第十講座 講義録

哲学入門(倫理観中心) by渡辺華月
第十講座
[本講座]デカルトの真理観
(10A~10H)
[プラス講座]デカルトが説く理性と情念
(10I)
(ホームページ「せたなべ哲学」でも
講義用スライドが見れます。)
今日は「我思うゆえに我あり」のデカルト
の話だ。数学や科学にも関心が強く、座標
という考えを見出したと言われている。
大学教育には失望し、個人的に思索・著作
活動を続けた人らしい。
そうなのか。僕は大学教育に失望はしな
いけど、高校までと比べて自由過ぎるこ
とに少し戸惑う。大丈夫なのかって。
デカルトにとってはたぶん当時の大学の
学問の内容が古くさくて、大学では探究心
が満たされなかったのかもね。
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[10A]ルネサンスを支えた中世の大学
十二世紀以降、ヨーロッパ全域での
物資・人・知的遺産の交流が盛んと
なり、ネットワークの広がりに対応
した学問の集積や都市秩序構築のた
めの法整備が急務となる。
主として北欧からの放浪学者たちで
結 成 す る 学 生 団 (羅 universitas)が
イタリアで教師を雇用したのが大学
成立の母体となる。
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[10Aその2] ルネサンスを支えた「大学」
印刷術がなかった十二、三世紀まで
は旅人自身が広範囲の情報や知識を
伝える「メディア」であった。
神聖ローマ帝国の皇帝や教皇は学問
振興のために「学生団」とその教師に
「大学」としての特許を与え権利を保
護した(ボローニャ大学の始まり)。
大学は定まった建物をもたず、修道院
や有志が提供する施設を拠点とした 。
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イタリアのボローニャ大学
1350年頃当時の講義風景
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[10Aその3] ルネサンスを支えた「大学」
法学中心で出発し、医学も重んじる
ことになったボローニャ大学(1158
~)と神学中心で出発し、学芸諸学
(文法・修辞学・弁証術・算術・幾何学・
天文学・音楽)も重んじたパリ大学
(1231年~)を皮切りにヨーロッパ全
域に大学が設立。学生団、大学組織は
他大学や他拠点に移動が可能。権威に
束縛されにくい学問の自由があった。
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[10B]大学組織の確立と官僚化
【十三世紀頃の標準的学部組織】
上位学部
哲学部 神学を
神学 部・法学 部・医学 部 学ぶ前の予備学。
アリストテレス中心。
↑
下位学部 ないし 基礎課程(学芸学部)
文法・修辞学・弁証術(論理学)・算術
幾何学・天文学・音楽理論
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[10Bその2] 大学組織の確立と官僚化
十四世紀は、キリスト教中心の官僚制
整備が進む。大学は国や教会の優秀な
官僚を育てる役割がメインとなる。
大学への公的財政支援により、学部
組織が安定する反面、移動は制限さ
れ、カリキュラムも固定的になる。
印刷術が発達すると、新たな知的刺激
を求める人は大学から離れ、文筆業や
私的研究機関(アカデミー)に向かう。
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ルネ・デカルト[1596-1650]
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[10C]さすらうデカルト
フランス地方大学の学問では自然科
学、機械学への関心が満たされず、
「世間という大きな書物」に学ぼうと
デカルトは20歳より、西欧各地を旅
する。オランダで軍事アカデミー的
軍隊(数学的科学の軍事利用を学ぶ)
に属したり、ドイツで兵として戦争
に参加することもあった。最終的に
1628年以降、オランダを拠点とする。
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デカルトは 1628~49年 の間オランダ
で哲学活動を続けた。「人々はおの
おのの利益を一心に心がけている
ので、私は一生誰とも会わずに暮ら
していけるほどである。」
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[10D★]デカルトの「知恵の木」
[根]形而上学(哲学)→目には見え
ない不変の存在(神・精神・明白な
概念等)を扱う。
[幹]自然学→宇宙・地球、物体的な
もの、個々の生物の本性を調べる。
[枝](1)医学 (2)機械学
(3)道 徳 → 他 の 諸 学 の 完 全 な 認 識
を前提とする窮極の知恵であると
ころの、最高かつ最完全な道徳
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デカルトの知恵の木
完全な道徳
医学
機械学
自然学(自然物の本性を探求)
形而上学(神・精神についての学)
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当時のヨーロッパの大学には自然科学や
機械工学等の学部はなかったみたいだけ
ど、デカルトはそれを重要だと考えたん
だね。法学や神学はどう考えたのかな?
デカルトは大学では法学生だったけど、
彼が求める知恵の中心から法学は外れ
た。他にも歴史等、解釈者の主観が入る
のは物語であっても学問でないとした。
神は信仰するものであり、学問の対象では
ないと考えたみたい。すべての学が道徳を
目的とするというのは共感できるな。
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[10E]デカルトの仮の道徳
完全な道徳へと至る間も、当面は、
仮の道徳方針(=仮住居に喩える)
を立てて生きなければならない。
(1)自国の法律・習慣・宗教・最も中
庸を得た人の意見に従う。
(2)疑わしい意見でも、いったんそ
れをとると決めたら、それに従って
きっぱりやり抜く。
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[10Eその2]
デカルトの仮の道徳
(3)運命や世界の秩序を変えようと
するより、自己にうちかち、自分の
欲望を変えることに努める。我々の
自由になるものは我々の思惟だけ
であり、それ以外の外的な物は最善
をつくしてなお獲得できない時は
それへの欲望を消去(=ストア派的)。
一方、自然法則の理解による 、人間
の技術による自然支配は認める。
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[10F★] デカルトの方法的懐疑↓
確実な真理を見出すため「当然」と
思われることも含め一切を疑う。
☆「物体の存在」の感覚は明らかに生じ
ているが、感覚は誤ることがある。
☆我々に最も明白に見えることに
おいてさえ、 いつでも思い違いを
するように、神が我々を創造した
かも知れないので、数学的証明等
確実に見えることも疑わしい。
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[10G★]一切を疑っても疑いえない
「考える我」の存在(我思う ゆえに 我あり)
✎一切を虚偽であると考えようと欲
するかぎり、そのように考えている
「私」は必然的に何ものかであらねば
ならぬことに気づいた。「我思う、ゆ
えに我あり」との真理がきわめて確
実であって、これを哲学の第一原理
として、ためらうことなく受け取る
ことができる、と私は判断した。
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[10H]「考える我」がもつ「神観念」から
神の存在証明~理性の正しさの保証
不完全な私が完全な神の観念をど
こから得たのか。最も完全なものが
最も不完全なものからの帰結であ
ることはありえない。神の観念は、
あらゆる完全性をそなえたあるも
の、すなわち神なる本性によって、
私のうちに注入されたのであると
しか考えられない。
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[10Hその2]
神の存在と理性の正しさ
神から我々に与えられた理性で (あ い
ま い さ を 残 さ ず ) 明晰判明に認識をする
かぎり、 (数学的論理的な) 我々の認識は
真である。
物体の存在証明 → 感覚が我々の意
志や承認に関わりなく、外からの因果
作用を受けることから、我々の外に何
らかの物体が存在することは明らか
である。
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[10Hその3] 神の存在と理性の正しさ
感覚が示すところに従って、我々は
物体の存在を信ずるが、感覚が物の
真実の姿を示すわけではない。
堅さ、重さ等感覚に現れる性質は
物体の本性としては不確かである。
知性が教える物体の本性はただ単
に延長の内にある(=空間的に広が
っている)ということのみである。
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[10Hその4★ ] 神の存在と理性の正しさ
神から我々に与えられた理性に基
づき明晰判明に認識することだけ
を、肯定または否定する場合には、
間違いは起こらない。
しかし或ることを正しく認識しな
いにも拘わらず、それについて判
断する場合のみ、間違いが起こる。
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デカルトは座標を用いた幾何学の
先駆者。直線を関数的に定義↓
aχ+by+c=0を満たす点 (χ,y)の集合
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また哲学独特の「明らかにある」と思える
物体の存在まで疑う、というのが出たな。
そのくせ神の存在は簡単に証明できてし
まった感じがするけど。
この神は理性の正しさの保証に使われて
いて、キリスト教を信じることとあまり
関係ない。だから晩年はプロテスタント
からオランダを追われることになる。
科学と技術の進歩は、神が人間に理性を与
えたからできることだと、彼なりには神を
讃えようとしたんじゃないかな。
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以下プラス講座
デカルトが説く理性と情念
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[10I]デカルトが説く 理性と情念
意識の能動的側面→「われ思う」
理性と意志の働き
意識の受動的側面→身体と密着し
た意識
(1)眼や耳等を使う外的感覚
(2)痛みや餓えのような自身の身体
についての内的感覚
(3) 自らの精神(状態)についての意識。
悲しみ、怒り、恐れなどの情念
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[10Iその2]
デカルトの理性と情念
さまざまな情念
(1)驚き/新しい、または異常な対
象が感覚された時に生ずる。
(2)愛/対象と一体になろうとする。
(3)憎しみ/対象を避けようとする。
(4)喜び/善きものが得られている。
(5)悲しみ/悪しきものを受ける。
(6)欲望/未来に向かって善きもの
を求め悪しきものを避ける傾向。
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[10Iその3★ ]
デカルトの理性と情念
欲望を中心とした情念を真理認識に
基づく(善悪についての)正しき判断
によって抑制することで善く生きる
ことができる。 身体からの受動に
振り回される心の動きを、
理性を中心とした能動に切り換える
ことこそが自由。自由意志をもって
正しき判断を下す自らを発見したな
ら、それこそが誇りに値する 。
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第十講座の主な参考資料
デカルト著 落合太郎訳 『方法序説』 岩波文庫
デカルト著 桂寿一訳 『哲学原理』 岩波文庫
野田又夫著 『デカルト』 岩波新書
吉見俊哉 『大学とは何か』 岩波新書