地域の働きといろいろな顔(東京大学教授 田中 淳)

論 説
地域の働きといろいろな顔
東京大学教授
田中 淳
はじめに
地域防災が重要だということに異論はないだろう。その一方で、高齢化や都市化を背
景に、いくつかの課題も指摘されていることも事実だ。その課題すべてを網羅し、処方
箋を書く力はないが、調査を通して見えてくる地域の働きやその姿を幾つか提示し、地
域防災を考えるひとつの見方を示してみたいと思う。
地域の働き
東日本大震災のほぼ1年前、2010年2月末にチリで発生した巨大地震による津波が地
球の反対側である日本にまで襲来し、津波警報が発表された。この時に実施した調査の
結果、宮城県内のA市では避難率が63.2%と高かったのに対して、北海道内のB市で
16.0%と大きな差があった。
地域によって避難率が異なる。当たり前ではあるが、そこに地域に形成されてきた災
害文化の違いがあるように思われる。もう少し詳しく見てみよう。A市では、津波警報を
聞いて「避難しようと思った」人が40.8%、
「避難しようか少し迷った」人が23.2%であっ
たが、B市ではそれぞれ10.3%、18.3%となっていた。A市では、津波警報を聞いて避難
しようと思った割合が4倍近いことになる。さらに興味深い結果が、図1である。津波
警報発表を聞いた住民の避難意向毎に避難率を比較したグラフである。図1から読み取
れるように、避難しようと思った人は、いずれの市でも避難している。ところが、避難
A市(宮城県)
B市(北海道)
避難しようと思った
しようか少し迷った
余り思わなかった
全く思わなかった
100% 80% 60% 40% 20%
0%
0%
20% 40% 60% 80% 100%
避難した 避難しなかった
図1 避難意向毎の避難率
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率の高かったA市では、少し迷った人や「避難しようと余り思わなかった」人、さらには「避
難しようと全く思わなかった」人たちでも、実際には避難をした割合が高いことがわかる。
避難をした理由を聞くと、「津波警報を聞いたので」が両市とも一番高いが、むしろ避
難率が低かったB市であげる人が58.8%とA市の44.3%を上回る。「その時いた場所が危
険だと思ったので」をあげた人もB市が29.4%と、これまた避難率の高かったA市を上
回っていた。危険性やその警報を理由にあげた人は、避難率の低かったB市で多かった
ことになる。つまり、避難率が16%に留まったB市で避難をした人は、自ら危険性や発
表された警報から判断した人が多かったことになる。避難をした人がA市では多かった
ので、津波警報やいた場所の危険性をあげた人の実数は多いが、比率から見るとB市で
高かったのである。
A市では、「市が避難を呼びかけたので」を37.3%が、「近所の人に避難するように言
われたので」を34.8%が、「役所や消防団の人が来て、説得されたので」を30.8%があげ
ている。B市では、それぞれ26.5%、8.8%、8.8%の人に留まっていた。
これらの結果は、避難率が高かったA市では、そもそも警報を聞いて避難しようと思っ
た人が多かった。しかし、同時に、周囲の働きかけで、自分では避難しようと思わなかっ
た人も避難していたことがわかる。実は、この周囲の働きかけや周囲からの期待の効果は、
東日本大震災時にも確認されている(田中、2011)。さらに、避難行動だけではなく、他
者の行動をみるだけ、あるいは他者がどのような行動をとるかの予測だけでも効果があ
ることが、ごみの分別など環境保護行動、流行現象などでも知られている。他者の行動
の予測や他者からの期待は、重要な行動
の決定因のひとつなのである。
地域防災を進める上で、個々の防災意
識をあげることは大事であり、そのため
に地域行事や地域組織を活用する必要が
ある。それに加えて、上記の結果が示す
事は、地域内の他の人がどのような行動
をとると予測するか、あるいはどのよう
な行動をとるべきと期待されているか広
めることが大事となる。
岩手県宮古市の大津波(平成23年3月11日)
地域のいろいろな顔
この話題についても、また、調査結果を紹介することから始めることにしよう。千歳
空港に近い樽前山周辺での住民調査結果である。樽前山は、最近の大規模噴火は1739年
だが、その際には現在の千歳空港周辺まで軽石が降り、1m堆積した。1909年等に発生
した中規模噴火が発生すると、降灰の影響が空港へ及ぶ可能性がある。1954年などには
小規模噴火も発生しており、噴火の危険性が指摘されている火山のひとつである。図2は、
この地域の住民が、同じ道内の有珠山の噴火について、誰と何を話したかを示したもの
5
家族
有珠山噴火の
推移
84.1
近所の人
一般的な
火山災害の怖さ
30.4
自主防の集まり
3.4
かつての
噴火災害
学校から
1.4
噴火の生活への
影響
仕事関係
20
49.8
33.3
59.4
樽前山の
噴火可能性
59.7
0
41.5
40
60
80
66.2
0
100
図2 有珠山噴火について話した相手
10
20
30
40
50
60
70
図3 話した内容
図3 話した内容
図2 有珠山噴火について話した相手
である。家族と話になった率が最も高いが、仕事関係の人とも話をしている点が注目さ
れる。
さて、図2の結果の意味を問う前に、地域という表現が意味するところに立ち返って
みよう。私たちの日常生活の多くは、市町村であったり、商圏、学校区であったりと、
一定の範域で営まれる。その範域は、政治、経済、社会あるいは文化といった領域によって、
広かったり、狭かったり、明確だったり、不明確だったりする。伝統的な村落共同体は、
すべての範域がほぼ完全に重なり、個別の統治構造を持ち、固有の文化を持ち、外部と
の接触は極めて限られていただろう。それに対して、現在では、その広がりは格段に大
きくなっている。ただ、それらのいろいろな範域が重なり、相互に影響をし合っている
一定の空間の広がりがあり、社会学ではこのような場を地域と呼んでいる。つまり、地
域という場では、近隣関係、職場関係、学校関係、趣味関係まで多様な活動が営まれて
いるのである。言いかえれば、政治、経済、社会、文化などの領域によって異なる範域
で活動する、いろいろな主体が地域には存在するのである。
ところが、防災の世界で「地域」の関係主体、つまりステークホルダーは、住民あるい
は住民組織が想定されていることが多いように感じている。たしかに、最近では、市町
村が地域防災に企業を巻き込んだり、企業が社会的貢献として地域防災に積極的に関わっ
たりする動きが出てきている。たとえば、総務省消防庁では、従業員が入団しやすく、
勤務時間内の消防団活動への従事をしやすくしたりするための働きかけとして、「消防団
協力事業所表示制度」を創設している。津波避難タワーの建設や津波避難場所の提供な
どでは、企業が協力する多くの事例が見られる。それでも、職場集団や企業などが、地
域防災へ関わる活動内容や関わり方は限定的であるように思われてならない。
図2に話を戻そう。噴火について話をした相手は、仕事関係が多かった。話した内容
6
論 説
地域の働きといろいろな顔
をみると、図3に示したように有珠山の噴火
の推移についても41.5%の人が話題にしてい
るが、樽前山の噴火の可能性について66.2%
が、火山噴火が生活に与える影響について
59.4%が取り上げていた。「我が事」として
受け止めていたことがわかる。この結果は、
防災に対しての意識醸成の場として、仕事関
係が有効に働いていることを示している。地
域防災を考える上で、住民組織だけではなく、
地域に存在するいろいろな組織や関係も積極
有珠山噴火(平成12年3月31日)
的に活用し、その中の他者の働きかけや期待、
他者の行動の予測を地域防災に結び付けて行くことが、ひとつの在り方ということになる。
狭い地域と広い地域
最後に、地域防災のリーダーの「自分たちの地域の避難所に沿岸の方を受け入れなけれ
ばならない。そのためには、自分たちは家の耐震化を進め、自分たちが避難所を埋めない
ようにしなければならない」という言葉を紹介しておきたい。これは、南海トラフ巨大地
震の発生が指摘されている高知県のある自主防災組織のリーダーに伺った話である。
津波避難に偏り過ぎている3 .11以降の地域防災の中で、幸いにも津波の被害を免れる
地域の士気をどのようにして維持し、求められる対策を進めて行くかを考えると、このリー
ダーの視野の広さに深く感銘を受ける。と同時に、沿岸部の地域から見れば、単独では解
決できない避難所の確保が見えてくることになる。地域防災を狭い範囲で考えた方が、課
題も絞られ明確となるが、広く連携と協力とを考えると解決方策が生まれるし、自らの新
たな課題も見えてくることになる。狭く限ったほうが他者の働きかけは強くなるが、広く
取ったほうが地域内のいろいろな組織や関係を活用することができる。
実は、最近、この地域を広く取ることは、地域防災活動の継続にも効果があるのではな
いかと考えるようになっている。自主防災組織などの地域防災組織は、リーダーの世代交
代や意識の継続に課題を感じているところもある。また、専門的なスキルや知識を必要と
しているところもある。幾つかの先進事例を見ていると、地域を広くとることに解決を見
出しているところがあった。地域を広く取れば、関心や意識の高い人、スキルや知識を持っ
ている人が見つけやすいからである。町内会長や自主防災会長などは持ちまわりや地域課
題によって交代していくが、防災委員といった形で継続性を生んでいっている。そして、
その人材を供給している大きな源が消防団である。消防団として地域防災を直接的に担う
か、OBが他の地域防災組織を支えるかのいずれかは別に、地域防災の大きな推進の源に
なっている。逆に言えば、地域防災組織全体の中で、地域の特性を踏まえて、消防団のも
つ専門性をどのように活かしていくかを問うことが、地域防災の発展と継続には欠かせな
いと考える。
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