CTBT発行は実現するのか

[CTBT]
CTBT 発効は実現するのか
∼CTBT 交渉と重要なアクターとなる国の関係∼
緒方
目次
序章
序章
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
終章
隆
核実験は必要なのか
実践の「核軍縮」へ
CTBT 交渉の経過と対立点
インドの核オプション
パキスタンの核オプション
アメリカの対 CTBT 政策
通用しないアメリカの影響力
核実験は必要なのか
「核実験をしないで核兵器を管理できるか」これは、核実験モラトリアム時代に科
学者に課されたテーマである。通常、核兵器は 20 年はもつように設計されている1。
しかし、その配備中には電気機器の老朽化があり、潜水艦のものは常に振動にさらさ
れ、地下サイロのものは昼夜の温度変化によって核物質が変質する可能性がある。そ
れを安全に、いつでも使えるように管理することが求められている。老朽化の予測は
主にコンピューター計算に頼るが、それが妥当かどうかは核爆発によって検証されて
きた。核爆発は新型兵器の開発と同時に、老朽化のデータも得られるのである。その
ため核爆発の禁止は、核兵器の質的向上を制約し、実際上、新型核兵器の開発を不可
能にすると一般的に認識されている。現在までで核兵器の貯蔵量が最大となったのは、
1986 年の 7 万発といわれているが、現在でも備蓄は 3 万発といわれているほど大量の
核兵器が存在する2。冷戦が終わったにもかかわらず大量の核兵器が存在するのはなぜ
か?それは、核兵器保有国が互いに今でも「核抑止論」に依存していて、潜在的脅威
が消えないからで、この状況は、新たな核開発の誘因となっている。この論文では、
包括的核実験禁止条約(以後 CTBT と呼ぶ)の発効を目指す世界の流れの中で、これ
とは反対の立場をとっているように見られるインド・パキスタン・アメリカの動向に
注目する。また、批准をしていないアメリカが、カシミール問題によって核戦争の危
険をはらんでいるインド・パキスタンに対して核軍縮を進めるためにどのような態度
をとるべきか検証したい。
第 1 章 実践の「核軍縮」へ
米・ロ・中・英・仏の核兵器保有国による核抑止論の正当化は、核拡散の刺激とな
る可能性があるということである。カシミールの領有3をめぐって対立しているイン
ド・パキスタンのような核開発途上国は、現核兵器保有国のような発言力・影響力を
もつために、一時的な国際世論の非難を浴びてでも核実験を行なおうとする可能性が
考えられる。それに対して、米・ロ間では START(戦略兵器削減条約)ⅠおよびⅡの
合意が成され、米・ロ・仏が 1991 年から 1992 年にかけて核実験モラトリアムを主張、
英も実質的に核実験を禁止するというように、核兵器保有国では核軍縮への機運が高
まった。しかし、核疑惑国や核開発の技術をもっている国などを含めた核不拡散のた
めの手立ては存在しなかった。その点において、核不拡散条約(NPT)や包括的核実
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三田祭論文集 2002
験禁止条約(CTBT)は重要なものである。1970 年に発効した NPT は、米・ロ・英・
仏・中の核保有は認め、その他の国の保有に関しては禁じている。そのため、当然イ
ンド・パキスタン・イスラエルといった核疑惑国などは加盟していない。だが、核保
有国が不安定になる、NPT 第 6 条の「前面かつ完全な軍縮に関する条約について誠実
に交渉をする」といった約束から、大多数の非核国が加盟しているのも明るい事実で
ある。ところが、この核軍縮の世界的流れに反して、イラク・イラン・北朝鮮などへ
の核拡散が現実化し、
「水平的な核拡散」の防止が急務となった。そこで 1995 年に開
かれた NPT 再検討会議では、NPT の無期限・無条件延長を実現するため、CTBT を
成立させることが重要となったのである。
第 2 章 CTBT 交渉の経過と対立点
CTBT 交渉開始の実質的な契機となったのは、1993 年 7 月にクリントン大統領が
CTBT 実現にコミットしたことである。そして、1994 年 1 月から「普遍的かつ多国間
で効果的な検証が可能な CTBT」を交渉するための作業が始まった。同年 9 月に議長
による条約草案(ローリング・テキスト)が作成されたのだが、1995 年の NPT 再検
討延長会議を念頭に置き、米・英・仏が自国案を一部撤回するといった動きを見せ、
1995 年 5 月、NPT 無期限延長決定と同時に、CTBT の 1996 年中の交渉妥結が合意さ
れた。議長提案のローリング・テキストは 2 年にわたる交渉の後にコンセンサスが得
られたものである。このようにして、CTBT 交渉は本格化していった。交渉の主要争
点となったのは、
① 禁止される核実験の範囲
② 前文および条約の再検討
③ 国際監視制度
④ 現地査察
⑤ CTBT 機構、特に執行理事会の構成
⑥ 発効要件
であった。
①の核実験の範囲については、
「核実験を完全に禁止するのか、それとも禁止されな
い実験を残すのか」ということであった。米・ロを中心とした核保有国側は、冷戦が
終結してもなお核兵器は必要であるとし、新しい核兵器の開発はもとより、すでに配
備している核兵器の安全性・信頼性を確保するのに核爆発実験は必要であるとした。
そのため核保有国側では、低水準核爆発実験(ローイールド・テスト)を除外しよう
という動きをとった。この中でも主張が異なり、米・英両国はキログラム級、ロシア
は 10 トン、フランスは 100 トンから 200 トン、中国は1キロトンの核爆発実験の除
外を求めるといった足並みがそろわない状態であった4。核実験の定義が執拗に問題と
なったのは、特に中国が米・英両国との核兵器技術の格差固定化を警戒したからであ
った。これらの一連の対立は、核保有国と非核国の、また、核保有国の中でも技術先
進国と後発国の「二重構造」を表したものであった。しかし、1995 年 8 月、クリントン
大統領の「流体核実験」(ハイドロニュークリア・テスト)を含むすべての核実験を禁
止する「ゼロ・イールド」方針を進める決定がCTBT交渉にはずみをつけることに
なった。とりあえず現時点では、あらゆる空間での核爆発および実験的爆発を禁止す
ることとなっている。
②の前文および条約の再検討における最大の対立点は、インドが主張する「時間的
枠組みを付した核廃絶」の取り扱いであった。核軍縮、核兵器の質的向上抑止を条約
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の目的として明記したいパキスタンを中心とする非同盟諸国と、条約の目的はあくま
で核爆発禁止であり核軍縮ではない、そして、目的ではなく結果として核兵器の質的
向上を妨げられればよいとする核兵器保有国の対立は容易に解消できるものではなか
った。また、中国は核兵器の先制不使用および消極的安全保障(非核兵器保有国に対
する核兵器不使用)を前文に入れるべきであることを主張し続けた。現在、前文では
核廃絶の流れを築くための過程として核爆発実験を禁止し核兵器の質的向上、新型開
発を抑制したいとされている。
③の国際監視制度は CTBT の際立った特色でもある。これは、禁止された核実験が
行なわれたか否かを常時監視するための国際監視網を設けることである。1994 年末ま
でに地震波・放射能・水中音響・微気圧変動の採用が合意され、1995 年末までには、
専門家のレベルで世界的規模の観測ネットワークについて大体の合意が成立していた。
中国はさらに、衛星による探知および電磁波観測を追加する一方で、地下核実験でも
漏れるとされている希ガス観測については反対意見を出していた。共通の問題点とし
て、観測ステーションの設置・整備・運営の経費があったが、基本的には国連分担率
に従って締約国が分担するという合意ができている。
④の現地査察については、条約の義務に違反して核実験が行なわれたことを疑わせ
る事象が探知された場合に、現地査察が行なわれることについては合意がある。問題
はその発効条件で、アメリカを始めとする西側諸国はできる限り速やかに簡単な手続
きで開始すべきというのに対し、インド・パキスタン・中国・ロシアは国家の安全保
障・主権にかかわる重大問題であるから慎重な手続きによるべきとしている。この議
論の焦点の 1 つは、
CTBT 運用の執行機関である執行理事会による決定方式であった。
中国などは少なくとも 3 分の 2 の多数決にすべきと主張するのに対し、アメリカは理
事会全メンバーではなく、
「出席かつ投票する」メンバーの過半数と反論し妥協点は見
出せていなかった。結局 51 ヵ国中の 30 ヵ国の賛成で現地査察が実施されることとな
った。この件に関しては次章に記している。
⑤の CTBT 機構、特に執行理事会の構成は、本部をウィーンにすることは決定して
いたが理事会を何ヵ国で構成し、いかなる基準で選定するかについては各国の大きな
関心事であった。結局、理事会は 51 ヵ国で構成されることとなった。
⑥の条約発効条件は複雑な議論であった。スウェーデンが提案した「5 核兵器保有国
を含む 40 ヵ国」とする案、核兵器保有国の一部とパキスタンの支持する「5 核兵器保
有国と疑惑国(インド・パキスタン・イスラエル)の批准が絶対不可欠である」とす
る案、日・米が早期発効のために提唱した「特定されない一定数の国の批准を持って
発効とし、5核兵器保有国と3疑惑国の批准は条約外で達成すべき」という案が対立
していた。この件に関しても次章に記している。結果的には、
「5 核兵器保有国と疑惑
国を含む核開発能力のある44ヵ国の批准」となった。現在は、この 44 ヵ国のうちの
28 ヵ国を含む 56 ヵ国が批准している。
これらの対立点の妥結に向けて、交渉の進め役である核実験禁止特別委員会のラマ
カー議長に大幅な裁量権が与えられることとなったが、2002 年 7 月 15 日現在、未だ
に内容に不満を抱えるインドを始め、パキスタン・イラク・北朝鮮といった常に国際
的に話題となる国、その他数ヶ国は署名にさえ至っていないのが現状である。
第 3 章 インドの核オプション
核問題をめぐるインドの政策と外交は、歴史的にはっきりとした違いが表れている。
1993 年当時のラオ政権では、CTBT 支持をほのめかす姿勢をとっていた。また、1996
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年 3 月のジュネーヴ軍縮会議においても、
「核のオプションがインドの安全保障にどう
しても欠かせないというわけではない」とも明言するなど、かなり CTBT に好意的な
態度を表明していた5。しかし、その後の総選挙で政権に就いたヒンズー至上主義のイ
ンド人民党は、下院過半数の支持を得られず 13 日で退陣することとなるが、インドの
核武装を強硬に目指していた政府であった。そして、核兵器開発を要求するグループ
は、この政権の中で最も強硬かつ組織されたものであった。また、核兵器保有 5 カ国
と対等の立場で CTBT に調印することを望んでいた。そのため CTBT 交渉において、
インドは討議に参加し続け、核兵器保有国、特にアメリカに CTBT と核廃絶達成まで
の日程を結びつけるよう訴えた。だが、核兵器保有国のうちの中国と潜在的核保有国
のパキスタンが協力し、インド西部・東部・北西部・北東部一帯が脅威にさらされて
いるとし、インドの核オプションは制限されず、CTBT は受け入れられないという主
張をとることになる6。これは、今となっては国内核武装への一定の譲歩と見られてい
る。
次に、CTBT 交渉の内容でインドが態度を硬化させている点について論じる。ジュ
ネーヴ軍縮会議は伝統的にコンセンサスが原則であるが、厳密には全会一致の賛成で
はなく、議長が採否をする際に一国も反対がないことを示す。抗議の意味で反対者が
議場を退席することも支障はないが、インドは事実上の「拒否権」である反対を会期
中一貫して表明した。この態度を導いた 3 つの伏線を検証したい。
1 つめは、条約の発効要件についてである。前述のラマカー議長の最終案では、
「5
核兵器保有国にインド・パキスタン・イスラエルの 3 核疑惑国を含む 44 ヵ国」の署名・
批准となったが、当初は「疑惑国を含む 37 ヵ国」
、次に「国にこだわらない単純 75 ヵ
国」の批准で自動発効となっていた。単純 75 ヵ国案は、早期発効を願う日・米が支持
していた。しかし英・ロ・中の強硬な反対のため、日本の非公式折衝により最終案「44
ヵ国批准」と変わっていった。
2 つめは、現地査察の発効条件についての動きである。これに関しても米・中の交渉
が続き、結局、議長案の 51 理事国の過半数である 26 ヵ国と、中国の 3 分の 2 の 34
ヵ国案を折衷した、5 分の 3 の 30 ヵ国で合意することとなった。議長であるラマカー
は、条約の裁量権を与えられた上で「修正は行なわない」と宣言していたため、イン
ドは「なぜ現地査察については議長案の条約修正が認められて、発効条件では認めら
れないのか」という不満を抱えていた。
3 つめの動きは、1996 年 7 月 29 日の中国による地下核実験の実施である。この後、
中国は実験凍結を発表するが、インドには「核の高度化のメドが立ったため実験を凍
結する」と映っていたと考えられる。脅威を感じる中国との技術格差・査察条件にお
ける米中合意と中国の実験終了宣言は、インドを確実に不安にさせたと見ることがで
きる。
これらの 3 つの伏線は、インドの態度を硬化させるのに十分であると考えられる。
そして、
インドは 1998 年 5 月に核実験を行った。
この背景には、中国への脅威と CTBT
体制への不満があったということが容易に推測できる。
第4章 パキスタンの核オプション
「パキスタンの核開発の現状はどうなっているのか。」この章では、これについて
CTBT 交渉への対応と関連して考えてみたい。パキスタンは、2002 年 5 月現在で最大
核兵器 52 発分の核物質を保有し、
24 発から 48 発の核兵器を製造していると推測され、
核攻撃に使用可能な航空機・ミサイル技術をもっていると考えられる7。パキスタンも、
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1998 年 5 月に計 5 回の核実験を実施した。しかし、これは CTBT への不満というよ
りも、当時のシャリフ政権としてイスラムナショナリズムに根ざした国内政治的要請
と、インドの核脅威に対抗するための安全保障上の要請がその背景にあったものと考
えられる。インドの核実験後、日・米を始めとして国際社会から実験を回避するよう
要請があったものの実験に踏み切ったのは、国家安全保障上の要素をすべてに優先さ
せることを決心したと推測できる。しかし、技術的にはインドと比べて低レベルにあ
るものと見られている。なぜパキスタンはインドを意識し、インドはパキスタンを意
識するのか。それは、冷戦の終わりによってロシアにとってのインドの利用価値が減
り、アメリカにとってのパキスタン利用価値も減少したことに始まると思われる。旧
ソ連がアフガニスタンから撤退して以来、アメリカはパキスタンを通じて対ソ封じ込
めを行なう必要がなくなった。そして、アメリカは中国をけん制するためにインドと
の関係を重要視したため、パキスタンはその中国に以前よりも接近したと考えられる。
また、インドの核開発は、第一義的には中国を意識してのものであったため、パキス
タンが中国やイスラム原理主義勢力と連携を強めることに神経を尖らせていたという
背景がある。パキスタンは従来から、インドの動きによっては CTBT・NPT に加盟す
る立場を取っていたが、1998 年の核実験以降その考えを明らかにすることはなくなっ
た。また、パキスタンは頻繁にインドとの核戦争の可能性を主張している。その本音
は、カシミール地方の領有をめぐって国際社会の注目を引くところにあり、第三国の
仲介によってカシミール領有問題を自らに有利な方向に持っていきたいと考えている
ことが推測される。この状況は非常に不安定であるが、一方で、日本の GNP32,350
ドルと比較してパキスタンの GNP は 470 ドルというデータがあり、経済が極めて苦
しい状態にあることがわかる。そのため、他国からの経済援助を不可欠としており、
その額の約 80 パーセントは日本からの経済援助である8。このことから、日本の核政
策について納得はしていないものの、批判的なことを言うわけにはいかない状況であ
ることも事実である。そのため、国際社会の中でもパキスタンはインドほど強い反対
をしていない、そしてインドさえ署名・批准すれば、パキスタンも自ずと批准するだ
ろうという考えがある。
第 5 章 アメリカの対 CTBT 政策
これまで CTBT 交渉についてと、それに反対するインド・パキスタンそれぞれの状
況と立場を論じてきた。この章では、交渉をリードしてきたアメリカは CTBT をどう
考えているのかを検証したい。アメリカは現在 CTBT に関して、署名はしているもの
の批准はしていないという状態である。CTBT は、すべての核実験を禁止しているわ
けではなく、コンピューターなどを使った模擬核実験を対象からはずしている。この
点に関して、インドはアメリカを非難している。その具体的な例として挙げられるの
が「SBSS 計画」で、この計画の基本は、
「①安全性、②信頼性、③設計通りの性能発
揮」の 3 つである。この計画は、核兵器を構成している各部品群のそれぞれについて
専用のハイテク施設を使った模擬実験を行ない、それらのデータと過去 1030 回行なっ
た核実験データを合体させて、実際の核実験と同レベルのデータを得るものである。
インドは、この計画には新型開発能力があると指摘している。また、米国内のある研
究所でも、これと同じ内容を表す報告書を出している。インド・パキスタンの批准な
くして成立しない CTBT を進めるアメリカが、なぜこのような計画を実施するのか。
このことから、国内政治色の強い背景を見ることができる。アメリカ国内では共和党
右派を中心とした保守派の中で、核抑止論による核実験停止反対の主張が強い。また、
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三田祭論文集 2002
実験停止に伴う関係者の失業のアフターケアとしても、計画が利用されると考えられ
るのである。クリントン大統領は、1995 年 8 月の大統領決定指針において、
「アメリ
カの核抑止力が万一損なわれるような事態になれば、CTBT を離脱する権利を留保す
る」ことを宣言、さらに、
「CTBT 脱退となれば、議会と協議の上、直ちに核実験再開
のあらゆる手立てを講じる」ことも明確にした。このことから、SBSS 計画は政治的
判断によっては、核兵器の新型開発にいつでも移行できる能力を持っていると推測さ
れる。そして、さらに大きな影響があるのが、アメリカ自身が CTBT 批准を拒否した
ことである。2000 年 10 月 13 日の出来事であるが、当時のニューヨーク・タイムズ紙
は、
「1919 年の国際連盟設立にアメリカがなかったことと同じ」状況であると批判し、
国際連盟の柱となるはずだったアメリカが参加しなかった代償は、第二次大戦とその
犠牲によって払われたとしている。クリントン大統領は、最終的には批准すると発言
しているが、この状況が続くとどうなるのだろうか。もちろん最大の危険は南アジア、
インド・パキスタンに存在するといえる。カシミール問題について、インドのバジパ
イ首相は「カシミールはインドの領土であることを認めない限り解決はなく、第三国
が介入する問題ではない」としている。また、パキスタンのムシャラフ陸軍参謀長は、
「アメリカはカシミール問題に関して印パの対話を促進すべきである」と発言してお
り、
「カシミールに居座るインドに対して聖戦を起こすべきである」ともコメントして
いる9。カシミール地方で起きるテロ事件について、インドはパキスタンが黒幕と発言
している点を考えても両国の緊張はかつてないほど高まっている。
終章
通用しないアメリカの影響力
CTBT 交渉の中でインド・パキスタンについて重要なのは、両国とも国民の合意が
必要だと述べていることである。さらにインドは、条約の施行を邪魔しないことを表
明しているが、すべての主要国が条約に署名しない限りインドの署名はないと表明し
ている。アメリカ上院で批准が否決されたことは、インドの国民感情にマイナスに働
いたともコメントしている。アメリカにとって、インド・パキスタンは繊維産業での
貿易相手国としても重要であるため、CTBT を批准した場合でも条約違反に対して経
済制裁を課しにくい状況にある。ましてやそれ以前に、アメリカが批准を拒否してい
る中でインド・パキスタンを説得することは不可能である。また、イラク・イラン・
北朝鮮といった潜在的開発国へ実験停止の働きかけを行なう必要もある。中国は、署
名をした事実を考えると核技術に関して先進国との格差をかなり縮小した技術を持っ
たと推測できる。自発的に核実験を中断してはいるが、批准されそうにない情勢とな
れば、新しい技術、たとえばアメリカ・ロシアのようなシミュレーション実験を持つ
ための技術を実験したいと考えるのは当然だと思われる。ロシアに関しては、批准延
期によって現地査察も行なわれないことから、秘密裏に地下核実験を行なうのではな
いであろうか。アメリカの批准拒否は、これだけの大きな悪影響を及ぼす可能性を容
易に想像させる。クリントン大統領は、CTBT 批准獲得によって核軍縮を進め、ノー
ベル平和賞を目指していたという話もあるが、アイゼンハワー政権以来、党を超えて
進めようとした安全な世界を目指すために、国内反対勢力の説得から始めなければな
らない。また、インド・パキスタンの CTBT に対する強硬な態度を変えるには、両国
の懸案事項となっているカシミール問題を解決すべきではないだろうか。カシミール
は、インド・パキスタンも解決する能力は有している。しかし、一方でどちらかが滅
びることになる危険も持っている問題である。1998 年に相次いで核実験を行なったわ
けだが、実験後の世界への影響を両国は予想できなかったわけではない。現にインド
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の核実験後、日本はパキスタンに実験を見合わせるよう説得にあたった。それでも実
験を強行したことから、インド・パキスタンは核兵器を持つことの責任感に欠けてい
るのではないかと考えられる。インドもパキスタンも問題を解決しようという考えは
持っているが、妥協しようという意思はない。その点が、両者の解決に向けての会談
を拒ませている。アメリカは、仲介人として、また、国際連合の管轄下にある軍隊に
アメリカ軍を派遣するといった形での介入を求められているのではない。対インド関
係を重視していたアメリカだが、同時多発テロ事件以降、パキスタンへの再接近へと
変化した。これは、対テロ軍事作戦を成功させるにはパキスタンの支援協力が不可欠
であったからである。パキスタンは、見返りとして 38 億ドルにものぼる対アメリカ債
務の削減ないし免除、繊維関連の対アメリカ輸出促進への協力、軍備近代化への協力、
カシミール問題解決への介入を求めた。しかし、繊維の輸出促進はアメリカ国内の反
発、インドから同様の要求が出ることを警戒して無条件に受け入れられる公算は低く、
軍備近代化はインドへの配慮から実現の可能性は低い。同時多発テロ事件以降アメリ
カ−パキスタン関係は緊密化しつつある。そのため、印パ関係改善の道はカシミール
問題以外における問題へのアメリカの介入ではないだろうか。現在最も必要なのは、
対パキスタンと同様に対インド関係におけるアメリカの信頼である。そして、アメリ
カはカシミール内に存在する印パ両派のテロの壊滅を役割として担うべきであると考
える。パキスタンは、インドとの対立が解消すれば核兵器を放棄するだろうし、イン
ドは、それによってパキスタンとつながっていた中国の脅威もなくなり核廃絶に応じ
ると考えられる。
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朝日新聞大阪本社「核」取材班『核兵器廃絶への道』朝日新聞社、1995 年、p.70
新聞赤旗 2002 年 5 月 2 日
インド亜大陸の北西端の地名。インドとパキスタンの係争地で、中国・アフガニスタンと接して
いる。1947 年のインド・パキスタン分離独立時、住民の 77%はイスラム教徒で、ヒンドゥー教徒
は 20%に過ぎなかったが、ヒンドゥー教徒の藩王がインドへの帰属を表明した。それに対して、ギ
ルギット付近一帯の住民はパキスタンへの帰属を主張して反旗を翻した。反乱軍を指導したのはギ
ルギットの有力者ババール・カーンで、藩王に対しパキスタンへの帰属を要求、カシミールを舞台
とする印パ戦争へと発展した。
『世界週報』1996 年 10 月 8 日号
『世界週報』1996 年 9 月 3 日号
同上
新聞赤旗 2002 年 5 月 12 日
http://stocksaurus.hp.infoseek.co.jp/keizaiennjyo.html
NEWSWEEK 2000.3.22
【参考文献】
森本敏『安全保障論』PHP 出版、2000 年
T.T.POULOSE『THE CTBT AND THE RISE OF NUCLEAR NATIONALISM IN INDIA』
Lancers Books,1969
黒沢満『核軍縮と国際平和』有斐閣、1999 年
河井智康『核実験は何をもたらすか∼核大国アメリカの良心を問う∼』新日本出版、1998 年
朝日新聞大阪本社「核」取材班『核兵器廃絶への道』朝日新聞社、1995 年
『軍縮問題資料』2000 年 1 月号
『外交フォーラム』1996 年
『世界週報』1996 年
新聞赤旗 2002 年 5 月 2 日、7 月 22 日
NEWSWEEK、1999.10.20、2000.3.22
小山謹二「CTBT:核爆発実験検証システムの現状と課題」
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三田祭論文集 2002
The Heritage Foundation
http://stocksaurus.hp.infoseek.co.jp/keizaiennjyo.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/ctbt/
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