中長期ボランティア《ケニア》 IMANI CHILDREN HOME 事業報告書 1) 2) 3) 4) 5) 6) 7) 8) 9) 目次 はじめに 事業の概要 参加者・協力者 活動期間中の日程 事業のねらい、ワーク、その成果 ワーク以外の活動 生活 提案と今後の構想 終わりに 名前:横山 容子 活動期間:2008年 7 月 3 日∼9月5日 1) はじめに ケニアの首都ナイロビにある、IMANI CHILDREN HOME という施設でボランティアスタッフと して働いた。IMANI CHILDREN HOME は、ストリートチルドレン・孤児・育児放棄されてしまっ た子供・刑務所で誕生した子供達を引き取り、宿泊・食事・教育の場を提供している。 IMANI CHILDREN HOME は、クリスチャンである Ms.Faith Wanjiru によって1992年に最初 の施設が設立された。当初はストリート出身の 15 人の子供達からスタートし、今では様々な場 所から支援を受け、数百人の子供たちが7つの施設で生活をしている。7つの施設のうち、2つ がナイロビ東部の kayole という町にあり、それぞれ Imani A、Imani B と呼んでいる。Imani A は メインオフィスに当たり、私は Imani A からバスで10分ほどの Imani B の施設にて活動をした。 Imani では年齢に応じて10∼13人程のグループ(クラス)に分かれており、私は1歳半∼2歳 くらいの子供たち8人∼13人の生活のお世話をした。 職員は7つの施設で50人程いるそうで、私が働いた Imani B にもケニア人の職員さんが常に 5,6人いた。但し、それぞれの職員さんが担当・役割分担を持っているので、皆忙しく人手が 不足しているというのを常に感じた。人手不足で職員さんを雇とるにはお金がかかってしまうの で(職員さん達は有給)、ボランティアとして働く人たちが大いに期待され、また必要とされてい るのだと思う。 2) 事業の概要 事業名 中長期ボランティア・ケニア Imani Children Home 開催期間 2008.7.3∼2008.9.5 開催地 ナイロビ市 Kayole 地区 ①孤児や生活困難な状況にある子供達、ストリートチルドレンの社会的自立 事業目的 を支援する。 ②衣食住・教育・カウンセリング・職業訓練の場を提供する。 ③何よりも大切なのは、子供達に愛情を注ぐこと。 参加者 ワーク内容 他の活動 海外からのボランティア、現地のボランティア、現地の職員さん 子供達の日常生活のお世話、ベッドメイキング、掃除、洗濯、動物のお世話、 料理の手伝い スラムにある週末の学校を訪問、避難所の訪問、Harambee 地区にある Magodo Ministry(学校と宿泊施設と兼ねている)の訪問等。 宿泊: ナイロビ市 Buruburu 地区にてホームスティ 生活方法 食事: 朝食と夕食はホームスティ先にて(週末は昼食も)。 平日の昼食は活動先にて(時に朝食も出た)。 Imani の子供達、年配の職員さんとはスワヒリ語。他の職員さんや住民の人達 言語 とのやり取りは英語。英語は公用語なので皆問題なく理解するが、スワヒリ語 で挨拶をすると喜んでくれる人が多かった。地元の人同士はスワヒリ語、時に 部族語。 ※スワヒリ語は日本で少し勉強して行った。小さい子供達はスワヒリ語のみ理解するので、簡単 な単語だけでも覚えて行くと良いと思う。 3) 参加者・協力者 3−1) 期間中ともに活動したボランティア Imani B で働く海外からのボランティアは自分のみ。初めの数日間は日本人ボランティアの ユキコさんがいたが、マリンディの Imani へ移るということで引継ぎをしてもらった。Imani A には、日本・ドイツ・アメリカなどからのボランティアが常時 4 人程いた。 3−2) 協力団体・協力者の方々 Imani の職員の方々・現地ボランティアの方、Imani の子供達、活動中宿泊・食事の提供を してくれたホストファミリー、CIVS のスタッフの人達、そして日本で支えてくださった方々。 4) 活動期間中の日程 4-1)大まかなスケジュール 6/17 ナイロビ着/CIVS オフィスで登録/ホストファミリーの紹介 6/18-22 オフィス(CIVS)の人に市内を案内してもらう 6/23-26 オフィスにてオリエンテーション+スワヒリ語講座 6/27 Imani Children Home の見学 7/3∼14 ワーク開始 椅子拭き・部屋の掃除・ベッドメイキング・家畜のお世話 1歳半∼二歳くらいの子供達 12人のお世話 7/15∼9/5 オフィスに中間レポートを提出 (8/5∼8/8 は、Imani A にて 7 ヶ月位の子供達のお世話) 9/9 オフィスに最終レポートを提出 9/12 帰国 ◆着いたらすぐワーク開始と思っていたけれど、他のボランティアの到着を待って、皆(四人) そろったところでオリエンテーション開始。私の場合、ワーク開始はケニア到着二週間後であっ た。 ◆ボランティア期間が 3 ヶ月以上の人は、まず始めにワークキャンプ(三週間)に参加するのが 前提のようだった。それを知らずに来て、ケニア到着後オフィスで初めて知り、急遽ワークキャ ンプに参加することになったボランティアの子がいた。私の場合は期間が若干短いので、自分 で選択して良いとのことだった。ワークキャンプも興味があったが、参加すると Imani で働く期間 がぐっと少なくなってしまうため、やむなく不参加にした。 4-2) 基本的な週間スケジュール ◆Imani B では水曜日がチャパティー ディとなっていて、午後になると皆で 焼いて食べた。 月ー金 活動日 土日 休日 ◆週末も自由に Imani に訪れて OK との事。 子供達のお世話 自由行動 日曜は地元の教会に参加 4-3) 基本的な一日のスケジュール 7:00 起床、朝食、入浴、洗濯 8:15 家を出る。※家から imani までマタツ(乗合の小型バス)で約一時間弱 9:15 Imani 到着 子供達のお世話(お風呂に入れる、着替え、おしっこ・うんちをしたらズ ∼11:00 ボンを取り替える、顔を拭く等)。日光浴、歩けそうになってきている子 と歩く練習をする。 お昼の前にスープをあげる。 12:30 昼食。子供達を食べさせながら自分も一緒に食べる。 13:30 おまるに連れていく。 ズボンを取り替えてお昼寝のベッドへ連れて行く。 14:00∼16:00 (子供達お昼寝中 zz..) テーブル・椅子拭き、洗濯物をたたんでしまう 16:00∼16:40 子供達を起こして、おまるに連れていく。果物をあげる。顔・手足を拭 いてオイルを塗る。 17:00 終了 19:30 帰宅 夜ご飯の準備のお手伝い、後片付け 22:00 ホストファミリーと団欒、日記を書く等 0:00 就寝 ≪お昼の時間≫ ≪朝のお風呂≫ ◆9 時すぎ∼16 時半迄が活動時間。活動開始時に、働く時間帯を契約書に記入するようにな っていて、職場のマネージャー等と相談して時間帯を決めた。4 時半迄となっていたが、実際 はやる事がまだまだあるので、5時頃まで残ることも可能。治安上、あまり遅くまで残れない。 ◆子供達は人懐っこく、私のことを auntie, auntie と連呼してくれた。働くうちに子供達に対し て 愛情 に加えて 威厳 も必要だということに気づいた。言葉の壁もあって、私と子供だけに なると時に秩序が乱れた。皆、好き放題になってしまうので大変である。そういう時はペアで働 いた Sarah や他の職員さんが助けてくれた。彼女たちが一喝すると、子供達も従うのである。私 が一喝しても、子供達はわざと聞かないフリをしているようにも思えたのだが・・。どの子も愛らし かった。 ◆Imani A では生後間もない乳児∼1歳位の子迄と、小学生位の子供達が生活している。 Imani B では一歳∼4歳くらいまでの子供達が生活している。Imani B にも小学生の子供が若 干名いて、お昼や学校のあとに少し交流する事ができた。八月の夏休みに入ると、普段会え ない子供達に会うことができ嬉しかった。皆、窓拭きの掃除をしたり水まきをしたり、しっかりお 手伝いをしているのが印象的であった。 ◆Imani A, B のどちらで働くかは、ボランティアの希望で選ぶようになっていた。ただし、男性 ボランティアは力仕事の、家畜のお世話の仕事を頼まれる傾向があった(家畜がいるのは Imani B のみ)。家畜の仕事の合間にも子供達と触れ合う時間はあるけれど、子供達と密接した 仕事を強く望んでいるような場合には申し込み前に確認をすると良いのでは、と思う。 5)事業のねらい、ワーク、その成果 5-1) 本事業のねらいと背景 ① 子供達の背景・施設の成り立ちについて知ること。 −どういった経緯で子供達が施設にくるのか・施設の運営について ② 外国人ボランティアと、現地スタッフ・子供達との異文化交流 −ケニアの文化に多く触れる、逆に地元地域の人々・他の国からのボランティアに日本 に触れてもらう −異なる背景・異なる文化を持つ者同士、交流を通して学び会う 5-2) ねらい①に関して、その成果 Imani の職員、Mr.Anclenjoro さんに施設の成り立ち等について質問をした。 Q. Imani では何人の子供達・どういった境遇の子供たちが生活しているか A. 今現在、Imani A と B と合わせて180人程の子供達が生活をしている。10 代の子供はキベ ラにある teenage house という所で生活している。 エイズによる孤児・ストリートチルドレン・育児放棄されてしまった子供に加え、1999年 からは捨てられてしまった子(生後一日目から)、刑務所に母親がいる子供も生活して いる。 Q. 教育・就職面はどのようにサポートしているか A. 学校は地元の学校へ行っている。高校卒業後も、必要に応じ college へ行くなど学業に専 できる。年齢に関係なく就職し自立するまで、子供達は施設のもとで生活している。就 職のサポートは、就職のための技術を身につける学校を紹介するなどしている。就職 後も訪れに来るし、連絡をとっている。結婚となれば、手助けやアドバイスもしている。 Q. 施設運営の資金はどこから来るか A. 大きく分けて 4 種類ある。 ・Lions Club(インド人が出資している団体で、集まった金額の一部ずつを各 NGO に割り当 てている) ・地元の教会 ・Imani Friend という世界各国から寄せられる寄付 ・Well Wishers ※食料は空港などが無料で提供。Imani B は家畜・自家栽培による自給自足も行っている。 Q. 子供達が Imani の施設を見つけてやってくる事もあるのか A. 子供達から来て受け入れることはない(できない)。捨てられてしまった子供が発見された らまず警察に届けられ、どういう状態で、どのように発見したかのレポートが提出される。そ の後、警察官と共に Imani へ連れてこられる。 ストリートチルドレンも、子供たちから Imani を探し出して来ることはない。なぜか?ストリー トの子供達は、少なくとも自由に使うお金の収入があって、ドラッグやご飯を買ったりでき るかもしれない。そういった子が自由に使うお金のない、規則正しい生活を強いられる Imani の施設へ自らやって来ることはない。Imani のスタッフがストリートチルドレンを探しに 行き、話しをして、Imani の生活を望むようであれば連れてくる。ストリートチルドレンのリハ ビリは困難である。嫌になって逃げてしまう場合もあり、その場合は連れ戻しに行かねば ならない。 Q. 子供達には、自分の境遇をいつ伝えているか A. その子供が、考える能力がついた時点で伝えている。しっかり考えられる能力である事が 大切。 5-3) ねらい②に関して、その成果 仕事を通してケニアの文化に沢山触れることができた。挨拶一つにしても、朝まず来たら挨 拶と同時に握手・時に抱擁を交わす習慣がある。スタッフや子供達と、ケニアと日本につ いてお互いに質問をし合ったり、スワヒリ語を教わって代わりに日本語を教えて・・など、異 文化交流することができた。一日中忙しく、じっくり交流の場を持つ機会がなかったけれど、 その代わり仕事のちょっとした合間などにたくさん会話をするようにした。 6) ワーク以外の活動 6-1) Korogocho Slum の訪問 スラムの中にある、週末に子供達に勉強を 6-2) Magodo Primary School の訪問 教えたり、食事を提供している施設を訪れ、 ある男の子と知り合ったのをきっかけに、 子供達と交流した。子供達から沢山の質問 Magodo Ministry という宿泊施設と学校を兼 を受けた。 ねた施設に度々訪れた。孤児の子供やスラ すか? あなたは日本を誇りに思いま という質問が印象に残っている。 ムの子供達などが一緒にここで勉強している。 一緒に折り紙をしたり、縄跳びをしたり、日本 語を教えたり、ゲームを教えたり、様々な事 をした。先生方も含め、訪問するといつも皆 温かく迎え入れてくれたのがとても嬉しかっ た。 ここの生徒に、日本の子供達へ手紙を書い てもらった。今後日本の子供達へ届けたいと 思っている。 6-2) Mathare Internally Displaced Person s Camp の訪問 昨年末の大統領選挙後の暴動後、非難を 余儀なくされた、キクユ族の人々の避難所を 訪れた。これらの人々が暮らしていた町は、 ルオ族が大多数でキクユ族が少数派だった 為、キクユの人々は身を守るため町から出な ければならなかった。子供達はキャンプ内の テントを教室代わりに、勉学を続けている。 700 人の非難民がここで生活を続けている。 ◆スラムの施設・非難所に関しては、CIVS のスタッフにお願いして連れて行ってもらっ た。興味があること・見学したい所があったら、 根気強くオフィスの人にお願いしてみると良 いと思った。 7) 生活 7-1) 宿泊施設 CIVS のオフィスから歩いて5分程の家にホームスティ。パパ・ママ・12 歳の息子、お手伝いさ んが一人、日本からのボランティア・ユウコさんと共に生活をした。 このファミリーにお世話になる前に、別の家にホームスティをしていたのだが、生活スタイル の違いからホームスティ先を変更してもらった。ホームスティ先は生活の土台になるし、まして 慣れない土地に来ているのだから、無理しすぎる前にオフィスに相談してみるのも良いと思う。 家は電気・水道有。部屋にはベッドが二つ(ユウ コさんとルームシェア)、電灯、コンセントがある。 ベッドだったので寝袋は必要ないはずなのだが、 私の場合6、7月は寝袋を使用して、さらに毛布を かけて寝た(7月のナイロビはとても寒かった)。部 屋は鍵を閉められるようになっていたので万が一 の防犯も安心できた。 ホストファミリーと近所の人達と→ 一番の健康法は、ダンスと笑い (パパの言葉より) 7-2) 食事 朝食: チャイ(ミルクティー)と食パンにバターを塗って食べる。 時に Imani でも朝食を出してくれた。同じくチャイとパンの組み合わせだった。 昼食: 平日は活動先で食べた。混ぜご飯かウガリに、野菜炒めや豆を煮たものがついて、 毎回3種類位あった。野菜を多く使っていて野菜不足も補えたし、美味しかった。 週末も家にいる時はホストファミリーが提供してくれた。 夕食: ウガリ+おかずが2、3品。 ウガリの他に、ご飯、パスタやチャパティが加わることもあった。おかずはスクマウィキ という菜っ葉を炒めたもの、ビーフシチュー、チキンシチュー、キャベツの炒め物、豆 を煮たものなど。夜ご飯もとても美味しかった。 個人的にはケニアの料理は美味しくて、自分の口に合っていたように思う。しかし病気にか かった時はケニアの料理を受付けられず、日本から持ってきたレトルト食品が役立った。 週末は日本の料理(お好み焼き・カレーライス・うどん・白玉・ホットケーキなど)を作った。 カレーライスが老若男女に好評だったように思う。 7-3) シャワー 水道は水のみ。朝晩は冷えて寒かった為、沸かしたお湯に水を混ぜて使用した。洗濯は平 日の朝や、週末にした(手洗い)。水不足・水圧の関係で、水がよく止まった。四日間止まって しまった時もあった。 7-4) その他 ・水 家の水を飲んでも特に異常はなかったが、ミネラルウォーターを買って飲んだ。 Imani では飲み水専用の浄水器があった。 ・病院 Buru Buru の Aga Khan Univ. Hospital を使った。ナイロビ病院と並ぶ設備を持った 私立病院で、ボランティアも皆ここを利用しているとのこと。土日も 15 時頃までやっ ていて急患も診てくれる。きれいな病院だった。 ・病気 バクテリア・下痢・風邪に一回ずつかかった。症状が重かったのがバクテリアで、熱と吐き気が 二日続いた。マラリアはナイロビでは稀と聞いたので、予防薬は服用しなかった。ただし、毎晩 蚊帳をして寝た。 ・貴重品とお金 パスポート等大事なものはオフィスに預けることができる(自分はコピーを所持)。 お金は、T/C・現金(US$)・国際キャッシュカード(Citi Bank)を持っていったが、便利だったのが キャッシュカード。Buru Buru にある ATM からいつでも引き出せた。T/C、現金共に Buru Buru には両替所がなく、毎回タウンまで出る必要があった。 ・治安 Buru Buru は安全、と言う地元の人がいるけれど、私たち外国人にはタウンよりはまだいい、と いう感じでないかと思う。日中は一人で歩けたとしても、夜9時以降は地元の女性も一人で歩 かないとの事。その日必要なお金だけ持つ、道は女性に聞く、マタツで居眠りをしない、夜遅く のマタツは避ける(タクシーを使う)、など周りの意見も参考にして気をつけるようにしていた。毎日 生活して何も起こらないと気が緩んでしまいがちだが、そんなときはガイドブックを読んで気持 ちを引き締めた。 ・電話 ホストファミリーや他のボランティアとのやり取りに、携帯電話は必須だった。日本からは持って 行かず、現地のものを購入した(安いものは 2000 シリング程で購入可。)通話料金はローカル の通話で一分 10 シリング。日本へは一分 50 シリング。 国際電話はタウンのネットカフェに併設している電話サービスを利用した。日本の固定電話へ なら一分 5 シリング。 ネットカフェは Buru Buru 内に沢山ある。1 分 1 シリング。 (※1 シリング≒1.66 円) ・持ち物 現地で購入できるもの: 蚊帳・寝袋・その他日常生活で必要なものは、スーパーでほぼ購入可。 日本から持っていって便利だったもの: 除菌のウェットティッシュ、日本食(現地の人にも紹介できる)、日本の遊び(縄跳び、剣玉、 折り紙等)、日本の写真集、日本・世界地図。 服装: 洋服はズボン二枚、セーター、ジャケット、長袖シャツ・T シャツ各数枚。 排気ガスなどで、空気が埃っぽく白い物は汚れやすい。7 月はジャケットが必須だった。 洋服も現地のマーケットで安く購入できる。 その他: ナイロビは全体的に埃っぽかったので、コンタクトより眼鏡の方が良さそうだった。コンタクト の日本の友人はよく目を痛がっていた。 7-5) 物価の参考 ・ミネラルウォーター500ml ・バナナ 一本 ・マンゴー 一個 20−40ksh 5ksh 20ksh ・新聞 35ksh ・外食 100ksh 前後(Buru Buru 内)、200ksh 前後(タウン) ・病院の治療費 5000ksh (血液検査代・注射代・薬代) 高かった..!! ・バス/マタツ代 20−40ksh ・デジカメ現像 25ksh/一枚 (※1 シリング≒1.66 円) 高い!けれど現像してプレゼントすると皆喜んでくれた。 8) 提言と今後の構想 Imani で働いていて感じたのは、 働き手の不足 である。他のチルドレンホームと比べ、衛生 面も設備もきちんと整っている施設だったけれど、私はゆっくり構ってあげる時間がなくて子供 達に申し訳なく思うことが時々あった。私がお世話をした子供達は、1∼2 歳程でまだ子供だけ では遊べない・本来はお母さんに甘えていたい年齢である。ズボンをひたすら取り替えている うちに、どうしても放置状態になってしまう子が出てしまう。一人でぼうっと座っている子、たいく つして寝始める子が出てくる。子供達は活発に体を動かすべきだと分かっていても、私一人で は見切れないことがあった。 子供達のためにも、あと一人でも一緒に子供を見れる人がいるといいと思った。人不足の問 題の解決は容易ではないと思う。けれど、ボランティアの希望で活動する施設を決めるだけで はなく、働き手がまんべんなく行き渡るようにボランティアを振り分けるのも若干の解決策になる のでは、と思う。 施設では様々な場面で 温もり を感じた。子供達は皆、私たち職員の事を auntie(おば) と 呼び親しんでくれた。子供達が遊んでいると、年配の職員さん達がにんじんを切ってあげたり、 抱きかかえてあげたり、祖母と孫のようであった。私が忙しく働いていると、年長組の子供達(6 歳くらい)がやってきて年下の子供達の面倒を看てくれたのだが、たくさん話しかけたり、抱っこ をしたり、愛情や優しさが伝わってきた。家族のような関係が施設の中にはあった。また、いつ も一人ぼっちでいた子に友達ができ、二人一緒に手をつないで歩いているところを見た時は、 心から嬉しい気持ちになった。子供達の背景に悲しみがあることは事実だけれど、施設の中で 小さな幸せ を沢山感じることができた。将来、今度は自分の家庭を築いて幸せになって欲し いと思うし、そういう未来があるのだと信じている。 9) 終わりに このボランティアの存在を知ったのは、かれこれ 3 年以上前だろうか。心の奥に保管していた 願いをこうして実行する事ができた。なぜボランティア?そしてなぜケニアを選んだか?答えが あるとしたら アフリカに行きたかった からだ。芳地直美さんという方の本にあった'アフリカへ 行ってみたかったら、行ってみるといい という、この一言も私を動かしてくれたと思う。旅行で 見て回るのではなく、現地の生活により近い生活がしたかった。そこでボランティアを思いつい たのだ。NICE の冊子でアフリカのボランティアワークについて良く読んで、子供が好きなのと、 知識や技術はないけれど心と体を使う仕事を、という事でケニアの Imani での仕事を申し込む ことに決めた。 通勤の満員電車に揺られながら、もう少しでケニア行きだ、と思うといつも子供達の笑顔が脳 裏に浮かんだ。そして実際ケニアに行ってあったのは、子供達のまぶしいほどの笑顔だった。 今帰国して心に一番残るものも、やはりケニアの人々・子供達だ。ケニアの大人も子供も、目 が合うとじっとみつめてニッと笑ってくれるのが私は大好きだった。音楽が流れると体が動き出 すのも好きだった。物価上昇や失業問題など、多くの人々が様々な悩みがあるのだろうが、前 を見て生きているものを感じた。人の心は健やかであるように感じた。 車やバスでナイロビを走っていると、あらゆるところでバラック小屋のスラムが目に入ってくる。 ほとんどどの地区にもスラムが形成されているそうだ。中流階級の人々が暮らすという Buru Buru にもスラムがあった。スラムでは日雇いで働く人が多く、重労働で働いて一日 100 シリング、 200 シリングの収入だという。人々の主食であるウガリの粉を2kg 買うだけでもう 90 シリングであ る。スラムでは子供のミルク代を稼ぐための母親の売春も絶えないのだそうだ。コンドームの有 無でも代金が異なるのだと聞き、危険を冒しても収入を得ざるをえない事実にショックを受けた。 そしてしばらく車で走ると今度は高級住宅街が出てくる。こんなに広い家に何人が暮らしてい るのだろう?!と思ってしまう。何が悪くて、何がいい、とは言えないけれど、私が見たこのギャ ップは何だか世界の縮図を見ているかのように感じた。 三ヶ月という短い期間の中で、実にたくさんの事を見て、感じて、学ぶことができた。そして 実にたくさんの人達に出会い、話を聞き、考えることができた。この三ヶ月で私は何を残してこ れたであろう。はっきり分かるのは、ケニアの人々が私に残してくれたものは大きくて深いという こと。 子供達が、勉強ができる環境をもてるように。そして家族と生活ができるように。今後どのよう に関わって行けるのか、考えて行きたい。 最後に、これから後に続くボランティアの方に熱いエールを送りたい。日本ではケニアの情 報はとても少なく、情報収集に苦労した。もし質問や聞きたいことなどがあったら、気軽に問い 合わせて欲しいと思う。
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