第二次世界大戦後の都市交通危機と交通政策

アメリカ合衆国における都市公共交通の変遷
-第二次世界大戦後の都市交通危機と交通政策-
湯川創太郎
1. 問題の所在
第二次世界大戦以降、アメリカ合衆国では自家用車の進出が急激に進み、都市生活におけ
る公共交通の重要性は急激に低下した。自家用車の保有率が高まり、公共交通利用者の逸走
が進むと共に、高速道路で結ばれた郊外に都市機能や住宅地が拡散する事で公共交通事業者
がこれまでサービスを展開していた都心の空洞化が進み、公共交通事業者は深刻な経営危機
に直面する事になった。
公共交通の経営悪化が深刻化した 1950 年代から 1960 年代にかけては、都市公共交通の問
題に関する数多くの調査がなされた。また、この問題への対応策として最終的に行われた連
邦の介入は、現在のアメリカにおける公共交通政策の基底をなすものであり、交通計画・政
策の教科書1の中でもかなりの紙面を割き説明が行われ、現在でも多くの分析が行われている。
こうした研究や紹介はアメリカの公共交通政策の背景を知る上で不可欠のものであるが、
1960 年代までの主に都市政府を中心に行っていた公共交通政策について十分な検証を行っ
ていない。1970 年代に進められた資金面での公的補助と、1960 年以前に行われた規制、ある
いは第二次世界大戦後、継続的に進められた公営化はどのような関係を有すのであろうか。
近年の都市交通史や都市政治学の分析は、第二次世界大戦以前に私企業による公共交通サ
ービスの提供の問題に直面した都市政府が様々な政策を試みた事を論じている。これらの詳
細については、拙著(2007)で分析をおこなっているが、それらの政策介入の結果、アメリカ
の大都市では都市公共交通の整備、運営に都市政府が介入する事が一般的となっていた。現
代の都市交通の運営組織や交通政策は、こうした過去の都市交通政策を基礎とするものであ
り、本稿は、そうした戦前期の都市交通政策との連続性を意識しながら、戦後のモータリゼ
ーションと都市交通の衰退過程を分析する事を目的とする2。
アメリカの都市交通を巡るもう一つの問題は、中小都市の都市交通の問題である。アメリ
1
例えば、Gray & Hoel(1992)、Meyer & Miller(2001)など
なお、わが国におけるアメリカの公共交通の衰退過程を取り扱った研究としては、20 世紀以降の道
路整備や 1960 年代から 1970 年代の交通政策についてまとめた湯川(1972)や、1950 年代の通勤鉄道の
問題やアムトラック成立について論じた野田(1999)が存在する。本研究では土地利用の変化に着目し
た湯川のアプローチを参考にしつつ、政策の歴史的変化の考察に重点を置いた。
2
1
カの地方中小都市の公共交通に関する調査、研究はあまり行われていない、1970 年以降の連
邦交通政策の中では積極的な支援が行われている。本研究では、雑誌記事や自治体資料等に
基づき、地方都市の交通問題とその対応についての概説をあわせて行う。
2. アメリカにおけるモータリゼーションの進行
2-1.第二次世界大戦以前の自動車の状況
アメリカにおけるモータリゼーションは 1910 年代にはじまる。最初の自動車の登場はヨー
ロッパに比べやや遅く、1893 年のことであり、その後 15 年ほどは道路事情の悪さもあって
普及の動きはゆっくりしたものであったが、1908 年に製造がはじめられた T 型フォードはそ
の動きを変えた。大量生産によって低価格化を実現し、しかも断続的に値下げを繰り返した
T 型フォードは好評を博し、1916 年には年間 50 万台を出荷するに至った。
表1
アメリカにおける自動車保有台数と自動車交通量
自動車保有台数(単位 台)
乗用車
総計
1900
1905
1910
1915
1920
1925
1930
1935
1940
1945
1950
1955
1960
1965
1970
1975
1980
1985
1990
1995
8,000
77,400
458,377
2,332,426
8,131,522
17,481,001
23,034,753
22,567,827
27,465,826
25,796,985
40,339,077
52,144,739
61,671,390
75,257,588
89,243,557
106,705,934
121,600,843
127,885,193
133,700,497
128,386,775
8,000
78,800
468,500
2,490,932
9,239,161
20,068,543
26,749,853
26,546,126
32,453,233
31,035,420
49,161,691
62,688,792
73,857,768
90,357,667
108,418,197
132,948,709
155,796,219
171,688,878
188,797,914
201,530,021
自動車交通量(単位 100万台マイル)
Rural地域
都市
Rural地域 都市
100
1900
970
1905
3,680
1910
19,530
1915
47,600
1920
122,346
1925
95,118
111,202
1930
1935
110,241
118,327
1940
152,195
149,993
1945
120,012
130,161
1950
239,998
218,248 (左の値のうち
1955
337,385
244,119 インターステート)
1960
400,463
305,639
10,514
13,365
1965
455,905
431,907
40,310
81,532
1970
539,472
570,252
79,516
81,532
1975
601,656
726,008 111,980 118,232
1980
672,030
855,265 135,084 161,242
1985
730,728 1,044,098 154,357 216,188
1990
868,878 1,275,484 200,173 278,901
1995
933,289 1,489,534 223,382 564,910
出典:US Dot Federal Highway Administration(1995)
1910 年代においては T 型フォードの価格は労働者の年収並(表 4)で、多くの人にとって日
常の足として気軽に利用できる乗り物ではなく、都市の自動車交通は乗合自動車として市民
に普及した。
乗合自動車は 1910 年以前にもニューヨークで見られた3が、本格的な普及は 1914
3
1907 年 8 月 24 日の Street Railway Journal では、10 セントの運賃で 5 番街を走るバスの事例が報告さ
2
年の「ジットニー」の登場以降である。この年、不況下のロサンゼルスにおいて失業した労
働者が T 型フォードを利用し、5~10 セントほどの運賃で通勤客を輸送するサービスをはじ
めた。同種のサービスは瞬く間に全米に普及し、1915 年には数万台が目撃されたという。ジ
ットニーは短期間で消滅するが4、ジットニー自動車による旅客輸送の可能性を示した事は、
アメリカにおけるバス事業の本格的な展開のきっかけとなり、独立のバス事業者や電鉄会社
が盛んにバス事業へ進出するようになっていった。
1920 年代には、自動車の価格低下に伴い、個人での自家用車利用も増加する。自家用車の
利用は地域によって差が存在したが、気候的には不利な条件に位置するシカゴ市でも 1920
年には 8 万 6 千台であった自動車が 1930 年代には 30 万台にまで増加、8.3 人に 1 人が自動車
を保有し、温暖なカリフォルニア州に位置するロサンゼルスでは 1930 年には 1.5 人が自動車
を保有するに至っている。
こうした自動車交通の増大にともない、道路建設・改良のための財源整備も進められた。
州際高速道路に代表される連邦政府の道路への大規模な投資は 1950 年代になって始められ
たものであるが5、これに先立ち、1920 年代に州による燃料税が導入され、これを財源とし
た州政府の道路良が積極的に行われるようになった。また、都市における道路整備の基礎と
なる道路計画も、連邦に先駆けて 1920 年代以降盛んに行われ、都市交通計画に基づく道路整
備が盛んに行われた。1930 年代前半の自動車建設や道路交通は大恐慌の影響を受け減少する
が、その後の景気回復やニューディール政策の一環としての道路への連邦資金の支出などに
より、1930 年代後半には増加基調に転じた。
2-2.第二次世界大戦直後の都市の道路建設と都市の郊外化
自動車交通は第二次世界大戦期にはガソリンの配給制により停滞の傾向にあったが、終戦
後は一転して急増した。1945 年に 2500 億台マイルであった自動車の総走行距離は、1960 年
には 7000 億台マイルにまで増加している。
こうした自動車交通の増大を支えたのは道路の改良である。自動車交通の増大は、道路利
用税の税収の増大をもたらしたが、この税収は新たな道路の改良に用いられ、毎年数億ドル
の資金が道路に投じられた。その結果、道路の改良は進み、例えば、表 2 のように、都市部
における道路の舗装延長は、1945 年の 15 万マイルから、1960 年には倍の 31 万マイルにまで
拡大している。また、1920 年代に一部の都市で実行されていた道路交通計画を元に、連邦に
れている。
4
ジットニーについては当時の電鉄産業の業界紙で分析されている(Electric Railway Journal, Feb. 13
1915, pp.324-329)が、当時のメンテナンスに費用を要する自動車では営業運行で電車並みの低運賃を長
期的に提供する事が難しかったこと、第一次世界大戦の勃発で景気が回復し、職業としての魅力が低
下したこと、路面電車会社の反発などを受けて規制が強化され、運営費用の面で不利となったことが
短期間の消滅の理由であると考えられる。
5
この時期のアメリカの道路整備については今野(1959)を参考にした。連邦による道路補助金は 1916
年より行われているが、地方部の道路の改良を目的としたものであり、1930 年代には、都市部の道路
混雑が問題となっている。
3
よって交通計画の計画策定手順がまとめられ、各地でそれを範とした道路交通計画が進めら
れるようになった。
表2.道路延長と舗装率(単位:マイル)
1945
1950
1955
1960
1965
1970
1975
1980
1985
1990
1995
非舗装
156,612
137,743
118,696
118,181
113,399
90,329
88,717
46,259
44,695
40,105
32,772
都市
舗装
150,303
185,196
254,253
311,387
393,047
470,341
550,833
582,642
646,250
704,539
786,934
舗装率
49.0%
57.3%
68.2%
72.5%
77.6%
83.9%
86.1%
92.6%
93.5%
94.6%
96.0%
非舗装
2,524,704
2,395,235
2,303,732
2,197,043
2,121,667
1,981,332
1,894,069
1,740,886
1,705,160
1,571,999
1,501,186
地方
舗装
487,667
594,801
741,533
919,082
1,061,553
1,188,080
1,304,527
1,490,050
1,467,807
1,550,283
1,591,334
舗装率
16.2%
19.9%
24.4%
29.5%
33.3%
37.5%
40.8%
46.1%
46.3%
49.7%
51.5%
出典:表1と同じ
表3.代表的都市圏の都市圏人口と都市人口
ニューヨーク市
ニューヨーク
都市圏(MSA)
シカゴ市
シカゴ
都市圏(MSA)
フィラデルフィア フィラデルフィア市
都市圏(MSA)
デトロイト市
デトロイト
都市圏(MSA)
ボストン市
ボストン
都市圏(MSA)
クリーブランド市
クリーブランド
都市圏(MSA)
ロサンゼルス市
ロサンゼルス
都市圏(MSA)
ヒューストン市
ヒューストン
都市圏(MSA)
2000年
1990年
1980年
1970年
1960年
1950年
1940年
801
1,832
290
910
152
569
95
445
59
439
48
215
369
1,237
195
472
732
1,705
278
818
159
544
103
425
57
413
51
210
349
1,127
163
377
707
1,647
301
805
169
524
120
435
56
394
57
217
297
941
160
315
790
1,718
337
788
195
532
151
444
64
392
75
232
281
846
123
220
778
1,574
355
702
200
476
167
395
70
352
88
213
248
674
94
160
789
1,459
362
576
207
397
185
317
80
319
91
168
197
437
60
109
745
1,343
340
504
193
345
162
251
77
293
88
143
150
292
38
76
アメリカ国勢調査局の 2000 年の MSA 基準に基づく都市圏人口の推移(単位 万人)
出所:アメリカ国勢調査局 (http://www.census.gov/)
急速な道路整備は、都市の郊外への展開を導く結果となった。表 3 に示したように、1940
年から 1960 年にかけての 20 年間、主要都市では中心都市の人口が横ばい、もしくは減少に
転じたのに対し、郊外都市では増加に転じている。自動車交通量も都市の郊外化の影響も
4
1960 年代以降も継続しているが、その傾向はこの時期にはじまったものであるといえよう6。
3.モータリゼーションと都市公共交通
3-1.公共交通の全盛期
自動車の普及以前、都市交通の主役は路面電車であった。1880 年代の後半に電気鉄道の技
術が実用化されたのち、1910 年までにアメリカの都市では路面電車が爆発的に普及した。
1920 年代には 6 万 5 千 km の軌道と 7 万両の電車が存在し、年間 130 億人の旅客を輸送して
いたのである。路面電車の整備に並行して、ニューヨークやシカゴなどの大都市では地下鉄
や高架鉄道の建設、輸送力増強が進められ、また、1920 年代には路線バスの利用者も増加す
る。
250
200
バス
高速鉄道
路面電車
トロリーバス
合計
150
100
50
0
1900 1905 1910 1915 1920 1925 1930 1935 1940 1945 1950 1955 1960 1965 1970
図 1.アメリカの公共交通利用者の推移(1902~1970)
出典:American Public Transportation Association(2008)
これらを合計した都市公共交通の利用者のピークは 1920 年代後半と 1940 年代中ごろに存
在する。1920 年代は好況ではあったものの、同時に自家用車の普及が著しく、1926 年頃を境
に都市公共交通利用者は微減に転じていた。1930 年代初頭の大恐慌は自動車の普及を一時的
6
アメリカの郊外住宅地の詳細については、Fishman(1977)、Warner(1977)、Young,(1998)等が詳しい。
郊外化自体は都市鉄道網の充実により、
19 世紀末よりはじまっており、シカゴ北部には Steam Suburb、
フィラデルフィアの市内西部やボストン近郊には Trolley Suburb と呼ばれる鉄道網展開による郊外住
宅地が形成されていた。しかし、こうした鉄道による郊外化が、都市の過密を解消し、都市環境の向
上に直結したのに対し、道路整備による都市の郊外化は混雑やインナーシティ問題など、都市に与え
る負の影響も大きかったという点で性格を異にする。
5
に停滞させたものの、公共交通利用者の減少にもつながり、1933 年には 3 割以上が減少する
に至り、その後は景気回復で若干持ち直したものの、1940 年代まで 130 億人程度の水準で推
移している。この状況に変化を与えたのは第二次世界大戦で、燃料やタイヤの配給制は利用
者の増加を促す要因となり、終戦直後の 1946 年には史上最高の 234 億人を輸送するに至って
いる。
第二次世界大戦期の公共交通輸送の活況は一時的なものであるが、利用客数の減少が目立
つようになるのは 1950 年代になってからの事である。路面電車に関しては、路面電車を公営
化したニューヨーク市やシカゴ市で 1940 年代後半より大規模な路線撤去を行ったこともあ
り、1949 年には 1930 年代の水準を下回るが、公共交通全体で 1930 年代の水準を下回るのは
1955 年以降の事である。バス車両の出荷も盛んで、1940 年代の業界紙 Bus Transportation は
労働コストを問題視しつつも、バス産業の発展を楽観的に報じ7、一部の都市では、建設が進
む都市内高速道路を利用したバス運行の展開を計画した。
3-2.1950 年代以降の問題
1940 年代後半、バス事業者はコストの増加の問題に対し、運賃値上げて対応した。1945
年には 10 セントの均一運賃を課す交通事業者は 4 割強で、残りの事業者は 5 セントや7セン
トの運賃を課してしていたが、1950 年には 65%の事業者が 10 セントの運賃を課すに至って
いる。しかし、自家用車価格や燃料費に大きな変動がなかったこのこの時期に運賃の値上げ
を行う事は公共交通のさらなる客離れを導く結果となった。
表4.自動車の小売価格(左)と公共交通運賃(右)
年
1899
1909
1919
1929
1939
1947
1955
1959
1963
小売価格
ドル
1,559
1,719
1,157
828
845
1,580
1,910
2,060
2,310
運
賃
単
位
セ
ン
ト
~4
5
6~9
10
11~14
15
16~19
20
21~
1917
1%
93%
6%
0%
0%
0%
0%
0%
0%
各年の採用事業者の割合
1930
1940
1950
1955
0%
0%
0%
0%
22%
32%
8%
<0.5%
34%
24%
7%
<0.5%
44%
44%
69%
24%
0%
0%
7%
7%
0%
0%
8%
54%
0%
0%
<0.5%
4%
0%
0%
0%
11%
0%
0%
0%
0%
1960
0%
0%
<0.5%
3%
6%
35%
4%
37%
13%
公共交通運賃は人口 2 万 5 千人以上の都市の均一区間運賃(小数点以下四捨五入)
公共交通運賃の出典: Metropolitan Transportation, Vol. 58 No.1, p33
自動車の小売価格の出典:Rae(1965)
7
Bus Transportation は 1920 年代から、1950 年代にかけて McGraw Hill 社が出版していたバス業界(都
市バス、都市間バス、スクールバス、貸切バス等)の業界雑誌である。ピークを過ぎ、車両製造や収
益の減少が明らかになった 1948 年の動向の報告記事(1949 年 2 月号)においても、バス製造は未だ過去
の水準に比べれば高い事、運賃の改定で収益の改善が図られることが強調されていた。
6
1930 年代には、総収入のうち 9 割が運営費となり、交通事業者は利益を計上することが可
能であったが、1950 年代にはその割合は 98%となり、費用をまかなうことが精一杯となった。
公共交通利用者は 1958 年には、大恐慌期を下回る 100 億人を下回る水準となった。
その後の展開、すなわち 1950 年代後半以降の都市交通の問題は、その内容が大都市と中小
規模の都市で様相を異にしている。
ニューヨークやシカゴ、フィラデルフィアといった、都市内に地下鉄や高架鉄道網を有し、
といった大都市では、利用客の減少は比較的少なく、その速度も緩やかであった。高速鉄道
(地下鉄、高架鉄道網)の利用客は 1946 年の 27 億人をピークに、1950 年には 20%減の、22.6
億人、1955 年にはさらに減少して 18.7 億人となるが、その後 1970 年代まではほぼ同じ水準
で推移する。人口 50 万人以上の大都市のバス、路面電車事業の利用客数は 1950 年では 50
億人であったものが 1960 年には約 30 億人に減少するが、1970 年の利用客数は 26 億人で、
その後の減少の割合は小さい。これらの大都市で問題になったのは、通勤客とそれ以外の利
用客との間で差異であり、ピーク時に割引運賃で集中的に乗車する通勤客の占める割合が小
さかったのに対し、オプピーク時の利用客数の減少が著しかったので、事業者は、収入の減
少と収入減にあわせて削減できない運営費用の問題に直面するようになった。
表5.都市規模ごとの公共交通利用客の推移(指数)と、総収入に対する総費用の割合
年
1950
1955
1960
1965
1970
50万人 25~50 10~25 5~10 5万人
以上 万人 万人 万人 以下
100.0 100.0 100.0 100.0 100.0
66.8
64.1
60.1
59.4
46.3
57.6
45.4
43.6
41.9
29.6
57.6
30.2
26.2
35.8
24.7
50.1
26.4
21.6
29.9
18.0
年 総費用/総収入
1945
0.89
1950
0.95
1955
0.96
1960
0.98
1965
1.01
1970
1.22
出典:都市規模ごとの公共交通利用客 Smerk(1974)
総収入に対する総費用の割合 図 1 と同じ
これに対し、より規模の小さい都市での公共交通の利用客数減少は著しく、路線の存廃の
問題に直面した。人口 25 万人から 50 万人の都市における公共交通利用客数は 1950 年に 20
億人であったものが、1960 年には 9.5 億人、1970 年には 5.6 億人に減少する。人口 25 万人
以下の都市では 1950 年から 1970 年までの 20 年間で公共交通の利用客数は 5 分の1となった。
採算の悪化にともない廃業する事業者も現われ、1954 年から 1961 年までの 7 年間に人口 5
万人以下の都市では 104 社が廃業し、このうち 68 社は代替交通手段を伴わないものであった
8
。
8
Fitch(1964) p263
7
3-3.都市公共交通と交通政策
(1)交通調整の進展
公共交通の利用者減少の原因が自家用車にあることは 1920 年代終わりごろから明らかで
あったが、政府や公共交通事業者が対応策として推進したのは高速鉄道の建設、拡充や高速
鉄道とその他の公共交通機関の連携によるサービス向上で、これを実現する手段として交通
調整が注目された。
アメリカにおける都市の交通調整は新しい概念ではなく、既に 19 世紀のボストンでは州政
府が関与した交通事業者の統合が行われていた。ただし、時期によってその性質は大きく異
なる9。1940 年代から 1960 年にかけて、アメリカの大都市では大規模な公営交通事業者が登
場するが、その構造や目的はこの 20 年間の都市公共交通の環境変化が大きく影響している。
アメリカの大都市における公共交通において、公的部門が一元的に経営を行ったのは 1920
年代のデトロイトがはじめての事例で、同時期にはボストンでも州が交通会社を実質的に保
有していたが、1940 年代にはニューヨーク、クリーブランド、シカゴでも市が公共交通運営
事業者を買収し、一元的経営を始めるようになった。大都市では地下鉄の施設を市の保有と
するケースが多く、また運賃やサービス水準についても細かい契約が結ばれていたが、公営
化が進められた理由としては、契約のもと運行を行っていた事業者の経営が困難になった事
や、複数の事業者を統合する事で効率的な経営が出来るのではないかという市政府の思惑な
どが挙げられる。
公営化は公的資金による設備投資、更新を伴うものであった。ニューヨーク市交通局は
1945 年から 1946 年にかけて 2 億 1500 万ドル、シカゴ交通局も 1959 年までに 1 億 3 千万ド
ルを駅や車両の改良に投じた。
高速鉄道の建設や、複数の交通機関の連携といった交通調整の目的は、1950 年代後半に設
立された、ロサンゼルスや、マイアミ、サンフランシスコ沿岸地区、ピッツバーグ等の交通
局はより明確であった。これらの事業者の設立目的は複数の自治体にまたがる公共交通網を
統合し、総合的な交通政策を実行する事にあった。特にサンフランシスコ沿岸やロサンゼル
スにおける交通局は、高速道路網による輸送の限界に対応し、高速鉄道網を建設する事を主
要な目的としていた10。
(2)中小規模の都市における公共交通運営
公営化が進み、近代化に対して支援が行われた大都市に比べ、中小都市では公共交通への
支援は十分に行われなかった。1920 年代、アメリカには 700 もの市街鉄道事業者が存在した
9
詳細については拙著(2007)でまとめている
1961 年 8 月の Metropolitan Transportation 誌 pp.13-17 ではこうした広域の公営交通事業体として、
18 の事業体を紹介している。この内、Delaware River Port Authority(フィラデルフィアと対岸の自治体
により 1952 年に設立)、Los Angeles Metropolitan Transit Authority(1951 年設立、1957 年より公共交通
の経営を開始)、San Francisco Bay Area Rapid Transit District(1957 年設立)などは、高速鉄道の建設をそ
の設立目的に掲げている。
10
8
が、それらのかなりは中小都市で市街鉄道を営む事業者であった。そうした事業者は、自治
体に免許使用料や除雪費用を支払ったが、そうした課税は 1930 年代に事業者が電車運行を取
りやめ、バス事業を営むようになった後も続き、事業者の経営を圧迫していた11。1950 年代
後半にはバス事業者の経営悪化に対応するために、免許使用料や課税の免除を行う都市も多
くなり、事業者の撤退に際しては、事業を継続する事業者に車両の購入費用を支援したり、
その財源の一部を増税で賄う自治体も存在した12。
4.自律運営の限界と連邦補助
4-1.都市公共交通支援に関する意識
こうした対応は、抜本的な対策には繋がらなかった。ニューヨークやシカゴの都市交通局
は、1950 年代、1960 年代を通じて継続的な赤字に悩まされた。高速鉄道についても、サンフ
ランシスコ湾岸における高速鉄道は 1972 年に実現するものの、ロサンゼルスにおける都市高
速鉄道の開業は 1990 年の事であった。
この問題の原因は、勿論都市の財政の問題も存在するが、それ以外に、1960 年代まで存在
した、自動車交通の改善に関する楽観的な見方も挙げられよう。公共交通の運営事業者や政
策担当者、及び彼らが執筆に関与した当時の公共交通に関する文献ではその重要性が強調さ
れるが、こうした見解が一般的であったかどうかについては疑問の余地がある。例えば、1962
年にアメリカ・ヨーロッパを視察した生産性会議の都市交通専門視察団は、以下のように述
べている。
高速鉄道網の充実強化についての当事者の意見に関しては、欧州とアメリカでは若干
のニュアンスの相違があることが見出された。欧州のロンドンやパリにおける地下鉄の
使命やそれに対する考え方は正しく東京や大阪のそれと同一のものと見られるが、アメ
リカの場合にあっては鉄道事業者のみが声を大にしてその重要性を唱えているような
感じで政府関係の人はそれほど重大な関心を払っていないのではないかという疑いを
もつた。アメリカの連邦及び州政府の人々の関心はむしろ道路の整備の必要性を説くの
に大童のかんじであった13。
また、都市交通の改善に関しては、政府の補助金に関しては否定的で、運賃制度の改善に
その解決策を求めた Owen(1956)の議論にみられるような14、原価主義の考え方が存在してい
11
Ficth(1964) pp.51-54
例えば、
1960 年 2 月の Modern passenger transportation 誌(Metropolitan Transportation 誌の前誌)では、
1958 年に公共交通サービスが途絶したカリフォルニア州サンタローザ市(サンフランシスコの北
100km ほどの場所に所在、人口 35000 人)で 0.01%の資産税増税を行い、中古バスを購入し、契約輸送
により公共交通サービスを再開した事を報じている。
13
都市交通専門視察団(1962) p4-p5
14
Owen の見解は、Vickrey(1955)の主張を基に、ニューヨーク地下鉄の均一運賃を取りやめ、運営費
12
9
た。アメリカにおける原価主義は、単なる自立採算ではなく、売上を公正報酬と考えられる
一定割合を除いてサービスに還元する Service at Cost のような、交通事業における過剰な利
益を抑制する考え方に基づいて行われていたが、これは、道路整備を行う事で公共交通の利
用客が減少し、一方で道路交通の混雑により社会的費用が増大するというダウンズ・トムソ
ンのパラドックスの状況下においては必ずしも正しいとはいえない。しかし、都市交通の衰
退と共に都市の衰退による課税基盤の弱体化の問題を有していた都市政府にとっては現実的
な選択肢であったといえよう。
また、中小都市においては、公共交通の利用客に偏りがみられ、公共交通の改善について
総意を求めにくい状況が既に形成されていた。中小都市の公共交通の状況に関する資料は断
片的であるが、例えば、ミシガン州のアナーバー市(1950 年代の人口約 5 万人)では、1956 年
の民間バス事業者撤退の意思表明に対し、公共交通に関するアンケート調査が行われ、利用
者を対象としたアンケートでは現状の公共交通利用者の多くが女性であることを見出し、ま
た市民全体を対象にしたアンケートでは、バスの重要性には同意する市民は多いものの、公
営化に関しては、男性では否定的で、女性は肯定的であるなど、男女で大きな意識差がある
ことなどを見出している15。公共交通事業に関しては、ロサンゼルス大都市圏における非利
用者と利用者の意識差が問題となるが、同様の傾向が中小都市では早い時期にみられた可能
性がある。アナーバー市では、長らくバス事業の経営を行っていたグレイハウンド社が撤退
した後、バス事業は断絶を伴いながらいくつかの事業者の間を転々としていき 16、その経営
は 1960 年代を通して不安定であった。
4-2.連邦補助のはじまり
1964 年都市大量輸送法とその背景
道路整備による交通問題改善への一般的な期待に対し、交通計画は早い時期から都市公共
交通の重要性を裏付ける結果を報告している。OD 調査に基づく初期の交通調査としてはシ
カゴやデトロイトの交通計画が有名であるが、1950 年代後半に行われたシカゴの交通計画で
は補助金による交通施設整備の効果が考慮され17、デトロイトの交通調査においても、公共
交通整備を前提とした調査の準備が行われていた(Hoover 1961)。1958 年の交通計画のガイド
への補助と距離に応じた運賃を課すことで、ニューヨーク地下鉄の改善が行えると言うものである。
ニューヨーク地下鉄においては、建設当初より運営費補助とは別個に資本費補助を行う事が前提とな
っていたことから、一連の主張は経済学的には限界費用価格形成の議論に近く、アメリカの都市公共
交通運営で自立採算、もしくは経済学でいう平均費用価格形成が一般的に望ましいと論じた見解と解
釈すべきかについては議論の余地があろう。
15
Transportation Institute of the University of Michigan(1956)、University of Michigan. School of Business
Administration.(1956)
16
Modern passenger transportation, 1960 Feb. pp.14-15
17
シカゴの交通計画については、Weiner (1999)他、いくつかの書籍、雑誌で紹介されているが、その
中でもChicago Area Transportation StudyのWebサイト内のドキュメントThe Chicago Area Transportation
Study Creating the First Plan (1955-1962) (http://www.catsmpo.com/pub/reports/history/cats_1954-62.pdf)の
記述は独自のインタビュー調査をもとにしたもので、包括的で有益である。
10
ブック、Better Transportation for Your City では、道路整備と共に、公共交通整備のための
調査手法やについても言及がなされている。しかし、道路と公共交通の同時整備による交通
計画を提案しても、連邦の補助を得られる道路と補助を得られない公共交通では計画の実行
に差が生じ、十分な計画の実行は実現できなかった。
こうした問題に対し、連邦レベルでの対応を求める動きは、1950 年代終わりごろから本格
化する18。1959 年にフィラデルフィアの市長のディルワースは 12 の都市と 17 の鉄道会社が
参加する会合を開き、調査委員会を設立した。この年の 12 月に公表された委員会の報告書
(Dilworth Report)では、連邦政府の補助金や、補助金の財源とするための適切な課税について
提言が行われた。その後、1960 年には、上院議員のウィリアム・ハリソンにより、連邦議会
に「広域都市圏内の交通サービスを改善するため、州、地方政府およびその他の公共機関を
補助する法案」が提出された。この法案は住宅整備法を一部改正し、都市公共交通に連邦が
総額 1 億ドルの融資を行う事ができるようにするというものであった。この法案は 1960 年の
議会では否決されるが、最終的に、1961 年住宅法のなかで、5000 万ドルの融資と 2500 万ド
ルのデモンストレーション資金を提供する事が定められた。この法案の審議中の 1961 年には、
上院商務委員会で国内交通に関する報告書(通称ドイルレポート)が作成され、法案の成立を
後押しした。
都市交通をめぐる政策的な動きはこれに留まらなかった。住宅法改正に関する一連の議論
のなかで論じられた支援額は必要とされる金額に比べ少額であり、さらなる連邦の支援が必
要と考えられたからである。ニューヨークのシンクタンクの行政管理研究所は 1961 年にアメ
リカの都市交通に関する諸問題についての報告書を提出している。これをもとにして、1962
年には連邦商務長官と住宅金融長官の連携報告が大統領に提出された。これをもとにして提
出されたのが、1962 年のケネディの交通教書であり、その中では、都市の発展を援助し、自
動車と大量輸送機関の均衡を図って都市交通の整備を行う事が強調された。
ケネディ教書の具体化を目的とした法案は 1962 年の連邦議会に上程され、上院では 1963
年に可決するが、下院での審議は連邦の地方への不必要な干渉を招く門戸である、あるいは
近代化により労働者の解雇が起こると労働者団体の反発などから難航し、法案が可決したの
は 1 年を経た 1964 年のことであった。この法律では、州や地方公共団体、もしくはその下部
機関の実施する都市公共交通の長期事業計画(路線建設、施設・車両の導入、更新などの資
本整備)に対し、総額の 3 分の 2、総額で 3 年間に 3 億 7500 万ドル(うち融資が 5000 万ド
ル)の連邦補助を行うというものである。この法案は、都市公共交通整備への資金不足に悩
18
以下の記述は Fitch(1963)に基づく。なお、工藤(1964)では、道路建設による鉄道事業衰退の問題に
関して、都市間鉄道の規制緩和や、道路への公共支出(燃料税などの利用者負担に相当する収入以外
の一般財源による道路建設の中止)の撤廃を求める報告やそれを元にした答申が 1950 年代半ばに行わ
れている事が紹介されている。規制緩和は 1958 年の州際商業法の改正として実施され、公共支出の撤
廃は、燃料税に基づくインターステート建設として結実し、どちらも都市公共交通の衰退という結果
を促進することになったが、道路と鉄道の負担均等化という考え方は、1960 年以降の連邦の都市交通
政策に大きく影響しているものと考えられる。
11
まされていた大都市の交通事業者に好評をもって受け入れられた19。
4-2.連邦による運営費補助と、道路整備と公共交通整備の連携
1964 年都市大量輸送法は、3 年間の時限立法であったが、1966 年、68 年、70 年に改正が
行われ、資本支援の規模はその都度拡大していった。1970 年の改正では、その効力は 5 年間
に延長され、援助額も 31 億ドルに増加した。10 年間の総額は約 40 億ドルにのぼる。
表6
公共交通の資本支出(単位 100 万ドル)
1965
1970
1975
地方補助
n/a
n/a
n/a
1990
1995
2000
2005
1176.9
888.2
1469.2
2716.3
州補助
n/a
n/a
n/a
資本支出
連邦補助
50.7
133.4
1287.1
696.8
1020.3
1030.5
1563.2
事業者
n/a
n/a
n/a
2872.5
3422.2
4525.6
4824.8
1366.2
2787.8
4030.9
5995.5
合計
-
-
-
6112.4
8118.5
11056.2
15099.8
事業者による資本支出には、徴税権を持つ公営事業者課
税によるもの、借り入れ、運賃収入に基づくものが含まれる
出典:1965~1975 福島(1979)をもとに作成、1990~ 表 1 に同じ
しかしながら、1960 年代を通じて、公共交通を取り巻く情勢は悪化する一方であった。前
述のように地域ごとに差異は存在するものの、全体として公共交通の利用客数は横ばいであ
り、地方政府は地方負担分の財源の調達に苦慮していた。
1974 年に成立した 1974 年都市大量輸送法はこの問題にメスを入れるべく、1980 年までの
6 年間に支出する 118 億ドルのうち、39 億ドルを運営費支出として支出する事を可能とした
(国庫による負担率は補助総額の 2 分の1)。また、資本費補助は大幅に増額されるとともに
国庫による負担率は 80%まで引き上げられた。1974 年法では道路整備と公共交通整備の連携
も強められた。この法律では道路計画と公共交通計画を連携して行う事を定められ、また、
道路信託基金からの資金流用も可能となった20。
道路と公共交通の連携については、この後の法律で拡充が進められている。道路整備に関
しては、1916 年より連邦道路支援法が制定されているが、1976 年連邦道路支援法では重要で
ない道路計画を取りやめ、公共交通計画に充当する事が認められ、さらに 1978 年の陸上交通
支援法は、ハイウェイ基金の中に公共交通勘定が設けられるなど、財源面での連携も進めら
れた。
19
20
鈴木(1965)の中で、都市交通を運営する自治体の声が紹介されている。
1974 年都市大量輸送法については、福島(1975)で詳しくまとめられている。
12
表7
1975
1980
1985
1990
1995
2000
2005
公共交通の営業収入と営業費補助(単位 100 万ドル)
事業収入
政府による運営資金
運営収
運賃収入 その他 事業者 地方
州
連邦 合計 入合計
1861
183
1106
302 1408 3451
2557
248
2611
1094 3705 6510
4575
702
5979
940 6918 12195
5891
895
5327
2971
970 9267 16053
6801
1268 1544 3981 3830
817 10172 18241
8746
2258 1959 5319 4967
994 13239 24243
10269
2290 2694 6658 7495 2303 19149 31708
運営支
出
3537
6247
12381
15742
17849
22646
30294
運営費用/
運営収入
0.98
1.04
0.98
1.02
1.02
1.07
1.05
出典:表1に同じ
5.補助政策の効果とその課題
(1)補助政策の効果
1970 年代に進んだ交通政策の連邦への介入は、1982 年以降には見直しが図られていくが、
都市交通への積極的な助成や計画や財源における自動車と公共交通の相互調整の促進(マル
チモーダル化)を促すなど、大きな変化をもたらす結果となった。
表8
1930
1940
1950
1960
1970
1980
1990
2000
公共交通の利用客数推移と人口あたり利用客数
バス
24.8
42.6
94.5
64.3
50.3
58.4
56.8
56.8
高速鉄 路面電 トロリー
道
車
バス
25.6
105.3
0.2
23.8
59.5
5.4
22.6
39.0
16.9
18.5
4.6
6.6
18.8
2.4
1.8
21.1
1.3
1.4
23.5
1.8
1.3
26.3
3.2
1.2
合計
155.9
131.3
173.0
94.0
73.3
85.7
88.0
93.6
人口
12277
13166
15069
17932
20321
22654
24870
28142
人口あたり利
用客数
127.0
99.7
114.8
52.4
36.1
37.8
35.4
33.3
出典:表1に同じ
第一の特徴は、公共交通利用客の増加である。1973 年に 46 億人まで減少したバス利用客
は、1985 年には 58 億人にまで回復した。また、サンフランシスコ湾岸鉄道や、ワシントン
の地下鉄建設など、新たな高速鉄道の建設が進んだことにより、高速鉄道の利用客も増加し、
1972 年には 17 億人であったのが 1979 年には 23 億人にまで増加している。交通技術の改良
も進められた。無人運転を行うサンフランシスコの湾岸高速鉄道のような、最新の技術を結
集させた施設が建設される一方で、既存の技術を生かし、需要に見合った交通サービスを提
供するための LRT などの計画も推進された21。
補助政策は中小都市にも大きな影響を与えた。連邦補助金は都市人口により配分されたの
21
LRT とアメリカの交通計画の関係については Weiner (1999 p59-p60)が詳しい。
13
で、公共交通利用者の少ない中小都市では、利用者の大きさに対して多額の補助金を受け取
ることができ、多くの改善施策を実施する事ができたからである。前述のミシガン州アナー
バー市では、1969 年に交通局を設置したが、1974 年には連邦に 45 両の小型バスと、11 両の
大型バス購入のために 130 万ドル(この他に州負担分が 28 万ドル、市負担分が 4 万ドル)、
運行費補助に 43 万ドルの補助の申請を計画している22。運営費補助については、1973 年に公
共交通支援のための評価額に対し 0.25%の資産税増税が認められ、160 万ドルの支援が行わ
れるようになっている(この他に連邦補助と同程度の州の支援が存在)。こうした施策により
1974 年の利用客数は年間 160 万人に増加している。アナーバー市では継続して交通サービス
の拡充が続けられ、2007 年には 540 万人を輸送し、デトロイトとの間を結ぶライトレールな
ども計画されている。
(2)公共交通の課題
しかしながら、公共交通の補助政策には課題も多い。1970 年から 2000 年の 30 年間で人口
は 1.4 倍に増加したのに対し、公共交通利用客の増加は 1.2 倍に留まっている。
表9のように、国勢調査報告の通勤手段報告は、通勤者に関しては、自動車による通勤者
は 9 割も増加したのに対し、1 割減少したとの結果を示している23。この原因としては、1970
年以降も都市の郊外化と中心都市の衰退が続いた事にある。特に、デトロイトやフィラデル
フィア、クリーブランドなどでは 1970 年以降に激しい中心都市の人口減少を記録しているが、
それに伴って通勤における公共交通利用者も減少を続けており、都市の交通事業者は既存の
交通設備の維持に苦慮している24。一方、サンベルト地域のヒューストンやロサンゼルスで
は都市中心部を含めた都市人口の増加が著しいが、十分な高速鉄道網の整備が行われておら
ず、また、公共交通利用に適した都市構造を持たないため、効率的な公共交通を整備するの
は困難な状況にある。
この問題に関して、交通学者のスマークは、ケネディ教書の中で都市構造のあり方につい
ての言及がなかった事を指摘している25。当時から公共交通の衰退の問題と都市の拡散の問
題は関連するものとして論じられていたが、ケネディ教書の中では急進的な都市構造の変革
については言及せず、現行の都市の経済活動の中での改善を提起している。都市構造の在り
方については、1970 年代以降、都市成長管理として様々な議論がなされ、都市の人口増加が
著しい、東西海岸の大都市郊外の都市など導入されている。しかし、成長管理は都市の成長
が見込める一部の地域への導入に留まり、また、適切な水準から外れた規制がなされるとの
指摘もある。
22
Ann Arbor Transportation Authority(1975)〔Ann Arbor 市立図書館所蔵〕の記述にもとづく
但し、国勢調査の通勤手段に関しては、パークアンドライド利用者などの数字を正確に反映してい
ない可能性が高い。American Public Transportation Association (2007)によれば、公共交通利用客の約 4
分の 1 は自家用車と公共交通を乗り継いで利用している。
24
フィラデルフィアでは 1990 年代に路面電車網の一部休止を行っている。
25
Smerk(1964), p304
23
14
表9
都市圏ごとの国勢調査にもとづく公共交通シェア
全米合計
1960
1970
1980
自動車
41,278,262 59,377,200 81,482,700
バス・路面電車
5,283,206
4,199,400
3,899,500
鉄道
2,476,713
2,228,000
2,066,200
徒歩
6,408,027
5,692,700
5,381,700
その他の交通機関 1,597,840
2,200,100
860,300
通勤者合計
57,044,048 73,697,400 93,690,400
総人口
179,323,175 203,211,926 226,545,805
車
72.4%
80.6%
87.0%
バス・路面電車
9.3%
5.7%
4.2%
鉄道
4.3%
3.0%
2.2%
徒歩
11.2%
7.7%
5.7%
その他
2.8%
3.0%
0.9%
主要都市(都市圏の中心都市)
自動車
ニューヨーク
公共交通
自動車
シカゴ
公共交通
自動車
フィラデルフィア
公共交通
自動車
デトロイト
公共交通
自動車
ボストン
公共交通
自動車
クリーブランド
公共交通
自動車
ロサンゼルス
公共交通
自動車
ヒューストン
公共交通
1970
32.1%
56.2%
67.7%
23.1%
69.3%
20.6%
86.4%
8.0%
71.4%
16.3%
79.2%
13.5%
87.5%
5.5%
88.5%
5.3%
1980
43.3%
44.9%
75.4%
17.9%
78.5%
14.3%
93.4%
3.4%
74.9%
15.4%
85.6%
10.4%
88.7%
6.9%
93.6%
3.1%
1990
99,585,641
3,500,009
2,320,549
4,470,437
1,004,315
110,880,951
248,709,873
89.8%
3.2%
2.1%
4.0%
0.9%
2000
112,910,424
3,281,669
2,512,348
3,759,188
1,130,837
123,594,466
281,421,906
91.4%
2.7%
2.0%
3.0%
0.9%
1990
40.7%
46.7%
78.0%
16.8%
81.5%
12.2%
95.2%
2.3%
77.9%
14.7%
89.5%
6.9%
89.0%
6.8%
92.8%
4.2%
2000
37.2%
49.9%
83.3%
12.6%
85.0%
10.3%
96.0%
1.8%
77.1%
16.0%
93.0%
4.0%
89.4%
6.8%
93.9%
3.7%
出典:US Census(Minnesota Population Center のデータベースを使用
6.まとめと今後の課題
本稿では特に 1940 年代から 1970 年代の都市公共交通に着目した。
アメリカの公共交通の衰退は、道路整備による採算悪化により 1950 年代から 1960 年代に
かけて深刻化する。公共交通の経営が深刻化する以前に、都市部の交通事業者は適切な事業
経営のために公共交通事業の公営化を進めており、設備の維持更新のために補助金の支出も
行っていたが、都市の疲弊による財源不足などからその水準は十分なものではなく、交通計
画策定にあたって適切な公共交通整備が重要である事が明らかになるにつれ、公共交通への
連邦支援が十分でない事が問題になった。いくつかの報告書が政府に提出された後、1964 年
に資本費の補助が、1974 年に運営費の補助が連邦によってなされるようになり、1970 年代後
半以降、各種の公共交通プロジェクトがなされ、公共交通の利用者の回復が図られた。大都
市においては、60 年代後半の連邦の施策は、公共交通施設の公的部門による整備・維持と施
策を補完するものであったのである。一方、大規模な交通施設を持たず、十分な公的支援の
15
行われていなかった中小都市においては、公共交通利用者ではなく人口に応じた補助金の配
分が行われた事もあり、公共交通の大規模な拡充の契機となった。しかし、これらの一連の
政策においては公共交通の利用者の原因になっている、都市構造と公共交通の問題について
は十分に考慮されておらず、今後この問題にどのように取り組むのかについての指針を示す
事が、今後のアメリカの公共交通政策の課題と考えられる。
なお、第二次世界大戦後の、都市交通と政策介入の問題に関してはアメリカ国内の研究に
おいても連邦政府の活動の分析が中心で、地方政府の活動に重点を置いた研究は少ない。本
稿は同時期の報告を中心にその実像の解明を試みたが、1960 年代までの個々の都市や交通事
業者の状況や、1980 年代以降の地方政府による運営費補助の増大の原因については不明な点
が多い。また、アメリカにおける交通政策の問題の根幹ともいえる、都市の郊外化への対応
と交通政策の関連についても、どのような議論が行われたのか検証を行う余地があろう。今
後は、個別の事業者や地方政府に対するケーススタディを深めていく事が必要であると考え
られる。
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