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by うさお
今回のテーマは「ご近所の煙突」です。最近、ご近所の煙突が消えていくことに気がつき、やら
なくてはと思っていたテーマでしたが、やはり遅きに失してしまいました。無残にももう無くなっ
た煙突がいくつかありました。(無くなったのに“ありました”・・・日本語は難しいなあ)
煙突の役割は、燃焼ガスを速やかに大気中に抜いて、燃焼効率を上げる筒状のものを言います。
さて、煙突には自然通風と、強制通風の 2 種類が有ります。最近のマンションやビルは、強制通風
(押込通風・吸引通風)が主流ですので、煙突が殆どありません。
よほどのことが無いと自然通風のための高い煙突は作りません。費用と技術の点で、作るのも大
変ですし、壊すのも大変です。煙突は高ければ高いほど、熱風の抜きが良いと言われます。
理由のひとつは、熱によって発生する上昇気流を囲ってやることで、ドラフト(引き抜き)効果
が大きくなります。更に煙突が温まっていると、ドラフト効果は上がります。
二つ目は風圧の差があります。風圧は、風速の二乗に比例し
ます。改正前の建築基準法では、建物のある高さの風圧は高さ
の平方根に比例します。平成 12 年の法改正により、複雑な計
風圧
算式になっちゃいまして、よく分からなくなっちゃいましたが、
風圧 ( kg m 2 ) = 60 ×
H
高さ 16m までの建物に適用(H=建物の高さ)
H を煙突の高さとすると、5m の高さの煙突は 1m の地上と
は2倍の風圧になります。このことで煙突上面に負圧が生じ、
空気が上空に引っ張られます。
三つ目は、工場などの煙突は、航空法で特別な設備がなくて
も、高さ 59m までは許されます。この高さになると気圧の差
こころざし
による負圧も生じる筈です。このことから煙突と 志 は高いほど良いということになります。
(いつものトマソン隊と違うアプローチだぞ!ギャグが無い!まずい展開である)
親父は東京電力の社員でしたので、子供の頃の寝物語のレパートリィーの中に、
「おばけ煙突」
がありました。千住の火力発電所の煙突を、「おばけ煙突」と呼んで皆が怖がっていた話です。
菱形に建てられた4本の煙突は、見る位置によって、4 本に見えたり、3 本だったり、2 本、1 本
ず
にも見えました。これは結構、幾何数学的な話で、数学好きな日出彦さんや矢澤さんが好みそうな
テーマです。「おばけ煙突」って言葉が子供の頃は、なんだかおどろおどろしくて、ドキドキして、
わくわくしたのも事実です。
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なんだか凄かった記憶があります。このおばけ煙突は、大正 15 年 1 月、当時の東京電燈会社
(現在の東京電力)が、なんと約 1,500 萬円もかけて建設したもので、75,000 キロワットの発電
量をもつ、日本最大の火力発電所だったそうです。高さ 83.8 メートル、直径 4.5 メートル。燃料
は石炭で隅田川を船で運んでいたとのこと。いいですねえ。時代です、この浪漫好きです。
時代が進むと熱効率の悪いボイラーが廃止になり、昭和 39 年秋に取壊され、その 11 月末には、
姿を消しました。小学生の頃に、鶴見の日本鋼管だか、旭硝子だかの工場の煙突が、『お化け煙
突』だぞって噂されていました。工員さんあたりから聞いた話なんでしょうけど、雨の降る夕暮れ
に、おばけ煙突の前を通り過ぎると、また、その煙突が見えてくる。幾ら歩いても、その煙突のと
ころに戻ってきてしまうという話に刷り替っていました。「おばけ地蔵」の話と混同されているよ
4本に見える煙突
ここまで来ると
1 本に
うです。東京電力の資
料によると「お化け煙
突」は、左のように見
えたものでした。
1本が 2 本に、2 本
が4本に、春は 3 月、
嵐山落花の形・・・?
あれれっ、ちょい
2 本の煙突
と違ったかな?
3 本の煙突
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でも、この煙突は見たことはありません。撤
去された「おばけ煙突」は、昭和40年に一部
が輪切りにされ(直径6メートル、重量約3ト
ン)、足立区立元宿小学校にすべり台として寄
贈されています。
滑り台として
http://sapporo.cool.ne.jp/hasu
/obake/obake.htm
さて、大きな煙突は、下から見上げているだ
けで、流れていく雲の中で、ゆらり、ゆらりと
揺れているように見えます。
ずっと後の話になりますが、地上 30m くらいの高さの
マンションの煙突に登らされたときには、煙突自体がゆ
っくり動いているようでした。天辺に 1.5m四方のステー
ジが付いていたのですが、降りる段になると、途中まで
しか付いていない垂直梯子まで足を伸ばさなければなり
ません。懸垂の要領で手だけでぶら下がればよいのです
が、それが出来ずにこのまま煙突の上で暮らすのかと思
っちゃいましたよ。
煙突は何時倒れるのか判らない怖さがあります。この
例として、「日立の大煙突」が有名です。台風の直後に煙
倒 壊 の 数 日 前
突が崩壊してしまいました。
建立:1914 年(大正 3 年)12 月
所在地:茨城県日立市三作山頂(標高 328m)
高
さ:155.7m(当時世界一)
材
料:鉄筋コンクリート(382 トン)
規
模:延べ 36,800 人、9 ヶ月間
目
的:銅精錬の煙害防止
所有者:日鉱金属日立工場
http://ksplan.sub.jp/daientotsu/
倒 壊 直 後
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うん、見るからに威容を誇っていて、ちょいと怖い
感じです。ってな、前振りをしておいて、ご近所の煙
突群です。ちょいとマイナーなのが恥ずかしい。(^^)
テヘヘ・・・。
ほんの少し前までは、撞木鮫のような形の煙突が、
どこの家にもありました。殆どが台所と風呂場のもの
でした。しかし、最近のキッチンは、熱風の排気は強
町会長宅
制換気になっていますし、風呂もガスによる湯沸かし
装置や電気によるボイラーになってしまいました。
石油や石炭、薪を燃やす風呂釜は、地方に行か
ないと見受けられなくなりました。自然換気に頼
る煙突は、最近、お洒落じゃないんでしょうか、
本当に見かけることがありません。
うちの方は都会じゃありませんので、ご近所に
は、こんな煙突がまだ、残っています。
このお宅は町会長さんの家で、餅菓子の製造を
されています。暮れには若い学生アルバイトが働
いている景色が見られ、膨大な白い水蒸気が吹き
お煎餅屋さん
出しています。
上の煙突は、お煎餅屋さんで、町会長さんよりももう少し立派
な煙突が付いています。今は工場だけで、お店はタバコ屋さんに
なっています。昔は屑煎餅を袋に詰めて 100 円位で売ってました。
こちらは普通の町家ですが、まだ、このような煙突が付いてい
ます。雪の積もる地域でも無いんですが、石油ボイラーでもある
のでしょうか。なんちゃって、家だって、ついこの間までは石油
ストーブかガス・ファンヒーターで暖を取っていました。
西洋館なんかには、マントルピースのための煙突、チムニーが
町屋の煙突
ありますが、そんなお洒落な西洋館は、この辺にはありません。
と言うことで、山手に行って見
ました。ご覧のように一味や、二
味も違う煙突が見つかりました。
このチムニーは大仏次郎記念館
の隣にあります。今は日本文学記
念館だったかな?間違えているか
もしれません。
昔は、この山手や居留地(関内、
馬車道、境町など)には、煉瓦や
旧英国総領事官邸
港の見える丘公園の隣
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木造の西洋館が沢山あって、沢山の煙突が林立
していたのでしょう。
あの、「エリスマン邸」の煙突の写真です。
玄関の脇に存在感を示して聳え立っています。
山手○○館と呼ばれる西洋館には、大体このよ
うな煙突が付いています。
この辺が煙突
エリスマン邸
の基部でした
マクガワン邸
エリスマン邸の裏手には、山手 80 番館、通
称「マクガワン夫妻邸」があります。関東大震
災で、被害があったものと思われますが、この
家には暖炉跡が残っています。多分この辺りに
あったんでしょうね。
開港資料館(旧英国
領事館;領事官室)
さて、近所に現存する煙突の多くは、お風呂屋さんの煙突で
す。この地域は、横浜の他の地域に比して、お風呂屋さんが多
いと言います。アパートなどで、お風呂付きのものが少ないの
かも知れません。新婚当初に住んでいたアパートには、風呂が
ありませんでした。その代わりにご近所にお風呂屋さんがあり
ました。最近は、風呂銭が結構高くて、そんなに気楽には行け
ないなあと言う感じです。
家の近所のごく一般的な風呂屋の煙突です。しかし、「福助
福助湯
湯」さんに行った記憶はありま
せん。いえ、いえ、うさおの得
意技では無くですね。
ご時世でしょうか、スパのよ
うな楽しめるお風呂屋さんが増
鷲の湯
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えて来ています。お家に風呂が無いから来る
のではなく、いろいろなお風呂を楽しみたい、
リラクゼーションの一環でお客さんが来るよ
うで、若い人が多いです。「鷲の湯」は、大き
な駐車場も用意されており、遠方からお客さ
んが来ています。
浦島温泉1
道路を隔てた反対側に、もう一軒、昔ながらの
お風呂屋さんがありますが、こちらは閑古鳥が鳴
いている状態で、潰れてしまうのは目前でしょう。
この煙突
名前も「浦島温泉」。温泉ってネーミングも古
浦島温泉2
いなあ。横浜のダウンタウン、面目躍如なりって
なところかなあ。
こちらは近所のトマソンする筈のお風呂屋さん
です。ご覧のように広々とした野外の風呂
で・・・。ってな訳無いでしょっ!お隣のアパー
トも潰して、マンションが出来るようです。すっ
かり更地にされたお風呂屋さんの跡地です。今回
も取材対象のひとつでしたが、残念です。
あっ、無い!
ここは線路を隔てた所にある「大富士湯」
です。昔はまともなお風呂屋さんでしたが、
世間の風を受けて、下がお風呂屋、上がマン
ションというコラボレーション。
大富士湯
なんとか時代に残れているようです。
菊名と大倉山の中間というか、新横浜駅の近く
にある「福美湯」、マンション群の中に建てられて
いるお風呂屋さんで、さてお客さんはいるのだろ
うかと、心配してしまう。今も黙々と煙を吐いて
大富士湯2
いるので、活躍中であることは判る。
入口はマンシ
ョンのよう!
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ただ、周りのマンションの目を気にして、
高い位置に目隠しの塀を建てているのが、都
会の中の銭湯という象徴がある。菊名にはも
う一軒、駅の近くにお風呂屋さんがあったが、
つい先だって、パチンコ屋に改装されてしま
った。南無阿弥陀仏。
富美湯
あっ、煙突だあって思ったのに、騙されたもの、
2題。ひとつは旧東海道にある、本田の自動車屋
さん。どこかの有限会社がフランチャイズで経営
今回のライ隊員は、頬っぺたが腫れちゃ
って、夜間病院に連れて行かれたんだよ
しているようだが、まさしく暖炉の煙突のように
見える。しかし、下からの鉄柱の延長線上にある
ので、これは飾りでしょうね。
もうひとつは、やはりこの旧東海道際にある
高いもの。近くによって見たら、これはどうや
ら通信用のアンテナだと思う。図抜けて高いの
で、期待しちゃったよ。
本田自動車のギャラリー
ご近所にある煙突で、なかなかカメラが向け
られなかったのが、この山の上の火葬場の煙突
です。子供の頃から、畏怖の念を持ってみてい
煙突か?
ました。今回は遠くからご紹介だけにします。
この次には、京浜地区の工場群に残る煙突とい
うことで、本格的に取材するつもり。今回はプ
ロローグということで・・・・。
かつてはこの辺りも町工場で賑わっていまし
たが、今ではベッドタウンの感が否めません。
その割りに横浜、新横浜、鶴見、川崎に囲まれ、
横浜でも中心地に近いと思うのですが、ドーナ
火葬場の煙突
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ツ現象で文化度の低い地域になってしまいま
した。それでも細々と残っている工場の煙突
をいくつかお見せします。
これは「ユニー」や「ライフ」の近くで、
がんばっている町工場。
「ユニー」も前は、大きな木工場でした。
「ライフ」はお風呂屋さんでした。この工場
の周りも、工場群でしたが、今では駐車場と
マンションになっています。無くなってしま
この煙突群は何だろう?
うのは、意外と早いかもしれません。
こちらは、鶴見にある東洋製罐の多分、子会社
だと思われる、「東罐興業株式会社」の煙突です。
煙突はどうしても手入れがし難いので、煤ぼ
けてくると、どうしてもおどろおどろしくなっ
今日も活躍、ご近所トマソン隊
東罐興業の工場と煙突
て「お化け煙突」の
世田谷のごみ処理場
ようになっちゃいま
すよね。
次回はそろそろ、
欄干にでも取り掛か
るかなあ。欄干の歴
史って言うのも少し、
調べてみるかなあ。