新ヒラリ ズム 7 の6 陽羅 義光 奉仕する 君はプ ロレ スを見 たか。 テレビ やビ デオな どで見 るので はな く 、ナマで 見た か。 プロレ スは ボクシ ングの 、 〈百倍〉 感動す る。 誇張で はな い。 ボクシ ング は、正 真正銘 の格闘 競技 で ある。 プロレ スは 、正真 正銘で はない 格闘 競 技である 。 従って 、プ ロレス にあっ て、ボ クシ ン グにない もの は、 〈奉仕精 神〉 である 。 プロレ スは 本質的 に、こ の、 〈奉仕精 神〉 で成り 立って い る。 プロレ スも 血を見 る。 昨今は 、 『鉄条網 デス マッチ 』とか 、 『蛍光灯 デス マッチ 』とか 、 血腥い プロ グラム が多い 。 だが、 ここ で流さ れる血 は、 ボクシ ン グで流さ れる 血と異 なり、 殺伐 としたも ので はない 。 血まみ れに なるレ スラー は、ほ とん ど マゾであ る。 自分が 血ま みれに なるこ とに よって 、 観客にサ ービ スして いるの であ る。 だから とい って、勝 つ(と 決まっ た方 は)、恰好の いいポ ジシ ョンの み を担うの では ない。 負ける (と 決まっ た方に )徹 底的に や られなが らも 、よう やく最 後に 勝つので ある 。 お互い が傷 つ きな がら、 観客に サー ビ スする。 いわば 、肉 体によ る、見 事な、 〈芝居〉 を観 ている 感があ る。 感動す るの は、そ れだけ ではな い。 さっき 、 「正真正 銘で はない 」とい ったが 、 「正真正 銘」 の技は かける し、チ ョッ プ も肘打ち も、 「正真正 銘」 である 。 だから 、痛 いし、 首や胸 が、真 っ赤 に 腫れあが る。 わざと 、相 手の急 所を狙 わない だけ で ある。 プロレ スで 急所を やった ら、死 ぬ。 そのた め、 やる方 もやら れる方 も、 細 心の注意 を払 う。 じっさ い、 どちら かのミ スで、 死者 も でている 。 逆に、 ボク シング は、当 然相 手 の急 所 を狙う。 むろん 、急 所とい っても 、下腹 部の こ とではな い。 だから 、ボ クシン グは、 野蛮だ 。 だから 、プ ロレス は、紳 士的で ある 。 野蛮に 感動 するの は、野 蛮人だ けだ 。 「嘘か真 か」 と問わ れれ ば、ボ クシン グは、 「真」で あり 、プロ レスは 、 「嘘」で ある 。 「嘘」だ から 、感動 するの は、小 説や 映 画と同じ 次元 の話だ 。 太宰治 が、 【小説の 基本 は奉仕 だ】 てなこ とを いった が、こ れは以 上の 理 由による 、だ ろう。 だろう 、と いうの は、太 宰治 のこと だ から、な んと なく裏 があり そう なためだ 。 ナマで 観る プロ レ スは、 小説 や映画 よ りも、や はり 、ナマ で観る 芝居 によく似 てい る。 芝居も 観客 に対す る、 〈奉仕精 神〉 が本質 的に在 る。 芝居も プロ レスも 台本が ある。 芝居は 、九 分九厘 、台本 通りに いく が 、プロレ スは 五分五 分だ。 なぜな ら、 芝居は 観客が 騒いで 、主 人 公に対し て、 「あの悪 党を 一発殴 れ」 とは叫 ばな いが、 プロレ スはそ れが あ るからで ある 。 結果、 一発 やって しまう からで ある 。 台本は あっ ても、 なにせ 、プロ レス ラ ーは、 〈奉仕精 神〉 のかた まりだ から。 芝居は 芝居 でも、 声援、 野次、 おか ま いなしの 大衆 演劇に 似て い る。 「嘘」と いう より、 じつは 、小説 と同 じ く、 「虚実皮 膜」 なのだ 。 君はプ ロレ スを見 たか。 テレビ やビ デオな どで見 るので はな く 、ナマで 見た か。 プロレ スは ボクシ ングの 、 〈百倍〉 感動す る。 慈善家 パッ キャオ と金の 亡者 メイウ ェ ザーの、 ボク シング の試合 のチ ケットに 、何 千万も 払うと いう観 客の 気 持ちがわ から ない。 たぶん 阿呆 なんだ ろう。 それに 較べ れば、 プロレ スのチ ケッ ト はタダ同 然だ 。 加えて 、芸 術活動 に携わ る者 にとっ て は、大き な示 唆すら 与えて くれ る場合が ある 。 場合、と いう のは、君 が鈍け れ ば駄 目だ し、たまた ま観 たプロ レスが 、 スター気 取り のプロ レスラ ーの集 団だ っ たら、駄 目だ からで ある。
© Copyright 2024 Paperzz