再発見 美しい日本 まちづくり 最前線 山口県萩市 萩まちじゅう博物館構想を 市民・行政の綿密な連携で推進 江戸時代は 万石の城下 うと活動する市民たちだ。 やすいまちを未来に残そ に誇りを持ち、より住み た萩の歴史・文化・自然 ているのが、生まれ育っ ている。その中心となっ 働の取り組みが活発化し てていこうとする官民協 ちのおたから〟を守り育 館 構 想 ﹂ の も と で、〝 ま らは﹁萩まちじゅう博物 を集める。2003年か 年間240万人の観光客 まま使えるまち﹂として ﹁江戸時代の地図がその いや町割りが今に残され、 果的に城下町のたたずま に中心が移ったため、結 明治時代になると山口市 地となった山口県萩市。 輩出して明治維新胎動の 吉田松陰や高杉晋作らを 町として栄え、幕末には 36 「江戸時代の地図がそのまま使えるまち」として毎年、多くの観光客が訪れる萩市。 日本三大学府の1つ「明倫館」。多くの偉人を輩出した。 萩藩の御用商人であった菊屋家の住宅。現在は重要文化財 に指定されている。 高杉晋作、木戸孝充など幕末から明治にかけて活躍した人物に由来するスポットが数 多く残され、観光客に人気だ。 橋本川と松本川の河口の三角州を中心とする萩の市 街地には、数え切れないほどの史跡や文化財が点在す る。毛利氏の居城であった萩城跡(指月公園)や、そ の東部に広がる城下町の一帯は国の史跡に指定。なか でも堀内、平安古、浜崎の3地区は伝統的建造物群保 人の会員を擁し、20もの班をつくって活動している。 班の構成は次のとおり。 <萩博物館の管理・運営>受付班、ガイド班、守 衛・清掃班、ショップ班、レストラン班 <萩博物館の学芸活動サポート>歴史班、天文班、 存地区(伝建地区)に指定され、なまこ壁の土蔵や門、 海洋班、陸生班、あい班、古写真班、レコード班、民 土塀が連なる。松下村塾、木戸孝允旧宅、伊藤博文旧 具班 宅・別邸、高杉晋作や吉田松陰の誕生地など、幕末の 激動を偲ぶスポットも目白押しだ。 歴史好きにとっては垂涎ものの古い町並みや数々の <萩まちじゅう博物館の推進>まち博おたから情報 班、まち博情報発信班、外国語班、花と緑の推進班、 民話語り部班、研修班、松陰記念館班 遺産を守ろうと、1972年には全国に先駆けて独自の歴 これを見ただけでも、活動が極めて多彩な分野にわ 史的景観保存条例を制定。また、76年には堀内・平安 たっていることがわかる。会員はそれぞれの興味・関 古、2001年には浜崎が伝建地区に指定された。しかし 心に沿って班を選び、得意分野を生かした活動ができ これらは、特に重要な歴史的景観が残されている地区 る。「みんな自由に好きなことをして、それが萩のま に限って規制をかけるもので、指定地区以外では都市 ちづくりにもつながっているという誇りがある」と、 化の波が徐々に押し寄せていた。そこで、まち全体を 萩市まちじゅう博物館推進課長の柳井和彦さん。単な 「屋根のない博物館」と捉えて一体的に保存・活用を る事務的な管理・運営にとどまらず、展示企画など内 進めていこうとしたのが、萩まちじゅう博物館構想だ。 容の面まで含めて市の学芸員と一緒に考え、実行して 2003年、商工会議所・観光協会・学識者・地域代表 いるのも特筆される。NPO萩まちじゅう博物館理事 などで構成する「萩まちじゅう博物館整備検討委員 長の久保田拓造さんは、 「学芸員からは、もっと深く 会」が発足し、約半年の議論や現地視察を経て構想を 展示企画に関わってほしいと言われており、その能力 策定。翌2004年4月には「萩まちじゅう博物館条例」 を育成することが今後の課題」と語る。 が施行され、同条例に基づいて基本計画・行動計画が ショップ班・レストラン班があることでもわかると まとめられた。そして、萩開府400年にあたる同年11 おり、博物館内のショップとレストランの運営もNP 月11日、構想の中核施設となる萩博物館が開館した。 Oが担っている。売上げはNPOの収入となり、それ 萩博物館の特徴は、運営をNPOに委託しているこ が活動全体の貴重な原資となるため、レストランでは とだ。その「NPO萩まちじゅう博物館」は、約180 地元でとれた食材を使ったオリジナルメニューを開発 NPO萩まちじゅう博物館・久保田拓造理事長。 同館・柳井和彦推進課長。 ボランティアによるガイドは観光客に対するもて なしの役割を果たしている。 夏まつり(写真提供:萩市) 時代まつり(写真提供:萩市) するなど、日々経営努力を惜しまない。 班活動とは別に、萩市・ (社)文化財保 護協会との三者協働で2005年から展開して いるのが、ワンコイントラスト運動だ。こ 大茶会(写真提供:萩市) 萩博物館の内観。 れは、歴史的価値が高く貴重な観光資源で もありながら、文化財指定がなされていないため保存 るゆったり・じっくり観光」を観光戦略の基本コンセ 活用が難しかった「まちのおたから」を、観光客から プトとする同市にとっては、フィールドが広がってよ 1人100円の信託金をいただくことで守っていこうと り一体的に自然・歴史・文化をアピールできるように するもの。第1号物件は鉄道の父と呼ばれた井上勝の なった。和の装いで町歩きを楽しむ「着物ウィークin 旧宅門で、その後現在までに合わせて7件が対象とな 萩」 、堀内伝建地区の武家屋敷などをライトアップす り、7年間で2800万円以上の信託金がそれらの修復な る「萩発見伝 夢灯りプロジェクト」など、官民双方 どに活用された。 で新たなイベント企画も活発化している。弱点であっ もう1つ、萩市を訪れる人々のおもてなしに大きな 役割を果たしている市民団体が、NPO萩観光ガイド た宿泊客の少なさについては、2005年に「はぎ温泉」 が開湯。 協会だ。以前は5つの団体が観光ボランティアガイド 萩のまちを歩くと、そこかしこに夏みかんの木が目 の活動をしており、旅行会社などはどこにガイドを頼 につく。これはもともと、明治維新で職を失った武士 んだらいいのかわからないという問題があった。そこ たちの生活を支えるために植えられたものだ。夏みか で、市が音頭をとって2007年に統合。萩市観光課観光 んの木1つとっても、重い歴史に根差した豊かな物語 振興係長の金田農さんは、 「1つになったことで、そ がある。それを語り伝える人材を育てようと、語り部 れぞれの得意分野を生かした役割分担ができるように 養成講座も始まった。近代日本の夜明けを彩った幾多 なった」とその効果を指摘する。 の人材を輩出した進取の気風は、今も脈々と受け継が NPO萩まちじゅう博物館もNPO萩観光ガイド協 れている。 会も、定年退職者など高齢者がメンバーの中心。生き がいに満ちた元気なお年寄りが多い一方、若者をどう 取り込むかが大きな課題となっている。そこで2011年 5月から始まったのが、萩・維新塾だ。俳優の伊勢谷 友介さんに1年間通ってもらい、40歳未満の市民が毎 月集まってまちづくりのアイデアを出し合う。すでに 商店街でのハロウィンパーティーなど、具体的な実践 も始まっている。 萩市は2005年に周辺の町村と合併し、新・萩市とし てスタートを切った。 「萩まちじゅう博物館で体感す 萩市観光課の金田農さん(左)と井上健助さん。
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