意見具申 - 東京都青少年・治安対策本部

若者を社会性をもった大人に育てるための方策について
―社会の絆の回復を目指して―
意
見
具
申
平成 20 年 11 月 21 日
東京都青少年問題協議会
目
次
はじめに
1
第1章
3
「非社会性」をめぐる問題
1
成熟ギャップがもたらす「社会化の不全」
3
2
「非社会性」に基づく行動の出現
7
(1) 「非社会的意識」に基づく行動と「反社会的意識」に基づく行動
7
(2) いわゆる「秋葉原無差別殺人事件」について
8
(3) 不登校・高校中退
10
(4) ひきこもり
12
(5) 若年無業者
13
(6) 若い親の養育力・監護責任の欠如
15
3
「非社会性」に基づく行動への取組の重要性
第2章
「非社会性」に基づく行動をもたらす要因
17
18
1
歴史的・社会的背景
18
2
構造的要因
22
(1) 家庭における要因
22
(2) 就業をめぐる要因
23
3
心理的構造
第3章
1
「非社会性」への対応と今後の課題
「非社会性」に基づく行動への従来の対応等
24
26
26
(1) 不登校・高校中退
26
(2) ひきこもり
27
(3) 若年無業者
28
(4) 若い親の養育力・監護責任の欠如
29
2
「非社会性」に基づく行動に陥らないための課題
29
3
目指すべき対策
30
(1) 当面取り組むべき対策
30
(2) 中・長期的課題の解決の方向性
34
おわりに
39
はじめに
昨今、人との関わりが十分に持てず、成人年齢を超えても社会にうまく適応できな
い、自立できない、精神的に大人になりきれない若者が多数みられる傾向にあり、ひ
きこもりや若年無業者、養育力の欠けた若い親などが問題となっている。
従来の青少年行政は、青少年健全育成条例や児童福祉法などの青少年関連法令が 18
歳未満を対象としていることもあり、20 代の者についてはほとんど関与してこなかっ
た。
しかし、現状をみると、大人としての十分な社会性をもたない 20 代の若者の存在
は、単に個人の問題として放置するわけにはいかず、社会の一員として我が国を支え
る若者を育てるという観点からも、これまでよりも枠を拡げて青少年施策を構築し直
す時期にきているといえる。
また、若年層に顕著に表れているこうした問題の種は、彼らを育ててきた親の世代
に既にまかれているともいえ、青少年施策を考える際には、大人自身の生き方や子ど
もの育て方など、上の世代に対しても一考を求めることも必要である。
東京都青少年問題協議会では、第 25 期(2003 年)において、
「社会的不適応」をキ
ーワードに、不登校・ひきこもりといった青少年特有の問題行動について支援の在り
方等を議論した。
今期(第 27 期)協議会では、一見同様の範囲を扱っているように思われるが、現
状を前提とする今の社会に適合するのが是か非かという観点ではなく、「非社会性」
を帯びた意識や行動、あるいは「非社会性」に至るメカニズムを深く掘り下げて議論
した。
いま、青少年をめぐり現出している様々な問題を解決しようと、国や都をはじめと
する公私の機関・団体がそれぞれの立場で取り組んでいるが、いずれも、既に起こっ
ている現象へのいわば対症療法となっている。
今期協議会では、次代を担う子どもたちが、「非社会性」に基づく行動をとるよう
な大人に育たないようにするためにはどういうアプローチが必要か予防的側面に主
眼を置き、「非社会性」に基づく行動をもたらす多様な要因を探り、あるべき方向性
を打ち出すことを試みた。
情報化社会、ネット社会、消費社会等様々な呼ばれ方をする社会の中で、子どもた
ちは、意味や内容を伴った生活の実感を失い、時にはコミュニケーションの回路がシ
ョートして他者への共感も失う傾向にあり、今まで当たり前なこととして行われてき
たことに、疑問を持ちだした。
自然な経験というものは、当たり前なこと(自明性)から成り立っているが、この
1
自明性から離脱し、人間としての自然な感情を失う傾向にある青少年も多くいる。
1999 年1月に新潟県の会社員宅で高校生に 71 歳の女性が撲殺された。その犯人の
少年は「殺すのは誰でも良かった」と言って世間を驚かせた。また、2000 年5月に愛
知県で 17 歳の少年がある主婦を殺害し、
「殺人は、僕にとって、どうしても体験しな
ければならないことだった」と述べたという。それ以後も 2008 年6月のいわゆる「秋
葉原無差別殺人事件」まで、動機不可解な犯罪が次々と起こっている。
動機不可解ということは、その人たちの人間存在の全面的変化をもたらす何かが社
会の中で起きているとも考えられる。こうしたことから私たちは、非社会的な青少年
を含む社会の在り方にまで関心を拡げた。
治安の維持にしても、今までの対策だけでは十分とはいえないとも考えられる。
「秋葉原無差別殺人事件」の被疑者や、2008 年3月に茨城県で起きた複数の人の殺
傷事件の被疑者、また同月JR岡山駅内で男性を線路に突き落とし死亡させた少年等
は、
「殺すのは誰でもよかった。複数の人を殺せば死刑になると思った」、あるいは「人
を殺せば刑務所に行ける。誰でもよかった」と言ったと伝えられている。
対象無差別の殺傷事件からネット心中に至るまで、今、日本社会は広い視野からの
対策を必要としていると考えられる。
そのために今期協議会は、非社会性をもたらすパーソナリティ要因や社会的要因の
分析を試みた。それぞれ専門家の意見を聴取し、その討議を通じて、いかにして青少
年に社会化を促すかを検討した。
また本文中に様々な学者の名前が出てくるが、我々は必ずしもその学者を研究して
いる専門家ではない。ただ、今の日本の青少年の社会性を議論していくときには、そ
こまで根本に遡って考える必要があるということである。
この知事への意見具申により、若者の「非社会性」が都民の関心事となり、何らか
の動きが積極的に起こされることを期待する。
2
第1章 「非社会性」をめぐる問題
1
成熟ギャップがもたらす「社会化の不全」
「従来の社会システムが暗に前提としてきた社会性を、社会成員が持っていない事
態」を、「非社会性」(non-sociality)という言葉で、また、社会成員がこうした
状態に至る過程を、「脱社会化」(de-socialization)という言葉で表すこととする。
「社会システムが前提とする社会性を、社会成員が持たない事態」は多様な仕方で
現れる。働く意欲を持たない現象。就職しても短期離職が膨大な割合に及ぶ現象。家
族外で社会関係を構築できない現象。長期の性愛関係や友人関係を構築しにくい現象。
社会関係の維持に不可欠な感情の制御ができない、あるいはこうした感情が働かない
現象など様々である。
非社会性を示す各種の現象の共通項は、「反社会性」(anti-sociality)という概念
との対比で明らかになる。反社会的な犯罪の背景に社会への怨念や敵意が存在すると
解されるのに対し、非社会的な犯罪の背景には、こうした感情を超える何かが存在し、
「動機不可解な犯罪」として現れる。1980年代以降の先進国で「人格障害」(注1)の概
念が受容されたのも、こうした犯罪の拡がりが背景にあるとされている。このほか、
「社会化の不全」としてひとくくりにされているものの中には、実は発達障害である
事例が含まれている可能性も否定できない。
しかし、非社会性の問題は、人格障害や発達障害の概念によるよりも、むしろ以下
のように解される。
社会成員には、肉体的年齢(暦年齢)とは別に、乳児期、幼児期、学童期、青少年
期といった社会的年齢があてがわれる。社会的年齢を同じくする者には、それなりに
均質な社会的期待がなされ、おおむね社会的期待に見合う社会成員が育ち上がること
が通常であった。
だが福祉国家体制化やグローバル化を背景として(具体的には後述の「2段階の郊
外化」を経て)、地域や家族や結社(会社を含む。)の相互扶助メカニズムが崩壊(後
述の〈生活世界〉の空洞化)したことにより、社会成員の心理的発達には大きな個人
差が生じ始めた。その結果、年齢に応じた社会的期待に応えられない子どもや若者が
増えたと考えられる。
それはニート(注2)と言われる人たちに1回も職業体験がないわけではなく、約8
割の人がアルバイトを含めて働いた経験があることに現れている。働くという社会的
年齢に達し、肉体的には働く能力があるので働いてはみたものの、心理的には働くこ
とができるまでには成長していなかったということである。
3
同じことは不登校についても言える。
人間のパーソナリティは段階的に発達し、現段階から次の段階に進むためには現段
階での欲求や課題がおおむね満たされる必要がある。およそ社会において子どもは、
その成育環境を通じて、欲求が満たされ、また、与えられた課題を克服することで満
足を得るという経験を積んでいく。ところが、社会の相互扶助メカニズムが機能する
ことが期待できなくなる(空洞化する)と、このような成育環境は保証されなくなる。
こうして肉体的・社会的年齢が同じでも心理的年齢がばらばらの子どもや若者が育ち
上がらざるを得ないにもかかわらず、現行の育児や教育は肉体的・社会的年齢に照準
するばかりで、心理的年齢への対応が不足している。
こうした成熟ギャップの結果、「社会化の不全」(imperfection of
socialization)がもたらされることとなる。
自立する心理的準備ができていない若者に自立を促すことは逆効果を招きかねな
いにもかかわらず、現在では社会的年齢にふさわしい自立を求めていることが多い。
マズローが主張するように「前に進むためには後退を認めなければならない」が、現
実の社会的年齢は後退を認めない。
社会化とは何か。人間には生まれつき社会の秩序維持を求める心が宿っているわけ
ではなく、人間が社会的存在となるには、社会の秩序維持を希求するような「内発性」
が、社会によって埋め込まれる必要がある。1930年代の教育学者ジョン・デューイは、
内発性を埋め込む営みが「教育」だとしたが、非社会性や脱社会化という概念のベー
スにもなっている社会化の概念を提唱した社会学者タルコット・パーソンズは、こう
した「教育」を試みる教員や親の存在を含めた成育環境の全体によって、社会成員に
内発性が埋め込まれるのだと考えた。これが、彼の中核的概念である「価値の内面化
としての社会化」(socialization as internalization of values)の意味するところ
である。
価値や規範の伝達を試みる道徳教育を推奨しているのではない。道徳を教える教師
の存在を含めた多要素から成り立つ社会環境の全体が、感情や意志の働きを方向づけ
ていることが注目されている。こうした方向づけの全体は「感情教育」(sentimental
education)(注3)と呼ばれる。
ベトナム戦争後の米国で用いられ始めた「脱社会化」の概念は、いったん社会化を
達成した存在が社会性を脱落させることを意味している。地上戦に社会性を持ち込め
ば戦えなくなるため、変性意識下での潜在意識の書き換え(注4)で、いったん達成さ
れた社会化をキャンセルしたのである。こうした存在が米国社会に帰還すれば、あつ
れきや問題を引き起こさざるを得ない。
4
そこで、いったん社会化された後に脱社会化されてしまった人々を「再社会化」
(re-socialization)するプログラムの開発に政府の資金が用いられ、今日の企業研修
や、自己啓発やコーチングで広く用いられる各種の手法が生まれた。
これらの手法は、元々「書き換えられた潜在意識を書き戻す」という目的を共有す
る。そこでは「社会化⇒脱社会化⇒再社会化」という手順が想定されているが、今日
の非社会性を考える際重要なのは、戦時における意図的な潜在意識への書き込みや戦
場体験による心的外傷が存在しないにもかかわらず、「普通に」育つだけで社会性が
欠落する、という現象への注目である。だが、分娩後の母子別室化や乳幼児への早す
ぎる学習指導などを含め、平時においてもトラウマチックな過程が存在するのではな
いかと主張する論者もいる。3歳までの発育環境が大きな影響をもたらすということ
は、世界の主要な脳研究者のほぼ一致した意見であると考えられる。
非社会性の問題は、自立できない20代の若者をサポートするといった行政的施策だ
けでは到底覆えない。しかしこのことは、具体的施策によって比較的短期に改善でき
る問題領域が存在しないという意味ではない。
社会成員にどのような社会性をどの程度要求するのか、「社会の自立」をめざす上
で「個人の自立」をどの程度要求するのかは、どのようなタイプの社会を良い社会だ
とみなすかに応じて変わるのである。
(注1)人格障害とは、精神障害(心の病気)でも発達障害(脳障害)でもないのに、
周囲や本人が「まともな社会生活を送れない」と訴えるケースに適用されるカテゴリ
ーであり、かつて性格異常と呼ばれていたケースに重なる。ただし、「何がまともか」
は時代や文化ごとに変動するため、「まともな性格」と「異常な性格」を先験的に分
けることはできない。
(注2)近年、英国政府が用い始めた「ニート」
(NEET、Not in Education, Employment,
or Training、学生でないのに就業せず職業訓練も受けない成人)という言葉によって、
我が国でも、若者が社会性を失う現象、すなわち非社会性が名指され、社会問題にな
っている。
もっとも、我が国では「自立」できない若者への「自立支援」という問題の立て方
が専らだが、英国では、
「個人の不全」(personal imperfection)の問題よりも「社会
の不全」(social imperfection)の問題として議論されてきた。
ニート概念は、英国政府の社会的排除防止局の報告書『ギャップを埋める:教育・
雇用・職業訓練に参加しない16-18歳の若者に対する新しい機会』の題名に由来する。
社会的排除防止局はブレア政権発足直後1997年に設置されたが、自治体レベルでは以
前から社会的排除対策が議論されていた。
5
社会的排除の解消は欧州各国政府の共通政策となっており、1997 年の EU 基本条約(ア
ムステルダム条約)や 2000 年のニース条約に既に政策的重要性が明記されている。社
会的排除の結果、働く動機づけが乏しいので貧しくなり、貧しい育ちなので働く動機
づけが乏しくなるという貧困の悪循環がもたらされるが、報告書は、これを解消する
には社会的包摂(social inclusion) の回復こそが必要だと結論づけている。「個人に
問題が生じているので政治や行政が個人を支援せよ」ということではなく、
「個人に問
題が生じているのは、社会的包摂が失われているのが原因だから、社会が包摂性を回
復できるように政治や行政が支援せよ」という図式なのである。
英国がニートを問題化した背景には、新自由主義政策で知られるサッチャー政権の
時代から広く知られるようになった「能動的市民社会性」(active citizenship)の概
念がある。能動的市民社会性は社会的包摂と表裏一体であり、加えて、グローバル化
の副作用を中和するには社会的包摂が不可欠だと解されている。新自由主義者の提起
した能動的市民社会性は、社会的排除解消イコール社会的包摂がEUの共通理念であ
るという事実に象徴されるとおり、グローバル化時代における最も重要な政策理念の
一つとなっている。
グローバル化の下では国家が社会を支えない限り社会が空洞化するとの問題意識が
あるが、これはEUの基本理念「補完性原理」(the principle of subsidiarity)に合
致する。大切なのは社会で、国家は社会を補完する装置だとする観念であり、ここに、
グローバル化に耐える厚みのある社会を支えることが政治や行政の機能だとする共通
の見識がある。
社会的排除防止局がニート対策を打ち出したのも、能動的市民社会性の維持・回復
にこそ主眼がある。家族・地域・結社など社会の相互扶助メカニズムからこぼれ落ち
た者が、そのことで社会の相互扶助メカニズムに能動的に関わる動機づけを持たず、
それゆえ社会の相互扶助メカニズムがますます空洞化するという「悪循環」に照準し
たものである。
(注3)デューイの後継者を自称するリチャード・ローティが提唱した。
ローティは、民主制を健全に機能させるには、誰を「仲間」だと感じられるかを巡る
感情教育が不可欠だとしている。社会学者ギデンズも、社会成員の感情に左右されが
ちな民主政治を健全化するには「感情の民主化」、すなわち非社会的な存在として育
ち上がらないことが必要だとする。同種の議論が学問の最前線では1990年代以降目立
ち始めるが、これは先に紹介したパーソンズに似ている。
パーソンズによれば、かつては、感情教育を含めた社会化の機能が社会に内蔵される
と信じられたので、国家の介入は最小限にして社会に任せよというリバタリニズム(自
由至上主義)やアナキズム(無政府主義)がありえたが、大恐慌が示すのは、もはや
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そういう時代ではなくなったということである。こうして彼は、いわゆる「教育」を
越え、社会環境の全体を大規模に作り変えることを企図するニューディール政策を支
持したがゆえに、全体主義的だと批判された。ところが、1990年代以降の政治思想や、
現実のEU的な政治理念の流れは、「社会を放っておけば包摂性を失う」との危機意
識において、大恐慌後のパーソンズと響き合っている。
ただし、全体主義的なパーソンズや福祉国家体制を築いたニューディーラーへの反
省もあって、「社会が社会らしくあるために国家が投資する」「国家が社会を支援す
るのは社会が国家から自立するため」といった社会投資国家の観念や、「民主主義の
目的は合意ではなく合意への異議申立てだ」とするラディカルデモクラシーの観念が
拡がったのである。
(注4)変性意識(altered status of consciousness)とは、意識が一時的に通常とは
違った状態になることであり、催眠誘導をかける前の状態が典型であるが、外部から
の上書きや埋め込みが行われやすくなるとされている。変性意識下での潜在意識の書
き換えは、海兵隊の「地獄の特訓」において意図的になされるのみならず、ジャング
ルでのサバイバルを通じて非意図的になされる(心的外傷が脱社会化をもたらす)事
態も想定される。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の概念がベトナム戦争後に一
般化した背景には、こうした事情が存在した。
2
「非社会性」に基づく行動の出現
(1)「非社会的意識」に基づく行動と「反社会的意識」に基づく行動
前節において、社会システムが前提とする社会性を社会成員が持たないという非社
会的な事態が多様な現れを見せること、また、非社会性を示す各種の現象の共通項は
「反社会性」という概念との対比で明らかになることについて述べた。多様な現れに
ついてはいくつか例示したが、ここで、反社会的行動との対比で、非社会的行動の多
様な現れ方について、一瞥することとする。
非社会性と対比される意味での反社会性という概念は、当事者に怨念や敵意などの
反社会的感情が存在することを指している。例えば、反社会的行為は「悪いと感じて
いる状態で」遂行される。これに対し、非社会性という概念は、当事者にこうした反
社会的感情を超える何かが存在していることを指している。
非社会的行為には、所属集団的要因(世代的環境や仲間的環境)に帰属できるもの
と、パーソナリティ的要因に帰属できるものがある。非社会性を帯びたパーソナリテ
ィを有する者が多数輩出される場合には、その社会的背景を論じることができる。所
7
属集団的要因による非社会的行為とパーソナリティ的要因による非社会的行為とは、
混同されやすいので注意を必要とする。
所属集団的要因による非社会的行為には、公共空間で地べた座りをしたりする振る
舞いが含まれる。
パーソナリティ的要因とは、喜怒哀楽など感情の働きに関わるものであり、動機不
可解な犯罪に限らず、傍若無人や恥知らずなど批判の範囲を超えて「動機が理解でき
ない」と受け取られる非社会的行為が、パーソナリティ的要因に帰属される。例えば、
長続きする感情的紐帯を作れないので恋人形成や家族形成から退却するという振る
舞いは、所属集団の文化が要求する作法というよりも、「そうしようとしてもできな
い」というパーソナリティ上の問題と考えられる。働く意欲が持てないことや、解職
されるわけでもないのに職場で長続きできないことも、同様な理由によってパーソナ
リティ上の問題ということができる。
誰でも良いから人を殺したかったとの理由での殺人行為も、普通なら働くはずの感
情が働かないという意味でパーソナリティ的要因が大きい。見知らぬ者同士が楽に死
ねる手段を共有して集団自殺するネット心中は、自殺サイトに慣れ親しむという所属
集団的要因と、死ぬべき強い理由がないのに生きられないというパーソナリティ的要
因が両方絡むものといえよう。
どのような社会システムも、社会成員に一定枠内の感情の働きが予め備わっている
(感情プログラムのインストール)ことを前提とする。何らかの理由で、適合的な感
情プログラムのインストールに失敗した場合、その社会システムにおける家族生活も
就業生活も、友人関係も性愛関係も、継続的に営むことが困難となる。この困難さが
社会成員を追い詰めていくことにもなり得る。
こうして非社会性ゆえに追い詰められた社会成員が、反社会的な逸脱行動に及ぶケ
ースも増えつつあると思われる。集団ネット自殺や動機不可解な殺人などの少なくな
いケースがこれに該当すると推定される。非社会性の表れ方は、抑制型の人と非抑制
型の人とでは当然異なり、ひきこもりやニートのような形となって表れる場合ばかり
とは限らない。つまり最近の少年犯罪の凶悪化の本質は、非抑制型の人の非社会性が
犯罪となって表れているという理解が必要となっている。
パーソナリティ的要因による非社会性ゆえに追い詰められる状態、すなわち当事者
の生きにくさを解消することは極めて難しい課題であるが、公的機関がこれを無視す
るのは望ましいことではない。
(2)いわゆる「秋葉原無差別殺人事件」について
2008年6月のいわゆる「秋葉原無差別殺人事件」については、本意見具申を作成し
8
ている段階では未だ捜査中であり、事実関係は今後裁判等の過程で明らかにされるも
のであるが、報道された情報からうかがえる範囲、あるいは被疑者が携帯サイトに書
き込んだ文面から読み取れる範囲で分析を試みる。
この事件の被疑者は「成熟ギャップ」の象徴であり、非抑制型の人の非社会性の現
れでもある。例えば2008年5月31日夕方の5時50分に110番に電話したことをネット上
に書いているが、その日の夕方7時6分には「殺人を合法にすればいいのに」と書いて
いる。これは明らかに彼の非社会的部分の現れである。そういう意味で「秋葉原無差
別殺人事件」は非社会的意識を併せ持った反社会的犯罪である。
また、
「子どもの社会化機能」
「パーソナリティ安定化機能」を果たせなくなった家
族の姿を見出すこともできる。
被疑者の25歳の若者は、
「誰かに止めてもらいたかった」と言ったと伝えられる。
少年期には、子どもに対して母親が「やめなさいよ」と言い、子どもが「やるよ」と
言い合うなどの光景が見られるが、これと同様に被疑者は自分に絡んでくれる人を求
めている。別の表現をすれば、
「かまってもらいたかった」、「甘えたかった」という
ことであるが、これに対して、この「甘えこそが事件の核心に思えてならない」とい
う解説が新聞などに載っていた。
まさに被疑者の若者は、自分にとって重要な他者から関心を得たいという「幼児期
の甘えの願望」が満たされていないので、25歳の大人としての社会性を身に付けるこ
とはできない。学校を卒業し働き出し、社会的年齢が進んでいく中で、心理的年齢は
止まったままであったといえる。前述のとおり、前に進むためには後退を認めなけれ
ばならないが、現実の肉体的年齢と社会的年齢は後退できないがために、心理的年齢
とのギャップはいよいよ大きくなるのである。
この「秋葉原無差別殺人事件」こそ、成熟ギャップを象徴的に示した不幸な事件で
あり、「はじめに」で述べたとおり、今や18歳未満を対象としていた青少年施策を構
築し直す時期が来ていると考えるゆえんである。
同時に、家族に代わる包摂機能を果たし得る第四空間(家族や地域や学校以外の空
間。ゲームやアニメ、出会い系など)があったにもかかわらず、これがすべての子ど
もや若者に開かれるわけではないという事実を見出せる。被疑者が「携帯サイト」に
書き込んだとされる内容を手がかりにして分析を加える。
「現実でも一人。ネットでも一人」「みんな俺を避けている」などの書き込みから
みると、被疑者は社会に居場所を見つけられない不満を強く感じていた。背景には、
若者文化の変質がある。かつては人づきあいが苦手な若者たちの「もう一つの居場所」
が若者文化の中にあり、オタクも秋葉原もその象徴であった。
パソコンや携帯電話を使うインターネットの拡がりが背景にあると考えられるが、
9
1996 年頃、オタクのコミュニケーションが「うんちく競争」から「コミュニケーショ
ンの戯れ」に変わった。表情や外見が分からず匿名であるものの、固定ハンドルネー
ムの使用により同一人物であることを確認できるネットコミュニケーションは、自信
が持てない者の感情的安全を保つよりどころとなり、最終的にはネットの外でのコミ
ュニケーションも容易にする働きをした。2004 年頃からのメイド喫茶ブームに代表さ
れるように、秋葉原は、
「半オタク」的な若者が連れ立って訪れ、
「コミュニケーショ
ンの戯れ」に興じる場所へと変質した。
かつては、家族や地域から排除された若者に対し、オタク文化が社会的包摂の機能
を果たしたが、皮肉にも、サブカルチャーの変質によりネット文化が社会的包摂機能
を代替するようになって、オタクになっても救われない若者が現れた。
文化の変質により包摂から見放された秋葉原事件の被疑者にも、家族や地域などの
帰る場所がなかった。「県内トップの進学校に入って、あとはずっとビリ
高校出て
から8年、負けっぱなしの人生」「親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に
仕上げたわけだ」などの書き込みは、家族が子どもを追い込む今日的な状況を示して
いる。
新卒で大企業に採用されるよりも、叩き上げの専門性が人材として労働市場で評価
される時代であるにもかかわらず、親や教育関係者は、いまだに昭和の時代には常識
であった「良い学校を出て良い会社に入れば良い人生が保証される」ことにとらわれ
がちである。
厳しい家庭で優等生として過ごした、友達がいない秋葉原事件の被疑者は、進学上
の「敗北」を過大に受けとって「挫折」した。友達がいないがゆえに被疑者は親にま
すます抱え込まれ、親や教育関係者によって与えられた「勘違い」を正す機会を失っ
た。「親が頑張れば、子どもが社会に包摂される」という単純な話ではないことが、
このことにより示されている。
(3) 不登校・高校中退
(3)から(6)までは、「非社会性」に基づく行動として現れることが多い典型
的な事象について、主に統計や実務上の知見を用いて現状を概観することとする。
なお、以下に掲げた各事象すべてが「非社会性」に由来するということではない。
①不登校
2007 年度の小・中学校における不登校(注)は、小学校で 0.34%、中学校で 3.23%に
なっている。1998 年度からの不登校出現率は、小学校では 0.3∼0.4%台、中学校で
10
は3%台で推移している。不登校児童・生徒数を学年別にみると、小学校、中学校と
もに学年が上がるにつれ増加しており、小学校では 6 年生、中学校では 3 年生が最も
多い。不登校の出現率を男女別にみると、小学校ではほぼ同じであり、中学校では女
子が多い。
不登校となった直接のきっかけは、小・中学校とも、
「その他本人にかかわる問題」
が最も多く4割近くを占めている。これには、友人・教職員・親子などの人間関係を
めぐる問題や、学業の不振、部活動や入学・転入・進級時の不適応、家庭内の不和や
環境激変などに割り振ることのできない、例えば心因的な問題などが含まれていると
も考えられる。不登校の原因として多いのではないかと一般的には思われがちな「い
じめ」についてはいずれも3%台であり、「いじめを除く友人関係をめぐる問題」を
きっかけとする不登校のほうがはるかに多く、小・中学校とも3位である。
不登校状態が継続している理由は、小・中学校とも「不安など情緒的混乱」が最も
多く、次いで「無気力」となっている。
(注)この「平成 19 年度における児童・生徒の問題行動等の実態について」の調査の
「不登校」とは、何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、
児童・生徒が登校しないあるいはしたくてもできない状況にあること(ただし、病気
や経済的な理由によるものを除く)をいう。
「不登校」を理由に年度内に 30 日以上欠
席したとして報告されたものが不登校児童・生徒数に計上されている。
②高校中退
都立高校における中途退学率は、1997 年度においては全日制課程 3.6%、定時制課
程 18.3%であったが、その後減少傾向となり、2006 年度は、全日制課程 2.4%、定
時制課程 16.4%となっている。しかしここ3年間は、ほぼ横ばい状態である。都立高
校の全日制と定時制を合計した中途退学率は 3.8%で、全国の公立高校平均の 2.2%を
大きく上回っている。なお国公私立を合計した中途退学率でも、東京都は 2.4%と全
国平均の 2.2%より高く、大阪の 3.4%、福岡の 2.5%に次ぎ、栃木・埼玉・広島・宮
崎と同率である。
2006 年度の中途退学を理由別に見ると、全日制課程では、
「学校生活・学業不適応」
が最も多く(対退学者比率 37.5 %)、次いで「進路変更」
(同 32.5 %)、
「学業不振」
(同 19.7%)となっている。定時制課程では「進路変更」が最も多く(同 36.8 %)、
次いで「学校生活・学業不適応」
(同 36.0 %)、
「家庭の事情」
(同 7.0 %)となって
いる。中途退学の理由について、ここ5年間の目立った変化はないが、全日制課程に
おいて「学業不振」がやや増加しており、全日制課程・定時制課程とも「経済的理由」
11
は減少している。
(4) ひきこもり
近年、就学や就労などの社会活動を行わず、長期にわたり自宅を中心とした生活を
送る「ひきこもり」の若者の増加が指摘され、社会的関心が高まっている。特に、精
神疾患や精神障害によるものを除く「ひきこもり」は、「社会的ひきこもり」とも言
われ、自立できない若者というイメージで見られ、不登校や家庭内暴力などと関連づ
けられることも多い。しかし、実際には、社会との関係が失われているためにその実
態は明らかではなく、厚生労働省や様々な団体が調査を行っているが、その推計人数
も、全国で 26 万人から 160 万人と相当の開きがある。
東京都は 2007 年度に「若年者自立支援調査研究」を実施し、ひきこもりの人数推
計およびその意識傾向や背景・要因等についての多角的な分析・検証を行った。
まず、無作為抽出された都内の若者(15∼34 歳)を対象に行ったアンケート調査
の結果、0.72%がひきこもりと判断されたことから、この割合を都内の当該年齢人口
349 万1千人(2006 年 10 月1日現在
総務省統計局)に乗じて、ひきこもり状態に
ある若者を約2万5千人(注)と推計した。
(注)ひきこもりの状態にある人の回答傾向が一般よりも低いと推定されることを勘案
すると、この数値は下限値と考えられる。
次に、ひきこもりに係る各種相談機関や支援を行う NPO 法人の利用者へのアンケ
ート調査および面接調査により、より詳細な意識傾向の実態把握を行い、臨床心理学
や精神医学等の外部有識者による考察を行った結果、ひきこもりの状態にあると推定
される若者(ひきこもり群)は、一般的な若者(一般群)との比較で以下のような特
徴が見られた。
ひきこもり群は「男性」(69%)が多く、その年齢層は「30 歳∼34 歳」(44%)
が最も多い。ひきこもりの状態になった時期は「25 歳∼27 歳」(25%)が最も多く、
その継続期間は、
「3 年∼5 年」(25%)、「7 年以上」(19%)の順に多い。1年以
上の継続が全体の 75%を占める。
ひきこもりの状態となった原因は、「職場不適応」(28%)、「病気」(25%)、
「人間関係の不信」(22%)、「不登校」(19%)、「就職活動不調」(13%)の
順に多い。学校での経験について、ひきこもり群の 34%が「不登校」(一般群 5%)、
44%が「いじめられた」
(一般群 18%)、50%が「勉強の遅れ」
(一般群 15%)を経験
していた。友人との関係について、ひきこもり群は、
「親友がいた」
(28%)、
「友達と
よく話した」
(38%)など、一般群に比べ(それぞれ 71%、81%)
、非常に希薄な傾向
を示している。家族との関係について、ひきこもり群は、「私の家族はあたたかい」
12
(28%)、「家族の絆は強い方だ」(13%)、「家族は私を必要としている」(13%)など、
一般群に比べ(それぞれ 69%、49%、43%)、極めて希薄な傾向を示している。
ふだんの悩み事の相談相手について、ひきこもり群は、家族や友人などのインフォ
ーマルな関わりよりも、公的な機関や専門家に相談している傾向がみられ、また、
「誰
にも相談しない」割合が高く、相談できる場や人を持たないケースも多い。
その他、ひきこもり群は、「自己決定への不安」、「対人スキルの苦手意識」、「対立
回避傾向」、
「暴力傾向」、
「うつ・罪悪感傾向」について、一般群に比べ高い傾向を示
している。
調査結果を総合すると、高校または大学を卒業後に、就労に関わるつまずきをきっ
かけとしてひきこもりの状態になる例が比較的多く、不登校経験者は多いものの、不
登校が長期化してひきこもりの状態になる例は比較的少ない。また、自分への強いこ
だわりがある一方、それを全面に押し出す自信を持てず、他人との争い・対立を避け
ようとする意識傾向が強い。
また、本調査研究により、新たに「ひきこもりに親和的な若者(親和群)」の存在
が浮かび上がってきた。親和群とは、行動面ではひきこもりの状態になっていないが、
その意識傾向にひきこもり群との共通性が強く認められた層である。親和群は、全体
の 4.8%(都内の当該年齢人口に乗じると約 16 万人)にのぼる。
これら親和群を、ひきこもりの予備軍的な存在であると断定するには、さらに多角
的な検証が必要であるが、一般群の若者たちとは明らかに違う存在がかなりいるとい
う事実は注目していく必要があることが指摘された。
(5) 若年無業者
平成 20(2008)年版の「労働経済白書」によると、男性は学生、女性は学生と既婚
女性を除く 15 歳から 34 歳の者で、パート・アルバイトとして雇用されている、また
は仕事の形態としてこれらを探しもしくは希望しているなどのフリーターは、ピーク
時の 2003 年の 217 万人から 2007 年の 181 万人まで 36 万人減少した。しかし、フリ
ーターを年齢で分けて見ると、15∼24 歳では 2007 年に 89 万人となり、2003 年から
30 万人減と順調に減少しているのに対し、25 歳以上の年長フリーターは、2007 年は
前年と同水準の 92 万人で、ピーク時の 2004 年の 99 万人から7万人減にとどまって
いる。新規学卒者の採用環境が改善したことから、新たにフリーターとなる者は減少
したが、いったんフリーターになった者に関しては正規雇用への転換が進んでいない
状況がうかがえる。平成 18(2006)年版の「労働経済白書」によれば、1990 年代から
2000 年代にかけて、転職者のうち非正規雇用から正規雇用に転職した者の割合が減少
する一方、非正規雇用から非正規雇用へ転職する者および正規雇用から非正規雇用へ
13
転職する者の割合は増加している。
また、平成 20(2008)年版の「労働経済白書」によれば、就業しておらず、求職活
動もしていない 15 歳から 34 歳の者のうち、通学も家事もしていない若年無業者(い
わゆるニート)は、2002 年から 2005 年まで 64 万人で推移した後、2007 年は 62 万人
と、前年と同水準となった。若年無業者は 15∼34 歳の人口の約2%を占めており、
少し上の年齢層の 35∼44 歳を見てもこの比率はほぼ同じである。
なお、「労働力調査」によると、2007 年の失業率は、全年齢層の 3.9%に対し、15
∼19 歳で 8.7%、20∼24 歳で 7.5%である。2008 年1∼3月平均の非正規雇用者は
1,700 万人を超え、これは就業者の約3割弱に相当する。非正規雇用者のうち約3割
が 34 歳以下の若年労働者であるなど、若年層の雇用をめぐる状況は依然として深刻
である。
2007 年に社団法人全国高等学校PTA連合会と株式会社リクルートが全国の高校
2年生とその保護者を対象に実施した「第3回高校生と保護者の進路に関する意識調
査」では、高校生が就きたくない職業として男女とも4人に1人が「フリーター」を
挙げ、前回調査(2005 年)に続いてトップとなっている。「ニートに対してどう思う
か」という質問(複数回答)について、高校生の回答で多かったのは、「ニートにな
ったら保護者がかわいそうだ」が 41%、「ニートになる人がいても不思議ではないと
思う」が 35%、
「ニートになるのは恥ずかしいことだと思う」が 33%などである。同
時に、前回調査で 41%と最多だった「自分はニートにはならないと思う」は 29%に
激減し、
「なぜニートになってしまうのか不思議に思う」の割合も前回より減るなど、
ニートを自分とは無関係と捉える意見が減少している。
保護者では、
「自分の子どもがニートになる不安があるか」との問いに対し、
「なら
ないと断言できる」「たぶんならないと思う」と回答した者の合計が 84%で、前回よ
り約4ポイント増加した。「いつかなりそうな予感がする」、「なりそうな兆候を強く
感じる」は3%と少数で、保護者のほうが楽観的である。
1996 年の就職協定の撤廃以降、大学3年次の秋から就職活動が始まり、年度内に
内々定を受ける学生も出るなど早期化が常態化している。学生間の格差も拡がり、重
複内定者がいる反面、長期にわたり就職活動を続けても内定が得られないまま、活動
を継続する意欲を失った結果、卒業後、フリーターや非正規社員という就労形態を選
択する者もいる。さらに、我が国の新卒一括採用慣行の下では、学卒後にフリーター
や無業になった若者は、正規雇用の道が狭められるため、ニート状態に陥るおそれが
高い。高校生の就職についても、高校在学者は進路指導や求人募集などの支援を受け
られるが、高校中退者はこのようなサポートを受けられないため孤立してしまうこと
が多い。
また就職後、比較的短期間のうちに離職する者も多い。新規学卒者のうち就職後3
14
年以内に離職する者の割合は、中学卒で7割、高校卒で5割、大学卒で3割である。
この割合は 1990 年代から 2000 年代にかけて大きくは変化していないものの、離職す
る理由には変化がみられる。平成 17(2005)年版の「労働経済白書」によれば、若年者
の転職理由として、90 年代初めは「もっと収入を増やしたい」、
「自分の適性にあった
仕事に就きたい」などの理由が多かったが、2000 年代初めには「安定した仕事に就き
たい」、「時間的・肉体的に負担が大きい」などの理由がかなり増加している。1990
年代初めは好況の下でより良い処遇を求めて転職していたが、2000 年代初めは不況の
下で希望する職業に就けず、ひとまず就職したとしても雇用形態が不安定だったり厳
しい労働環境だったりしてやむを得ず転職していることが考えられる。その他の原因
としては、入社後にいつまでたっても自己決定、自己満足のいく仕事と結びつかない
というリアリティ・ショックが起きていることや、労働市場の現場において職業能力
開発が浸透していないことなども指摘されている。
(6) 若い親の養育力・監護責任の欠如
子どもの健やかな成長には、家庭が重要な役割を果たしており、養育・監護を適切
に行うことは保護者の責務である。しかし、若い層を中心に保護者の中には、子ども
に対してどのような接し方やしつけ方で臨めばよいか分からない者や、あるいは、子
どもの日頃の行動についても関心を持たない者がみられる。養育過程での様々な要因
により児童虐待に及ぶなど深刻な問題を抱える者も少なくない。
社会環境の変化により、かつてのような地域における人と人との結びつきが希薄に
なり、地域で助け合う子育てが少なくなった中、家族閉鎖型、母子密着型とでもいう
べき孤立状態がみられる。加えて核家族化により、かつては世代間で経験的に学ぶこ
とによって体得してきた子育ての伝承がなくなり、若い親はメディアからの多大な商
業情報や個人経験の掲載情報に翻弄され、本来必要な情報の選択がうまくできない場
合もある。
教育基本法の改正により、「家庭教育」、「幼児期の教育」、「学校、家庭及び地域住
民等の相互の連携協力」について新たに規定が設けられた。保護者は、子どもに生活
習慣を身に付けさせ、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達に努めることとされ、
行政は、家庭教育や幼児期の教育への支援等に努めなければならないとされている。
家庭教育に関する考え方や養育環境は世帯ごとに異なるが、実際に区市町村教育委
員会主催の家庭教育学級では、禁煙教育や食育など身体に係る保健分野を扱うことが
多く、本来の家庭教育の機能を発揮させるためには、精神面での育児支援の拡充も課
題と考えられる。
また、能力開発や知育の早期化が関心事となりやすい昨今、保護者に真に必要なの
15
は、偏差値を上げるための学習機会ではなく、子どもと心で通じ合うコミュニケーシ
ョンを図りながら、社会で必ず守るべきルール・マナーを体得させ、成長に応じて徐々
に自分の判断で行動できるような素地を整えるなど、基礎的な養育力である。
なお、現在、親子関係としてのモデルやイメージは、乳幼児・児童の親子関係のみ
が強調されている。中学生・高校生や成人した子どもとの親子関係については、発達
段階に応じたモデル像がないことも問題であると指摘されている。
子どもの養育に悩んでいる保護者や不適切な養育を行っている保護者に対しては、
児童相談所、福祉事務所、保健所、保健センター、子ども家庭支援センターなどの行
政機関や民生・児童委員が助言および指導などを行っている。2005 年に施行された児
童福祉法の一部改正により、子どもに関する相談は区市町村が第一義的窓口となり、
都道府県は知識および技術を必要とする相談への対応と区市町村の後方支援に重点
化するなど、児童相談に関する役割が明確化された。
児童虐待については、児童福祉法、児童虐待の防止等に関する法律により、児童お
よび保護者に対して児童相談所長等が実施することのできる権限が規定され、司法の
関与により親権に一定の制限を加えることは可能であるものの、保護者が虐待や不適
切な養育を認めない場合は、児童や保護者への支援は容易でない実態がある。虐待す
る保護者には、保護者自身が地域社会や親族から孤立していたり、育児不安や精神的
に不安定な状態に陥っていたり、家庭内にストレスがあったり、優しく養育された経
験が少なく、過剰な体罰を適切なしつけとみなしているなどの共通点が見受けられる。
一方、インターネット上などで安易な性行動を誘発するような情報が氾濫したり、
出会い系サイトが少女の性被害の温床となるなど、子どもたちを取り巻く環境の中で、
性行動の低年齢化が進んでいる。そのため、若い世代での性感染症の罹患の増加など
憂慮すべき問題が生じている。また、正しい避妊の知識がないことから、妊娠につな
がり、出産を躊躇しているうちに中絶ができなくなり、望まぬ妊娠・出産となる例も
ある。
望まない妊娠・出産は、虐待の死亡事例の検証において、大きなリスクであること
から、その予防が必要である。性行動の低年齢化に由来する問題は、人格を形成する
時期にある青少年に大きな影響を与えていることから、保護者は子どもの性について
も関心を持ち、十分な注意を払っていくことが求められる。
また、妊娠届を出さない場合や、あるいは、無介助出産で医療機関の関与がない場
合など、母親と行政や医療機関など地域の関係機関との接点ができない。そのため、
乳幼児健康検査や、保健師・助産師等による訪問指導などのサービスに結びつかない
ため、虐待のリスクが高まる。
16
3
「非社会性」に基づく行動への取組の重要性
これまで述べてきたとおり、
「非社会的意識」に基づく行動は、
「反社会的意識」に
基づく行動と異なり、通例、怨念や敵意を伴わず他者への明白な攻撃が見られない上、
常識には反しているが違法ではないことなどから、このことに照準して対策を講じよ
うとしたことはなかった。しかし、後述するように、急激な都市化等により社会のア
ノミー化(社会規範の弛緩・崩壊などによる無規範・無軌道状態の現出)が進み、こ
れまで特段意図することなく社会成員皆が当たり前のこととしてきた前提事項が通
用しない事態が生じてきた。そして、社会成員の中に、理屈抜きに前提としているは
ずの共通の感情が働かない者、すなわち非社会的な者が増加したことは、社会を根底
から浸食、崩壊させる危険性をはらんでいるともいえる。
なお、「非社会的意識」やこれに基づく行動は、現代社会の中で、若者に顕著にみ
られる傾向とされ、本協議会でもこうした文脈で議論したところではあるが、その要
因としては、後で詳しくみるように、若者自身が責めを負うというよりも、むしろ、
社会の在り方や、社会を築き上げてきた大人たちの心模様や生き方などの問題が若者
に反映していることに注意が必要である。
従前は、勉学に努めれば、望んだ企業に就職ができ、終身雇用の下、安定した暮ら
しを送ることができるのが一般的であった。しかし、現代社会においては、将来の見
通しが不確実になっていることから、特に若者の間に、真面目に苦労しても仕方がな
いという意識、最小の労力で過大な金銭的利益を得る生き方を理想とする意識や、自
らの能力や将来について早くから見切りをつけ下流の生活に甘んじる選択を是認す
る意識が広がっている。生き方に関するこうした意識は、親から子へと連鎖する傾向
があることも指摘されている。
一方、本人の希望とは裏腹に、就学したり就業する自信がなく、学校や職場に出て
他者と交わることを恐れ、社会参加からの逃避や自宅へのひきこもりに陥ることは、
本人はもとより家族も苦しめ、大きなストレスを与えることとなる。こうした個人や
家庭が現に抱える悩みに対して、何らかの措置を講じる必要がある。特に、その遠因
を、成育環境や家庭環境に求めることができる場合は、個々のケースに向き合う丁寧
なケアを施すことや、同様のケースの防止策を講じる必要がある。
「非社会性」に基づく行動が今後制約なく拡がっていくことにより、社会成員相互
の信頼期待性が薄れ、その結果、疑心暗鬼や社会不安の増大を招くおそれも懸念され
る。また、働くことや学ぶことをはじめとする社会参加から離脱する成員の増加は、
将来的な財政的負担の増加につながるなど、「非社会性」を放置することは社会全体
にも負の影響を及ぼすことから、問題の存在を認識し始めた現段階からの取組が必要
である。
17
第2章 「非社会性」に基づく行動をもたらす要因
1
歴史的・社会的背景
1960 年代後半に、先進各国で次々に反体制運動(異議申し立て運動)ないし大学紛
争(学園闘争)が起こった。(注1)異議申し立ての主題は、ベトナム戦争であったり大
学管理体制であったり授業料値上げであったりと一国内でも多様であったが、この多
様性が示唆していたのは、逆にこれらの闘争の共通性であった。すなわち、「生存」
には問題が無いところで、「生きている意味」を求めるなどの「実存」が世界レベル
で問題となったのである。
この時代には思想界での論争や政治的な闘争など様々な告発や批判が繰り広げら
れたが、こうした同時多発的現象は、社会学のアノミー(当てにしてきた前提が空洞
化した状態)という概念によって説明することができる。戦後復興や経済成長のもた
らす都市化と郊外化によって「豊か」で「自由」で「主体的」になったはずであるの
に、何か決定的に「期待外れ」だったという共通体験があったと考えられる。
この「期待外れ」とは、〈生活世界〉を生きる「我々」の幸いのための手段として
〈システム〉を利用するはずだったのに、〈システム〉が応えている課題自体が〈シ
ステム〉の生成物に過ぎないということへの気づきである。
〈システム〉とは「役割&マニュアル」優位のコミュニケーション領域であり、
〈生
活世界〉とは「善意&自発性」優位のコミュニケーション領域である。分かりやすく
表現すれば、前者が「コンビニ&ファミレス的なもの」で、後者が「地元商店的なも
の」といえる。
〈生活世界〉が〈システム〉に置き換えられる途上、すなわち近代化の過渡期には、
「〈生活世界〉を生きる「我々」が幸せになるために〈システム〉を利用するのだ」
と思われた。ところが近代化が進んで〈システム〉が〈生活世界〉のすべてを置き換
える(全域化する)と、〈システム〉のこうした正当化は不可能になる。
こうした時代は「ポストモダン」と呼ばれ、その始まりは、先進各国では1970年代
の消費社会化である。経済学的には「製造業からサービス&情報産業へ」のシフトや
「大量生産から多品種少量生産へ」のシフトによって記述されるが、社会学的(注2)
には、消費社会化は消費選択肢の増大を意味する。
次に、〈生活世界〉の実態に即して空洞化の経緯を追いかけてみる。明治期の人々
は、生まれた場所にいた者たちと死ぬまで一緒にいるともいうべきムラ的共同体を生
きた。日露戦後の重工業化と都市化は、とりわけ都市部の住民に、周囲が知らぬ者ば
かりになるという環境を強いた。この新しい経験は都市部での神経症の増大をもたら
18
した。
それに続き、都市化のアノミーを埋め合わせるものとして生じた動きの一つが、大
正期の都市部の大企業から採用された終身雇用と年功序列の制度、後にいわゆる「日
本的経営」である。これは、
「ムラ的共同体」ならぬ「会社共同体」(注 3)を生むことと
なり、敗戦後、組合運動の成果として全国的に一般化した。
ムラ的共同体の空洞化を埋め合わせた会社共同体は、今日では空洞化している。妻
と子を成員としない会社共同体は、かろうじて1990年代初頭のバブル崩壊まで続いた。
特に重要なのは郊外化の歴史と結びついた崩壊プロセスである。
郊外化は二つのステップを経て進んだ。第一段階の郊外化は、主要には1960年代、
正確には50年代半ばから70年代末にかけてのプロセスで、「団地化」と呼ぶことがで
きる。第二段階の郊外化は、主要には80年代、正確には80年代初頭から現在まで続く
プロセスで、「コンビニ&ファミレス化」と呼ぶことができる。
1956年に日本住宅公団(のちの住宅都市整備公団)が千葉に最初の団地を売り出し
た。直前には港区青山に日本初のスーパーマーケットができたが、陸続と開発された
団地には必ずスーパーが併設された。団地化は、ハード面では「家電化」、ソフト面
では「専業主婦化」を軸としていた。
家電化については、1950年代後半は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」
ないし炊飯器・掃除機・洗濯機が「3S」と呼ばれ、60年代後半はカー・クーラー・
カラーテレビが「3C」「新三種の神器」と呼ばれ、これらを揃えることが「文化的
生活」の条件だとされた。これら耐久消費財への需要は「高度経済成長」を支える内
需の柱となった。
家電化の最重要項目が白黒テレビである。テレビはそれ自体が家電製品であると同
時に、家電化に向けた情報を家庭に送り込む装置でもあったからである。その意味で
テレビこそは家電化やこれと平行した核家族化・専業主婦化の触媒だったともいえる。
白黒テレビが送り出すメディアイメージ、特に理想的な郊外の家庭生活を描いた米
国ドラマは、郊外団地を舞台とした文化的生活を送ることに、すなわち専業主婦のい
る二世代少子家族を築くことに動機づけを与えた。専業主婦の存在に含意されるよう
に、団地化は(1)地域の空洞化(2)家族への内閉化という二側面を有した。地域の相互
扶助が空洞化した分を、家族の相互扶助(専業主婦の負担)が埋め合わせたといえる。
団地に住み始めた者の多くは、戦中派から疎開世代までの多産少死世代であった。
農村余剰人口が都市に流出し、サラリーマンおよび彼らを支える専業主婦として、団
地に集住した。当然近隣は知らない者同士であることから、孤立した母親は育児マニ
ュアルを頼るなどして、家族関係のメディア化が始まった。
「地域の空洞化」に伴う「家族への内閉化」は専業主婦への負担転嫁を意味したが、
19
こうした負担過剰を吸収したのが、一つには育児マニュアルのようなメディアであり、
もう一つは郊外家族の理想像のイメージを送り込むメディアであった。こうしたメデ
ィアイメージによる鼓舞が風化するにつれ、負担過剰に伴う問題が噴出し始めた。
(注4)
1970年代半ば過ぎから、「日本的学校化」
が急速に進み始め、また、
「専業主婦
の負担過剰」が露呈し始めた。いずれも、高度経済成長時代の終焉という同一現象の
表と裏といえる。核家族の歴史が浅い日本では、「郊外家族のロマン」が、米国製ド
ラマに象徴されるモノの豊かさの実現と表裏一体だったがために、耐久消費財が一巡
して「豊かさの夢」が風化すると、核家族がアノミーに陥る(共通の価値観や連帯感
を喪失する)。
核家族におけるアノミーを抑止するため、子どもを良い学校に入れることが誰から
も誉められる「家族にとって良きこと」とする「学校幻想」への依拠が生じた。しか
し、家と地域と学校を同一の物差しが支配することは大きな副作用を生じた。子ども
にとっては、学校での自己イメージを学校外の場所でも永久に引きずり続ける深刻な
「尊厳のリソース不足」が生じた。ちなみに1979年以降、
「金属バット両親殺害事件」
をはじめ家庭内暴力から殺人に至る事件が連続することになる。
第二段階の郊外化、すなわちコンビニ&ファミレス化により、夜中に突然欲しくな
った物を手に入れるために外出するなど、以前は物理的にも世間的にも無理だったは
ずの振る舞いが、1980 年代半ばには自然なものとなっていた。
1982年から86年にかけてコンビニの店舗数は2倍弱に急増し、その間、リアルタイ
ムの在庫管理システムが導入され、公共料金支払いや宅配便やチケット販売を扱い始
めるなど、コンビニは地域の情報ターミナルと化した。こうした動きと連動する変化
が各領域にも生じた。83年には東京23区内でワンルームマンションブームが起き、建
築確認申請数は82年の4倍を超え、84年にはこのブームが郊外や地方に波及して、
「ち
ゃんとゴミ出ししない」、
「自転車を放置する」、
「夜中に変な連中がウロつく」などと
建設反対運動が続発した。84年からは郊外のロードサイドショップが陸続と建設され
始めた。
お茶の間にテレビが1台だけある時代が終わる「テレビの個室化」に続き、茶の間
ではなく個室から電話するコードレスホンが拡がる「電話の個室化」が起こった。1985
年、改正風俗営業法対策として「世界初の出会い系産業」テレホンクラブ(テレクラ)
が歌舞伎町にオープンすると、翌年夏には都内で120軒に激増した。それ以降テレク
ラは郊外や地方に爆発的に拡がった。その後、伝言ダイヤルブーム等を経て、90年代
後半からインターネットでの出会い系サービスに、そして2000年以降の携帯電話での
出会い系サービスへとつながっていく。
20
「テレビの個室化」「電話の個室化」を通じて、家族各自が別々のチャンネルによ
り別々の世界につながる状況、すなわち一見まともでも中身はバラバラの友達家族が
もたらされた。こうした変化の果てに「1人1台のケータイの時代」がある。ここに
見出されるのは、専業主婦の有無にかかわらず、どれほど形がまともに見えても、
「子
どもの社会化機能」や「パーソナリティ安定化機能」をもはや果たすことのできない
家族の姿である。子どもの心は家族や地域や学校ではない「第四空間」へと流出して
いたのである。
「第四空間化」をもたらしたのが「日本的学校化」である。学校化された家族は、
学校が刻印する否定的自己像から子どもを解放しない。その意味で子どもの「感情的
安全」(emotional security)を保障できない。感情的安全、すなわち魂のありかを求
める青少年は、仮想現実(ゲームやアニメ)
、匿名メディア(出会い系)、匿名ストリ
ートなどの第四空間に流出する。
これまで述べたことをまとめると、第一段階の郊外化である「団地化」が、
「(1)地
域空洞化と(2)家族への内閉化」を招いたのに対し、第二段階の郊外化である「コン
ビニ化&ファミレス化」は、「(1)家族空洞化と(2)市場化&行政化」をもたらした。
同時に、とりわけ感情的安全が必要な子どもに関しては「(1)家族空洞化と(2)第四空
間化」をもたらしたのである。
(注1)1789 年のフランス革命では、物質窮乏型社会の生存における不平等の解決、
人権の確立等が問題であった。その後の 1968 年のパリ5月革命は実存が問題の革命
で、若者達の生きがいが問題にされた。それはローマからワシントンへと世界に広が
った。その怒りの時代後に無関心、無気力、無責任の三無主義といわれた「シラケ」
と言われる絶望の時代に入った。その「シラケ」の時代が、不登校、ひきこもり、ニ
ート等々の非社会性の時代へと心理的問題が見えないところで深刻化してきた。怒り
から絶望を経て離脱の時代へと心理的問題は今いよいよ深刻化している。そうした意
味で現代の青少年問題の原点を象徴するのは 1968 年のパリ5月革命であると考えら
れる。それだけに現在の青少年問題は行政の施策によって一朝一夕に解決できる様な
生やさしい問題ではないと言えるのではないだろうか。
(注2)消費社会化(消費選択肢増大)、ポストモダン(近代成熟期)
、大きな物語の終
焉など、人文社会科学の領域で知られる一連の概念はすべて、〈システム〉が〈生活
世界〉を覆い尽くした結果、
〈生活世界〉が空洞化するという事態、すなわち家族的・
地域的・結社的な相互扶助に支えられた社会の厚みがなくなる事態に関連する。ジャ
ン・フランソワ・リオタールによれば、「ポストモダンとは大きな物語の終焉」であ
る。例えば、マルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わ
21
り、高度情報化社会においてはメディアによる記号・象徴の大量消費が行われるとさ
れた。この考え方に沿えば、ポストモダンとは、民主主義と科学技術の発達による一
つの帰結と言えるということになる。
(注3)高度経済成長期の日本において、空洞化する地域共同体に代わって〈生活世界〉
の内実を支えてきたのが会社である。会社は共同体的体質を持つことで、都市化のア
ノミーを埋め合わせる役割を担ってきた。しかし、日本のポストモダン化は、日本型
の会社の変質に大きく先行しているようにみえる。
(注4)家族や地域が学校的物差しで一元的に覆われる現象である。子どもは家に帰っ
ても、地元の塾でも、成績のことを言われ、近隣の評判も進学の話ばかりなどという
状況に置かれる。統計的にも1975年から家計に占める教育費の割合が急増している。
具体的内訳としては小中学生の塾通いが増えている。
2
構造的要因
(1)家庭における要因
子育ては、かつては祖父母や近隣地域などの協力を得ながら多様な人々が関わる形
で重層的に行われていたが、核家族化や地域社会の変容の中で、家族が社会に対して
閉鎖的になり、長時間労働等の雇用環境の下で、父親の存在感の希薄な母子密着型の
育児環境へと変容した。母親は、孤立感や閉塞感から、また、競争原理や能力評価主
義に移行しつつある社会状況から、育児への負担感や不安を増大させ、ストレスや悩
みを抱え込む場合もみられる。働く母親も 47%とされ、育児と仕事の両立に悩んでい
る。
また、昔の家族は、コミュニケーションのための時間をあえて取らなくても、共同
社会の持つ共通の前提の上で、お互いを了解し承認する機会を与えられていた。地域
での祭りや会合で、居住地域の親世代と子世代の交流があり、無条件に需要される感
覚を社会全体が共有していた。ところが、現在は、地域共同体の崩壊とともにこうし
た共通の前提が失われた分を埋め合わせる必要から、「家族相互が緊密なコミュニケ
ーションをとらなければならない」という強迫的な不安が家庭を圧迫している。
こうした負担感から逃れるためや、少子化の下でひとりの子どもに向かうエネルギ
ーが増加したことや、子どもの成長が自己実現の成果として評価されるという考えな
どから、親は、子どもに対して過保護・過干渉がちになっている場合もみられる。結
果、子どもの自発性を抑え、自己決定能力の低下を招き、自立を遅らせている。子ど
22
もが、親に対して自己主張や反抗をするよりも迎合や盲従するほうを楽に感じ、ゆが
んだ形で家庭内に適応する状態が継続すると、ひきこもりなど、社会に対して不適応
な状態が生じる。
一方、子どもが親の助けや相談等を必要としているにもかかわらず関心を示さない
放任の問題もある。あるいは、親が子どもに対して、範を示したり指導したりするこ
となく、「何でも自分で決めなさい」、「自分の好きにしなさい」など制約のない自由
を与える場合がある。こうした家庭の子どもは、幼児期にいったん親の権威に服し規
範を遵守するということを覚えず、また、その上で青年期に反抗や克服の過程を経て
心理的な成長を遂げるという経験ができない。
要するに、子どもの心理的成長に必要な愛情を親が与えることが難しくなってきて
いる。
家族は本来社会的な相互作用の場であり、そこには社会規範や規則の遵守があり、
さらに権利や義務が含まれるが、現代社会では、そのような社会的な関係としての家
族の特性が薄れ、社会の最小構成単位であるはずの「家族」が、社会から逃げるため
の居心地の良い場として認識されている。このことは、若者層が、血縁関係を過度に
重視し「血の繋がった」子どもを持つことに強くこだわり、「友だちのような親子関
係」を理想像と認識し、成年後・巣立ち後も親から有形無形の援助を受け続けるとい
ったことにも表れている。
なお、我が国では、子育てや介護、家事を行うための人力や資源を、外部の社会に
求めるのではなく家族の内部で調達する傾向が強いなども指摘されている。
家族関係は、顔ぶれは変わらなくても、成員の成長や加齢の過程に応じて、必要と
する人間関係の在り方は異なるはずなのに、我が国では、父母と幼児の組み合わせと
いう初期親子モデルへの固着がみられる。家族療法における「円環モデル」では、凝
集性(家族の結びつきの程度)と可変性(状況に応じて家族のルールを変え得る程度)
の二つの視点を用いるが、成員の発達段階に合わせて家族全体の在り方を変えていく
ことで、家族同士の「分離―結合」、家庭のルールの「固定―柔軟」のバランスがほ
どよく取れた状態を維持することが望ましいとされている。
また、他者同士である夫婦関係については、親子関係ほどの自明性がないため、意
識的に維持しない限り、一方の親(多くは父親)の家族への関与が薄い場合には、家
族内での存在自体が希薄となり、子どもの発達過程で障害となりうる。
(2)就業をめぐる要因
フリーターや若年無業者には、就職氷河期世代や団塊ジュニア世代と呼ばれる、バ
ブル経済崩壊後から社会に出た若者が多いとされる。フリーターや若年無業者が生ま
23
れる背景としては、景気変動などの短期的な要因に加え、1980 年代からの国際貿易の
拡大、国際競争の激化による国内製造業の非熟練工需要の減少や、90 年代以降の情報
通信技術の発達・普及による産業構造の劇的な変化など、社会・経済環境の長期的な
構造変化を指摘することができる。
企業は、社会・経済環境の変化に機敏に対応できるよう非正規雇用を拡大したり、
即戦力として中途採用を求めるようになったため、新規学卒者向けの正社員市場が縮
小し、正社員市場で職を見つけられなかった若年者はやむを得ずフリーターや無業者
となる。このような非正規化の傾向が変わる可能性は小さく、今後も非正規雇用が増
え続けることが予想される。
同時に、優秀な学生の獲得競争は加熱しており、大学では就職活動が3年生の秋か
ら始まるなど早期化が進み、企業側の採用活動は長期化している。早期化の背景とし
ては、企業が正規雇用採用数を縮小させる中で質の高い学生の確保を急いでいること、
2000 年代以降に外資系企業が日本において新規学卒者の採用を活発化させたことな
どが挙げられる。企業が厳選採用を実施した結果、学生は複数の内定を得る者と1つ
も内定を得られない者に二分され、中には就職活動に疲れ、挫折し、フリーターや無
業を余儀なくされる者が出てきている。
就職者の中でも、職に対するイメージが就職前と就職後で異なっていたことを理由
に、非常に短期に離職する者も少なくない。この背景としては、不安定雇用や能力開
発機会が小さい職場では将来に対する希望が持ちにくいこと、就職前に企業内の情報
が十分に開示されていないこと、働くということの意味について学校や家庭で取り上
げる機会が少ないことなどが挙げられる。
また、職業教育は実際に働く中で提供されることが多いが、1990 年代以降に一部の
企業で成果を過度に重視する評価システムが普及し、知識や技能の十分な蓄積がない
まま若年者が評価されることになった結果、働くことに対する自信を喪失したり、過
重労働による心の病や疲弊などに苦しんだりして離職する者が増えた。彼らは離職後
も新たな求職活動に至らないなどの困難を抱えており、自立のための支援が必要にな
っている。
3
心理的構造
個人が心理的に問題を抱えた場合に、これが表れるプロセスとしては、
「反抗」
「絶
望」「防衛」という形をとり、問題の程度はこの順で悪化している。反抗は反社会性
の問題であり比較的分かりやすいが、非社会性とは、「もうこれ以上傷つかないよう
に」という防衛の表れであり、社会の側で気づくのが遅れる。こう考えると、非社会
的な若者は心理的に非常に追い詰められており、極めて深刻な状態にあるということ
24
になる。
個人が不安に対して反応する態様は、パーソナリティによって「迎合」
「攻撃」
「自
閉」に類別できるが、攻撃に向かうタイプ(非抑制型)が表すのが反社会性であり、
自閉に向かうタイプ(抑制型)が表すのが非社会性である。非抑制型の人は反社会的
傾向を示しやすいが、中には非社会性を示すこともある。ただし、先に第1章2(1)
で説明したとおり、抑制型の人と非抑制型の人とでは、非社会性の現れ方が違ってい
る。
また、これらの分類はあくまでも理念的分類であって、現実の若者を、非社会性の
若者と反社会性の若者と社会性の若者のいずれかに明確に分類できるわけではない。
これらの性質が一人の若者の心の中で複雑に絡んでいることはもちろんであり、そし
て、この三つの円の重なり具合で現実の若者のいろいろな行動が現れてくる。
そうした中で、非抑制型の人が放任の家庭で育つ場合と、抑制型の人が過干渉の家
庭で育つ場合には問題を起こしやすい。この様に心理的構造と、先に述べた「家庭に
おける要因」とは深くかかわっている。
いずれにせよ、人が心理的に成長するために必要な愛情を受けることなく肉体的、
社会的な部分でのみ成長してしまうことが、非社会性の心理的構造の根源にある。こ
のように愛情の欠如や過剰な虚偽の愛情の中で成長することが、人とのコミュニケー
ション能力を身につけることができないことに、さらには社会的共通感覚を身につけ
ることができないことにつながっていく。
コミュニケーションできない抑制型の人は、我慢をする以外に怒りに対処する方法
が分からないため、日々我慢を積み重ねざるを得なくなり、その結果、ストレス耐性
度が極端に低下する。このような状態になると、そうでない人には些細なストレスで
あっても、非常なストレスとなり、通常はそれほどの我慢を必要としないことも耐え
難いことと感じるようになる。何でもないことに対して、非常な忍耐力を必要とする
ことになり、次第に些細なことが「許せない」ほど大きな問題になってくる。
生真面目な抑制型の人が殴る、蹴る、叩くといった暴力をふるった時には、長年に
わたって抑えられてきた怒り、憎しみ、恨み、屈辱などが、波が砕けるときのように
一気に飛び散るのである。このときには対象無差別な憎しみへと変わっている。
なお、若い世代の心理に共通する要素として、自己へのこだわりが強く、他人から
の指示や命令を嫌う傾向があるが、一方、自分で決めたことを貫くだけの自信は無く、
そのために人と争ったり対立することもできるだけ避けようとする。この矛盾による
ストレスから心理的な行き場がなくなり自己実現の虜となった者は、自己完結世界へ
ひきこもり埋没する。
25
第3章 「非社会性」への対応と今後の課題
1
「非社会性」に基づく行動への従来の対応等
第1章の2(3)から(6)までにおいて現状について概観した各事象について、
これまで都や国等が行ってきた取組を説明する。
(1)不登校・高校中退
①不登校
○東京都教育委員会では、
「スクールパートナー事業」として、全公立中学校 639 校、
高等学校 60 校にスクールカウンセラーを配置し、
「アドバイザリースタッフ派遣事業」
として、家庭の要請に応じて、児童・生徒の気軽な相談相手として、心理学等を専攻
する大学院生等を派遣するなど、不登校への対応を図っている。
また、適応指導教室への専門指導員派遣による不登校対応広域ネットワークの構築、
家庭への訪問指導員の派遣によるひきこもり対応の促進などを行う「問題をかかえる
子ども等の自立支援事業」や、「ふれあい月間」と称して、全公立学校で、年 3 回、
いじめや不登校等の問題に対する取組を見直し、的確な指導や対応を図っている。
さらに、都相談センターにおいて、不登校等の相談を実施している。
○区市町村教育委員会では、適応指導教室を設置し、学習や集団における活動ができ
るようにするとともに、児童・生徒対象の体験教室等を開催し、集団での活動や社会
とのかかわりをもつ学習を行っている。教育相談所(室)による巡回相談等、教育相
談センター等で、学校への適応指導、スクールカウンセラーの配置等を行っている。
○学校では、教育相談担当の教師や養護教諭が専門的に指導し、スクールカウンセラ
ー等が専門的に相談にあたっている。すべての教師が当該児童・生徒との触れ合いを
多くするなど教師との関係の改善や、授業方法の改善、個別の指導等、授業がわかる
ようにする工夫を行っている。
家庭訪問により、学業や生活面での相談等様々な指導・援助や、保護者の協力を求
めて、家族関係や家庭生活の改善を図るほか、登校を促すため、電話をかけたり迎え
に行ったりしている。
○こうした学校の措置により、登校するまたは登校できるようになった児童・生徒は、
2007 年度では小学校では 29.2%、中学校では 24.5%であり、中学校では過去最高の
復帰率であった。
26
②高校中退
○東京都教育委員会では、不登校経験をもつ生徒や高校の中途退学者等を主に受け入
れる昼夜間定時制の総合学科高校として、学力試験や内申書によらない入学選抜を行
い、生徒のライフスタイルや学習ペースに合わせた時間帯に科目を選択して学ぶこと
ができる「チャレンジスクール」を開設している。
また、力を発揮しきれずにいる生徒が社会生活を送る上で必要な基礎的・基本的学
力を身に付けることを目的に、既存校を改編して「エンカレッジスクール」を指定し
ている。2人担任制によるきめ細かい指導と集中できる 30 分授業により基礎・基本
の徹底を図っている。
このほか、職業に関する多様な専門科目の設置と学年制のよさを残した新たなタイ
プの三部制の昼夜間定時制高校や、インターネット等通信技術や都立高校等のネット
ワークを活用した「トライネットスクール」を開校している。
○すべての都立高校で、「生徒による授業評価」を生かした授業改善や、授業研究ネ
ットワーク「まなび」「東京教師道場」等の活用により、教員の授業力の向上を図っ
ている。
また、必修教科「奉仕」における体験活動や課題解決的な学習、キャリア教育を充
実させることで、生徒の自己有用感や学習意欲を喚起している。
一方、中途退学者数・率の顕著な学校に対しては、「中途退学防止改善計画書」の
作成・提出を求め、現状と課題の分析および中退防止の具体策の立案を指導している
とともに、臨床心理士をスクールカウンセラーとして配置し、問題行動の未然防止や
課題解決および学校内の教育相談体制等の充実を図っている。また、中途退学者の多
い普通科高校を対象に、第1学年において、全教科、学級数を1つ増やして少人数の
グループ編成を行い、生徒一人一人に応じた少人数指導の方策を研究し、実践に反映
させている。
○東京都教育相談センターは、中途退学者のための相談窓口として、「青少年リスタ
ートプレイス」を開設している。学業復帰のための編入学や特色ある高校の教育内容
等に関する相談および高等学校卒業程度認定試験やサポート校についての情報提供、
就労支援や心の健康に関する関係機関の紹介等を行っている。
(2)ひきこもり
○ひきこもりの本人や家族、関係者からのインターネットおよび電話相談に対応する
「東京都ひきこもりサポートネット」を実施しているほか、「ひきこもりに係る連絡
調整会議」を開催し、具体的事例の検討等を通じた相談機関相互の情報共有および実
27
務的な連携を図っている。また、「若年者自立支援調査研究」により、ひきこもりに
至る要因や社会的背景の分析、対応策等について、総合的な検討を行っている。
○保健所や東京都立(総合)精神保健福祉センターにおいて、精神保健福祉相談の一
環として、ひきこもりについても電話と面接での相談に応じるとともに、グループワ
ーク等を通じて、本人や家族等に対する支援も行っている。東京都児童相談センタ
ー・児童相談所、区市町村の子ども家庭支援センターでは、18 歳未満の子どもに対す
る各種相談に応じている。
○国においても、内閣府が、様々な困難な問題を抱える若者に対し、社会的自立に向
けて支援する専門的な相談員(ユース・アドバイザー)の養成・研修を実施し、厚生
労働省が、思春期精神保健対策研修会において、ひきこもりを含む思春期精神保健の
専門家の養成を行っている。また、厚生労働省では、児童相談所や児童養護施設等の
機能を活用した「ひきこもり等児童福祉対策事業」として、児童相談所の児童福祉司
の指導の下、学生等のボランティア(メンタルフレンド)がひきこもり等の児童の家
庭等を訪問する「ふれあい心の友訪問援助事業」、ひきこもり等の児童を一時保護所
等に宿泊又は通所させ、集団的に生活指導、心理療法等・レクリエーションを実施す
る「ひきこもり等児童宿泊等指導事業」、コーディネーター(児童相談所 OB やひき
こもりの子どもをもっていた親等)の支援の下、保護者を対象に講習会・グループワ
ーク等を開催する「ひきこもり等保護者交流事業」を実施している。
(3)若年無業者
○若者の社会的自立に向けた基礎的な態度や意識の向上を図るため、小・中・高等学
校において発達段階に応じた組織的・系統的なキャリア教育を推進し、小学校の職場
見学、中学生の職場体験、高校生の就業体験等を通じて望ましい勤労観・職業観を育
成している。また、大学では企業において就業体験をするインターンシップ制度を進
めている。
○若年者の雇用就業支援の主な取組として、東京しごとセンターのヤングコーナーで
は、キャリアカウンセリングやハローワークと連携した職業紹介などを、職業能力開
発センターでは、若年者向けの職業訓練を実施している。また、常用雇用を希望する
就職氷河期世代のいわゆる年長フリーターに対する民間委託訓練(短期間に技術や知
識を身につけて安定した雇用を目指す)などを提供する「年長フリーター等就職活動
応援事業」、企業と行政が一体となってインターンシップや職場体験の受入れを図る
など若者の職業的自立を支援する「若者ジョブサポーター事業」などの取組を行って
いる。
28
(4)若い親の養育力・監護責任の欠如
○乳幼児からの子どもの発達に関する基礎理論を踏まえた教材等を作成し、教育・保
育関係者の研修や保護者への普及啓発につなげていく。また、地域における取組の担
い手となる人材を養成するなど、「乳幼児期からの子供の教育支援プロジェクト」を
推進していく。
○区市町村において、乳幼児健診等の機会を活用したスクリーニング等を通じて、児
童虐待の要因となりうるリスクを把握し、要支援家庭の早期発見と適切な支援につな
げていく。
○区市町村において、育児に自信の持てない親や、低出生体重児など育児上専門支援
が必要な親などに対して、個別指導やグループワークを実施することにより、育児不
安を軽減するとともに、児童虐待の未然防止を図っていく。
○次代を担う子どもたちに対し、親と大人が責任をもって正義感や倫理観、思いやり
の心を育み、人が生きていく上で当然の心得を伝えていこうとする「心の東京革命」
において、心の東京塾やアドバイザーの育成・活用により子育ての不安を解消し、保
護者の教育力を高める取組を行っている。
2
「非社会性」に基づく行動に陥らないための課題
「非社会性」に基づく行動の中には、前節でみたように、都や国により既に対策が
講じられてきているものもある。これらはいずれも、問題として表出した現象に的を
絞った解決策であり、多くの場合は有効に機能している。
しかし、第2章で詳しく掘り下げたとおり、「非社会性」に基づく行動をもたらす
要因は、様々な外的環境にパーソナリティ固有の要素も絡み合い、複合的で根深い。
さらに社会の変化は対策の効果を超えて進行している。このことから、対症療法では
解決しきれないものについては、さらに踏み込んだ対策を講じることが必要となる。
さらなる対策としては、まず、いま動いている仕組みやその中で活動中の人材を前
提に、対策の足らざる所や後回しになっていた所にも手を差し伸べて埋めていくとい
う意味で優先的に取り組むべき短期的なものを考える必要がある。併せて、一朝一夕
に解決の糸口がつかめるわけではないが、社会の進むべき道筋そのものについて社会
成員一人一人が意識していくことなどにより相当な時間をかけて取り組むべき課題
があることも忘れてはならない。
短期的なものについては、現在既に講じられている各施策をどのように有機的に連
関させるかというのが課題となる。その際、乳児期、幼児期、学童期、青少年期とい
った社会的年齢に合わせた指導のみならず、個々人の発達段階、すなわち心理的年齢
29
にきめ細かく応じた支援を提供するという視点を盛り込むことが不可欠である。「幼
児的願望が満たされない段階で、自立しようとする意思の力に頼るのは望ましいこと
ではない」と言われているが、この人にとって何が望ましいかということを把握した
上で支援することが重要である。個人に対して切れ目の無い支援を行っていくために
は、行政機関同士、行政と民間での相互連携をこれまで以上に強め、家庭、学校、企
業、地域社会など多様な生活空間において、重層的に対策を展開する必要があり、行
政としては、対策の実効性を確保するため、情報を精査・提供し、体制整備を図るこ
とが求められる。
長期的なものについては、個々人が、他者との共感やコミュニケーションの中で自
己形成し、生きていく上で社会とかかわりを保つことを必要と感じる大人に育つため、
社会自体の包摂性を高めることが課題となる。そのためには、「非社会性」に基づく
行動の拡がりが社会の存立を揺るがす危険性について警鐘を鳴らし、社会成員の一人
一人が社会のあるべき姿について意識を高めることが必要である。社会の包摂性を高
めることにより、「非社会性」に基づく行動からの脱却、こうした行動のさらなる惹
起および世代間連鎖の防止が期待できる。
3
目指すべき対策
(1)当面取り組むべき対策
○若年者に対して個別に向き合う相談・支援の窓口を設ける。
18 歳未満の若者に対しては、不登校やいじめ、非行などに関する様々な相談機関や
支援窓口が用意されている。しかし、大学進学や就職をした時点で、行政の支援体制
が極端に狭まることから、コミュニケーションなど社会との関わり方が苦手な若者の
悩みに対する受け皿がないという現状がある。若年者に対する窓口がないため、早期
対応ができず、ひきこもり、自殺、対象無差別犯罪にまで至って初めて顕在化するこ
ともある。このため、従来の 18 歳未満や未成年を対象としてきた青少年行政の枠組
から踏み出し、より高い年代層の若年者も対象とする何らかの相談・支援の窓口を早
急に設けるべきである。
この場合、就労の悩みや心の悩みといった個別の事象ごとの既存の相談窓口の対象
年齢を拡げることも重要だが、これまで述べたとおり、表面に現れた悩みの根底には
非社会性の問題が関わっていることが多いと考えられることから、まず、相談者個人
の問題の所在の全体像を第三者的に見極める「インテーク・ワーク」を主として行う
相談窓口が必要である。
その際、若年層の心理・生活状態に適合した相談受理の在り方として、インターネ
30
ットを通じたメール相談、掲示板上での相談などの手法も有効と考える。
また、深刻な悩みにまで至らないが心に抱えたものを誰かに聴いてほしい、あるい
は、公的な相談機関を訪ねるのはためらわれるので気軽に悩みを吐露する機会が欲し
いなどのニーズに応えるため、若者が多く集まる街頭や駅周辺に、年代の近いカウン
セラーとリラックスして話ができるような相談ブースを設け、他者に内心を打ち明け
援助を求める心理的障壁を低くする工夫も必要と考える。
さらに、不登校など問題を抱える青少年を早期に把握し、若年者の個別の悩みに真
剣に向き合う人材によるアウトリーチやインテーク、さらには、それぞれのケースに
応じた専門機関に紹介し円滑に繋いでいく、若年者向けのセーフティネットの構築が
望ましい。そのためには、まず人材の育成と連携の構築(注)が必要である。
一方、そもそも自分が抱える問題を適切な表現で他人に理解させ得るコミュニケー
ションスキルを欠く若者も多くみられることから、併せて、若者の表現力向上を支援
する取組を促進することも検討すべきである。
窓口の設置、人材の養成、ネットワークの構築で留意すべきことは、まったく新し
いものを創設するよりも、現に活動しているものの機能の拡充など既存の資源の活用
を考えるべきである。特に行政としては、地域で活躍する人材との連携、NPO等民
間団体に対する長期的・継続的な支援を通じて行うこと、あるいは、大学との連携に
より、関連分野を専攻している学生を相談現場で活用しつつ専門家として育成するこ
となども一考すべきである。
(注)これに関する先進的な取組として、英国のブレア政権下で 2001 年から開始した
「コネクションズ・サービス」がある。コネクションズは、13∼19 歳のすべての若
者を対象とする支援サービスであり、若者の抱えるあらゆる問題(学習、職業選択、
差別、健康問題、住宅、ドラッグ・アルコール、家族等)について、若者一人一人に
対して個別のパーソナルアドバイザーが相談、情報提供等の支援に当たる。自治体単
位のコネクションズ・パートナーシップが全国に約 300 箇所置かれ、構成機関である
学校、社会福祉行政、警察、職業安定所、NPO 等が横の連携・協力を図りながら運営
に携わり、また、学校段階において把握した生徒のデータベースを管理している。パ
ーソナルアドバイザーは約 9000 人であり、担当した若者の状態に応じ、書簡、電話、
自宅訪問などにより接触(アウトリーチ)を行い、カウンセリングに至らない相談や
専門家への引継ぎ(インテーク)を行う。2006-07 年度の年間予算額は約 1,100 億
円とされている。
○子どもに、集団生活や屋外活動を通じて心身を鍛錬する機会を持たせる。
現代の都内で育つ子どもにとって、日常生活では多くの場面で自動化や高度情報化
31
が進み、年少者といえども消費者としての利便を享受することができるが、このこと
は反面、即物的な思考やこらえ性のなさを誘発しているともいえる。
小学生や中学生が、農村や山間部などで自然と向き合いつつ地元の住民の協力も得
ながら、自炊をはじめ生活に不可欠な作業に携わる、いわゆる「山村留学」、あるい
は、在籍する学校の近隣の施設に寝泊まりしながら通学し、地域の人々のサポートの
下に共同生活を行う、いわゆる「通学合宿」などの活動を取り入れている学校や自治
体が、都内でも全国的にも散見される。こうした実績を長期間にわたり重ねている学
校等では、生徒の心身に与える効果が認識されているが、場所や人員の確保等が障壁
となり、この取組が広く普及する傾向には至っていない。
忍耐、協力、貢献、意思疎通など社会性を涵養するのに不可欠な特質を伸ばす機会
が早期に得られるよう、子どもたちに、一定の期間、家族から離れた集団体験を通じ
て自分の力で生活することの意義を体感させる取組を促進することが重要と考える。
また、家庭や学校で居場所を見つけられず疎外感を覚え、非社会的行動や反社会的
行動に訴える若年者に対し、街頭清掃活動や里山整備活動などの機会を提供している
民間団体もある。こうした活動への参加を通じて、自らの労働により目標を達成する
ことや周囲の人々と力を合わせて目に見える成果を出すことに喜びを見出すばかり
でなく、自分を親身に心配してくれる人々の心に触れて再び社会と肯定的に関わるこ
とができるようになる若者も多いことから、これらの活動機会がさらに普及すること
が望ましい。
○成長過程に応じた子どもとの接し方について、情報発信し、啓発活動体制を整える。
成育環境や親子関係が若者の非社会性に与える影響は大きいが、前述のとおり、成
年に達するまで一貫して同じ姿勢で子どもに接するのではなく、青年期の入り口にさ
しかかった時点で、それまでの親子関係の在り方を変える必要があることが指摘され
ている。幼児期の生活習慣や教育についても、雑多な情報が溢れ、保護者が情報を選
択する際の基準が不明確であるが、青年期の子どもと親との関係については、信頼で
きる情報がさらに少ない。特に、現代では、電子メディアなどに関し親よりも子ども
の知識・経験のほうが勝っているなど、親が子どもに対し自信を持って指導しにくい
状況があるが、親は、子どもの振る舞いや友人などへの接し方をよく観察することで
子どもの行為の本質を見極め、問題に気づけばこまめに注意を与えることなどが重要
である。
成長過程に応じたパーソナリティの段階的発達を踏まえ、幼児期、学童期、青年期
それぞれの時期に、子どもや若者にどのように接し、どのような経験をさせれば心身
ともに健やかな成長が望めるのかなどについて、行政が正しい情報を精査し、普及さ
せるべきである。特に、青年期の子どもを持つ親に対しては、不登校や非行などの特
32
定の深刻な悩みを持たない者も含めて、統一的な相談窓口(ヘルプデスク)を設ける
ことなどを検討すべきである。
保護者や関係者に対して啓発活動を行うための人材の養成・活用や、こうした活動
の場を拡げるための連携体制を整える必要がある。
その際、東京都が 1999 年から取り組んでいる「心の東京革命」の「7つの呼びか
け」等が各家庭や地域などに浸透し、実践されるよう、従前の取組をもう一歩前進さ
せることにも留意すべきである。
○妊娠時から継続的な育児支援を行うための人材を育成し、連携を構築する。
望まぬ妊娠・出産を経るなどして自尊感情を失った若い母親は、不登校やひきこも
りを経験していることも多い。実家との関係も不安定で、精神的・経済的支援が得ら
れないケースも数多くみられる。また、予定外の妊娠後に入籍し出産する若年カップ
ルの 60%が後に離婚をすると言われ、いわば妊娠時から要支援家庭の候補であるとも
いえる。
核家族であることや人間関係の形成能力が不足していること等により、身近に相談
できる育児経験者がおらず育児マニュアル等の過剰な情報に翻弄されている若い親、
健康的な育児モデルを知らずに不安を抱えたまま子育てに自信を失っている家庭は
少なくない。そのような産前産後の若い母親に対して、妊娠直後から出産に悩んでい
る段階でも気軽に相談できる体制を整える必要がある。若年の親という同じ立場の者
同士の出会いの場を設けることを行政が主導し、また、生まれてきた子どもと心で通
じ合うコミュニケーションを図るためには、産後からベビーマッサージ教室や若い夫
婦の育児教室などを無料で受講できるようにすることが有効と考えられる。
特に、子どもとのコミュニケーションを図りながら社会で必ず守るべきルール・マ
ナーを体得させ、成長に応じて自分の判断で行動できるような素地を整えるなど基礎
的な養育力を高めるため、「親」教育にも重点を置く必要がある。孤立して子育てに
悩む親が安心できるように、専門的な相談に至らない一般的な育児不安や子どもの軽
い病気のケア法のみならず、叱り方やしつけ方等を中心に、成長に応じた親子のコミ
ュニケーションの取り方等について、育児経験者として気軽に相談できるボランティ
アを養成し、地域で活用することを都と区市町村が連携して取り組むべきである。
また、必要に応じて継続的なケアや支援を行うため、保育園、幼稚園、児童相談所、
保健センター、子ども家庭支援センターなどの関係行政機関およびNPOや専門職が
連携することが重要である。
「思春期に親からのコミュニケーションや言葉がけが多いと性行動開始年齢の低
下を防ぐ」というデータ((社)家族計画協会)もあることから、望まない若年出産を未
然に防止するため、思春期前の保護者層にこうした情報を浸透させるなどの対策も必
33
要である。
(2)中・長期的課題の解決の方向性
○社会が人々を阻害しない状態(社会的包摂性)を取り戻し、人々の相互扶助を再構
築する。
これまで述べてきた非社会性をめぐる諸問題を根本的に解決するためには、社会全
体が包摂性を上げ、人々が社会から掃き出されないようにすること、具体的には、家
庭、学校、地域など各空間でいったんは失われた相互扶助体系を再構築することが不
可欠である。
包摂性を上げるためには、家庭生活、学校生活、地域生活を送る上で、社会成員一
人一人が絆や良心の復活を模索する視点を持つよう意識付けを行う必要がある。
例えば、家庭においては、幼少時から、しつけや目標を持たせる言葉がけなど、毎
日の自然な生活の繰り返しの中で、依存的な人間関係や即物的・刹那的な社会ではな
く、各自の人格を認めていくような視点、我が国のアイデンティティや守り継がれた
ものを尊重しようとする生き方を提示する。また、親の中には、専ら子どもの学業成
果を重視し、交遊関係の不具合や友だちとの絆が薄いことを問題視しようとしない者
もいるが、むしろ後者により関心を払うことで、人間関係を重視する価値観を親から
子へ継承させていく。
また、学校においても、級友同士が協力して一定の成果物を求める経験を積ませる
ことなどにより、個人の能力の差異を相互扶助で補うことの有り難さや、信頼に基づ
くコミュニケーションの重要性を涵養する。これまでも、学級を単位とする活動の中
で、学級生活の充実のための工夫、集団生活におけるルールやマナー、自由と責任及
び権利と義務などについてテーマ設定し、グループや学級全体で話し合い、解決に向
けた討論などを行わせるようにしているので、今後、こうした活動をさらに拡充し、
社会性を育んでいく。
そして、地域においては、わずかに残っている人々のネットワークを有効利用しつ
つ、新しい地域共同体へと再生を図る。新しい地域社会を作るためには、何よりも地
域活動に参加することが喜びになるようなものでなければならない。特に学校を核と
して、在校生の保護者のみならず年長の若者も含め、その地域に関わりを持つ人々が、
子どもの安全・安心な居場所づくりに参画する「放課後子供教室」事業や、広く教育
活動に参画する「学校支援ボランティア推進協議会」を実施している。これらの事業
の拡がりによりコミュニティ全体で子どもの安全を守る取組や学校の支援が進むと
ともに、地域自体の相互扶助の再構築につながっていくことを参考とすべきである。
こうした動きの中で、地域の若者と子どもとの「ナナメの関係」のコミュニケーショ
34
ン構築も期待できる。
このようにして社会の自立を促進することが求められるが、自然に任せるだけでは
なく、行政が関与していくことも必要である。
○家族、親子、夫婦の在り方について多角的な視点を提示する。
現代は、第2章の1で触れた高度経済成長期の核家族を典型とする家族像や親子・
夫婦関係モデルが崩れ、現実には一人世帯を含めて多様な家族の在り方が出現してい
る。しかし、家族がどうあるべきか、その中の親子や夫婦の関係がどうあるべきかに
ついては、社会の変化に応じた新たな視点が提示されておらず、過去の家族モデルに
固着したり、逆に成員同士がバラバラに孤立したりするなどの現象もみられる。
前述したとおり、我が国では、親子関係としてのモデルは、乳幼児・児童期の親子
関係のみが強調されているため、中学生・高校生や成人した子どもの親子関係につい
て、子どもの独立性を強調するモデル像を構築する必要がある。また、家族関係の中
では、親子関係に比べて夫婦関係が希薄となりがちだが、子どもの成長過程において
も夫婦関係を意識しつづけることが望ましい。
そのためにも、青少年の段階から、夫婦の協力や育児の健康モデルについて知る機
会を設けたり、性との関わりの中で正しい自己評価やコミュニケーションスキルが育
まれるよう、支援を行うことが必要である。
また、家族形成期に達した者に対しては、例えば妊娠中にトラウマを持たないよう
にケアし、出産時が原因で愛着形成不全が起こりやすい早期母子分離とならないよう、
多くの母親が健康モデルの正常産で出産できる仕組みづくりを行政が主導すること
が望まれる。
なお、近年は、家族を形成すること自体を拒否したり恐れて悩む若者も多く、企業
社会への適応だけでなく家族形成にかかわっていくことも大事だという視点を提示
することも必要と考えられる。
○社会の絆の中で、子どもに将来の幅広い可能性を示唆する。
今の子どもたちについては、進学先の高校を選ぶに当たり自宅からの通学距離を他
の要素よりも重視したり、文理選択を含む大学進学時や就職活動においても自分の生
活圏内で身近に見聞きできる企業や職業などに偏った選好をするなど、将来の進路選
択の幅が狭いとの指摘がある。
地域社会、企業等との連携により職場体験や奉仕体験活動を進めるなどにより、社
会には様々な職業や貢献の仕方があることについて小・中学生時から関心を持たせる
ことが必要であり、また、家庭においても、進学や就職について子どもが多様な可能
性を追求することができるよう、年齢に応じた教育や指導を行うことが重要である。
35
また、高校や大学における職業指導・就職支援においては、過度に早期から職業適
性を限定したり、経済的なインセンティブのみを強調することのないよう、多様な可
能性を示唆したり、働くこと自体から得られる喜びや、働くことを通した自己形成に
ついての理解を促すことも重要である。
○無業者やフリーターが継続的な就業に至るための方策を検討する。
無業者、失業者、フリーター間の移行過程を把握した上で、無業者や失業者が就業
プールへ到達するための必要な施策を考える。無業状態であること、失業状態である
ことを過度に保護(例えば雇用保険の給付額、あるいは生活保護の支給額を過度に増
加させるなど)しすぎると、就業へのインセンティブを失う可能性もあるため、その
状態を固定化させずに就業までの円滑な移行を継続的に支援するような施策や、無業
者やフリーターの能力開発をどのように担保していくかの検討が必要である。
若年者(=労働供給側)への支援としては、企業外における能力開発機会の提供と
充実、あるいは職業紹介機能(公的および民間)の充実が求められる。また資金的な
制約があるために十分な能力開発などが行えない若年者に対する金銭的支援も必要
である。
都では過去にもこれらの施策を部分的に実施してきたし、2008 年 8 月からは生活安
定化総合対策事業の 1 つとして就職チャレンジ支援事業を新たにスタートさせている。
ただ、類似の施策が複数並立している、あるいは広報が不徹底であるなどの理由から、
支援策が若年無業者、失業者、フリーター対策として有効に機能しているとは現時点
では言い難い。行政としては、(1)(30 頁)で述べた「若年者に対して個別に向き合
う相談・支援の窓口」などの、適切な機関や必要な支援にたどり着ける仕組みづくり、
広報体制の見直しが急務になるとともに、利用者が少ないからという理由でこれらの
施策を短期的に中止することなく、中長期的な視点で支援に取り組む姿勢を明確に打
ち出すことが重要となろう。
企業側(=労働需要側)は 1990 年代から 2000 年代にかけての厳しい経済環境の中
で、利益を確保するために人件費の削減を試み、非正規雇用を増加させてきた。例え
ば平成 20(2008)年版の「労働経済白書」は、正社員以外の者が増加した要因として、
労務コストの削減を挙げる企業が 8 割から 9 割近くに上るという調査結果を掲載して
いる。第 2 章 2(2)でも触れたように、この厳しい経済環境の背景には、短期的な景
気変動に加え、中長期的な社会・経済環境の構造変化があり、その構造が急激に変化
する可能性は小さい。正社員市場が拡大に転じる可能性も小さく、今後も非正規雇用
者が一定の割合で存在するような社会となることが予想される。
このような社会・経済環境の中で、正規雇用の採用枠を増やすよう企業に要望する
のは容易ではない。平成 16(2004)年の「雇用管理調査」によれば、2003 年中にフ
36
リーターを正社員として採用した企業の割合は 11.8%である。この割合は企業規模が
大きくなると高くなる傾向があり、企業規模 5000 人以上の大企業では 19.1%の企業
がフリーターを採用したと回答しているが、企業規模 30∼99 人の小企業ではこの割
合は 10.6%まで低下する。日本企業の 99%以上が企業規模 300 人未満の中小企業で
あることを考えると、フリーターを正社員として採用する企業の数はきわめて少ない
と推察できる。また同調査ではフリーターを正社員として採用する際の評価について
も尋ねているが、フリーターであったことをプラスに評価する企業の割合(3.6%)
よりも、マイナスに評価する企業の割合(30.3%)の方がはるかに高い。評価にほと
んど影響しないと回答した企業が 61.9%いるものの、フリーターに対して厳しい評価
を下す企業が少なからず存在すること自体は事実として認識する必要があろう。
それでも若年者を正社員として採用することを企業側に求めるのであれば、平成 18
(2006)年版の「労働経済白書」も指摘するように、若年者を正社員として雇用する
インセンティブが企業側に生じるような仕組みを作る必要がある。例えば、人件費の
削減を目的にして企業が非正規雇用を増加させているのであれば、非正規雇用と正規
雇用の処遇の均衡を図ることにより、非正規雇用を増加させることが企業経営にとっ
て有利にならない状況を作ることが可能かもしれない。
別の方策としては、最初から正社員としての雇用を企業側に求めるのではなく、一
旦は非正規として雇用することを容認し、非正規雇用から正規雇用へ到達する人数を
増やすことも考えられる。非正規雇用から正規雇用への転換という発想は、例えば紹
介予定派遣や正社員登用制度などの形ですでに存在しており、行政としてこれらの制
度を支援することが考えられる。
平成 19(2007)年の「企業における採用管理等に関する実態調査」によれば、非正
社員から正社員への登用制度の有無及び登用実績について、「制度があり、登用の実
績もある」が 27.8%、
「制度はあるが、登用の実績はない」が 5.3%、
「制度はないが
登用の実績はある」が 37.6%、
「制度がなく、登用の実績もない」が 29.1%となって
いる。つまり、なんらかの形で非正社員から正社員への登用実績がある企業が約 3 分
の 2 存在する。正社員として採用するに足る有用な人材とわかれば、非正社員を正社
員として雇用する企業は意外に多く存在している。
このような登用制度を通じて正社員として採用されるには、そもそも対象の非正規
労働者が有用な人材であると企業側に認知される必要がある。言い換えれば、労働者
自身の能力が一定以上の水準であることが求められる。その意味で、繰り返しになる
が、労働者の能力開発を行政が支援することは極めて重要である。
同時に、登用実績がない企業が 3 分の 1 存在することもまた事実である。これらの
企業に対して登用制度の導入をサポートする、あるいは登用制度があっても十分に活
用されていない企業に対してサポートを行う、などの施策は検討に値するだろう。
37
最後に、これまでに挙げたような様々な施策を立案、実行する上で、若年者の実態
把握は決定的に重要である。若年者がどのような経路を通じて無業や失業状態になっ
たのか、なぜ求職活動が思うように進まないのか、正社員として雇用されるフリータ
ーとされないフリーターの違いはどこにあるのかなど、若年者に関する基本的な事実
の把握が急務である。大規模な調査結果で明らかになる事実に基づくことにより、若
年雇用対策はさらに有効に機能するだろう。
○ニート問題の正しい理解に立った社会全体での「自立支援」を考える。
日本でニート概念が誤解され、「社会の問題」というより「若者の問題」として理
解された背景として、二つの要因が指摘できる。第一は、日本においてはニート問題
が議論される直前まで、フリーター問題がいわば「怠業批判」として議論されていた
ことであり、第二は、「近代社会として望ましい社会の在り方」という観念が我が国
に乏しいことである。
このことは「自立支援」という言葉に象徴される。若者が個人として経済的に自立
できればそれでよいのだろうか。経済的に自立した若者が、自立したがゆえに社会的
な相互扶助を軽視するなら、社会は様々な立場や状況の者を受けとめる分厚さを失い、
個人がグローバル化に直接さらされがちになる。
福祉国家体制の時代に比した「小さな政府」は、グローバル化によって、単なる一
イデオロギーであることを越えて、中長期的には選択の余地のない現実となった。困
窮した個人を政治や行政が直接助けることは、短期の緊急避難的措置として当然だが、
中長期的には、個人が社会に包摂されることで困窮しないで済むような社会投資こそ
が不可欠である。
ニート問題へのこのような理解は、単に先進国の標準であるにとどまらず、福祉国
家体制によって始まりグローバル化によって加速された「社会の空洞化=社会的包摂
の崩壊」に政治や行政としていかに対処すべきかという政策課題に結びついている。
本質的な問題は、個人の自立ではなく、社会の自立を政治や行政がいかに支援できる
かであるということを、国はもとより、都や区市町村でも認識すべきである。
38
おわりに
今の日本社会の経済活動にとって合理的である政策が、他の価値基準に照らしてみ
れば不合理であるということがいくらでもある。ウェーバーの言葉を使わせてもらえ
ば、形式的合理性であっても、実質的合理性ではない。
グローバリズムの中でコストと有効性、コストと利益による計画立案が社会の隅々
にまで行き渡り、その結果として、今の日本には、ここに示してきたような様々な心
の問題が青少年に生じている。政策決定においていかに合理的であっても、価値の問
題は依然として残っているということを認識し、都や区市町村、そして国は青少年の
社会への連帯感の喪失に対処してもらいたい。
企業の社会的責任が言われ、親の子育て責任が言われ、あるいは自己責任というこ
とが言われるなど責任論は盛んである。そこまで責任論が盛んになってきた背景はも
ちろん企業や親や個人が無責任になってきたからといえる。
では何故皆がそこまで無責任になったのか?
それは行き過ぎた機能化、合理化、
システム化であることは論を待たないであろう。カール・マンハイムも機能的な合理
性と実質的な合理性とを区別している。「秋葉原無差別殺人事件」に象徴されるよう
な殺伐とした社会になった現在、私たちはもう一度人間から人間らしさを奪ったもの
は何かを考える時期に来ているのではないだろうか。
最近の日本の心の問題は世界最悪と言いたくなるような状態である。母親の子育て
ノイローゼ、うつ病者の増加、幼児の虐待の増加、少年の再犯者率の増加、ギャンブ
ルなど様々な依存症、子どものストレス性潰瘍、家庭内暴力、シラケ、いじめから学
級崩壊、性の低年齢化、過労死等、挙げていけばきりがない。自殺者も3万人を超え
たままである。
そして、この意見具申で取り組んだ非社会性の問題、すなわち社会的ひきこもりや
不登校やニートの問題、ネット心中や動機不可解な犯罪等々。
いま東京では「心の東京革命」と言う政策がとられている。それは社会の中で生き
る上で当たり前の挨拶ができない子ども、公共の場で基本的なマナーが守れない子ど
もが多いからである。
しかし、このように一般に指摘されているような現象が諸外国に比べて日本でより
深刻と感じられるのはなぜだろうか。戦後の日本の経済的繁栄の影で心理的に何が起
きていたのか、それを見つめるときが来ている。
日本の若者は、社会に対して、家庭に対して、学校に対して、職場に対して、地域
に対して、すべてにわたって極めて不満が高い。
日本の若者は諸外国に比べて家の手伝いが最も少ない(中里至正、松井洋『異質な日本
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の若者たち』ブレーン社、1997年10月、60頁)。
2003年2月から6月までの間に実施された「第7回世界青年意識調査」を見ると、
父親を「尊敬できる」とする子どもの割合は、スウェーデンが72.8%、アメリカが
67.6 %、ドイツが53.0%、韓国が40.6%となっており、日本は39.2 %で最低である。
父親が「生き方の手本となる」についても同じく、スウェーデンが32.9%、アメリカ
が42.7%、ドイツが33.1%、韓国が29.1%、日本は15.4%で最低である。
これは母親についても同様である。「尊敬できる」はスウェーデンが77.5 %、ア
メリカが74.1 %、ドイツが57.3 %、韓国が30.9 %、日本は28.0 %で最低である。
「生き方の手本となる」に至っては、スウェーデンが38.8 %、アメリカが50.7%、
ドイツが32.6%、韓国が25.7%だが、日本は上位5位までの回答に入っていない。
「厳
しい」が第5位で16.2%であるので、それ以下ということになり、もちろん5か国中
最低である。
「人生には何よりもお金が大切だ」と考える日本の中学生、高校生は諸外国に比べ
て多い。「青少年の非行的態度に関する国際比較調査」でアメリカ、中国、韓国、ト
ルコと比べると、「人生には何よりもお金が大切だ」は日本の中学生、高校生の40%
が1番で、アメリカは17%となっている(前掲『異質な日本の若者たち』、47頁)。
紙幅の都合でさらにいろいろなデータを挙げることはできないが、総体的に見て今
の日本の人間関係は世界の中で最も崩れてきていると言わざるをえない。
第二次世界大戦後、経済成長と人々の心理安定とは必ずしも相反するものではなか
った。しかし今や非社会性の問題を含む社会病理と経済合理性の二つのバランスを考
えることが最も重要な課題になった。
今では時に経済合理性が社会病理を促進することがある。コミュニケーションの希
薄さが基本的な原因である非社会性の深刻化は経済合理性で解決できるわけではな
い。
職場の環境は、昔と変わってしまった。東京都の労働相談は毎年4∼5万件台の高
い水準で推移している。社員のメンタルヘルスが悪化している。原因は、上司や同僚
との不和等である。世界第二位の経済大国と言われる影でうつ病も過労死も増加して
いる。リストラで企業は合理化され利益を生むかも知れないが、そこに働く従業員の
ストレスや心の病は増加するばかりである。職場についても「karoshi(過労死)」
という言葉が訳されないままに世界で通用するようになった。
国民総幸福を国家目標とし、国民の約97%が「幸せ」と感じると言われる国ブータ
ンを実質合理性の国とすれば、日本は形式合理性の国であろう。
世界で最も人間関係の不満の激しい社会の中で、非社会性の問題が生じている。お
金が人生で最高の価値という流れがついに非社会性の問題を顕在化させるところま
で来てしまった。戦後、日本はあまりにもすべてにわたって合理性を優先させすぎて、
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正面から青少年の心の問題に取り組まなかったからではないだろうか。
実質的合理性と形式的合理性とが深刻に乖離しない社会になれば、非社会性の問題
は自然と解消していくであろう。
ひ弱な社会の中で合理性を貫徹させようとすることによって引き起こされてきた
非社会性の問題を、真剣に考えるべき時期に来ていると我々は考えた。力不足ではあ
ったが、これがその報告である。
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