麻布の再構築

た意味は、その本来の意味である
り壊しとなります。まさに再構築
年間活躍してくれた旧体育館は取
す。新体育館竣工の暁には、五三
するなどのやり繰りをしていま
たり、校外のグランドを借りたり
ません。既存の施設をフル稼働し
ラブの活動を保証しなくてはなり
れでも学校は日々体育の授業やク
は使用できなくなっています。そ
入りのため、グランドの三分の二
ルとの間に位置し、工事車両の出
に退職期を迎えたためです。彼ら
の世代の方々がこの数年間に一斉
これは四〇年前の学園紛争の後
に多くの若手教員が採用され、そ
変化が起きたことになります。
の一が入れ替わるという凄まじい
の五年間にスタッフの、実に三分
の体制を保ってきているので、こ
司書教諭、養護教諭も含め九二人
級化以降、専任教員の数は校長や
人員が入れ替わったのです。七学
麻布学園
と、知力・体力・人間力を充実し、
勉学に励み、豊かな 交 友 関 係 の も
麻布学園は、創立 以 来 、 そ こ に
集う生徒たちが夢や 希 望 を も っ て
そのような中、いま、麻布学園
は「 再 構 築 」
を希求しています。
多大な貢献をする人物となること
き、ゆくゆくは人類および社会に
で困難な時代をたくましく切り開
簿の制作、国際交流シンポジウム
施、学園史補遺や紀要、卒業生名
館建築とそのための募金活動の実
よる連続教養講座の開催、新体育
り組みがなされています。OBに
現在、本校では来年の学園創立
一二〇周年に向けてさまざまな取
本校ではカリキュラムに大きな変
退職し、二九人が着任しました。
二〇〇九年の一五年間に二五人が
は 定 年 制 施 行 後、 一 九 九 五 ―
たいと思います。本校の専任教員
建物以上に教育の根幹を支える
人的な面での再構築について触れ
の現場がここにあります。
公立校では学校が統廃合され、伝
が直面する問題となっています。
いま、たいへんな勢いで進む日
本の少子化の問題は、教育の現場
期待したいところです。
い世代に学園のこれからを大いに
うと、活気と清新の気あふれる若
が現在に続く麻布のさまざまな制
減の代名詞とし
業縮小や人員削
た め に 行 う、 事
化を食い止める
ど企業が収益悪
し て、 不 況 期 な
ティブな表現と
まで専らネガ
う 言 葉 は、 こ れ
ちリストラとい
チ ャ リ ン グ、 即
す。 リ ス ト ラ ク
です。
ここにあつく御礼申し上げる次第
た。ご協力をいただいた方々に、
を残して目標額を達成いたしまし
のご協賛により、募集期間一年半
も、これまでに三〇〇〇人ちかく
らスタートしたOBへの募金活動
順調に推移しています。一昨年か
昨年一〇月に始まった新体育館
の建築は、来年三月の竣工に向け
です。
振り返り、行く末を考えての事業
もそうでしたが、学園の来し方を
年間のペースを三倍も上回る率で
が着任しました。それ以前の一五
見ると、三〇人が退職し、三〇人
驚 く べ き こ と に、 直 近 の
二〇一〇―二〇一四年の五年間を
ことが影響しています。
斉に六クラスから七クラス化した
いるのは、二〇〇〇年に全学年一
の間の着任数が退職数を上回って
ど良いと考えているからです。こ
を任せられる専任の比率は高いほ
いくためには、責任をもって指導
く、より細かく生徒指導を行って
ています。教科指導ばかりではな
の採用で埋めるという方針をとっ
います。
ために微力を尽くしたいと思って
ほしいと願っています。私もその
すます魅力ある学校にしていって
員たちが守り育て、そして時代に
麻布の良き伝統を、若い世代の教
切な核心であります。自由闊達な
校風や伝統の継続ということが大
校においては、
建学の精神の継承、
ています。学校、とりわけ私立学
収されたりするような事態が起き
まり、閉校したり、他の学校に吸
失うと、生徒減から経営が行き詰
統ある私立校でもひとたび魅力を
即して革新し、この麻布学園をま
て用いられてき
さて、この新体育館はグランド
の北端、一〇〇周年記念館とプー
私がここで用い
ました。しかし、
度やあり方を築いてきたことを思
将来彼らが向き合う で あ ろ う 複 雑
更がない限り、専任の欠員は専任
HP:URL
http://www.azabu-jh.ed.jp/
や 祝 賀 会 の 開 催 な ど で す。
〒106-0046
東京都港区元麻布
2-3-29
Tel03-3446-6541
Fax 03-3444-2337
一九九五年の創立一〇〇周年の際
麻布の再構築
(
(構築)です。
re再) structuring
格 好 良 く 言 え ば ル ネ サ ン ス( 再
第 17 号
生)でしょうか。
2014年10月15日
発行
)
restructuring
の最中にありま
校長 平 秀明
広報誌
(
第17号
麻布の丘に
(1) 2014(平成26)年10月15日
麻布の
数学授業
ついて、抽象化された一般論と具
他なりません。何か数学的対象に
化された知識の表出を指す表現に
ンス」とは、実はそのように身体
す。数学における「閃き」や「セ
凝った作品を提出する生徒がい
は、
毎年のように目にも鮮やかな、
立体を作ってくる」という課題で
みの宿題として出される「好きな
で表現することを学びます。夏休
また、通常カリキュラムとは別
に、「 教 養 総 合 」 で は 通 常 の 高 校
が増えていきます。
が選択し、大学受験に向けた演習
は2)
」「数学β」「数学γ」
から各々
文 系 に 分 か れ、
「 数 学 α( 1 ま た
内 容 が 扱 わ れ、
「数学C」という
範囲にとらわれないオリジナルな
プログラミングを行う授業や、「組
て、 晩 夏 の 風 物 詩 と な っ て い ま
はそれを「よく理解している」と
合せ論入門」「行列講義」
「数学の
す。
感じます。生徒たちにそのような
小噺」
「数の性質を探る」
「力学と
体的な実例を当たり前に結びつけ
カタチで数学を理解してもらうこ
て認識・運用できているとき、人
とが。麻布数学科にとっての目標
微分方程式」などが開講されてい
な学習が好ましくな い こ と は 、 数
問題のパターンだけ を な ぞ る よ う
ものを目にします。 い わ ゆ る 典 型
きやセンスが問われ る 」 と い っ た
と し て「 本 質 を つ い た 問 題 」「 閃
高 校 一 年 生 で は、「 数 学 α 」 で
主に関数や解析に関する分野を扱
るのがこの学年です。
し、証明や解答を書くことを始め
的な対象について厳密な議論を
や多項式など、代数に現れる抽象
いてくる時期でもあります。整数
常に頼もしい限りです。
敢にそれらに向かっていく姿は非
が、数学好きな生徒が臆せず、果
な内容に踏み込む授業もあります
ます。中には大学生の学ぶ専門的
の一つです。
学のみならず、全て の 教 科 に 共 通
中 学 入 試 に お い て、「 麻 布 の 算
数」を評する(あり が た い ) 文 言
第17号 (2)
麻布の数学科が目指 す も の と そ れ
として語られますが 、 少 な く と も
れつきの才能」「偶発的な気付き」
という言葉は、とも す れ ば 「 生 ま
幾何では中一の途中から証明問題
数などの高度な内容も扱います。
り、代数では二次方程式や二次関
的に中学の課程はこの学年で終わ
中学二年生では、引き続き「代
数」と「幾何」を学びます。基本
選択制になっていきます。
を受け、高二からは一部の授業が
科にまたがるカリキュラムの説明
を学習します。高一の最後に全教
では決してありませ ん 。 膨 大 な 実
ながらに何も訓練せ ず 扱 え る も の
す。言語とはその性 質 上 、 生 ま れ
たひとつの言語であると言えま
た歴史を持っており 、 体 系 化 さ れ
小学校で自然に扱っていた平面図
なども学習します。幾何ではまず、
どを学び、最終的には連立方程式
は正負の計算や文字式の扱い方な
種類の授業が行われます。代数で
入学して間もない中学一年生で
は、「 代 数 」 と「 幾 何 」 と い う 二
子供のそれから大人の水準に近づ
発達段階として、言語活用能力が
とになります。この学年は生徒の
内容も本格的に高校範囲を扱うこ
中学三年生になると、授業の名
前も「数学α」
「数学β」に変わり、
とを繰り返し練習していきます。
明確にして数学的な文章を書くこ
が 登 場 し、
「 仮 定 」 や「 結 論 」 を
高校三年生では、完全に理系と
す。
者を選択することも時折ありま
いので、意欲的な文系の生徒が前
ですが、特に制限を設けてはいな
択することになります。基本的に
学β2」というセットで授業を選
い、「 数 学 β 」 で 代 数 的 な 幾 何 学
らは少し異なります 。
例や学習を繰り返し 積 み 重 ね 、 長
形について、数学的な定義を言葉
は前者が理系、後者が文系の内容
い時間をかけて体得 さ れ る も の で
数学という学問は 、 自 然 科 学 を
記述するツールとし て 発 展 し て き
高校二年生では、「数学α1」「数
学 β 1」 ま た は「 数 学 α 2」
「数
す。一方で「閃き」 や 「 セ ン ス 」
する考え方であろうかと思いま
麻布の丘に
2014(平成26)年10月15日
こ数年、大きな代替 わ り の 時 期 を
現在の数学科の構 成 は 、 専 任 教
員が一四名、講師が 四 名 で す 。 こ
す。OBの方の中には、在学時代
生・滝口先生の二名が退職されま
今年度は、長年麻布学園の数学
教 育 を 支 え て 下 さ っ た、 新 垣 先
ます。
ターを用いた数学」を作っていき
の 教 員 に よ り「
〈新〉コンピュー
ています。今後は、若手の数学科
迎えており、一四名 の 専 任 教 員 の
新垣 眞樹 が進んだことになります。雰囲気
が、数学科では特に顕著に若返り
に御二人の授業を受けた記憶のあ
高校二年生で、自由選択科目「数
C 」 を 設 け、「 コ ン ピ ュ ー タ ー を
は、前にもましてアカデミックに
内、 実 に 九 名 が 四 〇 歳 未 満 で す
用 い た 数 学 演 習( プ ロ グ ラ ミ ン
なりました。若い人の優秀な専門
る方も多いのではないでしょう
グ )」 を 実 施 し て き ま し た。 六 〇
性 が 授 業 に も 活 か さ れ、 生 徒 に
(二〇一四年度現在)。メンバーが
人から八〇人程の生徒が放課後に
とってより魅力的な授業になるこ
か。御二人から、一言ずつ御言葉
もかかわらず、熱心に受講してき
とを期待しています。私は今年度
更新されていく一方 で 、 こ れ ま で
数学カリキュラムについて各教員からの意見書
(太田)
ました。指導要領の改定により、
で退職しますが、今後とも麻布を
を頂きました。
さず、より良い数学 教 育 を 実 現 す
るために、科全体で 取 り 組 も う と
いう機運が高まって い ま す 。 具 体
的には,カリキュラ ム や 授 業 内 容
の扱いについて各人 の 意 見 を 共 有
することや、長期休 み 中 に 若 手 主
催で勉強会を開くな ど 、 多 く の 試
みがなされています。年度末には,
専任教員全員での一 泊 の 合 宿 も 行
われており、その年 の 授 業 に つ い
ての総括や意見交換をしていま
す。これも他の科に は 見 ら れ な い
特徴です。
数学科では今年退職する二名の
分も入れると、数年間で一〇名の
教員が入れ替わることになりま
教 科「 情 報 」 が 導 入 さ れ、 コ ン
す。麻布全体でも言えることです
ピューターは数学科の手を離れて
滝口 正晴
どうぞよろしくお願い致します。
一つの科目として捉え直し実施し
い き ま す。「 数 C 」 を 教 養 総 合 の
培われてきた数学科 の 理 念 を 絶 や
第17号
麻布の丘に
(3) 2014(平成26)年10月15日
﨑山 理史
新垣 眞樹
滝口 正晴
佐藤 巨崇
髙橋 知明
長尾 有晃
重田 大輔
野田 忠
太田 隼
今田 光彦
井村 俊也
柳生 一
松尾 光芳
小林 澄夫
インタビュー
麻布
で司法試験に合格した後に、民
まり一般の法律事務所で扱うこと
せんし、また、したとしても、あ
す。これらはなかなか表面化しま
なっていたというケースもありま
ました。従って、法律や社会科学
いましたし、運実にも参加してい
に属していて、山に行ってばかり
と考えていました。また、オリ部
ていて、美大の建築科を受けよう
いいえ、麻布時代は、美術に興
味があり、文実美術部門長を努め
す。そこで福祉関係の部署に配属
拾っていただいたというわけで
を専攻していた縁で、何とか都に
学四年で就職活動を始め、心理学
もっていてはいけないと考え、大
だ、 こ の ま ま 狭 い 世 界 に 引 き こ
者にも向いていないと自覚し、た
学しようとも考えたのですが、学
卒業して社会でやっていく自信
がなかったからです。大学院に進
―最後に麻布生に何かメッセー
こまれました。
物事を解決するように、たたき
ら常に学び、互いに助け合って
上からの目線ではなく、他者か
を通じて、
弱者救済などという、
面の機関と連携するという経験
選ぶ契機となり、そこでの各方
の「東京パブリック事務所」を
間の法律事務所ではなく、公設
はありません。そのような事案を
にはあまり興味がありませんでし
されて、障害者施設に派遣され、
フラフラしてきたので偉そう
な事は何も言えません。今でも
もうとなさったのですか。
福祉事務所や地域包括支援セン
た。ただ、麻布の授業は大変面白
そこでの仕事が結構面白く、すっ
から興味を持たれていたのです
ターはもちろん、消費者センター
く、個性的な先生も多かったよう
かりはまってしまいました。学歴
私は自分に自信がなく、コンプ
か。
や警察、役所などとも連携して、
に思います。その先生の存在自体
レックスの塊です。常に、自分
誰かに訴えることも出来ません。
解決に向けて支援しています。こ
が、一種「得体の知れない」混沌
は全く意味をなさず、また、一人
また、年金や財産を親族が管理し
れを司法ソーシャルワークといっ
の人間だけでは何にも出来ないと
ていて、いつの間にか一文無しに
ています。
とした魅力でした。前校長の氷上
が、文系科目が苦手なもので、や
は文学部に行こうとも考えました
でした。それに影響されて、一時
先生の授業などはその最たるもの
のですね。
という仕事にも生かされている
―その時の経験が、現在の弁護士
す。
ぶことが多かったように思いま
障害者の方達も個性的で、色々学
ることの重要さを痛感しました。
職種の人たちとチームで仕事をす
いうことを思い知らされ、様々な
した、様々な未知の世界に対す
何か「得体の知れない」混沌と
野が狭い」
と思っていたことが、
だ、
「 自 分 は 何 も 知 ら な い、 視
のを抱いたという有様です。た
やっと続けていく自信らしきも
仕事も、弁護士十一年目にして
のかと自問してきました。今の
の方向性に関して、これで良い
子欠損マウスの行動異常」という
んど理系の分野で、卒論は「遺伝
た。心理学専修というのは、ほと
文学部の心理学専修に進学しまし
しかし、再び、進振りで文転し、
しかし、この時の経験が現在の大
しまえば仮面就職だったのです。
うことで、就職ははっきり言って
前述のとおり、自信がない、とい
つの選択肢でありました。しかし
実を言いますと、大学の四年時
では司法試験浪人になることも一
―本日はどうもありがとうござ
やましいです。
があると思います。純粋にうら
れない」ものに授かるチャンス
まだまだたくさんの「得体の知
しれません。中高生であれば、
(杉山)
タイトルです。
る興味につながっているのかも
むなく理転し、
美大もあきらめて、
ジをお願いいたします。
―大変なお仕事ですが、学生時代
太田 晃弘 さん
おおた あきひろ さん
一 九 九 三 年( 平 成 五 年 )
麻布
高校卒。同年東京大学理科二類
入学。
一九九七年 同大学文学部心理
学専修卒業。東京都に心理職と
して採用。三年間知的障害者施
設で活動援助係として働く。
二〇〇二年 司法試験合格。
二 〇 〇 四 年 弁 護 士 登 録。
「東
京パブリック法律事務所」
所属。
二〇〇六年 岐阜県法テラス可
児法律事務所に赴任。
二〇一一年 社会福祉士登録。
二〇一二年より現職。
きな糧になっています。通信教育
いました。
―それが、またなぜ福祉の道に進
東大の理科二類を受験しました。
その自覚もなければ、ましてや 「得体の知れない」混沌とした魅力
け商法などの被害 に 遭 っ て も 、
らは、振り込め詐 欺 や 、 送 り つ
活動をしています 。 例 え ば 、 彼
て、法的に援助し て い く と い う
係を中心とする諸 機 関 と 連 携 し
障害者や高齢者 な ど の 、 社 会
的に弱い立場の方 々 を 、 福 祉 関
けますか。
さっているのか 教 え て い た だ
―まずはどういうお仕事をな
聞き手 杉山・彦坂
社会福祉士・弁護士
法テラス東京法律事務所勤務
第17号 (4)
麻布の丘に
2014(平成26)年10月15日
区 本 村 町 二 二 番 地 )。 学 園 も 旧 本
布二―一四―一六(旧町名
麻布
してしまいます。所番地は、元麻
る氷川神社に行ってしまえば見逃
教会があります。左手向こうにあ
スがはめ込まれ、蔦にからまれた
すれば、すぐ右側にステンドグラ
ます。この交差点を北方向に左折
が、サンフランシスコからやって
のような困難時に遭遇した人物
す様々な不祥事の始末である。こ
た。特に苦労したのは移民が起こ
イ移民に関する問題処理であっ
安藤が直面したのは、日本人ハワ
日本人移民問題も抱えていたが、
この時期、日本政府は不平等条
約改正に苦慮する一方、海外への
領事として赴任(一八八六年)
。
なり、宇都宮採掘場の隆盛を招き
た関東大震災に耐えて一躍有名に
谷石造りが、竣工と同時に発生し
ロイド・ライトの設計で、その大
みに、旧帝国ホテルはフランク・
支店などが現存しています。ちな
んだ設計家で、京都旧村井銀行本
吉武長一は、米国ペンシルヴァ
ニア・テクニカル・カレッジで学
て選定される。
先生は一八八八年に築地教会で演
私は思い当たりました。江原素六
ところで、銀座教会の前身は築
地教会ですが、調べているうちに
す。
二代目牧師は、前述の美山貫一で
(一九一八年)
。なお、銀座教会の
後独立して設立されました
教会系列は日本メソジスト教会
に属します。もとは銀座教会の講
年に東京都歴史的建物六五号とし
村町ですから、いかに至近距離で
きた日本人キリスト教牧師美山貫
の他を圧するが如く 聳 え る 末 日 聖
建物の一つです。有 栖 川 公 園 沿 い
せていただく教会も 、 そ の よ う な
かないと思います。 今 回 ご 紹 介 さ
隣を散歩していても な か な か 気 付
ひっそりと佇んでい ま す 。 学 園 近
キ リ ス ト 教 系 の 教 会 堂 が 多 く、
輪教会などです。麻 布 近 辺 に は 、
た。例えば、明治学 院 礼 拝 堂 、 高
ささやかながら触れ て ま い り ま し
に外務省に移り、岩倉具視特命全
政府官吏に採用。大蔵省を皮切り
刑ののち赦免。語学力を買われ新
てこもる。降伏後、一年間の禁固
では、榎本武揚に従い五稜郭に立
師バラにも英語を学ぶ。戊辰戦争
府より扶持を受けて、横浜の宣教
所でも騎兵学を修め、その間、幕
び、海軍操練所に入所、陸軍伝習
か ら 一 九 歳 ま で 蘭 学・ 英 学 を 学
により幼時より漢学、のち一六歳
て江戸四谷北町で誕生。父の勧め
一八四六年、鳥羽藩稲垣津島守
の家臣、医師安藤文鐸の長男とし
創立者は安藤太郎です。経歴と
経緯を紹介いたします。
ク風大谷(おおや)石造、天然ス
一部二階五坪)
、
様式構造
木菊吉、建築面積
竣工 一九一七年、設計 吉武
長一建築事務所、施工 請負師柏
れた。
ゴチッ
四○坪(うち
の死去を機にこの教会堂が建設さ
う遺言書が作成されており、夫人
団法人安藤教会」に寄付するとい
の合意のもとに、
全私有財産を
「財
伝道に専念。文子夫人と前々から
が、五一歳で公務を辞し、信仰と
教福音伝道事業に励むことになる
後、帰国後も外交公務とキリスト
である。この体験経験を踏まえた
められて順調に展開していったの
状況の中で、移民たちの生活も改
することになる。このような変化
受洗し、結局領事館員全員が受洗
中頭のお順が受洗した後、安藤も
れるようになる。妻の文子や、女
たちとの接し方、指導法に感化さ
さえ抱いていたが、美山の移住民
心で、当初キリスト教に対し反感
一である。安藤は元来宗教に無関
います。
由来が下方に漢英両語で記されて
イ在住信者の献金に依るもので、
の大きなステンドグラスは、ハワ
外の通りからも見える礼拝堂後方
リアを象徴し、中央の十字架を温
講壇両脇の百合の意匠は純潔・マ
ドグラス作家といわれています。
米国でも修業した日本初のステン
家橋本雅邦(がほう)にも学び、
内装のステンドグラスは小川三
知(さんち)の作。三知は日本画
石が使われています。
で、そのため当教会には一部小松
ますが、欠点は風化しやすいこと
加工が容易、耐火性にも優れてい
青緑色、亀裂が少なく、軟らかく
とです。大谷石は凝灰岩の一種で
れ、材を大谷石に決定したとのこ
吉武の案内でこの教会堂見学に訪
と、
ライトは帝国ホテルの設計前、
す。現牧師、佐野英二さんによる
られるようになったといわれま
石段、石壁、倉庫など至る所に見
ました。以来、関東一円には石垣、
し上げます。
た。ありがとうございました。末
今回は安藤記念教会の佐野英二
牧師には大変お世話になりまし
なりました。
切りがありません・・・、勉強に
戦争、キリスト教、教育・・・、
いるのです。お二人の出自、戊辰
メソジストとして祝辞を献じても
教会の献堂式には江原先生が同じ
に欧米視察をしていますし、安藤
た。江原先生は岩倉使節団の前年
点をさらにいくつも発見しまし
説をしているのです。共通点、接
義所として発足しましたが、その
あるかがわかると思います。
徒イエス・キリスト 教 会 は む し ろ
権大使の使節団に随行し、欧米を
レ ー ト 葺( 現 在 銅 葺 )
。二○○四
:
(増永)
礼拝堂後方二階より祭壇をのぞむ
この建物編も四回 目 に な り ま し
た。教会建築物には、前回までも、
例外です。
視 察( 一 八 七 二 年 )。 香 港 副 領 事
:
:
筆ながらここに感謝の気持ちを申
安藤記念教会の位 置 を 、 学 園 側
から案内紹介いたし ま す 。 仙 台 坂
( 一 八 七 四 年 ) を 経 て、 ハ ワ イ 総
:
:
かく包むような印象を受けます。
に向かうと、やや複 雑 な 五 叉 路 に
祭壇両脇の百合意匠ステンドグラス
:
なっている仙台坂上 交 差 点 に 至 り
安藤記念教会
麻布風土記
建物編 (第四回) 第17号
麻布の丘に
(5) 2014(平成26)年10月15日
サークル連合に加 盟 し て い る ク
ラブの昨年秋から今 年 夏 休 み ま で
の活動状況をお知ら せ し ま す 。 な
お、学園ホームペー ジ の ク ラ ブ 関
(佐久間)
連サイトもご覧くだ さ い 。
《運動部系》
[アーチェリー部]
[柔道部]
年都選手権大会 ㎏球5位中3
金丸(強化選手選出)
[水泳部]
年伊豆にて春合宿。
年学校で2回の合宿。中3野村
全国中学生大会 m自由形出場。
m個人メドレ 位。
[ソフトテニス部]
m6位生浪島。
北村・小倉。準優勝中1島田・梶
古橋・安松。港区森下杯優勝中1
年都新人戦港区予選準優勝中2
年6月高1桃北( 都 代 表 選 手 選
川。私立中新人選手権ベスト 中
年都中学生大会 m 4 位 甲 斐 。
出)関東大会ベスト 。 都 大 会 団
2安松・小宮。私立中新人選手権
[バスケットボール部]
[音楽部]
校長賞。熊本・福岡にて夏合宿。
と「理想のパー
トナー」をめぐり高2・高1有志
年5月乃木坂
[討論部]
ト。 6 月 文 化 祭 で「 音 屋 」
。7月
が討論。6月文化祭で模擬討論、
年1月ニューイヤーコンサー
3貞方日本バスケットボールジュ
サマーコンサート。以上の演奏会
年都私立中学校新人戦3位。中
ニア強化選手
(東京代表)
に選出。
で日ごろの鍛錬の成果を披露。
年群馬県片品村にて夏合宿。
[陸上競技部]
m6位高2岩
mリレ
年千葉県富津市にて春合宿。新
潟県柏崎市にて夏合宿。
m8位
都高校新人支部大会4×
ー5位、
政。すべて都大会進出。
[ワンダーフォーゲル部]
ーク交響曲第8番、スラブ迂曲第
回定期演奏会ドヴォルザ
年冬六甲山。
団体戦全国優勝
(中2赤星・橋本、
月高校演劇連盟東京都中央
歌演奏。第 回定期演奏会グリエ
年3月春合宿。4月入学式で校
年春潮岬。夏利尻・礼文。
古橋・安松・小宮・赤星、中1梶
年文部科学大臣杯小中学校囲碁
[囲碁部]
《文化部系》
1番など。
年第
[管弦楽部部]
野件桜清水コテージで夏合宿。
年文化祭にて研究展示大賞。長
の水質調査」について調査・発表。
る自主研究」支援事業で「多摩川
年「高校生の環境リスクに関す
[化学部]
[バレーボール部]
14
年8月長野県野尻湖にて夏合宿。
[物理部無線班]
で6位。9月京都にて合宿。
子園」関東甲信越予選大会2回目
紙展を催行。7月「ディベート甲
46
年文化祭に於いて部誌「盈月」
[文芸・漫画研究部]
発行。PTA新聞に4コマ漫画掲
載。
《注目の部活》
足し、 年以上の歴史を持つ部活
麻布学園山岳部は戦後まもなく発
[山岳部]
スランとリュドミラ」序曲など。
です。現在は中1から高2まで、
回全国高等学校将棋選手
約 名の生徒が所属しています。
でランニングとサッカーなどで体
学期中は週に2回、放課後の部活
権大会男子個人戦優勝高2日高。
力をつけ、
月に1度のペースで
「月
戦団体戦4位(高2日高・一柳・
訓練を行っています。これら普段
例山行」という、日帰りでの実地
冬の長期休暇には、学年や体力を
の活動の集大成として、春・夏・
年文化祭で書道展「憲」として
参加。作品約
班 ) と 会 津 駒 ヶ 岳( A 班 )、 夏 は
と北八ヶ岳
(A班)
、春は雲取山
(B
文化祭展示「第一次世界大戦」で
し た。 合 宿 中 は た だ 決 め ら れ た
トムラウシ縦走は断念)に行きま
全員で大雪山系(天候不良により
キャンプ場にて夏合宿。
白馬大池・
年3月高松・松山にて春合宿。
[地歴部]
風吹大池で生物観察、調査実施。
す。直近では、
冬は赤城山
(B班)
行先や日程で合宿を行っていま
分け、それぞれの力量に合わせた
考慮して部員全体をA班とB班に
[書道部]
清宮・高1江崎・秋山・津田)。
第
回全国オール学生将棋選手権
年第
[将棋部]
6月文化祭で演奏会。8月夏合宿。
ール交響曲第1番、グリンか「ル
14
点を展示。うちわ
2月東京都中央地区バレンタイン
年8月新潟県糸魚川市蓮華温泉
[生物部]
販売も好評。
ディエイト部門中3左右田優勝。
臨海チャレンジカップインターミ
年横浜新人王戦高2宮地優勝。
[オセロ部]
にて夏合宿。
6月文化祭公演。8月野辺山高原
公演参加。4月新入生歓迎公演。
1 月 冬 公 演( オ ム ニ バ ス 公 演 )
。
コラボレーション)
。
年9月中学生公演(ダンス部と
高2二宮)舞台美術賞受賞。
発表会出場。演目「ルート3」
(作
年
[演劇部]
保田)
。
中
団体都ベスト 中2麻布A(中2
100
流山オープン中3浦野3位。
60
体3位(高2池田・ 石 塚 ・ 福 山 ・
高1桃北)。
[剣道部]
14
14
14
30
400
13
14
13
200
川・ 島 田 )。 私 学 研 修 リ ー グ 優 勝
中3中野・村瀬、準優勝中3鈴木。
村瀬)
年第1ブロック港区予選優勝中
中3古橋・小宮、団体ベスト
3古橋、小宮。私立中選手権ベス
ト
麻布A(中3安松・赤星・古橋・
小宮、中2梶川・神田)
62
50
年3月静岡県河津 に て 春 合 宿 。
7月長野県白馬にて 夏 合 宿 。
[硬式テニス部]
年中3河村関東大 会 ベ ス ト 。
[硬式テニス同好会 ]
年7月軽井沢にて 夏 合 宿 。 ア ル
タカップ優勝高2池 田 。
[卓球部]
年都中学校春季大会団体港区準
優勝。都中学校選手権大会団体港
区準優勝。
年NFL日本大会全国3位。
[タッチフラッグフットボール部]
[バドミントン部]
年都中学選手権大会ダブルス出
場(中3新井・浦野ペア)。
11
63
20
[硬式野球部]
第 回全国高等学校 野 球 選 手 権 大
会東東京大会1回戦 対 都 立 戸 山 4
対0。2回戦敗退。
[ゴルフ部]
月関東高等学校ゴ ル フ 選 手 権 冬
年都ゴルフ選手権 秋 季 大 会 。
季大会出場。
年都春季大会ベス ト 。
[サッカー部]
14
14
13
13
14
29
14
14
14
32
14
60
18 50
16
14 13
14
14
14 13
14
32
16
32
81
14
30
16
32
14
13
14
14
14
14
96
12 13
14
14
14 18 12
200
13
第17号 (6)
麻布の丘に
2014(平成26)年10月15日
ています。教員は現 在 、 正 顧 問 が
段階から全てが生徒 主 導 で 行 わ れ
コースの選定など、 計 画 を 立 て る
中での円滑な設営や 、 安 全 な 登 山
のなさの裏返しであるということ
です。しかし、あの態度は、自信
かしい思いを抱いていたのも事実
た彼に対して、我々も少々危なっ
聞きます。同期の中で最年少だっ
生徒達との衝突が絶えなかったと
過剰とも思える口吻から、当初は
名ですが、授業においても、自信
「 俺 が 鳥 越 だ!」 と い う 発 言 は 有
ません。芭蕉の言う「謂いおほ
は今でもその考えは変わってい
座興でありました。しかし、私
蒟蒻問答で、まあ、酒の席での
う議論とも思われない、一種の
の存在を伝えようとする、とい
いつつも、言葉で表せない思い
葉に対する不信から、言葉を用
者に伝えようとし、私は逆に言
らこそ、言葉を用いて思いを他
彼は言葉に対する信頼があるか
山々を歩くだけでは な く 、 テ ン ト
4名、準顧問が2名 の 体 制 で す 。
も分かっておりましたし、彼もそ
せてなにかある」(
『去来抄』
)
。
帯同をしていただい て い ま す 。 今
関する現役生への助 言 や 合 宿 へ の
その時の同期です。現東京学芸
私は一九九○年に麻布学園に
奉職しましたが、鳥越さんは、
合っています。
ぬ ま ま、 彼 と の 思 い 出 に 向 き
撃と深い喪失感から未だ恢復せ
となれば尚更です。その強い衝
輩の方々ではなく、歳下の同僚
も思いませんでした。しかも先
したためる運命になるとは夢に
だ新しいうちに、再び追悼文を
の追悼文をしたためた記憶がま
年の『麻布の丘』にて本田先生
の訃報に接してきました。一昨
山内先生、本田先生、根岸先生
この二年の間に、国語科では、
だその実感は湧いてきません。
鳥越さんが急逝されて、約半
年が経とうとしていますが、ま
葉」について些細な議論をしたこ
が、まだ二、
三年目のころに、
「言
のです。詳しい時期は忘れました
りして、よく飲み、語り合ったも
ブ顧問その他で一緒に仕事をした
キーに行ったり、校務分掌やクラ
彼との個人的な思い出はほとん
ど酒がらみです。同期で一緒にス
理想的な存在でもありました。
り、父であり、その意味でまさに
では家族と酒を愛するよき夫であ
躍は枚挙に暇はありません。家庭
メディアで執筆するなど、その活
の大学の講師を努め、さまざまな
史教育の研究者として、いくつか
掌に全力を傾け、また西洋史や歴
麻布の教員として、授業や校務分
獲得していきました。その後は、
に信頼される教員としての存在を
ようになり、やがて、公私ととも
思いはまだまだ尽きませんが、
改めて、「言葉」にいたします。
てもの慰めでもあります。
に、今の自分自身に対するせめ
ていることは確かです。と同時
でも彼の鎮魂になれば、と願っ
かが伝わり、そしてそれが少し
思いを言葉にしようとする営為
鳥越さんに対する名状できない
らなくなってきました。ただ、
を伝えたいのか、自分でも分か
にあります。この拙い文章で何
において、この文章はその極み
思いであるでしょう。その意味
学」に携わっている者の共通の
を紡ぐ。これは私に限らず、「文
こそ、それに対して何とか言葉
できない思いの存在があるから
に何の意味がある。言葉で表現
のが山岳部の大切な 伝 統 で す 。 山
追悼 鳥越 泰彦 先生
計画立案に際しては 無 理 の な い 行
れを自覚し、それを埋めるべく努
言葉で全て表現してしまうこと
の設営から食事の用 意 ま で 、 山 で
程になるように助言 を し 、 実 際 の
力を重ねるうちに、その持ち前の
の生活の全てを部員 達 の 手 で 行 う
山行では生徒に同行 し て 活 動 を 見
情熱と行動力を生徒達も理解する
年の5月には、OB ・ 現 役 生 合 同
大学教授の大井田さん、理科の
とがあります。要は「言葉」を信
も 手 厚 く、「 サ ポ ー ト 委 員 会 」 と
で、秩父の破風山で の 親 睦 山 行 も
森本さん、英語の鈴木清さん、
頼しているか否かということで、
いう組織が中心とな っ て 、 山 行 に
行われました。
講師では国語の中島さんが一緒
鳥越さん、ありがとう、そし
て安らかに。
を通じて、鳥越さんに対して何
でした。始業式の新人紹介での
国語科 杉山 雅彦
守っています。OB の 方 々 の 協 力
第17号
麻布の丘に
(7) 2014(平成26)年10月15日
地下一階の柔道場、剣道場、多目的室の躯体工事
ルコートSサイズ)・物置
テ ニ ス コ ー ト 2・( ハ ン ド ボ ー
四階(屋上)
ランニングコース・体育教員室
三階
庫・グラウンド用倉庫
レ・男子シャワー室・防災備蓄
運 動 部 部 室・ 倉 庫・ 男 子 ト イ
二階
室・ハンディキャップトイレ
レ・女子トイレ・女子シャワー
ア リ ー ナ・ 器 具 庫・ 男 子 ト イ
一階
新体育館建設工事の進捗状況
昨年一〇月より着 工 し ま し た 新
体育館建設工事は、 二 〇 一 五 年 三
月末の完成に向けて 順 調 に 進 み 、
全工程の四五%を終 え 、 グ ラ ウ ン
ド北側に偉容を示し 始 め ま し た 。
(彦坂)
柔道場・剣道場・ ロ ッ カ ー 室 ・
地下一階
多目的教室3・給 湯 室 ・ 男 子 ト
イレ
学園事務室から
募金ご協力の御礼
二〇一三年一〇月以降、募金に
ご協力下さった卒業生と学園関係
者の皆様を左記のとおりご報告致
します。ご協力ありがとうござい
ました。
(敬称略)
○教育施設維持
卒)
改善の為の寄付金
都筑 吉彦(昭
高二学年会
麻布学園二〇一三年度
高三学年会
麻布学園二〇一三年度
(行事部門リサイクル)
麻布学園PTA
麻布学園PTA (二〇一三年度)
齋藤 祐治(昭 卒)
昭和四五年卒同期会
○麻布学園奨学金
途報告いたします。
なお、在校生保護者の皆様につ
きましては、PTA新聞折込で別
28
32
第17号 (8)
麻布の丘に
2014(平成26)年10月15日
〔麻布学園寄付金口座〕
○麻布学園教育施設維持
改善の為の寄付金口
ゆうちょ銀行
(専用振込取扱票をご用意
しております。
)
0653228
六本木支店
00120-5-186313
三菱東京UFJ銀行
普通預金 ○麻布学園奨学貸付金口
1522117
六本木支店
三菱東京UFJ銀行
普通預金 ○麻布学園新校舎建築積立金
1476863
六本木支店
三菱東京UFJ銀行
普通預金 この他に「賛助制度」と「 新体
育館建設資金」に係わる寄付を
受けつけております。詳しくは
事務室宛にお問合せ下さい。
引き続き宜しくお願いいたしま
す。
「麻布の丘に」広報委員会
彦 坂 昌 宏( 工 芸・ 理 事 )
・太
田隼(数学)
・佐久間道則(理
科)・杉山雅彦(国語)・増永
英 夫( 英 語 )・ 山 田 昭( 事 務
長)・宮崎健司(事務)
題字・星野新次郎(書道)
◇「麻布の丘に」第一七号を
お 届 け し ま す。 編 集 委 員 で
あった国語科の廣瀬武久先生
が退職され、今号より数学科
若手の太田隼先生が編集委員
に加わりました。発行の理念
である「過去・現在・未来の
麻布を結ぶ」広報誌として、
卒業生、在校生及び保護者、
そして麻布への入学を希望す
る方々にお届けいたします。
大変残念なことに、社会科
教員で「麻布の丘に」の編集
委員でもあった鳥越先生が、
生徒引率中の韓国で、心停止
のためにお亡くなり、追悼文
を掲載することになりまし
た。鳥越先生が学園の教育の
ために尽力くださったことに
深く感謝すると共に、心より
(彦坂)
ご冥福をお祈りしたいと思い
ます。