おかあさんになるということ 〆田祐奈 みなさんは「どうして子どもを産み

おかあさんになるということ
〆田祐奈
みなさんは「どうして子どもを産み、育てるのか?」と言うことを考えたことがありますか?「子ど
もを産み、育てること」は自然の流れであり当たり前のことだから、こんなことを考える私はおかしい
のでしょうか?こんな事を考えるようになったのは、ある出来事からです。ある日の夕方、私は母とウ
ォーキングを兼ねてレンタルDVDを返しに行きました。そして隣のコンビニで飲み物を買い、レジに
並んでいると、幼稚園に入るか入らないかくらいの女の子とその子のお兄ちゃんと思われる小学校低学
年くらいの兄妹が、私の後ろに並びました。その2人は私がお店に入った後に2人仲良く、慣れた様子
でお店の中に入ってきたので、
「お母さんは一緒じゃあないのかな」と、気になってその子たちを、私は
目で追いかけていました。2人は迷うことなく奥の陳列棚に向かい、カップラ―メンを一つずつ持ち、
「早く、早く」と言いながらレジに並んだのでした。私は清算を済ませ外で待っていた母と歩き始める
と、さっきの幼い兄妹が出てきて、車の中で待っていた母親らしき人の車に乗り込み、走り去って行き
ました。その車に乗っていた女の人は、私より少し年上な感じで、俗に言う「ヤンママ」風。軽のワン
ボックスカーで車内に、ジャラジャラとアクセサリーを飾り、思わず母と私は顔を見合わせ「なんか暑
苦しい車だね」という話から、私は母に、その車に乗り込んだ兄妹の話をしました。そして「今日の夕
食はカップラーメン?それだけなのかな~?」と思ってしまいました。人を見た目で判断してはいけな
いけど、「あの兄妹、ちゃんとご飯食べているのかな」と気になってしまいました。
私が初めてカップラーメンを食べたのは、小学校6年生の時でした。それもたまたま母が体調を崩し
、急きょ、食べたという感じで、それまではカップラーメンを食べたことがありませんでした。その時
は、初めてのカップラーメンで「おいしい!」と思ったのですが、新製品が出るたびCMを見てもさほ
ど食べたいとは思いませんでした。
「やっぱり、お母さんのご飯がいい」と思いました。
もうひとつ、こんなことがありました。街を歩いている時、ちょうどパチンコ屋の前を通りかかった
時、これもまた小学校の低学年くらいの子ども2人が、パチンコ屋の扉の前をぴょんぴょん跳ねていた
のです。
「何をしているのか?」不思議に思い横目でしばらく見ていると、ちょうど子どもの目線の高さ
のところまでスモークが貼られており,子どもたちはジャンプして中を覗いていたのでした。すると、
母親らしき人が出てきて、開口一番「すって気分が悪いんだから、近寄らんといて!じゃま!」と、子
どもたちに言ったのです。私は目がテンになってしまいました。でも、子ども達は無邪気に母親の周り
を「お腹すいたよ~」と走り回っていたのです。時間は午後の2時。
「この子たちは、ずっと母親を待っ
ていたのだろうか」私は、しばらくその親子を見つめてしまいました。その時「なぜ、あなたは子ども
を産んだの?」と、聞いてみたくなりました。ちょうど同じころ、相次ぐ子どもへの虐待、育児放棄に
関する事件が取りざたされ、そしてこんな光景を見たから余計に「何のために子どもを産むの?」と考
えるようになったのです。名古屋では中央(昭和区)と西部(中川区)の両児童相談所での児童虐待の
相談件数が1,029件と過去最高で、特にネグレクト(育児放棄)は447件でトップだったと発表
がありました。私が見た人達が虐待をしているという訳ではありません。ただ、
「どうして子ども達にそ
んなことできるの?」
、
「少し間違えば虐待につながってしまうのでは…」と感じたから…
「母性」って何ですか?「母性」があるから子どもを産み育てられるとか、「母性」に欠けるからこ
うなったとか言いますがそもそも「母性」って何ですか?調べてみると「母性」とは、女性が持ってい
るとされている母親としての本能や性質、
「母性本能」は、広義にはある種の生物の母親が普遍的にもつ
繁殖に関わる行動を引き起こす本能、狭義には未熟な状態で誕生し一定年齢に達するまで保護者の養育
なしに生存出来ない生物の雌親にみられる養育の行動・存在するとみなされる本能。と難しい定義があ
りました。私の母は以前、看護師をしていました。そして学生の時の卒業論文で「母性」を取り上げた
そうです。母の結論はこうです。
「母性」とは、ホルモンによる作用も関係している。例えばオキシトシ
ンというホルモンが乳首を吸われることで分泌され、母親に幸福感を与え、主に脳下垂体で生産・分泌
されるベブチドホルモンが乳腺を発育・促進し母性行動を誘導させることがさまざまな動物で確認され
ているが、
それだけではない。子どもに乳を与えたりおしめをかえたりするなど育児行動をすることで、
ホルモンが分泌されそれに伴って、子どもに触れる、見つめる、話しかける、あやす、子どもの声を聞
く、泣き声に耳を傾けるなどいわゆる、五感を使うことや子どもとの関わりの中で備わったとされてい
る「母性」
「母性本能」が養われていくものであり子どもを産んだ途端に誰もが「母性」が溢れてくるも
のではないということを実習を通し学び、そういう結論に達したそうです。
また、「母性崩壊」の著書林道義氏の本の中にも、育児をするためには多くの学習が必要である。な
んの学習もなくいきなり育児をするのは無免許運転に等しい、乳幼児を育てるためには前持って学んで
おかなければならない事がたくさんある。例えば乳児を扱うときの注意、育児についての知識、子ども
の知識など学習無しにいきなり子どもが生まれてしまったら生まれる前と後では生活ががらりと変わり、
予期しなかった事態に「こんなはずではなかった」と戸惑ってしまうと…私も同感でした。
こういうことは家庭教育ではもちろんですが、学校教育においてももう少し学びの場を設けてもいい
のではないかと思います。ゆとり教育が失敗だとか色々言われる今日この頃、勉強も大事だけどもっと
「子どもを育てる」と言うことにも目を向けてもいいのではないでしょうか?今でこそ少しずつ中学生
が赤ちゃんと触れ合う場所を、ということで中学校で体験の場を設けたりしていますが保育園に行った
り、子どもをもっと知る機会があるといいなと思いました。我が家は割と親戚との交流が多く、何かあ
ればよく集まります。そして子どもたちも多く集まるので一人っ子の私にはいい経験です。だからでし
ょうか?私は一人っ子なのに友達から、
「兄弟が多そう」と言われます。今年の夏、1歳と5歳の子のベ
ビーシッターをしました。女の子だから大人しいかなと思いきや下の子はじっとしていないし、上の子
は理屈をこねるはで、私はイライラ続きでしたが、手を変え品を変えで「こちらがやりやすくなるため
にはどうしたらいいか」を考えながら子ども達に接していたら、なんと!上手くこちらの思いに乗って
くれやりやすくなったのです。「子どもって面倒臭い」と思ったり「かわいい」と思ったり色々ですが、
自分次第で相手も変わるんだなと思いました。子育て中はゆとりもなくなり「かぁー!!」となってし
まうかもしれませんが今、経験しておくのは、やはり、大事なことではないかと思います。そして先ほ
ど述べた林氏が言うように「出産」や「保育」についての正しい知識を学ぶ「母性教育」が必要だと思
いました。林氏は思春期と出産前後が望ましいと述べています。私もそう思います。母にも私を育てる
時どうだったかを聞いてみました。母は「自分は小児科に勤めていたから知識はあったが、いざわが子
を育てるとなると、ただの人になってしまった」と笑っていました。でも、今のお母さんを見ていると
本当に子どものことを知らな過ぎるような気がするということでした。だから私には出来る限り小さい
子どもと触れ合ったり、
「生きる力・生きていく力」を身につけさせたいと父とそういう想いで子育てを
してきたそうです。
子どもを産み、育てることは様々な側面があると思います。産む前の知識イコール性教育、子どもを
育てるための母性教育、そして生きる力となる食育など。もちろんこれだけではないかもしれません。
生きていくためには人との関わりなど学ぶことがいっぱいあると思いますが、もっと活発に思春期の間
にも啓発活動があったらいいと思います。ひとりでも多くの子ども達が幸せに育てられるためにも…子
どもを産み・育てることは人として自然な流れだと思うけれどもやはり、きちんと考えて育ててあげた
い。子どもを産む・育てることの意味を考えてほしい。今の私に何ができるかは分からないけど、将来
的には自分も「お母さん」になりたいし呼ばれたい。私の母はおっちょこちょいでとても母のようにな
りたいとはとは言えないけど、母がしてくれたように私も自分の子どもに接したいと思います。そのた
めにも今、自分のやれることを考え精一杯頑張りたいと思います。明日の未来を作る若者を見守って下
さい。
*参考文献の表記は省略します。