《日韓共同未来プロジェクト》 第 19 回日韓学生フォーラム 報告書 2003 東アジア再考 ~誠信の交流を目指して~ 主催: 第 19 回日韓学生フォーラム実行委員会 第 19 回韓日学生フォーラム実行委員会 助成: 国際交流基金 (財)日韓文化交流基金 (財)三菱銀行国際財団 (財)平和中島財団 (財)日商岩井国際交流財団 (財)吉田茂國際基金 協賛: 外務省・文部科学省 他 《日韓共同未来プロジェクト》 -目次- 2 Ⅰ 概要 1.実行委員挨拶 2.日韓学生フォーラム・趣旨 3.沿革 4.第 19 回テーマ文 5.第 19 回メンバーリスト 6.本会議日程表 Ⅲ 分科会報告 4 7 8 11 12 13 1.政治分科会 2.経済分科会 3.歴史分科会 4.社会分科会 5.文化分科会 34 43 50 60 67 Ⅱ プログラム報告 1.事前活動 第一回・冬合宿 勉強会 第二回・5月合宿 直前合宿 2.本会議 開会式 京都フィールドトリップ イベント 日米合同シンポジウム ホームステイ Korea Night Japan Night スポーツミーティング Super Free Night 東京フィールドトリップ Big DT 閉会式 3.直後合宿 14 15 16 17 17 18 20 20 24 26 27 29 30 30 31 32 32 3 4 Ⅳ エッセイ ~日本側~ ~韓国側~ 阿部克浩 明石真由子 林 由佳 石川聡史 金 小伊 李 政泫 森田 歩 朴 慧旻 劉 明俊 高橋 梓 竹内さとみ 渡邉 往 山田剛史 75 76 76 78 79 80 81 81 82 84 85 88 89 <編集後記> 102 Cho, Dong Uk Chung, Jin Ho Han, Min Young Jun, So Yeon Kim, Byung Soo Lee, Ho Jung Lee, Hyun Ju Lee, Ji Eun Lee, Ji Youn Min, Ju Hee Oh, On Su Park, Ji Na Shin, Hai Jung Song, Sang Hun Yun, Hee Sun Yoon, Suk Min 90 90 91 92 92 93 95 95 96 97 97 98 99 99 100 101 5 1.実行委員挨拶 実行委員長挨拶 第 19 回日韓学生フォーラム実行委員長 渡邉往 第 19 回日韓学生フォーラムは、 「東アジア再考~誠信の交流をめざして~」をテーマ に先日その全過程を無事終了致しました。2002 年の日韓ワールドカップ共催で強まっ た‘パートナーシップ’という新しい絆を一時的なブームにしないため、今なお変化を 続ける東アジア全体を視野に入れ、日韓両国の学生が様々なプログラムを通し交流を深 めました。本会議では、政治、経済、文化、歴史、社会の5分科会に分かれたディスカッシ ョンをメインに、金閣寺や清水寺を巡る京都フィールドトリップ、立命館大学での日米 学生会議との合同シンポジウム、3泊4日のホームステイ、韓国側、日本側の文化紹介な どを行い、お互いの理解を深めると同時に、自分たちの新しい可能性に出会えたことと 思います。 今年は日本開催ということで、開催地の選定にはじまりフィールドトリップの下見な ど、準備期間で多くの困難に直面しました。また今年1月からの勉強会においても、当初 は充分な人数がそろっておらず、手探りの状態でのスタートとなりました。そのような 中でも、メンバー一人一人がアイディアを出し合い‘全員が日韓学生フォーラムを作っ ている’という意識を持って、暗中模索しながらも前向きに取り組むことができました。 今思えば、本会議を無事に成功できたのも、あの頃の苦悩の日々が土台となっているの ではないかと思います。 言語も文化も異なる人間が、お互いの価値観を認め合い、心の距離を縮めていくこと は、容易なことではありません。しかし寝食を共にし、本音でぶつかり合い、尊敬し励ま し合ったこの2週間の中には、これからの日韓関係に求められるであろう態度や、考え 方、思いやりが確実に存在していたことを、この報告書を通じてより多くの方々に知っ て頂きたいと心から願っています。 最後になりましたが、日韓学生フォーラムを温かくご支援して下さった財団の方々、 慶應義塾大学小此木教授、国際基督教大学ケネス・ロビンソン助教授、明治学院大学秋 月教授、また、日本文化紹介の練習にお付き合い頂いた太鼓センターの竹田先生、合同シ ンポジウムでお世話になった日米学生会議の皆様、そして、第 19 日韓学生フォーラム を様々な面から支えて下さった OB・OG の方々に、心より厚く御礼申し上げます。今後 ともご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。本当にありがとうございました。 6 財務挨拶 第 19 回日韓学生フォーラム財務 山田剛史 まず、第 19 回日韓学生フォーラムの運営にあたり、資金面をはじめ、多方面からご指 導、ご援助くださった諸財団、諸機関、諸先生方、数多くの先輩方に心から感謝を申し上 げたいと思います。ありがとうございました。 昨年 9 月半ばに第 19 回日韓学生フォーラム実行委員が結成されました。それから数 えると、すでに一年がたったことになります。私は今回の日韓学生フォーラムにおいて、 財務を担当させていただきました。私の人生で今までにない大役といってよいと思いま す。それほどまでに、重圧、不安、そして力不足を何度も感じました。 また個人的な話になりますが、就職活動も日韓学生フォーラムと並行して行い、とに かくフォーラムにコミットすることが困難であったため、メンバーや他の実行委員に多 大な迷惑をかけてしまったと思っています。 日韓学生フォーラムは、名称どおり、 「学生」の集まりです。しかし、資金面を含め、す べてを自らでまかなうということは困難です。第 19 回日韓学生フォーラムが無事に運 営しきれたのは、諸財団、諸機関、また各大学教授、先輩方のご支援に突き動かされ、やり 遂げるだけの勇気と力をいただいたからだと強く感じております。数多くの方々に支え られ、私たちは成り立っています。財務という仕事をするにつれ、 「本会議を成功させる ことが何よりの恩返しだ」という使命感にも似た気持ちを持つようになりました。 私たちは日韓学生フォーラムを単なるイベントに終わらせたくはありません。自分た ちの貴重な体験を、できるだけ多くの方々に知ってもらえるよう、報告書を作成しまし た。 繰り返しではありますが、日韓学生フォーラムに少しでも接点のあった皆様に、感謝 申し上げます。 7 学術挨拶 第 19 回日韓学生フォーラム学術 森田歩 まず、この場をお借りして、私たち第 19 回日韓学生フォーラムをすべての面で、ご指 導、ご支援してくださった、数多くの諸機関、諸財団、そして OB・OG の方々に、心から お礼申し上げたいと思います。 私は学術担当として主に二つの仕事をしました。一つは毎週土曜日の勉強会のまとめ 役です。二つめは今回初めて企画された、本会議中の日米学生会議とのジョイントディ スカッションの準備です。この準備段階ではどういうテーマがよいか、どういうやり方 でディスカッションを行なったらよいか、どんな勉強準備をしたらよいか、など日米学 生会議の実行委員と一緒に考えました。初めての企画ということもあり、本番でディス カッションがどうなるか全くわからず、お互い戸惑い、準備が不十分なままに本番を迎 えてしまいました。実際反省点もありましたが、大成功で終えることができたことがた いへんうれしかったです。 今回私は実行委員として、できるだけたくさんメンバーと話し、関わることをしてき ました。メンバーにフォーラムの活動をより楽しんでもらえるよう、私なりに盛り上げ てきたつもりです。 第 19 回日韓学生フォーラムが無事終え、私も含めたメンバーが充実した活動、経験を することができたのも、すべて財団や OB・OG の皆様のおかげです。本当にありがとう ございました。 8 2.日韓学生フォーラム・趣旨 地理的に最も近くに位置し、古来文化・政治面で密接な繋がりを持ってきた国、韓国。 現在も成長を続けるその姿は、東アジアにおいて大きな存在感を持つに至っています。 確かに日本と韓国の人的交流は毎年増えつづけていますが、それは双方の親近感の醸 成には必ずしも結びついておらず、これら両者の持つ素顔は誤解や偏見という仮面に隠 されているように思われます。日韓の将来のために、わだかまりのない対等かつ友好的 な関係を築くには、誤解や偏見を指摘し合い、同時にそれらを生み出す温床を探り出し ていくことが不可欠だと思われます。 私共日韓学生フォーラム実行委員会は、1986 年春から学生による手作りの自由で率 直な意見交換の場として、非政治・非宗教・非営利を前提として過去 17 回の「日韓学 生フォーラム」を開催してきました。当フォーラムでは、分科会やシンポジウムなど会議 形式の討論をプログラムの中心に据えて誤解の源を見出し、互いの客観的な認識を深め つつ、未来に向けた建設的で視野の広い話し合いを目指しています。 私共は不幸な歴史を持つ日韓関係において、両国感に横たわる隔たりを埋める作業を 行った上での親善交流こそが信の信頼関係につながると考えております。さらにフォー ラムを通して得たものを参加者の中に留めることなく、友好的なネットワークを広げて いくことも相互の姿を冷静に見つめる上で重要な課題であると思います。 またフォーラム期間中、通訳を介さない参加者同士の直接的な対話を重視し、共通言 語として英語を使用しております。それは、互いに母国語でないという不自由さはあり ますが、参加者が自ら対話を持とうとする積極的な態度が必要であると考えるからです。 さらに日韓学生フォーラムでは討論のみならず、フィールドトリップ・ホームステイ・ 文化紹介なども企画されております。分科会などで取り上げられた議題に関係の深い場 所へ足を運ぶフィールドトリップにより、私共の討論はより充実したものとなるでしょ う。加えてホームステイや文化紹介では各国の生活や文化を直接肌で感じることができ、 その国の社会への理解がより現実的になることでしょう。約 2 週間のプログラムを通し て、参加者は文字通り寝食を共にし、共通の体験を分かち合うのです。私共は日韓学生フ ォーラムの活動と継続が日韓の学生間に、ひいては両国の民間レベルにおける親近感を 生み出す一助になればと切に願っております。 9 3.沿革 日韓学生フォーラムは、1986 年 3 月に日米学生会議の参加者の有志が、韓国国際学生協 会に働きかけて、ソウルにて実現した討論会に端を発します。国際社会における日本の役割 が問い直されている現在,対話の機会が限られた韓国の学生との間に、自由な討論の場を 作り出そうという当時の呼びかけに 14 名の日本の学生がソウルを訪れ,「認識の差を越え て」をテーマに 3 日間の話し合いを行いました。この試験的企画は参加者の強い要望により、 以後継続される運びとなりました。 第 2 回日韓学生フォーラム(86.8)は、「21 世紀に向けて~日韓の学生に何ができるか~」 をテーマにソウルにて開催されました。この時点において、戦後世代の若者の間にさえ,日 韓で大きな認識の差があることが見出され、この隔たりを克服していくという当フォーラ ムの目的が明確にされました。 第 3 回(87.8)はより本格的な討論を目指し、4 つの分科会と2つのシンポジウムを備えた 10 日間のプログラムとなり、参加者も日本側は関東・関西の 10 大学から 20 名が集まり, ソウル大学から学生 20 名、高麗大学の学生及び米国学生をオブザーバーに加え、「真理を求 めて~多角的アプローチ~」をテーマにして開催されました。 第 4 回(88.7,8)は、日韓両国の強い要望により、日本にて開催されました。参加者の多様化 も進み、関東・関西の 11 大学から 19 名、韓国側では、4 大学から 19 名の参加者を得ました。 この回は「隔たりの本質をみつめて」のもと、東京・広島・京都で行われました。 第 5 回(89.8)は、引き続き日本開催となり、日韓の大きな隔たりの原因である歴史に焦点 を当て、「将来のために歴史から何を学ぶか」をテーマに掲げて、大宰府・佐賀・長崎におい て開催されました。 第 6 回(90.8)は、初の日韓両国開催が実現。日韓両国の未来に目を向けようと「協調の構図 を求めて」をテーマに掲げ、韓国は、慶州・ソウル郊外の安山にて、日本では慶州の姉妹都市 である奈良で開催されました。 第 7 回(91.8)は、東京を中心とする関東に韓国側 18 名を招き、約 2 週間にわたって、「信頼 関係の形成~過去と現在との対話を通して~」のテーマのもと、多岐にわたるプログラムを 通じ,相互の理解に努めました。 第 8 回(92.8)は「私たちの挑戦~現在の日韓関係を見つめて~」のテーマのもと,韓国で 10 開催されました。参加者一人一人が内包する過去への問題意識を踏まえ,世界情勢も加味 しつつ学生としての視点から討論し、信頼関係の構築に努めました。 第 9 回(93.8)は、「共生のときを迎えて~私たちからのメッセージ~」をテーマに東京・大 阪・奈良で行われました。フォーラムのメンバーを通じて広く相互理解の輪が広がればと 公開シンポジウムなど数々の新しい試みを行い、自分なりのメッセージが有形無形に作り 出されました。 第 10 回(94.8)は、韓国,ソウル近郊で開かれました。「遠くを見つめて~今,新たなる舞 台で~」をテーマとしたこの回では,日韓に固執しない視点から二国間関係のみならずグ ローバルな問題も取り上げられました。他国の立場に立って物事を考えるジョイント・カ ントリー・ディスカッションが取り入れられたのはその一例です。 第 11 回(95.8)は、「日本を見つめる~これからの日韓関係のために~」のテーマのもと、東 京・京都を中心に,日本で開催されました。フィールドトリップの回数を増やすことでよ り多様な角度から日本を見つめなおし,公開シンポジウムでは一般の多くの日本人と共に 日韓問題を考えるなど,日本開催の意義が改めて問い直されました。 第 12 回(96.7,8)は、「地球時代への共同発信~ひとりひとりの問題として~」のテーマ のもと,ソウルを中心に韓国で開催されました。世界的な動向も考慮して議論を展開し、そ してその結果を外に向けて発信すべきだという近年の傾向をより明確に推し進めました。 第 13 回(97.8)は「信頼関係を再考する~本音で話し合える仲を目指して~」をテーマに日 本で開催され,広島・京都・東京を巡りました。他の国際交流団体の活動を参考にしなが らもフォーラム独自の存在意義を改めて問い直し,それを共同宣言という形で明文化しま した。また、「中身の濃さと分かりやすさ」を重視した報告書を作成するために、事前活動か らさまざまな工夫がなされました。 第 14 回(98.8)は「我々にとって隣国とは何か~成熟した二国間関係を目指して~」をテー マに,韓国のプサン・清平・ソウルで開催されました。第 13 回の共同宣言を踏まえて、事 前の勉強会の充実を図るとともに、本会議では一分科会制のもとで、より深い議論がなされ ました。また、「隣国」をよりよく知り、身近に感じるためのフィールドトリップや文化紹介 にも力が入れられたほか、報告書やホームページを通して、私たちの体験をより多くの人に 共有してもらう努力もなされました。 第 15 回(99.8)は「21 世紀、新たな日韓関係とは何か~善隣外交を目指して~」のテーマの 11 もと、日本において開催されました。古来より続く日韓友好の歴史をたどる意図のもと ,福 岡・対馬・東京をめぐりました。朝鮮通信使やワールドカップについて話し合う一方、終戦 記念日に靖国神社に行き、その後皆で討論するなど、中近世から近代、現代の日韓関係につ いて幅広く認識し、新たな日韓善隣外交の姿を考えることに努めました。 第 16 回(00.8)は、忘れられがちな 20 世紀の歴史を再考することが、今後の日韓間の信頼 関係を醸成するのに不可欠であるとの考えに基づき、 「21 世紀、私たちが築くパートナーシ ップ~20 世紀を振り返ろう~」をテーマに、韓国の金海・慶州・利川・鉄原・ソウルにて 開催されました。日本側勉強会では講演会を催し、日韓学生会議を始めとする他団体との交 流も図る等、私共の活動を外部にも知ってもらうよう努めました。 第 17 回(01.8)は、 「東アジアに生きる者として ~私たちが持つもの、生み出せるものとは ~」をテーマに、長崎と東京で開催されました。教科書問題が深刻化する中での開催となり ましたが、本会議のシンポジウムでは現代の日韓共通の問題である環境問題についてお話 を伺い、また事前準備中には関東で日中学生会議との合同勉強会を行うなど、東アジアとい う広い視野を持った考え方の醸成に努めました。 第 18 回(02.8)は、 「過去と未来のはざまで~歴史と向きあおう、未来に生きる私達だか ら」というテーマのもとキョンジュ、ソウルを中心に韓国で開催されました。ワールドカッ プが開催され、日韓親睦のムードが一気に盛り上がる中、第二回東西合宿では従軍慰安婦問 題についてのシンポジウムを開き、未だ解決されていない歴史問題に目を向け、うわべだけ にとどまらない真の日韓交流とは何かを常に考え、目指すよう努めました。 12 4.第 19 回テーマ文 「東アジア再考~誠信の交流を目指して~」 日韓国民交流年となった 2002 年、 「フレンズ」などの日韓合作のドラマ、日韓共催の ワールドカップの開催によって日本人の韓国への関心はとても大きくなりました。また それに伴い、市民レベルでの日韓交流イベントも数多く行なわれ、韓国は日本にとって 「近くて遠い国」から距離的にも心理的にも「近い国」へと近付いたと思います。しかし本 当の意味での近い関係を日韓でつくるためにも、日韓国民交流年である 2002 年の韓国 ブームを一過性のものにしてはならないと私たちは強く感じます。 一方で韓国と同じ朝鮮半島にある朝鮮民主主義人民共和国との関係も新たな局面を むかえています。2002 年、初めて日朝首脳会談が行なわれ、日朝国交正常化交渉の再開 へ向け動きだしました。北朝鮮との関係は、韓国や中国など、東アジア各国の関係を見つ めた上で対処していく必要があると思われます。 現在、日本を含めた東アジアはめまぐるしく変化し始めています。中国における北朝 鮮難民の大使館駆け込み事件、南北首脳会談、日朝国交正常化交渉など、日韓両国だけの 関係を論じるだけでなく、東アジアを包括的に捉え、見つめなおす時期に入ったのでは ないかと思います。 そこで私共、第 19 回日韓学生フォーラムは、もう一度東アジア各国の関係を考え直す ことが重要だと感じます。日本、朝鮮半島、中国のつながりは、明治以降の、一般的に暗い といわれる歴史から始まったわけではなく、それより以前、非常に早い段階から文化、経 済、政治において始まっていたことは明白です。 江戸時代の儒者、雨森芳洲は、 「互いに欺かず、争わず、真実を持って交わり候を、誠信 とは申し候」と説き、誠信外交の実践につとめました。江戸時代は、日本にとって他国と の戦争が 260 年間なかった平和な時代として知られています。私共、日韓学生フォーラ ムは、過去の歴史において実践された誠信交流は、良好な東アジアの関係を保った交流 のモデルとして学ぶべきところが多いと考え、現在の東アジア諸国の関係を再考し、ま た交流とはどうあるべきかを考えるのに必要な要素であると思います。 日韓共催ワールドカップが成功し、また日朝国交正常化という新しい時代に向けて、 ベクトルが向かいつつある今だからこそ、我々は東アジアを再考し、互いに争わず、欺か ない誠信交流をめざすことで、真の友好関係が生まれると強く信じます。 13 5.第 19 回 メンバーリスト ・日本側 ~JKSF~ 明石真由子 立教大学観光学部3年 阿部克浩 学習院大学法学部3年 石川聡史 東京大学経済学部3年 李 政泫 早稲田大学政治経済学部3年 金 小伊 慶應義塾大学文学部2年 高橋 梓 東京外国語大学外国語学部2年 竹内さとみ 国際基督教大学教養学部 2 年 林 由佳 東京外国語大学外国語学部1年 朴 慧旻 東京外国語大学日本語学部2年 森田 歩 津田塾大学学芸学部3年 山田剛史 国際基督教大学教養学部4年 劉 明俊 明治学院大学国際学部3年 渡邉 往 東京女子大学現代文化学部3年 ・韓国側 ~KJSF~ Cho, Dong Uk Korea University Business Administration Chung, Jin Ho Korea University Political science diplomacy Han, Min Young Sogang University Political science & diplomacy Jun, So Yeon Public Administration Ewha Womans University Kim, Byung Soo Sogang University History Lee, Hyun Ju Sookmyoung Womans University Business Administration Lee, Ho Jung Seoul National University Business Administration Lee, Ji Eun Seoul National University Asian History Lee, Ji Youn Sungkyunkwan University Mass-communication and Journalism Min, Ju Hee Ewha Womans University Political science & diplomacy Oh, On Su Sogang University Korean Literature Park, Ji Na Ewha Womans University Mathematics Shin, Hai Jung Ewha Womans University Biology Song, Sang Hun Seoul National University Business Administration Yun, Hee Sun Kookmin University Korean Literature Yoon, Suk Min Sogang University History 14 & 15 6.本会議日程表 (午前) 8月4日 京都へ到着 5日 (午後) (夜) 開会式 トピックプレゼンテーション ~フィールドトリップ in 京都~ 6日 DT 1 DT 2 イベント DT 4 イベント 7日 DT 3 8日 日米 study イベント DT 5 日米学生会議レセプション 9日 日米学生会議合同シンポジウム 日米学生会議懇親会 10 日~13 日 ~京都解散・ホームステイ~ 13 日 オリンピックセンター集合・文化紹介練習 14 日 DT 6 文化紹介練習 15 日 DT 7(Big DT 準備) 文化紹介練習 16 日 ~スポーツ大会~ 17 日 ~フィールドトリップ in 東京~ 18 日 千葉へ移動 19 日 16 Big DT・閉会式 ~成田空港へ移動・KJ 見送り~ Korea Night Japan Night “Super Free Night” 1.事前活動 第一回・冬合宿 「あの後、新宿のマックに行って話してて、さっき解散しました。みんな眠そうやった ー。僕は日韓フォーラムのメンバーと会えてめっちゃよかったですよー。いい奴ばっか やし。キャラはバラバラやし。探していたものに巡り合えたーって感じ。すっごい嬉しい し、これから楽しみです!これから色々あると思うけど、このメンバーなら乗り越えら れるはず!よろしくお願いしますね!」 これは、12 月合宿の終わった 12 月 28 日の朝、OC の三人を除く 6 人でマックに行っ た後に OC の森田歩に僕が送ったメールである。同い年にも関わらず、OC ということ で敬語を使ったいた頃が懐かしい。この合宿で、面接を受けた時に出会った人たちと再 会できたのが、なにより嬉しかった。僕らは全員メンバーになれたのだ。最初はお互い探 り探りの会話だったが、二泊三日の合宿ということもあり、僕たちはすぐに仲良くなれ た。 この合宿は 12 月 26 日の夕方から 28 日の朝にかけて青少年オリンピックセンター で行われた。26 日は他己紹介(二人ずつペアになり、お互いに相手を紹介するというも の)をして互いに打ち解けあい、夜にはたくさんの OB・OG の方が来て下さり、色々な お話を伺った。27 日は、1 月から 3 月にかけての第一期勉強会のタイムスケジュール、 プレゼンの分担、学術・広報・会計の役職の分担等、様々な決め事を行った。忘れてはな らないのが、二日目に見学に来た阿部克浩がメンバー入りしたということだ。夜には新 宿のコリアタウンに繰り出し、韓国料理を楽しんだ。そして 28 日の朝、勉強会初日の日 程、プレゼンの分担を最終確認し、解散した。 あの頃は、まだそこまでお互いのことを理解していなかったのは事実だ。しかしメー ルにもあるように、僕はこのフォーラムが楽しくなるということを確信していた。その 後、本当に‘色々’あるのだが、無事本会議を終えることが出来た。思い返せば、初期メ ンバーが少なくてメンバー集めから始まったことも、より僕らの結束力を高まらせたの かもしれない。僕らの作り上げた雰囲気が良いものだったからこそ、徐々にメンバーを 増やすことが出来たのだと思う。僕たちは来たる 8 月の本会議に向けて、確実に動き出 したのだ。 (劉 明俊) 17 勉強会 日韓学生フォーラムのメンバーは、毎週土曜日に大学の教室などを利用して勉強会を 行っている。夏の本会議をより充実したものにするために、プレゼンテーションに慣れ ること、英語力の上達、また韓国に関する知識を増やすことを目的としている。 1月より第一期目の勉強会を開始し、三月に合宿、4月より第二期勉目の強会を行い、 五月に二度目の合宿を行った後、本会議まで第三期の勉強会を行うことになっている。 このように勉強会を三期間に分け、段階をふんで徐々に本会議の形に近づけていこうと いう試みであった。勉強会の大まかなシステムは昨年と変わらないが、その時期に応じ て必要であると判断されたものは、随時変更を加えていった。 第一期目の勉強会では、ハングル講座、日本語によるプレゼンテーションとディスカ ッション、英語による簡単なディスカッション、そして日本文化のミニプレゼンという 内容であった。具体的には、日本語プレゼンテーションでは在日コリアン・民族意識・ 領土問題・中国朝鮮族等について話し合い、英語ディスカッションでは CLONE・受験・ 携帯電話といように、韓国とは直接関係はないが、英語でも話しやすいテーマが選ばれ た。ディスカッションが終わった後、メンバーはプレゼンテーションに対する感想・評 価を担当者にフィードバックし、今後に役立てるようにした。人数は少なかったが、逆に 各項目の担当回数を気にすることなく、余裕をもって取り組むことができ、発言の回数 も必然的に多くなった。日本文化のミニプレゼンは、今年は韓国の学生を日本に受け入 れる立場であることから、我々の文化を少しでも多く彼等に伝えるために、まず我々自 身が自国の文化を勉強する必要があるという観点から行われた。 本来ならば三月に合宿を行う予定であったが、韓国へ留学する者・帰国する留学生が 何名かいたため、三月合宿を行わずに第二期勉強会に入った。また調度この時期に、夏に 予定されている日米学生会議との合同企画に向けての準備を始め、勉強会の中に日米対 策の時間を設けた。まだ当日話し合う具体的なテーマは決っていなかったものの、当時 すでに北朝鮮の核問題が深刻化していたため、米国や安全保障に関するテーマを中心に 知識をつけていくことを目標とした。英語のディスカッションの時間を日米対策に当て、 日本語で行っていたプレゼンテーションやディスカッションを少しずつ英語で行って いくことで、質を落とさず決められた時間内で全ての内容を行うようにしていった。第 一次勉強会では、自分は何に関心があるのかわからず手探り状態だった者も、第二次勉 強会の頃には、次第に興味・関心のある分野を見つけ出していたことが特徴的だったと いえる。分科会に分かれて作業を進めたのもこの時期であり、この傾向は一層強くなっ ていった。 五月合宿を終え、6月からは本格的に本会議を意識した勉強会を行っていった。プレ ゼンテーションは一日に二人ずつ担当し、原則的に本会議で自分が発表するテーマを扱 い、レジュメ・発表・ディスカッション全てを英語で行うようにした。また、メンバーが 18 増えるにしたがって、ディスカッションにおける個人の発言量が減ってきたため、グル ープを二つに分け、当日のプレゼンテーション担当者が一人ずつ交互に担当することで 調整した。また、本会議が近づいていることもあり、分科会や事務的作業、JapanNight の練習などに多くの時間を必要としたため、ハングル講座を中止するなど、とにかく時 間の効率化を図った。 7月26日、最後の勉強会が終わった。とりあえず、全員無事にプレゼンテーションを 行い、本番に臨むことができた。毎週行ってきた勉強会の成果を、どれだけ本番で生かす ことができたであろうか。当然ながら、勉強会でやってきた事全てが役に立ったわけで はないであろうし、結果的に本会議で扱ったテーマとは全く関係のない事も発表してい たかもしれない。しかし、それまでプレゼンテーションの経験すらなかった者も多くい た中で、皆が自分の興味・関心のある分野を見つけ、本会議で韓国側と貴重な意見を交 換することができたのは、日頃の勉強会の成果といえよう。結果的には反省すべき点も 少なくはなかったが、それは来年度に効果的に引き継ぐことができるよう努力すべきこ とだ。半年余り行ってきた勉強会の成果は、今後各メンバーが韓国との交流を続けて際 に、また新たな分野に挑戦する際にも表れてくるものと信じている。 (阿部 克浩 ) 第二回・5月合宿 5月合宿は13人のメンバーがみんなそろった初めての合宿だった。そしてこの合宿 の大きな課題は、第3期の勉強会の計画を立てることとジャパンナイトの目録を決め、 練習を始めること、そしてみんなもっと真に自分を出せる関係になることであった。 まず、第3期の勉強会の計画では、プレゼンの順番を決め、勉強会の時間割、そして改 善点について話し合った。改善点としては、‘遅刻せずスタート時間を守ろう’という 意見が出てきた。 そして、ジャパンナイトの準備では、大まかに出し物を決め、みんなで参加するよさこ い、劇などの練習をした。ジャパンナイト本番でKJメンバーからとても良い反応を得 た「妖気的なシンデレラ」の台本ができあがったのもこの5月合宿であった。 そして何よりも大事だった最後の課題。それはみんながもっと仲良くなることであっ た。学校やアルバイトで忙しく、毎週、勉強会が終わってもすぐ帰らなければならなかっ たメンバーたちも、この5月合宿では、何も気にせず、夜が明けるまで話し続けた。そし てみんながお互いをもっと理解することができるようになった。 5月合宿は、みんなんの精神がだらけてしまう可能性のある5月にあり、もう一度み んなを引き締める役割をした。 (朴 慧旻) 直前合宿 19 8月1日(金)から 2 泊、代々木の国立青少年オリンピックセンターで直前合宿が行わ れた。本会議のプログラムは2週間だが、日本メンバーは直前・直後合宿を合わせると 20 日近く寝食を共にすることになる。その記念すべき初日がこの直前合宿なのである。 大きな荷物を抱え、研修室にぞくぞくと集まって来るメンバーからは、緊張感とは程遠い、 やる気に満ちた自信、これから始まる本会議が楽しみで待ちきれないといった印象を受け た。合宿一日目は主によさこいと韓国語劇の練習に費やされ、特殊撮影班によって撮影され た自分たちの動きをチェックした。それまでは振りを覚えることに専念していたが、実際に ‘人前で踊る’ことを意識して練習をした。誰が始めたのか、「KJ」文字が入った人の絵を 正面のホワイトボードに貼り、‘見られる’意識をもって演技の練習をするのが習慣とな った。さらに二日目は、それに分科会ごとのプレゼンの最終確認が加わり、時間はあっとい う間に過ぎていった。中でも、全体を通して特に力を入れたのがジャパンナイトの韓国語劇、 「猟奇的なシンデレラ」だ。その斬新なストーリーは非常に魅力的であり、台詞がすべて韓国 語という今まで経験したことのないような未知の領域も魅力的であり、同時にそれは想像 以上に大変な作業であった。メンバーの熱気と、汗の匂いが漂う研修室は、まさに日本語、英 語、韓国語が入り混じった、不思議で、でも何だか妙に落ち着く空間であった。内容がぎっし り詰まった直前合宿であったが、私たちのよさこいに‘活’を入れてくれた忍をはじめ、忙 しい合間を縫って駆けつけてくれた OB の方々の協力もあり、非常に充実したものになっ た。 そして8月3日(日)の深夜、いざ開会式の場、京都に乗り込むべく新宿新南口の高速 バス乗り場に、大荷物と共に集合したのであった。 (渡邉 往) 2.本会議 開会式 開会式は、京都の宇多野ユースホステルで行われた。夜行バスに7時間揺られた私た ち JK を向かえたのは、盆地特有の暑さと畳敷きの会場だった。それでもまだ見ぬ KJ は 私たちの心を捉えて離すことはなく、開会式の準備は上の空。ネームプレートの最終確 認や分科会ごとのトピック一覧作成をしているうちに、時間は刻々と過ぎていった。 ユース前にタクシーが連なると、タタミルームではしゃいでいたスーツとドレスの大 学生たちは一斉に動き出す。待ちに待った KJ との感動的な初対面…の筈だったが、挨 拶もそこそこに彼らの大量な荷物の運搬作業開始。いや、荷物を運ぶ忙しさで緊張をほ ぐしたかっただけなのかもしれない。英語や片言の韓国語を駆使してのトピックパート ナーやホームステイパートナーとのぎこちない挨拶が一段落すると、JK に集合がかか る。高鳴る鼓動を抑えられず簡単な打ち合わせも満足にできないまま、正装を整えた KJ 入場の合図。Anyway, “Welcome to Japan!” 20 2003年8月4日、第19回日韓学生フォーラム本会議が開会された。式は二部構 成で、一部では各委員長の挨拶と各自の簡単な自己紹介があり、夕食をはさんだ二部で は分科会単位での各メンバーによる全体へのトピック説明とシークレットパートナー の決定を行った。終始和やかなムードで、笑顔が絶えることはなかった。 大事に至るハプニングもなく、開会式は無事に終了した。KJ も JK も、出会いの喜び をかみしめていた。夏の夜の心地良いそよ風は、これから二週間にわたって続く本会議 の成功を予感させていた。 (林 由佳) 京都フィールドトリップ 京都フィールドトリップは 8 月 5 日、開会式の翌日に行われた。初めての韓国メンバ ー(以下 KJ)との活動ということで、企画側としても気負っていた。KJ には十分楽し んでもらいたいし、事故のない様に気をつけて行動しなければならない、と思った。 しかし、この京都という東京との地理的断絶が、このフィールドトリップを企画する 際に何度も障害となった。まずそれは、どこを見学するかという時点で障害となった。企 画側として、竜安寺、金閣寺、そして清水寺を予定したのだが、日本メンバー(以下 JK)の OC に下見に行ってもらったところ、地味でしかも思ったより疲れるという話 だった。KJ には、それは表象的ではあるが、京都の代表的な寺を見てもらいたいという 考えから企画したのであるが、やはり実際に行ってみない限り、そのフィールドトリッ プ全体がどのようなイメージを与えるかどうかはわからないということがわかった。だ が、その地理的断絶のため、どのように企画を変更すべきかわからず、企画はそのまま行 われることとなった。 まず、宇多野ユースホステルからバスに乗り(当日の交通手段は全てバスを予定して いた)、竜安寺へ移動した。そして、KJ と初めて活動するということで、分科会ごとに 分かれて行動してもらった。KJ にとっては、初めての日本の寺だったので、それぞれ楽 しんで石庭を見たり、写真を撮ったりしていた。 次に、金閣寺(鹿苑寺)へ行った。静かな竜安寺とは対照的な華やかな金閣を見せる ことができ、良かったと思う。また、境内で偶然舞妓さんを見ることができた。ただ、舞妓 と芸者の違いは、と問われうまく説明できなかったのだが…。 そして祇園へ移動し昼食を、と思ったのだがバスが混んでいて全員を一度に移動させ るのは無理であると判断し、分けて移動させようということになったのだが、この判断 までに時間がかかってしまった。というのは、この時期の交通状況を知らなかったため、 何台かのバスを見てから判断せざるを得なかったのである。しかし、もっと迅速に判断 するべきであった。炎天下でバスを待ち、そしてさらに蒸し風呂のようなバスに乗った この時点で、企画者自身でさえひどい疲れを感じたぐらいであるから、KJ はさらに疲 れたことであろう。 21 それでも昼食の日本料理屋には時間通りに到着でき、京都のおかず「おばんざい」を食 べることができた。しかし今度は、予想外に雨が降り出した。そのようなことは考えてい なかったので、どうするべきか迷ったが、とりあえず企画者や OC で話し合い、祇園にて 自由行動となった。ここでお土産を買うことができたり、休憩できた(しかも雨のおか げで、気温は下がったため過ごしやすくはなった)のは、あとから考えると良かったと も言える。 そして一時間半の自由時間後、幸い雨はやんだ。ここで暫しユースホステルに戻るか、 帰る時間は遅れてしまうが清水寺へ行くか、企画者側では迷っていたが、KJ の OC であ るサンホンさんが、KJ 側の考えを聞いてきてくれ、KJ にとっては一生に一度しか行く ことのできない場所であるかもしれない、ということで清水寺へ行くことになった。そ れでも、予定より時間がかなりおしていたので、急かして見学するということになって しまったが、清水寺の代名詞でもある「清水の舞台」を見せることができ、限られた時間 の中でも、各自興味のあるものをそれぞれ見ることができたようで、最終的には行って 良かったと思っている。 反省すべきことは非常に多かった。まず、移動面では、やはり企画者自身がその土地の 地理を知っておいたほうが良かった(寺からバス停までの道は、OC が調べておいてく れたのだが、行ったことのない土地で大人数を先導するのは難しい)と判断し、せめて 企画者の一人でも OC と共に下見に行くべきであった。また、予想外にバスが混んでい たことからバス以外の交通手段(タクシー、電車など確実に移動できるもの)も考慮す べきであったとも思う。 そして、企画自体については、やはりこれについても前述したように、実際に行ってみ ないと、企画が全体的にどのようなものになるかわからないため、下見をするべきであ った。また、それぞれの寺について、JK 側が共通の知識を持っているべきであったと実 感した。幸い、KJ が積極的に質問してくれたお陰で、JK もそれに答えるという相互に よく話はできたと思うが、JK としてもっと率先して日本を紹介するべきであったと思 う。勉強会などで、そのような時間をとるべきであった。 このように、反省すべきことは多いが、短い見学時間の中で、KJ・JK のメンバーそれ ぞれが、見て、そして語ったことで各自何かを得ることができたと思う。つまり、このよ うな時間を取れたこと自体が重要であると、企画者として信じている。 (高橋 梓) イベント JK と KJ の緊張をほぐし、早くみんなと打ち解け仲良くなれるように、本会議はじま って数日間ソイ、阿部、ジョンヒョンと私四人のイベントチームによるレクレーション を行なった。準備が不十分だったため、当日の夜になって、4 人で焦って準備をした。 正直イベントはみんなを楽しませなければならなかったのでプレッシャーはあった。し 22 かし実際、みんな毎回すごく楽しんでくれていた。イベントの内容としては、にらめっこ、 ジェスチャー伝言ゲーム、この人は誰だゲームなどを企画した。ジェスチャー伝言ゲー ムでは少し長い行為を表さなければならなかったため、難しいようだったが、メンバー 一人一人が一生懸命考えて伝えている姿に、爆笑する場面が数多くあった。また、KJ イ ベント代表のソヨンとミニョンが韓国の面白いゲームを企画してくれた。中でもパンツ ゲームは初めてで、メンバー全員で盛り上がった。しかし罰ゲームのポッキ-ゲームで はうれし恥ずかしでそれ以上に盛り上がった。 イベントを通じて、同じ分科会以外の人のことを知り、話すことができ、そしてその後 の交流会も盛り上がった。イベントでみんなが楽しんでいる様子をみて、私はうれしか ったと同時に正直ホッとした。 (森田 歩) 日米合同シンポジウム 日米学生会議とのジョイント企画であるシンポジウムは、8月8日と9日の二日間に 渡って京都の立命館大学で行われた。その2・3日前から沖縄に台風が上陸し、京都へ 向かっているという情報があり予定通りシンポジウムが行われるかとても心配されて いた。だが、なんとか日米学生会議は沖縄から京都へ来ることができ無事に始められた。 初日はレセプションであり、それぞれグループに分かれ食事をし、ゲームなどをして 翌日のディスカッションの前に交流をはかるものであった。JKSF と KJSF を合わせた 人数は29人であるのに対して、日米学生会議の方は日本とアメリカ合わせて70人と いう大人数であった。私達はその人数の多さにまず圧倒されてしまった。1つのグルー プは約12人程度であった。日本側は日米学生会議の人もいるので、日本語で話すこと もできるが、韓国メンバーはそのグループの中でたった2人位だったため、とても緊張 しており寂しそうにしていた。レセプションは、それぞれ会長のあいさつなどがあり席 の近い人同士おしゃべりを楽しんでいた。その後、名前覚えゲームをみんなでした。レセ プションが終わって、ユースホステルへ帰るときいつも通り日韓のメンバーで集まり、 みんな久々に馴染みのある顔と一緒になったときふっと緊張が溶けているように思え た。韓国メンバーは、翌日のディスカッションに対してかなり緊張しているようであっ た。ディスカッションのテーマが北朝鮮問題など難しいものもあったためきちんと英語 で説明できるかとても不安なようであった。そんな時私達は「大丈夫だよ、そんな緊張し なくても。」というように肩を取り合ってお互い励ましあった気がする。アメリカという 第3国が加わり、今までとは状況が変わり、私たち日韓のフォーラムのメンバーはより 仲が良くなり、絆が深まったように思う。私はそのような関係になれたことがその時と てもうれしかった。ユースホステルに帰ったあと、韓国メンバーは夜遅くまでみんなで 翌日のために一生懸命勉強をしていた。とても真剣に取り組んでいる姿がとても印象的 であった。 23 9日は、朝からディスカショッンが一日中あった。まず、始めのテーマは三カ国がお互 いの国に抱いているイメージや印象であった。私はこのテーマに関してはそれほど堅い 事が話されるとは思っていなかったが、実際とても堅く重い雰囲気であった。話は北朝 鮮のことや米軍基地の問題にまで広がってしまった。韓国側はどう思うのか、というよ うな質問を何度かされて韓国側にとって負担が多いように思えた。アメリカ側はやはり 英語が母国語なので話し合いをすることは語学の面においては難しくないが、やはり日 本や韓国側にとっては考えをうまく表現できないもどかしさがあった。英語は日米学生 会議のメンバーの人が日本語に訳してくれるが、それを韓国語に訳す役は私がこのグル ープで受け持った。普通の会話なら訳せるが、軍事基地などそのような難解なテーマや 単語を訳すことは私にとってはとても難しかった。けれども、何とか伝えることができ わかってもらえた時はとても嬉しかった。 次のテーマは北朝鮮問題であったが、始めのテーマが予想以上に重かったためこの時 はとても和やかな中でディスカッションが進められとても充実したものであった。アメ リカ側が北朝鮮や韓国に対して詳しい知識を持っており、私自身驚かされた。 その後は、各グループ話し合ったことをプレゼンテーションした。私のグループはた だ発表するのはつまらないため、劇をすることになった。とても発想が面白くて演じて いる側としても面白かった。他のグループもいろいろ考え発表しておりとても楽しかっ た。 一日の最後には、立食とみんなでジェンカを踊って騒いだ。二日間に渡って行われた シンポジウムは大成功であったように思う。日米学生会議と交流することで日韓の仲も より親密になり、いろいろな面で刺激を受けたように思われる。とても充実したシンポ ジウムであった。 (金 小伊) 台風が来て、ひょっとしたらなくなってしまうかもしれない。そうした不安もあったが、 京都での日程の最後として期待していた日米学生会議との合同企画を無事に行うことがで きるということで、大変安堵したのを覚えている。 顔合わせとなった初日は、軽くお互いの自己紹介をした。日米学生会議の日本側メンバー の名前は簡単に覚えられたものの、アメリカ側の名前はなかなか覚えにくかった。 日本人、韓国人、アメリカ人が一緒に議論をするということで、いったいどんな感じにな るのだろうという少しの緊張と期待感ともに、ディスカッションの日を迎えた。当日は、ま ずディスカッションを行うにあたって役立つ「合図」が紹介された。この「合図」というのを 具体的に言うと、 『翻訳をお願いします』 『注目してください』 『わかりません』などをあらわ す「合図」であった。そのような合図を使うと聞いて、少々驚き、また感心した。 そして、テーブルごとに分かれて、ディスカッションに入った。午前中は、各国に対する意 識について話し合った。私たちのグループでは、自分自身が大学生であることも踏まえて、 24 まず日本・韓国・米国の大学生のイメージについて話し合った。どの国が一番、まじめに勉 強しているイメージがあるのか、実際はどうなのかなどについて、意見を交換した。その後 は、各国における「差別意識」の違いについて話し合った。同性愛者の社会的な扱いや、身体 障害者に対する社会的設備の状況、差別意識について、それぞれの視点から意見がでた。 昼休みの時間には、午前中に話した内容に関連して、日本人とは一体なんだろうというこ とについて話した。日本人のブランドへの熱狂ぶり、欧米を中心にみているのではないかと 思われる考えかたなどは、明治維新による変化か、戦後変わったのかなどについて、私たち 日本人以外の意見を交えて話していた。 午後は、北朝鮮に関する問題を話し合った。テーマ的に難しかったものの、それぞれの立 場から、様々な意見が出た。結局は、バイラテラル(二国間)ではなく、マルチラテラル(多 国間)の交渉が鍵になるのではないかということになった。 すべてのグループが、何を話し合ったかを発表したあと、場所をうつして、閉会式にうつ り、日本人・韓国人・アメリカ人のそれぞれの代表が前に出て、ジェスチャーゲームをした。 私も、その日本代表の一人として出場しましたが、日本人らしく(?)すべてのジェスチャ ーをグループで行いました。 最後に、全員でジェンカを全員で踊り、別れを惜しみながら急ぎあしでユースホステルに 戻りました。 (石川聡史) 25 <2003 年 8 月 10 日の京都新聞に掲載された記事> 26 ホームステイ 8 月 10 日ホームステー初日、京都から実家である埼玉県に少し早目に帰ることにし た。午後 6 時頃自宅に着き、その後家族と夕食をとった。私の姉は横浜で一人暮らしをし ているのだが、この日のために帰ってきてくれたのだ。初対面・共通語が英語(両親は ほとんど話せない)ということで、夕食時の雰囲気は緊張感漂うものであったことを覚 えている。特に私の母親に対しては、韓国人を受け入れることに対して少し抵抗がある ように私は感じた。一方私は、韓国でホームステー経験があり、そこで本当に親切にして もらった。この感謝の気持ちを、今回のホームステーで韓国人に恩返しをしたいと考え ていたのである。その晩、このままではいけないと思った私は、ホームステーパートナー であるホジョンとヒョンジュが部屋に戻った後、母親と話しをした。その日感じたこと、 せっかく受け入れるのならば、4 日間満足して帰ってもらいたいということを話し、そ のためには家族の協力も必要であることを伝えた。母は、私がどんな気持ちでホームス テーを受け入れているのかこの時初めて知ったということ、また、初めての受け入れで、 どうしたらよいのか戸惑っているということを話してくれた。確かに、言葉も通じない、 初対面といった母親の立場になって考えてみると同様するのも無理ないと思った。しか し、話をしたことでお互いのモヤモヤしていたものが取り除かれたことは確かである。 私にとって大きな出来事があった初日であったが、そのおかげで残りの 3 日間は心から 楽しい思いができたと感じている。 次の日からは、ホストの腕の見せ所である(観光学部としてなぜか気合が入ってい た)。自由時間が 1 日あるのは 2 日間だけなので、色々考えた末、古い日本の町並みを感 じられる川越と、3 日目には若者が多く流行のものが安く手に入る池袋に行くことにし た。2 箇所とも自分が案内できる場所であったため、時間配分や見所など、二人の要望に 合わせてスムーズに回ることが出来たと思っている。 まず 2 日目であるが、疲れを取るために 9 時過ぎまで寝た。ブランチをとった後、二人 に浴衣を着せてあげ(姉が)、小江戸で知られる川越に向かった。浴衣を着て外に出る のは初めてらしく、とても喜んでくれた。また、蔵造りの町並みととてもマッチしており、 ホジョンもヒョンジュも自分に酔っている?!ようにも見えた。駄菓子屋横丁や 60 年 代の雰囲気の休憩所で抹茶アイスを食べ、身も心も昔にタイムスリップできた 1 日だっ た。夜は家で手巻き寿司を食べた。2 日目ということもあり、和気藹々と食事ができ会話 もはずんだ。ホームステーっていいな~と感じる瞬間だった。 3 日目の池袋であるが、二人の好みが大体つかめた私はそれを頼りに案内した。買物 好きというのは分かっていたが、まさかあんなにも買いまくるとは想像もしていなかっ た。ジブリの店では、もの凄いいきおいで買物をしており、トトロの人気の高さには驚い た。やっぱり女の子は買物好きなんだな~とあらためて実感した。 ホジョンとヒョンジュを受け入れて、初めは心配な点もいくつかあったが、韓国人特 27 有の横のつながりを大切にする文化の強さを感じた。年下でマイペースなヒョンジュを、 4 日間やさしくリードしてあげ、私にまで気配ってくれたホジョンには感謝している。 またヒョンジュは、好奇心旺盛な性格から会話を盛り上げてくれ、和やかな雰囲気をつ くってくれた。喜んでもらわなきゃといったプレッシャーを感じながら過ごした 4 日間 であったが、家族やホジョンとヒョンジュの協力のおかげで私も楽しみながら終えるこ とができた。ホスト側として受け入れることの難しさ、楽しさを学び、一人一人が楽しむ という意識を持つことの大事さを実感した 4 日間となった。 (明石真由子) 私のホームステイは一番金食い虫だった。というのも、韓国メンバーのソヨンと、田舎に 是非行ってみたいといってくれた、ヘミンと私の合わせて三人。それも私の実家は高い飛行 機代もかかる、福岡だからだ。しかしその分(?)、三人とも楽しく、充実したホームステイ を経験することができた。 京都から福岡の実家に着いたとき、予想以上に私の家族がうれしそうに、ソヨンとヘ ミンを迎えた。ソヨンとヘミンは私の田舎の家をみて、居心地がいい、落ち着く~といっ てくれて、ほっと一安心だった。 二日目、疲れていたこともありお昼前にやっと起き、昼食後美容室に行き、日本の着物 をきせてあげた。ふたりとも初めての経験だったため、戸惑いながら着物を着せてもら っていた。真夏に着物を着ていることもあり、ふたりとも熱くて苦しそうだったが、とて も着物がよく似合い、喜んでいる二人をみると私も母も喜んだ。写真を何枚もとって、着 物をきたまま家に帰った。するとソヨンが韓国からもってきていた韓国の着物を私に着 せてくれて、すごくうれしかった。着替えた後、母と四人で柳川の川下りにいった。川下 りはとてもきれいで気持ちよかったが、ソヨンはウトウトしていた。やはり疲れがたま っていたのだろう。その夜、私たち三人は布団の上でとても興味深い話しをした。本当に ヘミンは正確な通訳者であった。三人とも眠いのに目をこすりながら夜の 3 時すぎまで 話しをした。私はこれが一番印象に残っている。 三日目、福岡といえば博多ラーメン!ということもあり、博多まで出かけた。キャナル シティ博多にはラーメンスタディアムがあり、そこで一時間以上並んでやっとラーメン を食べた。ふたりともおいしいと言ってくれて一安心。その後、ソヨンのお土産を買った。 それから退院したばっかりの父と母と合流し、雰囲気のよいうなぎ屋に行った。ソヨン とヘミンと話している父はひさびさに若い人と話すこともあって、とてもうれしそうだ った。ソヨンとヘミンは相変わらず、おいしそうにいっぱい食べていた。 最終日、飛行機に乗るため、朝 5 時半に起き、7 時前に家を出発した。そしてホームス テイの思い出に浸りながら、他のメンバーみんなと合流した。 今回のホームステイは本当に大成功だった。こんな田舎だから、ホームステイどうな るのか不安だったけど、まず私の家族がとてもうれしそうで、いい刺激になったようだ。 そしてソヨンもヘミンもすごく楽しかった~といってくれて私は最高だった。ソヨンも 28 ヘミンが私に対して韓国に来る時は、今度は家においで!ホームステイしに来て!!と いってくれた時、ホントうれしかった。ヘミンとソヨンがホームステイパートナーでよ かった。 (森田 歩) Korea Night コリアナイトは全体的に私たちの想像を超えるスケールと内容で行われた。JK メンバー から見たコリアナイトは今まで見たことのない韓国の文化、そして、現在の韓国の流行を理 解するのに十分だった。この感動を一言で表すのはとても無理があるが、あえて言うならば 「これこそ、韓国そのものだ」という感じだった。 コリアナイトは、大きく一部と二部に分かれて行われた。一部は、Beautiful Korea と名 づけられ、韓国伝統の踊りや、音楽が披露された。まず、第一番目は、‘ボンサンタルチュム だった。これは韓国のもっとも有名な、仮面舞踊のひとつだそうだ。様々な表情をした仮面 をかぶった登場人物たちが踊りながら台詞を言った。そして、後半には、獅子も登場し、最後 になっていくほど、どんどん盛り上がっていった。次に披露されたのは、チャンという韓国 の歌で、今年、コリアナイトで歌われたのは、チャンの中でも最も有名な、チュンヒャンガで あった。これは、若い男女の愛を描いた物語に出てくる歌だそうだ。次は、ナンタというもの で、これは現在、全世界的にも有名になっている、音楽だ。台所で使われている日常的なもの を使って、音楽にしたナンタは、聞いているうちに吸い込まれていくような不思議な魅力の ある音楽だった。次は、ガヤグムという韓国の楽器が演奏された。これは、日本の三味線のよ うな楽器だそうだ。形は、三味線とはずいぶん違うような気がしたが、やはり、日韓で似たよ うな楽器が存在するということが妙に不思議に思われた。最後は、KJ みんなの、合唱だった。 この部分では、映画、 「Sister act」の「I will follow him」が披露された。これで一部は終わっ た。 そして、二部は、Dynamic Korea という名の下に行われた。この二部では、韓国の伝統に こだわらず、ありのままの KJ の姿を精いっぱい見ることができたので、一部とはまた違う コリアナイトを楽しむことができた。二部の最初は試合の応援団を想像させる本格的な応 援が行われた。JK メンバーは一部とはまったく違う KJ メンバーの姿に驚きながら、力強い 応援を体いっぱいに感じた。公演の題名は、 「Run my horse」であった。次は、ピアノ演奏で あった。力強い応援の後に静かなピアノはどうだろうと内心、心配したと KJ が後から言っ ていたが、結果は大成功。私たち JK メンバーはやわらかいピアノの音にいつの間にか溶け 込んでいた。次は、創作劇の順番だった。英語で行われた劇は、みな、台詞を覚えるのに大変 だったと言っていたが、KJ メンバーが自分たちの力で作ったということもあり、後には、自 然に台詞を言えるようになったといっていた。ところどころ、面白い場面もあり、最後まで とても面白く見ることができた。最後は、プンムルが披露された。これは、昔、農夫たちが、働 いている最中に疲れると、力を出して頑張ろうという意味で、みんなで踊った踊りだという。 29 そして、みんなで協力してやっていこうと言う意味も含まれているのだという。私たちは、 このプンムルで今までなかった以上に盛り上がることができた。まさに、みんながひとつに なり楽しむことができたのだ。 このようにコリアナイトは何一つ必要ないものなく、その一つ一つがその役割を十分果た していた。そして、JK メンバーはその一つ一つを全部楽しむことができた。 (朴 慧旻) Japan Night 8 月 15 日の終戦記念日(韓国では独立記念日)を、私達は様々な思いの交錯する緊 張と共に迎えた。昨晩の Korea Night の迫力と完成度の高さに、誰もが不安と焦りを隠 せなかった。だが自分達もこれまでとことん練習を重ねてきた。4月からと始動は遅か ったものの、毎週朝からの太鼓練習に始まり、午後の勉強会終了後まで、どこかの一座と 見まがうほどに練習が組まれた。ときには大隈講堂前で踊り歌い、ときには来訪してく れた日米さんまで巻き込み、日曜日にも皆で集まって、演目について話し合い、練習した。 その全てをここに発揮するときが来たのだ。 静かに床に並べられた太鼓に、会場に入ってきた KJ が歓声を上げる。バチで打つ波 の音と共に私達の夜は幕開けを迎えた。次第に勢いを増す太鼓の演奏は、最後に KJ か らアンコールをもらうほどに会場を飲み込んだ。JN 担当の明俊と私の“Welcome!” の後に、あべっちの軽快なメロディに合わせて全員で入場する。 『夏色』 『トトロ』の合唱 は、演奏すぐの太鼓組には結構ハードだったが、精一杯に声と心を揃えていった。太鼓ソ ロを見事にこなした由佳・梓コンビの後に、ハモネプをモチーフに高校生姿で登場した 30 アカペラ隊が『上を向いて歩こう』を披露。往と「カオナシ」による、書道と華道のコラボ レーションも、不思議なムードで観客を魅了した。直前合宿でやっと固まったカオナシ の登場にも、完璧に応えてくれた梓は素晴らしかった。密かに JK 内で行った KJ に関す るアンケートの発表も「結婚相手にしたい人は?」「夕べの Korea Night のヒーロー は?」などの質問に KJ 大盛り上がり。長唄の日本舞踊の後には、第一幕の最後を飾るソ ーラン節。全員で威勢良く手ぬぐいを巻いて、大漁を祝う「どっこいしょ」。KJ も巻き込 んでにぎやかな雰囲気の中幕を閉じた。 感動的なことには、休憩時間の間も次の劇の準備に余念がなかった私達に、KJ は 「'secret partner'から」と次々に差し入れの飲み物を持ってきてくれたのだった。そんな KJ の優しい心遣いにハッとさせられると同時に、自分達は KN の時に何一つ気が付い てあげられなかったことが悔やまれた。 ともかくも KJ に勇気付けられ、自作の韓国語劇『猟奇的なシンデレラ』で第二幕はス タートした(劇については直前合宿の項目を見ていただきたい)。読みと違って意外な ところでウケていたりしたが、全員が韓国語に挑戦したこの劇はおおむね大成功!練習 の成果が十二分に発揮されたと思う。OB の森っくすさんを加えた男 3 人によるあやや のダンスは、多少の映像トラブルはあったものの見せ応え十分にキモかったと思われる。 二人羽織のソイと真由子はクールなヒップホップまで披露してくれ、 「粋」な雰囲気で会 場を楽しませていた。参加してくれた KJ volunteer にも感謝!次には沖縄のメロディ と共に島唄ガールズが浴衣で登場。伝統楽器の四つ竹も揃って華麗に舞った。これまた 「粋」な由佳ちゃんの三味線でビシッと引き締まった後には、いよいよフィナーレのよさ こい(ロック・ソーラン)だ。全員黒い T シャツに身を包み、拳を組んで天井へと掲げ る。音楽に合わせて腰を落とし、鳴子をつかんだらクライマックスの始まりだ。OB の忍 さんにもコーチをしてもらい、踊り込んできたよさこい。もう何も迷うものはなかった。 「どっこいしょ!」の掛け声とともに再び振り上げられた拳と、ほとばしる汗と共に、こ れまでの苦労も疲労も一気に吹き飛んだ思いがした。KJ に日本を伝え、私達を思い切 り楽しんでもらいたいと張り切った Japan Night。13 人という少人数で、全ての演目を こなすことは大変だったが、それでも皆が一つになってこの夜を作り上げたことは、本 当に感無量だった。そしてもちろん私達だけでなく、この文化紹介を楽しみに助成して くださるという財団の方や、本番の演技まで見守ってくださった太鼓センターの竹田先 生、協力してくださった OB の方々と、本番中常に暖かい声援で私達を励まし支えてく れた KJ の皆がいて始めてこの夜は完成した。トラブルや未完成な部分もまだまだあっ たし、始終てんてこ舞いで多くメンバーの手元に写真は一枚も残っていない。しかし JK 皆にとって、この夜の熱い興奮と達成感は、いつまでも忘れがたいものになるだろ う。願わくはそれが会場の皆さんにも、少しでも伝わったことを・・・ (竹内さとみ) 31 スポーツミーティング 8 月 16 日午後1時から 4 時半まで、新宿コズミックセンターでスポーツイベントが 行われた。その日の種目は、1.ドッチボール 2.バスケットボール(男子だけ)3. 二人三脚サッカー 4.二人三脚徒競争だった。前日まで毎日の飲み会やハードスケジ ュールでみんなすこし疲れていたため、バスケットボールは男だけにした。 参加者全員 が二つのチームに分かれ、チーム対抗戦で行われた。 そのなかでも一番盛り上がったのがドッチボールだった。ルールは韓国と日本がすこ し違うため、男子は聞き手ではない手でだけ投げられるという韓国のルールにしたが、 女の子達のパワーあふれるプレーに、男としてすこし不公平だと思ったくらい痛かった。 でもこの一日のスポーツイベントでみんながもっと仲良くなったし、スポーツが大好き な自分にとっても、改めてスポーツのすごさを実感した一日だった。本会議中なくては ならない一つのイベントではないかと思う。スポーツイベントの担当者としてけが人も なく、無事終了できて本当に良かったと思う。 (李 政泫) Super Free Night 32 このイベントはOBである森さんが企画したイベントで、2 週間という短い期間の中、 またほとんど決まっている時間の中で、自由な時間を与えてもっと日本の近代的なとこ ろも紹介しようではないかという目的のイベントだった。まずみんなに行きたい場所な どのアンケートとって、少人数でチームを分けた。このゲームのルールは、各チームが指 定の場所に行って、みんなが写っている写真をとってくること。ただ時間は夜 10 時まで で一番面白い写真を撮ってきたチームが優勝というルールだった。雨の中みんながんば って写真をとってきたが、ほとんどのチームが指定時間に間に合わず、結局雄一間に合 った私のチームの優勝となった。スポーツイベントのあとということもあって何人かの 不参加者もいたが、いまでも銀座の時計塔の前でとった写真を見るとその日のことを思 い出す。スポーツイベントとこのイベント2でみんな疲れ果てたせいか、この日は本会 議中唯一飲みのない一日となった。 (李 政泫) 東京フィールドトリップ 東京フィールドトリップは、本会議後半を飾る大きなイベントの一つである。 限られた時間の中で KJ に伝えるべき東京とは何であろうか。5月合宿中、数多くの 候補を前にして、世界に発信できる日本とは何かを各自問い直した。結局、 「現代の日本」 はホームステイ期間中に案内できるという結論にまとまり、19th東京フィールドト リップの目的地が決定された。「近世の日本」を満喫できる東京、両国・浅草。 六月には担当者、七月には有志が、モデルコースの下見を行った。念入りな下見とコー ス改良を重ねた結果、 「江戸東京博物館→浅草寺・仲見世通り」というシンプルで確実な コースで KJ を迎えることとなった。 日頃の行いが良いせいか。8月17日は曇り空であったが、オリンピックセンター宿泊中 降り続いていた雨が勢いを弱めた最初の日でもあった。余裕を持った八時半集合で、十時前 には江戸東京博物館に着くことができた。江戸東京博物館には、江戸時代の庶民の生活を垣 間見ることのできる実物大の模型や貴重な資料、江戸時代から現代の東京にいたるまでの 興味深い展示品があるのはもちろんのこと、それらを解説するボランティアのガイドがい る。ガイドの人数の関係で英語・韓国語・日本語の言語別にその場でグループを組みなお すことになったが、少人数制の実行とガイドの決行は良い結果となった。韓国語でガイドを うけた KJ が楽しそうに質問をしていたのが印象に残っている。ガイドの英語が聞き取りに くかった等の問題はあったが、江戸東京博物館の視覚に訴えかける展示物と雰囲気はどの KJ にも味わってもらえたと思う。 読みは当たった。約二時間立ちっぱなしだった我々はペゴッパだった(空腹だった)。し かし読みははずれた。甘くて脂っこい料理が嫌いな筈の KJ が、甘くて大盛りの掻き揚げ丼 を平らげてしまったのだ。昼食は、博物館のすぐ裏にあるかき揚げ専門店でとった。KJ はか き揚げが苦手だろうと思い刺身を多く頼んでおいたのだが、心配は杞憂に終わった。おなか 33 のすいていた KJ は、店に入った瞬間かき揚げの匂いに心を奪われてしまったらしい。JK は選ばれなかった刺身をできるだけ頬張った。大変おいしかったが、大変足りなかった。江 戸の粋が染み込んだ最高の昼食をとった私たちは、タクシーで浅草に向かった。 浅草雷門前にばらばらに到着。タクシーに乗る前に分けておいた4~5名のグループご とに浅草寺周辺を散策した。 「東京に来てまでお寺をみるの?」という声もあったが、イメー ジと異なる境内に驚いたようだった。招き猫や日本人形など、店先に並ぶ様々なお土産を指 差しながら、 「あれは何?」 「どういう風に使うの?」などと JK を質問攻めする KJ もいた。 ほとんどのグループが仲見世通りでお土産を買っていたが、花やしきの方まで歩いたり、甘 味処で抹茶を飲んだり、浅草寺でおみくじをひいたりしたところもあった。それぞれに日本 の下町の雰囲気を堪能したようだった。 解散の約二時間後に浅草寺の前に再集合し、全体写真をとって帰路を急いだ。閉会式を翌 日に控え、疲れが溜まっていたのだろう。地下鉄ではみんなの寝顔を拝見することができた。 今にも手から滑り落ちそうな人形焼の袋を警戒していると、参宮橋の駅が見えてきた。 ヒソンオッパが、足を痛めて参加できませんでした。無念。 (林 由佳) Big DT 昨年に続き、今年も Big DT をやることになった。Big DT は、すべてのDTが終了後に、各 分科会が自分たちのトピックについて発表するものだ。各分科会だけでの議論に終わって しまい、どの分科会がなにをやったのかが報告書を読むまでわからないということを避け るためのものであり、18 回から設けられた。 発表は分科会ごとに 15 分から 20 分。正直に言えば、各メンバー 3 時間で 6 セッションも あるものを 20 分にまとめるのは相当難しい。とはいえ、実際のところは 20 分でも聞いてい る人間には長く感じてしまうというディレンマがある。長すぎれば、集中力をなくして、理 解してもらえなくなるし、短すぎれば舌足らずだ。模造紙に、どのようなトピックを話し合 ったのか、そして、それらは各分科会が設定したキーワードにいかに対応し、どのような結 論を生み出しているのかを書き出し、それに沿って説明する。 発表形式は分科会ごとに、いろいろなスタイルがあり、形式的には楽しめたと思うが、満 足できない点がひとつある。結局、各分科会が何を話したのかということに関しては、やは り舌足らずだと思うし、聞いてる側にも集中力が感じられない。各メンバーのトピックにつ いては、一日ごとに、発表を設け、Big DT は分科会としての結論を話す場にするべきではな いかと思う。 (山田剛史) 閉会式 二週間という濃い時間を共にし、年齢や環境、国籍を超え、心から「一緒にいて楽しい!」 34 と思える仲間たち。まるで限られた時間の中にいるなんてことを忘れてしまうくらい、楽し い毎日。楽しかった思い出や、メッセージを書いてもらう色紙が、ようやく全員分書き終わ る頃、この日はやってきた。8月 18 日、様々な思いが入り混じったメインフォーラムを締め くくるべく、私たちは閉会式を迎えた。 閉会式は二部構成であった。担当者の狙い通り一部と二部にメリハリをつけ、みんなの本 当に表したい感情を引き出すことができたと思う。一部では、広い会議室で黒板を正面に、 本会議中に撮られた「素の顔」のポラロイドが置かれた椅子を並べた。その写真に大爆笑し たり、記念に交換したりと、とても楽しい演出であった。そして、二週間ずっと秘密にされて きたシークレットパートナーをついに明かした。一人一人リレー方式に自分のパートナー の名前を明かしていった。これは想像以上に盛り上がった。「筆跡からして自分のパートナ ーは絶対女だよ」と自信満々に語っていたメンバーに、実はパートナーは男性だったという 真実が告げられたときの、あの何ともいえない表情は、本当に面白かった。また韓国メンバ ーの男性に、手作りの人形(!)をもらった日本メンバーもいたりして、笑いの耐えない第 一部であった。 一方、第二部は、打って変わって静かで落ち着いた雰囲気であった。椅子を円形にし、中心に 韓国の赤、日本の青をイメージした大きなろうそくを置き、一人一人がみんなの前で挨拶を していった。話をする前に、各自が持っている小さなろうそくに火をつけて話をしていった。 29 人、それぞれのフォーラムへの思いが語られていった。英語、韓国語、日本語、様々に心を こめて語った。幻想的なその光景は、本当に明日でお別れなの?と疑ってしまうほど優しく、 儚かった。全員が話し終わる頃には、鼻をすすり上げる音が聞こえ、我慢していても、もらい 泣きしてしまった。ほぼ全員が、 「ありがとう」 「みんなに出会えてよかった」と言ってくれた。 最後の夜にふさわしい、感動的な夜だった。 (渡邉 往) 3.直後合宿 韓国メンバーを成田空港で見送ったあと、私達は引き続き千葉市ユースホステルで2 1日までの2泊3日を過ごした。20日はまず、報告会のことから話し合いはスタート した。報告書の各自書く部分を決め、そしてフォーラムのポスターを貼る大学を挙げ、そ れぞれ担当を決めた。報告会にはやはり多くの人に来てもらいたい、という声が多く挙 がっていたため広報をがんばろうということになった。そして、午後から19回の反省 会へと移った。みな勉強会におけるやり方など細かい点まで反省をあげ、全員が来年引 き続き参加するかのように真剣に話し合い、お互い感じたことなどをストレートに発言 していた。そのため、とてもスムーズに反省会は進み、実りあるものになった。反省会が 終わったあとは、みんなで過ごす最後の夜ということもあり居酒屋で思う存分はしゃい だ。 21日は色紙を書き、それぞれ感じたことなどをひとりづつ話し最後にユースホステ 35 ルの広い芝生でみんなで写真を撮り、別れを惜しんだ。 (金 小伊) 36 1.政治分科会 <コーディネータによる総括> 今年の日韓関係はというと、昨年の日韓Wカップ共催以来の友好的なムードが続いて おり、非常に安定した関係を保っていた。今春には韓国で盧武鉉新政権が発足し、日韓関 係もまた新たな段階へと入っていくのだと思われた。 しかし、今年度の東アジアにおける国際政治の焦点は北朝鮮の核問題・拉致問題にあ り、米国はイラク戦争に突入するなど、なんとも暗い話題が多かった。政治分科会のメン バーも必然的に米国や安全保障の問題に関心を持った者が多く、問題の性格上、日韓二 国のみを取り上げるのではなく米国を含む東アジア全体を視野に入れたディスカッシ ョンになったことが特徴的と言えよう。また、各個人のテーマが似通っていたにもかか わらず、結果的に連合・歴史・経済・協調など様々な要素が出ていたことは非常に良い 点だったと思っている。 コーディネーター同士の連絡が満足に取れなかったことや、個人テーマが何度も変更 され、キーワードやトピックパートナーの決定が難航するなど、数々の問題を抱えなが らも無事に本会議を終えることができた。今まで僕にサポートし続けてくれた政治分科 会の皆、とりわけ韓国側コーディネーターの Han MinYoung には本当に感謝していま す。どうもありがとう。 (阿部 克浩) 37 DT1「U.S World Strategy in the 21st Century」 Han MinYoung DT2「Can the Japanese Emperor ,Akihito, visit Korea?」 山田剛史 二年連続で政治分科会への参加となってしまった。しかし、他のメンバーが北朝鮮問題や 米国の影響力など、非常に現代的なテーマを扱う中で、私は自分自身、かねてよりの懸念だ った「天皇訪韓問題」についてやることに決めた。 私の命題は「天皇は韓国にいけるか?」という非常にシンプルなものだ。2001 年 12 月の 「ゆかり発言」は、日本国内でもニュースになったが、そのとき、明仁天皇の最後の懸案が「天 皇訪韓」にあると直感的に感じたからだった。 プレゼンテーションでは、ゆかり発言の日韓両国の反応に始まり、天皇家における「仁」の あり方、昭和天皇の意思を取り上げ、 「訪韓」への時期と意味を。さらに明仁天皇の訪問した 国、地方を考えても、基本条約などを結んでいる国で、さらに第二次世界大戦に少なからず 関与のあった国々で、唯一の未訪問国と言ってもいいのが韓国であり、また沖縄や中国にお いて明仁天皇の謝罪とも言えるスピーチがいかに地元の人々の気持ちに訴えかけたかを説 明した。最後は、いわゆる「お言葉問題」について触れ、98 年時に問題は解決していることを 主張し、天皇訪韓への問題は政治的にはないはずだ、とした。 つまり、ゆかり発言後の韓国内の反応、そして天皇に対する意識の問題などを考えたとき、 天皇訪韓を実現させ、明仁天皇自らの口で謝罪をすることが、時期的にも、両国の感情の複 雑化をいったん、元に戻すためにも必要ではないかということを主張したことになる。その 上で、天皇訪韓がなぜ実現されないのか、いくつか理由を考え、提示した。 ディスカッションには天皇が韓国にいけるかという問題をあえて外した、というより積 極的には触れなかった。むしろ韓国メンバーの天皇に対する感情や、歴史などを確認すると いう意図が自分の中にあったため、世間的には「過激なテーマ」といわれそうな、このトピッ クも喧々囂々なものにはならなかった。しかし、 「謝罪をしてから天皇が訪韓するのが筋だ」 という意見もあり、謝罪が先か、訪韓が先かという問題も出た。私には考えつかなかった意 見で参考になる。また日本には国家元首が憲法上規定されていないので、天皇は部分的な国 家元首という考えがあるので、外交儀礼上、大統領が訪日すれば、天皇が訪韓するのが当然 だ、という考えを言ったところ、天皇の地位を明確に理解してもらえなかったように思える。 戦後の天皇制は日本人ですら、よくわからない存在で、韓国メンバーに説明するのは難しい ことがよくわかった。 当初の意図どおりになったとはいえないだろう、トピック選定に失敗したといえるのか もしれないが、少しでも天皇訪韓に政治分科会メンバーが興味を抱いてくれたことを祈り たい。 38 DT3「The possibility of cooperative security organization」 阿部克浩 私は、プレゼンのテーマを「東アジアにおける協調的安全保障体制の可能性」とし、米 軍の抑止力に代わりうる安全保障体制を日韓が構築していけるかという内容を扱った。 周知のように、東アジアには日米同盟・韓米同盟という二つの同盟を基に、日本・韓国 に10万近い米軍が駐留しており、冷戦下ではこの米軍が対共産上の抑止力になってい たことも事実である。また、安全保障は国家の政策の中でも特に機密性の高い分野であ り、経済などに比べ、一般的に他国との協調が難しい。これ等の点からしても、現在の東 アジアにおいて米軍抜きの協調的安全保障システムの構築は非現実的であると言えな くもない。また今までは、日本の軍事力が海外のそれと接触することに関しては、国内外 で懸念される風潮があった。しかし、2001 年の日韓共同世論調査では驚くべきことに、 二国間で安全保障の協調体制をとることに両国民の 60%以上が賛成しているのである。 2001 年が教科書問題や靖国問題によって、関係が冷め切っていたことを考えれば驚く べき数字だ。それだけ国民の間では意識が変化したと言える。 ロシアの衰退、中国の台頭によって北東アジアのパワーバランスは大きく変化したが、 日韓の安全保障政策はあまり変化していない。現状のシステムでも問題がある。米軍が 東アジアで多大な影響を及ぼすが故に、対米協調が第一となり、日韓両国が真に友好な 関係を築こうとしなかった。しかし現在、世界中でテロリストによる脅威が高まり、多く の地域で対テロ上のネットワークを構築し、情報の共有や、安全保障の協調性を重要視 している。東アジアも例外ではない。中東政策の一環として駐留する在日・在韓米軍の 一部を他の地域に分散させることで、米軍がより迅速なネットワークを構築できるだけ でなく、米軍の抑止力を代替しようとする過程で日韓政府が接触することができる。日 韓政府が協調的安全保障体制の基礎を作り、中国をこれに加えて行く。予防外交を徹底 させ、脅威認識を抑えることで防衛力の削減を図る。私の考えは以上だ。 一方、韓国側から出された指摘は、以下のようなものだった。まず協調体制を構築する 上で、①仮想敵国が不在(北朝鮮なのか?)、②中国の扱いが重要な問題(緊迫した米 朝関係)、③防衛力は減らすのが難しい、④誰がリードするのか、⑤日韓協力の未熟さ、 などがあり、より現実的な問題としては、⑥米国からもたらされる情報の重要性、⑦米国 秩序が生む安定した投資環境、などが挙げられた。 防衛力の大きさから判断すれば、日本がリードしていくのであろうが、憲法9条の関 係で制約が大きく、また韓国にはそれだけのパワーが無いと判断された。 結果的には、意識の変化はあれど、まだまだ米軍に対する信頼は高く、これに対する代替 を日本・中国が行っていくことは難しいとされた。一部予想された結果ではあったが、 直に韓国人学生の口から聞けたことは大変貴重だったと思う。 39 DT4「How should solve problems of Northeast Asia?」 林 由佳 林由佳は、東北アジアが抱える諸問題の解決策として、 「東北アジア共同体」について プレゼンをした。海を隔てて隣り合う大韓民国(以下韓国)と日本の間には、様々な分 野に於いて問題が山積している。しかしそれらの問題の多くは、日韓二国のみの話し合 いで解決するものではない。プレゼンでは、東北アジアの歴史認識問題や在アジア米軍 問題、深刻化する朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)による核開発問題をその例に 挙げ、また台湾と中華人民共和国(以下中国)の対立や南北朝鮮の衝突などという二国 間では解決しづらい問題が、第三者の存在によって解決の糸口を見いだしうることを示 した。その他、地域が平和ならば商業活動も活発になる・各国内の社会問題を共に語る パートナーになりうるという利点を挙げ、共同体の必要性を主張した。 しかし、その共同体構想が現実にはほぼ不可能であることを確認するのがこのプレゼ ンの第一の目的である。EU, APEC, ASEAN 等他の共同体やそれに準ずる機構と比較 した 「東 北 ア ジ ア共 同体 」の 定義 、 こ れ ま で の 日 韓 交 渉 や ア ジ ア の 共 同 体 構 想 (ASEAN+3 等)を考えれば、共同体をつくるために新たな問題を抱えたことが明らか になる。プレゼンでは政治・経済・歴史が絡んだ覇権国問題について主に挙げていたが、 討議では「東北アジア共同体」の不可能性を示唆するより多くの貴重な意見がだされた。 まず、各国の政治的利益が全く異なる。EU の混乱を見てもわかるように、誰が覇権を 握るかという問題は、どんな共同体構想をも実現から遠ざける。政治的統合は勿論だが、 他の多くの共同体の掲げる経済的統合も東北アジアでは難しい。経済力の差が極端な東 北アジア諸国は、新しい統一通貨を作ることができない上に、そもそも ASEAN のよう に寄り集まって行動する必要性がない。特に昨今の中国の経済発展は目覚しく、共同体 内での自由貿易は中国の一人勝ちとなる恐れがある。参加国の問題もある。このプレゼ ンの定義では韓国・日本・中国・台湾としていたが、社会主義国と自由主義国が共通の 利益を見出せるのかという意見も出た。北朝鮮はどうするべきか、台湾は国かという問 題も重要だ。東北アジアの調停者となっているアメリカの存在が、実現に大きく影を落 としている事も議論にあがった。このプレゼンで共同体実現の一番のネックとして協調 されていた歴史認識問題も、覇権国に関わる重要問題として取り上げられた。 以上の討議結果より、共同体は理想でしかないことがわかる。では、北東アジアの諸問 題を解決するにはどうすればよいのか。第二の目的、解決法の模索に移る。 南北統一。韓国側から真っ先に出た意見は、日本側にとって意外なものであった。東北 アジアでのほぼ唯一の火種である朝鮮半島の平和が保たれれば、地域全体が安定すると いう主張である。また、共通歴史教科書を作るという案もでた。しかし、日本の軍国主義 再現論が東北アジアでは根強く残っているという意見からもわかるように、共同体実現 には信頼関係の構築が何よりも急がれる。最終的には、六者会談のような話し合いを地 40 道に続けるより他ないという結論に達した。 19th政治文化会メンバーに心から感謝する。 DT5「North Korean nuclear crisis :Background ,Intention and Solution」 Chung JinHo 私のトピックパートナーである Chung Jin Ho は北朝鮮核危機についてのプレゼン テーションを行った。大まかな内容を説明すると、まず Introduction で北朝鮮問題にお ける昨今の出来事について、新聞の見出し語句などを用いながら変化の過程を説明し、 その後に北朝鮮・米国それぞれの核問題に対する考え・背景を説明、今後予測されうる 幾つかの要素を指摘した後、最後はディスカッションで締め括った。北朝鮮核問題自体 の重要性は言うまでもなく、他のメンバーの D/T と関連性が深かったという点でも、彼 のプレゼンテーションは非常に注目すべきものがあった。 彼と私の間で、北朝鮮核問題それ自体に対する味方に大きな違いは無かった。基本的 に北朝鮮の軍事力を危機的とは捉えておらず、この問題に対する米国の重要性も意識し ており、また戦争による解決を望んでいなかった点でも意見が一致した。しかし、日本政 府の北朝鮮問題への関わり方については、やや彼との間で情報が異なっていた。日朝平 壌宣言等の一連の政策は、日本が東アジアにおいて対北朝鮮政策の主導権を取りたいが ために行っているという彼の指摘に対し、日本政府が積極的に働きかけるのは国内政治 上の理由も大きいという説明をした。また、日本国民は憲法9条を改正し、普通の国家の 様に軍事力を持つ「General Nation」に移行したいと考えているのではないかという主 張に対し、私は一部の国民の中にそのような考えがあるのは確かだが、決して多数派で はないという反論を行った。日本に関する情報が、韓国においては一部分のみが誇張さ れていたり、肝心な情報が伝わっていなかったりするなど、やや偏りのある印象を受け た。その一方、米国に関しては、戦争のコスト・被害、国際世論、経済上の理由等から、い ずれ北朝鮮との対話による解決が模索されるであろうという意見で一致しており、この 米朝二国間に関する日韓の認識は非常に近いものと言える。 (阿部克浩) DT6「New vision of U.S. Armed forces stationed in Korea. After cold war -matters connected with Japan-」 Jeon SoYeon Jun so-yeon は、在韓米軍に関するプレゼンを行った。ソビエト連邦の崩壊により唯一 の超大国となった米国は、アジアの平和を守るという大義名分を掲げ、10万にも及ぶ 米兵を今なおアジアに駐屯させている。在韓・在日米軍問題が大きく取り沙汰されてい る昨今、同じ問題を抱える韓日がどのように歩むべきかを問い掛けた。 まず、米軍の歴史として、朝鮮戦争(朝鮮動乱)の際の、アメリカが主力を成す国連軍 とその根拠地であった日本について述べた。次に、朝鮮半島(観半島)の平和を守ると 41 いう在韓米軍の役割を説明するとともに、その(米国による)説明は、海外に多くの基 地を持つための大義名分に過ぎないのではないかという主張をした。最後に、韓国政府 と米政府が結んだ在韓米軍に関する条約(Status of Forces Agreement)の不平等性 と、絶えることない米軍による韓国民の被害を、日本の状況と照らし合わせて示した。 So-yeon は、北朝鮮問題の解決まで米国が調停者の役割を果たし、徐々にアジアから撤 退していくことを望んでいる。 ディスカッションでは、在韓・在日米軍は形式上のシステム・名目は異なるが、状況 はほぼ変わらないということが明らかになった。誤射、ひき逃げ、暴行事件、環境汚染、騒 音等の問題も日韓に大きな差はない。 各国に散らばる米軍の必要性についても話し合ったが意見が分かれた。米軍無しで平和 を保つことができるのかという問いを受けて、各国が最小限の軍事システムを持つ、国連を 今まで以上に機能させる、といった意見が出た。 (林 由佳) 42 <政治・DT 2レジュメ(山田剛史)> Can the Japanese Emperor, AKIHITO, visit Korea? Intro. December 2001”Statement of AKIHITO before the 68th birthday” “I feel relationship between me and Korea”(「ゆかり」発言) In “Shoku-Nihon-Gi”( 続 日 本 紀 ) the mother of Emperor Kanmu is a descendant of Korean. How do we respond to AKIHITO’s statement? →My opinion 「訪韓は最後に残された気がかりではないか?」 Ⅰ. ---------------------A. Response of Korea B. The Imperial Family must not incur people’s ill will 1. In Family percepts of Imperial Family(天皇家「仁」) 2. FUKUZAWA “Theory of Imperial Family”(帝室論) ↓ but Hirohito incur East Asian ill will (hatred). C. HIROHITO’s(昭和天皇)will Ⅱ. Okinawa and China ( AKIHITO’s visit) A. OKINAWA B. CHINA Ⅲ. Past and Future A. History for attempts for emperors visiting to Korea B. ASEAN, Britain, Netherlands C. Mutual visit of the head of State Conclusion War Guilt and Emperor A. System of Japanese emperor is the main culprit of ALL? B. He push forward the policy of War? C. Is He take responsibility for war?(マッカーサー談話) D. Apologize and Solution of war guilt 43 <政治・DT 3レジュメ(阿部克浩)> 『The possibility of cooperative security organization』 1: The present condition in East Asia 2: The necessity for a cooperative security [What is cooperative security system?] [Post cold war] Some world security problems became to each region problems. [Changing power balance in East Asia.] Ex. Approach of China and USA [Changing US-alliance] Japan-US = it is not only security but economy. [Deterrent of potential problem] Mere diplomacy for adjustment? [Building real friendly relationship] Relation of US force prevent from friendly relation between Korea to Japan. 3: Alliance with USA [Triangle alliances in Korea ,USA and Japan] [Fear of being forsaken from the United States] Korea-US alliance [Para-alliance] EX. ①US policy during Vietnam war (1969-1971) ② President Reagan engages in Korea peninsula. 4: The US forces base in the East Asia [The deference between the U.S. force in Korea and U.S force in Japan] ① Risk of U.S. force in Korea ② Purpose of U.S force in Japan [U.S base transference] *There is 100.000 forces in the whole Asia. 5: The imperial United States [How does US regime consider this cooperation organization?] [What is profit for imperial USA] 6: Conclusion (my opinion?) [Profit for the whole of region and Korea Japan ] [Case study of North Korea problem] [Difficulty of going together cooperative security community and relation with US] 7: Discussion Point (1)What are the profits by taking cooperative security organization except my opinion? (2)From now on , how should any U.S. forces of East Asia be? (3)How does USA force influence cut down? And can cooperative security system replace USA force as deterrent power? 44 <政治・DT 4レジュメ(林 由佳)> How should we solve the problems of Northeast Asia? Introduction I feel necessity of realizing Northeast Asia Union. My first visit to Korea changed my life. At that time, a new textbook that calls for national pride of Japan was authorized and people were arguing the issue. In Korea, I was shocked by a wartime museum. I really hoped that South Korea and Japan construct a closer relationship than ever before. If the relationship between South Korea and Japan develops widely, some of the problems in Asia may be able to find clues to be solved. Some problems like… recognition of history in Northeast Asia threat of North Korea the U.S. military in Northeast Asia conflict between Taiwan and China the Korean war Northeast Asian countries’ progress in the world economy common social problems of Northeast Asian countries Outline 1. the definition of the ideal Northeast Asia Union comparing with other unions and organizations 2. what the Northeast Asian countries did in the past past negotiations between South Korea and Japan past tries to realize union in Northeast Asia 3. the biggest problem for the Northeast Asia Union Whose hand is the hegemony of the Union in? 4. My opinion & Discussion the merits/demerits of the Union the possibility and necessity of the Union What is the best way to keep peace in Northeast Asia? Conclusion 45 2.経済分科会 <コーディネータによる総括> 経済分科会は韓国側 3 人、日本側 2 人で構成されていた。他の分科会と比べて経済分 科会は平均年齢が高めであったことから、終始落ち着いた雰囲気であった。初めは皆緊 張していたからか、落ち着きすぎて意見交換も活発ではなく、少し心配に感じたりもし たが回を重ねるごとに質問や意見も増えてきた。相手の意見を聞いてから、それを納得 した上で自分の意見を述べるといった全体の雰囲気が私は大好きだった。 反省点としては、キーワードをコーディネーター同士で決めたにも関わらず、最後の big D/T までキーワードに対する答えがあやふやになってしまったことである。また、 事前にトピックパートナー同士連絡をあまり取っていなかったことも反省点として挙 げられる。トピックパートナーのシステムをお互いが早い段階で理解し、活用していれ ば、メンバーのテーマについて理解やディスカッションもしやすかったはずである。 D/T を終えた今、反省点は多々あるが、KJ/JK メンバーともに経済について知識をつ けるため、各自の方法で事前学習したことは D/T で非常に役にたったと言える。また、 専攻が経済学ではないメンバーを含んだ構成上、知識の違いから互いにやり難さはあっ たと思うが、上手にカバーし合っていたことが印象的である。さらに専攻が違うことか ら、経済学的に物事を見るのではなく、色々な角度からの意見が交わされ、刺激的であっ た。 経済分科会では、全体的にディスカッションをしたというより、知識を共有し合った と言った方がより正確だと私は思う。しかし、意見をぶつけ合うことは少なかったが、ハ ードからの情報だけではなく、互いの国の状況がリアルに感じられ、意義ある D/T とな ったことは確かである。 (明石 真由子) 46 DT1「Economic Crisis of Korea and Japan」 Cho, DonUk 私のトピックパートナーであるCho,Dong-Ukさんのプレゼンのテーマは「OAEC, can it be an alternative plan?」で,特に「OAEC」が日韓の経済にどういう影響を与えるの かに焦点を当てたものであった。彼のプレゼンテーションは本会議の経済分科会の雰囲 気を決定する一番大事な、最初のDTだった。彼は、日本の経済恐慌の原因を探るべく、ま た日本の経済恐慌が韓国の経済にどんな影響を及ばしているのかを分析していた。多く の国が経済プロックを形成しようとしている中、経済プロックに含まれていない唯一の 二つの国が韓国と日本だという。結論からいうと、EUやNAFTAなどのような「経済ブロッ クの構成」が彼はこの問題を解決する代案ではないかということだった。しかし東アジ アの中で、韓国や日本およびほかの諸国を含む経済ブロックを形成するにはいろいろな 問題点があるという。そこで彼はOAECが最後に代案でありえるかどうかについて発表し た。経済ブロックの形成は今や世界経済の主流になっている。また、多くの国がブロック を形成することにより利益を本質的に得ている。しかし、韓国と日本含む東アジアは軍 事事情、外交様相および経済様相など複雑な問題が絡んでくるため、現実的にはまだ時 間がかかるのではないかという結論に達した。彼のプレゼンテーションは私のプレゼン テーションのテーマである「日韓FTA」とかなり似ていたので、お互いに有意義な意見交 換をDTを通して行うことができたことが何よりよかったと思う。 (李 政泫) DT2「Japan&Korea FTA」 李 政泫 私のプレゼンテーションのトピックは「日韓 FTA」であった。私がこのトピックを選ん だ理由は、ただ単に日韓の関係がより密接した関係に発展してほしいと思い、そのため には FTA が大きな役割をするのではないかと思い、また世界中に広がっている地域共同 体(経済ブロック)に対応すべく、日韓両国が何をやっていくべきかをみんなで考えて みたかったのでこのテーマを選んだのである。 まず世界的な流れである経済ブロック、特に FTA(Free Trade Agreement)と R T A (Regional Trade Agreement)を説明し、その FTA と RTA の違いについて述べた。その次 に日韓 FTA の締結されたときの両国におけるメリットとデメリット、特に FTA の一番の 問題点である農業が日韓 FTA には障害にならないことなどを述べた。そして日韓 FTA に ついて、特に新聞の記事などを引用して両国の国民やどんな産業分野で不満の声が出て いるのかなどについて述べた。あとなぜ日本は日韓 FTA に対して積極的であるのに対し、 韓国は比較的に消極的なことの原因をみんなの意見を考えて見た。そして最後に、日韓 FTA は締結されるべきかどうか、もし締結されるべきだと思うのであれば、日韓 FTA が 日韓関係にどんな影響を与えるのかについてみんなの意見を聞いてみたところ、みんな が日韓 FTA が早期締結されるべきだということに一致した。 47 このプレゼンテーションを終えて、少し自分の準備不足やスムーズに進められなかっ たことがすごく悔しかったのだが、現地の韓国人の学生達は日韓 FTA にどう考えている のかなどが聞けて、非常に新鮮で興味深かった。特に新聞やインターネットなどメディ アでみた韓国人の日韓 FTA に対すると意見と、実際 KJ 側のメンバーの意見がすこし違 ったのが一番印象的だった。 DT3「The Industrialization of Japan」 Lee HoJong トピックパートナーであるイ・ホジョンは、産業の空洞化について、現在日韓両国が 抱えている問題点とその解決方法についてプレゼンテーションしてくれた。彼女のレジ ュメはパワーポイント形式でとても見やすく、グラフなども用いており 1 番スムーズに プレゼンテーションが進められたと感じた。 まずは「産業の空洞かとは何か」から始まり、日本と韓国の現状のついて話してくれた。 産業の空洞化が進んでいる背景には、日韓両国とも労働者の賃金が高いこと・国内で生 産するより中国などで生産したほうがより多くの利益が期待できることなどを説明し 日韓が抱える共通した問題点を挙げた。しかし、考えさせられたことは、日本や韓国が自 国だけで産業の空洞化を食い止めることは困難であるということである。産業の空洞化 は日韓だけの問題でなく、相手国、特に中国抜きにしては解決できないということを学 ぶことができた。 産業の空洞化を阻止するためではなく、私のトピックである観光産業は、産業の空洞 化の穴を埋める重要な役割を果たすのではないかと考えていたため、ホジョンのプレゼ ンテーションはとても魅力的なものであった。 (明石真由子) DT4「Tourism Industry in Japan and Korea」 明石真由子 経済分科会で『観光産業』についてプレゼンテーションをしようと思った理由は2つ ある。まず 1 つ目は、私の専攻は観光であり経済ではないからである。経済学について無 知な私が、経済に詳しいであろう人たちを前に発表することは相手にとってメリットが あまりにも少ないことを考えた。経済学抜きに少しでも自分が得意とする分野で、経済 と絡めてプレゼンテーションすることが大切だという結論に達し、このトピックに決め たのである。2 つ目の理由としては、日本と韓国を観光の視点で捉えた時、条件的(地理 的・言葉・インバウンドとアウトバウンドの状況・観光収支など)に似ていることか ら、日韓の学生の意見をより活発な観光産業を築くために意見交換できないかと考えた からでる。そして私がひそかに伝えたかったことは、観光とは相互理解の重要なツール であるということだ。経済的に考えても外国人客を誘致することは国益として十分意味 のあることだが、それ以上に私は人と人が行きかう観光は、平和な世界を作る上で 1 番 48 理想的な方法だと考えるからである。国益・利益抜きに産業は成り立たないが、外貨獲 得のことだけを考えた観光政策では、人の心を惹きつけることはできず、長期的に有効 ではないと伝えたかった。 1 番のつまずきは、どこから・どのように私のテーマや伝えたいことを皆に理解して もらうかということであった。本会議前に練習として勉強会で行った自分のプレゼンテ ーションの感触からテーマ設定の難しさに気付いたからである。トピックが他のメンバ ーとかなり異なるため、また、 『観光』となると日常生活圏外の行動となるため、3 時間を 有効に使うにはどうしたらよいのかが障害であった。プレゼンテーションを通して感じ たことは、テーマ設定の大切さ・人に説明し理解してもらうことの難しさ・レジュメを 読むのではなく伝えること(これを実行するのは難しい)の効果などである。しかし全 ての事に共通して言えることは、語学力の重要性である。ボキャブラリーに長けていれ ば、様々な方法で相手の理解を深められるからだ。分科会を通して「言葉」が持つ力を改 めて実感した。 プレゼンテーション自体については、興味を持ってくれた人とそうでない人とに別れ た。しかし、 「観光・旅行」することは、一人一人の人生をも変えるきっかけとなりうると いう意見に多くのメンバーが納得してくれた。また、理解を深めるツールとしての観光 が、平和をももたらすことが可能であるという私の主張には、少し大げさではと感じた と思うが、理解してくれた。そして、 「観光・旅行」をその様な視点で捉えたことは今まで なかったので新鮮だと言ってくれた。新鮮と感じてくれたことが、私にはとても嬉しか った。 DT5「The Status and Problem about Trade in Korea and Japan」 Lee JiYoun 経済分分科会最後の担当者は、私のトピックパートナーであるイ・ジヨンであった。 他のメンバーはプレゼンテーションが終わり、かなりリラックスした雰囲気であったが、 彼女は前の晩からとても緊張していたことを覚えている。 ジヨンのトピックは私にとってとても新鮮な内容だった。まず初めに、日本と韓国は 地理的に近いこと・歴史的に深い関係があったことなどから、互いの国が受ける影響力 は今も大きいということを指摘した。そして近年の 2 カ国の経済状況について、 「不況」 を中心に説明してくれた。不況から脱却するにはどうすればよいかということであった。 現在日本と韓国の最大の輸出項目は、電化製品であり、続いて製織・プラスチックな どが含まれる石油製品となっている。そして最大の貿易相手国はアメリカ。続いて中国 となっている。このままではお互いの首を締め付けることになると述べ、カンコウモデ ルに焦点をあてディスカッションを行った。 アジアでは、どの国がリーダとして引っ張って行くべきか、リードできるかとい問題 で、中国・日本の 2 カ国に意見が分かれた。国土的にも大きく人口が世界一ということ、 49 目まぐるしい経済成長を遂げている中国が、今後のリーダーになるのではないかという 意見と、中国の経済状況か激変しているのは都市部だけであることなどから、技術も優 れており全体が均等に経済成長を遂げた日本が今後もリーダーとして引っ張っていく のではないかという指摘であった。 メンバー同士慣れたこともあって、DT/1 よりも意見交換が盛んであったように感じ る。5 人と人数的に少ない分科会であったが、一人一人の意見が聞けて皆が参加するこ とができよかったと思う。 (明石真由子) 50 <経済・DT 2レジュメ(李 政泫)> Japan-Korea FTA Ⅰ。What is FTA? ・ FTA(Free Trade Agreement) - Two or more countries, which have a close relationship with each other, abolish tariffs and trade restrictions for freedom of trade. ・ R T A(Regional Trade Agreement) 1 EU (European Union)-All EU members abolish tariffs and export restrictions working towards one standardize export rule. 2 NAFTA (North American Free Trade Agreement) - Abolishing trade barriers on the whole while maintaining one’s own export, tariff and custom systems. ・ Difference between RTA and FTA RTA (EU)- attempt to give all members the most-favored-nation status FTA (NAFTA)-giving advantage to only those partner who signed the agreement ・ The advantages and disadvantages of FTA Advantages- Expansion of the market. Able to increase investment and exports on areas where one has a comparative advantage Disadvantages huge negative impact on the other country who had signed the agreement if they happened to have a significantly weaker industry Ⅱ。Japan-Korea FTA - If this agreement is concluded, they will have a big free-trade market- a total population of about 170 million people and 550 trillion GDP. For Korea - Negative aspects - Possibilities of making lose especially in the area of car production. Korea may make loses in the short term, but a transfer of techniques from Japan to Korea will benefit Korea in the long term For Japan- Positive- Opposing –esp. fishery and textile industry ・ Advantage to conclude Japan-Korea FTA No agricultural industry problems <Discussion Point> 1. Should JAPAN-KOREA FTA be concluded? 2. What image do you have of「Made in Japan」products?(to Korean side) What image do you have of「Made in Korea」products? (To Japanese side) 3. What effect will JAPAN-KOREA FTA have on your original image? Is that a 51 good infecting on the relationship between Japan and Korea? 4. Which country do you think will be the economical leader in Asia? <経済・DT 4レジュメ(明石真由子)> Why I chose tourism industries in Korea & Japan 1. because of many common points between K&J - language(their common language is only can use in that country) - outbound is far outnumbered by inbound - tourism receipts & expenditure → deficit - excessive concentration in a capital region - island country - both Korean & Japanese number of visitor arrivals are No1 - short length of stay 2. give great attention to economic benefits of tourism 3. focus on the growth potential of tourism industry Key facts on Korean & Japanese tourism 1. visitor arrivals and departures 2. tourism balance of payments 3. visitor arrivals from top 10 markets 4. visitor arrivals volume of regional market 5. place visited 6. purpose of trip Why Korea consider that tourism(policy/industry) important 1. acquisition of foreign money 2. absorptive power of employment in tourism industry 3. to bridge the gap between regional feelings conclusion as the world becomes a borderless global village and an open market regime in which only the fittest survive, nations are devoting full energy to develop the tourism industry. Present situation of the world, world wide competition over the tourism market is becoming keener and keener. The number of international tourists in 1997 was 600 million and in2000was 670 million. WTO estimate that the annual figure will reach 1billion in 2010, and 1.6 billion by 2020. 52 The tourism industry is highlighted as one of the biggest three growth industries (along with IT and environmental industries) 53 3.歴史分科会 <コーディネータによる総括> 日韓関係を考えるにあたって誰もがぶち当たる重く深い「歴史」。日本側3人・韓国側3 人で構成された歴史分科会の DT にも、日韓の歴史認識・竹島(独島)問題・靖国神社と 韓国独立記念館・日本政治家の『妄言』・日韓のナショナリズム・韓半島の再統一といった、 物々しいテーマが揃った。日韓間の行き来や交流が進んでも、ともすればあいまいのまま言 葉で口をつぐんでしまいがちなこれらのテーマ――しかもたかだか学生の私達にどれだけ のことができるのだろう――だが私達はそんな歴史問題に対しても目をそらすことなく、 それぞれの視点から、率直で誠実な熱い話し合いができたのではないかと自負している。 実際のディスカッションではテーマの内容以外にも、原爆の被害者意識について(「戦争 での被害者意識を持つことによって、加害者としての責任をうやむやにしてはいないか」) 議論したり、期せずして持参しあった両国の高校の歴史教科書を比較したりという、興味深 い体験ができた。それは韓国の同年代の学生と、歴史のあらゆる問題についてタブー視する ことなくとことん議論するという、普通の付き合いではなかなか持てない大きな機会であ った。逆に学生の今だからこそ、柔軟な議論ができたのではないかと感じる。さらにそれぞ れの議論に、最終的になんらかのコンセンサスを見出せたことはありがたかった。最後まで お互いを気遣い合いながら共に活動できたメンバーには、心からお礼を言いたいと思う。 Yes, we are "Historic" department! (竹内さとみ) 54 DT1「Difference of Discourse between Japan and Korea」 高橋 梓 私の DT のテーマは、つまり日本と韓国の相互認識の差異、ということである。そして、 その相互認識は、それぞれの歴史の「言説」から作られたものではないか、ということか ら、それぞれの「言説」を見直して、多様な歴史認識から日韓関係を改善していく、という 結論に至るものであった。 なぜ私がそのテーマを選んだ(作った)のかというと、以前から韓国語を専攻している ことから、韓国関係の報道には敏感になっていたのだが、W 杯前後の「韓国特集」なるも のに、疑問を感じたからである。その理由は、その「韓国特集」では、キムチ、エステ、ショ ッピングなど、韓国の代表的なもの、つまりステレオタイプを感じたからである。隣国を 知るには、そのような代表的なものから入っていくことが必要だ。しかし、日本と韓国の 場合、教科書問題、政治化の妄言、戦後補償問題など様々な問題が存在しているにもかか わらず、これらの問題については、 「韓国特集」において扱われることはなかったことに 対して疑問を感じたのだ。つまり、「韓国特集」を通して、日韓関係が表面的であるように 感じたのである。そしてそれは、短期留学で韓国へ行った時、専攻が日本史である大学教 授の方と話をすることがあったのだが、その方は自分の専門であるのにもかかわらず、 私たち日本の学生と、日本と韓国の間の問題を話したがらなかったのである(しかし、 自然とその問題を避けられなかったのではあるが)。その先生は、最後に「言い争いをし たくなかったから、避け続けた」とおっしゃった。その時、私はその先生が、対話を求めず、 表面的な関係しか求めていないのではないか、と憤りを感じたが、少し経ってから考え てみると、もしかすると、その先生は表面的な議論になることを恐れて、日韓の問題の話 題は出さなかったのか、と考え直すようになった。そこで、「表面的」ではない対話のため に、相互認識に着目するべきではないか、という考えに至ったのである。 相互認識の中で、私は「親日」というものに着目した。なぜ着目したかというと、「親日」 は韓国ではタブーとされ、日本においては「嫌韓」につながるもの、いずれにせよ日韓の 関係に関わっているものであると考えたからである。しかし、実際に「親日」をみてみる と、それは植民地支配下において総督府が朝鮮人を徴兵させるという目的からとられた 「皇民化政策」から生じたものであったということがわかった。つまり、総督府が、朝鮮人 は劣っているから、日本人の様になれば、日本人から差別されることもなくなる、という 具合に「皇民化」を進め(創氏改名、日本語教育など)、この過程で「親日」は生まれたのだ。 しかし、実際には差別はなくなるどころか、創氏改名の例を見ると、戸籍に朝鮮人である ことがわかるようにする、ということがあり、つまり徴兵のために利用されただけだっ たのである。しかしながら、今日では、この植民地支配の被害者ともいえる「親日」は、上 述した様に、日韓それぞれの言説によって、関係を悪化する原因となっている。 DT で一番印象深かったのは、韓国メンバーからの「なぜ<親日>は被害者なのか?」 という反応である。それは、反日感情(韓国の学生は、日本の政府は嫌いだが、日本人は好 55 きだという人が多かった。そしてその理由は、日本の歴史問題、今日の教科書問題、独島・ 竹島の領土問題から)が存在しているためであると思う。ちなみに、私が DT にて表した かったのは、親日文学に描かれた人々、もしくは「皇民化政策」を実際に受けた小学生、彼 らの痛みを考慮することで、「親日」とひとくくりにして、その言説によって互いに悪い 印象をもつということの問題である。このような韓国メンバーの反応をうけ、一面的な 言説から歴史をひとくくりにして、結果的に日韓の関係を悪化させるという動きから脱 出し、日本人として(特に植民地支配から、日本は加害者、朝鮮は被害者であったから、日 本人から働きかけるべき)、相互の歴史に歩み寄ることが必要であると思った。 DT 2「About Disputes of Dokto's possession」 Min, JuHee 私のトッピクパートナーのジュヒのテーマは、独島(竹島の韓国名称)の領土問題に ついてだった。 その領土問題の争点は、日本が国際法上の「先占権」(1905 年に自国の領土であること を公式に告示したこと)を主張し、韓国は「先占権」以前に、書物の記述に表れる朝鮮の領 有認識があったとして、よって独島・竹島は「無主の島であった」といえないとし、日本 の主張に反対している。 DT を通して、韓国の独島に対する意識の高さに驚かされた。というのは、 「ドクトヌ ン ウリタン(独島は私達の地)」というロック調の歌が存在し、それが若い世代に浸 透していることがわかったからだ。また、ジュヒが韓国から持ってきてくれたのだが、独 島だけを扱った本が存在すること自体、日本では考えられないことであると思う。 逆に日本はというと、私達歴史分科会のメンバーも、フォーラムに関わって初めて独 島問題を知った(私自身そうであった)という位であったため、韓国メンバーとの認識の 差を改めて感じた。 この認識の差は、やはり過去の植民地支配が関わってくるのではないかと感じた。日 本が主張する「先占権」だが、それが公式に発表されたのは 1905 年、つまり日露戦争期 であり、日本が韓国(大韓帝国)の主権を奪っていった頃である。つまり、抑圧されてい る中で、韓国は領土については措置をとることができなかったのである。加害者と被害 者の時間は、流れる速度が違うことを実感した。 私達は、この領土問題解決のためには、今までなかった公式な対話が必要であるとい う結論に至った。これは OB の方に聞いた話だが、日本には竹島の領有を一方的に主張 する言説がインターネット上に蔓延しているという。ジュヒもその話をきいて、このテ ーマを選んだという。しかし、その言説も韓国との対話がなかったため生じたもので、公 式な対話が行われれば、言説も変化していくだろう。特に日本は、過去の加害者として、 韓国に歩み寄るべきであると、この領有問題についての認識の差に触れて、改めてそう 思った。 (高橋梓) 56 DT3「靖国神社から何を学ぶか ―遊就館・韓国独立記念館の存在から―」 渡邉 往 はじめに…韓国の独立記念館へ行って「まるで反日教育のメッカ」と感じる日本人は少 なくない。しかし、靖国神社にある博物館、遊就館で「ナショナリズムや軍国主義のプロ モート(促進)だ」感じる韓国人も存在する。国の歴史を伝える博物館の存在はナショ ナリズム促進の要因となるのか。その背景はどのようなものか。 内容① 政治的な面から見た靖国をめぐる動き ここでは靖国に関する2つの問題(首相の公式参拝・A級戦犯合祀)について賛成 反対の主張を比較した。自民党を中心とする公式参拝支持派に対し、法的な立場からそ れに反発する勢力、そしてアジア諸国などである。アジアに対する姿勢を論じる際、国内 において、A級戦犯合祀の議論が分かれているため「日本の立場」として結論を出すこと は難しいと感じた。 内容② 遊就館とは 遊就館は明治 15 年に創立、昭和7年に再建された博物館で、戦争に関する様々な史 資料、遺物などを展示している。靖国発行のリーフレットによると、 「国難に立ち向かわ れた神様(英霊)の御心をしのび、日本人が戦った歴史を正しく理解する」ことが創立 の目的とされているが、全体的な印象は終始天皇(制)の賛美であり、日韓併合や南京 大虐殺に関する表現が曖昧になっていると感じた。また、ここでは“夢を追い続けた天 才”と崇められる豊臣秀吉だが、朝鮮半島では“侵略者”とされている側面には触れら れていない。 内容③ 韓国独立記念館とは 韓国独立記念館は 1987 年に創立された巨大な記念館である。緑豊かな敷地内の各ホー ルでは政治、文化、民族独立、戦争などに関する建国から現在までの韓国の歴史を様々な 観点から学ぶことができる。特に抗日独立に関する展示は、効果的な BGM やジオラマ によって反日の要素になるのではと思われるくらいの影響力がある。国民から募金を募 り建てられた記念館と遊就館を単純に比較することはできないが、若い世代に訴えかけ る、国を愛する気持ちを持ち続けて欲しいというメッセージは共通である。 まとめ…歴史認識とは、それを語る人の国籍、世代、経験、政治的立場、などにより異なる。 このことは非常に重要であり、歴史を立体的に捉える前提にもなる。歴史教育を受ける 側も、これらを踏まえた上で国の歴史を学んで欲しい。すなわち、その国にとってただ誇 れる史実だけを提示し、(ときにはそれが間違っていることもある)すべてを美化して しまうのは、単乗る自己満足に過ぎないのである。その時代に関わった国々にも同時に 目を向けたい。また、ナショナリズムに関して、ポジティブ・ナショナリズム、ネガティ ブ・ナショナリズムに分類でき、後者が韓国人にとって「軍国主義の促進」の印象を与え、 日本人にとって「反日の促進」の印象を与えるという結論に至った。よって、歴史教育の 57 場としての遊就館・独立記念館の意図と実際に我々が感じ取る印象は必ずしも一致し ないということが言える。 DT4「Japanese Rightists' Absurd Remarks and History Recognition」 Yun, SukMin プロローグ…日本の特定の政治家によって繰り返される妄言。その度にアジア諸国の反 発を受け、謝罪をする。これらの妄言が二度と繰り返されなくなる日は来るのだろうか。 日韓両国の外交関係を大きく左右する妄言の存在について考察した。 1. 妄言の種類 戦後、マスコミに取り上げられ問題となった妄言は 30 以上に及ぶ。そのほとんどが植民 地時代の正当化に関するものである。 2.主な妄言に対する反論 ① 日韓併合は合意の下であった→日韓併合は武力と不平等な条約によって一方的にな されたものであり、国際法から見ても妥当とは到底言えない。 ② 植民地時代は韓国にとって近代化の助けとなった→韓国国内では併合前からすでに 経済的な発展が見られ、何もかもが日本の植民化のおかげという訳ではない ③ 侵略された側にも問題があり、責任がある→これは日本の間違った歴史教育によっ て植え付けられた考え方であり、過去の行為を正当化するために作られたまさに妄言で ある。 エピローグ…我々は 21 世紀の共生の時代に生きている。先の大統領、金大中が提言した 「21 世紀における日韓のパートナーシップ」の精神が、現在の盧武鉉大統領に確実に受 け継がれることを願う。それには妄言の存在がこの世から無くなることがその前提とな る。 (渡邉 往) DT5「Korean and Japanese Nationalism through History -their aspects and future-」 竹内さとみ 映画『Go』の中の発言:「韓国人(や中国人)は血が汚いからつきあうなとお父さん はいう」。新聞で読んだ、韓国の幼稚園で働く日本人女性に尋ねられた園児の女の子の素 朴な疑問:「どうしておねえさんはいい人なの?日本人なのに」。日韓戦の際未だ繰り広 げられる暴動――交流が進む一方で日韓両国の人々に根強く残り、伝えられていく偏見 とは何であろう。それはどのようにして生まれ、形成されてきたのだろうか。少しでも解 消するにはどうすればよいのだろう。これらの問題を考えることは、私がフォーラムに 入る一つの大きな動機であった。 もちろん偏見には様々な要素があるが、今回私はそれを、両国のナショナリズムの形 成と特徴の中に探ってみた。島国である日本とアジア大陸に位置し、中国など大国の脅 58 威に常に晒されてきた韓国では、その意識はもちろん違い、ワールドカップや国際試合 での応援の差にも見られる。しかしいずれにせよ、自国の団結と愛護を謳うナショナリ ズムの形成には他国と比較して自国の優越を強調することはある意味不可避であり、隣 国であるお互いに対してはまさに古代にまでさかのぼり蔑視の目が向けられているこ とを論じた。韓国は日本を「文化の恩恵を受けた兄(韓国)にひどい仕打ちを繰り返し た弟分」と見なし、日本では『日本書紀』にある神功皇后の三韓征伐や任那日本府の記述 が、明治以降は皇国史観ともあいまって、利用されていく。この『日本書紀』自体も、その 中で初めて国号を日本と改めた最初の正史であり、国造りを意識した当時にもナショナ リスティックな意識が芽生えていたのではないかという発見もあった。 そこで韓国側から挙がった「ではナショナリズムが生まれる前はどうだったのか」と いう質問に呼応する形で、日韓の古代史に言及していけたのはよい流れだったと思う。 古代文化を大陸レベルの流れでとらえる韓国側と、まだまだ自国の誇りとして捉えたい 日本側の研究・展示の差を示しつつ、飛鳥の都に多勢を占めた渡来人と、古代朝鮮語と 日本語の共通性から模索した日韓の起源においての密接な関わりの可能性については、 日本・韓国側メンバー共に新鮮な驚きであったようだ。そんな可能性についてもナショ ナリズムの目は客観性を失わせ、歪んだ解釈を導いてしまうということを述べ、グロー バル化がとなえられる今日、今一度古代をふり返って国境を取り払った視点を持つこと が重要であるという結論でしめくくった。前日の SeokMin のプレゼンテーションにあ った「歴史は今と過去の対話である」という言葉も活かせたのではないかと思う。 ディスカッションではグローバル化とナショナリズムの関係から、在日韓国・朝鮮人 やアジア移民などのマイノリティや、移動し、混ざり合っていく人口についても言及し た。彼らのアイデンティティは複雑で、ナショナリズムの前提ではともすると締め出さ れてしまいがちだが、それに対する JuHee の「これからはそういう人々の立場がもっと 活かされる時代になるだろうし、私はしばしばそういう人々がうらやましくもある」と いうコメントは印象的であった。 ナショナリズム・日韓古代史そしてアジア移民といったテーマは、実は私の勉強会中 行った3回のプレゼンテーションの内容でもあった。さんざん試行錯誤を重ねたが、そ れが本会議という集大成において最終的に自然に結びついたのは不思議でもあり、個人 的にとても実り多いものとなった。特にこのようなフォーラムに属していると、あたか も日韓間の偏見など過去の、または極端で一部のものであるかのような感覚にとらわれ る。実際にそういう空気は広まってきてはいるものの、私達自体がまだまだ日本の中の マイノリティ的存在であることを認識し、偏見を越えた視野を持ちつつそれに目を向け 続けていくことは、社会全体の偏見を無くしていくことにつながっていくのだと考えさ せられた。 DT6「Korea Reunification and Japan」 59 Oh, OnSu OH, OnSu の DT では、韓国の分断と統一にまつわる様々な問題が議論された。プレ ゼンではまず、アジア各国の対外史上における韓半島の重要性を概観し、その重要性ゆ えに半島が常に侵略の危険に晒される歴史をたどったことを示し、分断の経緯に米ソの 対立が深く関わっていたことが述べられた。それだけでなく国内にも日帝時代の南北に おける開発の違いや、地域的な政治運動・分裂が存在しており、それが現在の南北の政 治体制の背景にもなっているという分析は、政治専攻ならではの鋭い視点だった。 結論では、現在冷戦構造が崩壊し、在韓アメリカ軍も徐々に撤退していっている中、中 国とアメリカはそれぞれの事情から韓半島の再統一に賛成しないだろうという懸念を 示しつつも、近隣のアジア諸国とくに中国と日本の軍事的政治的関与が、韓半島の再統 一ひいてはこれからの東アジアの和平に大きく影響するとし、国際協力の必要性を訴え た。 国内での評価は散々な、しばしばその存在意義さえも疑問視される日本の軍事力に、 韓国がこれだけの関心を寄せていて、その規模の大きさから再び帝国主義に陥るのでは ないかという懸念がされているのには、日米ディスカッションの時にもそうだったがあ るショックを覚えた。ひょっとしたら日本の軍事に関する情報公開には、国内外でとん だ違いがあるのではと思うと不安も感じた。日本メンバーとしてはその驚きと、実際の 意思決定はほぼアメリカにゆだねられているという現状を伝え、日本は政治的軍事的に は未だアメリカから独立しきれていないのではないかという論議もなされた。 もう一つ私が兼ねがね気になっていたのは、 「韓半島の分断は日本の責任だ」という説で あった。OnSu 氏の意見ではあくまで米ソの対立が直接的原因だったが、韓国メンバー の中には日帝時代を一つの避けられない要因であったと主張する者もあり、それも潜在 的原因であったという形でまとまった。フォーラム最年長の OnSu 氏が非常にリベラ ルな視点で問題をとらえていたことには、正直感銘を受けた。似たテーマで日米とのジ ョイント・ディスカッションがあったため、皆が勉強していたこともあり、また実際日 米で話し合ったことも踏まえた議論ができて、短くも中身の濃い、最後を飾るにふさわ しい有意義な DT になったといえるだろう。 (竹内さとみ) 60 <歴史・DT 1レジュメ(高橋 梓)> Difference of Discourse between Japan and Korea History Department Azusa TAKAHASHI ☆Today’s relationship between Japan and Korea=superficial relationship? Stereotyped image (J: news about North Korea, K:反日)→World Cup(cultural exchanges) →in contrast, there are a lot of problem of historical recognition like textbook problem or absurd remark by politicians. ☆To mature good relationships between Japan and Korea, we Japanese and Korean have to learn diverse historical recognition. 1. Japanese/Korean society’s reaction against ‘親日’ ●Japan---「親日」is the reason of「嫌韓」(Their remark; Korean 反日 because of Japanese Colonial control →but 嫌韓 people ”There were also Korean who supported Japanese policy” → So, these people get angry about Korean demand of apology to Japan → 嫌韓 ●Korea---「親日」evaluate「反日」,because Korean regard「親日」as people who were in the same position of 「総督府」/governor ☆In fact, 親日 have a lot of stories, but we Japanese and Korean tend to regard 親 日 as the people who was in the same position of governor… one-sided recognition 2. Why Korean became 親日? ●Forced Korean to join the Japanese Army(1938, by Japanese Governor)→This policy was the reason of existence of Education of Japanese as a Mother tongue 「内鮮 (1938) and「創氏改名」---force to change their names like Japanese one(1939)= 一体」 ●Difference of discourse about「内鮮一体」 ; Japan, for the end of the draft ; Korea, the way to ‘escape from discrimination’, existence of Stigma ☆Why these difference existed? → This is because governor changed「内鮮一体」’s requirement to realize their aim. ☆「親日」is victim too. Conclusion Korean spend their time in the ‘victim’s time’ (hard to forget)→「反日」 ; Japanese are in the ‘assaulter’s time’ (easy to forget)→「嫌韓」 ☆ Historical Recognition which was made from the difference of discourses between Japan and Korea → If we do not share those sense of value, we could not have superficial 61 relationship. 62 <歴史・DT 3レジュメ(渡邉 往)> 『What can we learn from Yasukuni Shrine ? 』Yuki WATANABE Different Assertion : Korean visit Yasukuni : Japanese visit Yasukuni → promote Nationalism / Sympathy ?? Main claim : Visiting Yasukuni ( Yushukan ) can be a factor to promote Nationalism ? Ⅰ Outline of Yasukuni Shrine ( view point from political aspects ) ・Problems about Yasukuni 1 Visiting Yasukuni Shrine by Prime Minister ② Yasukuni Shrine enshrined A worship ・Cause Conservatives in political parties, influential persons in the business world still have political power ( power of voting ) Ⅱ Explanation of Yushukan ( 遊就館 ) → main purpose : to understand the truth of Japanese History → Death for emperor is the most beautiful, and virtue Ⅲ My opinion of visiting The Independence Hall of Korea → main purpose : to establish identity of ethnic culture, and to awaken the Korean national consciousness and promote patriotism Ⅳ Conclusion ・ GAP between Yasukuni’s objective and our impressions ・ Yasukuni / The Independence Hall of Korea can not always rule us because it depends on our nationalities, generations, experiences, political position ・ Learning Japanese history ( from Yushukan ) in Japan is sometimes dangerous, one-sided ・ Need to know several view points because HISTORY is like three-dimensional thing ・ True nationalist should be modest first Make new generation to know own history only praise, make everything idealize just self-satisfaction [Yushukan] 63 ・ Yushukan’s first priority is teaching us the importance of enshrined wardead ・ The way of explaining is too much one-sided, so foreigners are often confused. 64 <歴史・DT 5レジュメ(竹内さとみ)> 『Korean & Japanese Nationalism through History -Their aspects and future-』 Intro. Stereotypes & prejudices still existing ⇒related to Nationalism or Nationalistic feeling? Ⅰ Nationalism as the origin of prejudice 1. What is Nationalism? 2.Problems of Nationalism (1) Migrations: Korean Japanese, Korean children adopted, Asian Americans (2) Superior feeling (or try to have it) toward neighbor countries 3. Grabs of difference in Korean and Japanese Nationalism (in World Cup Games) Ⅱ Aspects of Korean Nationalism 1. Identity as a small country in Asian continent *Under Chinese Imperial Power for a long time *Confucian theory: ⇒Objective perception toward own country and history 2. Anti-Japanese sentiment Ⅲ Aspects of Japanese Nationalism 1. Identity as an independent island *Not invaded by other countries ⇒Comparatively lacks National consciousness (cf.) Thailand soccer boom situation 2. Emperor-based Nationalism (1) Emperor-based historical recognition *Appraisal of Hideyoshi *A bill of Jingu Empress and her legend of 「三韓征伐」 * Argument about「任那日本府」 (2) The origin or Nationalism? ---『日本書紀』 Ⅳ Before 'Nationalism's - Korean and Japanese Ancient History 1. Korean and Japanese historical approach toward A.H. 2. Korean as a Japanese origin? (1) So many people in Japan from Korea(渡来人) (2) Old Korean as a base of Japanese language? ⇒but a Nationalistic view may lead to the comment like in Intro? Conclusion: Nationalism in the future? 1. Nationalism needs COMPARISON and SUPERIORITY to other nations, which may cause many uncomfortable situations in this globalizing world 2. More liberal approach (rather sympathy?) toward each nation in terms of ancient exchanges. Ancient era as more global one-- No Japanese, no Korean, no 65 national territories prejudices? 66 ⇒ one key to change 4.社会分科会 <コーディネータによる総括> 社会分科会は、日本側2名、韓国側4名の計6名でした。社会ということで、テーマは多岐に わたっていました。具体的には、minority に関連して、ホームレス、ジェンダー、フリーター の問題を扱い、education に関連して、受験制度、フリースクールなどの学校を扱いました。 また、全体的な話として、NGO の問題も話しあいまいした。 事前の準備(分科会)は、本会議で扱うテーマを中心にいろいろなことを話し合いました が、メンバーが2人だけであったので、多少マンネリ化がありました。また、韓国側のトピッ クの決定が遅れたことや、日本側との人数の差もあって、あまりトピックパートナーとのメ ール交換が活発に行われなかったことが事前の反省として残ります。 本会議中は、全体的に考えればいい意味でリラックスして議論ができたと思います。感心さ せるような意見も飛び出すなど、落ち着きながら議論を深めました。一見、男女が激突しそ うなジェンダー問題(男女同数3名で構成されていた)も、冗談も交えながら明るい雰囲 気で議論が行われたのは良かったと思います。 (石川聡史) 67 DT/1 『Social security from homeless’ point of view』 Song, San Hun 近年、その増加が深刻な社会問題となっているホームレスについてのプレゼンであった。ま ずはホームレスとは何かについて定義が行われた。もともとは家のないという意味なのに、 それ自体に内包する差別的なイメージがあるということが示された。 日本では住居に基づいた社会保障システムのため、「ホームレス」であるとその前提が失わ れ社会保障が施されないという実態があることが示された。いずれにせよ、現状ではホーム レスに対しての差別的な意識も存在し、ホームレスにとって暮らしにくい社会であること には間違いない。また、横浜市が「タマちゃん」に住民票を発行した際に、起こったデモの話 を交えながら、 「人間」のほうをむいていない社会の問題を話し合った。また、ホームレスを 支援する施設も存在するが数も少なく、現状では不十分であろうということになった。 (石川聡史) DT/2『日韓の受験の比較―学生たちの日常生活と教育システム』 パク へミン 私のディスカッションテーマは「日韓の受験の比較―学生たちの日常生活と教育シス テム」であった。このテーマを選んだ理由はいくつかある。まず、自分自身が実際に日本 と韓国、両方の大学受験を経験したからだ。そしてその経験の中で、‘日本と韓国の受験 制度は一目、似ているように見えるが実際はそうではない。ところどころ、違う点があり、 ある部分では完全に異なる方法で行われている’ということを感じたからであった。ま た、政治的、文化的な背景が比較的似ている日本と韓国、両国の受験制度を比較すること によって、両方の改善すべき問題点を解決できる方法を探すことができるのではないか という希望もあった。 そして私のレジュメは、KJメンバーが日本の受験制度を理解できるよう、日本の状 況を中心に作られた。レジュメは大きく三つの部分で構成された。 第一は「日本の受験準備のための学生たちの準備過程」についてであった。この部分で は高校生の時間割をのぞいてみたり、日本の高等学校の特徴などを説明したりした。そ の特徴の中で、韓国と非常に違った部分は、日本には部活があるということと自律学習、 つまり学校で夜遅くまで勉強する制度がないということであった。また、受験の準備過 程の一つである予備校などについても説明した。その後には、一番目のディスカッショ ンとして、各自の高校時代の生活や予備校に通った経験などについて話し、その問題点 にも触れた。 第二は「日本の中学校、高等学校の受験」についてであった。この部分では、タイトル通 り、中学校、高等学校の受験の流れ、そして 6 年一貫校などについて説明した。中学校受 験や高等学校受験などがほとんどなくなった韓国の状況からしてみれば、中学校受験の ために小学生の時から塾に通うケースもあるという日本の状況はかなり不思議に見え 68 るだろうと考えた。また、早稲田や慶応大学の付属学校は韓国にはない独特な学校であ り、その学校に一度入れば、比較的、簡単に早稲田や慶応大学に入学できるということは 韓国では考えられないことであるため、みんな興味を持った。 第三は「日本の大学受験制度」についてであった。この部分では、大学受験の流れ、そし て特徴について説明した。日本の大学受験は、センター試験という全国的に統一された 一つの試験だけではなく、学校別に行われる試験も受験の結果に大きく反映されること、 そして、個人が受けたいと思う学校の、試験の日にちさえ異なればいくつの大学でも受 けることができることなど韓国とは違う特徴といえる部分について話した。また、この 部分では、受験の問題例を実際に提示し、答える方式をみていくことで、日本と韓国の受 験の違いをより身近に感じることができた。 以上のような、流れから、私たちは、日本と韓国の受験の長所、短所を比較し、両国の受験 をより豊かなものにするためには、似ているようでかなり違う特徴を持っている両方の 受験制度の長所を正確に知り、取り入れていくべきだと結論づけた。 DT/3 『Alternative education of Korea and Japan』 Park, Ji Na 日本で言うフリースクールやフリースペースなどの既存の学校とは違う教育の学校につい てのプレゼンだった。日本語でもオルタナティブスクールという表現があるが、前文のとお りフリースクールなどと呼ばれるのが普通である。日韓両国で、不登校というのは大きな問 題になっていて、その子供たちに新たな教育場所を提供してやるということが重要だとい う話で、全員がその意見に賛同した。すでに、DT/2のプレゼンにおいて、韓国の受験制度 (および日本)について話し合っていたため、スムーズに話し合いを進めることができた。 また日本ではあまり考えられないが、教育移民とよばれるケースもあるとのことである。 個人的に興味があったことではあるが、「学級崩壊」は韓国にも(実際に定義を検証したわ けではないからおそらくではあるが)存在するようである。それらも含め、いじめなど教育 や子供にかかわることを和やかに話し合った。そして、画一的な教育ではなく、多様性 (diversity)が重要であろうということを結論付けた。 (石川聡史) DT/4『日本と韓国のフリーター』 Kim, Byung Soo キムビョンスのディスカッションテーマは「日本と韓国のフリーター」であった。最近 増えているフリーターという立場を私たちはどのように考えているかについて話し合 った。 そのためにまず私たちは、フリーターの定義は何なのかについて考えた。私たちは、2 0代ぐらいの、学生でない、正規職についていない人たちをフリーターと呼ぶ。一度、会 社などで働いた経験があるが、仕事を止めてしまった40代や50代をフリーターとは 69 呼ばない。そこから私たちのディスカッションは始まった。まず、フリーターに関する考 えにはいろんな意見が出てきた。 フリーターは、‘自分の人生を楽しむための費用だけを稼ぐため、それに必要な最小 限の仕事をし、その他の時間は自由にやりたいことができる’また、‘仕事に対する責 任が少ないため、仕事からくるストレスなどが少ない’という良い点が挙げられた。 しかし、‘30代や40代になってもフリーターという形で仕事を続けていく場合、 家族を養うにはとても無理があり、福祉的な保証もない’また、‘フリーターは各会社 が人件費を減らすための方法として考え、その働き側は、会社に犠牲される場合が少な くない’という意見が出てきた。 このディスカッションでは、日本と韓国のフリーターを比較し、両方のフリーターに 対する意見を交換することによって充実したディスカッションになった。(パクへミン) DT/5 『NGO movement –Enviroment』 Lee, Ji Eun 基本的なトピックは、開発が先か環境が先かというのを話し合った。が、まずその前に各個 人の NGO や NPO、ボランティアの経験などについて話し合った。続いて、開発と環 境の問題の前提として、近年の環境問題に関する NGO について話し合われた。ただ、最近 の日本では NGO(もしくは NPO)で新聞などをにぎわすのは、北朝鮮やイラクに関する ものが多いという印象もあり、それはどういうことなのかも少し考えた。ひょっとしたら、 もはやすでに開発された国(=先進国)では環境を考えるのは当たり前になっているから 目立たないのではという意見も出た。さて、この開発と環境の二者択一であるが、単純にこ っちであるといった意見だけでなく、少し踏み込んだ意見も出た。たとえば、開発をするこ とによって技術が進み、より環境にやさしい技術ができるという考え方である。確かに、環 境技術が発達するということでは一致できたものの、それが結果的に環境に寄与するのか は結論がでなかった。理想的には、環境にも寄与して欲しいが、実際にはそうではないだろ うというのが全体の感じであった。 (石川聡史) DT/6 『Labor + Gender』 石川聡史 日本や韓国に大きな社会問題として残っている男女差別問題について扱った。主に労働市 場での男女差を通して考察した。その出発点となったのが、労働者の賃金格差の大きさであ る。OECD 加盟国の中では、日本と韓国はその差が特に大きい国であった。その原因を共通 点、相違点を考慮しながら全体的に考察し、また個別の意見も交えて議論を行った。 格差が大きいからといって、なぜわざわざ「お金」の問題から、話を始めたかというと、この 大きな格差が、男女不平等を根本的に支えているのではないかと考えたからである。 例えば、結婚後(もしくは出産後)に女性が退職し、そのまま男性のみが働き続けるという 70 のは広く見られる事象である。子育てにどちらか一人が必要ならば、合理的視点からは、給 料の多いほうが働き続けるのが良い。現状では、多くの場合で男性が多いので、 「差別」を持 ち出すまでもなく「合理的な決断」と考えることもできる(多少、乱暴な考え方ですが)。結 局、合理的な判断をすること自体が、不平等の原因の一部になっている。 ディスカッション本体の話から少しそれるが、年金分割法案というのも、女性の生活のため のお金を保障してやるという意味で、参考になった。 所得格差の原因として、終身雇用システム、雇用形態の差、職の分離、意識、税制などを挙げ たが、このうち雇用形態の差というのもこの問題を考える上でとても重要である。なぜなら、 たとえ、会社に正社員間の平等を強制しようとしたとしても、雇用形態によって差別できて しまうからである。 結局は、制度と、男女を差別するという意識のどちらを先にかえなければならないという話 にもなったが、意識は制度の変化のあとに変化するのではないかと考え、何よりもまず制度 をきちんと整備しなければならないのではないかという意見もでた。お金を保証してやる ことによって、より自由に(生活をあまり気にせずに)議論ができるので、将来的に意識も 変わるかもしれないとも考えられた。 また、一方的に片方の性(この場合は男性)が不利益をこうむるような変化は進まないの ではないかという考えもあり、稼がなきゃいけないプレッシャーからの解放など、パレート インプルービング(pareto improving)な変革でなければならないとも結論付けた。 なお、トピックの性格上、結婚についての個人の考えも話し合った。個人の特徴がでて大変 面白かったのを覚えている。 71 <社会・DT 2レジュメ(パクへミン)> KOREAN and JAPANESE Entrance examination (Comparison between KOREA and JAPAN) 1. The schedule for students preparing for entrance examination in JAPAN 1.1School life 1.1.1 Time Table of high school students 1.1.2 Characteristic of Japanese school life 1.2Preparatory school for university entrance examination (YOBIKOU) 1.2.1 Time table of YOBIKOU(example) 1.2.2 Course of YOBIKOU (example) 1.2.3Characteristic of YOBIKOU *What is the problem of KOREAN and JAPANESE Preparatory school university entrance examination. 2.Entrance examination system of middle school and high school in Japan 2.1 Entrance examination for middle school 2.2 Entrance Examination for high school 2.3 Characteristic of entrance examination system in Japan 3. Entrance examination system in Japan 3.1 Examination of center (SENTA SIKEN) 3.1.1 Time table of SENTA SIKEN 3.1.2 Characteristic of SENTA SIKEN 3.1.3 Question of SENTA SIKEN (example) 3.2 Entrance examination of national university 3.2.1 Schedule of entrance examination of national university 3.2.2 Question of entrance examination of national university (example) 3.3 Entrance examination of private university *Private university has very various entrance examination system. 3.4 Characteristic of entrance examination of university in Japan *There are many various entrance examination system in Japan. *Students can take a lot of examination what they want. Discussion point *What’s the problem of Korean and Japanese entrance Examination? * What can we do for improvement of Entrance examination? 72 for <社会・DT 6レジュメ(石川聡史)> LABOR + GENDER for JKSF2003/08/14 w/b Satoshi Ishikawa Purpose・・・See the differences in income, and this discuss unique problems to Japan and Korea. And one of the reasons why I focus on ‘income’ is that money is (also) key to solving discrimination between sexes. 1.Ideal Situation Men and women are equally paid owing to their ability. <People are well paid owing to their ability> 2. Inherency Recently the gap between men and women has expanded. ↓ So ‘Gender mainstreaming’ has been claimed. 3. What makes salary different? Ⅰ years of continuous employment ’Main cause of inequality in income is that women cannot enjoy ‘nenko-joretsu’ Ⅱ type of employment It means that part timer occupies large percentage. 「Female people, who unwillingly become part-timer, are increasing」 Part timer income 891 yen Full worker 1372 yen (Gap is expanding, Japan) And in Korea 53.4% of female is a contingent worker. ( for Japan, only 13.8%) Ⅲ bias in profession Ⅳ consciousness People tend to ask important jobs to men. As a result, men will promote quickly. Some say ‘women are hard because they don’t have enough physical energy’ She cannot manage because she is too emotional’ Ⅴ tax system to promote women to be housewife. 4. Circumatances in company 1 sexual harassment ② Care for children ③ Difficulty in re-entering labor market as a full time worker. 5. SUMMARIES AND CONCLUSION (brief) The change of social system has to precede the change of people’s value. 73 So, at first, strict enforcement of equally payment is necessary. Since it can be the weapon to discriminate someone. 74 5.文化分科会 <コーディネータによる総括> 第 19 回文化分科会の全体のテーマは、[comparative culture](比較文化)であった。 初めて韓国側のコーディネーターから韓国メンバーの個々のテーマを聞いた時は、正直 驚いた。そのテーマとは、[Game culture of Korea and Japan][Women in Anime] [Analysis and Vision of Comics /Animation Industry between Korea and Japan] だった。僕ら日本メンバーは、一体どんなアニメオタクな人達が集まるのだろう、と真剣 に心配していたのだ。僕らのテーマといえば、 「言語から見た日本と韓国」 「性文化」 「在 日コリアン」で、韓国側のようにまとまりのあるものではなかった。そこで、お互いの個々 のテーマを全て総括出来るものとして、全体のテーマを[comparative culture]に決定し た。苦肉の策であった。ところが韓国メンバーと会うと、僕らのいわゆるオタクとイメー ジする人はそこにはいなかった。日本ではアニメやゲームをいつまでも追いかけるのは 子供っぽい、という固定観念がある。しかし韓国ではそうではなく、アニメやゲームは日 本以上に幅広い年齢層に受け入れられており、娯楽として人々の間に根付いている。つ まり、大学生がアニメやゲームを楽しむことは、韓国においてごく自然なことなのであ る。まさに[comparative culture]であった。韓国メンバーは個々のプレゼンにおいて、僕 たちが今までごく当たり前に受け止めてきたアニメやゲーム文化に疑問を投げかけ、新 たな視点を与えてくれた。中には日本のアニメの映像や写真を多用した者もいて、想像 していた以上に興味深い内容であった。韓国メンバーはテーマが似通っていることもあ り、お互いに協力し、助け合いながらプレゼンを進めていた、というのが印象的だった。 韓国メンバーは日本メンバーのプレゼンにも興味を示してくれ、ディスカッションも盛 り上がった。全体を通して言える事は、日本語、韓国語、英語が飛び交い、語学の堪能な者 の力を借りることもあったが、お互いに理解しようという努力が感じられ、またメンバ ー個々の雰囲気も手伝って、終始和やかなムードであった。 (劉 明俊) 75 DT1「言語から見た日本と韓国」 金 小伊 私は言語から見た日本と韓国についてプレゼンテーションを行い、ディスカッションを 行った。幼い頃から日本語と韓国語の両国の言語のなかで育ってきたことがこのテーマを 選んだ理由である。日本語と韓国語は文法がほぼ同じであるため学びやすいと言われてい る。しかし、異なる点も多くある。大きく異なる点は敬語に関してである。日本は相対敬語で あるのに対して、韓国は絶対敬語である。日本においては自分の所属しているグループのな かで自分の地位や役割などによって言葉づかいを変えたりする。しかし、韓国では年上であ れば必ず敬語は使用する。また、日本で相手の子供の話題を持ち出すときなども敬語を使う が、韓国では他人の子供でも子供に関しては敬語は使わない。これらは興味深い点である。 また、韓国語が日本語に変化した言葉もいくつかある。 「ぺこぺこ」、 「のっぽ」などはそうで ある。これらに関しては日本側も韓国側も面白がっていた。ディスカッションは、若者の間 での敬語の使い方などに関して話し合った。日本では現在敬語の乱れなどがたびたび問題 になっている。これらの問題が韓国でも起こっているのか聞いてみた。日本ほどではないが、 敬語の使い方に自信を持てない若者は確実に増えていることがわかった。このことは日本 と韓国において共通している事柄である。日本語と韓国語について英語でプレゼンテーシ ョンを行うことは難しかった。微妙なニュアンスなどが英語で伝わるか非常に不安であっ たが、なんとか上手く日本語と韓国語を使って表現できたように思う。韓国側が一生懸命韓 国語の敬語や言葉の使い方について私たちに説明しようとしてくれた姿がとても印象に残 っている。充実したディスカッションであったように思う。 DT2「Women in Anime」 Shin, HaiJung 僕のトピックパートナーである Shin Hai-jung のプレゼンテーマは、「Women in Anime」であった。彼女は、パソコンを使いながら僕らに馴染みのあるアニメの絵や写 真、映像を見せながら、説明してくれた。そして、アニメに出てくる女性像を三つに分類 した。一つ目は、ディズニーアニメに出てくるような、か弱く男に頼るヒロインの女性。 二つ目には、セーラームーンのように変身シーンで裸になり、女性であることを強調す るもの。最後に、宮崎駿映画に出てくる男女両方の役割を担い、勇敢に戦うもの。そして、 ディスカッションでは、現実の世界の女性もアニメの女性像のように分類されるか、ど の女性像が一番良いか、ということについて話し合った。Hai-jung は、僕らが今まで何 気なく見ていたアニメについて、女性の立場から疑問を投げかけてくれた。それがとて も新鮮で、考えさせられることもあった。 (劉 明俊) 76 DT3「在日コリアンのアイデンティティ」 劉 明俊 本会議でのプレゼンのテーマは、 「在日コリアンのアイデンティティ」だった。元々こ のフォーラムに入った理由の一つとして、日本人の人に在日のこと、自分のことを知っ てもらいたいというのがあった。というのも、高校生時代に在日の集まりに参加してい たのだが、その時ある種の限界を感じていたからだ。日本に住んでいるのだから日本人 に僕らの思いを伝えなければ意味がないのではないか、と。本会議までの3回のプレゼ ンは、全て在日がテーマだった。しかし、当初は本会議でも‘在日’を扱うとは考えてい なかった。最終的にテーマを決めたのは、これを扱えるのは自分しかいないという少し の義務感と、自分にしか出来ないという大義からだった。 プレゼンでは、在日コリアン一世、二世、三世の世代に伴うアイデンティティの変化に 加え、在日の教育、結婚、国籍、総連・民団、外国人登録証、民族名と通名等、在日を取り 巻く様々な側面を述べた。そしてそれらを踏まえた上で、在日と帰化に対するイメージ、 在日にとって理想的な社会と教育とはいったいどんなものか、ということについてディ スカッションしようと試みた。プレゼンで紹介した情報量が多く、そして韓国メンバー からの質問も途中で多々あり、プレゼンだけで一時間半を超えてしまったのは予想外で あった。結果としてディスカッションを含め三時間では終わらなかったため、その日の 午後のヒョンジュの DT の時間を 30 分貰い、続きを行った。韓国メンバーが‘在日’に ついてそれほど知識を持っていなかったこともあり、理想的な社会・教育についてはそ こまで深くディスカッション出来なかったのが残念だった。しかし、在日や帰化のイメ ージは貴重な意見が得られた。在日のイメージとしては、総連のネガティブなイメージ、 いじめられている、日本語しか話せない、パチンコ業界などで成功した金持ちのイメー ジ等。帰化に対しては良くないイメージを持つ人もいるが、若い人は帰化を民族に対す る裏切りと考える人は少なく、何より同胞であることが大切だという意見もあった。こ の意見に僕たち在日は考えさせられるべきであろう。いつまでも国籍に執着していてい いのか。国籍を超えた所に僕たち在日は進まなければならないのではないか。これは、も ちろん民族の誇り等を捨てるべきだ、と言っているわけではない。僕らが苦しみ悩んで いることを、そのまま次の世代に引きずっていいのかということだ。他の意見としては、 参政権を得てから国籍について考えるべき、等。歴史をドイツのように認識し、正しく教 育をすることが在日にとって理想的だ、という意見もあった。余談だが、韓国はしばしば 在日を政治的に利用している、という意見も印象的だった。 全体を通して、自分の英語力のなさや、テーマがテーマということもあり、ディスカッ ションというよりも意見交換のようになってしまったのが残念だった。しかし、貴重な 意見を聞くことも出来た。自分にとってこれからも継続的に考えていくテーマなので、 これで終わりではない。一人で思い巡らすのではなく、日本人、韓国人、在日と共に考え ていきたい。 77 DT4「Analysis and Vision of Comics /Animation Industry between Korea & Japan」 Lee, HyungJu 私のトッピックパートナーであるヒョンジュのDTは『日韓のコミックとアニメ産業 の分析と展望』という、文化的というより経済的なプレゼンテーションであった。 日本の代表的キャラクターとして、 「ポケモン」を挙げた。ポケモンはテレビアニメが 先に子供達に人気となり、その人気から映画化や、ポケモンカード、ポケモンのパンなど のグッズ化をするやり方で、ポケモンのキャラクタービジネスをおこない、経済的効果 をあげた。一方で韓国は「マシマロ」を人気キャラクターとして例にとった。 「マシマロ」 はキャラクター先行型である。インターネット上で人気となった。彼女は韓国での日本 文化開放ということもあり、アニメ産業はこれからますます経済発展するため、いろい ろな製品にキャラクターを利用し、購買精神をあおることが重要であると結論を述べた。 また彼女は日本では多くの人が驚くコスプレを趣味にしており、コスプレやアニメ「オ タク」などについても話し、韓国では「コスプレ」は日本よりも人々に親しみがあり、 「オ タク」は日本でいう悪い意味は含まないと知り、日韓における違いが多くみられた。 (森田歩) DT5「Game culture of Korea and Japan」 Yun, HeeSong 現在、韓国ではオンライン・ゲームが主流となっている。それに対して日本はビデオ・ ゲームが主であり、この二つのゲームの違いや両国においてこれらが流行っている背景 などをプレゼンし、ディスカッションした。韓国においては PC 房が多くあり、人々はそ こに行き、オンライン・ゲームを楽しんでいるようである。オンライン・ゲームでは大 勢の人と対戦できることが魅力のように思われる。日本では、またオンライン・ゲーム はあまり人々に知られていない。日本ではインターネットを何か調べるとき、主に検索 する手段として利用する人が多い。携帯電話でオンライン・ゲームを楽しむこともでき るがそれも少数である。日本でもオンライン・ゲームが流行した場合、ビデオ・ゲーム の売上は減少するだろうと話し合った。また、文化的な面での違いで韓国の国民性とし て大勢で楽しむことが好きで、日本は一人で楽しむことを好むという国民性の違いもゲ ーム・カルチャーの違いの背景にあるのではないか、という結論もでた。 (金 小伊) DT6「What is the good 性教育, sex education? 性行動と性意識の観点から」 森田 歩 私の DT は正直日韓の性教育よりも、日韓の若者の性行動、性行動のちがいを知りた くて、このトッピックにした。なぜこのトッピックを選んだのか。18 回の KJ のある女 の子が付き合って 2 年くらいなのに、まだセックスをしたことがない、という話を聞い 78 て、日韓における性行動、意識の違いを感じたのがきっかけだった。私はここで、グラフ を用いながら日本の若者の性文化をメインに韓国の性文化と比較した。 まず日本の若者の性文化と実態を調べた。日本では若者の性行動の低年齢化、早期化 が進んでいる。統計によると中学、高校生の男子のセックス経験率はここ 10 年で二倍に、 また現在 50%以上の女子大生がすでに経験済みである。ここで注意しなければならな いことは、性行動の低年齢化といっても、今まで中学生で経験していたことを小学生で 経験することになったわけではない。つまり初体験の年齢のピークが早まっただけであ る。この低年齢化の理由として、家庭環境の変化などがあげられる。日本の若者の性意識 は、セックスはコミュニケーションの一つの方法で、カップルにとっては自然なことで ある。そして俗語ながら、日本には「やらはた」(俗語)に対する焦りがあると思う。 「や らはた」とはセックスを経験せずに二十歳をむかえることで、多くの場合早く経験する ほどよく、経験していないことが恥かしいことであるといえる。一方韓国の若者の性文 化は実際儒教のためにセックスがタブー視されていて、日本よりも性にたいして閉ざさ れた性意識がある。しかし、実際韓国の性文化も変化しており、日本までもいかないが、 少しずつ開かれた性文化になっている。 私は日韓の若者の性行動、意識はこれから変化し、ますます性に対して若者が敏感に なり、性文化も大きく変わると思う。というのも現在インターネット上で「セックス」を 検索すると、女性のヌード画像、妄想、体験掲示板など、ありとあらゆるものが書かれて いる。私はこの状況をみて、日韓若者の性文化にインターネットが大きな変化をもたら すと思い、とても危険だと思った。このように性に関する情報は間違った情報を多く含 んでいる。また若者の知りたい性情報と学校で教えられる性教育のギャップが大きいの も問題である。ここで性教育の重要性が問われる。 私は相手への思いやりの態度や感情をもつことが大切いう性教育が大切だと思う。あ まりセックスを強調した性教育だと、性の低年齢化を促進させることになるので注意が 必要。しかし、実際若者が知りたい情報なしにセックスを経験することが一番こわい。な ぜなら、妊娠、エイズなどの性病の問題もあるからだ。私たちは結婚する前の大学生だか らこそ、セックスについて真剣に考え、話すべきだと思う。 私のこのトッピクに対して、KJ が一言も話してくれずにつまらない DT になったら どうしようと不安があったのだが、DT では KJ はこのトッピックに興味深々であった のが印象的である。やはり韓国側は性に対して恥ずかしいものだという考えが、男女と もにみられた。日韓ともにセックスについて真剣に話せてとても興味深い DT だったと 思う。 79 <文化・DT 1レジュメ(金 小伊)> Korea・Japan seen from language I. Similarity of culture between two countries ※ Common Confucianism culture developed their language form especially Honorific. (敬語) ※ Their own form of language was made by differences in consciousness. II. Han gul ハングル ・1443 年 李朝第4代 世宗 「訓民正音」 ・Phonogram 表音文字 III. Japanese ・万葉仮名 One Chinese character stands for only one sound. ・ 平仮名・片仮名 Transformation from Chinese character. IV. Respectful speech / Honorifics 敬語 ※ Japan – 相対敬語 The object of respect is determined according to the relationships between the parties involved. ※ Korea – 絶対敬語 ・ Senior and junior of consciousness ・ Confucianism V. Seesaw Word ・ Meaning “Unbalance” ・ The words which young people are using VI. The word that Korean changed into Japanese ・ ナラ (国)奈良 ・ ぺこぺこ ・ のっぽ 80 <文化・DT 3レジュメ(劉 明俊)> Identity of Koreans living in Japan Myoung Joon Ryu 1.Who are the Koreans living in Japan? 2.Variation in a concept of identity among generations First generation Second generation Third generation 3.Korean Ethnical Education Chousen schools(North Korea schools) South Korean System Schools Korean Ethnical Education in Japanese Schools 4.International Marriage 5. SOUREN and MINDAN What is SOUREN(総連)? What is MINDAN(民団)? 6.Certificate of Alien Registration 7.Korean name and Japanese name 8.The law of nationality Conclusion Discussion Point 81 <文化・DT 6レジュメ(森田 歩)> 「What is the good 性教育, sex education? ~From the view point of the sexual acts and consciousness~」 *Introduction: why did I choose this topic? ~One KJ girls’ story~ The difference of sex acts and consciousness in Japan and Korea ☆More open sexual Culture in both Korea and Japan than before @Japanese have more open sexual acts than Korean. 1,the actual condition of youth sexual act in Japan ☆Low aged of the sexual act ・The sexual intercourse experienced percentage Junior high and high school boys’ 2times, the university girls’ students 50% ・except for sex: The date and kiss experienced This percentage is up in junior high and high school ◎The peak has got early *the reason of the low aged …the extent of social acts, the weakness of the control at home, the adaptation of group life 2, @What’s the Japanese sexual consciousness? Sex is one way of communication and a natural behavior for couples. ・YARAHATA Culture: he or she becomes 20 without sex experience Not experiencing is a shame. Not 「WAY?」 But 「Why not?」 @What’s the Korean sexual consciousness? Korean have more closed sexual consciousness than Japanese Confucianism But the Korean sexual consciousness is changing. 3, where do we get sexual information? The wrong information and the gap of the youth sexual interests and sexual education Magazines, videos, Internets and etc. about for example, rape 4, what’s the meaning of sex education? To have considerable attitude and feelings and to have sex has the possibility of pregnancy, STD, AIDS etc: responsibilities of couples ☆When should ‘the how to sex education’ be given? To give students sexual education early develops earlier sexual acts? 5、Conclusion :I think sex education should be taught ‘how to communicate with one’s partner’ and regarded sex act itself as one way of communication and sex is not most important for couples. But without the satisfied sex knowledge, which young people want to know, to experience sex is really bad for responsibility as one adult. 82 JK エッセイ 阿部 克浩 僕が初めて韓国の大学生と交流したのは去年の九月。ようやく、僕と韓国の付き合い も一周年を迎えた。振り返ってみればたくさんの思い出があるが、このフォーラムの体 験が最も貴重であった事だけは確かだ。この一年余り、フォーラムは僕の生活の中で重 要な位置を占めていた。時には大学の友人に、 「最近のお前、大学生活が退屈そうに見え る。」とまで言われた。勿論、そんなことはない。ただ、僕の意識がフォーラムに在り過ぎ たが故に、友人にはそう見えたのだろう。たった週に一度の活動も、僕には充実した時間 を与えてくれていたようだ。 僕にとってフォーラムの活動、それはまさに挑戦の場だった。一年前の秋、以前から辞 めたかった大学のサークルと決別し、一つの目標を立てた。内容はいたって単純。 「自分 がやりたいこと、自分に必要だと思ったことを片っ端からやる。」である。死期を宣告さ れた重病患者のような目標だが、僕にはピッタリな目標だった。自分は概して行動力・ 自主性・積極性がなく、何を始めるにも考えすぎて時間ばかりかかる人間であることは わかっていたし、一年間送った在り来りな大学生活にもうんざりしていた。まさに精神 の構造改革。訪韓研修団の仲間からフォーラムの誘いが来た時、少し興味を持った僕は、 何も考えず即参加した。 フォーラム自体は、決して順風満帆な走り出しではなかった。僕が加入した時、メンバ ーは定員の半分以下だった。その後、新しく加入してくるメンバーの一人一人が宝物の 様に見えたものだった。しかし、そのような危機状態も我々にはいい活力剤であったと 思う。少ないながらもメンバーそれぞれがフォーラムの事を真剣に考えていた。その傾 向は本会議が終わる今まで続いた。皆が意見を積極的に出すが故に会議が終わらないこ となど、幾度あったことか。 本会議に入っても僕の挑戦は続いた。英語で3時間のプレゼン・20日間にわたる韓 国人学生との生活、大学の友人は、 「お前、できるの?」と疑った。無理も承知、しかし意 識改革を誓った僕は引き返すつもりなどなく、ついにそのまま本会議終了を迎えた。終 わってみれば JK・KJ 合わせて28人の友人、その他 OB/OG、半年間の経験が自分の下に 残った。なんと素晴らしいものか! 今にして思えば、一年前の決心が、自分の学生生活の大きな分岐点になった。この一年 間、僕の生活は目まぐるしく変化した。自分が立てた目標に従い、何事にも意識的に第一 歩を踏み出してゆく毎に、自分の世界が少しずつ変化していった。それを形として実現 してくれたのがフォーラムであった。 本当にメンバーの皆には影響を受けたと思う。大学の友人は「最近、少しお前変わっ 83 た。」とも言っていた。勿論これは、フォーラムの活動を通じて僕が皆から影響を受けた が為だろう。それぞれが個性的で魅力的な28人と貴重な20日間を過ごせたことに、 心から嬉しく思っている。無事、本会議が成功に終わって本当に安心した。28人のメン バー達、日頃から関ってくれることの多かったボンソクさん、森さん、お忙しい中でも合 宿や壮行会に出席してくださった OB/OG の方々、本当にありがとうございました。皆さ んのお陰で、僕は貴重な体験をすることができました。 明石真由子 フォーラムを終えて 何が良かったのか、どうだったのかと聞かれても一言では片付けられない、本当にそ んな気持ちだ。ただはっきりと言えることは、フォーラムに参加することができてよか ったということと、参加して正解だったということである。 今まで色々な団体に参加したことがあるが、これほど一人一人の存在が大切で、それ ぞれ役割をもっていると感じたことはない。今回のフォーラムでは、1 人 1 人が主役で、 1 人でも抜けたら機能しないと感じることができた。これはたぶん、本会議事前に勉強 会や JN 練などをみんなでやってきたからだと思う。フォーラムに参加した理由は人そ れぞれだが、対象が「韓国」ということは皆同じであるから、きっと共通した思いが長い 時間をかけて最後に形になったのだと感じた。 本会議を終え、少し時間がたった今でも頭の整理がしきれていない部分がある。むし ろ新たな課題が見えてきたように感じる。一言で説明できないのも、きっとこのせいだ ろう。本会議を終えたからといって何か一つの形を残さなければならないとは思わない。 何かに参加することで次の課題を見つけ、今度はそれに向かって進めたらよいと思う。 フォーラムはそのきっかけを与えてくれた。とりあえず自分から行動を起こすことの大 切さ・意味の大きさに気付かせてくれるフォーラムであった。同時に、それができるの は周りに協力してくれる誰かがいるからだと分かった。 事前準備など忙しく、早く終わらないかな~と思う時もあったが、フォーラムを続け てきて本当によかった。たくさんの人にありがとうございます。 林 由 佳 真実 オンニが言った。 「韓国のことを勉強してくれるのは嬉しいよ。でも、どうして?ユカ 84 の将来を考えたときに、それが良いことだったと言えるかわからない。」全く同じことを 言ったわけではない。勿論英語だったし、もう一ヶ月ほど前のことなので細部は定かで はない。しかし大意は掴んでいる。そしてズシーンときた。いやむしろ、きてる。 平成15年3月、東京外国語大学外国語学部朝鮮語科に合格した。第一希望だった。う かれていた。同じ大学になった同じ高校の先輩に伝えた。すると、違う大学だが同じ高校 の先輩からメールがきた;「日韓学生フォーラムに入らない?!」。数日後、うかれた高 校生は初対面の大学生達に自らの夢を熱く語った。 「高2の時に韓国に行って、戦争記念 館を見てきました。あのときの衝撃は今も忘れられません。こんなに近くにある国が互 いに不信感を持って暮らしていていいのでしょうか。私は二国が過去をかみしめ、明日 を信じ、互いを理解して生きていけるような関係になれると信じています。まず言葉か らと考え、大学に入りました。実際に何ができるか、このフォーラムで考えていきたいの です。」 さくらの咲きはじめたうららかな3月の日を思い出して、私は笑った。その5ヵ月後 に聞いた言葉が全てを物語っていた。大学生活も、サークル活動も、韓国の大学生との交 流も、世間知らずな高校生が思い描いていたのとは違っていた。本当に朝鮮語科でやっ ていけるのか。私のことを思うオンニの言葉はある意味正論である。 「韓国語科」と無意 識の内に言い換えた自己紹介。なかなか身につかない言語を前に焦燥に駈られる日々。 本当に議論できたか。政治という慣れない分野は予想以上に難解。プレゼンの準備の至 らなさは思い出すだけで辛い。本当に今の日本を伝えられたか。私が私である限り、偏り があったことは否めない。フィールドトリップやホームステイ中は、自らの日本に対す る知識のなさと言語の壁の厚さを噛みしめた。本当に二国の関係をよくするような活動 ができたのか。文化交流を重ねても、いつまでも相手への不信感をぬぐいきれない両国 の世論。KJ と JK というカテゴリーを越えきれない私たち。日韓交流は何年続けていて も変わらないと言われても、うまく反論ができない。本当にこれでよかったのか。本当に これでいいのか。 日韓交流。たくさんの真実が、私の前に立ちはだかる。 オンニが言った。 「この三日間、いろんな所に行ったよね。ほ~んとに楽しかった!順 番をつけるなら、ホームステイが一番だよ!ありがとう。最後はコリアナイトかなぁ。こ れから練習しないといけないもんね。あ~っオットッケ(どうしよ)!」まったく同じ ことを言ったわけではない。勿論英語だったし、もう一ヶ月ほど前のことなので細部は 定かではない。しかし大意は掴んでいる。そして嬉しかった。いやむしろ、オンニ大好き! そんなに気を使わないでいいんだよと言ってくれたオッパに、私は言った。 「私は日本 が大好き。だから貴方に日本を嫌いになってほしくないの。」その目で日本を見てほしい。 そして判断してほしい。このような縁で貴方に日本を見せることになった私は、できる 限りのことをするつもりだから。母国語でない言語では、恥ずかしいこともそのまま言 85 える。 どうしようもなくなっても、誠信を持って体当たりしてきた。そのときの自分が出し うる最良の方法を試してきた。思いはきっといつか届く、使い古された言葉を信じてみ る。今回のフォーラムで、私は日韓交流を考え直すことができた。そして新たな道を見出 した。東北アジア共同の家が全ての東北問題の解決ではない。アプローチはいくらだっ てある。何の変化もないように思えても、真実との出会いを重ねてやっと見えてくるも のだってあるはずだ。小さな歩みでも、私は続けていきたい。今日の自分が、昨日の自分 より少しでも好きになれるように。私は限界を知った。そして私は新たなスタートライ ンの上にいる。 日韓交流。さまざまな真実が私の背中を押してくれる。 五ヶ月間と言う短い期間だったが、フォーラムでの活動は私に多くのものを与えてく れた。時には私の未熟さをたしなめ、時には私を励まし、勇気付け、自信を持たせてくれ た。絶望と、未来への道筋を教えてくれた。 故に。19回フォーラムを支えてくださった方々、親愛なる私の両親、そして総勢28 名の私のオッパとオンニに心から感謝している。 石川 聡 史 日韓学生フォーラムに参加しようと決めたのは、2002年の11月末でした。正確 な表現を使うなら、日韓学生フォーラムに参加しようかなと思ったのが、そのときでし た。世の中のすべての出会いは偶然であるように、このフォーラムとの出会いも偶然だ ったと感じています。また、未知への道であったとも。知っている人が参加していたわけ でもなく、特別に韓国に接点があるわけでもなく、たまたまフォーラムを宣伝する文章 を、所属するサークルの掲示板で見たのがはじまりでした。そのサークルに入っていな ければ、このフォーラムの存在を知らずにすごしていったかもしれません。また、もしサ ークルが2年生で引退でなければ、参加したいけど無理かなというようにあきらめてい たかもしれません。 「もし」というと限りなく続いていくように思えます。ただ、とにかく 「出会った」のです。旅行なら、簡単に行けるけれど、それよりももっと大きな未知と出会 い、かけがえのない経験ができるかな、と思い、ついに「偶然」が「行動」にうつされた瞬 間でした。 本会議前までの約8ヶ月間は、月並みな言い方でいえば、長くもあり短くもありまし た。この間に、自分にさまざまなことが降りかかって、大きな変化があったと考えると長 86 い準備期間であったとも言えるでしょう。ただ、毎週の勉強会、合宿をまじめに取り組み、 また楽しいことがたくさんあったこと、新たに加わってくれるメンバーを歓迎したこと などを思うと、一瞬にして終わったようにも思えます。 直前・直後合宿、本会議と JK・KJ メンバーと過ごした3週間も、これだけの時間集団 生活をしたんだと考えれば長かったような気もしますが、思い出すと一瞬に終わったよ うな気がします。その一瞬の中には、想い出のかけらたちがたくさんつまっているけれ ど。文章にしてしまうと、その想い出たちは輝きを失ってしまうように思えます。だから、 ここでも書かずに、大切に、心の中で、輝かせていきたい。これから、いつまでも。 そして、あえて言わなかったことがある一方で、言えばよかったなどと後悔すること もあります。悔やみ始めたらきりがないくらいに。その言葉たちは、これから伝えていけ れば、と思っています。何かをやるのに遅すぎることはないと信じて。 最後に、私がこのような「偶然」に出会えたフォーラムに関係する、すべての人・団体 に感謝の思いを表明したいと思います。 金 小 伊 日韓学生フォーラムに参加した理由は、単に学生生活をより充実したものとしたかっ たためである。そして、韓国人でありながらも三歳の頃から父親の転勤のために日本に 住んでいるという特殊な立場や境遇を前々から生かさなければならないという義務感 というものを何らかの形で感じていたからである。本会議も終わり、フォーラムの活動 全ては私のこのような思いを全て満たしてくれたとはっきりとわかる。 私は、四月にフォーラムに入り19回のメンバーでは最後に入ったメンバーであった。 しかし、フォーラムの雰囲気はとても良く途中から参加した私を快く受け入れてくれて とても馴染みやすかった。そして、フォーラムの活動の全ては私にとって刺激的であっ た。 韓国人でありながらも、日本に住んでいたため韓国人の友人は今までにいなかった。 だが、本会議によって素晴らしい多くの友を得ることができた。私はその事実が素直に 嬉しかった。韓国側のメンバーは優しく、頼もしく、それぞれ皆魅力を持っている人ばか りであった。日韓のまさにその中間に位置づけされる私は、韓国側のメンバーが私を韓 国人として接してくれたりする気持ちや態度に嬉しさを感じた。本会議中は楽しいこと ばかりでなく、いろいろホスト側として考えさせられることも多くあった。また、日韓両 国を知っていたつもりであったが、改めて両国の文化、そして国民性の違いを発見し、再 87 認識することもできた。 13人のメンバーで本会議を終えてみると、それぞれお互いの良い面や悪い面などい ろいろ見えてきた。本当に様々な人がいるのだなとも感じ、本会議中ではみんなの行動 によって自分という人間がどういう人間かも客観的に見ることもできたように思う。成 田空港で韓国側を見送った後、久々に13人に戻った。そのとき、本会議を終えた安堵感、 そしてみんなに対して家族のような、一緒にいることがあまりにも自然なそんな感情を 抱いたことは忘れられない。みんながいるから最後まで楽しく過ごせてやり通せたのだ な、と実感した。 フォーラムから得たことは言葉では表現しきれない位とても大きなものであること は明らかである。そして、生涯忘れることのない経験であり、かけがえのない仲間を得る ことができたことは私の宝物となるだろう。 イ ジョンヒョ ン おそらく私は日本側のメンバーとして参加した初めての韓国人だったと思う。私がこ のフォーラムに出会ったのは、日本にきて間もないころだった。高校時代の友達に誘わ れ、16 回の勉強会に見学しに行ったことがあった。その当時は片言でしか日本語が話せ なかったのもあって、すこし辛い思い(?)もしたが、はじめて日本の大学生と触れ合 うことができた日だったので今でも鮮明に覚えている。そして日本にも韓国に関心を持 って韓国のことを勉強している人がいっぱいいることに驚いた。歳月がながれ、大学 2 年生になってサークル以外でも、大学の生活をもう少し充実に過ごしたいと思い、フォ -ラムに参加することを決心した。 八ヶ月間を振り返ってみると、本当にいろいろなことがあった。メンバー一人がやめ ると言い出したときの悲しさや、新しいメンバーが入ったときの嬉しさ!!すこしみん なのやり方に戸惑ったときもあれば、年齢や性別に関係なく他のメンバーからいろいろ なことを教えてもらったときもあった。団体生活の中で私自身何ができて何ができない のかも見えてきたし、大好きな日本と韓国についてもっと知ることもできた。今までの 日本での生活の中で一番充実した期間だったのではないかと思う。メンバー一人一人が すごく個性的で、みんなが本当にいい人で、こんな仲間に恵まれてフォ-ラムに参加で きたことが何より嬉しい。本当メンバー一人一人に感謝している。고마워 88 森田 歩 封印 フォーラムが終わって約一ヶ月。終わった直後はフォーラムシックにかかってしまっ たけど、時がたつにつれ、フォーラムのことを忘れたいと思う自分がいた。今このエッセ イを書くにあたってフォーラムのことをまた思い出すと、涙がとまらない。それくらい、 今回のフォーラムは特別であったし、だからこそいい意味でも、悪い意味でも私の心の 奥底に封印したい。 メンバーとしての去年の私。そして実行委員としての今回の私。どう私は成長したの だろうか。正直私自身その成長ぶりがみえない。私はメンバーを気にかけ、場を盛り上げ ることしかできなかった。自分のダメさを再認識するばかりだった。あの時私はああす ればよかったと、何回もそのシーンが頭の中に過ぎる。今思えば少し軽い気持ちで OC に なった私。本会議にむけての準備期間自分がいっぱいいっぱいになって本当にどこか遠 くに逃げ出したかった。結局自分で自分自身の甘さを許してしまった。 ひとつだけ自信を持っていえることがある。それは、私は第 19 回日韓学生フォーラム の一メンバーで本当によかったということ。毎週土曜日の勉強会、Japan Night の練習、 本会議準備、合宿、そして本会議。みんなとの話しに一緒になってお腹を抱えて笑ったり、 泣いたり、いろんなことがあったね。みんなおつかれさま☆私はあんたたちに出会えて 本当~によかった。それが一番の宝物だよ。ありがと。 あ~あ、私のフォーラムが終わっちゃったよ~。フォーラムはこれまでの私の人生に とって大きな出来事だった。私はここでフォーラムを封印します。 フォーラム、ありがとう、そしてさようなら。 パク ヘミン 日韓に対する考え方、そして一生の友達。これが日韓学生フォーラムを通じて私が得 たものだ。 私がフォーラムに入ったのは、日本と韓国についてもう少し深く、そして正確に知り たかったからだ。日本で、日本語を勉強している韓国人留学生という立場でありながら も、私は、日本について、そして韓国について非常に無知であったのが事実だ。初めて日 本で生活し始めたころ、日本と韓国は地理的にも近く、肌の色も似ているため、‘考え方 や物事に対する認識も似ているだろう’という自分なりの結論をだしていた。しかし日 89 本で生活している間に、‘日本と韓国はやはり何かが違う。それが何なのかはよく分か らないがそのなんかが違う’と思うようになった。そして、私はその‘何か’が‘なん’ なのかを探すためにフォーラムに入った。 第19回日韓学生フォーラムが終わった今、私は期待していた以上のものを得ること ができたと自信を持って言える。このフォーラムを通じて、日韓の現在の大学生たちが もっている考え、認識などを知る事ができただけではなく、物事を処理し、解決していく 方法の違い、両国のやり方の長所、短所を知ることができた。それは実際に経験してみな いと感じられないものであった。もちろん今私が持っている日韓に関する知識、そして 感じたものが全てではない。また、完全なものでもない。しかし、日韓の違いを私の中で どのように消化し、私の専攻でもある日本語という分野でそれをどのように生かしてい くかを考える一つのきっかけになっただけでも大きな意味がある。 以上のものだけでも私はフォーラムに参加した意義を十分探すことができた。しかし フォーラムで得たものはこれだけではなかった。‘一生の友達’と呼べる真の友達がた くさん出来たのだ。2週間という‘長い旅’を一緒にできる友達というものはなかなか いないものである。それだけでなく、さまざまな問題を共にし、真の自分を出せる友達は 簡単にできるものではない。 にもかかわらず、フォーラムを通じて私には一生の友達がたくさんできた。日本と韓 国を愛し、日本の未来を韓国と共に考えるJKメンバー、日本に住んでいる留学生とし て、そして、韓国人の一人として自然に接してくれたKJメンバー。その一人一人が私に とっては忘れられない大事な友達である。時間が過ぎても19回メンバーは、家族のよ うにお互いの周りで、鋭く、そしてやさしくお互いを見守り、信頼できる関係にいるであ ろうことを私は信じる。 私は、フォーラムを通じ、最初に想像していたもの以上を感じ、得ることができた。そ して、2003年の夏は私にとって、どの年よりも熱く、情熱的な夏であった。 劉 明俊 僕は大学二年から第二外国語で朝鮮語を選択し、本格的にハングルを勉強するように なった。僕自身在日三世であるが、それまでは父親から簡単なハングルの読み方や 1 か ら 10 の数え方を習っていたぐらいで、文法等を勉強するのはほとんど初めてだった。 元々親しみのある言語でもあったし、僕自身語学の勉強が好きな性分なので、すぐにハ マってしまった。そしてその年の八月には初めて韓国人の友達も出来、僕の頭の中に占 める‘韓国’の割合は、日に日に増していった。そして、二年の春から選択するゼミも、 迷わず‘朝鮮半島’を勉強するゼミにした。(三年の始めに転ゼミをするのだが、、、) 前置きが長くなったのだが、そのゼミのメーリングリストに当時三年生だった 18 回メ 90 ンバーの先輩が、10 月にあるフォーラムの報告会を流してくださり、それが僕の運命を 変えることになったのである。すぐさまその先輩と連絡を取り、フォーラムのことにつ いて詳しく聞きだすことに成功した。そのころ、ゼミ以外にも自主的に朝鮮半島につい て勉強がしたい、出来たら日本人の人と意見を交換したいと考えていた時だったので、 まさにグッドタイミングだったのだ。なぜ日本人と意見を交換したい、と考えていたの かというと、高校時代に在日だけの集まるサークルの様なものに所属していたのだが、 その経験を踏まえた上で、日本に暮らしているのだから日本人に僕らの思いを知っても らわなければ意味がない、と常々思っていたからだ。妄想好きな僕は、まだ見ぬメンバー と次の年の夏を想像しては一人で盛り上がっていた。 本会議までを振り返ると、とにかく JK メンバーといると居心地が良かった。僕の居 場所がそこにはあった。時にはふざけて笑いを取って、時には勝手に仕切っていた。僕は 素の自分でいれた。カッコつけなかった。だから楽だった。大学に入ってそれまで、いく つかの集まりに顔は出していたのだが、こんな居心地の良さは大学生になってからだと フォーラムが初めてだった。その理由としては、まず興味の対象が似通った人が集まっ ているということ。そして自分のキャラとかぶる人がいなかったからだと思う。だから 居心地が良くて、素の自分をさらけ出すことが出来た。毎週土曜日が本当に楽しみだっ た。良く笑いあっていたことが思い出される。 フォーラムにおいて果たした僕の役割といえば、やはりジャパンナイトが大きかっ たと思う。一緒に担当を務めたさとみとは本当に意気も合って、決して楽ではなかった が、お互いに助け合って準備をすることが出来た。パートナーが彼女でなかったら、あん なに楽しく務めることは出来なかったと思う。彼女には本当に感謝したい。個人的なこ とを言うと、 「猟奇的なシンデレラ」の台本を書き、韓国語で台詞を話そう!と提案をし た張本人は僕なので、本番で大成功をおさめたことは大変に喜ばしいことである。慣れ ない韓国語にはみんなが苦労したが、特に主役であるゆかちゃんの頑張りには脱帽であ る。本当にお疲れ様でした。 最後に KJ との思い出を。僕は、本会議中よく「カジャ カジャ~(行こう)」とか 「Wake up!」を言っていたように思う。ここでも、自分の居場所を‘仕切ること’に置い ていたのだ。人見知りはしない性質なのだが、KJ とは何を話したらいいのかわからず、 黙ってしまうことも多々あった。面白いことを言って、笑わせることも出来なかった。明 るく、楽しく務めようとはしていたのだが、ホスト側ということもあり、責務を感じて時 には楽しむことを忘れていたように思う。飲みの場や、大人数で話すことも苦手で、自分 から積極的に KJ と話そうとしていたかと聞かれると、堂々とイエスとは言えない。KJ の前では素をさらけ出していなかったように思う。だから、正直 KJ といて居心地が良 いわけではなかった。けれど、これからいくらでも彼らと連絡を取ることができる。会お うと思えば、会いに行くことも出来る。僕はフォーラムで得た出会いを、これからもずっ と大切にしていきたい。 91 高橋 梓 対話とレスポンス 今回、フォーラムに参加した理由は、朝鮮を私にとって「見えない存在」から「見える存 在」へ変えたい、という思いからであった。 それは、私がなぜ朝鮮語を大学で専攻しているのか、ということにさかのぼる。朝鮮と いう存在を意識するようになったのは、高校生の時からである。歴史的事実としては知 っていた、日本の植民地支配。しかし、植民地下の人々が、どのように苦しんだのか、とい うことについては、それまでまったく考えもしなかった。そして、「皇民化政策」「従軍慰 安婦」 「在日朝鮮人」の存在から、彼らの苦しみが、想像を絶するものであったことを知っ た。それと同時に、今まで知らなかった---結果的に被害者を無視していた自分に、恥ず かしさを感じた。 それ以降、現在の日本社会について疑問を感じるようになったのだ。なぜ、民族学校に 通っている在日朝鮮人に、嫌がらせとして睨み付けたり、制服であるチマチョゴリを切 り裂いたりするのだろうか(彼らは植民地支配から生まれた被害者であるのに)?従軍 慰安婦に対する、補償が行われないのはなぜか?なぜ「つくる会」は、戦争被害者の声を 聞き入れず、教科書を自らの芸術品のように作るのか(この時点で、教科書を使う子ども たちの存在も無視されている)?これは、日本において朝鮮が、歪んだ形で存在している ということから、生じることであると思う。そして、そこには相互の対話は存在しない。 そのように感じていた時、私はある番組に出会った。それは、紛争下のパレスチナで、 イスラエル人とパレスチナ人の小学生が互いの言葉を学んでいる、という小学校の特集 であった。同じ場所に存在していても、対話がないイスラエル人とパレスチナ人。そのよ うに、言葉を学ぶことで、和解の道を探る、というその小学校を知って、私は日本と朝鮮 の間の対話の必要性---特に日本から働きかけなければならないということから、朝鮮 語を専攻しようと決意したのである。 そして、今回初めて韓国の学生と、様々な対話をすることができた。まず、私が所属し ていた歴史分科会では、本では知ることの出来ない韓国人の反応を知ることができた。 自分の DT を通して、また他のメンバーの DT を通しても、例えば独島・竹島の領土問題 や日本の政治家の妄言にとても敏感であることや、朝鮮半島の分断に日本の責任がある のではないかという韓国人の言説は、私にとって新鮮であった。もちろん、その対話の過 程では、辛いこともあった。特に自分の DT 中に、韓国メンバーに「この部分が理解できな い」と言われ、日本と韓国の認識の違いから説明しなければならなかったり、またそれが 結果的に韓国メンバーに伝わったかどうかわからなかったこと。しかし、辛いことでは あるが、対話によって人々の関係は豊かになるものだと、私は信じている。自分の考えを、 自分の中に留めてしまうのではなく、それを人に向けて発信することで、人々からのレ スポンスが返ってくる。そのレスポンスは、反感・共感と様々であるが、その対話とレス 92 ポンスを繰り返すことで、共感の輪を広げていく---これが現在の表面的な日韓関係(友 好的な関係には、歴史問題はタブーとみなす現在の状況*歴史分科会 DT2 を参考してい ただきたい)から抜け出せるものであると思う。 また、私はフォーラムメンバーで集団生活をするにあたっても、対話とレスポンスの 重要性を感じた。つまり、人に誠意を持って、愛を持って接すれば、温かいレスポンスが 返ってくる、ということである。私が最も印象に残っているのは、京都のフィールドトリ ップの際、日照りと急激な雨という悪天候にもかかわらず、ハードスケジュールを押し 通した、ということに担当者として反省していたのだが、その日の夜に韓国メンバーが 「面白かった」 「そんな心配はする必要はない」と言葉をかけてくれたのだ。同じようなこ とは、ホームステイにも言えた。3 日しかない、ということから、やはり予定を詰めてし まって、結果的に私でさえ疲れるスケジュールになってしまったのだ。しかし、ホームス テイパートナーのジナは、そのようにすまなく思う私を「そんなに気負わないで」と、私 が謝ると、そう言ってくれた。京都フィールドトリップの担当者として、またホームステ イパートナーとして、日本を好きになってもらいたい、という気持ちを持って企画を進 めたり、予定を組んだりしたのだが、その働きかけが、温かなレスポンスとして返ってき たことが、とても嬉しかった。 このような活動を通して、今回朝鮮は私にとって「見えない存在」を脱して「見える存 在」へとなった。それは、同年代の韓国人と付き合っていくなかで、働きかけ、そして返っ てくる温かいレスポンスから、彼らを知った。それと同時に、そのレスポンスを得る過程 (言語的障壁、文化の違いなどから辛いこともあった)で、彼らを通して朝鮮を感じた のだ。 そして、日本と韓国の間に存在する様々な問題について、日本社会において、朝鮮を歪 ませた日本のほうから、愛を持ってそのような問題に歩み寄らなければならないと感じ ると同時に、相互の対話を続ければ、そこにも温かいレスポンスが返ってくるのではな いか、という可能性を強く感じ、そして信じたいと思った。(高橋梓)(*文中の「朝鮮」と いう表現は、朝鮮半島を指す) 竹内さとみ 韓国という、海を隔てた隣国に強く関心を持つようになったのは、実はつい最近のこ とである。どことなく「近くて遠い国」という私の中の韓国像を払拭し、距離をぐんと縮 めてくれたのは、昨年短期留学したアイルランドでの、一人の韓国人の友達との出会い だった。そして帰国してから、韓国や韓国系の人々への、差別までとはいかなくてもどこ か偏った姿勢に、他人事と思えない気持ちを持つようになった。また私達の国日本に対 しても同じような、或いはもっと強い根深い不信感や偏見が、韓国側にも少なからず存 93 在していることにも・・・そのことがとても残念でいたたまれなく感じ、私は韓国の事を もっと知りたいと思うようになると同時に、こういった問題を話し合い、少しでも韓国 人と日本人の関係を改善し、本当の意味で「近い存在」になるために、できることはない だろうかと思い始めていた。そんな時にたまたま見つけたのが、今回の日韓学生フォー ラムのメンバー募集であった・・・(一部改省略) こんな内容を書いたのが8ヶ月前、参加応募の際の作文だった。当時の私は本当に、韓 国への意識が強かった。しかし今から見れば、むしろその意識にとらわれすぎていたん じゃないかとも思う。そんな意識からいい意味で解き放ってくれたのは、他でもないフ ォーラムでの8ヶ月だった。 この8ヶ月間、メインの活動以外にも韓国語・韓国料理・韓国映画・サッカーの日韓 戦・韓国人留学生の友達・・・挙句の果てに本会議直前に韓国一人旅まで決行する始末 (といっても現地でメンバーのへミンにさんざんお世話になったが)。とにかく「韓国」 と名のつくものはほうっておかないような皆に影響され、今までの私からは想像もつか ないほどに「日韓」色にどっぷりと浸った日々になった。 日本人も韓国人も入り混じった JK のメンバーは、フォーラム内で一人一人が個性あ ふれる存在だった。皆と、太鼓練習を併せればほとんど丸一日を皆と一緒に過ごすよう な週末が続くにつれ、次第に家族のような、不思議な絆が芽生えていくのがわかった。少々 頼りなげな少人数もどこか心地よく感じられたし、ある意味男女の関係ももはや通り越 していたといえる。それは私の中で、日韓の国境や国籍などという枠なんてすっかり取 り払ってしまうほどの経験だった。 私が本当に求めていたのは、これだった。日韓を意識しない関係――お互いを自然に、 ありのまま認め合える付き合いに、本会議の前にもう私はある種の満たされた思いで一 杯になっていたのだ。一時期 SARS 騒ぎで本会議中止の危機があったときも、これで十 分心残りはないかもなんて半ば不謹慎なことを思っていたくらいに。 もちろん KJ メンバーの顔を一人一人思い出す度、実現して本当によかったとしみじ み思う。DT にしても様々なイベントにしても、学生同士の今だからこそできたことだ っただろう。そしてそれは私の意識を、さらに自由にしてくれた。またホームステイを通 して、今までなんとなく表面的だった私の家族の韓国に対するイメージ・親近感も大分 上がったことも嬉しかった。 「世界平和に難しいことは要らなくて、こんなパンツゲーム (注:SeokMin 伝授)のような交流の中から自然に生まれていくのよね」と、半分笑い ながら言った母の言葉は印象的だった。私の、また私達のフォーラムの想いや活動を広 めていくこと、伝えていくことの意義を、改めて感じさせられたように思う。 それにしても、皆で一つのものを作り上げる楽しさと喜び、そして難しさ、ホスト側な らではの責任と個人としての気遣いの大切さ・・・ふり返るといろいろな感情が交錯する 94 8ヶ月。正直楽なことばかりではなかった。プレゼンにはさんざん頭を悩まされたし、 Japan Night を含め、はたから見れば半ば自虐的とも思えるほどに、次々と自分に課題 と負担を課していった。学校との両立がきついことも度々だった。最後のよせ書きに、皆 は私の笑顔がよかったと書いてくれたけど、正直その笑顔に自分でどこまで自身が持て るか分からない。笑顔になれないことも幾度も、後から悔やむほどあった。それでも私が 笑顔を保てていたのなら、それは共に励まし合い、最後まで頑張ってこられた皆がいた おかげに他ならない。そしてそこまでエネルギーをつぎ込めたフォーラムだからこそ、 そこで経験したことは何ものにも変えがたいものになったのだろう。 この第 19 回が終わっても、私は8ヶ月で得たたくさんの財産・教訓を胸に、また不思 議な縁から出会った多くの人たちとの関係を大切にして、これからも自分の成長と可能 性の道を探していきたいと思う。同じ時間を共に過ごしたかけがえのない JK・KJ メ ンバー一人一人に、お世話になった OGB の方々に、2日間以上のものを分かち合った 日米学生会議の皆さんに、とことん迷惑をかけまくった家族に、そして私達の活動を支 え、見守ってくださった全ての方に、心から感謝の意を表します。ありがとうございまし た。 95 渡辺 往 岐路 もし、フォーラムに出会っていなかったら、という仮説を立ててみる。 1 部活のディベートに大学生活のすべてを捧げていた 2 大学の交換留学生に運良く選ばれ、一年間韓国へ留学していた 3 アルバイトに明け暮れ、長期休みには貯めたお金で海外旅行をしていた これらは、今となってはもう取り返すことはできない選択肢である。それぞれに、これ からの可能性が秘められていたに違いない。得るものもあったはずだ。だが私は、約2年 をフォーラムのメンバーとして過ごした。メンバーであることを選んだ。後悔は皆無だ。 今改めて思い返してみても、フォーラムでの経験や出会いは、上に挙げたような選択 をしていたら、得ることはなかったと思う。始まりは2年と少し前。日本と韓国の間に横 たわる様々な問題に触れないように、刺激しないように、サッカーワールドカップが共 催されていくのを手放しに歓迎することがどうしてもできなかった。韓国に対してとに かく穏便に事を運ぼうとする日本の風潮に疑問を感じて、たどり着いた場所。偶然とも 必然ともいえない出会いだった。そしてこの疑問を抱いたことに対する見返りは、言葉 では言い表せないくらい大きかった。 学生という立場は、時には様々な面で制限を余儀なくされる。だが、同時にその身分を 存分に生かし、少しくらいの無茶が許される。荒削りな企画や、やってみたいこといっぱ いに詰め込んだスケジュール、何に対しても大げさなくらいの感動できるような心やよ ろこび、信じられないくらいのエネルギー…。 学生でいる期間は限られているが、このワクワクするような気持ちはこれからもずっ と持ち続けていきたい、と強く感じる。これからいくつの人生の岐路に立ち向かうかは 分からない。しかし、フォーラムで知ったこの精神は様々に姿を変えて、また新しい出会 いをもたらしてくれるであろう。 最後に。2年間で得たのもは何か、と訊かれたら私は迷わずこう答える。 「日韓学生フ ォーラムに出会った頃の、無茶をしよう!と思っていた自分」であると。 96 山田 剛史 『素敵な偶然』 あの 9.17(日朝首脳会談)からもう一年が過ぎた。 あの時、日本中が憤り、悲しみ、希望という強い感情に満ち、 人それぞれ、自分たちの正しいと思うことを好きなように主張していたと思う。 僕はといえば、テレビをつけながら、なんともやりきれない気持ちになって 日韓学生フォーラムに参加した者として、胸が締めつけられる思いでそれを見ていた。 その一週間後に、僕は実行委員になることを決めた。 あのニュースがなければ、 僕の気持ちが急速にシフトチェンジすることはなかったような気がする。 良くも悪くも世の中は偶然が重なり合って世の中は出来ている。 生まれた場所、育った環境、出会い、友人、食べてきたもの、読んだ本。 そのうちのどれが欠けても、今の自分はなかっただろうし、 あの時のやり切れない気持ちもなかったような気がする。 僕は今、幸運にも韓国人の友人がいる。 それも偶然だし、 実行委員になって、それまで以上に韓国にのめりこんだのも偶然。 僕は人生を通じて「素敵な偶然」を体験する。 志さえ持っていれば、 「素敵な偶然」を呼び寄せることができるのだと、僕はのんきに信じている。 もちろんそうでないことも起きるけれど。 どこかで日韓学生フォーラムと接点があった方々にとって、 フォーラムとの出会いが「素敵な偶然」になったことを祈っています。 最後に、第 19 回日韓学生フォーラムを見守ってくださった OGOB の皆様、各財団の方々、 推薦人を引き受けてくださった各大学の教授、さらに日米学生会議の皆様、勉強会に参 加していただいた方々、月刊韓国文化の山本様、中山様、少しでもフォーラムに関わって くださった全ての方々に心より感謝を申しあげます。 97 KJ エッセイ Cho、Dong Uk After the Main Forum During the main forum period, all the schedules made me excited and expected. As for me, It was the first time to have an opporyinity to go abroad. And I felt so great to have been able to talk sincerely with Japanese univ. students like us. The first schedule, Discussion in Utano Youth Hostel was the time we could bring up what we have studied over Japan since Dec. last year. Though I think that some of the members couldn`t tell enough about what they prepared, the very thing we were talking with Japanese friend who we have been looking forward to meeting made the time a gorgeous thing. Especially about the end of the discussion schdule, we could meet JASC (Japan American Student Conference). It was the most interesting schedule for me. We discussed a variety of matters on the three countires and the world such as the perception of each countries` people, ths US`s diplomatic policy, the north korea`s nuclear weapon problems or somthing. And I was so happy with the chance that the scene we discussed was luckily printed in Japanese local paper, Kyoto newspaper. Follow those schedule I could stay a normal Japanese house for 3 days. During the Homesaty period I was happy to see a ordinary family in Japan, have wonderful Japanese meals and talk with my homestay partner`s parents. they told me that their lives and their way of thinking. It was interesting. Besides they had the kindness to rent a pension near Nagono to us, we could have a great time in beautiful nature. Another schdules like Storts meeting, Tokyo field trip made me excited, too. I think I will never forget the time I had in Japan on summer in 2003. Chung, Jinho Amicus Ad Aras When I meet my friends recently, they say to me consistently. “You look 98 better.” 2003 summer, Main Forum in Japan was good chance to improve myself. First of all, I could make friends with cool, nice and great people. Next, my point of view to the world and attitude about myself were getting tender. Moreover, Main Forum was an opportunity to straighten myself out. Before attending Main Forum, my idea about Japan was not flexible. Japan is not only close country but also far one in Korea. Geographically, it takes a little over an hour by plain. But mental distance is not near. There are a lot of things that is misunderstood each other. It is historical, cultural and social problems that must be solved. Before participating Main Forum, I was a person who has a long way to Japan. At that time, I wanted to stimulate my concern to Japan, that’s why I joined KJSF. But during Main Forum period, as a member of Politics department, I felt that my thought is getting more free and flexible. Furthermore, I realized that distance between Korea and Japan will be able to be overcome. The distance has to be getting closer. It’s our assignments. People of each country should make an effort to achieve it. And young people of Korea and Japan have to take the leading role in the present and in the future. Our future depends on our efforts. If we try to understand, to harmonize each other and agree with making constructive future, it will be not difficult. I found these facts through JK members. Their warm-heart, considerate preparation and kindness were too strong to change my thoughts of stereotype. I’d like to say thank you again. I send my applause to all JK members. ‘ Amicus Ad Aras’ is Latin. It means ‘friend until passing away’. I firmly believe that the 19th KJ, JK members can come true this phrase. You are pride of Korea and pride of Japan. I am deeply grateful to you, KJ members and JK members. 19th Main Forum in Japan will remain with precious moments in my heart forever. Han, Min-Young After KJSF & JKSF 19th Main Forum It’s been almost two weeks since I came back from Japan, but to a question ‘how are you feeling now?’ I should say ‘I’m not okay, feeling still not enough!’ Yes, that’s exactly how I feel nowadays. Fifteen days 99 with JKSF members during the 19th Main Forum wasn’t enough for me. I’m truly in a thirst of more discussions, talks, plays, just the whole relationship with JKSF friends. And that’s the reason I still can’t get out of the great memories we had together in Japan. This Forum means a lot to me in various senses. It is not just visiting a neighboring country and taking a trip or so. This Student Forum is about people, culture, friendship, relationship, understanding of Korea and Japan. Efforts, enthusiasm and passion that I had devoted to this opportunity are not to regret, but to be proud of! Especially, through Japan Night and Korea Night, I could feel that we are understanding through heart to heart and together. I would like to express ‘great thanks’ to all JKSF friends who had given lots of efforts to prepare for this wonderful Main Forum! If it weren’t for you guys, it wouldn’t have been this great. Your friendship, kindness, affection, I won’t never forget. I really appreciate that! I totally agree with the saying ‘End of the Main Forum is not a period, but a new starting point of our relationship which starts with And.’ With the time we had together and with the time we will make together, our Forum must go on! Jun So Yeon Now, 12 days passed after the main forum. I met KJ members yesterday but we felt empty in spite of KJ were 16. Maybe we lost something in Japan so we missed that all the time. That’s right, we lost JK members so we couldn’t see JK members anymore in Korea. It made us sad… We realized that we still missed all of our memories- in Dadami-room, Yoyogi center, drinking night…We will be sick many days because of that incurable ilness. Japan was just neighbor country for me but also it was the farthest one when I didn’t go to the main forum. Nowadays, I can’t imagine myself if I don’t go to the Japan & meet JK members. It was just 17days but it seized us all parts of the time during KJ& JK lived together. As we know, we are different. We have different nationality, culture, ideology but we overcome our difference and we can understand each other. It was a special experience and good chance to feel real Japan and Japanese. I'd like to express my heartfelt 100 thanks to you. I believe we will meet again soon!! I love KJ&JK forever!! Kim, Byung Soo(金 炳樹) A rough sketch of my impression about 19th Main Forum As I travel abroad over and over again, the only one obvious point just left in my heart. I think the meaning of travel is not more than knitting people together who have different cultural backgrounds. While exchanging their experience by talking to each other, we naturally come to understand about their view-points or way of thinking. Of course, in many cases, this process is kinds of tough, though. Sometimes we just nod without any acceptance or understanding in front of their faces not to hurt their feeling. But, I strongly believe all these efforts don’t go for nothing. Because they help me breaking the fixed ideas and growing up mentally at the same time. Therefore at least in my case, traveling means self-growing process by meeting various foreign people and making great friendship together. And guess what? I felt sufficient self-contentment by getting what I exactly want through this 19th Main Forum. At first, it was a great time in Kyoto. We had a chance to introduce and share each presentation subject not only with JKSF but also with Japan America Student Conference. And I want to say I appreciate every JK members’ parents indeed because we were warmly welcomed by them like their real sons and daughters. I also confirmed Yoyogi Olympic Center made me be in a flutter without any special reason even though since every time I went to Tokyo I stayed in there. Super free night prepared by Mori was really amazing literally. Tokyo field trip and Athletic meeting were needless to say it was dotted with full of fun. On the other hand, Japanese drum wadaiko performance is still beating in my hearts with JK members’ dynamic figures. But, more than all of these and those, I want to tell you JK guys that you were the most priceless presents for us. I’m pretty sure all of KJ members feel this way too including me. Good time has passed really fast always. But I promise I never forget what we did for 15 days in Japan through this Main Forum. Thanks to everyone helped us going through this conference in safety with all my hearts. Good luck with every participants in this summer. 101 Lee Ho Jung Unforgettable Memories In Japan Before going to Japan, I was really looking forward to the main forum because we, KJ members, prepared a lot for the main forum not only seminars but also Korean Night. Especially during July, we spent our whole time practicing Korean Night performance. So I wanted to show our effort to JK members as soon as possible. Finally on August 4th, we arrived in Japan and met JK members. As I expected, all they were very kind and careful. They prepared all schedules of the main forum and treated us as guests. The schedule of the main forum was started with Kyoto trip. Kyoto was the city I wanted to visit if I have a chance because it is the old capital in Japan like Kyoung-ju in Korea. Walking around in the old temples, I felt Japanese traditional culture. From the third day, we had a Discussion Table. Discussion with JK members was the most important aim of the main forum. Exchanging the ideas related with the both countries, Korea and Japan made me think with more flexibility about the relations between two countries. I learned a lot from JK and I hope that they learned something from us. On August 9th, we joined JASC. It was a great opportunity to meet the American university students and change ideas to each other. I was very surprised because they knew pretty well about the situation around the North Korea. Even though I'm Korean, I didn't so much care about that issue. The seminar with JASC gave me the chance to see the current issues from different angles. From August 10th to August 11th, we had a homestay and it was really enjoyable. My homestay partner, Mayuko's family was very kind and took care of us well. During homestay, I had a chance to wear Yukata. It was very interesting experience. I felt like I became Japanese because some Japanese people misunderstood I was Japanese and tried to talked to me. I couldn't understand what they said, but it made me smile. After Homestay, we got together in Yoyogi Olympic Center and prepared Korea and Japan Night. It was also an important event as DT because through it we 102 could show Korean and Japanese culture to each other although there were limits of time and place. Both Korea night and Japan night were successful. All we, KJ members did our best for Korea Night and all JK members did their best for Japan Night. I really enjoyed it. On August 17th, there was a Tokyo trip. Although we stayed in Tokyo around 5days, we couldn't get much time to look around Tokyo so Tokyo trip was very exciting except for the cloudy wether. Tokyo was so crowded with people and cars and it looked similar with Seoul but more developed. It had a goodmatched image of the capital of Japan. On August 19th, finally we had to leave Japan. During 16days, I experienced a lot and learned a lot from my Japanese friends and Japan. As I said in the closing ceremony, just 16days is too short to understand each other deeply, but it is enough time to feel each other and know each other. In that meaning, the main forum gave me lots of friends and great memories in Japan. Already almost 1 month passed from the main forum, I still miss them. I cannot forget the main forum and this summer. HYUN JOO LEE Now I still can't wake up from Main Forum's dream. I really appreciate that Main Forum gave me a lot of great memorize and made me unforgettable summer days in my youth life. Before the main forum I was very strained and nervous until just before I met JK members, even in airplain. Because I just wondered that who are the people like in Japan Korean Student Forum since I joined the forum last year. It was great experience that I discussed many issues which is about relationship of Korea and Japan. I could experience Japanese culture, history, and Japanese real life and real Japanese people. Just one time in your life!! Lee Ji Eun 103 Already about 2weeks past from the ending of main forum, bur I'm still laid up with a forum fever. I feel an irresistible yearning for main forum, JK members, and KJ members. To write the sentiments of main forum, I'll start with the memory of Gyoto and Yutano youthhostel. In Gyoto, we studied very hard in dadami room. Of course we played very hard too in the night. It is really refreshing memory that went to hiking with some members~. And the discussion day with JASK was special experience for me. During the home stay, I was really happy. We went to see the sea and went to beautiful space in Yokohama. Especially Disneyland was the best place for me~. In Tokyo, sports meeting, super free night, Korea night and Japan night and the other memories are deserve permanent remembrance for me, and maybe all of our members. I think in one's life, there is several things that we must catch up. Therefore it is important to find the chance and to catch it up! And then I am convinced that this forum is these kinds of chance in my life. Before I went to the Japan, I wrote in my self introduction like this 'I wish that we enjoy our time together and seize this summer!' And also I seized this summer with 19th KJ&JK in Japan. The memory is written indelibly on my heart now, and from now on forever. I missing you guys~ Have you ever…..? Lee JiYoun Brave New World Just 14days. For this period, I made a trip. And that was a travel of my life. Despite of a very short time, it was a enough to feel many things about persons, nation, my fixed idea. At first, I only wanted new experience through this forum, but I experienced brave new world for main forum period. About persons.. I always think that person is the best important property in my life. In this point, I became a rich man. Frankly speaking, I felt that I couldn't meet such good people in other places again. I learned how to love people whole heartedly. 104 About nation.. Before main forum, I didn't know about Japan less than America. that's why maybe I had a stereo type about Japan and Japanese. But now I believe Korea and Japan is a colleague for the future. Because I got out of historically bad image of japan and I saw hope of amicable relationship from Japanese friends. About my fixed idea.. I thought until Korea and Japan solve historic problems, relationship between two counties can't be developed. Although it was a my old thinking, it could be changed for only 14days in Japan. I have realized that nearing of mind can bring development of physical relationship. I still feel the main forum was like a dream. I never forget my fantastic dream. brave new world. I really hope to come back then, 2003.8.4. The President of 19th KJSF JuHee Min Forum is everything to me in my whole university life. I could meet great people through Forum and also have a wonderful opportunity to talk with students who has different nationality, background and thoughts. Especially, 19th Main Forum in Japan this year offered excellent chance to me. I shared different view about issues between nations, exchanged interesting culture each other and realized that we must try more to understand each other. During home stay, I could feel affection and kindness of Japanese family, see developed aspect as Economic power and have critical view through comparison between Korea and Japan. I can’t still express my emotion or thoughts about Forum perfectly because of the aftereffect of forum, but I can say Forum was a perfect chance to me, so I could get grand energy and motivation. I’m sure that forum will alive in my life forever and affect continually. Have you ever loved somebody so much it makes you cry….? Have you ever needed something so bad you can sleep at night…? 105 Have you ever tried to find the words but they don’t come out right….? Have you ever…. Have you ever………..? From <Have you ever> by Brandy Forum is same to me……. Feeling after visiting Japan On Su, Oh Hi, I’m a JK member. I studied about inter-relationship history between Korea and Japan. We prepare for about 6 month for main forum discussion. It was very hard course and it’s so difficult to me, because I was less knowledge than other people. But my friend, KJ members help each other, and eventually we can get good results. In my case, talking to other country people is very exciting and very educational. If you had to chance meet foreigner, you will know that the reason. Other country people live in their own unique culture very long time, so we can get feeling of difference and wonders. Some people say that meeting a Japanese is a culture shock. It tells us we can learn many things to them. I think visiting Japan is a very precious experience, and I think many young people must have chance to meet other country people and visit other countries if you can. Ji Na Park Frankly speaking, I have no idea… ‘Have I really been to Japan?’ It is sure that I stayed in Japan for 16 days. But I can’t remember what I did , what I saw, what I heard and what I felt… It seems just like a dream. 106 It seems just like empty times…. I can’t…I can’t…. I can’t put my feelings in shape. I’d like to replace my mind with one essay. At times, it occurs to me that the fate of any one human being usually rests on a delicate balance of chance meetings and trifling occurrences. The paths of our lives have countless branches; choosing just one of them is like being drawn to a single glittering leaf across the way or hearing a faint whistle along the wind. Excerpt from "7Mak7Jang" by Hong Jeong-uk Encounters…Blessing… Such a word turns round my ears. Shin Hai-jung What can I do without you? Now, 1: 21 P.M. August 30, 2003. I am in the train from Daejeon to Seoul. I sit my seat beside window alone. Accidentally I just look out through the window. After some minutes, I find myself who think like this. ‘ Am I with JKs and KJs? Can I talk to them with just only turning my face?’ ‘Am I in Main Forum now?’ Landscapes are so similar with other one. Other landscapes are which I saw in another train from Gansai International Airport to Kyoto Station, from Kyoto Station to Nagano Station and from Nagano Station to Tokyo Station. Mountains, trees, fields and everything I saw through the window are very similar with I see now. Japanese sceneries and Korean sceneries, the two look alike so much. So I have an illusion that I am with all members in Japan now. Suddenly I wake from my illusion because of a sign with Korean letters. After Main Forum I always have an illusion like this even though during dreaming. I think about my friends and Main forum at every inhale of my 107 breath. What can I do without you, all my friends? Song sang hun After the main forum, I couldn’t return back to my usual life for a time. Lying on the bed, I felt like even I was in Japan and could meet JK members next morning. So, it was quite hard to start some other things planed before the main forum. Of course, to write this postscript was also a part of those things.^^ When I talk about my memories on the main forum, sometimes I’m confused that I was KJ or JK. Since I came to Japan, I joined JK’s conference and prepared their performances together. So if someone calls me JK, I know that’s not strange thing. However during the main forum, I became to recognize that I was KJ member and had to do my job as an OC. I’m not sure that was good choice or not, but actually I behave almost same as other KJ members who came to know JK members first on main forum. About that, I still feel like I owe all of JK members a kind of apology. I‘ve really worried that would make JK members estrange from me and I hope I can be JK again from September^^. Our main forum was just 2 weeks. It’s not that long time, but on this time we could get many of valued memories would remain for a lifetime. I know our memory would become blurred as time goes by, but our relationship is just started. I hope we can make more memories from now as we did on last summer. See you in time and let’s make more good memories. I’ll be back soon. Yun Hee-Sun I NEVER FORGET MAIN FORUM When applying a Korean-Japanese student forum at first, I did not have many expectation. The reason where I apply a Korean-Japan student forum at first, I can go to Japan. We prepared until winter vacation and June. I and 108 the KJ member was not intimate especially. But for a Main forum preparation we met in everyday at July. We practiced together and we laughed together. In truly we had many happy time. All KJ members became one, we loved with each other from this process. Finally August. It means that the Main Forum is started. I had many expectation. We arrived to Japan and we met the JK members. In first meeting KJ and JK feel constrained. The Main Forum consists of DT hour, Home staying and Korean Night, Japan Night Time. We studied for the DT eagerly. We laughed, enjoyed, and dozed DT in hot weather. We drunk the alcohol in everyday night. We talked about many thing in night. We came intimate with each other. Although I had a difficulty about using an English, I used a body language and English together. We intimate plentifully from that process each other. The Home stay period, I learned the many thing. The Japanese friend and the parents were very kindly. In 4 day period I was happy in truly. And I saw the many thing in Japan. At Last, we had a Korean Night and Japan Night time. The KJ and the JK members practiced eagerly in truly. We did the best to show many thing in each other . We laughed, we enjoyed, we cried together all things we did. I will never forget Main Forum in my life. In my life another wing was hang by OUR 19th FORUM~! YOON, SUK MIN I’M FORUM MAN …… I was gotten, felt, recognized MANY THINGS by Korea Japan Student Forum. And now I felt that the fact of world is really wide, so I had much insufficiency. However I have confidence too, because of I can fill up my insufficiency by my hardworking (same as activity of forum). EXPERIENCE OF FORUM IS MY ANOTHER WING FOR MY FUTURE … And first above all I got the “friend”. Now I study in California state university in L.A, my dormitory of university exists many Japanese friends. I feel really friendly as similar as JK members. It is really surprising fact because of when I was before the main forum, I had really highly anti Japanism. Because of my major and interesting is history …… 109 However now my feeling about Japan and Japanese was changed by forum. (Especially Japan’s young generation.) Now obviously I knew that Japanese young generation is really cool !!! Its fact is peaceful message of future of Korea-Japan and coexistence of Asia.) I think all of our activity is start by people and end by people. It is our foruM “진정…… 사람만이 희망이다.” 110 <編集後記> 私は、編集に参加することができて本当にうれしかった。今年の夏の思い出を自分なりに 考え、整理することができたからだ。 特に、KJ と JK メンバーのエッセイをまとめ、編集する過程は必ずしも簡単な作業ではな かったが、編集をしながら、みんなの Main forum についての想いが、精一杯書かれている エッセイを一つ一つ読んでいけるのはとてもラッキーなことだった。そして、自分なりに、 Main forum について整理し、新しい一歩のための心の準備をすることができた。 大量の文の編集作業をしてくれたさとみには本当に感謝している。いつも、メールのやり とりだけで、編集作業を進め、結局メールで編集作業を終わらせることになってしまったが、 いつもさとみには、感謝している。よい友達であり、よい編集パートナーだった。そして、期 限どおり自分の分を出してくれたメンバーのみんなにも感謝している。 2003 年 11 月 10 日 パクヘミン 早いもので、19 回の本会議が終わってもう3ヶ月。編集をしている間、私の中にはフ ォーラムと共に過ごした日々が鮮やかに蘇ってきて、胸が一杯になりました。大切な出 会い、かけがえのない時間。今でも手を伸ばせばつかめそうな、でもどこか夢のような思 い出たち。その全てをここに文章で伝えきることはできませんが、メンバー一人一人の 大きな財産となって、それぞれの歩む道の中で、いつまでも輝きつづけていくことを祈 っています。そして日韓学生フォーラムの活動が、さらに充実し、これからもずっと伝え られていくことを切に願います。 編集作業にあたって一緒に担当できたへミン、協力してくれたメンバーの皆、ありが とう。 そして最後になりましたが、財団の皆様、OGB の方々、これまでお世話になり、フォー ラムを支えてくださった全ての方に、ここに無事、19 回日韓学生フォーラムの活動を報 告できましたことを感謝いたします。本当にありがとうございました。 2003 年 11 月 10 日 竹内さとみ <お詫び> P.35 DT1「U.S World Strategy in the 21st Century」Han MinYoung の DT 報告が編集期限に間に合わず、載せられなかったことを遺憾に思うとともに ここに深くお詫びいたします。 111
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