豊富低廉な石油供給と石油危機 - 化学工学会産学官連携センター SCE

E08A02
T.TAKASUNA
【エネルギーと技術革新】
豊富低廉な石油供給と石油危機
高砂智之
(化学工学会 SCENet)
はじめに
1900 年代中盤における中東での大規模油田の発見と開発により、世界のエネルギーの主力は
それまでの石炭から石油へと移り、わが国は中東からの豊富低廉の石油供給により石油化学工
業を中心とする重化学工業の発展と経済の高度成長をとげた。この結果、1 次エネルギー供給に
占める石油の構成比は 70%を超えるとともに、エネルギー多消費型で重厚長大型の産業構造が
実現した。一方で高度経済成長の陰とも言える公害問題が大きな社会問題として出現してきた。
1970 年代に勃発した 2 度の石油危機はエネルギー多消費構造の産業社会に大きな影響をもた
らし、戦後初の負の経済成長を経験した。2 度の石油危機の経験を踏まえて 1 次エネルギーを安
定確保し、石油の高価格時代においても経済の安定成長を果たすために、中東石油への依存度
の低減、石油代替エネルギーの導入、省エネルギーの推進、産業構造の転換などの施策に官民
を挙げて取組んだ。
本講義では戦後から 2 度の石油危機を経験した 70 年代を経由して 90 年代に到る時期に焦点
をあてて、石油供給がもたらした産業・社会への影響と 1 次エネルギー安定確保のための取り組
みについて解説する。
1.低廉豊富な石油供給による産業・経済の発展
○1950 年代までわが国の主力エネルギーは石炭であったが、中東からの豊富低廉な原油供給
により、1950 年代半ば以降、1次エネルギーの主役は石炭から石油に交代していった。わが国は
豊富低廉に供給される石油をベース
図ー1 日本の1次エネルギー供給構成比
として、世界に類例のない経済の高
%
度成長と産業の飛躍的な発展を遂
80
70
げた。
○産業の発展の中核となったものは
石油化学工業であり、製鉄、非鉄金
60
50
40
30
20
属、機械、造船なども加わって、産業
の重化学工業化が進展した。石油化
学工業の特徴は一つの出発原料か
10
0
1953 1958 1963 1968 1973 1978 1983 1988 1991
石炭
石油
天然ガス
原子力
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ら多種類の製品を生産する連産品工業であり、工場群からなるコンビナートが国内各所に誕生し
発展した。1960 年代に石油化学工業が飛躍的な発展を遂げた理由としてa.低廉な原料入手が
可能、b.生産技術、とりわけナフサ分解から生ずる各種成分をプラスチック、合成繊維、合成ゴ
ムなどに製品化する技術の進歩、c.さらにプラスチックの用途開発が進展し家庭用品、電気機器、
自動車部品などに加工する技術が開発されたことなどが挙げられる。
○わが国の経済は石油危機に至る前の15年間は年率約10%の経済成長を示した。そして、
1960 年代末には国際競争力が向上し、米、ソに次ぐ GNP 大国となった。高度経済成長を支えた
要因としてa.低廉な原料入手が可能
c.技術の進歩 d.国の経済政策 などが挙げられる。
経済の高度成長と産業の発展は完全雇用を達成し、国民の物質的生活水準を向上させるととも
に、耐久消費財の普及、食生活の西洋化など生活様式にも大きな変化をもたらした。また、石油
化学製品が衣食住の分野で在来の素材と置き換わって普及浸透した。
2.高度経済成長のひずみ
○一方、高度成長のひずみとして、産業を主発生源とする産業公害が社会問題としてクローズア
ップされてきたのは 1960 年代に入る頃からである。その対策が重要な政策課題となったのは
1960 年代後半であり、公害基本法の改正・強化、とりわけ経済の健全な発達との調和条項の削
除は 10 年以上を経た 1970 年であった。自然環境、生活環境の保全が後手にまわり、公害裁判が
今日もまだ尾を引くという深い傷跡を残した。
3.資源ナショナリズムの台頭と石油危機の勃発
○1950 年代半ばまでは中東における原油の生産、販売、価格等について国際石油資本(メジャ
ー)が独占的に支配して
図ー3 日本のエチレン生産量の推移
いたが、産油国は自国
の利益を守るために国
際的機構の設立へ動き、
1960 年 9 月 OPEC を設
(千t/年)
8000
7000
6000
立した。OPEC はメジャ
5000
ーとの間に諸協定を結
4000
び、原油公示価格の引
3000
上げ、所得税率の引上
2000
げ、産油国の事業参加
1000
などにより次第に権利を
拡大していった。そして
0
61 64 67 70 73 76 79 82 85 88 91 94 97 0
3
6
(西 暦)
1973 年 10 月第 4 次中東
戦争を契機として、イスラエルおよびイスラエルを支援する国々にたいして原油価格の値上げと生
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産削減を打ち出し、第 1 次石油危機が勃発した。また、1970 年代末にはイランのホメイニ政権の
誕生とそれに引き続くイラン・イラク戦争により石油生産が落ち込み、OPEC は原油価格を大幅に
引き上げ、所謂第 2 次石油危機が到来した。
4.高度経済成長の終焉と安定成長への模索
○わが国はエネルギー多消費型の産業構造によって高度経済成長を続け、1 次エネルギー供給
の石油依存率が 77%以上にも達していたため、石油危機の到来による影響は甚大であった。原
油価格は半年で約 3 倍に上昇し、石油関連製品にとどまらず便乗値上げによる狂乱物価が出現
した。異常なインフレ防止のための金融引締め政策による需要の減少と原燃料コストの上昇によ
り企業の経常利益は急減し、鉱工業生産も戦後最大の低下を記録した。
○石油危機後はその経験を踏まえて、緊急時における法的措置、石油備蓄体制の整備、石油の
中東依存度の低減と自主開発原油の確保、石油代替エネルギーの開発・導入、省エネルギーの
推進等を主要課題として取組んできた。その結果として官民合わせて 170 日分の石油備蓄がなさ
れ、石油代替エネルギーとして原子力、天然ガスの導入などによって 1 次エネルギーに占める石
油の構成比は約50%まで低減してきた。また、省エネルギーへの積極的な取組みにより省エネ
技術先進国となった。
○2 度に亘る石油危機によって、重化学工業の発展の基盤であった原油や一次産品の価格上昇、
設備・建設投資の伸び悩みなどから、重化学工業を中心とする経済成長に転機が訪れた。企業
は減量経営による企業体質の改善に取組み、政府は構造不況業種を指定して法的措置を講じ、
メカトロ二クスや第 3 次産業の振興により、エネルギー高価格時代における安定成長の道を官民
あげて模索した。
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