哲学入門(倫理観中心) by渡辺華月 第十講座 [本講座]デカルトの真理観 (10A~10H) [プラス講座]デカルトが説く理性と情念 (10I) (ホームページ「せたなべ哲学」でも 講義用スライドが見れます。) 今日は「我思うゆえに我あり」のデカルト の話だ。数学や科学にも関心が強く、座標 という考えを見出したと言われている。 大学教育には失望し、個人的に思索・著作 活動を続けた人らしい。 そうなのか。僕は大学教育に失望はしな いけど、高校までと比べて自由過ぎるこ とに少し戸惑う。大丈夫なのかって。 デカルトにとってはたぶん当時の大学の 学問の内容が古くさくて、大学では探究心 が満たされなかったのかもね。 - 1/27- [10A]ルネサンスを支えた中世の大学 十二世紀以降、ヨーロッパ全域での 物資・人・知的遺産の交流が盛んと なり、ネットワークの広がりに対応 した学問の集積や都市秩序構築のた めの法整備が急務となる。 主として北欧からの放浪学者たちで 結 成 す る 学 生 団 (羅 universitas)が イタリアで教師を雇用したのが大学 成立の母体となる。 - 2/27- [10Aその2] ルネサンスを支えた「大学」 印刷術がなかった十二、三世紀まで は旅人自身が広範囲の情報や知識を 伝える「メディア」であった。 神聖ローマ帝国の皇帝や教皇は学問 振興のために「学生団」とその教師に 「大学」としての特許を与え権利を保 護した(ボローニャ大学の始まり)。 大学は定まった建物をもたず、修道院 や有志が提供する施設を拠点とした 。 - 3/27- イタリアのボローニャ大学 1350年頃当時の講義風景 - 4/27- [10Aその3] ルネサンスを支えた「大学」 法学中心で出発し、医学も重んじる ことになったボローニャ大学(1158 ~)と神学中心で出発し、学芸諸学 (文法・修辞学・弁証術・算術・幾何学・ 天文学・音楽)も重んじたパリ大学 (1231年~)を皮切りにヨーロッパ全 域に大学が設立。学生団、大学組織は 他大学や他拠点に移動が可能。権威に 束縛されにくい学問の自由があった。 - 5/27- [10B]大学組織の確立と官僚化 【十三世紀頃の標準的学部組織】 上位学部 哲学部 神学を 神学 部・法学 部・医学 部 学ぶ前の予備学。 アリストテレス中心。 ↑ 下位学部 ないし 基礎課程(学芸学部) 文法・修辞学・弁証術(論理学)・算術 幾何学・天文学・音楽理論 - 6/27- [10Bその2] 大学組織の確立と官僚化 十四世紀は、キリスト教中心の官僚制 整備が進む。大学は国や教会の優秀な 官僚を育てる役割がメインとなる。 大学への公的財政支援により、学部 組織が安定する反面、移動は制限さ れ、カリキュラムも固定的になる。 印刷術が発達すると、新たな知的刺激 を求める人は大学から離れ、文筆業や 私的研究機関(アカデミー)に向かう。 - 7/27- ルネ・デカルト[1596-1650] - 8/27- [10C]さすらうデカルト フランス地方大学の学問では自然科 学、機械学への関心が満たされず、 「世間という大きな書物」に学ぼうと デカルトは20歳より、西欧各地を旅 する。オランダで軍事アカデミー的 軍隊(数学的科学の軍事利用を学ぶ) に属したり、ドイツで兵として戦争 に参加することもあった。最終的に 1628年以降、オランダを拠点とする。 - 9/27- デカルトは 1628~49年 の間オランダ で哲学活動を続けた。「人々はおの おのの利益を一心に心がけている ので、私は一生誰とも会わずに暮ら していけるほどである。」 - 10/27- [10D★]デカルトの「知恵の木」 [根]形而上学(哲学)→目には見え ない不変の存在(神・精神・明白な 概念等)を扱う。 [幹]自然学→宇宙・地球、物体的な もの、個々の生物の本性を調べる。 [枝](1)医学 (2)機械学 (3)道 徳 → 他 の 諸 学 の 完 全 な 認 識 を前提とする窮極の知恵であると ころの、最高かつ最完全な道徳 - 11/27- デカルトの知恵の木 完全な道徳 医学 機械学 自然学(自然物の本性を探求) 形而上学(神・精神についての学) - 12/27- 当時のヨーロッパの大学には自然科学や 機械工学等の学部はなかったみたいだけ ど、デカルトはそれを重要だと考えたん だね。法学や神学はどう考えたのかな? デカルトは大学では法学生だったけど、 彼が求める知恵の中心から法学は外れ た。他にも歴史等、解釈者の主観が入る のは物語であっても学問でないとした。 神は信仰するものであり、学問の対象では ないと考えたみたい。すべての学が道徳を 目的とするというのは共感できるな。 - 13/27- [10E]デカルトの仮の道徳 完全な道徳へと至る間も、当面は、 仮の道徳方針(=仮住居に喩える) を立てて生きなければならない。 (1)自国の法律・習慣・宗教・最も中 庸を得た人の意見に従う。 (2)疑わしい意見でも、いったんそ れをとると決めたら、それに従って きっぱりやり抜く。 - 14/27- [10Eその2] デカルトの仮の道徳 (3)運命や世界の秩序を変えようと するより、自己にうちかち、自分の 欲望を変えることに努める。我々の 自由になるものは我々の思惟だけ であり、それ以外の外的な物は最善 をつくしてなお獲得できない時は それへの欲望を消去(=ストア派的)。 一方、自然法則の理解による 、人間 の技術による自然支配は認める。 - 15/27- [10F★] デカルトの方法的懐疑↓ 確実な真理を見出すため「当然」と 思われることも含め一切を疑う。 ☆「物体の存在」の感覚は明らかに生じ ているが、感覚は誤ることがある。 ☆我々に最も明白に見えることに おいてさえ、 いつでも思い違いを するように、神が我々を創造した かも知れないので、数学的証明等 確実に見えることも疑わしい。 - 16/27- [10G★]一切を疑っても疑いえない 「考える我」の存在(我思う ゆえに 我あり) ✎一切を虚偽であると考えようと欲 するかぎり、そのように考えている 「私」は必然的に何ものかであらねば ならぬことに気づいた。「我思う、ゆ えに我あり」との真理がきわめて確 実であって、これを哲学の第一原理 として、ためらうことなく受け取る ことができる、と私は判断した。 - 17/27- [10H]「考える我」がもつ「神観念」から 神の存在証明~理性の正しさの保証 不完全な私が完全な神の観念をど こから得たのか。最も完全なものが 最も不完全なものからの帰結であ ることはありえない。神の観念は、 あらゆる完全性をそなえたあるも の、すなわち神なる本性によって、 私のうちに注入されたのであると しか考えられない。 - 18/27- [10Hその2] 神の存在と理性の正しさ 神から我々に与えられた理性で (あ い ま い さ を 残 さ ず ) 明晰判明に認識をする かぎり、 (数学的論理的な) 我々の認識は 真である。 物体の存在証明 → 感覚が我々の意 志や承認に関わりなく、外からの因果 作用を受けることから、我々の外に何 らかの物体が存在することは明らか である。 - 19/27- [10Hその3] 神の存在と理性の正しさ 感覚が示すところに従って、我々は 物体の存在を信ずるが、感覚が物の 真実の姿を示すわけではない。 堅さ、重さ等感覚に現れる性質は 物体の本性としては不確かである。 知性が教える物体の本性はただ単 に延長の内にある(=空間的に広が っている)ということのみである。 - 20/27- [10Hその4★ ] 神の存在と理性の正しさ 神から我々に与えられた理性に基 づき明晰判明に認識することだけ を、肯定または否定する場合には、 間違いは起こらない。 しかし或ることを正しく認識しな いにも拘わらず、それについて判 断する場合のみ、間違いが起こる。 - 21/27- デカルトは座標を用いた幾何学の 先駆者。直線を関数的に定義↓ aχ+by+c=0を満たす点 (χ,y)の集合 - 22/27- また哲学独特の「明らかにある」と思える 物体の存在まで疑う、というのが出たな。 そのくせ神の存在は簡単に証明できてし まった感じがするけど。 この神は理性の正しさの保証に使われて いて、キリスト教を信じることとあまり 関係ない。だから晩年はプロテスタント からオランダを追われることになる。 科学と技術の進歩は、神が人間に理性を与 えたからできることだと、彼なりには神を 讃えようとしたんじゃないかな。 - 23/27- 以下プラス講座 デカルトが説く理性と情念 - 24/27- [10I]デカルトが説く 理性と情念 意識の能動的側面→「われ思う」 理性と意志の働き 意識の受動的側面→身体と密着し た意識 (1)眼や耳等を使う外的感覚 (2)痛みや餓えのような自身の身体 についての内的感覚 (3) 自らの精神(状態)についての意識。 悲しみ、怒り、恐れなどの情念 - 25/27- [10Iその2] デカルトの理性と情念 さまざまな情念 (1)驚き/新しい、または異常な対 象が感覚された時に生ずる。 (2)愛/対象と一体になろうとする。 (3)憎しみ/対象を避けようとする。 (4)喜び/善きものが得られている。 (5)悲しみ/悪しきものを受ける。 (6)欲望/未来に向かって善きもの を求め悪しきものを避ける傾向。 - 26/27- [10Iその3★ ] デカルトの理性と情念 欲望を中心とした情念を真理認識に 基づく(善悪についての)正しき判断 によって抑制することで善く生きる ことができる。 身体からの受動に 振り回される心の動きを、 理性を中心とした能動に切り換える ことこそが自由。自由意志をもって 正しき判断を下す自らを発見したな ら、それこそが誇りに値する 。 - 27/27- 第十講座の主な参考資料 デカルト著 落合太郎訳 『方法序説』 岩波文庫 デカルト著 桂寿一訳 『哲学原理』 岩波文庫 野田又夫著 『デカルト』 岩波新書 吉見俊哉 『大学とは何か』 岩波新書
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