雨の多い街ユージーン

フォーラム理科教育 No.1
1999
雨の多い街ユージーン
−オレゴンからの報告−
田中里志
*
京都教育大学 理学科地学教室 [email protected]
キーワード:ユージーン、オレゴン、在外研究員
( 受 付 け : 1 9 9 9 年 5 月 6 日)
1998 年 12 月 1 日よりオレゴン大学(University of Oregon)にある地質科学教
室の古生物学研究室に文部省の在外研究員として籍を置いている(図 1)。今,4
カ月になるこちらでの生活を振り返り「オレゴンからの報告」としてここに記すこ
とにする。
オレゴン大学はオレゴン州の西部に位置する Eugene(ユージーン)市という小
さな田舎街にある。あまりなじみがない街の名だが,オレゴン州では Portland(ポ
ートランド)に次いで大きな街である。街の名が“ユージーン”として最初に歴史
に刻まれたのは 1852 年で,その当時の有力者 Eugene Franklin Skinner という
人物の名にちなんでいる。したがってこの街の歴史は意外と古く市制 150 年にな
ろうとしている。そもそも北海道と同程度の緯度に位置するオレゴン州は,アメリ
カ大陸の西海岸沿いにあるにも関わらず雨が多い土地として有名である。中でもこ
の地ユージーンは,街ができた当初から“ Skinner’s Mud Hole”(スキナーの泥
穴「ぬかるみ」)というニックネームで呼ばれるほど雨と水に悩まされていたとい
う。地形的には,コロンビア川の支流としてオレゴン州を南北に縦断する
Willamette 川の氾濫原上に発達する街で,雨による氾濫洪水が頻発していたこと
が容易に想像できる。そんなところからもこの名が付けられたことがうかがえる。
ポートランド(あるいはシアトル)とユージーンを往復する飛行機からはちょうど
Willamette 川沿いの低地帯を眼下に見下ろすことができる。赤茶けた大地には蛇
がはった跡を思わせるような幾筋もの河道痕が縦横無尽に走っている。歴史的にい
かに河川が蛇行を繰り返し,その流れを変化させ暴れまくっていたかが河川の痕跡
として手に取るように分かる。ここでは,むやみに山林の開発や河川の整備が進め
られていないため自然の状態で流れている川の様子をいたるところで目にできる。
冷たい雨が降り続く冬から春にかけてのこの時期,ユージーンを流れる Willamette
川は生活面近くまで水かさを増し,その濁流は今にもすべてのものを飲み込みそう
な勢いである。河川増水の注意を呼びかける速報がたびたび聞かれるのである。
ちなみに“ mud hole”には「小さな田舎街」という別の意味もあり,スキナー
の「小さな田舎街」と「泥穴(ぬかるみ)」の両者のことばの意味がかけられてい
たのかもしれない。
ユージーンの人口はおよそ12万人で,小さくまとまった街は1∼2日もあれば
その主なところは廻れてしまう。アメリカではごく一般的だが,南北の通りは人名・
地名を,東西の通りは1から始まる数字を使い,碁盤目状に刻まれた街は辻名でそ
の場所を示す事が多い。京都に暮らす我々にはなじみ深いところである。オレゴン
大学はこの街のほぼ中央に位置し,まさに大学を中心とした街の造りであることが
分かる。それもそのはずで,大学は街がつくられて間もなくした,1876 年に
「University of Oregon」として産声をあげている。ちょうど京都教育大学が師範
学校として創立した頃と時を同じくしている。現在の建物は,そのほとんどが新し
く建て替えられたものだが,すべてのビルが赤煉瓦で統一され,針葉樹の自然をそ
のまま生かした緑の中にしっくりととけ込んでいる。外見は真新しい大学そのもの
だが,学内に無数にある木々はしっかりと根をおろし,その1本1本の巨木が 120
年の歴史を物語っている。
オレゴン大学は,全米に30校ある公立大学(全米大学協会のメンバー校)の1
つとしても知られている。1998 年現在,学生数はおよそ 17,000 人で,アメリカ
の大学では珍しくないが,学部に相当するものは School あるいは College と呼ば
れている。日本でいう学部(Faculty)よりやや大きな枠組みでくくられたものだ。
この大学には,College of Arts and Sciences,School of Architecture and Allied
Arts,School of Law,Charles H. Lundquist College of Business ,School of
Journalism and Communication,School of Music ,College of Education ,
Graduate School,UO Library System などがその主たるものである。私が所属
する地質科学科(Department of Geological Sciences)は,College of Arts and
Sciences(教養・科学教育)の中にあり,オレゴン大学の構成メンバーの半数以上
がここに所属するという。
地質科学教室は,「 Volcanology」と「 Cascade」という名が付けられた2つの
建物のなかにおさまっている。 Volcanology(ボルカノロジー)は直訳すれば「火
山学」だが,さしずめ火山学教室とでもいえよう。この火山学教室は他の地質学分
野とは独立して存在している。それもそのはずで,意外と知られていないことにオ
レゴン州の中軸部をはしるカスケード山脈の山々は活火山ということだ。世界の至
る所で火山灰の影響がモニタリングされたセントヘレンズ火山の爆発は我々の記憶
に新しいところだが,この山もカスケード山脈の一連山である。このように火山と
オレゴンの人々の生活は昔から切っても切りはなせない関係にあり,火山学のみが
地質学の中でも独立して存在している所以がそこにあるのかもしれない。したがっ
て,火山地質学ならびに関連する岩石学を専門とする研究者が Volcanology の建
物に研究室を構えている(図 2)。
一方,Cascade(カスケード)を直訳すれば「連続した滝」だが,カスケード山
脈がその名の由来になっているのはいうまでもない。ここ Cascade の3階建ての
建物には,堆積学,古生物学,地盤地質学,構造地質学,地球物理学など火山地質
学・岩石学を除く地球科学の各講座が置かれている。まさに連続した滝のごとく3
階から1階までに,それぞれ関連した分野の研究者がそれぞれが孤立することなく
関連を持たせて研究室の配置がなされている(図 3)。
地質科学教室のスタッフは,17名の教授・助教授,2人の助手,2人の実験技
官からなる。また,学部学生向けの実験・実習の大半はティーチング・アシスタン
トである大学院生が担当しているので,研究室に在籍するすべての者が何らかのか
たちで学部学生の指導にあたっているといえる。
私が席を置く部屋は Cascade の建物の3階にある。窓の外には年輪を感じさせ
るメタセコイアの木が大きく枝をはりこちらをじっと見ているのである。半世紀程
前に中国でその生存が確認された化石メタセコイアは,その当時アメリカ合衆国へ
100 株持ち込まれた。その子孫が全世界に瞬く間に広まったといわれており,京都
教育大学の西門近くに立つメタセコイアの並木もその流れをくんでいる。その当時,
中国から持ち込まれたうちの1本の若株が,時を経てじっとたたずみこちらを見て
いるこの老木なのである(図 4)。そのメタセコイアの隣には音をたてて流れ落ち
る階段状の滝が作られていて,建物に入る前にその迫力が目にとまる。ちょうど滝
の流れに導かれて降り立ったところが Cascade の入り口になっている。一歩建物
の中へ入ると,贅沢に使われているオレゴンの自然にまず驚く。いたるところに木
目を生かした「木」が使われている。とかく理科系の建物は,“ 四角い箱で基本
設計に属する施設的で冷ややかなもの”というイメージが強いが,およそ理系の建
物とは想像できない温かさがそこにはある。
各研究室は高い天井とゆったりとした空間で,そのスペースの広さに再び驚かさ
れる。教員一人あたりの学部学生・大学院生数も働きかけて少なく押さえられてお
り,それに加えて実験室として使用できる部屋の多さも手伝い,各講座はゆったり
とした研究空間が保証されている。一見自宅のドアを思わせるようなデザインが施
されたその向こうには,どこの地質教室にもある設備がぎっしりと詰まっている。
ちょうど,じゅうたんが敷き詰められた応接室に実験器具,分析機器が備え付けら
れているかのようである。その空間のギャップが何とも不思議である。
研究費が無いのは何処も同じで,この大学も例外ではないようだ。いかに多くの
研究費を捻出するかも業績の一つとして大きく評価されるアメリカでは,科研費や
一般助成金への申請は日常的に行われている。その採択率は個人によって異なるの
は当然であるが,助成金の絶対数が日本と比較してはるかに多いことは研究条件の
根本的な違いであろう。また,応用研究に力をいれるのはどこの世界でも同じだが,
それと同程度に基礎研究に惜しみなく助成がなされている現状は,好景気にわくア
メリカを反映しているのだろうか,それとも学問に対する基本的な考え方の違いな
のだろうか。いずれにしても日本では,「地質学」の看板を掲げる大学がどんどん
減少し影をひそめつつある今日だけに,よけいに隣の芝が青く見えるのである。と
にかく個人研究を継続する上で研究費の問題は世界共通の悩みの種のようである。
建物の中が常にきれいに保たれているのは気持ちの良いことである。廊下の展示
物は別として,地質科学の建物であるにも関わらず,岩石サンプルやハンマー,廊
下にところ狭しとはみ出したサンプルケースなどどこにも見あたらない。これは,
長年そのような中で生活してきた私の偏見に満ちたものであるが,何となく落ち着
かないというのが本音のところだ。それはさておき,建物の中ではゴミ箱の多さが
目につく。1カ所に3∼5個のゴミ箱は当たり前で,どれに何を入れるかは厳しく
決められている。とにかく徹底的にゴミを分別しリサイクルしているのである。例
えば,研究室や事務室で出されるゴミに関しては,白色紙,有色紙,ダンポール系
の紙,新聞紙とに分け,飲料水の容器は,ペットボトル,アルミ缶,ビンとそれ以
外にそれぞれ分別される。すべてがリサイクルのゴミとして引き取られるという。
この徹底ぶりは,一般家庭で出されるゴミに対しても同じだ。家庭ゴミは,その量
にもよるが1カ月 10 ドルほどで業者に回収を委託している。その際,家庭ゴミと
一緒にリサイクルゴミを分別して出すと(その分別法は細かく厳しく決められてい
るが),1回につき 1.5 ドル返ってくる仕組みになっている。1カ月4回のゴミ回
収があるとすると,家庭ゴミに関しては差し引き4ドルほどの実費がかかることに
なる。これが高いか安いかは別としても,「ゴミを出せばお金がかかる」というこ
とから,ゴミの問題(環境問題)を一人一人が考えるきっかけになっているのは確
かなようである。その成果か,生活の中では極力ゴミを出さないのが習慣化されて
いる。どこで,どれ程の買い物をしても尋ねられるのは「袋は必要か?」である。
「無駄に袋を渡さない,貰わない」,「過剰に包装しない,望まない」が基本にあ
るようだ。日本でもかつてはそうであったが,いつからだろうか「買い物かご」を
下げて歩く人を見かけなくなった。逆に,そのような物を店内に持ち込もうものな
ら怪しい目で見られてしまうかもしれない。
とにかく,リサイクルできる土壌がしっかりできているのは羨ましい限りである。
日本での一般家庭ゴミは現在のところ無料で回収が行われているが,多少とも出費
を覚悟してしっかり分別し,ゴミの問題を各自が考える土壌を養う必要があるので
はないだろうか。もっとも,リサイクルできる社会環境を整えるのが先決なのはい
うまでもないが。いずれにしても日本ではまだまだ越えなければならないハードル
が多いようである。対照的に,アメリカでは今日もリサイクルゴミを回収する専用
トラックが学内,学外をあっちへこっちへと走り回っている。
さて,大学では様々なかたちで研究交流が行われている。例えば,個々の最新の
研究状況は,事務室前に並べられた論文別刷を見れば一目瞭然であるとともに,講
座毎の公共の場所に貼ってある研究ポスターを見てもよい。ポスターの前に人が集
まれば即座に討論が始まり,著者が立ち会えばなおさら議論が沸騰する。大学院生
にもそのスペースが割り振られていて全く同じスタイルでやっている。それぞれの
ポスターにそれぞれの個性が凝縮されているといっても過言ではない。また,毎週
金曜日の午後には地質科学教室全体の談話会がもたれている。中心となるのは研究
者による研究講演だが,それが全米から皆の興味のある研究者を招いて行っている
から驚きである。毎週のことゆえコーディネーターはさぞかし大変なことだろう。
およそ2カ月先までの予定が決まっているので好みの内容だけをつまみ食いするこ
とも可能である。それ以外にも毎週どこかの講座で研究講演会がもたれておりその
興味は尽きることがない。
山手にはまだ雪があり山間部の地質調査に出かけるには雪解けを待つしか手が
ない。逆に,西部域にはまったく雪が無く,車で2時間も走るとオレゴン海岸(ア
メリカ西海岸)に出る。風光明媚な海岸地形をつくっているのは,地質時代の第三
紀中新世に形成された堆積岩と火山岩である。美しい海岸線を誇るオレゴンだけに
季節がよければ申し分ない景観が堪能できるだろう。そんなオレゴン海岸へ地層見
学に行ったのは先日のことである。学部学生の野外実習に潜り込んで行ったのだが,
その日はいうまでもなく雨の天気。海岸沿いに出ると海から吹き付ける風雨もいっ
そう強まり,荒々しいうねりと波しぶきに頭の先から爪先まで塩漬けとなったので
あった。この季節に台風など到来するはずもないのだが,実習前日に「当日台風だ
ったら実習を延期する」との連絡を受けた。もちろん台風ではなかったが,台風並
の悪天候であった。この時期のオレゴン海岸はちょうど冬の日本海を思わせる荒々
しさがあり,前日の連絡はどうやら「この天候を覚悟しろ」というものだったよう
だ。
ユージーンは寒さこそないが,尚も雨が降る毎日が続いている。土地の低いとこ
ろでは十分すぎるほどぬかるみ,“ Skinner’s Mud Hole”のニックネームが思い
出される。そんな中での大学までの道,地面からは青々とした新しい芽が次々と顔
をのぞかせ,木々のつぼみの膨らみも一段と大きくなってきている。確実に次の季
節がそこまで来ている。まだ経験したことのないユージーンでの春・夏・秋に多少
の不安もあるが,それ以上にさまざまな期待が私の中で膨らんでいく。
1999 年 3 月
ユージーン・オレゴンにて
(*現在、オレゴン大学地質科学教室に滞在)
<Address of Geological Sciences>
Department of Geological Sciences, 1272 University of Oregon, Eugene, OR 97403-1272,
USA
<Website of Geological Sciences>
http://darkwing.uoregon.edu/~dogsci/