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R. I. P
2014.8 ─ 2015.12
唐 沢 俊 一
R. I. P 2014.8 ─ 2015.12 もくじ
2014年
ローレン・バコール(8月12日 89歳)─ ─────── 3
龍虎(8月29日 73歳)─ ────────────── 4
山口淑子(9月7日 94歳)────────────── 6
リチャード・キール(9月10日 74歳)─ ─────── 7
家弓家正(9月30日 80歳)─ ──────────── 8
江本勝(10月17日 71歳)────────────── 9
オックス・ベーカー(10月20日 80歳)─────── 11
桂小金治(11月3日 88歳)─ ─────────── 12
高倉健(11月10日 83歳)───────────── 14
2015年
ドナ・ダグラス(1月1日 82歳)────────── 16
大塚周夫(1月15日 85歳)─ ─────────── 17
レナード・ニモイ(2月27日 83歳)─ ─────── 19
松谷みよ子(2月28日 89歳)─ ────────── 21
桂米朝(3月19日 89歳)─ ──────────── 21
大塚幸代(3月30日 43歳)─ ─────────── 23
今福将雄(4月8日 94歳)───────────── 25
愛川欽也(4月15日 80歳)─ ─────────── 26
阿修羅・原(4月28日 68歳)─ ────────── 28
滝田裕介(5月3日 84歳)───────────── 29
今いくよ(5月28日 67歳)─ ─────────── 31
小泉博(5月31日 88歳)─ ──────────── 32
町村信孝(6月1日 70歳)───────────── 33
入船亭扇橋(7月10日 84歳)─ ────────── 35
セオドア・バイケル(7月21日 91歳)─ ────── 37
川崎敬三(7月21日 82歳)─ ─────────── 37
加藤武(7月31日 86歳)─ ──────────── 39
阿川弘之(8月3日 96歳)───────────── 40
花紀京(8月5日 74歳)────────────── 41
梅田佳声(8月27日 87歳)─ ─────────── 42
ジョン・ギラーミン(9月27日 89歳)─ ────── 45
橘家圓蔵(10月7日 81歳)─ ─────────── 46
白川大作(10月12日 80歳)──────────── 48
加藤治子(11月2日 92歳)─ ─────────── 49
阿藤快(11月14日 69歳)───────────── 50
北の湖敏満(11月20日 62歳)─────────── 51
松山幸次(11月21日 40歳)──────────── 52
野坂昭如(12月9日 85歳)─ ─────────── 53
装 丁 ── マドデザイン
2
2014年
ハリウッド・ビューティ ── ローレン・バコール
8月12日 ローレン・バコール死去。89歳。
クール・ビューティー
を絵に描いたような、
鋭い視線が特徴の美女。
19歳のとき
『脱出』
で共演したボガートと恋に落ちたが、
この時ボ
ギー 44歳。25歳の年の差に結婚をためらうボガートに
「たとえ数年
間でも、幸せが味わえたら儲けものじゃないか」と
『カサブランカ』
で共演したピーター・ローレが勧めて、二人は結婚。ハリウッドで
も有名なおしどり夫婦となった。
この当時のボガートのバックステージ写真を見ると、
あれ、
この映画でバコールと共演していたっ
け、
と思ってしまうものがいくつもあるほど、
どこにもバコールが写っている。
ボガートが撮影所に
呼んで、
いつでも一緒だったんだろう。
一緒に暮らせる限られた時間、
出来るだけぴったりくっつい
ていたい、
と、
これは年下の女房を持った男の本能なのかもしれない。
『アフリカの女王』
のロケにつ
いてきたときの模様を、
ヒロインのキャサリン・ヘップバーンが自伝に書いていて、
「ちょいと妬け
るわね」
と皮肉っている。
大スター中の大スター、
ボギーとの夫婦生活は楽しかったろうが、
しかしまた気疲れもしたのだろ
う。
ボガートの死後は解放されたように自由に恋愛を楽しみ、
フランク・シナトラと浮名を流した
後、
ジェイスン・ロバーズと再婚。
私の世代だと、
リアルタイムで観たのは
『オリエント急行殺人事件』
(1974)
からなんだが、
ここでの彼女の役柄、
ハバード夫人の決まり文句が
「前の主人が知ったらなんていうかしら」
というもので、
実はこれが伏線になっており、
前の主人が一人ではなかった、
とラストでポアロが指
摘する。
『キネマ旬報』
で双葉十三郎だったか、
古い映画マニアが
「バコールが
“前の主人”
というと絶対ボガートを思い出すよね」
と嬉しそうに言っていた。
二度の結婚も含め、
バコールへの楽屋オチのお遊びだったんだろう。
確か有楽町マリオン開館のときに来日していて、
東宝の仕込みだろう、
開館セレモニーのテープ
カットにも立ち会っていた。
なんか、
こういうにぎやかしの仕事がクールな美女の彼女には似合わな
くて、
ちょっとイヤな気分だったのを思い出す。
3
ハリウッド黄金時代、
われわれ日本人にとってハリウッド映画が特別な存在だった頃の雰囲気を
今に伝える貴重な存在だった。
天国で、
さて三人の男の、
誰を選ぶのかなあ。
†
角界の色男 ── 龍虎
8月29日 元力士・龍虎さん旅先で急死。73歳。
京本政樹のヒーローものOV『スカルソルジャー』
(1992)に、主
人公の仲間の、
気の弱いオカマの巨漢として出演。
この撮影時、
潮健
児のマネージャーとして撮影に同行していた私は、
控室でお話をい
ろいろ伺うことが出来た。話し上手であることに驚いたが、もとも
と力士という職業はごひいき筋へのサービスもまた仕事のひとつ
なのである。
大いに話術の勉強になったことだった。
ヤクザの親分に牛の睾丸の刺身を御馳走された話や、
モンゴル相
撲の力士を日本に連れてくる際の問題点など、
面白い話を山ほど聞いたが、
中でも印象に残ったの
は、
童貞喪失の話。
龍虎さんのそれは、
何と中学校のときだったという。
その当時から体格が大きく、
力のあった龍虎
さんは、
ある時、
新任の女性の先生が学校の不良たちにからまれているのを助けてやった。
その女先
生は、
そのお礼にと、
個人的家庭教師のように、
龍虎さんの勉強を見てくれるようになったという。
「……夏のことでねえ。家の外で花火が上がっていて、窓をあけて、二人でしばらくそれを眺めて
いたんだ。
体が自然に寄り合うだろう。
あ、
いい匂いだなあ、
これが女の人の匂いなんだなあ、
と思っ
ていたら、
畳についた手の方に妙な感触があるの。
なんだろう、
と思って見たら、
俺の小指に、
先生の
指がからまっているんだよね。
あれ、
と思っているうちに、
それが薬指になって、
中指に進んで、
人差
し指にまで来て、
え、
え、
え、
と思っているうちに、
ぐい、
と手を握られて……そこまできたら中学生だ
よ、
こらえられるわけないじゃない。
先生、って叫んで押し倒しちゃった。……ことが終わった後ね、
その先生が、
俺の胸に顔あてながら、
嬉しそうな声で言うんだ。
“鈴木くん”……俺の本名は鈴木っ
てんだけど、
“鈴木くん、
初めてだったのね”って……こっちは
“当たり前じゃねえか、
中学生だぞ”っ
てちょっとムッとしたけどな、
アハハ」
角界一の二枚目力士と言われ、
ことに花柳界からの人気は凄まじいものがあったが、
顔ばかりでな
く、
中学生のころから際立っていた侠気も、
その人気の秘密だったのではないだろうか。
実際、
現役時代の相撲ぶりも男っぽかったし、
アキレス腱を断裂させての引退も潔かった。
負傷と
の戦い続きだった相撲人生からの体験なのだろう、
4
「ものごとに執着しない」
ことを自分に課しているとのことで、
「昔
(力士時代)
のことなんか何も覚えていないよ。
優勝
(十両)
したときの賞杯だって、
ファンが欲
しいっていうからあげちゃったくらいだもん」
と言って豪快に笑っていた。
引退後のタレント業が忙しくなると、
さっさと協会を引退してしまった
のもその執着のなさの現れだろう。
唯一角界で執着したのは、
引退後の年寄名義
『放駒』
だった。
この粋な名前を引退後も名乗り続けた
い、
と相撲協会に嘆願したが、
協会はこれを認めず、
現役時代の龍虎に戻さざるを得なかった。
だが、
私はこれはタレント業に徹するにはよかったと思っている。
映画
『嗚呼!!花の応援団』
はシリーズ2作
目までが
“放駒”
、3作目が
“龍虎”
で出演しているが、
現役時代の人気を引き継げる龍虎の名前の方が
ずっと親しみがあった。
美食家で、
おしゃれで、
この撮影の年に再婚したのだが
(主演の京本政樹もこの年、
結婚している)
、
愛妻家であった。
スカルソルジャーの打ち上げで、
私の着ていた緑色のシャツを見て、
「いいシャツだねえ。
どこで買ったの?」
と聞いてきた。
センスが若いんだなあ、
と感心したのを覚えている。
再会したのは世紀が改まってから、
テレ朝のモーニングショーでコメンテーターをしていたとき、
相撲業界のスキャンダル問題でのゲスト解説者としてやってきたときだった。
生放送の番組という
のはせわしなく、
コーナーゲストは自分の出番のコーナーが終わるとそそくさと帰っていくのだが、
私はCMの間のほんの数分を縫って龍虎さんのもとに駆けつけ、
「京本さんの作品のとき、
潮健児さんについていた者です」
と挨拶した。
「あ、
あの時の! 覚えてるよ。
あれからすぐだったねえ、
潮先輩亡くなったの」
と即答してくれたのにはちょっと感動した。
そのときのコメントでは、
龍虎さんは協会の擁護に徹していた。
かつて自分が反発した団体であろ
うと、
自分を育てた業界は守らねばならぬ、
というのが、
龍虎さんならではの
“侠気”
だったのだろう。
隠蔽の体質の現れ、
という近代の倫理による糾弾とはこれは別次元の問題として、
やはり美談であろ
うと思う。
5
執着心を捨てるという、
自己に課したルールが龍虎さんの人生を実り多いものにしたことは確実
だが、その死の状況を見ると、もう少し、遅い結婚で作った家族のためにも、生に執着して欲しかっ
た、
と思うのは私ばかりでないだろう。
†
妖艶なる媚笑 ── 山口淑子
李香蘭こと山口淑子9月7日に死去。94歳。
以前、
自伝
『李香蘭 私の
半生』
を読んだとき、
そこに登場する人名のあまりの多彩さ、
華麗さ
に、頭がクラクラするのを覚えたことがある。満州国という人口国
家を建設した日本の大陸進出計画の一端である大衆撫育
(満映で甘
粕正彦がその任にあたった)は、李香蘭という存在にかかっていた
と言っていい。まさにその存在そのものが昭和秘史、といった女性
だった。
とはいえ、
李香蘭と聞いて私が真っ先に思い浮かぶのは、
山
田風太郎
『戦中派不戦日記』
の、
昭和20年1月17日の記述、
便所の臭い
がただよう極寒の映画館でスクリーン上に彼女の美貌を見たときの述懐である。
山田風太郎こと山田誠也曰く
「寒きことおびただし。
便所の臭い場内に満つ。
銀幕に媚笑のかぎりつくして歌う李香蘭を見つつ、
われ思えらく、
なんじかくのごとき場所におのれの美しき顔さらさるるを知るやと」
彼女の華麗な活躍を、
当時の日本ではこのような状況でみな、
鑑賞していたのである。
凄い美人だったとは思うが、
しかし最初に彼女主演の
『支那の夜』
を見たとき、
そのあまりの顔の大
きさに仰天したものだった。
ほとんどベティ・ブープのような三頭身に思えた。
しかし、
戦前という
時代において、
顔の大きさはスターの絶対的条件だった。
一ヌケ二スジ
(日本映画の父と言われる牧
野省三の言葉。
映画のヒットの条件は一にカメラ映り、
二に脚本という意味)
と言われたモノクロ映
画時代、
解像度の悪いフィルム上で照明を最大限に反射して美人と認識してもらうためには、
ある程
度以上の顔の面積が物理的に絶対必要条件だったのである。
山田誠也青年の見たような、
劣悪な上映
環境下でなお、
美しく銀幕の上で媚笑を送ることが出来る
“物理的条件を”
備えていたのだ。
戦後の感覚で彼女の出演映画を見ると、
だからちょっと意識の修正が必要になる。
『白夫人の妖恋』
(1956)
など、
戦前の彼女のオーラを知らないこちらから見ると、
主人公の白娘を演じる山口淑子の妖
艶さよりも、
その召使の妖精・小青役の八千草薫の小顔の可憐さの方が魅力的に思えてしまうのだ。
とはいえ、
きわめて魅力的だが、
その美しさには
“妖”
という形容がつき、
好きになった男性に命を
かけて尽くすのだが、
その結果がその男性にも、
また周囲にも、
トラブルを巻き起こすという悲しい
存在、
白娘。
まるで戦前の李香蘭と日本の関係のようだ、
と、
この映画を見ながら思ったものである。
6
今後、
本人も語らなかった新資料などが出てきて、
まさに
“彼女の時代”
であった戦前の満州国時代の
エピソードなどが公表されることを期待したい。
†
ボンドを食った男 ── リチャード・キール
9月10日『007 /私を愛したスパイ』の殺し屋ジョーズ、リチャー
ド・キール死去。74歳。文字通り、ジェームズ・ボンドを
“食って”
しまい、なんとラストでも殺されず生き残るという、007悪役史上
前例がない
(生死不明というのはあったが、あからさまに生き残る
のは彼だけ)
オチとなったキャラクターだった。
『ロンゲスト・ヤード』ではフットボールチームを結成する囚人
の一人、
『大陸横断超特急』
では
“歯並びの悪い”
ギャングの一味、
『ナ
バロンの嵐』
ではドイツ軍に協力するコザックのリーダー。
まあ、
大体役柄は固定されていたが、
テレ
ビの方では、怪物役が多い。
『事件記者コルチャック』では何と二話連続で、インディアンの呪術師
ディアブロと、
植物魔人ペレマーフィーを演じていたし、
SFドラマ史に残る名シリーズ
『トワイラ
イト・ゾーン』
では、
最高傑作とされるエピソード
『人類に供す』
で宇宙人を演じていた。
それまでも巨漢俳優というのはたくさんいたが、
いずれもただデカいだけのデクノボウ的な存在
だったものが、
彼の場合、
ちゃんと演技も出来て
(初期の役柄はやはりデクノボウ的なものが多かっ
たが)
、
ジョーズなどはノベライズでは巨体・怪力なだけの、
従来の巨漢キャラをなぞっていただけ
だった
(映画と平行で書かれたのでキールのキャラを作家が見ていなかったと思われる。
最後に殺さ
れちゃうし)
のが、
映画では怪力のうえに頭もボンド並みにいい、
というスーパーヴィランに昇格さ
れていた
(その人気をかって次作の
『ムーンレイカー』
にも出てきたが、
善玉になってあまつさえセリ
フまでしゃべるというのはやりすぎ)
。
娯楽映画というのは非日常を見せるものである。
その意味で言えば、
存在自体が非日常というか、
われわれの常識をはるかにしのぐ体躯を誇った彼のような役者は、
娯楽映画の存在を支えていた得
難い俳優であったと言える。
見世物には違いないが、
見世物を大胆に描き、
取り入れられるくらいの
パワーがないジャンルは所詮、
生き残ってはいけないのだ。
その事実を、
理屈でなく感覚でわれわれ
にわからせてくれた巨優に、
感謝と追悼を送りたい。
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