラ ム 』 と 改 め、
パレスチナやジュマの問題だけに偏らず、多岐にわたる自由な活動を
展 開 し て い き た い と 思 い ま す。『 サ ラ ム 』 と い う の は ア ラ ビ ア 語 で
平 和 と い う 意 味 を 持 ち、 韓 国 語 で は 愛 と か 人 と い う 意 味 を 持 ち
ます。
『マルハバ!サラム』では対象を限定せず、その時その時の問題を取
り上げて、千葉市を拠点に上映会や講演会を開催していきたいと思っ
ています。
聞き手 青: 山あき(ジュマ・ネット運営委員)
"
私 た ち は 普 段、 一 方 の 面 し か 見 え な い こ と が あ る け れ ど、 こ
の時のスタディツアーのように両方の立場を知る機会があった
のは良かったと思います。だからと言って何ができるというわ
けではないのですが、やはり外からの 外
( 国の 力
) 、監視の目と
いうか、そういうのが必要なのだなと感じました。
バ ン グ ラ デ シ ュ は 人 口 が と て も 多 い で す け れ ど、 本 当 は 国 全
体として人口政策のようなものが必要なのじゃないでしょうか
ね。
Q 岡さんは『マルハバ!パレスチナ』の共同代表であり、そ
のほかにもいくつかの団体でご活躍さているようですが、どの
ような活動をされているのですか?
岡 私がこういった活動をやっている中で、自分たちの立場と
して感じるのは、紛争などで祖国に居られなくなって日本を頼っ
てきている人たちにとって、日本はまだまだ壁が厚いというか
冷たいのではないかということです。
私 に と っ て ジ ュ マ と の 出 会 い は、 こ の よ う な 日 本 の 政 策 や 社
会について考えるきっかけでもあったのです。だからまずは日
本国内でできること、小さなことですけれど例えば日本にいる
ジュマの人たちと交流を続けて彼らの思いを伝えていくことが
"
"
長崎市生まれ。2003年よりチッタゴン・ヒルこども基
金の運営メンバーとして現地寺子屋の訪問やイベントなどを
行う。2010年よりジュマ・ネットの運営委員に加わる。オー
ガニック養蜂を学ぶため10月までカナダに滞在予定。
9
できたらいいかなと思っています。ある在日ジュマの方が、新
聞 の イ ン タ ビ ュ ー で「 自 分 の 活 動 は 日 本 で 友 達 を つ く る こ と 」
と言っていたのを聞いて、私もそうだなと思いました。
"
Pちゃん誕生秘話
Pちゃんが今の姿になるまで
①
ジュマ
・ネットでは以前から、より親しみやすい
広報の必要性を感じていました。そこで
導入が決まったマンスリーサポーター制にあわせて、もっ
と楽しいことをしよう、他の団体がやっていない斬新な事
をしようと、かわいく親しみやすいキャラクターの起用が
2009 年 2 月頃から検討され始めました。
く……
れがぼ
こ、こ
当
佐藤未希作 P ちゃんのご先祖(?)
(2009 年 3 月)
時の事務局で、
「平和」をテーマにすると決まると、ま
②
ずはデザインの下書きがされました。① 作者にとって
は大変な自信作だったそうですが、残念ながらこのままの状態
でキャラクターとして採用するのは難しいということで、プロ
のデザイナーさんにお願いすることになりました。運営委員
の人脈で、複数のデザイナーさんに案を出して頂くことが出来
ました。
「平和・かわいい・空を飛ぶ・癒し」などのキャラク
ターイメージをデザイナーさんへ伝え、デザイン案を出して頂
きました。② スタッフ、運営委員、そして事務局が入ってい
る丸幸ビルを訪れる人たちからご意見を頂戴し、デザイナーの
経 真珠美様のゆるいPちゃんデザインがブラッシュ
アップされることとなりました。ブラッシュアッ
プの過程で、Pちゃんの色、飛ぶ方法(耳か羽か)
、
眉毛や髪について、議論に議論を重ね、ついに、
現在のPちゃんが誕生しました。③
P
ちゃんは、Piece of PEACE(平和のかけら)を
わぁ
!
みん
な格
好
いい
ね
たくさん集めて、ずっと続く強いピース(平和)
をつくる使命を持って、チッタゴンの森の中で生まれた妖精で
す。2009 年7月に正式デビューし、11 月にはサポーター拡大
キャンペーンで大活躍しました。
P
ちゃんは今後、チッタゴン丘陵の問題やジュマ・ネットの
いろんな P ちゃん候補たち
(2009 年 5 月)
そして・・・
③
活動はもちろん、ジュマの文化や世界の少数民族について、
分かりやすく紹介する役割を担います。P ちゃんのそんな活動
を支える「P ちゃん応援団」を、運営委員・アバイザリー委員、
スタッフで結成しました。近々、応援団員(ボランティアさん)
を広く公募する予定です。その際には、ぜひみなさまも私たち
と一緒に P ちゃんを支える活動に参加お願いします。
文:金 瑛美(きん よんみ)
前橋市生まれの在日コリアン 3 世。カナダ留学後、2 年間の事
だ!
たん 月)
れ
年7
うま
くが 2009
ぼ
(
て そし
務職を経て、2010 年 3 月から ジュマ・ネット事務局スタッフ。
10
●お知らせ
『お買い物でジュマ・ネット支援プロジェクト』
第 1 弾の商品、ニーム育ちのメロン
今期から運営委員としてお手伝いさせて
頂きます、青山あきです。
私 が 初 め て ジ ュ マ の 方 と 出 会 っ た の は、
たまたま友人たちと利用した都内の居酒屋
でした。それまでバングラデシュの知識は
ほとんどなく、インドの隣の国という程度
の認識でしたが、私たちと良く似たモンゴ
ロ イ ド 系 の 顔 立 ち で、 カ レ ー が 美 味 し い
8 月 7 日まで
ご注文方法
電話 : 03-3831-1072
FAX: 03-6893-7579
Email;[email protected]
●ギフトメロン (2玉・化粧箱入り)
Mサイズセット 4千3百円
1玉 キロ以上
①メロンおまかせ8キロセット
5千7百円
サイズはおまかせ5玉〜8玉入り
2010年4月
日「チッタゴン丘陵和
平協定実施を求める世界同時キャンペー
ン!」の報告会を開催し、ゲストスピーカー
に阪口直人衆議院議員と在日ジュマ団体J
PNJの代表ノイロンジョナ・チャクマさ
んをお迎えしました。阪口議員には、ハシ
ナ首相との会談の内容や今後の議員として
のCHTへの取り組み方について、ノイロ
ンジョナ・チャクマさんには、チッタゴン
からキャンペーンの概要説明を、トム・エ
スキルセンから結果と集計の様子について
報告させて頂きました。質疑応答では、多
3千8百円 メロン 玉、フルーツトマト、ズッキー
名キャンペーンは正式に終了とさせて頂き
となりました。本報告会をもちまして、署
くの質問が飛び交い、とても有意義な時間
ニ ス ウ ィ ー ト コ ー ン、 じ ゃ が い も イ ン
②メロン&夏野菜4キロセット
丘陵地帯の土地問題の歴史的背景と和平協
定実施の重要性についてお話頂きました。
の『バングラデシュのカレーが食べてみた
ジ ュ マ・ ネ ッ ト か ら は 前 職 員 の 佐 藤 未 希
知るようになりました。
その後、2004年2月にカグラチャリ
の 小 学 校 を 訪 問 し た 際 に は、 想 像 と は 違
い 自 然 豊 か で 穏 や か な 場 所 で、 何 と な く
ちょっと昔の日本のような印象でした。先
日、 ジ ュ マ・ ネ ッ ト 総 会 の 意 見 交 換 会 で
てほしい』との声がありましたが、私が見
チ ラ シ に 表 示 し た 時 期 か ら 遅 く な り、 8 月 7
な お、 天 候 の 影 響 に よ り、 商 品 発 送 時 期 が
署名キャンペーンにご協力頂いた全ての皆
アの皆さま、ご参加頂いた皆さま、そして
ます。報告会をお手伝い頂いたボランティ
たCHTのきれいな景色や、元気いっぱい
ありがとうございました!
さま
ます。
い。送料は全国一律料金で価格に含まれてい
日から開始予定となったことを、ご了承下さ
カのめざめなどおまかせで。
2,3
に遊ぶ子どもたちの日常なども少ずつお伝
『ジュマの人の普段の生活の様子も紹介し
②Lサイズセット 4千8百円
キロ以上
い!』という食いしん坊な気持ちがきっか
●お徳用メロンセット (化粧箱入り)
1玉
1.6
①
中元や贈り物にぜひ!
ています。ご注文をご希望の方は、お急ぎ下
さい。販売収益の一部はジュマ・ネットの活
動に充てられます。ご自宅でももちろん、お
すでにたくさんのご注文を頂いております
ジュマ・ネット会員の奥田さんが育てたニー
ムメロンのご注文の締切りが8月7日に迫っ
ご注文締切り迫る!
けで、CHT(チッタゴン丘陵)の問題を
と聞き、急に親近感がわきました。その時
ニームメロン
1.3
えしていけたらと思います。
11
署名キャンペーン
完結!
27
運営委員自己紹介
青山あき
カプタイ湖と水煙草
写真・文 木村真希子
カプタイ湖に浮かぶ小さな島々の一つ、ランガ
マティの中心地からそれほど遠くない島のお宅
に お 邪 魔 し た と き の こ と。 水 煙 草 を 吸 う こ の 家
の女主人の姿が印象的で写真を撮らせてもらい
というそうです
ました。現地ではフカ (hookah)
が、 同 じ 名 前 を 持 つ イ ン ド の フ カ と は ず い ぶ ん
形 が 違 い ま す。 他 の 地 域 で も、 自 宅 に お 邪 魔 し
てインタビューしているとフカを吸いながら話
始める人に出会いました。
水のきれいなカプタイ湖に浮かんだ島で人々が
暮らしている様子は牧歌的に見え、ボートに乗っ
た時は心地よい風と景観に少しならず心がは
しゃぎました。けれども、カプタイ湖は1960
年 代 に カ プ タ イ・ ダ ム を 作 る と き に で き た 人 造
湖。 湖 底 に は、 何 百、 何 千 も の 人 々 の 暮 ら し て
いた家や田畑が沈んでいます。
煙 草 を ふ か し て い た 女 主 人 も、「 昔 は 米 を 作 っ
て い た け ど、 今 は 魚 を と っ た り、 果 物 を 売 っ た
り し て 細 々 と 暮 ら し て い る。 や っ ぱ り 土 地 が な
い と 暮 し は 厳 し い 」 と 言 っ て い ま し た。 チ ッ タ
)
そう気づかせ
—
ゴ ン 丘 陵 で は、 何 気 な い 人 々 の 暮 ら し や 笑 顔 の
奥に厳しい歴史が隠されている
てくれた瞬間でもありました。
木村真希子 ジ
( ュマ・ネット運営委員
2001年〜2004年にインドのジャワー
ハルラル・ネルー大学に留学、博士号取得。イ
ンド北東部のナガランドやアッサムなどの民族
運動を研究する傍ら、国連を中心とする国際的
な先住民族運動に関わる。市民外交センター副
代表、ナガ・ピース・ネットワーク世話人の一人。
現在、明治学院大学国際平和研究所助手。
12