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アメリカの都市交通経営とモータリゼーション

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アメリカの都市交通経営とモータリゼーション
都市構造の変容と公共交通政策に着目して
湯川 創太郎
滋賀県立大学 環境共生システム研究センター 研究員
*
1.問題の所在
アメリカ合衆国の都市は、先進国の中でもっとも自動車への依存度が高いことで有名である
が、こうした車依存の都市交通体系は、第二次大戦以降形成されたものである。20 世紀初頭か
ら自動車の普及の度合いは高かったものの、1940 年代までのアメリカの都市交通の主役は鉄道
やバスといった公共交通にあった。しかしながら、第二次世界大戦以降、アメリカ合衆国では
自家用車の進出が急激に進み、その重要性は急激に低下するに至った。これに伴って、都市公
共交通の政策上の課題も運営企業の適切な規制や監督手法から、必要なサービスをどのように
維持・提供するかといったものに変容している。こうした政策のうち、連邦の公共交通政策に
関しては、交通計画・政策の教科書 1の中でも説明が行われており、我々の目に触れる機会も多
い。しかしながら、連邦が本格的な公共交通支援を行なう以前の 1960 年代にいたる都市公共交
通の実態や都市自治体を中心に行っていた公共交通政策については、体系的な研究が行なわれ
ていないのが現状である。
本研究の対象は、1940 年代以降の都市交通の変容と交通政策についてである。1960 年代以前
の交通政策のうち、戦前の交通政策については、拙著(2007)で分析を行ったが、その中で、ア
メリカの大都市では、第二次世界大戦以前に私企業による公共交通サービスの提供の問題に直
面した都市自治体が様々な政策を試みた事が見いだされた。こうした政策介入の結果、アメリ
カの大都市では都市公共交通の整備、運営に都市自治体が介入する事が一般的となっていたが、
それらは現代のアメリカにおける都市交通の運営組織や交通政策とどのような繋がりをもつの
であろうか。この点を明らかにする事が本研究の第一の課題である 2。
本研究のもう一つの課題は、自動車の進出に伴っておこった都市構造の変容を明らかにする
事である。都市構造と交通政策の関係については、アメリカの交通研究者の中で度々問題点と
して指摘されているが、その実態については分かりやすい例が示されていないのが現状である。
本研究では、連邦の国勢調査局が編纂している国勢調査の小地域情報などの情報を元に、モー
タリゼーションに並行して起こった都市構造の変容課程について俯瞰していく。
2.1940 年代~1960 年代のアメリカの都市交通の状況
2-1.第二次世界大戦までの動向
アメリカにおいても、1940 年代以前には都市交通の主役は路面電車であった。1880 年代の後
*
〒522-8533 滋賀県彦根市八坂町 2500 e-mail:[email protected]
例えば、Gray & Hoel(1992)、Meyer & Miller(2001)など
2
なお、わが国におけるアメリカの公共交通の衰退過程を取り扱った研究としては、20 世紀以降の道路整備や
1960 年代から 1970 年代の交通政策についてまとめた湯川(1972)や、1950 年代の通勤鉄道の問題やアムトラッ
ク成立について論じた野田(1999)が存在する。
1
半以降、1910 年までにアメリカの都市では路面電車が爆発的に普及し、1920 年代には 6 万 5
千 km の軌道と 7 万両の電車が存在し、年間 130 億人の旅客を輸送していた。路面電車の整備
に並行して、ニューヨークやシカゴなどの大都市では地下鉄や高架鉄道の建設が進められてい
る。1920 年代には路線バスの利用者も増加する。
これらを合計した都市公共交通の利用者のピークは 1920 年代後半と 1940 年代中ごろに存在
する。1920 年代は好況ではあったものの、同時に自家用車の普及が著しく、1926 年頃を境に都
市公共交通利用者は微減に転じていた。1930 年代初頭の大恐慌は自動車の普及を一時的に停滞
させたものの、公共交通利用者の減少にもつながり、1933 年には 3 割以上が減少するに至り、
その後は景気回復で若干持ち直したものの、1940 年代まで 130 億人程度の水準で推移している。
この状況に変化を与えたのは第二次世界大戦で、燃料やタイヤの配給制は利用者の増加を促す
要因となり、終戦直後の 1946 年には史上最高の 234 億人を輸送するに至っている。
表1
公共交通の利用客数推移(単位:億人/年)と人口あたり利用客数
1930年
1940年
1950年
1960年
1970年
1980年
1990年
2000年
バス
24.8
42.6
94.5
64.3
50.3
58.4
56.8
56.8
高速鉄 路面電 トロリー
道
車
バス
25.6
105.3
0.2
23.8
59.5
5.4
22.6
39.0
16.9
18.5
4.6
6.6
18.8
2.4
1.8
21.1
1.3
1.4
23.5
1.8
1.3
26.3
3.2
1.2
人口
合計 (万人)
155.9
12277
131.3
13166
173.0
15069
94.0
17932
73.3
20321
85.7
22654
88.0
24870
93.6
28142
人口あたり利
用客数(人)
127.0
99.7
114.8
52.4
36.1
37.8
35.4
33.3
出典:American Public Transportation Association(2008)
2-2.第二次世界以降の利用客の減少
第二次世界大戦期の公共交通輸送の活況は一時的なものであるが、利用客数の減少が目立つ
ようになるのは 1950 年代になってからの事である。路面電車に関しては、路面電車を公営化し
たニューヨーク市やシカゴ市で 1940 年代後半より大規模な路線撤去を行ったこともあり、1949
年には 1930 年代の水準を下回るが、公共交通全体で 1930 年代の水準を下回るのは 1955 年以降
の事である。バス車両の出荷も盛んで、1940 年代の業界紙 Bus Transportation はバス産業の発
展を楽観的に報じ3、一部の都市では、建設が進む都市内高速道路を利用したバス運行の展開を
計画した。
しかしながら、都市公共交通の問題は賃金上昇に伴う費用増加の問題から徐々に顕在化して
いく。1940 年代後半、バス事業者はコストの増加の問題に対し、運賃値上げて対応した。1945
年には 10 セントの均一運賃を課す交通事業者は 4 割強で、残りの事業者は 5 セントや7セント
の運賃を課してしていたが、1950 年には 65%の事業者が 10 セントの運賃を課すに至っている。
しかし、自家用車価格や燃料費に大きな変動がなかったこのこの時期に運賃の値上げを行う事
は公共交通の客離れを導く結果となった。1930 年代には、総収入のうち 9 割が運営費となり、
交通事業者は利益を計上することが可能であったが、1950 年代にはその割合は 98%となり、費
3
Bus Transportation は 1920 年代から、1950 年代にかけて McGraw Hill 社が出版していたバス業界(都市バス、
都市間バス、スクールバス、貸切バス等)の業界雑誌である。ピークを過ぎ、車両製造や収益の減少が明らか
になった 1948 年の動向の報告記事(1949 年 2 月号)においても、バス製造は未だ過去の水準に比べれば高い事、
運賃の改定で収益の改善が図られることが強調されていた。
用をまかなうことが精一杯となった。公共交通利用者は 1958 年には、大恐慌期を下回る 100
億人を下回る水準となった。
その後の展開、すなわち 1950 年代後半以降の都市交通の問題は、その内容が大都市と中小規
模の都市で様相を異にしている。ニューヨークやシカゴ、フィラデルフィアといった、都市内
に地下鉄や高架鉄道網を有し、といった大都市では、利用客の減少は比較的少なく、その速度
も緩やかであった。高速鉄道(地下鉄、高架鉄道網)の利用客は 1946 年の 27 億人をピークに、
1950 年には 20%減の 22.6 億人、1955 年にはさらに減少して 18.7 億人となるが、その後 1970
年代まではほぼ同じ水準で推移する。人口 50 万人以上の大都市のバス、路面電車事業の利用客
数は 1950 年では 50 億人であったものが 1960 年には約 30 億人に減少するが、1970 年の利用客
数は 26 億人で、その後の減少の割合は小さい。
これに対し、より規模の小さい都市での公共交通の利用客数減少は著しく、路線の存廃の問
題に直面した。人口 25 万人から 50 万人の都市における公共交通利用客数は 1950 年に 20 億人
であったものが、1960 年には 9.5 億人、1970 年には 5.6 億人に減少する。人口 25 万人以下の
都市では 1970 年までの 20 年間で公共交通の利用客数は 5 分の1となった。採算の悪化にとも
ない廃業する事業者も現われ、1954 年から 1961 年までの 7 年間に人口 5 万人以下の都市では
104 社が廃業し、このうち 68 社は代替交通手段を伴わないものであった 4。
2-3.自動車の状況
アメリカにおけるモータリゼーションは 1910 年代にはじまる。1920 年代には、自動車の価
格低下に伴い、個人での自家用車利用も増加する。自家用車の利用は地域によって差が存在し
たが、気候的には不利な条件に位置するシカゴ市でも 1920 年には 8 万 6 千台であった自動車が
1930 年代には 30 万台にまで増加、8.3 人に 1 人が自動車を保有し、温暖なカリフォルニア州に
位置するロサンゼルスでは 1930 年には 1.5 人が自動車を保有するに至っている。
こうした自動車交通の増大にともない、道路建設・改良のための財源整備も進められた 5。こ
れに先立ち、1920 年代に州による燃料税が導入され、これを財源とした州政府の道路の改良が
積極的に行われるようになった。また、都市における道路整備の基礎となる道路計画も、連邦
に先駆けて 1920 年代以降盛んに行われ、都市交通計画に基づく道路整備が盛んに行われた。
1930 年代前半の自動車建設や道路交通は大恐慌の影響を受け減少するが、その後の景気回復や
ニューディール政策の一環としての道路への連邦資金の支出などにより、1930 年代後半には増
加基調に転じた。自動車交通は第二次世界大戦期にはガソリンの配給制により停滞の傾向にあ
ったが、終戦後は一転して急増した。1945 年に 2500 億台マイルであった自動車の総走行距離
は、1960 年には 7000 億台マイルにまで増加している。
こうした自動車交通の増大を支えたのは道路の改良である。自動車交通の増大は、道路利用
税の税収の増大をもたらしたが、この税収は新たな道路の改良に用いられ、毎年数億ドルの資
金が道路に投じられた。その結果、道路の改良は進み、都市部における道路の舗装延長は、1945
年の 15 万マイルから、1960 年には倍の 31 万マイルにまで拡大している。1950 年代には、州際
高速道路に代表される連邦政府の道路への大規模な投資も始められ、都市への高速道路建設も
4
Fitch(1964) p263
この時期のアメリカの道路整備については今野(1959)を参考にした。連邦による道路補助金は 1916 年より行
われているが、地方部の道路の改良を目的としたものであり、1930 年代には、都市部の道路混雑が問題となっ
ている。
5
盛んに行なわれるようになった。
3.都市の郊外化と公共交通政策
3-1.国勢調査資料による都市の郊外化の検証
アメリカの都市公共交通の概況は前節で示したとおりであるが、注意すべき問題として、ア
メリカにおけるこの時期の公共交通利用客の減少の背後に、都市構造の急激な変化があったこ
とを挙げることができる。
この点を立証するために、ここでは、アメリカ国勢調査局が公表している国勢調査の小地域
統計(Census Tract6)を集計し、都市構造の変化の俯瞰を試みた。表2はその結果の要約で 1940
年と 1960 年における中規模の 5 都市圏の都市中心部(中心部から半径 5 キロ以内)とその周辺部
(都市中心部から半径 5 キロ~10 キロ圏内)の人口と 1960 年の通勤交通手段の集計を行なったも
のである7。
表2.都市中心と周辺地域の人口変化(1940 年→1960 年)と通勤交通手段(1960 年)
調査年
フィラデルフィア
デトロイト
クリーブランド
ロサンゼルス
ヒューストン
都市圏人口
(MSA)
Ⅰ都市中心部から半径5キロ以内
人口
(万人)
人口密度
(人/km2)
1940年
345万人
99.1
10563
1960年
476万人
78.6
9201
1940年
251万人
77.0
9606
1960年
395万人
54.6
6970
1940年
143万人
31.9
5318
1960年
213万人
27.5
4580
1940年
292万人
53.5
5135
1960年
674万人
45.2
4444
1940年
76万人
31.7
2533
1960年
160万人
33.0
2401
通勤交通手段
公共交通
40.4%
自動車
27.5%
Ⅱ都市中心部から半径5キロ~10キロ
人口
(万人)
人口密度
(人/km2)
80.7
6356
103.6
5734
78.5
4041
4297
31.2%
46.7%
75.3
59.7
2713
32.4%
47.6%
71.1
2924
69.4
2473
28.0%
47.8%
83.8
3925
6.7
1175
22.9%
57.9%
40.6
1004
通勤交通手段
公共交通
ⅠとⅡの人
口合計
自動車
180万人
23.1%
45.5% 182万人
22.3%
65.1% 130万人
28.1%
59.0%
16.8%
68.9% 129万人
10.5%
79.4%
156万人
92万人
96万人
122万人
38万人
73万人
注)データの欠損のため、フィラデルフィアはニュージャージー州の領域を含まない
表2の特徴として、ここで取り上げている全ての都市で、都市圏人口(MSA: Metropolitan
Statistical Areas 基準を元に算出したもの)が増加しているのに対し、都市中心部の人口は横ばい、
または減少に転じている点と、都市中心部と周辺地域の通勤時の自動車利用に差異が存在する
点を挙げる事ができる。フィラデルフィアやデトロイトでは都市圏人口が 100 万人以上も増加
しているのに対し、都心人口は 20 万人以上も減少し、都心部の人口密度も減少傾向にある。そ
の一方で、1960 年の通勤交通手段の集計では、人口が減少している都市中心部において公共交
通の利用者の割合が高く、逆に周辺部では比較的自動車の利用者が多い事が示されている。
このように、公共交通利用者の減少は、都市住民の移動手段の自動車への転換に留まらず、
公共交通網が充実していた都市中心部の人口の減少が大きく影響する問題であることに留意す
6
国勢調査調査項目を、人口 3000 人を目安にブロック化した地域単位で公表したもの。主要都市に関しては、
1940 年国勢調査から整備が進められている。ブロック化した地域形状は不定形であるものの、調査地域の規模
や公表項目は日本の国勢調査のメッシュ統計に類似するものがある。なお、本集計に用いたデータは Minnesota
Population Center の国勢調査データベース(http://www.nhgis.org)、及びそのデータベースに基いたニューヨーク
市立大学 Queens College の国勢調査情報の可視化システム Social Explorer (http://www.socialexplorer.com)の頒布
情報を元にしたものである。
7
通勤手段の集計は 1960 年調査より行なわれている。
る必要があろう。
3-2.都市公共交通と交通政策
公共交通の衰退を論ずるにあたっては、都市自治体が行なっていた公共交通政策にも留意す
る必要がある。1960 年代以降の連邦の都市交通政策に比べるとその範囲や効果で課題が多かっ
たとはいうものの、都市自治体でも自動車の増大に対応する手段としての公共交通(大量輸送
施設)整備が行なわれ、また、連邦の都市交通政策への介入にあたっては都市自治体の動向が
大きな影響を与えている。
(1)大都市の事業者の公営化と施設整備
公共交通の利用者減少の原因が自家用車にあることは 1920 年代終わりごろから明らかであ
ったが、政府や公共交通事業者が対応策として推進したのは高速鉄道の整備や高速鉄道とその
他の公共交通機関の連携によるサービス向上である。自動車の問題が顕在化する以前から、経
営効率の問題や適切な交通サービスを提供する必要性から事業者の一元化や公的介入(規制・
監督・公有化)が進められており 8、1940 年代以降の展開もその影響を受けたものであった。
1940 年代以降の大きな動きとしては、大都市の交通事業者の公営化を事を挙げる事ができる。
1940 年代にはニューヨーク(バスを除く)、クリーブランド、シカゴで公共交通の公営化が行
なわれている。大都市では地下鉄の施設を市の保有とするケースが多く、以前から公的な介入
の度合いは大きかったのであるが、事業者の経営難や、事業者を統一化の必要性が完全な公営
化を促した。公営化は公的資金による設備投資、更新を伴うもので、ニューヨーク市交通局は
1945 年から 1946 年にかけて 2 億 1500 万ドル、シカゴ交通局も 1959 年までに 1 億 3 千万ドル
を駅や車両の改良に投じている。高速鉄道の建設や、複数の交通機関の連携といった交通調整
の目的は、1950 年代後半に設立された、ロサンゼルスや、マイアミ、サンフランシスコ沿岸地
区、ピッツバーグ等の交通局はより明確であった。これらの事業者の設立目的は複数の自治体
にまたがる公共交通網を統合し、総合的な交通政策を実行する事にあった。特にサンフランシ
スコ沿岸やロサンゼルスにおける交通局は、高速道路網による輸送の限界に対応し、高速鉄道
網を建設する事を主要な目的としていた 9。
このように、1950 年代には都市の自治体レベルで様々な施策が試みられたが、こうした対応
は、抜本的な対策には繋がらなかった。ニューヨークやシカゴの都市交通局は、1950 年代、1960
年代を通じて継続的な赤字に悩まされた。高速鉄道についても、サンフランシスコ湾岸におけ
る高速鉄道は 1972 年に実現するものの、ロサンゼルスにおける都市高速鉄道の開業は 1990 年
の事であった。
(2)1960 年代の連邦公共交通政策とその背景
連邦による都市交通政策への参画にあたっても、各都市の動向が大きな影響を与えている 10。
1959 年にフィラデルフィアの市長のディルワースは 12 の都市と 17 の鉄道会社が参加する会
8
詳細については拙著(2007)でまとめている。
1961 年 8 月の Metropolitan Transportation 誌 pp.13-17 ではこうした広域の公営交通事業体として、18 の事業
体を紹介している。この内、Delaware River Port Authority(フィラデルフィアと対岸の自治体により 1952 年に設
立)、Los Angeles Metropolitan Transit Authority(1951 年設立、1957 年より公共交通の経営を開始)、San Francisco
Bay Area Rapid Transit District(1957 年設立)などは、高速鉄道の建設をその設立目的に掲げている。
10
以下の記述は Fitch(1964)に基づく。
9
合を開き、調査委員会を設立した。この年の 12 月に公表された委員会の報告書(Dilworth Report)
では、連邦政府の補助金や、補助金の財源とするための適切な課税について提言が行われた。
その後、1960 年には、上院議員のウィリアム・ハリソンにより、連邦議会に「広域都市圏内の
交通サービスを改善するため、州、地方政府およびその他の公共機関を補助する法案」が提出
された。この法案は住宅整備法を一部改正し、都市公共交通に連邦が総額 1 億ドルの融資を行
う事ができるようにするというものであった。この法案は 1960 年の議会では否決されるが、最
終的に、1961 年住宅法のなかで、5000 万ドルの融資と 2500 万ドルのデモンストレーション資
金を提供する事が定められた。この法案の審議中の 1961 年には、上院商務委員会で国内交通に
関する報告書(通称ドイルレポート)が作成され、法案の成立を後押ししている。
この法律を嚆矢として、連邦政府は都市交通政策への関与を強めていく。1962 年のケネディ
教書では、都市の発展を援助し、自動車と大量輸送機関の均衡を図って都市交通の整備を行う
事を強調され、1964 年には、都市交通に 3 年間で 3.7 億ドルの補助を行なうとする都市大量輸
送法を制定される。1974 年には運営費用をも対象とする 1974 年都市大量輸送法が制定され、
現在まで続く、連邦政府が地方政府とともに都市交通を支援する体制が確立している。
4.まとめと今後の課題
本稿では特に 1940 年代から 1960 年代の都市構造の変化と都市交通政策に着目した。
アメリカの公共交通の衰退は 1950 年代から 1960 年代にかけて深刻化し、1960 年代以降、段
階的に連邦が都市交通政策に関与するようになったが、その課程では、大都市を中心とした事
業者の公営化や、公営事業者による設備の維持更新のために補助金の支出など、不十分ながら
も都市自治体による独自の施策が見られる。また、公共交通の経営悪化の主たる要因はモータ
リゼーションであるが、モータリゼーションの要因は単なる公共交通から自動車への移転では
なく、公共交通網が充実していた都市中心部の人口の減少が関連する問題であることが示唆さ
れた。
報告当日は、紙面の都合で本予稿では触れなかった個々の都市の具体的施策や、都市の郊外
化の進行の詳細についても説明を行なっていく予定であるが、現段階では、郊外化の傾向を把
握するための地理情報の収集を行なっている都市、時期が限られており、また、事業者の経営
悪化を裏付ける個別の財務指標の収集・整理も十分ではなく、今後の研究の展開にあたっては、
分析の精緻化を進めるためのこれらの情報蓄積が課題となると考えられる。
参考文献
American Public Transportation Association(2008), 2008 Public Transportation Fact Book Part2: Historical
Tables, American Public Transportation Association
Fitch, Lyle C. et al.(1964), Urban Transportation and Public Policy, Chandler
Gray, George E. and Hoel, Lester A.(1992) Public transportation 2nd ed., Prentice Hall
今野源八郎(1959)「アメリカ道路政策の系譜」
『高速道路』2 巻 2 号-5 号、2 号 pp.12-21 4 号 pp.18-25
5 号 pp.38-51
Meyer, Michael D. and Miller, Eric J.(2001)Urban transportation planning : a decision-oriented approach,
McGraw-Hill
野田秋雄(1999)『アメリカの鉄道政策』中央経済社
湯川創太郎(2007) 「都市公共交通とガバナンス」『交通学研究』、Vol.48 、No. 3、pp.40-50.
湯川利和(1973)『都市構造の自動車化に関する研究』京都大学博士学位請求論文.〔日比野正己編、
HM 研究所出版(2000 年出版)の『湯川利和交通・都市著作集』 pp.3-356 に収録.〕
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