学術情報流通の逆転 杉 田 茂 樹 抄録:インターネット利用の普及により,大学図書館の役割は,外界で流通する図書や雑誌を大学の中へと 取り込んでその読者である教職員,学生に供することから,教育・研究活動の中で生み出される大学の生産 物を収集,保存し,外界へと発信していくことへと変わってきている。このことをはじめとして,学術出版 の紙から電子への移行が大学図書館活動に与えつつある影響について,収書,学術雑誌,ILL 文献複写を取 り上げて概説する。 キーワード:機関リポジトリ,オープンアクセス 1.はじめに 現在ではインターネットがエーテルのように世界を 前章に述ベた通り,平成 8 年に構想された「北海 道大学電子図書館システム」のスコープは 10 年に わたって,いわば波に洗われるように削られたり, 変形したりしてきた。それは彫琢の過程であったと 満たし,情報は印刷メディアを介さずに伝播する。 大学の外から内へのみならず,内から外へと容易に 情報は流れていく(図 1)。 本稿では,どのようなわけで筆者が冒頭に挙げた ような感慨を持つに至ったのか,論理的強度の不足 いうことができるかもしれない。そして, 本学が 創出した研究成果の発信機能こそが現代の大学に おける電子図書館――これがその結論である。 さらに 5 年を経た平成 22 年現在,HUSCAP には 3 万を超える文献が収録され,ダウンロード数は総 計 360 万を数える。 北海道大学構成員が生み出したもの,それは,北 海道大学にとって,出版流通品よりもはるかに貴 い。HUSCAP に収録された電子ファイルを,附属 図書館は蔵書コレクションの最重要の一角として大 切に後世に継承していかねばならない。「北海道大 学ライブラリー」の新たな意味がそこに生まれるの ではないだろうか。 を省みず書き連ねてみたい。顧慮の中心は,やはり 出版における紙から電子への移行となるだろう。そ れが大学図書館の活動に与えた影響,与えつつある 影響,表面化していないがこれから与えないではお かないと考えざるを得ない影響について,資料の収 集と管理,学術雑誌との向き合い方,それから ILL 文献複写の受付業務を取り上げ,結構に頓着せず昨 今の変化を概観する自由な随想と承知いただければ 幸いである。 2.「蔵書」の終わり (1)購入と未購入の境界の消失 電子ジャーナルが登場した頃, 「所蔵」から「ア ――平成 22 年,当時の勤務先の図書館報に書い 1) た文章である 。 筆者が職に就いた 20 余年前,大学図書館は出版 流通の流れの最終地点付近に位置し,図書や雑誌を 外の世界から大学の中へと取り込んでその読者であ クセス」へというキャッチフレーズがよく聞かれ た。国立情報学研究所目録所在情報サービスにおい ても,電子ジャーナルのアクセス権情報は,紙資料 の所蔵情報と同じレイヤーで表現された。しかし, 電子資料のライセンス形態の多様化等により,所蔵 る教職員,学生に供する任にあたっていた。印刷物 の集積地がすなわち情報受容の拠点だった。翻って とは何か,アクセス権とは何かということについて 私たちは再考を迫られている。 海外では,電子書籍に関して利用者主導型収書 (PDA:Patron Driven Acquisition)という購入方 式が流行りはじめているという。一定の電子書籍群 へのアクセスを開放しておいて,利用者が実際に閲 覧したものについて後追いで購入を決定し,対価を 支払うという選書方法だ。筆者の勤務先である千葉 大学でも,横浜国立大学,お茶の水女子大学ととも 2) に和書電子書籍の PDA 実験に取り組んでいる 。 図ઃ 大学図書館の位置と情報流路の変化 さて,この場合,所定の利用実績に基づいて対価を 支払い恒久的アクセス権を購入した電子書籍だけを 1 学術情報流通の逆転 蔵 書 と し て 取 り 扱 う べ き だ ろ う か。そ れ と も, PDA の対象としてアクセス可能な,購入候補たる 全ての電子書籍を OPAC で案内するべきか。 また,千葉大学では,生協ブック・センター(書 店)内に図書館への購入リクエストのコーナーを設 けた。教職員,学生が気に入った本を通常の書棚か ら取り出して当該コーナーに置いておくと,図書館 は所定のルールと予算の許す限り原則としてこれを 購入する。いわば Patron Driven の「見計らい」で あり,学生らにとっては毎日がいわゆる「選書ツ アー」であるというわけだ。蔵書と未購入図書の境 界はどんどん不分明になってきている。 一方,電子ジャーナルの場合をみてみると,利用 要求が満たされるかどうかは,まず機関購読契約の 有無に依存する。機関契約がない場合は,次に,ペ イ・パー・ビューで閲覧するために利用者が自身で 所定の金額を支払うかどうかによって決まる。ペ イ・パー・ビューが可能であるということは,出費 を厭わなければ利用要求は常に満たされ得るという ことを意味する。これは図書館にとってきわめて重 要な点だ。サイトライセンスに図書館資料費が費や されるか,単発購入に研究者の研究費が費やされる かは,大局的に見れば結局大学予算から資料アクセ スの費用が支出される点において大差はない。ビッ グ・ディール契約を離脱する大学が出てきている が,タイトル単位契約への移行に加えて,仮にペ イ・パー・ビュー利用による補完を意識するなら, それは品揃えの変化ではなく財源の変化でしかない のである。この場合,機関購読誌のみを蔵書とみな して図書館目録の対象とすることにどれだけの意味 が あ る だ ろ う か。契 約 外 と な っ た 学 術 雑 誌 を OPAC から落とすのは正しいことだろうか。逆に 言えば,もともと契約外の電子ジャーナルも,ペ イ・パー・ビューが可能であるのなら OPAC に載 せるべきなのではないか。 そして,言うまでもなく,オープン・アクセスの 電子書籍,電子ジャーナルもまた同じ問題を私たち につきつける。 インターネットに接続されてさえいれば,対価の 有無や支払方法は様々であるにせよ,アクセスその ものは全ての大学から全ての資料に対して原則とし て可能。このような情報環境にあっては,「蔵書」 という概念そのものが意味を失う。 (2)記述メタデータの失権 そうした情報環境において,図書館目録とはなに か。総合目録とはなにか。ライセンスの有無を属性 として含む,より軽量で柔軟性のあるコンテンツ管 2 理は考えられないだろうか。 紙の時代,出版とは,あるコンテンツを有限の紙 に印刷し,頒布することだった。同一の図書が世界 のいくつかの大学図書館に到着する。ある図書館は それを所有し,ある図書館は所有しない。一方,電 子出版における頒布とは,電子ファイルをインター ネット上に置き,オンデマンドで送出できる状態に しておくことである。コンテンツは,利用要求に応 じて瞬時に転送され,利用者のコンピュータのメモ リ上に複製,展開される。 過去の印刷出版においては,遠く離れた別の図書 館にあるコピーと手元のコピーが同じ図書であるこ とを同定し,分布状況を組織化していくことが総合 目録であった。所定の情報源に同一の書名や著者名 の表示があり,全体のページ数が一致し,出版社, 出版地,出版年も同じ。そうした情報を共有するこ とが目録作業のひとつの要であった。 電子出版では,前述の通り複製はオンデマンドで なされる。ファイルの同一性はチェックサム技術等 によって保証され,文献識別子技術によって固定, 識別される。すなわち,ある人が閲覧するコピー と,別の人が閲覧するコピーとの同一性は,書名を 見比べるまでもなく機械的に保証される。従って, あるコンテンツを指し示すための本質的機能を担う メタデータは文献識別子のみとなり,標題,責任表 示,出版情報などはもっぱら記述表現としてのみ機 能する属性項目となる。 さらに言えば,現代では印刷媒体の図書について も刊行元の手で識別子が与えられ,メタデータが電 子的に管理,公開されていることから,電子出版に 準じた環境条件にあるとも言える。 そして,記述メタデータに関して,現代は空前の 豊饒を誇る。図書や雑誌に関する情報は出版社の ホームページにあり,Amazon にあり,ディスカ バリサービスにあり,国立国会図書館は JAPAN/ MARC を API 経由で頒布している(もちろん過去 にも CIP データや出版目録,『これから出る本』は 存在していたが,その流通性,相互運用性において 過去と現在とでは決定的に事情が異なる)。つまり, 文献識別子が与えられれば,いつでもオンデマンド で外部の書誌記述を参照,流用できる技術的状況に あるということだ。大学図書館の情報システムに あっては,管理用データベースに対象資料の識別子 だけを記録しておき,OPAC や日常業務ではその 識別子に関連付けられた適当なインターネット上の 書誌記述を表示すればよい。そんな可能性が拓けて きている。 重要なのは,コピー・カタロギング(自機関の目 大学図書館研究 CIII(2016.3) 録 へ の 複 製 )を す る の で な く,そ れ を あ く ま で キャッシュ(各機関は目録を持たず,揮発性の一時 採番に任せているような場合が多いが,番号をつけ る,すなわち,名を命ずるという仕事は見かけ以上 的使用に留める)として扱うことである。従来の共 同分担型総合目録におけるコピー・カタロギングで も目録作業の負荷は軽減されていた。しかし,各館 に重大である。 政策的オープン・アクセスの動向からすると,研 究計画,紡ぎ出された科学データ,そこから導かれ が各々書誌レコードを所持する以上,総合目録側で 情報が豊かになっても,ローカル側の書誌レコード はダウンロード時点の貧弱な状態のままであり,共 る科学的知見の結実としての研究論文,これらが一 連のストーリーとして記述される必要がある。この 仕事を十全に果たす知識を現在の平均的な大学図書 同分担入力方式による書誌情報充実の意義が十全に 満たされるためには絶え間ない照合,同期が必要と なる。書誌情報を所持しないようにすることで,逆 館は残念ながら持たない。私たちの経験は,書誌階 層間の親子関係の記述や,複数の事物の関係性につ いてはタイトル変遷する逐次刊行物の継続,吸収, に,より豊かな最新のメタデータやより拡張された 情報内容を参照の都度受け入れることとなり,図書 館目録を,常に成長発展の可能性をはらむダイナ 派生の表現程度に留まる。しかし,ここでこれから 求められる整理技術は,図書目録規則のような重厚 な歴史を持つ,確立されたものではない。むしろフ ミックな状態においておくことができるのである。 なお,そして,NC(ナショナルセンター)が各 館から文献識別子をハーベストし,同じようにオン ロンティアである。私たちはその開発者の一員とし て,進行する国際的な議論に参画し,記述の標準 化,実装に貢献していかねばならない。 デマンドで書誌情報を自動生成することで総合目録 は成立する。 具体例として,ある研究課題とその成果物,著者 4) を記述する方式として提案されている RIOXX を 挙げる(図 2)。著者情報は ORCID で一意表現さ れ,国際標準名称識別子 ISNI で一意表現された研 究資金助成機関による研究課題番号を記述できるよ うになっている。機関リポジトリを運営している大 学は,こうした技術標準策定の動向に注意を払い, 自機関のリポジトリのメタデータ定義への導入を検 討していく必要があるだろう。 (3)一方,資料の価値について私たちはもうニュー トラルではいられない 今後の図書館に蔵書という概念は存在せず,情報 管理は文献識別子の記録のみで完結する,というの が筆者の考えである。一方で,大学図書館が,い や,大学が従来以上に懇切に情報の組織化,管理に 取り組んでいかねばならない分野がある。大学自身 のプロダクトである。 かつて電子ジャーナルの書誌情報と契約情報を出 版者から入手し,国立情報学研究所目録所在情報 3) サービスに一括投入しようという試みがあった 。 より現代的に言えば,出版者の発する情報に依存し たナレッジベースを核とするディスカバリサービス を買うというやりかたに近い。アイディアの根本に あるのは,情報流通のより上流で情報の組織化を行 うことが合理的であるという考え方である。そし て,大学自身が情報の流れの最上流にあるケース, それが,研究計画書,観測データ,実験データ,学 会発表資料,研究論文などをはじめとした,大学の 教育研究活動から生み出されるコンテンツを取り扱 う場合である。 これらについては,情報の流れの最上流にある大 学自身が,一次情報の管理,公表,保存,二次情報 の作成,頒布に責任を持ってあたる必要がある。一 次情報の管理にあたっては,前節にも述べた通り, 識別子の付与とコントロールを握っておくことが重 要である。従来の整理業務において,資料に対する 付番を実際のところ図書館業務システムによる自動 図 RIOXX2.0 による著者,研究課題番号の記述例 また一方,平成 27 年 3 月に上梓された内閣府に 5) よる検討報告書 では,オープンサイエンスを推進 する際の留意点として,技術的インフラ,人材育成 に関し,「大学・研究機関等においては,技術職員, URA,大学図書館職員等を中心としたデータ管理 体制を整備できるように,データサイエンティスト やデータキュレーターなどを研究支援人材として位 置づけられるよう,包括的な育成システムを検討 し,推進することが必要である」としている。科学 データを取り扱う上で,自然科学の基礎的素養を身 につけた人材の養成,確保に組織的に取り組む必要 があることは論を俟たないが,職員採用を含めたシ 3 学術情報流通の逆転 ステム改革には相応の時間を要する。しかしなが ら,現在の大学図書館職員の中にも,大学,大学院 等で理系専攻分野を修めたのちに図書館司書となっ ている職員は少なくない。こうした人材が学問領域 ごとに編成され,大学を超えたチームとして,研究 データ管理に関する調査研究,実践の中核となって いくような未来を期待とともに提案したい。 3.学術雑誌の変容 (1)戦線の縮小――あるいは複線化 学術雑誌の購読は継続的な経費負担をともなう。 その選定は,関係学部,研究室と丁寧に連絡を取り 合い,注意深く行われていた。納入業者を定め,最 新号を受け入れては目録データベース上の所蔵巻号 情報を更新する。受付日付のシールを貼り付けて開 失われた。そもそも,オープン・アクセスジャーナ ルには購読契約が存在しないために,従来型業務の 視点に立つ限り,その存在を視認することすら困難 である。一方で,オープン・アクセスジャーナル は,論 文 出 版 加 工 料( APC:Article Processing Charge)管理の実務に大学図書館が踏み込むかど うかという問題を私たちにつきつけている。距離を 置こうにも,購読契約が APC バウチャーをもたら すケースや,先ごろシュプリンガー社と英国 JISC 6) との間で成立した総額削減契約 など,購読費用と オープン・アクセス費用は密接に結びつきつつあ り,この流れから目をそらしていることは難しいだ ろう。 もっとも, 『文藝春秋』は依然として冊子で刊行 されているし,中小規模の電子ジャーナルは単発契 約によるアクセス提供を続けている。すなわち,前 掲図は左から右に向けて完全な転換の形で遷移して 架書架に並べ,研究者や学生の利用に供するととも に他大学の図書館から依頼があればコピーを郵送す る。時が経てば,製本して書庫に収め,末長い利用 いるわけではない。電子ジャーナルの進展によって に備える。 学術雑誌関連の業務コストが減少しているとの議論 電子ジャーナルは,初期において,このうち日々 が聞かれることがあるが,そうではなく,徒にバリ の受入業務,将来に向けての製本,保存の仕事を不 エーションが増え,実はむしろ複雑化してきている という点が悩ましいところである。 要のものとした。利用の場は閲覧室から研究者のデ スクトップへと移り, 購読電子ジャーナルリスト という名の目録がアクセスの助けをするのみとなっ (2)全号完備か,刹那的な需要解決か 筆者が大学図書館の職に就いた当初,職場の先輩 た(図 3) 。 からこう教わった。逐次刊行物は,理想的には初号 から最新号までを欠けることなく備えるべきであ る。欠号が生じたら手遅れにならないうちに入手す ること。受入中止の判断は慎重に行うべきだし,創 刊 誌 の 購 読 に は 将 来に 亘 る 財政 的覚 悟 を 要する ――。 電子ジャーナル化の進行と価格問題にともない, 図અ 図書館業務へのインパクト ただし,この時期の電子ジャーナル受容には,教 職員の意向を反映した細やかな品揃えはまだ残って いた。しかし,ビッグ・ディール契約が大学図書館 の購入誌選定事務の任を解く。図書館は大規模一括 契約の事務担当部局となり,現在,雑誌の選定とい えばパッケージ単位での契約継続の判断が最大の関 心事となっている。 さらに,近年大きく存在感を増してきたオープ ン・アクセスジャーナルにおいて,様相はさらに激 変し,従来型雑誌関連業務の全てが大学図書館から 4 少なくとも外国学術雑誌に関する限り,上のような 考え方は次第に通用しなくなってきている。 財政的側面で言えば,まずバック・ナンバーへの アクセス権が,各誌,各パッケージの契約内容に依 存して多様かつしばしば流動的である。また,ビッ グ・ディールにせよタイトル毎契約にせよ従来一般 的だった年間予約購読に対し,ペイ・パー・ビュー という文献利用のありかたは,全号完備を指向して きた図書館的思考からは遠い。ペイ・パー・ビューの 財源が,図書館資料費という基盤的経費でなく,研 究者の判断次第で外部資金によって支出され得るこ とも,学術雑誌受容が個別の需要を刹那的に満たす 方向へと移ってきていることをティピカルに示して 象徴的である。 こ の 傾 向 を 非 難 す る つ も り は 筆 者 に は な い。 元々,学術雑誌とは,教職員が必要とする論文と必 大学図書館研究 CIII(2016.3) 要としない論文とが複数束ねて印刷され,しかも, 実際どのような論文が掲載されるのかが明らかでな ない時代になっていると言わねばならない。 いにも拘らず私たちは予約購読をするという不合理 極まりない存在である(印刷配送の時代にはそうあ らざるを得なかった) 。実際,逐次刊行物であるこ 4.ILL という名の病 筆者は,国立情報学研究所による学術機関リポジ トリ構築連携支援事業平成 20〜21 年度委託事業と とを特徴付けていた本来的性質そのものについて も,一部の尖鋭な学術雑誌は概念的逸脱の気配を見 せている。いわゆるメガジャーナル『PLOS ONE』 して実施された「学術情報資源共有のための図書館 間文献デリバリーサービスを機関リポジトリ構築に よって代替するための研究者・図書館連携方式の開 誌は,専門特化した一般的な学術雑誌とは対照的に 自然科学全域を対象とし,明確なまとまりを巻号と して表現することなく年間 3 万報(2013 年)を弛 7) まず出版する 。 発( IRcuresILL ) 」に 携 わ っ た。本 章 は,同 プ ロ ジ ェ ク ト 報 告 書 主 部 を 改 稿 し た も の で あ る。 IRcuresILL プロジェクトの細部について詳しくは 10) 同報告書を参照されたい 。 (3)著者の視点で学術雑誌を考える 一方で,学術雑誌の取り扱いについても,研究者 の著者としての側面を意識させられる話題が品質の 問題を中心に増えてきている。 オープン・アクセスジャーナルの品質を疑問視す る声は BOAI によるグリーン・ロード,ゴールド・ ロードの提案直後から聞かれていたが,近年,その 発展にともなって顕在化してきている。 2013 年の秋, 『サイエンス』誌に「ピアレビュー なんか怖くない(Who's Afraid of Peer Review?)」 8) という報告が掲載された 。報告者は,架空機関の 架空著者名義でフェイク論文を作成し,304 の OA 誌に投稿してみたという。高校レベルの化学の知識 があればすぐに気づくような欠陥を含む,即時にリ ジェクトされるべき内容であった。投稿先には, APC を 課 す 英 文 誌 で 生 物 学,化 学,医 学 分 野 の ジャーナルを選んだ。その結果,同論文を 98 誌は リジェクトしたものの,157 誌ものジャーナルがア クセプトしたという(その他,29 誌は無回答,20 誌が報告時点でまだ査読中)。フェイク論文を受理 した 157 誌の中には,エルゼビア社やセージ社の刊 行誌も含まれていた。 米国の図書館職員 Jeffrey Beall は,自身のブロ グにおいて,しかるべき水準の品質管理を行わない ままに,APC 収入のみを狙った学術雑誌を刊 行する悪質なpredatory publishersリストを公 9) 表しこれを告発している 。predatory は「捕食性 の」という意味で,映画『プレデター』と語源を共 にする語であり,我が国ではハゲタカ出版社等 と訳されている。 論文の投稿先として,未知のジャーナルを候補と (1)著者館主義 ILL プロジェクトのはじまりは次のような疑問だっ た。すなわち,機関リポジトリでは所属研究者の執 筆論文を無料で公開している。一方,ILL での文献 複写依頼に対しては 1 枚 35 円の料金を徴収してい る。ではもしも ILL で依頼されたのが所属研究者 の執筆論文であったら私たちはどうするだろう。所 属研究者の論文がより多くの読者を得ることを業務 上の歓びとするのであれば,オンライン(機関リポ ジトリ)であってもオフライン(ILL 文献複写)で あっても,喜んで無償サービスするべきではないだ ろうか。 読みたい人に読みたい文献を届けるという意味 で,機関リポジトリと ILL 文献複写(受付業務) は似ている。しかしまた異質な面もある。表 1 は機 関リポジトリと ILL 文献複写の性質について整理 してみたものである。どの図書館も,古今東西のあ らゆる資料を所蔵しているわけではもちろんないの で,文献供給不全という不治の病を免れることはで きない。相違点も少なくない両業務ではあるが,共 に大学図書館が担う文献供給サービスとして,相互 補完的な業務へとインテグレートできれば,総体と して大学図書館の文献供給パフォーマンスは向上す るのではないだろうか。その手法として具体的にど のようなことが考えられるだろうか。それがプロ ジェクトのテーマだった。 章冒頭に挙げた疑問への答として,プロジェクト を主導した小樽商科大学附属図書館は所属研究者の 執筆論文に対する複写依頼に無料で対応することに した。 する場合には,一定の品質管理体制を布いている学 会,出版社のみが加盟できる「オープン・アクセス 学術出版者協会(OASPA)」の加盟団体であるこ 機関リポジトリ担当者にとって,所属研究者が 日々発表している論文を把握することは課題のひと つである。ILL 文献複写の対象となった文献は「そ れを読みたい人がいる」という実在の需要を反映し とを確認するなど,相応の注意を払わなければなら ている。その情報は,著者に対して機関リポジトリ 5 学術情報流通の逆転 表ઃ ILL 文献複写と機関リポジトリの比較 (第 3 回 DRF ワークショップ(2007 年)資料) ILL 文献複写 機関リポジトリ 雑誌危機対抗 雑誌危機対抗 図書館から図書館へ 著者から読者へ 情けは人のためならず (図書館間) 情けは人のためならず (著者・読者間) 大量の所蔵文献に対応 まだまだコンテンツ些少 Publisher 版 多くの場合,著者稿 著作権法 Author Rights 35 円(前後) 0円 大学,研究機関へ 大学,研究機関,それか ら市民へ 紙 ディジタル 郵送 オンライン 要,数日 即時 著者には手間なし 著者はめんどい 著者の知らないうちに 著者が主体的に 著者の知らないうちに 著者は読まれたことを知 ることができる 1:1 1:多 ス文献の増進により,ILL 業務の負荷を軽減するこ とができないかという点にもあった。前出の比較表 のとおり,ILL 文献複写では全国各地で「要求があ れば何度でも何度でもコピー作業」が発生する。一 方,機関リポジトリで文献を公開すればその文献へ の需要は収まり,将来にわたってすべての読者に即 時に文献を提供することができる。では実際に,ど の程度「何度でも何度でも」コピーが発生している のだろうか。 11) 土屋らの調査 により,NACSIS-ILL を通じた文 献複写は看護学や心理学の関連領域の和文誌の人気 が高いことがわかっていた。これを,雑誌タイトル 単位でなく,文献単位でみた場合はどのような状況 になっているのだろうか。 要求があれば何度でも何 一旦掲載すればその文献 への需要は収まる 度でもコピー作業 他人の文献を,他人へ 所属研究者の文献をその 読者へ での論文公開を勧誘する力となるだろう。ILL 文献 複写を無料とすることで所属研究者の執筆論文に対 するより多くの複写依頼を集め,それらを機関リポ ジトリに収録,公開していくことができれば理想的 である。 本学の所属研究者が執筆した文献なら本学へ依頼 してほしい――目的の文献を所蔵する図書館へ申し 込む現在の ILL を「所蔵館主義 ILL」と呼ぶとし たら,これはいわば「著者館主義 ILL」である。従 来,依頼館と所蔵館との間でのみで交換されていた 「その文献を読みたい人がいる」という情報を著者 に知らせることができる。 しかし,プロジェクトが実施した著者館主義 ILL の小規模な実証実験において,文献複写を依頼する 時点では著者の所属が不明であることが大きなネッ クとなった。著者館主義 ILL の実現は現状では困 難が伴うものと結論せざるを得ず,機関リポジトリ 業務と ILL 業務の融合への最適な手法を見出すに は至らなかった。しかし,ILL に限らず,伝統的大 学図書館活動とオープン・アクセス思潮との融合に ついては常に考えていく必要がある。 図આ 2006〜2008 年の NACSIS-ILL 高頻度文献複写論 文の推移 プロジェクトでは 2006〜2008 年の NACSIS-ILL 文献複写データを分析した(図 4)。依頼の多かっ た文献では,最大で年間 100 回を超える ILL が発 生していたことがわかった。図では論文書誌情報を 省略しているが,これら上位文献はいずれも看護 学,心理学の日本語文献だった。加えて特徴的なこ とに,各年度のトップ 5 の人気文献は,多少の順位 の変動はあるにせよ 3 年間を通じ不変だった。これ ら上位文献のオープン・アクセス化の意志につい て,29 位までの文献著者に確認したところ,19 名 から回答があり,うち 16 名から前向きな関心が示 された。 現在,大学図書館と国立情報学研究所との連携・ 協力推進会議機関リポジトリ推進委員会ワーキング グループが同プロジェクトを後継し,上位文献の電 子化公開を視野に入れて 2009 年以降の NACSIS12) ILL データの分析をすすめている 。 5.おわりに Barbara Bell は全国書誌について次のように述べ 13) ている 。 (2)ILL 大人気論文という存在 一方,プロジェクトの関心は,オープン・アクセ 6 A current national bibliography is a mirror that 大学図書館研究 CIII(2016.3) reflects the culture, character and current interest of a country by listing its publishing output. Not only does it serve as an historical recorder, but when distributed to other coutnries, it serves as a 'window' to that country.(最新に保たれた全国書誌 は鏡である。ある国の出版刊行物を網羅することに よって,その国の文化や特質,関心の所在を映し出 す。それは史的記録となっていくばかりでなく,他 国にとってその国への「窓」ともなる。 (筆者訳)) いかねばならない。「大学ライブラリー」の新たな 意味がそこに生まれるのではないだろうか。 野暮を承知で補足すれば,上で用いたライブラ リーの語は,『平凡社ライブラリー』や『岩波科学 ライブラリー』というときのライブラリーと同義で ある。「外から内へ」から「内から外へ」への学術 情報流通の逆転に際し,その間に立って情報と人, ひいては人と人とをつなぐ機能を引き続き図書館が 担うとすれば,今後の大学図書館は機関リポジトリ そのものを意味する。通信技術の進化とともに加速 また,IFLA は国際的資源共有に係る原則の筆頭 に出版国の責任(National Responsibility)を挙げ 14) ている 。 する学術情報流通の夾雑物となるかそれとも独自の 意義を有するハブとなるかは,まさにその変化の中 にいる私たちの創意と行動力にかかっている。 Each country should accept responsibility for providing access to its own publications to any other country, by loan, photocopy or other appropri- 注記・引用文献 ate method. This applies certainly to those published from the present date, and as far as possible retrospectively.(各国は,自身の刊行物について, 貸借や複写,ないしその他の適当な手段によるアク セスを,責任を持って他国に保証するべきである。 本原則は,現在の刊行物について確実に,また,過 去の刊行物についても可能な限り履行されなければ ならない。 (筆者訳)) これらの言説は,印刷配送が publishing の核で あった紙媒体出版時代においてなされたものであ り,現代に妥当するかどうかについては議論を要す る。とりわけ,著者=読者である学術コミュニケー シ ョ ン の 世 界 に お い て,電 子 情 報 流 通 の 進 展 は publishing の語義の重心を情報流通上流へと押し上 げていく。引用したいくつかの文章を,時代に即し た形にパラフレーズすることで本稿のまとめとした い。すなわち――, 最新に保たれた機関リポジトリは鏡である。ある 大学の知的生産物を網羅することによって,その大 学の特徴,科学的関心の所在を映し出す。それは大 学の財産となっていくばかりでなく,世界から見た その大学への「窓」ともなる。各大学は,自身の知 的生産物について,自由な電子的アクセスを,責任 を持って世界に保証するべきである。それは,現在 の刊行物について確実に,また,過去の刊行物につ いても可能な限り履行されなければならない。自大 学の構成員が生み出したもの,それは,大学にとっ て出版流通品よりもはるかに貴い。機関リポジトリ に収録された電子ファイルを,図書館は蔵書コレク ションの最重要の一角として大切に後世に継承して 1)杉田茂樹. 平成 8 年の電子図書館構想. 楡蔭:北海 道大学附属図書館報, 2010, 134, p. 1-5. 2)立石亜紀子ほか. PDA で変わる選書の未来:千葉 大学・お茶の水女子大学・横浜国立大学三大学連 携プロジェクトの取組み. 情報の科学と技術, In Press. 3)総合目録データベースにおける電子ジャーナルの 取 扱 い に つ い て. NACSIS-CAT/ILL ニ ュ ー ス レ ター, 2004, 14, p.16 4)RCUK RIOXX Application Profile Version 2.0 Final Version, http: //rioxx. net/v2-0-final/,( 参 照 201506-08). 5)内閣府国際的動向を踏まえたオープンサイエンス に関する検討会. 我が国におけるオープンサイエン ス推進のあり方について:サイエンスの新たな飛 躍の時代の幕開け. 2015 6)Springer and Jisc reach agreement on a model to reduce the total cost of ownership of open access and journal subscriptions, http: //www. springer. com/us/about-springer/media/press-releases/corporate/springer-and-jisc-reach-agreement-on-a-mo del-to-reduce-the-total-cost-of-ownership-of-open-access-and-journal-subscriptions/55252,( 参 照 201506-08) 7)杉田茂樹. オープンアクセスメガジャーナルと学術 出版システム転覆提案. SPARC Japan ニュース・ レター, 2012, 14, p.1-4 8)Bohannon, John. Whox s Afraid of Peer Review? Science, 2013, 342(6154) , 60-65 9)Beallx s List: Potential, possible, or probable predatory scholarly open-access publishers, http://scholarlyoa.com/publishers/,(参照 2015-06-08) 10)オープンアクセスと図書館:IRcuresILL プロジェ クト報告書. 2010, http://drf.lib.hokudai.ac.jp/drf/ index.php?IRcuresILL,(参照 2015-06-08) 11)土屋俊ほか.「電子情報環境下における大学図書館 7 学術情報流通の逆転 機 能 の 再 検 討 」研 究 成 果 報 告 書, http: //cogsci. l. chiba-u. ac. jp/REFORM/Final_Report/reform_final_report.html,(参照 2015-06-08) 12)Niioka, Misaki et.al. IRcuresILL. OR2015: 10th International Conference on Open Repositories. Indianapolis, IN, US, 2015-06-08/11, https://www.conftool. com/or2015/index. php/Matsumoto-Institutional_ Repository_cures_Interlibrary_Loan__Document_ Delivery-46. pdf? page = downloadPaper&filename = Matsumoto-Institutional_Repository_cures_Inter library_Loan__Document_Delivery-46. pdf&form_ id = 46,(参照 2015-06-08) 13)Bell, Barbara, Progress, problems and prospects in current national bibliographies: implementation for the ICNB recommendations, Proceedings of the National Bibliographies Seminar, Brighton, 18 August 1987 : held under the auspices of the IFLA Division of Bibliographic Control / edited by Winston D. Roberts, 1988, p. 29 14 )IFLA. 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Keywords:institutional repositories / open access / collection development / library catalogs / scholarly journals / e-journals / interlibrary loan / document delivery 8
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