[論文] 在中日系企業と異文化経営 東洋大学経営学部 教授 中村久人 〈要旨〉 本稿執筆の目的は、在中日系企業の経営を成功裏に進めるために異文化としての中国文化を 重視した経営を行う必要性を提起するものである。まず、その土壌である中国発展の経過と中 国をみる視点について検討する。さらに、在中日系企業の進出の経緯と現状について分析を行 った後、広大で多民族からなる中国の文化は一様ではなく、多様な社会性や地域的特性などを 有しており複眼的に把握することの重要性を明らかにする。しかしながら、同時に中国には共 通の国民文化あるいは人々の心の深層にある共通した価値観が存在することも確かである。そ のような中国国民文化の起源を孔子の『論語』や老子の『道徳経』といった儒教に求め、また、 ホフステッド(G. Hofstede)の提示した国民文化の一つの次元としての中国的価値観(長期志向 対短期志向)についても検討する。本稿では、それらの中国文化の特徴が日系企業の経営の側 面とどのように関わるのかを念頭に置いた解明を行っている。 〈キーワード〉 在中日系企業、異文化経営、中国の地域別特性、中国文化、中国的価値観 1.中国発展の経過と現代中国をみる視点 本節では日系企業の進出先である中国の経済発展の経過を辿ると共に、現代中国を以下の視 点から検討する。 (1)中国経済発展の経過 中国経済は 1978 年の改革開放政策へと舵を切って以降、92 年の鄧小平による「南巡講話」 を契機として西側諸国も驚嘆するほどの高度経済成長が続いている。改革開放政策の開始は、 57 年以降の「大躍進策」 、 「人民公社化」 、 「文化大革命」等による 20 年間の空費の後に辿り着 いたものであった。その後、80 年には中国共産党中央と国務院が深セン、珠海、汕頭、アモイ -3- に初めて経済特別区の設置を決定している。82 年には、第 12 回党大会で胡耀邦総書記が、20 世紀末までに工・農業生産額を 80 年の 4 倍にする目標を提起する。またこの年に憲法改正で 行政単位としての人民公社を廃止している。84 年には、大連,青島、上海など 14 都市を沿海 開放都市に指定している。さらに翌年には、長江(揚子江)デルタ、珠江デルタ、福建省南部 デルタを沿海開放地区に指定している。87 年の第 13 回党大会では「社会主義初級段階論」が 提起された。このことは少なくとも 21 世紀の半ば(2050 年頃)までは「改革開放路線」は変 更しないことを内容とするものである。この大会で趙紫陽が総書記に就任している。88 年には 海南島を海南省に格上げし、5 番目の経済特別区に指定している。 89 年には天安門事件で趙紫陽が解任され、西側諸国からの中国投資は激減するが、90 年に は国家プロジェクトとして上海での「浦東開発」を宣言する。そして 92 年の 1 月から 2 月に かけて鄧小平の「南巡講話」が行われ、同年 10 月の第 14 回党大会で「社会主義市場経済体制」 の確立を決定し、社会主義初級段階論を党規約に明記する。この 1 国 2 制度は世界史上初の挑 戦であった。翌年の第 8 期全国人民代表大会(全人代)では「社会主義市場経済」を憲法に追 加している。97 年には鄧小平が逝去し、香港がイギリスから返還されている。同年の第 15 回 党大会では鄧小平理論を党規約に明記し、株式制推進を決定している。翌年首相に選任された 朱鎔基は、国有企業、金融、行政の三大改革を 3 年以内に実施・完了することを表明した。99 年には全人代で憲法を改正し、鄧小平理論を明記し、私営企業などの非公有制経済を「社会主 義市場経済の重要な構成部分」と規定した。01 年には、世界貿易機関(WTO)に正式加盟し、 これによって本格的な国際貿易体制に参加の道を開いた。2002 年には、第 16 回党大会で国内 総生産(GDP)を 2020 年までに 2000 年の 4 倍増にする目標を設定している。 参考までに、中国と日本の経済規模の比較を示せば、中国は面積において日本の約 25 倍(960 万k㎡) 、人口は約 10 倍(約 13 億人)であり、04 年度の GDP は日本の約 4 割(159,878 億元) であるが、一人当たりの GDP は日本の 30 分の 1(1,486 ドル、但し、深センや上海などは 5 ~6 分の1)である 1)。しかし、GDP の伸び率についてみると中国は 10.1%であるが日本は 1.5%である。06 年度の貿易額は輸出・輸入とも日本を上回り世界 3 位であるが、07度年には 輸出額はアメリカを抜きドイツに次ぐ世界 2 位になる見込みである。また、06 年 2 月には中国 の外貨準備高は日本を抜き世界一になっている。 (2)現代中国をみる 3 つの視点 日系企業が中国という進出先で事業を行うためには次の 3 つの視点から複眼的に中国をみる 目を養う必要がある。その概要を示せば以下のとおりである。 1)中国人の思考と行動パターンに対する視点 -4- 著者はこれまで多くの在中日系企業を訪問し、日本人および中国人経営管理者にインタビュ ーしてきたが、そこで得られた中国人の思考や行動パターンの特徴は次のようなものである。 ① 中国は 56 の民族からなる多民族共同体国家である ② 思考方法は大きな概念や背景から始まるが対策方法は個人的である ③ 自己主張が強く、自信家である。積極的に自分を売り込む ④ コミュニケーションは「合理的」かつ「直接的」である ⑤ 臭覚が鋭く、見極めも早い。自分が認めた人物の話はよく聞く ⑥ 「関係」を大事にし、仲良くなると浪花節でもある ⑦ 異文化については開放的で理解するが、頑固な一面もある ⑧ ドライかつ現実的で効率的な価値判断を行う ⑨ 「言ったもの勝ち、やったもの勝ち」でとにかくやる 2)中国人の人生の共通項についての視点 現在の中国政府・企業での実権掌握者は概ね40歳前半から 50 歳代であるが、次のように 年代層ごとに共通して背負ってきたものが相違している点に注目する必要がある。 ① 60 歳代以上の人々:革命と建国の時期(1949 年前後)に遭遇した人々であり、彼ら(彼 女ら)は生まれながらにして人間の価値が規定されていたといえる。つまり、 「出生好」と 「出生不好」に二分される。 「出生好」は労働者として生まれれば、貧農・下層中農であり、 身を立てるには革命幹部あるいは革命軍人になり、さらには革命烈士になるしかなかった 人々である。これに対して、 「出生不好」というのは、旧地主の生まれで旧富農であったが、 その後起こった文化大革命以降、 悪質分子とされ、 右派分子として疎外された人々である。 ② 40 歳代から 50 歳代の人々:文化大革命(1966 年~76 年)に遭遇し、辛酸を舐めてき た年代層である。この 10 年間に及ぶ破壊と空白の時代において中国の技術や生産ノウハ ウは消失し、就学期に約 10 年間学校教育が欠落(66 年~78 年入学試験中止)している。 また、この時期に迫害した側の悪者を特定できない悲劇があり、人間関係が複雑で相互信 頼の関係づくりが困難になっている。 ③ 20 歳代後半から 30 歳代の人々:改革開放政策が開始された 78 年以降に生まれ育った 人々である。 急速な経済の発展により、 最も社会発展の恩恵を受けている自由世代である。 この世代の若い人々はそれ以前の世代とは国の基準がコペルニクス的に転向され、 「思想信 条」から「実事求是」となり、実際に生まれる成果を重要視する世代である。 以上の視点からは、 同じ中国人と言っても世代ごとに社会的キャリアや背景が異なっており、 外国人には慎重な対応が求められることになる。 -5- 3)中国に存在する 4 種類のリスクの視点 ① 政治リスク:1国 2 制度によって政治と経済の分離(分配・財産権の保護にもつながる) へと踏み出したが、これにブレーキをかける強大な力もリスクとして存在する。日本企業 にはこれに加えて首相の靖国神社参拝など歴史問題も政治リスクとして存在する。 ② 法的リスク:未だ「法治よりも人治」 、 「法律あるが、細則なし」 、 「行為を禁じても、罰 則なし」の国といわれるが、近代化は進捗している。但し、コネの重要性は依然存在して おり、法的環境未整備の裏返しの現象でもある。 ③ 社会的リスク:急速な産業構造の転換で国有企業の倒産に伴う失業者が増加しており、 貧富の格差問題も表面化している。これらの問題を少数民族や宗教問題と絡めるとリスク はより複雑化する。 ④ 市場リスク:人民元の切り上げなど市場変動リスクに加え、人民元の兌換上の制約もハ ードルになる。 2.中国への日系企業の進出経過と現状 日系企業の中国での直接投資ブームは 90 年代の第 1 次投資ブームと 01 年以降の第 2 次投資 ブームに大別できる。前者の第 1 次投資ブームにおいては労働コスト、現地調達、円高等を利 用し輸出基地として中国を活用する「輸出中心の運営」が焦点となっていた。これに対して後 者の第二次投資ブームは拡大された中国市場を対象とする「国内販売拡大」を焦点とするもの であった。さらに現時点では、そうした「国内販売拡大」の流れを引き継ぎながら、高度な技 術や経営ノウハウを持った欧米系企業に加え日系企業も大企業ばかりでなく中堅・中小企業に おいても存在感を日増しに拡大しており、高付加価値とブランド戦略を有する企業へと成長す ることが期待されている。 日本企業の 2004 年度における対中直接投資額は 4,900 億円に達し、史上最高額を記録して いる。また、2003 年度末における経済産業省の統計によれば、日本企業の全世界で設立した現 地法人総数のうちで中国法人は 21.4%に上っている。北米法人 19.0%、欧州法人 16.8%を上 回り最多となっている。対中投資がアジア向け投資に占める割合は 99 年度の 10.5%から 04 年度には 48.6%と約半数に達しており、 「中国一極集中化現象」が生じている。 しかし、さまざまな統計やアンケート調査等を総合してみると、この投資集中化現象にも一 服感というか足踏み感が感じられる。それは中国一極集中を緩和し、アジア、特にアセアン諸 国への投資を再度増加させようとする動きである。一つには中国への各産業分野の大規模直接 投資が一巡したことや先に経験した日系企業に対する従業員ストやデモ・暴動といったリスク -6- に対処する方策と考えられる。現に、みずほ総合研究所による「アジアビジネスに関するアン ケート調査」 (2005 年)でも、中国拠点での日系企業が今後 2~3 年の間に検討している取り 組みとして、2004 年度調査では 1 位であった「新拠点を設け現地体制を増強」の項目が、 「調 達先・販売先の見直しによる現地体制の増強」 、 「ラインの合理化等による現地体制増強」の項 目を下回り 3 位に後退している。つまり、当アンケート調査では、日本企業の中国戦略は、新 拠点を設けることによって生産設備を量的に拡大することを目指すだけでなく、現状のオペレ ーションを見直しながら収益性を改善し、中国ビジネスを深化させる方向に変化していること を示唆している。尚、統括会社や R&D 拠点の設置・強化といった中国事業の質的な向上に主 眼を置いた取り組みは今後も堅調に推移することが見込まれる。 3.中国日系企業の異文化経営と進出の成否 先の「現代中国をみる 3 つの視点」では中国人の思考や行動パターン、中国人の人生の共通 項、中国に存在する 4 種類のリスクについて複眼的にみることが必要であると述べたが、本節 ではさらに在中日系企業の経営を異文化との関係で検討する。 (1)中国の基本的国情の理解 中国文化の現状を理解するにはまず以下のような中国の基本的国情を理解しておく必要があ ろう。 ① 1 中国 2 制度:この制度は、戸籍法の存在のために中国には 2 つの異なった社会体制が 存在するという意味であり、既述のような政治体制は社会主義だが経済システムは市場経 済を採用するという「社会主義市場経済体制」のことをいっているのではない。現代中国 では都市部(沿海部)と農村部(内陸部)の格差が大きく所得、教育や就業の機会、公共 サービス、財政などの点で大きな違いが存在しており、このことを指している。この点は 中国政府の内政重点課題でもあり、第 10 次 5 カ年計画(01 年~05 年)でも地域所得格差 の是正(01 年~03 年まで都市―農村間の所得格差は拡大、04 年は拡大幅縮小)と中西部 地域開発(外資企業による対中直接投資の地域シェアは東部地区 85%、西部地区 15%) は重点課題であったが、引き続き第 11 次 5 カ年計画(06 年~10 年)でも地域間所得差の 是正(農業の競争力の強化、余剰労働者の円滑な移動)と中西部地域開発(同地域での投 資優遇政策の継続)は重点課題であり、さらには東北振興として東北 3 省も地域開発の対 象に加えられている。 ② 1 中国 4 世界:これは中国には発展が不均衡な 4 つの地域が存在し、一つの家族の所得 はこれら 4 つの世界のどこで生ずるかによって決定されるというものである。 具体的には、 -7- 北京、上海、深センなど最も発展した都市を第 1 世界、それに続く発展段階の都市部であ る天津市、広東省、浙江省、江蘇省などが第 2 世界、中級水準以下の地域を第 3 世界、中 西部の貧困地域を第 4 世界と区分している。第 2 世界と第 3 世界に属する人々の中国全人 口に対する比率はそれぞれ 22%と 26%であるが、問題は、第 1 世界の人口は 2%であるの に対し最下層地域の第 4 世界の人口比率が約半数であり所得格差の大きいことである。 ③ 1 中国 4 社会:中国には次の 4 種類の社会が存在する。すなわち、農民社会(第一社会) 、 鉱工業社会(第二社会) 、サービス業社会(第三社会)、および知識社会(第四社会)である。 それぞれの就業者比率は、農民社会 50%、鉱工業社会 22%、サービス業社会 23%、知識社 会 5%である。この分類でも問題は就業人口の半数を占める農民社会であり、農民は現金 収入が少ないうえにその年収を超える過酷な納税義務が課されており、農民の犠牲の上に 成長する中国の発展像が浮かび上がってくる。このため、農民・貧困層の抵抗運動がいた る所で頻発し、例えば 03 年に中国では 50 人以上が参加したストやデモは 31 省、58 万件 に及び、1 日一つの省で 50 件のストやデモが発生していることになる。また、知識社会で の就業者比率は 5%と低く、文化大革命消滅後の高等教育の推進政策によって大学卒や大 学院卒の人数は徐々に増加しているものの全人口に占める高学歴者の比率は未だ先進諸国 に及ばない状況である。 (2)中国の地域別特性 中国で事業経営をする場合、国民文化に留意する必要があるが、既述のように国土が広く 56 の民族からなる多民族国家であるので一律に国民文化として捕捉することには困難が伴う。 ここで主要都市を含む 4 地域(上海、北京、広東、東北)ごとに、それぞれの地域の人々の①気 質、②経済感覚、③政治意識、④付き合い方、⑤男女関係、⑥食文化、について示したのが図 表 1 である2)。 図表-1 気質 経済感覚 中国における地域別特性一覧 上 海 北 京 国際的、都会的、合 愛国心旺盛、高いプ 独立心旺盛、享楽的、 大らか、ストレート、 理主義、小心者、お ライド、理想主義、 冒険心旺盛、家族主義 面子重視、豪快、喧嘩 しゃれ、見栄っ張 面子重視、義理人情 り、繊細 厚い、世間知らず ルール重視、計画 情に流されやすい、 即断即決、相手の利益 的、コスト重視 大雑把な金銭感覚 も配慮 -8- 広 東 東 北 好き、田舎者 大雑把な金銭感覚 政治意識 付き合い方 男女関係 生活のほうが大事 非常に敏感 まるで無関心 それなりに関心あり 都会的センスを要 おしゃべり好き、歴 おしゃべり好き、迷信 飲み会好き、とことん 求される、海外やビ 史や政治の話題を 好き、ビジネスの話題 飲むことで友情が生 ジネスの話を好む 好む を好む まれる 男性は女性に尽く 男女ともプライド 男性の浮気に寛容、女 男性は男気が大事 す、女性は甘え上手 が高い、女性はクー 性は保守的 ルな男性が好き 食文化 食にこだわる、外食 食にそれほどこだ 食へのこだわりが非 食にこだわらない(質 より家庭料理が好 わらない、比較的強 常に強い、ゲテモノ好 より量の傾向)、強い き、軽いお酒が好き い酒を好む み、外食好き、酒に弱 酒が大好き い (出所)みずほ銀行上海支店での入手資料(2006 年3月) このような地域による差異があるために、例えば、上海近辺出身で上海の大学出身者はほぼ 卒業後も上海およびその近辺の省に職を得る場合が多く、特に北京や東北地域に職を得たり、 転勤することは、食文化をはじめ、土地の人の気質、経済感覚や政治意識等の違いのために敬 遠されるのである。また、その反対に東北地域や北京の出身者でその地域の大学出身者なら上 海や特に広東をはじめとした華南の省で職を得たいと思う人はほとんどいないようである。 (3)中国日系企業の進出の成否 以上のような中国の国情や地域特性を踏まえて、日本人現地経営者の見解を総合すると日系 企業が進出する(した)場合の成功の鍵は以下の点に纏められる3)。 ①本社経営トップの決断と思い切った現地への権限委譲 ②有力かつ、優位分野への進出 ③将来的にも独資化への覚悟を保持すること ④積極的に現地調達方針を実行すること ⑤法令遵守(コンプライアンス)を重視すること ⑥中国社会になじむ人事制度を実施すること(同じなのは肌の色だけ、文化も習慣も違う) ⑦有能な通訳を確保すること ⑧董事会、董事長、総経理等の権限と責任を明確化すること ⑨中国社会への貢献、配慮を行うこと(雪中送炭) ⑩近くて違う国中国で仕事をしているという謙虚さを忘れないこと -9- 反対に、以下の場合は失敗につながりやすく、回避されるべき事態である。 ①本社経営トップが第三者的姿勢をとること(経営者の陣頭指揮・本社のサポートが必要) ②合弁相手が不適切な場合(行政トップの紹介は、時に要注意。相手は 1 社が望ましい) ③有能な現地スタッフが不在 ④日本人的弱点が表面化すること ア 政治家や官僚に弱い(過度な当局への依頼、信頼) イ 中国古典世界の人が今もいると思っている ウ 情報をすべて出す エ 統計的データをすべて求める ⑤偏った先入観と歴史観を持つこと ア 中国というよそ様の国に行って、金を儲けようとしていることを分からない、分か ろうとしない人(グローバルスタンダードはこうだ・・・、日本はこうだ・・・) イ 問題が生じた時に「ああやっぱり、中国、中国人だから」と考えがちな人(いわれ のない差別意識を持っている人) ウ 中国が社会主義だから、日本と違うと思っている人 4.中国国民文化の源泉と次元分析 (1)中国国民文化の源泉と特徴 前節では中国は一様ではないとの観点から社会別や地域別のカテゴリーに分けて中国の国情 や文化の違いをみてきたが、本節では統合的マクロ的に中国全体の国民文化の源泉およびその 特徴について考察する。 中国文化を理解するには中国現代文化のみならず 4、000 年の歴史を通じて非常に多くの政 治・経済・社会的要素と相互作用を続けながら築かれてきた中国人の太古からの文化あるいは 価値観の源泉に遡ることが必要であろう。中国人の価値観や倫理道徳に最も影響を与えたもの は「四書」 「五経」に代表される儒教(儒学)である。 「四書」は『論語』 『大学』 『中庸』 『孟子』 であり、 「五経」は『尚書』 『周易』 『詩経』 『礼記』および『春秋左伝』を指す。包括的にいえ ば、 「四書」 「五経」は自然観、人生観、価値観、社会規範、倫理道徳、処世哲学などについて 述べたものである。これらの儒家の思想は中国人のみならず世界中の華僑、華人にまで広く深 く波及している。 徐方啓氏は、論語の価値観や倫理観から影響を受けるビジネスの側面についていくつかの例 を挙げている(徐方啓、 2006) 。 - 10 - ①「子曰、有朋自遠方来、不亦楽乎」( 學而第一・1) 日本人の場合、相手の自宅を訪問する際は、必ず事前に連絡を取って相手の都合の良い日 時を確認してから行動するが、中国人の場合連絡なしの訪問も多い。これはお互い無造作 の真実な面を知りたい、見せたい、親密になりたいとの意向でもある。 ②「子曰、人而無信、不知其可也、大車無輗、小車無軏,其何以行之哉」(為政第二・22) 信とは「信義」 「信用」 「信頼」などであり、信に対する認識は世界共通と言えるが、実際 のビジネス行動では違った形で表れる。例えば、欧米ではトラブルの発生に備えて契約書 にサインを求め、日本ではそれに捺印を、時には印鑑証明書まで求めるが、中国のビジネ スマンからみれば、そのようなことは全く信がない行動といえる。中国の経営者、特に私 企業の経営者が契約書にあまり関心を持たない理由である。 かつてのヤオハンの統帥・和田一夫は、 「香港の経営者からみて日本から来た支店長は 3 ~4 年もすれば異動で日本に帰るか、他国へ転勤になってしまうので『せっかく友達にな ってもしょうがない』という思いが強い。そのため私は香港に居を移し直接相手企業の社 長と即断即決するようにした」 、と述べている。また、著書の中で「オフィスでの商談は包 装紙。その中身は互いに自宅に招いたりクルーザーに乗ったりして、一緒に食事をしたり 酒を飲んだりする交際の中にあるのです」とも述べている(和田一夫、 1995) 。 ③「子曰、中庸之為徳也、其至矣乎」 (雍也第六・29) 中庸は儒教思想の重要な部分である。中庸の中は偏らない、過不足がないことで、庸は平 常を意味する。また、矛盾する物事の間に中和点を見つけて、バランスを保つといった意 味もある。香港のビジネスマンはよく「みんなで儲かりましょう」という言葉を口にする が、これは儲けを独占したくもないし、リスクも負いたくないという中庸の思想が働いて いる。徐方啓氏の調査によれば、聯想(レノボ)グループの会長・楊元慶や百度ネット技 術社長の李彦宏のように中庸の道を信奉する経営者は多いと述べている(徐方啓、2006) 。 また、徐氏によれば、 「四書」 「五経」の他に太古から中国人に大きな影響力を持つ儒学思想 として老子による『道徳経』があるという。そして海爾(ハイアール)会長・張瑞敏は「私が 多く読んだのは,老子の『道徳経』と孔子の『論語』です。 『孫子の兵法』もよく読みました。 しかし、比較的大きい影響を受けたのは『道徳経』です。その中で最も重要なのは、彼が言っ た「無為」という言葉です。 「無為而無不為」です」とインタビューの中で述べたという(徐方 啓、2006) 。老子の無為とは、自然万物の働く法則に反する行動をしないということである。 無為ができれば何事も為し遂げられないことはないというのが「 無為而無不為」である。 『道徳経』は上下 2 部で構成され、道について述べた「道経」の上部と徳について述べた「徳 - 11 - 経」の下部とからなっている。老子の思想は主に道(Tao)と対立統一の弁証法に現れている。 道とは、老子の基本思想であり、古代社会の最高の倫理道徳基準でもあった。道徳に近い概念 であるが、道は徳より高い。老子は「故に道を失いて後に徳あり、徳を失いて後に仁あり、仁 を失いて後に義あり、義を失いて後に禮あり」 ( 「故失道而後徳、失徳而後仁、失仁而後義、失 義而後禮」38 章)と述べている。張瑞敏の強調したかったのは企業をうまく経営するには、企 業と人間(従業員や消費者) 、企業と自然、企業と社会の法則に反してはならないということで あろう(徐方啓、2006) 。 対立統一の弁証法では、A と B とは相反する事物であるが、互いに相手の存在を自己存在の 前提としており、双方をめぐる内外の諸要素が変化すれば、A と B の立場も変化し、その結果 A と B の立場が逆転することもありうると考える。この弁証法は次の一文によく表れている。 「有無相性、難易相性、長短相性、高下相傾、音声相和、前後相遇」 さらに、22 章では「小則得、多則惑」 (権力、名誉、土地、財産などを少し持っていれば十 分であるが、多く持てば逆にどうしたらよいか判断に苦しむ)が聖人の行動基準として記述さ れている。また、36 章ではライバルに勝つには、真正面から戦うより、懐柔政策をとった方が 良いといった趣旨が述べられており、今日の企業経営における競争戦略に役立ちうる教示もみ られる。 (2) 中国における国民文化の次元分析 オランダ人で異文化研究の第一人者と目される ホフステッド は世界中の国民文化を判断す る次元として、①権力格差の大小、②集団主義対個人主義、③女らしさ対男らしさ、④不確実 性の回避の程度、の4つを確認した。しかし、その後彼はカナダ人のボンド(Michael H. Bond) と共同研究をおこなっている。中国を含めた 23 カ国の大学生からの回答を分析した「中国的 価値観調査」では、不確実性の回避の次元と相関したものはなく、代わって検証されたのが「儒 教的ダイナミズム」と名付けられた「長期志向対短期志向」の次元であった。この調査では西 洋の研究者の持つ文化的バイアスを避けるための工夫がなされている( Hofstede, 1984, 1988, 1991) 。 長期志向の極にある価値項目は、持続性(忍耐) 、地位に応じた序列関係と序列の遵守、倹約、 恥の感覚である。他方、対極としての短期志向に含まれる価値項目は、個人的な着実さと安全 性、面子の維持、伝統の尊重、挨拶や好意や贈り物のやり取りである。これらの価値項目のほ とんどが孔子の教えから直接引き出されたものであるため、 「儒教的」という名称がつけられて いる。長期志向の極にある価値は、忍耐にしても倹約にしても未来志向であり、その対極とし ての価値は過去および現在志向である。 - 12 - ホフステッドらは,これらいくつかの儒教的価値と東南アジア諸国の近年の驚異的な経済成 長率とが相関していると述べている。カーン( Kahn, 1970)もかつてこれら諸国の経済的成功の 原因をそれらが持つ共通の文化に求めたが、ホフステッドらはより具体的にそれらの文化要素 を明らかにしたのである。一言でいえば、それらは長期志向を構成する価値項目である。 「持続 性(忍耐)」は目的を達成すべく粘り強く努力することで、創業間もない企業家にとって非常に 重要な要素となる。 「地位に応じた序列関係」は、権力格差の大きな不平等な文化において調和 のとれた秩序の維持を可能にし、企業家にとって役割を果たしやすい。 「倹約」は言うまでもな く貯蓄をもたらし、それが直接・間接に投資されるとき利用可能な資本は増加する。 「恥の感覚」 は交際に気を使い、 約束を果たすことが重視されるので相手との関係を維持することに役立つ。 短期志向の極にある価値項目については、各項目とも過度に強調すると成長の阻害要因とな るが、適度に実行されれば、儒教でいう陽と陰の関係として、長期志向を補完する関係になり うるといえよう。 〈注〉 1. ドル=8.2765 人民元、 1 ドル=107.47 円にて換算(2004 年度) 2. 図表1は筆者が 2006 年 3 月に中国での日系企業の調査の一環としてみずほ銀行上海支店を訪問した 折、プレゼンテーション時に配布された資料の一部であるが、中国に長年管理者として駐在し、現地行 員たちと協働するなかで彼らが折に触れ体験的・感覚的に学びとった 4 地域の人々の地域特性であり、 地域別の異文化の理解に大いに役立つものではなかろうか。因みに帰国後著者の所属する大学の中国人 留学生の数名にこの表を示しその適正性・信憑性について質問してみたが異議を差し挟む者はほとんど いなかった。 3. 上記みずほ銀行上海支店でのプレゼンテーション時に入手した資料をもとに筆者が修正したもの 〈参考文献〉 徐方 啓(2006)『日中企業の経営比較』ナカニシヤ出版、28-43 ページ。 和田一夫(1995)『ヤオハン「中国で勝つ』戦略』TBS プリタニカ、101 ページ。 Herman K. (1970) The Emerging Japanese Superstate: Challenge and Response, Prentice-Hall., Englewood Cliffs (坂本二郎・風間禎三郎訳(1970)『超大国日本の挑戦』ダイヤモンド社 Hofstede, G. H. (1991) Cultures and Organization ― Software of the Mind, McGraw-Hill International(UK) Limited(岩井紀子・岩井八郎訳(1995) 『多文化世界』有斐閣) Hofstede, G. H. & Bond, M. H. (1988) “The Confucius Connection: from Cultural Roots to Economic - 13 - Growth”, Organizational Dynamics, Vol.16, No.4, pp.4-21. Hofstede, G. H. & Bond, M. H. (1984) “Hofstede’s Culture Dimensions: An Independent Validation Using Rokeach’s Value Survey”, Journal of Cross-Cultural Psychology, Vol.15, No,4, pp.417-433. - 14 -
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