健康づくりと まちづくり

May Special
健康づくりと
まちづくり
医科学、運動指導など
それぞれの立場からのアプローチ
この自分が住んでいるまちを
どうするか。そこに住んでい
ることが快適で、かつ誇らし
い気になるには何が必要か。
それは当然個人の力のみでで
きることではない。しかし、
そこに「健康づくり」
「からだ
づくり」という視点を導入す
ると、一気に明確に見えてく
るものがある。今月の特集で
は、「健康づくりとまちづく
り」と題し、様々な仕事に携
わっている人を取材した。き
わめて刺激的な内容である。
1
WHO での仕事と「まちづくり」 神田
2
園芸療法+東洋医学、五感を刺激する庭園
3
健康づくりはまちづくり
4
5
安心して暮らせるまちづくり
6
中高齢者対象の運動教室
知 P.6
── 国際機関で働く意義
古在豊樹 P.10
── 千葉大学「環境健康フィールド科学センター」の試み
柏口新二 P.14
── 整形外科医としての関わり
南 政樹、内山映子 P.18
高齢者介護予防・健康づくり事業への参加
竹尾吉枝 P.22
── 兵庫県稲美町「いきいきサロン」とチェアエクササイズ
岡本富俊、石井麻知子 P.29
── 高齢社会の運動指導とまちづくり
1
健康づくりとまちづくり
WHO での仕事と「まちづくり」
――国際機関で働く意義
神田 知
WHO世界保健機関 健康開発総合センター
(WHO神戸センター)
年、アメリカ・インディアナ大学大学院に
するのではなく、それも大事だけれど、人
進んだ。そこで2年間スポーツ医学、アス
が生まれて死ぬまですべての人生において
レティックトレーニングの分野をみっちり
健康と関わりが持てる仕事がしたい、そう
学んだ。
思うようになったのです」
NATA の ATC を取得後、京都大学で博士号
「この2年間、アメリカの大学院で勉強
これが、病気になってから治すのではな
も取得、大学教官を経て現在 WHO 神戸セ
したその内容、そのときの集中力、質的な
く、病気にならないようにする予防医学に
ンターに勤務する神田さんが取り組んでい
深さは、私のこれまでの大学生活の中で最
目覚めることにつながった。そこで、京都
るのは「高齢化と健康」というプログラム
も充実していたものだと思います。あの2
大学の大学院博士課程に進み、「
運動と栄
である。まちづくりと健康問題は密接な関
年間があったから、こうして現在国際機関
養」
が生活習慣病予防に貢献する可能性と
係がある。経歴も含め、現在の仕事、そし
で働くことにもつながったのだと思う」と
その具体的予防方法の確立についての予防
て将来を展望しながら、国際機関の仕事と
言う。
医学的研究に取り組んだ。博士号取得後、
もともとは陸上競技の槍投げの選手だっ
日本学術振興会特別研究員として2年間ポ
たが、腰部椎間板ヘルニアをきっかけに、
ストドクターを経験し、武庫川女子大学生
神田さんはNATA のATC (公認アスレ
自分の身体についてよく知ったうえでトレ
活環境学部講師に就任した。
ティックトレーナー)の資格を有している。
ーニングを行い、身体のメンテナンスを努
天理大学体育学部2年生のとき、高校時代
めていくことの重要性を認識するようにな
の陸上競技の恩師であった先生がアメリカ
った。そのときに前述の2週間の研修旅行
大学の教官になるという夢を叶えた神田
西海岸のスタンフォード大学、UCLA 大学
の話に巡り合ったわけである。
「私にとっ
さんだったが、再び転機が訪れる。大学教
に焦点を当てたスポーツ医学の短期研修計
て非常によいタイミングでした」
。その研
官就任1年目に、WHO(World Health
画を予定し、その研修への誘いをかけれく
修旅行で準国家レベルのアスレティックト
Organization :世界保健機関)西太平洋
れた。
レーナーという資格があることを知り、将
地域事務局(フィリピンのマニラにある)
来はATC になろうと思い、渡米した。
へ学術専門員として大学から3カ月間出向
まちづくりについて語っていただいた。
当時神田さんは19 歳。両親の方針で3
WHO との出会い
人の子どもは大学に行くのなら自分の力
ただ、渡米、留学の第一の目的はスポー
する機会を得たのである。昨年3月のこと
で、つまり学費も生活費も自分で賄うこと
ツ医学を本場でしっかり学ぶことであり、
である。就任1日目、すべてのドクターが
になっていた。アメリカに行くほどのお金
その結果として最終的にはATC を取得す
大会議室に召集された。「
緊急事態発生。
はない。しかし、自分にとって大きな転機
るという目標だった。
。こ
アウトブレークがアジア地域に発生」
になる予感がした。結局、借金をして西海
岸での2週間の研修旅行に参加した。
そのとき、アメリカのスポーツ医学の現
場を見て、明確な役割分担と、それに準じ
その目標、願いを達成し、帰国後は、実
れまでに経験したことのない症状を訴える
業団やプロ、アマチュアのトップアスリー
患者がベトナムのハノイ病院で発見され
トのためアスレティックトレーナーとして
た。その担当医として最初に診断した医師
従事した。
(Dr Carlo Urnabi :イタリア国立病院長か
た責任、そして何より当初日本ではまだ着
「でも、あるとき気がついたのです。ア
らWHO の感染症研究所に派遣された医
目されていなかった「
予防医学」
の徹底した
スリートも皆歳をとっていく。私も20 代
師。1999 年にノーベル平和賞を受賞した
システムに大きな感銘を受けた。
のときはグラウンドを走り回り、重い荷物
1人)は従来とは全く異なる症状に警戒を
「これから何年かかっても、アメリカで
を持って働くこともできるけれど、40 代
促し、他の患者との徹底隔離、そして
スポーツ医学を学びたい」と決意し帰国。
になると仕事の内容も変わってくるし、目
WHO への迅速な緊急連絡をとり、被害の
残り2年間の在学期間中、競技・勉学に励
指すものも違ってくるだろう。すると最も
拡大を最小限に留めた。これが現在周知の
む一方、資金を蓄え、同大学卒業後の1992
輝いているときのみに焦点を当てた仕事を
SARS(重症急性呼吸器症候群)である。
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健康づくりとまちづくり
園芸療法+東洋医学、
五感を刺激する庭園
――千葉大学「環境健康フィールド科学センター」の試み
年前までは千葉大学園芸学部附属農場があ
古在豊樹
り、現在でも農業実習にも使われています。
環境健康フィールド科学センター長、
千葉大学園芸学部教授
この辺一帯は果樹園もあり、全体の1/3 く
らい、約5∼6ヘクタールくらいになりま
単なる庭園ではなく、そこで五感を通じて
す。ハーブ園を中心とした『センサリーガ
心身を癒すことができる場所。野菜や果物
ーデン(Sensory Garden :直訳すると感
を含む植物、薬用植物があり、それを世話
覚の庭園)
』も設計段階に入っていますが、
し、見て、触って、食べて、からだを動か
そこは、見て、触って、食べて、というよ
す。そういう場を学際的に造る。それがこ
うな五感を刺激する庭園にしようと考えて
のセンターである。センター長の古在教授
います。その後ろ側には散策の場所も設け
にうかがった。
ます。果樹や野菜などの手入れや土地を耕
真新しい部屋で語る古在センター長
すことを通じて身体を動かしていただき、
千葉県にあるJR柏駅からバスで15 分程
からだだけでなく心にも働きかけようとい
福祉政策など経済学系の人、水(雨水)循
度。県立柏の葉公園の向かい側に千葉大学
うものです。それに医師、看護師、看護学
環に詳しい理学部の人も参画されていま
環境健康フィールド科学センター(以下、
部の先生、そして東洋医学、スポーツ科学、
す」
センター)がある。広大な敷地に樹木や果
工学、理学など様々な専門家が集まり、チ
樹が植わっている。すぐ近くには国立がん
ームをつくってプログラム開発をしていこ
センター、東京大学柏キャンパスもある。
うとしているところです」
(古在センター
また、平成17 年秋に開通する「つくばエ
長、以下「 」内は引用を除き同氏)
クスプレス」
(秋葉原−筑波を50分で結ぶ)
まちづくりと一体になったセンター
聞くからに面白そうなプロジェクトであ
る。そう言うと、古在センター長は、
「期
このセンターは運営委員会、センター長
待以上に面白い」と楽しそうに笑う。専門
の駅がすぐそばにできる。ちょうど筑波と
1名、副センター長2名、そして千葉大学
によって言葉も違うが、ディスカッション
秋葉原の中間点に位置し、どちらからも
環境健康総合科学部門または都市環境園芸
していくうちに同じような事象を捉えてい
25分の距離になる。
学部門に属する専任教員15名、事務部、
るのだということがわかったり、同じよう
取材時(平成16 年4月7日)は、セン
技術部からなる組織だが、センター専任教
なアイデアを持っていることがわかった
ターの建物が出来上がって間もなく、付設
員との共同研究のため、千葉大学教員が兼
り、お互い刺激し合うことが多いようだ。
される東洋医学診療所(後述)の鉄骨が組
務教員として45 名以上参加するほか、自
「まちづくりについては、環境デザイン
み上げられていた。
治体組織、民間組織などからも共同研究員
関係の人も多く、ここだけで考えるのでは
が加わる予定になっている。
なく、ここを含めて柏の葉地区のまち全体
正門から樹木の間を歩き、果樹を眺めつ
つ進む。足元は柔らかく、気持ちがよい。
「専任教員15 人は、園芸学部と薬学部
のデザインを考えようという方向です。柏
(薬用植物の専門家) 、教育学部(スポー
市の関連部署、民間企業の人たちも含めて
、そして医学
ツ科学と技術教育の専門家)
委員会をつくって、まちづくりの設計をし
部から2人(1人は環境ホルモンの胎児へ
ています。秋葉原から筑波を結ぶ『つくば
の影響を研究している人、もう1人は富山
エクプレス』の駅がここから200m のとこ
医科薬科大学から漢方を担当する医師)
、
ろにできることになっていて、駅前の造成
それに看護学、老人介護などを専門とする
がこれから始まるところです。そこのプラ
「ここは全体で17 ヘクタールあります
人など計約45 名が兼務教員としてこのプ
ンニングとこちら側のプランニングと併せ
(1ヘクタールは約3025 坪、1万m )
。1
ロジェクトに参加しています。環境政策や
ましょうということで、駅前のロータリー
都会の喧騒は別世界のようである。
環境健康フィールド科学センター
とは
その竣工間もない建物で古在豊樹(こざ
い・とよき)センター長に会った。
2
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健康づくりとまちづくり
健康づくりはまちづくり
――整形外科医としての関わり
柏口新二
ていただきました」
特定非営利活動法人「徳島みらいネットワーク」副
最近まで徳島大学医学部整形外科学教室
理事長、独立行政法人国立病院機構 徳島病院スポ
はスポーツ医学で知られる井形高明氏が教
ーツ医学・整形外科
授で、岩瀬医師も野球肘の研究で多数の論
文を発表し、よく知られた人である。上司
整形外科医である柏口医師は、もともと体
育志向だったがスポーツ医学の道に進み、
にも恵まれていた。
また徳島市は人口が約 82 万で東京や大
大学を離れたあと、NPO 法人のメンバー
阪ほどの大都市ではないものの、緑が多く
として徳島県川島町の健康づくりを通した
たたずまいのよいまちである。また、徳島
まちづくりに関わっている。医師として、
県には国立大学は1つしかない。過去にお
住民の健康づくりに携わり、「健康づくり
いては四国で医学部があるのは徳島大学だ
はまちづくり」と思うようになっている。
けという時代もあった。そういう状況もあ
体育志向からスポーツ医へ
柏口医師は、医師免許を取得したあとは、
かしわぐち・しんじ医師
って、少年たちが他県に治療に行くことが
が、スポーツ医学の診療日は、夜中まで子
ない。フィールドワークをするとそれぞれ
どもたちが並んでいる。
「ちょっと異様な
の地域の枠にきれいに収まる。従って、子
」
。
光景です(笑)
体育系大学で生理学に取り組みたいと考え
どもたちが高校を卒業して大学に行くまで
なお、徳島大学附属病院には現在も週1
ていた。自身もかつてはパワーリフティン
ずっと追いかけることができる。横断的な
回スポーツ外来があり、柏口医師らが交替
グの選手であった。当時、出身校である徳
研究が多い中、縦断的にフォローアップす
で担当している。
島大学の医学部整形外科学教室ではスポー
ることが可能なのである。岩瀬医師らの優
ツ医学に取り組むことになり、柏口医師は
れた肘の研究もその土壌から生まれたと言
その話を契機に大学院に残り、スポーツ医
えるだろう。
NPO 法人設立へ
柏口医師らは、これまでスポーツ選手の
学の道に入ることになった。パワーリフテ
井形教授が退官したあと、国立大学の独
検診を県下全体でやってきた。継続してい
ィングの選手生活を続けたい気持ちはあっ
立行政法人化の波もあり、整形外科学教室
きたいが、それには経済的基盤が必要とな
たが、整形外科医としての研修が優先する。
の研究方針も先端医療、高度医療を中心に
る。従来は整形外科学教室の研究費で賄わ
結局選手生活は断念。だが、ある意味で徳
捉えるようになってきた。岩瀬医師の誘い
れていたが、それももう先はない。そうい
島は恵まれていた。
もあって、柏口医師は現在の病院に移り、
う状況において医師、理学療法士、スポー
そこでもスポーツ医学を担当している。
ツ科学者、管理栄養士、トレーナー、コー
「徳島にはそう多くのトップアスリート
がいるわけではありません。しかし、当時
「スポーツ障害の患者さんは、診られる
チ、健康運動指導士、教員、メディア関係
から子どもたちの野球が非常に盛んで、肘
限り診ています。特に週1回は集中的に朝
者らが集まり、いわば自然発生的に地域社
の障害がクローズアップされてきた時期で
から夜まで、気がつくと深夜日付が変わっ
会におけるスポーツ・健康に関わる活動を
した。その問題に岩瀬毅信先生がフィール
ていることもあります」
支援するシンクタンク機能を果たす「徳島
ドワークとして取り組まれ、私もそのお手
待ち時間をできるだけ短くするため予約
伝いをさせていただきました。それがきっ
制にしているが、それでも診察が終わるの
タートした。2001 年11 月のことである。
かけでスポーツ医学にのめり込んでいきま
は通常夜10時すぎ。
「日付が変わっている」
以来、県にも働きかけ、2003 年12 月に特
した。岩瀬先生は現場主義の方で、選手と
というのは高校総体(インターハイ)の前
定非営利活動法人として認証を受けた。
監督(指導者)との関係をどうするかとい
などで、以前は「国立療養所徳島病院」だ
このNPO 法人はスポーツ振興と健康づ
うことにも積極的で多くのことを学ばさせ
ったので、普段は神経疾患の患者が大半だ
くりを二本柱に、
「スポーツ・身体活動・
14
みらいネットワーク」が任意団体としてス
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健康づくりとまちづくり
安心して暮らせるまちづくり
南 政樹
慶應義塾大学環境情報学部専任講師
内山映子
慶應義塾大学看護医療学部特別研究助手
総務省の「インターネット基盤技術の高度
化事業(e!プロジェクト)」の一環とし
て、2002 年より 2 年間(平成14 ∼ 15年度)、
情報通信技術(IT)の有用性の検討および
高度利用の実践をテーマに、地方公共団体
みなみ・まさき氏
うちやま・えいこ氏
川県藤沢市を実施地域に介護福祉分野にお
れわれの生活をリフトアップしてきた事実
関わるので、情報共有と、情報の保護が求
ける実証実験を「e-ケアタウンプロジェク
からも明らかだろう。
められます」
をフィールドとして実証実験が行われた。
教育や地方行政等、全 6 分野のうち、神奈
ト」として進めてきたのが、e-ケアタウン
医療情報学を専門とする内山さんも、介
しかし、介護福祉分野は、人が介在する
ふじさわ実証コンソーシアム(藤沢市、財
護福祉の現場にIT が介在するメリットの
領域が大きいからか、IT 導入は遅れてい
団法人藤沢市保健医療財団、慶應義塾大学、
1つとして効率化を挙げる。
る。平成12 年度から公的介護保険制度が
NTT 東日本の 4 組織で構成)である。そこ
「人と人が接している、まさにその時間
開始されたばかりであるし、日本人の意識
で何が見えたのか。プロジェクトに取り組
をいかに濃密なものにするかが最も重要で
構造からしても、この分野は多分にデリケ
んだ南、内山両氏にお話をうかがった。
す。だからこそ、介護に携わる人は、それ
ートである。これも、IT 導入を容易にし
以外の時間を有効利用する。そこでは、テ
ない要因かもしれない。だが、立ち止まっ
クノロジーが本領を発揮します。また、ケ
ていては、よりよい方向がどっちなのかも
e-ケアタウンプロジェクトの実現は、
アマネジャー、ホームヘルパー、医師や看
見えてこない。まずは今、そして未来にお
藤沢市が持つ地盤(メモ参照)に加えて、
護士などと、様々な職種・所属の人が複数
いて、何に取り組めるのかを検討し、提案
導入として:ヘルスケアとIT
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)
の存在が大きい。慶應義塾大学SFC から
は、14 年目を迎える総合政策学部と環境
情報学部、さらに、2001 年に創設された看
護医療学部の専門家らが参画し、この産官
学のプロジェクトは進められた。
IT 関連を専門とする南氏はまず、IT を
始めとしたテクノロジーは「人の存在を不
要とするものではなく、むしろ人にできる
ことしかできない」と言う。だが、テクノ
ロジーは人の作業を助けるツールとして有
効活用できる。それは、テクノロジーがわ
18
■メモ 1
公募による提案が採択されてプロジェクトが始
まったわけだが、先進的なこの取り組みに参画で
きた理由の1つには、藤沢市全域にすでに100Mbps
の光ファイバーネットワークに接続可能な環境が
できていたというIT 基盤がある。また、1994年に
全国に先駆けて藤沢市と医療関係機関が財団を設
立し、開設した保健医療センターの存在がもう 1
つの理由だ(http://iryo.city.fujisawa.kanagawa.jp)
。
この保健医療センターを核に、藤沢市では保健・
医療・福祉を一元的に推進してきた。
1999年以降は「循環型健康づくり」をキーワー
ドに、総合健康づくり施策「ニューヘルスプロモ
ーションふじさわ 21」を展開してきた。2002 年
度から 3 年間は、厚生労働省より「国保ヘルスア
ップモデル事業」の指定を受け、対象者1000名に
個別健康支援プログラムを実施中である。
「循環型」と呼ぶのは、各専門家のアプローチを
循環させて市民 1 人 1 人が健康づくりに取り組め
る仕組みである。具体的には、年 1 回の健診後、
結果を見ただけで終わってしまうのではなく、健
康づくりに結びつけるサービスをさらに提供でき
る環境を用意している。体力テストを実施して、
運動処方や栄養相談などを行うといったサービス
提供をするなど、次回健診までの個人の自己管理
をサポートする。それが繰り返されることによる
「健康の循環」だ。
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健康づくりとまちづくり
高齢者介護予防・健康づくり事業
への参加
――兵庫県稲美町「いきいきサロン」とチェアエクササイズ
竹尾吉枝
1億人元気運動協会会長
イズを紹介したとき、稲美町健康福祉課健
康係の米澤有里さん(理学療法士)が、受
講していたことから始まる。その講習会で
兵庫県加古郡稲美町で平成 12 年から展開
竹尾さんは「目指すのは運動そのものとい
されている「いきいきサロン」。それは運
うより、高齢者の健康づくりの環境をつく
動をするためのものではなく、高齢者が集
っていくツールの1つがチェアエクササイ
い、楽しく過ごすその中に自然に運動を取
ズであり、やがては高齢者の自立や運動の
り入れたものである。事業としてのサロン
習慣化を指導者がいなくてもできるように
および、そこで指導に携わってきた竹尾さ
していきたい」というようなことを言った。
んたちが学んだことを紹介したい。
米澤さんは受講後、
「稲美町に指導に来
てくれますか?」と声をかけた。職員やボ
竹尾さんの経歴および仕事については、
ランティアだけで対応するのではなく、
本誌35 号(2001 年)の特集「座位でのエ
各々の専門家が集まって、高齢者介護予
クササイズ」
(P.6∼12)で詳しく述べた
防・健康づくり事業をやっていきたい、運
ので、そちらを参照していただきたいが、
動については専門のインストラクターに任
簡単に記すと、大学時代はバレーボール選
せたい、1回の講習ではなく、長く展開し
手で、ケガでトレーナーに転向、その後エ
たいのでインストラクターの派遣指導も行
り、チェアエクササイズというツールをう
アロビクスのインストラクターになった。
ってほしいということだった。
まく使っておられるからで、こういうプロ
間もなく椅子に座ってのエクササイズ(チ
米澤さんに、なぜチェアエクササイズで、
たけお・よしえさん(この写真は稲美町でのも
のではありません)
集団、マンパワーがあったからこそ続いて
ェアエクササイズ)を考案、発表したが、
なぜ竹尾さんや元気運動協会に依頼したの
いるのだと思います。そこを高く評価して
科学的根拠に乏しいことを指摘され、神戸
かを聞くと、
います。安心して高齢者を託せます」
大学大学院で研究、修士論文としてその成
「まず、チェアエクササイズには科学的
果をまとめた。以来、1億人元気運動協会
根拠があり、理論的にしっかりしていて、
での開催だが、現在は稲美町全体の約7割
信頼できると思ったからです。
の自治会で開催されている。また、いった
(以下元気運動協会)を設立、大学での非
常勤講師もこなしながら広く運動指導に携
また、高齢者は膝や腰などに問題を抱え
わっている。特に低体力者を対象としたチ
ているケースが多いのですが、座位での運
ェアエクササイズやアクアフラダンス(水
動ですから特に支障なく導入しやすいとい
中運動にフラダンスを取り入れたもの)な
うこともありました。
どの運動指導、普及に取り組んでいる。
「いきいきサロン」との関わり
米澤さんによると、サロンは自治会単位
ん立ち上がった会場でその後中止になった
ところは1カ所もない。
「継続していくだけでなく、会場が増えて
いる。しかも頓挫したところはない。この
実際に始めたところ、予想通りで、特に
事実はとても大きいと思います。有償ボラ
トラブルもなく進めることができ、やはり
ンティア(ハートスタッフと呼ばれる)を
対象者に適した運動だと確認しました。
育てようというのも元気運動協会のアイデ
その竹尾さんおよび元気運動協会が兵庫
事業自体は3年目に町から社会福祉協議
アであり、仮に誰かがそういうアイデアを
県加古郡稲美町で高齢者介護予防・健康づ
会に運営を委託しましたが、事業としては
出せたとしても、実際に養成していく元気
くり「いきいきサロン」事業(以下サロン)
何よりも会場数を増やせたことがわれわれ
運動協会のマンパワーがなければうまくい
に関わったのは平成12年4月からである。
にとっては最も嬉しいことです。これは指
かなかったでしょう。元気運動協会のみな
そもそもは健康運動指導士会兵庫県支部
導をお願いしている元気運動協会のインス
さんと仕事ができて本当によかったと思い
主催の講習会で竹尾さんがチェアエクササ
トラクターの方が集団を指導するプロであ
ます」
(米澤さん)
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健康づくりとまちづくり
中高齢者対象の運動教室
――高齢社会の運動指導とまちづくり
岡本富俊
県立館山運動公園
石井麻知子
特定非営利活動法人「結いの会」
こと、例えばお勝手
の扉の具合が悪くな
ったとか、プロに頼
むことのほどでもな
いけど不便してい
る。そういうところ
ヘルパーとしての仕事に従事してきた人た
をみんなで力を出し
ちにより NPO 法人が設立され、「寝たきり
合って助け合うこ
にならない。排泄は最後まで自力で」を合言
と。そうすれば暮ら
葉に、運動指導者と共同で高齢者への運動
しやすくなるし、生
指導教室を展開している。ここでは、その内
きやすい地域社会に
容とともに、高齢社会におけるまちづくり
なるのではないか。
に欠かせない視点に焦点を当ててみたい。
そう考え『困ったと
きはお互い様運動』
千葉県館山市にある県立館山運動公園。
NPO 法人「結いの会」主催の生き生きストレッチング。からだが
変わると心も変わる
を始めました。3つ
体育館、野球場、テニスコート、多目的運
目は、寝たきりの人はお尻を洗ってもらっ
出さない。これが1つの目標なので、
「生
動場、アスレチック、芝生広場、遊歩道な
て、おむつを替えてもらって、ベッドの上
き生きストレッチング」については、利用
どの施設を有する25.4 ヘクタールの運動
でゴロゴロしながら衣服の着脱をします。
者に声をかけ、やりたいと思った人にきて
公園である。そこに勤務しながら、運動指
そういう状況になったときに、人はプライ
もらう。新聞に案内も出しているので、そ
導にも携わっているのが岡本氏である。
ドを捨てなければいけないのではないか。
れを見て来る人もいる。
岡本氏は、水泳、レスリングなどの選手
それを痛切に感じたので、
『寝たきりにな
館山市役所の近くにある菜の花ホールを
経験を有し、現在もパワーリフティングの
らない、排泄は最後まで自力でやりましょ
借り、和室2部屋を使用。多いときで15
選手、指導者でもあり、トレーニング指導
う』を目標にしています」
(石井さん)
∼16人が参加する。
士、スポーツプログラマーの資格を有し、
体育学修士でもある。
この3つ目の目標、
「寝たきりにならな
2002 年5月のNPO 法人設立以来実施、
い、排泄は最後まで自力で」は、言うだけ
昨年度は年5回だったが、今年度から毎月
では達成できない。使わなくなった筋肉、
1回開催することになった。でも、石井さ
いたが、介護保険のスタートとともに行政
衰えてしまった筋肉、特に下肢筋力を鍛え
んはこう言う。
側から特に相談もなく解雇になったことを
るのに何をしたらいいのかを考えた。岡本
「毎月1回でも足りないんじゃないかと
契機に、指定居宅支援事業、指定訪問介護事
さんと石井さんのご主人は同じ職場で働い
思っています。将来的には、介護度の低い
業、指定居宅介護支援事業、指定生活保護法
ていたこともあり懇意で、2人の話を聞い
人たち、それから介護認定から外れてしま
事業、精神障害者居宅介護などを行うNPO
ているうちに、ストレッチングと筋力向上
った人たちでも毎週気軽に来てできるよう
法人「結いの会」を2002年5月に設立。
が必要と思い、
「生き生きストレッチング」
にしたいと考えています。精神障害の人た
という教室を開催することにした。指導は
ちも少なくないのですが、鬱の方も生き生
もちろん岡本氏である。
きストレッチングをすると、からだが軽く
石井さんは、ヘルパーとして仕事をして
「目的は3つあります。1つは突然解雇
に対して、私たちは使い捨てなのかという
思いがありました。だからヘルパーとして
の社会的地位を確立したかった。2つ目は
施設ではなく自宅で長く住むには、小さな
Sportsmedicine 2004 NO.60
なり、気持ちがスッキリするとおっしゃる。
「生き生きストレッチング」
結の会を利用している人から寝たきりを
からだが変わって心も変わる。からだが変
わると、活動範囲も変わってきます。高齢
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