感想文メモ 芳川敏博 「ひと切れのビフテキ」”A Piece of Steak” ( 1909) * テーマは「適者生存:食うか食われるか」、「若さと老い:因果応報」、「油断:偶然の 出来事」、「労働階級:貧困」である。 * 主人公のトム・キングは、かつてはニュー・サウス・ウェールズのプロボクシングヘビ ー級チャンピオンであったが、現在は40歳の老ボクサーで食べるものにも困る生活を している。 * 彼には労働者階級のやせてやつれた妻と2人の子どもがおり、主人公に依存している。 * 生活を維持するためには、体力をつけてボクシングの試合にでて、勝利を得る以外に方 法はなく、試合は一定のルールのもとに行われる「食うか食われるか」の世界である。 * しかし、彼は年を取っておりボクシングで相手を倒す十分な体力はなく、その上、試合 前にも一切れのビフテキでけしか食べるものはなく、試合会場まで歩いていかざるを得 なかった。 * 若いときは、栄誉と楽な金儲けのために戦っており、老ボクサーの立場や気持ちは理解 できなかった。若いときには体力と持続力があり、若さゆえに勝利することが多い。 * しかし、老ボクサーになると、体力と持続力がなく、今までの経験と知恵に頼り、いか に体力をセーブして、効果的な有効打を相手に与えるかによる。 * 老ボクサーになってはじめて、老ボクサーの辛さや悲しさが実感できる。 「自分でこうしてさんざん苦労して、今になってみてよくわかるのだ。二十年前のあの 夜、ストウシャー・ビルが若いトム・キングよりも多くの賞金を得ようと戦ったのだと。 あの頃は、栄誉と楽な金もうけのために戦っていたわけだ。ストウシャー・ビルが試合 後更衣室で泣いていたのも、驚くに当たらないことなのだ。」82ページ * 青春は因果応報である。 「老いぼれたちを滅ぼしておきながら、そうすることで自らを滅ぼしているとは思っち ゃいないんだ。青春は動脈を膨張させ、指の関節を粉砕し、今度は逆に若さによって滅 ぼされるのだ。何しろ青春というのは、いつまでも若々しいものなのだから。年をとる のは、老齢だけだ。」 * 若い相手のボクサーであるサンデルにも、油断したために危ないときがあった。 「第三ラウンドも、例によって一方的な形で始まり、サンデルがことごとくリードし、 あらゆる強打を放った。三十秒経った時、サンデルが自信過剰のあまり、すきを見せた。 その瞬間、キングの目と右腕がさっとひらめいた。彼のはじめて放ったパンチだった。 腕をくの字にひねり、半回転させた体の全体重をのせて放ったフックだった。眠そうな ライオンがいきなり稲妻のように手を突きだすのに似ていた。サンデルは、あごの横に その一発を見舞われ、ばったりと倒れた。」91ページ * トム・キングは、年老いた自分が若いボクサーに負けるということを知りながら、わず かなチャンスに期待しながら、必死に戦う。 「若さが勝つんだ。こんな言葉が、キングの心にひらめいた。」96−97ページ * トム・キングは最後の勝負にでた。 「キングは、最後のひと奮発に拍車をかけた。立ちつづけに二発打ち込んだ。ちょっと 高すぎたがみぞうちへの左を一発と、あごへの右クロスであった。強打ではなかったが、 サンデルはすっかり弱ってもうろうとなり、倒れて体を震わせていた。」99ページ しかし、相手はカウント10で立ち上がり、その後、キングをノックアウトする。 * トム・キングの敗因は「老齢」「不運」もあるが、試合前にビフテキも満足に食べれな い貧困がある。 「思いだすのは試合のこと、サンデルを敗北まぎわまでぐらつかせ、ひょろつかせて いた時のことであった。ああ、あのひと切れのビフテキさえあれば、事足りたのに! あれがなかったばかりに決定打がだせず、負けてしまったんだ。万事ビフテキのせい だ。」102ページ * この作品は、「同じ立場に立たないと、相手の本当の気持ちは分からない」、「人生は常 に変化し、偶然の連続である」、 「高齢者の労働者階級の貧困が再起不能にさせ、人々 を死に追いやる」ということを暗に提示している。キングの敗北後、キングと妻、二 人の子どもには、死が待っているのかもしれない。 * 老ボクサーが敗北や死を覚悟しながら、必死に勝利を切望し、生きようとする姿は、 どこか「生の掟」や「生命にしがみついて」をはじめロンドンの他の作品と共通する。 * 現代の「格差社会」や「高齢化社会」において、参考になる作品である。
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