<グローカルの眼(48)> イランの核開発問題(2) 小倉英敬 本誌7月号

<グローカルの眼(48)>
イランの核開発問題(2)
小倉英敬
本誌7月号において、6月6日に国連安保理常任理事国5カ国及びドイツが作成したイ
「見返り包括提案」がイランに手渡されたことを報告したが、今回はその後の経緯を踏ま
えて、イラン核開発問題の現状を整理しておきたい。
一.国連安保理の対イラン制裁警告決議
「包括提案」を受け取ったイランのアフマディネジャド大統領は、6月21日に同国中
西部のマハダンで行った演説の中で、「8月22日までに回答する」と述べた。これに対し
て、ブッシュ米大統領は同日、ウィーンで行われた米EU首脳会談後の記者会見において、
「理にかなった提案を分析するのには長すぎる。それほど時間をかけるべきではない」と
述べ、イラン側の対応を批判した。イラン側が回答期限を先延ばしにすることで、濃縮継
続を模索するための時間稼ぎをしているとの判断があったと思われる。
他方、イラン国内では、6月25日、最高指導者であるハメネイ師が、重要な外交政策
の協議機関として「外交戦略会議」の設置を命じ、ハラジ前外相を議長に、シャリアトマ
ダリ前商業相やシャムハニ前国防相ら改革派のハタミ前政権時代の主要閣僚を含む5人を
任命した。イランの憲法上の外交政策の最高意思決定機関は、大統領が議長で、核問題の
交渉責任者であるラリジャニ氏が事務局長として実権を握る「最高安全保障委員会」であ
るが、
「外交戦略会議」の設置は穏健派を主要メンバーとすることで、米欧との対立を深め
るアフマディネジャド大統領を牽制する目的があるものと見られた。
イラン側が回答期限を先延ばししようとする姿勢を示したことを受け、安保理常任理事
国5カ国とドイツは、7月12日の会合において、安保理協議を再開して対イラン決議の
採択を図ることで合意した。特にアメリカと英仏独の西欧3カ国は、強制力をもつ決議を
採択することで、イランに濃縮活動停止を強く求め、イランが従わない場合は経済制裁に
踏み切ることを目指した。他方、アフマディネジャド大統領は、安保理協議の再開を決定
した6カ国の合意について、同13日「安保理を恐れることはない」と述べ、回答時期を
前倒しする考えはないことを強調し、さらに「イランは交渉で問題を解決しようとしてい
る。相手側にもそうしたアプローチが必要だ」と述べ、制裁への動きを牽制した。
7月18日、安保理協議が再開され、英仏独の3カ国が対イラン制裁警告決議案を提出
した。3カ国が提出した原案には「国連憲章第7章39条と40条に基づいて」イランに
対して核関連活動の停止を求めるものであったが、中国とロシアが「武力行使への道を開
く可能性がある」として、どのような措置をとるかを定めた39条の削除を要求したため、
制裁に至る前段階の暫定措置とする40条だけにとどめることで合意に達し、7月31日
決議案が採択された。決議は、
「IAEAが要求する(ウラン濃縮)停止を義務づけるため、
国連憲章第7章40条に基づいて行動する。
(中略)IAEA事務局長に対して8月31日
までに、イランが核関連活動の停止やIAEA理事会の要求に講じたか否かの報告を求め
る。
(中略)イランが当決議に応じない場合、国連憲章第7章41条に基づき、適切な措置
を採択する」と記載されていた。
これに対してイラン側は、8月1日ラヒム・モシャイ副大統領が朝日新聞記者との会見
において、
「包括提案は自動的に無効になった」との認識を示すとともに「決議採択によっ
て欧州自身が提案を無効にしたとも言える」と指摘した(『朝日新聞』8月2日付け)。こ
うして事態は、イランがウラン濃縮の停止に応じるか、応じない場合に経済制裁措置が講
じられるのかに焦点が絞られていった。
二、イランの存在感
イランが、強硬姿勢を堅持したことの背景には、国内情勢が影響していることも一因で
あるが、一方で中東地域においてイランの存在感が強まりつつあるという事情もある。特
にレバノン情勢とイラク情勢に関連したイランの影響力である。
レバノン情勢に関しては、7月12日にレバノンのシーア派の武装集団であるヒズボラ
が、イスラエル軍車両を襲撃してイスラエル兵3人を殺害し、2名を拉致したことに発し
て、翌13日にイスラエルがベイルート空港空爆を端緒にレバノン侵攻を行った。イスラ
エルは、レバノン南部を早期に制圧することでヒズボラの孤立化を図ろうとしたが、ヒズ
ボラの強力な抵抗にあって目的を達成できずにレバノン情勢が泥沼化した。イスラエルの
思惑が崩れた要因の一つとしては、同じシーア派のアマルに加えて、従来ヒズボラとは敵
対関係にあった保守系のキリスト教マロン派までもがヒズボラの闘争を支持し、レバノ
ン・ナショナリズムを覚醒させたためとも言われる。
8月11日に国連安保理において、双方に「敵対行動の全面停止の即時実行を求める」
とのレバノン決議が採択され、同13日にレバノン、イスラエルの両国が停戦受諾を決定
し、翌14日午前8時(現地時間)に停戦が発効した。しかし、その後もイスラエルによ
る停戦違反の攻撃が繰り返されている。このような状況の中で、ヒズボラの結成以来、ヒ
ズボラを支援し続けているイランの存在感が強まった。
また、治安情勢が悪化しているイラク情勢においてもイランの存在感が強まっている。
9月1日にアメリカ国防総省が公開した議会向けの報告書に拠れば、爆弾事件や宗派間対
立で発生したイラク人の死者が今年6-8月には前期比で51%増におよび、発生件数も1
5%増えており、国防総省は「内戦につながりかねない状況が存在する」と分析している。
四半期ごとに提出される報告書では、これまでイラク治安情勢の改善ぶりが強調されてき
たが、今やアメリカ軍でさえ「内戦に突入する可能性がある」と認めるまでに悪化してい
る。アメリカ軍兵士の死者も9月2日に2600人を越えた。特に宗派間の対立による衝
突が首都バグダッドで過去最悪になっていると指摘されている。このような宗派間対立が
悪化する中で、シーア派に影響力を有するイランの存在感が際立ってきている。
こうして昨今のレバノンとイラクの情勢が、域内大国としてのイランの影響力の大きさ
を再認識させる結果となっており、後述の通り、9月2-3日にアナン国連事務総長が4
年ぶりにイランを訪問し、核開発問題だけでなくレバノン情勢に関してもイランの協力を
要請している。
三.イランの回答
8月6日、核問題交渉の最高責任者であるラリジャニ最高安全保障委員会事務局長が記
者会見し、国連安保理が採択した対イラン制裁警告決議について、「NPT(核不拡散条約)
に基づく我々の権利を奪うもので、受け入れることはできない」と述べ、拒否した。ウラ
ン濃縮活動に関しても、遠心分離器を増設して濃縮活動を拡大することもありうることを
明らかにし、さらにイランに制裁を科すなら、「我々は彼らが痛みを感じるような方法で対
応する」と述べ、報復行動に出ることも示唆した。
イラン側が「包括提案」への回答期限とした8月22日の前日である21日、イラン国
営テレビは、同日ハメネイ師が「核計画を力強く推進することを決定した」と述べ、ウラ
ン濃縮活動の停止を行わないことを明言したと報じた。国政の最終権限を持ち、大統領以
上の権威を有するハメネイ師が回答期限前に言明したことでイランの対応は明らかになっ
た。
8月22日、ラリジャニ最高安全保障委員会事務局長が、アメリカを除く安保理常任理
事国4カ国とドイツ、およびイランにおけるアメリカの利益代表であるスイスの外交使節
団と会見し、
「包括提案」に対する回答を手渡した。内容は公表されなかったが、「包括提
案」の曖昧さを指摘した上で、交渉継続の意思を示すものの、ウラン濃縮活動の停止には
応じない内容であると推測された。イラン側が曖昧としている点は、
「包括提案」は「途上
国の技術拡張の権利を認めたNPTの規定について言及が回避されている」ことである。
イラン側としては、NPT規定の解釈論議などを通じて交渉に入り、ウラン濃縮を温存す
る構えだと見られる。
これに対し、8月26日ボルトン米国連大使は、ウラン濃縮活動停止の期限である8月
31日の後に、イラン指導者の渡航禁止や資産凍結を含む制裁決議案を国連安保理に提案
する予定であると述べるとともに、国連安保理が制裁を打ち出せない場合には、資産凍結
や貿易制限など対イラン制裁で有志連合をつくる用意があると言明し、中国とロシアが制
裁決議案を受け入れない場合には、国連の枠外で対イラン制裁を実施する可能性を示唆し
た。
そして8月31日、エルバラダイIAEA事務局長は、イラン核問題に関する報告書を
国連安保理とIAEA理事国に提出したが、その中でイランがウラン濃縮関連活動を停止
していないことを確認するとともに、イランが安保理決議を拒否したことを明確にした。
同報告書に拠れば、イランは中部ナタンズの施設にある遠心分離器164基を連結した「カ
スケード」と呼ばれる濃縮装置に原料の6フッ化ウランを注入、8月24日から濃縮を再
開した。これまで6月6日―8日、同月23日―7月8日にも濃縮を実施し、注入量は6
キロであった。また、遠心分離器164基の第2「カスケード」がほぼ完成し、イラン側
は試運転を開始するとIAEAに通告している。また報告書は、遠心分離器3000基を
設置する予定のナタンズの地下施設に対する査察官の立ち入りを8月前半に拒否したなど、
IAEAへの協力を交代させている実態にも触れた。
このような報告書の内容を裏書するかのように、期限切れ直前の8月末にイラン高官の
強硬発言が繰り返されていた。8月25日、訪日中のハタミ前大統領が東京で講演し、「交
渉によって解決すべきだ」と述べ、アメリカを中心とする制裁論議を牽制した。翌8月2
6日、アフマディネジャド大統領が西部アラクに建設中であった重水製造施設完成式典に
出席し、
「何者も核の平和利用の権利を奪えない。科学的進歩を阻むことはできない」と述
べた。重水製造施設の稼動は、核技術開発の既成事実化を進めるイランの姿勢をより鮮明
にした。8月27日にはラリジャニ最高安全保障委員会事務局長が「核燃料の生産はイラ
ンの戦略目標である。この目標を断念させることは不可能である」と述べた。
そして、8月29日、アフマディネジャド大統領は大統領府において行われた記者会見
で、
「イランは脅しや不当な要求には屈しない。我々には核の平和利用の権利がある」と述
べ、さらに「米英が紛争と抑圧の根源である。安保理は米英が自らの決定を押し付けてい
るに過ぎない」と米英を批判、
「いかなるシナリオにも対処できる」と強硬姿勢を示した上
で、米欧諸国に核問題での交渉再開を改めて求めた。またブッシュ大統領に対し、「テレビ
討論の場を持ち、現在の危機を克服する方法について意見を交換したい」と述べた。
四、イランの思惑
このような膠着した状況を打破すべく、9月2日にアナン国連事務総長がイランを訪問
した。同日アナン事務総長はモッタキ外相、ラフサンジャニ最高評議会議長、ラリジャニ
最高安全保障委員会事務局長と会談し、3日にアフマディネジャド大統領と会談した。ア
ナン事務総長は会談の中で、核開発問題とともに、レバノン情勢に関する停戦決議への協
力を要請し、ラフマディネジャド大統領は全面的な協力を約束したが、ヒズボラへの武器
提供停止といった具体的な表明には至らなかった。他方核開発問題に関しては、同大統領
は「交渉の継続が最善の選択肢である」とし、「交渉に入る前にウラン濃縮停止はない」と
ウラン濃縮活動の停止は受け入れられないとの立場を繰り返した。
こうして事態は、イランが望むようにウラン濃縮停止を前提としない交渉再開が図られ
るのか、アメリカを中心とした経済制裁への道へと進むのか、暗礁に乗り上げた感がある。
中国とロシアが制裁決議案に反対する可能性が強いことから、「有志連合」による制裁発動
という可能性が急激に浮上してきた。日本政府に対しても、
「有志連合」への参加が求めら
れている。
では、イランの思惑はどの辺にあるのだろうか?
ウラン濃縮活動に関しては、戦術的
には活動停止を前提としない条件での交渉再開を目指し、特にアメリカとの直接対話を実
現して、それを通じて平和利用を目的とした核開発を認めさせることを狙っていることが
確実である。したがって、それが実現するまでは、例え経済制裁が実施されようとも妥協
する可能性は少ないと見るべきだろう。また、アメリカ軍がすでに準備を完了している一
部関連施設に対する空爆についても、それを恐れていないとの指摘もある。9月3日、孫
崎防衛大教授・元駐イラン大使は、政治報道番組「サンデー・モーニング」のインタビュ
ーに対して、イランは空爆が実行されると、それを国民団結の契機になると考え、これを
恐れていないと指摘している。空爆説が流れて以来のここ半年間のイランの姿勢を鑑みる
と、このような可能性も考慮すべきだろう。
注目すべきは、先記の8月29日に行われたアフマディネジャド大統領の発言である。
同大統領は、
「米英が紛争と抑圧の根源である」と述べており、米英中心の国際秩序に対す
る不信感を表明している。7月30日に、反米的姿勢を強めているベネズエラのチャベス
大統領がイランを訪問してアフマディネジャド大統領と会見し、核開発問題に関するイラ
ンの姿勢への支持を表明している。さらに9月14日、非同盟諸国首脳会議が開催される
キューバのハバナに到着した直後の記者会見で、チャベス大統領はイランに対する侵略計
画があるなどと指摘して、イランへの支援をあらためて表明した。同日にはアフマディネ
ジャド大統領もハバナに到着している。キューバで開催される非同盟諸国首脳会議で、公
正さを欠いた現在の国際秩序に対する批判が噴出することが予想される。一方アメリカは、
8月30日に1997年7月の最初の未臨界核実験以来23回目で、ブッシュ政権下では
10回目となる未臨界核実験「ユニコーン」をネバダ実験場で実施している。アメリカな
どの大国が核兵器を保有する一方で、イランなどの平和利用を目的とした核開発を、核武
装化の可能性が否定できないとして許そうとはしない。このような不公正な国際秩序に対
する不満が生じることは当然である。アフマディネジャド大統領が、チャベス大統領が提
起している国際システムの再編に同調する姿勢に傾いていることが推測される。
また、国内的には、穏健派のハタミ前大統領も、またアフマディネジャド大統領の強硬
姿勢を牽制する立場にあるとされるハマネイ師も、アフマディネジャド大統領とほぼ完全
に歩調を合わせており、穏健派と強硬派を分断しようとする米英の意図は奏功していない。
このような内外情勢を考慮すれば、イランはたとえ経済制裁措置がとられようと現在の
姿勢を変更する可能性は少ないと思われる。日本が、安易に米欧諸国に同調するのではな
く、ましてやアメリカが推進しつつある「有志連合」に加担することなく、米英離れが進
行して大きく変化しつつある国際社会の実態を十分に認識して、これまでイランとの間に
築いてきた良好な関係を継続してゆくためにも、アメリカにイランとの直接交渉に応じる
よう説得すべきである。日本がそのような姿勢をとるのではなく、「有志連合」に加わるの
であれば、イラク戦争に続いて、日本は中東諸国の信頼をさらに失うことになろう。
(9月
15日記)