単なる日常の“身体活動(Physical Activity)”を健康維持に 不可欠な“身体

人間環境学会『紀要』第1
1号 Jan. 2009
<論文>
単なる日常の“身体活動(Physical Activity)”を健康維持に
不可欠な“身体運動(Physical Exercise)”へ昇華する試み
鈴 木
秀 雄※1
A Study on a Trial to Clarify “Physical Exercises” for maintaining
Health from Mere “Physical Activities or Actions”
Occurring on a Daily Basis
Hideo Suzuki, Ph.D.※1
The purpose of this study is a trial to clarify the necessity of “physical exercises” for
maintaining health from mere “physical activities or physical actions” occurring on a daily
basis.
Physical activities or actions occurring on a daily basis are mostly recognized as a means
to an end in terms of satisfying and completing necessary matters and/or required things.
Therefore the physical activities themselves are not the direct objective.
In other words, those activities and actions were done usually in a manner with saving
human energy. In order for a person to be able to keep and maintain his/her positive health,
it is necessary to change from physical activities and actions to physical exercises that are
much more effective than saving human energy activities and actions.
※1
Kanto Gakuin University; 1―50―1, Mutsuurahigashi, Kanazawa-Ku, Yokohama 236―8503, Japan.
key words:Physical Action/motion(身体動作)
、
Physical Activity(身体活動)
、
Physical Exercise(身体運動)
1. 生活活動として現れる日々の身体動作の内容
一般に、動作(motion)とは、事を行おうとして意識的に身体を動かすこと、また無意識的に起
こる動きそのものである。動作に対する良し悪しの評価は必要なく、そこに現れている身体の動き
の形態表現である。
実行する目的が明確になり、行動を起こしたときの一連の動作には、逆にその動きの良し悪しは
評価を受けることとなる。日常生活で生活活動として現れる日々の身体動作の内容は、まさに、あ
*1
関東学院大学人間環境学部人間発達学科;〒2
3
6―8
50
3 横浜市金沢区六浦東1―5
0―1
― 1 ―
ること(=目的)を行なおうとするときに現れる動き(=手段)である。動作分析すれば、身体の
動きは一つひとつの動きが連続する形態で出来上がっていることは言うまでもない。
動作のパフォーマンスを高めるためには,その動作に必要な「動き(=技術)
」の内容を高める
ことが大切である。そのためには,より高度な「動き(=技術)
」を収得するための動作の改善が
必要である。この積み重ねによって、日々の生活動作はその個人のやり方の形態や方向性が収斂さ
れ、その個人特有の動き(動作、癖)が決定される。時には関節の可動領域(Range of Motion;
ROM)の制限を受けたり、動きによる痛みで動きの範囲が限定されたりする。身体動作の連続性
とともに複合的な動きにより身体活動が組成される。
身体動作の連続性とは、例えば、足(脚)
・手(腕)の両側の交互・交差の動きと体幹の有機的
な動き(Cross Lateral Movement)により、体を、動かし(Non―Locomotor Movement;非体重移
動)
、運ぶ(Locomotor
Movement;体重移動)動作の連続で歩行が成立する。日常生活の身体動
作、即ち日常生活動作(Activities of Daily Living;ADL)の連続性の良し悪しにより生の質(Quality
of Life;QOL;生命の質、生活の質、人生の質)そのものが影響を受ける。
基本動作(日常生活動作;ADL)
⇒
劣悪化(要介護状態へ移行)
優良化(自由裁量活動の展開が可能)
歩行動作
起居動作
身辺動作
手腕動作
図1 日常生活動作の連続性の良し悪しによる生の質(QOL)の変化
上記の図1に示すように、動作の一連の連続性により、歩行動作、起居動作、身辺動作、手腕動
作が形作られ、それらの複合的な組み合わせによりありとあらゆる日常生活動作の動きが創成され
る。日常生活中に現れる連続的動作の良し悪しにより、一方でこれら四つの動作が劣悪化すれば、
日常生活動作(ADL)に制限が加わり、身体の移動、寝起き、排泄行為をしようとする時の排泄動
作、身の回りの動き、食事の折などに箸を持って自立した食事をする動作などに様々な困難が伴
い、要支援や要介護状態を呈することとなる。他方、歩行動作、起居動作、身辺動作、手腕動作に
優れた能力を有すれば、歩行の延長線上に存在する素晴らしい走行を可能とし、速い身のこなし、
体捌きができ、綺麗な立ち居振る舞い、手早さなど様々な腕を揮うことが出来れば、自由裁量活動
としての余暇活動においてスポーツなどが可能になる。
起居動作の一つである寝返りも一連の動作であり、その意味や意図も歴然としている。寝返りは
側臥位から、体が床に接している側の脚が体幹と直線的かやや後方に引かれた状態になり、その上
― 2 ―
“身体活動
(Physical Activity)
”を“身体運動
(Physical Exercise)
”へ昇華する試み
に上部に位置する脚が被っていく状況で下半身が出来上がり、それに続き上体の移動、特に頭部お
よび肩部の伏臥位方向への動きにより寝返りが起こる。姿勢の変更(体位の変換)であり、寝返り
を打つことで直立姿勢による背骨の歪みを矯正し、ある意味では褥瘡の防止にも自然に役立ってい
る。寝返りは、早い子で生後2ヶ月頃になるとできるようになり、遅い子では生後7∼8ヶ月にな
る子もいるが個人差はあっても、通常、生後7∼8ヶ月にもなれば上手に寝返りができるようにな
る。寝返りは、必ずしも意識下でのみ起こるのではなく、脳が眠り眼球も動かないノンレム睡眠で
も起こる。この睡眠は成長ホルモンの分泌(この他に怒責運動=Holding breath and straining muscles1)によっても成長ホルモンが分泌される)も活発になり、熟睡しているので夢は見ないが、体
は無意識に寝返りを打ったり歯軋りをしたりもする。このように動作は意識的にも時には無意識的
にも起こる。
2. 身体動作の複合的存在としての身体活動の様態
体を動かす身体動作の複合的存在として日常生活で生まれる身体活動は、どのような観点から捉
えられるのであろうか。通常現れる日常生活での“身体活動(physical activity)
”は、何らかの
目的を達成するための手段として生起する。換言すれば、その活動そのもの自体を積極的に意識し
て行うのではなく、何らかの必要に迫られて生まれる身体の動きである。例えば、今、冷たいジュー
スを飲みたいからと近くにある冷蔵庫のところまで自身の体を運び、そのドアを開ける動きをする
などである。この場合、当然のように体を動かしたい、腕を動かしたい欲求で、移動したり、力を
入れてドアを開いたりするのではなく、冷蔵庫内にある冷たい物を飲みたい欲求のために起こる動
きとなる。この活動(動作)は、言うまでもなく、緊急な動きが求められなければ、通常ではゆっ
くりした動きに留まる。必然的にエネルギーの消費を抑える“省エネモードの動き”である。なぜ
なら動くことに主眼が置かれていないからである。当然、全力でそこ(冷蔵庫のところ)に動くこ
とを必要としないし、その意識も無い。最も疲れない効率のよい動きが体に染み付いていて、その
個人の動きは習慣化している。この手段的な動きによる省エネモードの運動質量だけでは、決して
健康の維持増進は図られないし、体力の向上には程遠い2)。
身体活動を区分すれば、前述のように、概ね四つの領域(漓歩行動作、滷起居動作、澆身辺動作、
3)
の複合化・融合化された動きとして捉えることができよう。
潺手腕動作)
身体活動だけの次元では、その動きの質量は、多くの場合、体力の維持向上に必要となる運動質
量の“有効の下限”以下の身体の動きとなり、この身体活動でさえ現代社会では減少傾向にあり、
加齢と共に次第に老化が余儀なくされ廃用症候群的な結果をもたらすことにもなる。ケガや故障の
原因となり危険となる“安全の上限”を越えることなく、有効の下限を下回わらない運動が体力づ
― 3 ―
くりと健康づくりに求められる。
4)
省エネモードではない積極的な運動やスポーツの発現は、二つの要件(ある欲求とある必要性)
による。まず、
「運動に対する楽しさやおもしろさを理解していて、その体験から興味や関心、あ
るいは嗜好形態として運動を実践する“欲求”」からの発現であり、次に「現在の健康への課題や、
近未来・将来の健康不安への課題に対する解決や回避あるいは予防や体力づくりとして運動を実践
する“必要性”
」から発現する。前者の嗜好実践型(目的志向型)は運動すること自体を主たる目
的にするもので、事象(人・物・自然・ペットなどを含む動物類など)との交流から生まれる“楽
しさ”や、あるいは秘密の発見・秘密の解き明かしから得られる“おもしろさ”を味わう目的であ
る。後者の課題起因型(問題解決型)による運動の発現では、運動すること自体に目的はなく、他
に別の目的がありその別の目的達成のための手段として運動を扱うものである。この目的的、手段
的な運動はその個人の状況により、その時々に両者のそれぞれの主従の目的や手段の占める割合や
比重に異なりを有することは言うまでもない。また、前者は、結果(result)ではなく、その実践
中の過程(process)が大切であり、非常に感覚的で主観的な領域でその運動が展開される。後者
は、逆に、目的達成のため実践の結果が重要なのであり、その運動からは明らかに科学的で客観的
な果実(product)が求められる。それゆえ日常生活における身体運動には過程と結果の双方を重
視していく内容と姿勢が不可避で、その考え方によりつまらなさや飽きがこない日常における身体
運動の継続性が担保されるといっても過言ではない。
その個人が運動への関心や興味、即ち欲求もなく、現在、運動不足からの体力不足・健康不安や
何の健康課題もなければ、運動への欲求は必然的には生まれてこない。運動を Disport が語源で
あるスポーツと同義語的に理解し、さらにスポーツを運動競技に偏るものとしてイメージ化してし
まえば、その結果、実施するうえで、不得意である、無理である、体力が無い、危険、きついなど
の消極的側面の理由に加え、忙しい、時間がないなどから、運動やスポーツを避けることとなり、
運動やスポーツの実施率は低いものとなる。
平成1
2年(2
0
0
0年)8月に実施された内閣府の調査によれば、成人の1週間に1回3
0分のスポー
ツ実施率は、わずか3
7.
2%であり、文部大臣(当時)の告示(平成1
2年9月)による国のスポーツ
振興基本計画で掲げているスポーツ実施率5
0%の達成目標(平成2
2年が目標達成年次)を実現する
には、かなりの工夫と努力、それに見合うさらなる啓発活動が必要である。そのためにも、スポー
ツの特質の一つである“非日常性”の度合いの強いスポーツから、むしろ逆に四つの特質(非日常
5)
の至極緩やかな、
“日常的な身体運動”の実施に向けた発想
性、規則性、競技性、フェアプレイ)
の転換が必要である。
これからの生涯スポーツの重要な枠組みとしてのスポーツや運動は、自身の楽しみやおもしろさ
を味わうことを主たる目的としながらも、従たる目的にその個人の体力づくり健康づくりに貢献す
― 4 ―
“身体活動
(Physical Activity)
”を“身体運動
(Physical Exercise)
”へ昇華する試み
る内容の質量を包含した形態で実施されることが理想的な動きの一つでもある。楽しければ、おも
しろければそれだけで良いというだけでは、自身の体力や健康の維持増進に必ずしも役立つもので
もない。逆にあまりにも手段化すれば、楽しさやおもしろさを欠き、継続させる要因を逓減してし
まうことにもなりかねない。
楽しさ・おもしろさを含んだ、自身から“したい”
“行なってみたい”内容の運動・スポーツ(=
6)
と健康・体力づくりに役に立つ、効果がある、心身のために“すべ
これはカフェテリア型形態)
7)
を十分理解したうえで、
き”
“行なったほうがよい”内容の運動・スポーツ(=これは処方型形態)
両者の視点を理解した内容の比重・割合で実践できることが理想である。この考え方こそ、真の
“生涯スポーツ(Life Integrated Sports)
”にみあう概念である。
通常、スポーツとは、
“身体的な遊び”に現れる運動機能が“高次元化”したもので、スポーツ
それ自体に勝敗や勝負が存在しているものではない。既述の四つの特質の強化により運動競技化
し、それに伴い優劣や得手不得手が生まれてくる。スポーツは、本来の仕事から心や体を他に委ね
る身体運動と運動競技で、特質が強くなれば運動競技化し、弱くなれば身体運動化する。競争・競
技の発想から生まれるのではなく、本来の仕事から離れるところにスポーツ本来の発生の本源があ
ることを忘れてはならない。換言すれば、自身にあった身体運動(Physical Exercise)と運動競技
(Athletic Competition)を本来の仕事から離れて実施することである。
3. 健康維持に不可欠な身体運動の質量
様々な個人の属性を考慮すれば、一概に身体運動の質量の適量はこうであると断言することは難
しい。しかしながら、健康づくりのための運動所要量策定検討会報告書(平成元年7月)による日
本人の所要運動量註1)の理解や、平均的摂取カロリー量、好ましい BMI(Body Mass Index)の数値、
カロリーの所要量およびその消費形態から運動の実質的な質量を探る方法、安静脈拍数から体内へ
の酸素摂取量の察知や推測、有酸素運動との関係から適正な運動量を脈拍数から探る方法、ボルグ
の主観的運動強度註2)とカルボーネン法の二つの活用方法註3)の組み合わせ、カルボーネン法よりも
高年齢層には少し緩やかなで若年層には少し基準をきつくして平均化した新基準註4)などを参考
に、身体運動の質量を健康維持・体力維持の観点から探ることなども考えられる。肥満の回避の視
点からは余剰カロリーの算出とともに、積極的な健康づくりに必要な運動量を探ることも可能とい
える。健康維持に不可欠な身体運動の質量は、最終的には、運動処方の4原則漓安全の上限、滷有
効の下限、澆個人の条件(性別、年齢、身体状況、運動経験、既往歴等)
、潺運動の条件(強度、
8)
を十分考慮することが重要となる。勿論、オリンピックを目指す選
頻度、反復、回数、時間等)
手であろうと生涯スポーツにおける健康づくり・体力づくりであろうとトレーニングの原則は:
― 5 ―
1)意識性……何のための運動なのか?漠然と運動するのではなく、目標・効果などを十分意識し
て運動する;2)全面性……ある部分に偏ることなくバランスよく全身的な運動をする;3)個別
性……各個人の身体的・精神的特徴を考慮して運動する;4)漸進性……体力の向上に伴って、必
要に応じて運動負荷を徐々に増やす;5)反復性・継続性……適切な刺激を繰り返し与えるととも
に、規則的に継続して運動を行う、こと自体に変わりはない。個人の動機やレベルあるいは個人の
註1) 健康づくりのための運動所要量策定検討会報告書(平成元年7月)
運動強度50%では:各年齢階層
1週間の合計運動時間(分)
目標心拍数 (拍/分)
4
0代
1
60
1
20
30代
17
0
12
5
2
0代
1
80
1
30
5
0代
15
0
11
5
60代
14
0
11
0
(注) 目標心拍数は、安静時心拍数が概ね7
0拍/分である平均的な人が5
0%に相当する強度の運動をした場合の心拍
数を示す。ここでは運動強度を最大酸素摂取量としている。
運動強度60%では:各年齢階層
1週間の合計運動時間(分)
目標心拍数(拍/分)
40代
8
0
1
30
3
0代
85
14
0
2
0代
90
1
45
5
0代
75
12
5
6
0代
70
12
0
註2) 主観的運動強度
スエーデンのボルグが提唱したもので、自覚的に感ずる運動の強さを6∼2
0の1
5段階の整数に分けて表示し、この
整数を10倍するとおよそその時の心拍数に相当する。
運動導入時はやはり軽い負荷で行う有酸素運動、レジスタンストレーニングとともに表のボルグ指数(Borg
Scale)で言えば「11」程度が望ましい。最初は運動することに慣れること、運動フォームに慣れることが重要。そ
の後徐々に負荷は上げていく。しかし、高齢者に適した運動強度は「1
3」では個人によってはきつ過ぎることになる
ので注意すること。
6
7
Very very light
非常に楽である
Very light
かなり楽である
light
楽である
Fairly hard
ややきつい
Hard
きつい
Very hard
かなりきつい
Very very hard
非常にきつい
8
9
1
0
1
1
1
2
1
3
1
4
1
5
1
6
1
7
1
8
1
9
2
0
9)
(ボルグ1
9
7
6・1
9
8
2)
(注) 健康づくり・体力づくりの実践では、上図の網掛け部分である1
1∼1
3(1
1
0∼1
3
0拍/分)あたりが、一つの目
安である。
― 6 ―
“身体活動
(Physical Activity)
”を“身体運動
(Physical Exercise)
”へ昇華する試み
属性により運動の質量が変わることは言うまでもない。
健康づくりのための運動所要量策定検討会報告書による日本人の所要運動量によれば、運動強度
5
0%のレベルでは、2
0代では週1
8
0分である。1時間の運動を週3日、あるいは毎日2
0分の運動の
実施であってもどこかで1日6
0分の運動をしなければ所要運動量の週1
8
0分には達しない。当然、
本来の仕事から心や体を他に委ねることにより起こるスポーツを毎日実施することなどは至難の業
でもある。とすれば必然的に日常生活の中でのあらゆる形態で身体運動の実施に工夫が必要とな
る。運動所要量を利用する際の留意事項は:漓1回の運動持続時間は、有酸素運動を考慮すると少
なくとも1
0分以上継続した運動。滷1日の合計時間としては、2
0分以上であることが望ましい。澆
運動頻度は、原則として毎日行なうことが望ましい、としているが、6
0代では運動強度5
0%のレベ
ルでは週1
4
0分である。毎日2
0分の運動を欠かさないということも一つの方法である。
そこで運動強度の理解であるが、ボルグが言う主観的運動強度(rating
perceived
exertion;
RPE)では、脈拍が毎分1
3
0回になると“ややきつい”と主観的に感じる領域であると表現してい
るが、健康づくりのための運動所要量策定検討会報告書における2
0代の運動強度が5
0%で、1
8
0分
間の運動を目標心拍数1
3
0拍/分としている。運動強度6
0%では、4
0代で週8
0分間を目標心拍数1
3
0
拍/分としている。主観的運動強度と日本人の運動所要量を組み合わせながら活用することも一つ
の方法である。
註3) カルボーネン(Karvonen’s % mximum heart rate reserve;%HRR)法の二つの活用方法10)
想定運動強度を決め、その想定運動強度で運動を実施したと想定したとき、現在の安静時心拍数から、その想定運
動強度による運動時の心拍数はどの程度になるかを予測する方法である。
即ち、一つ目の活用方法(1)は:
(1) 想定運動強度による想定脈拍数(A=安静脈から体力)を知るためのもので数式は以下のとおりである:
{(220−年齢)−安静時心拍数}×想定運動強度+安静時心拍数=(A)
例:年齢6
2歳;安静時心拍数7
0bpm;想定運動強度5
0%
(220−6
2−70)×0.
5+70=
(88)×0.
5+7
0=1
1
4bpm
また、実際に運動した直後に測定した運動心拍数から、その運動の程度は、安静時心拍数から、どの程度の運動強
度になっているかを知る方法である。
即ち、二つ目の活用方法(2)は:
(2) 実際の運動よる運動強度(B=運動強度の程度・割合:%)を知るためのもので数式は以下のとおりで
ある:
(運動心拍数−安静時心拍数)÷(予測最大心拍数※−安静時心拍数)×1
00=(B)
※予測最大心拍数とは、2
2
0から年齢を引いたもの
例: 年齢6
2歳;安静時心拍数7
0bpm;運動心拍数1
1
5bpm
(115−7
0)÷(2
2
0−6
2−70)×1
0
0
(45)÷(1
5
8※−7
0)×10
0=5
1%
註4) カルボーネン法に変わる新基準11)
{〔20
8−(0.
7×年齢)−安静脈〕×想定運動強度+安静脈=毎分想定運動強度脈拍数
例:30歳 2
0
8−2
1−7
0)×50%+70=1
2
8.
5回/毎分
(117)×60%+70=1
40.
2回/毎分
(117)×70%+70=1
51.
9回/毎分
― 7 ―
前出の主観的運動強度や運動所要量策定では運動時の脈拍数を対象としているが、安静時脈拍数
の把握により、運動質量の理解とともに運動質量の予測(想定)や実質的な運動実施の運動質量の
判定を可能とするカルボーネン法の2つ活用法も理解しておきたい。現在の安静時脈拍数から想定
運動強度での運動を実施したときに、想定脈拍数がどの程度になるかを算出して安静時脈拍数から
体力を知ることや、実際に運動した直後に測定した運動心拍数から、その運動は、どの程度の運動
強度になっているか運動強度の程度・割合を算出〔参照:註3)数式〕することができる。
上記のカルボーネン法では、高齢者にはややきつい基準で、若年層にはややゆるい基準であるこ
とを調整する新基準も考慮に値する。新基準は最大心拍数を2
2
0とするのではなく、2
0
8とし、さら
に実質年齢に7掛けしている。
これらの基準・方法・数値について留意すべきことは、主観的運動強度(PRE)
、カルボーネン
法、あるいは新基準などにより、脈拍数が毎分1
3
0回に達する運動強度は、
“ややきつい”と感じる
とか、個人の体力の5
0%の強度の運動量の算出、といっても瞬間的にその数値を察知したときの運
動質量の目安であり、長い時間にわたって毎分1
3
0回になる運動を継続しても“ややきつい”状態
でそのまま留まるものでもないし、5
0%の体力による運動がいつまでも同じ水準で長く行なわれて
も5
0%の水準に留まるという意味をなしてはいない。現在の安静脈から推測すれば、体力の5
0%の
運動の度合いはどの程度かを理解するものであったり、運動し始めて、
“ややきつい”と感じ始め
たときに毎分1
3
0回の脈拍に達するといった意味であり、毎分1
3
0回に達した後の運動は、その度合
いをやや下げなければ毎分の脈は上がり、毎分1
3
0回の脈は継続できないという意味でもある。
運動習慣を身に付ける強化法の一つとして、その時々の運動を記録する、いわゆるセルフモニタ
12)
がある。運動を継続すれば、勿論、体内への酸素摂取量も増加することか
リング(自己監視法)
ら安静脈拍数の減少が見えてくる。例えば、ジョギング直後、その運動強度の確認として脈を触診
する場合でも、1分間の脈拍を数えるよりも最初の3
0秒、その後の3
0秒を分離して数えれば、1分
間の脈拍数の測定とともに、前半と後半の各3
0秒の数値の差を見ることにより体力の回復度を理解
できる。当然、前半の数値より、後半3
0秒の数値が少ないのだが、その数値の差が大きいほど回復
力の高さを示すことから、セルフモニタリングにより自身の体力の変化を知ることができる。その
ような変化の不思議を理解することにより、
“体も数値も変わってきたなあ”と実感できれば、頑
13)
を実感すること
張っていることや継続している効果から、セルフエフィシエンシー(自己効率)
にもなり、その後の強い動機付け(強化法)にもなっていく。単なる日常の“身体活動(Physical
Activity)
”を健康維持に不可欠な“身体運動(Physical Exercise)
”へ昇華するには、1)今、何を
すべきか、2)それはどうしてできないのか、3)それではそれを実行するには一体どうしたらよ
いか、の一連の流れを認識するセルフケア行動14)の確認が必要である。単に、忙しいとか時間が無
いというのではなく、それならばどうしたらよいか、日常の生活の些細な部分の変更から生活習慣
― 8 ―
“身体活動
(Physical Activity)
”を“身体運動
(Physical Exercise)
”へ昇華する試み
を変えていく工夫もまた重要である。少しであっても継続できれば変化が現れその習慣が自然化さ
れれば、次のレベルやステージへのステップにもなる。
生活習慣からくる肥満については、The ‘Life. Be in it.’という標語を用い、生活の中でどう運動を
組み入れるかをオーストラリアでは取り組んでいるし、アメリカではカウチポテト註5)は、運動せ
ず怠惰な生活の象徴的・代表的なイメージとしても良く知られている。日本においても生活習慣病
や、その結果としてのメタボリックシンドロームについても議論に上るものの、具体化したスロー
ガンを掲げて取り組むまでには至っていない。現在の健康が未来永劫続くことはなく、個人差を生
じることのない加齢とともに、個人差が激しく現れる老化もやがては迫り来ることをしっかり認識
し、座位的・座業的生活、動的ではなく静的で不活発な生活、あるいは座りがちの習慣(Sedentary
habits)を転換し、意識的に運動の必要性を察知し、その運動を個人の欲求として起こす“運動の
習慣化”も必要であることはもとより、社会の制度・風習・形態・様式などが個人に少なからぬ影
響を及ぼす現状を考えるならば、
“運動習慣の社会化”を実現していく何らかの“具体的スローガ
ン”が国民的視野で掲げられるべき時代に疾うに突入していることは紛れもない事実である。
4. 身体活動を身体運動へ昇華する試み
日常生活に現れる身体活動を積極的な健康づくりや体力づくりに寄与する“身体運動(physical
exercise)
”に昇華していくには、日常生活内で生起する自然発生的な身体活動を強く意識し、創
意工夫し、例えば、動植物の変異を求める遺伝子組み換え例のように、身体活動を意図的な身体運
動に組み換える意図的な仕掛け(メカニズム)が必要である。元来、健康の3要素である休養と栄
養の二つについては、眠い、休みたい、お腹が空いたというように、生理的な必要性(physiological needs)を生じるが、三つ目の要素である運動に対しては、その必要性は生理的には生まれず、
個人の心理的な欲求(psychological wants)によってのみ生まれることを明確に理解しておかな
ければならない。
日常生活の中で、個人に見合った、その個人にふさわしい“健康を維持するための積極的な身体
15)
とは、安全の上限を超えることなく、有効の下限も下回
運動(=至適運動 Befitting exercise)
”
ることなく、個人の条件と運動の条件を考慮することに他ならないのだが、先ず第一に、通常の日
註5) カウチポテト(couch potato)とは;
カウチ(couch)は、通常、ソファーより小型で、プライベート目的で用いられる位置付けの長椅子である。ソ
ファーが正式な接客目的で使われるのに対して、カウチは簡易的なベッドとして休息するために寝そべることができ
る。そこで寝そべって高カロリーのポテトチップを食べる怠惰な生活をする人々の意味で2語が合成され“カウチポ
テト族”といわれる。カウチポテト族とは、アメリカで俗語的表現として、豊かに違いないが不健康な生活をしてい
る人のことを指し、物質的に豊かではあるものの精神面で荒廃している状況や、現代における生活習慣病など不健康
な状況を表す代表的・象徴的イメージを意味している。
― 9 ―
常生活で生起する身体活動(省エネモード形態)を、エネルギー消費を高めていく身体運動(運動
エネルギーの高消費形態)に変換することである。
何気なく表現している運動における“トレーニング”という言葉の意味を日本語に訳すとすれ
ば、とりもなおさず“積極的な疲労の摂り込み”と表現してよい。しかし決して過労ではないとい
う理解も重要である。何故なら、身体疲労を体内に生じるからこそ、身体は休養・休息を求め、そ
の結果として、疲労回復過程で元の体力を上回る超回復(super compensation)が実現される。
これがいわゆる“体力がつく”
、
“スタミナがつく”ということと同じと理解できる。逆説的な表現
をすれば、この運動をすれば、
“疲れるからやらない”といってその運動を避ければ、むしろ“よ
り疲れる体”を作ってしまうことになる。ここで言う身体運動への昇華とは、身体活動を意識的
に、
“健康維持に不可欠で、かつ、楽しい積極的な身体運動化へと変化させよう”とする自身の姿
勢と努力や試みから生まれるという理解である。
身体活動を身体運動へ昇華する試みとは、日常的に発現する動きを工夫と思考により“実践”す
ることであり“経験”とは異なる。少なくとも“実践”と“経験”との違いを明確に理解しておく
必要もある。一方の経験とは、偶発的に発生する要素も強く有し、量的な広がりを持っている。加
えて、必ず意図されたものとは限らず他働的な領域も含まれるのが経験である。他方、実践とは、
事前に考えや意図が明確に存在し、実行され、必ず深まりを求める方向性を持っている。他からの
計画的・意図的な提供であっても、実践とは自働的で自己意思の決定はその個人に強く委ねられ
る。
自分なりの健康づくり・体力づくり実践において、運動に対する工夫はどのような考え方や姿勢
が重要かとなれば、自身に合った体の動きや心身の条件に見合った運動を見出すことが必要であ
り、そのためには多角的な取組み、いわゆる「広がりを持った経験」を積むことと、絞込みをした
「深まりを持った実践」とを組み合わせる(図2)ことに他ならない。
自身の健康づくり・体力づくりのために、日常生活のなかで「できる運動」に広がりを持たせる
ことを試み、興味や関心を持つことができた多くの経験(体験)のなかから、自分らしさと自分な
らではの個性豊かなそして生活を豊かにする深まりとして身近な日常生活のなかから身体活動を身
体運動へ昇華する試みを実践することである。自身の健康を維持増進する意識・行為・行動が大切
にされるべきで、より良く生きる基本として掛け替えのない健康に対して、広い関心と深い洞察力
が日々求められていることも確かである。
経験・知識として認識している内容を具体化し、いかに実生活で実現していくかが実践の意味で
ある。実践は、
“降って湧いた”ようには現れない。そこには明確な意図を持ち合わせなければな
らないし、意志が組み込まれていなければ生起しない。実践とは、度合いの異なりはあるにせよ何
らかの固い意志がなければ実現しない要素を含み持つものである。それだけに身体活動から身体運
― 10 ―
“身体活動
(Physical Activity)
”を“身体運動
(Physical Exercise)
”へ昇華する試み
①広がり(経験)
②深まり(実践)
①広がりとしての経験・量的拡大
(事象・人から偶然・半偶然的アプ
ローチも含まれる)
★経験は、多角的嗜好形態でもある
②深まりとしての実践・質的向上
(事象・人への意図的・計画的アプ
ローチが中心である)
★実践は、趣味化傾向形態でもある
図2 広がり(経験)と深まり(実践)との関係16)
動への昇華を具現するには、前述の漓何をすべきか、滷どうしてそれができないのか、澆どうした
らそれができるようになるのか、というセルフケア行動である“一連の理解を具体化するための連
鎖”を途切れさせない工夫が必要である。すべきことが分かっているだけではいけないのであり、
どうしてできないのか分析し、どうしたらそれができるようになるのかを効果的な方法論として知
り得なければならない。運動ができるように工夫を凝らす“生活習慣の変更・改善”が必要であり
努力も求められる。
余暇(自由裁量としての時間・活動・状態)の中で求められる楽しさやおもしろさを、撮み食い
するように、その時々の楽しみやおもしろさを広く浅く求める受身的である“多角的嗜好形態”の
運動を経験(体験)と理解すれば、逆に自身の身体的エネルギーを投入して楽しみやおもしろさを
深まりとして知識的、技術的に蓄積していく“趣味化傾向形態”の運動は実践と捉えることができ
る。個性・個人の状況に合わせて、この組み合わせがしっかり考えられるべきで、経験・広がりと
しての多角的嗜好形態で健康づくり・体力づくり運動の間口を広げ、実践・深まりの積み重ねとし
ての趣味化傾向形態でそれらの運動の質的な向上をはかり、加齢・老化による心身機能の低下をく
いとめることが重要である。
積極的な健康に寄与する身体運動への昇華には、具体的課題17)の認識として:1)日常生活にお
ける身体運動導入の意味、2)積極的な健康に寄与する身体運動の質量の理解、3)自己の責任だ
けに委ねない運動習慣の社会化をすすめる必要性とともに、当然な事柄として、自身の至適運動
(=個人にとってふさわしい運動とその質量)について理解し、楽しさやおもしろさの存在を解き
明かしながら運動を進めることができる知識と技能の獲得へ向けての努力、などが求められる。
― 11 ―
5. 結びにかえて
現代社会のライフスタイルやライフデザインといわれる個人の生活形態の形成は、当然、社会の
強い影響を受ける。その個人の姿勢や期待とは裏腹に、社会の大きなうねりに飲み込まれ、思うよ
うな方向で自身の生活や生き方が成就されるとは限らない。
換言すれば、個人の意志や希望ではなく、社会の大きな流れの中で必然的にそうせざるを得ない
生活形態の状況が醸し出され作り出されているといってよい。
通常、自由裁量時間や自由裁量活動は自己責任の範疇であり、他者からの干渉や強制は好ましい
ものではない。しかし個人の判断基準が社会の流れに強く影響を受けるとすれば、逆に社会からの
好ましい働きかけにより個人の生活改善がなされていく機能を持つ社会の構築も必要である。
衣食住あるいは家庭、学校、職域、地域の全てにわたる領域で、あらゆる環境の変化が著しい現
代社会では、個人の努力によるそれらの改善にはあまりにも限りがある。特に、健康の三要素(休
養、栄養、運動)は、現代社会の生活様式に大きく左右されている。なかでも、運動そのものの価
値や意味づけは理解されていたとしてもその実践には結びついていない。楽しい運動感覚の広い経
験の有無がその後の深い実践に結びつき、生涯スポーツへの誘い18)につながっていく。本稿で述べ
ているように、手段化された運動は、楽しむことやおもしろさを味わう内容から乖離しがちであ
り、運動を呼び起こす意識や、継続する動機付けに乏しいことも確かである。
世界保健機関(WHO)の保健憲章における「健康」の定義は、
「健康とは、単に病気でない、ま
」となっ
た虚弱でない19)というのではなく、身体的にも精神的にも、社会的にもよい状態である。
ている。
これは従来、健康という状態を心身に関する状態のみを謳っていたのに対し、肉体的、精神的、
社会的要素に関して包括的に示した意味で革新的なものとなった。健康の条件に社会的にも満足す
べき状態にあることをあげている点で、より近代的な解釈といえる。
しかし現在では健康とは、先天的な素質に加え、自然的、人為的、社会的環境といった後天的な
生活環境の影響により形成されるもので、健康は生まれながらの初期条件のうえに、そのあとの生
活体験における健康行動に培われた生体活力の状態を示すものと理解できる。健康は、
「漓生活習
慣(life style)と、そのための滷生活教育(学習)の成果である」という見解である。
結論的にいえば、
「健康とは、単に病気でない、また虚弱でないというのではなく、
“たとえ虚弱
であっても、また傷病や障害があったとしても、自身の思い描いている生活に十分適応し”身体的
にも、精神的にも、社会的にも良い状態である。
」と理解すべきであろう。
健康の保持・増進に必要な要素は:1)よい素因、2)よい社会環境、3)適度な全身運動と心
― 12 ―
“身体活動
(Physical Activity)
”を“身体運動
(Physical Exercise)
”へ昇華する試み
身の均等な活動、4)十分な睡眠と休養、5)完全な栄養、6)感染の予防であり、なかでも漓睡
眠、滷休養、澆食事、潺運動に関する生活習慣は、健康上意義ある行動とみなされている。健康を
保持・増進するには、健康に好ましい生活行動(=保健行動という)を習慣化(運動の習慣化を含
む)し、それを生涯にわたり続けていくことが大切である。
単なる日常の“身体活動(Physical Activity)
”を健康維持に不可欠な“身体運動(Physical Exercise)
”へ昇華する試みが不可欠な社会である。
【引用文献】
1) 鈴木秀雄「健康づくり実践編―要介護予防運動のすすめ―《Therapeutic Exercise
セラピューティックエクサ
サイズ》
」連載第8回1
2月号 要介護予防運動の具体的な試み―その1―“筋力の維持・向上に関する運動
実践”『社会保険』
(社)全国社会保険協会連合会刊,No.
6
6
5,2
0
05年,p.
2
9.
2) 鈴木秀雄「医療の周辺―運動をめぐる 話―」『神 奈 川 県 医 師 会 報』神 奈 川 県 医 師 会 刊,2
0
08年,1月 号,
No.
6
9
1,pp.
6
2―6
3.
3) 神野宏司「測定評価技術」
『JSCA 要介護予防運動スペシャリスト(第2
0回講習会テキスト)
』鈴木秀雄編,財
団法人日本スポーツクラブ協会発行,
2
0
0
6年1
2月,pp.
51―6
3.
4) 鈴木秀雄「至適運動の意義」
『人間環境学会紀要』関東学院大学人間環境学会刊,
2
00
7年3月,第7号,pp3―
16.
5) 鈴木秀雄「私の視点
◆野球
本質崩す安易な審判批判」朝日新聞,2
001年(平成1
3年)9月8日.
鈴木秀雄『新版スポーツ・体育・運動実践考―“至適運動のすすめ”と“生涯スポーツへの誘い”―』石橋印
刷刊,200
7年3月,p.
9
9.
6)7) 鈴木秀雄『セラピューティックレクリエーション―障害の軽減・健康の維持を願う人へのレクリエーショ
ン―』不昧堂出版刊,1
9
9
5年1月2
4日,pp.
1
0
2―10
6.
8) 鈴木秀雄「健康づくり実践編―要介護予防運動のすすめ―《Therapeutic Exercise
セラピューティックエクサ
サイズ》
」連載第5回9月号<要介護予防運動の全体像を知る>『社会保険』
(社)全国社会保険協会連合会
刊,No.
6
62,2
0
0
5年,pp.
2
4―2
7.
9) Borg GA: Psychophysical bases of perceived exertion. Med Sci Sports Exerc 14:3
77―3
81,
1
9
82.
1
0) 鈴木秀雄「生涯・健康スポーツ論」
『中高老年期運動指導士資格認定講習会テキスト(第9回)
』財団法人日本
スポーツクラブ協会,2
0
0
8年1月2
6日発行(編集:鈴木秀雄)
,講演および p.
8.
11) Jannie Gilbert, Using Target Heart–Rate Zone in Your Class, JOPERD, March2005, pp.
22―2
6.
1
2)
,
13),
1
4)
鈴木秀雄「運動諸相の指導法のまとめ」
『要介護予防運動コーディネーター資格認定講習会テキスト
(第4回)』財団法人日本スポーツクラブ協会,
2
0
08年3月7日発行(編集:鈴木秀雄)
,講演および p.
76.
1
5) 鈴木秀雄
「至適運動の意義」
『人間環境学会紀要』関東学院大学人間環境学会刊,
20
0
7年3月,第7号,pp.
3
―16.
16) 鈴木秀雄「健康づくり実践編―要介護予防運動のすすめ―《Therapeutic Exercise
セラピューティックエクサ
サイズ》」連載第7回11月号<要介護予防運動実践考>『社会保険』
(社)全国社会保険協会連合会刊,
No.
6
64,
200
5年,pp.
2
4―2
7.
17) 鈴木秀雄,宝塚エデンの園講演資料「演題:運動にまつわる話―健康に役立つ運動の真の意味を探る―」平成
20年2月12日(火)1
4:0
0∼1
5:3
0.
18) 鈴木秀雄『新版スポーツ・体育・運動実践考―“至適運動のすすめ”と“生涯スポーツへの誘い”―』石橋印
刷刊,2007年3月.
19) 鈴木秀雄「要介護予防運動指導特論」
『JSCA 要介護予防運動スペシャリスト(第2
3回講習会テキスト)
』鈴木
秀雄編,財団法人日本スポーツクラブ協会,2
0
0
8年6月2
0日発行,p.
4.
― 13 ―
要
約
本研究は、身体活動を身体運動へ昇華する試みとして、生活活動として現れる日々の“身体動
作”の内容を理解し、身体動作の複合的存在としての“身体活動”の様態を明確にしながら、さら
に健康維持に不可欠な“身体運動”の質量を探る方法論を説くものである。
生活活動として現れる日々の身体動作の内容は、その個人のやり方の形態や方向性が収斂され、
その個人特有の動き(動作、癖)が決定され、時には関節の可動領域(Range of Motion;ROM)
の制限を受けたり、動きによる痛みで動きの範囲が限定されたり身体動作の連続性とともに複合的
な動きにより身体活動が組成される。例えば、足(脚)
・手(腕)の両側の交互・交差の動きと体
幹の有機的な動き(Cross Lateral Movement)により、体を、動かし(Non-Locomotor Movement;
非体重移動)
、運ぶ(Locomotor Movement;体重移動)動作の連続で歩行が成立するので、日常生
活の身体動作、即ち日常生活動作(ADL)の連続性の良し悪しにより生の質(QOL;生命の質、生
活の質、人生の質)そのものが影響を受ける。
通常現れる日常生活での“身体活動(physical activity)
”は、何らかの目的を達成するための
手段として生起する。換言すれば、その活動そのもの自体を積極的に意識して行うのではなく、何
らかの必要に迫られて生まれる身体の動きである。例えば、ジュースを飲みたいからと冷蔵庫まで
自身の体を運び、そのドアを開ける動きをするなどである。この場合、当然のように体を動かした
い、腕を動かしたい欲求で、移動したり、力を入れてドアを開いたりするのではなく、冷蔵庫内に
ある冷たい物を飲みたい欲求のために起こる動きとなる。この活動(動作)は、緊急な動きが求め
られなければ、ゆっくりした動きに留まる。必然的にエネルギーの消費を抑える“省エネモードの
動き”である。動くことに主眼が置かれていないからである。当然、全力で冷蔵庫のところに動く
ことを必要としないし、その意識もない。最も疲れない効率のよい動きが体に染み付いていて、そ
の個人の動きは習慣化していることになる。この手段的な動きによる省エネモードの運動質量だけ
では、決して健康の維持増進は図られないし、体力の向上には程遠い。それ故に“身体活動の身体
運動への昇華”を進めていくことが求められるのであり、健康維持に不可欠な身体運動の質量
の理解をしていかなければならない。
本研究では、1)生活活動として現れる日々の身体動作の内容、2)身体動作の複合的存在とし
ての身体活動の様態、3)健康維持に不可欠な身体運動の質量、4)身体活動を身体運動へ昇華す
る試みを詳述している。
勿論、
“ある活動が手段化されるとき、その活動本来の「楽しさ」
「おもしろさ」が削られる”と
いう理解のもと、運動やスポーツの実施については、目的的活動と手段的活動の意味を明確に捉
え、どう対処しなければならないかを論じている。意識、意図、工夫なくして日常生活には積極的
な運動は生理的な必要性(physiological needs)としては起こらず、確実に心理的な欲求(psycho― 14 ―
“身体活動
(Physical Activity)
”を“身体運動
(Physical Exercise)
”へ昇華する試み
logical wants)として求めなければ生起しないことを明確に理解しておかなければならないこと
を「単なる日常の“身体活動(Physical Activity)
”を健康維持に不可欠な“身体運動(Physical Exercise)
”へ昇華する試み」として論じている。
― 15 ―