イギリス文化論 B レポート 112154 石垣衣里 ~後期授業のまとめ 1 ~ 【 09/30 】■The National Trust 歴史的建築物の保護を目的として英国において設立されたボランティア団体。正式名称は「歴史的 名所や自然的景勝地のためのナショナル・トラスト」。本組織による保護活動が著名となったことから、 同様の趣旨を持って活動する運動、あるいは理念そのものを「ナショナル・トラスト」と呼ぶこともある。 ■シェフィールド・パーク・ガーデン 英国式風景庭園の傑作。一枚の美しい絵画の中を散歩するというコンセプトのもと造られた。 森の木々や池、岸部の草花があたかも自然の一部のように配置されている。それまではフランス様 式をまねた幾何学的庭園が主流だったため、規則性の無いその新しさが人々の心をとらえた。 ■ランスロット・”ケイパブリティ”・ブラウン(1716~1783) イギリスの風景式庭園の設計者。18 世紀最後の偉大な英国の芸術家 で、イングランド地方の最も偉大な庭師。「ケイパブリティ」はあだ名であり、 整形庭園を風景庭園に変えてしまうことから、「改造できる」の意味。生涯 で 170 以上の庭園を設計した。代表作としてはチャッツワースが有名。 ランスロット・ブラウンの肖像画 (参考元:http://ja.wikipedia.org/) 【 10/07 】 ■大徳寺 京都府にある寺。茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた。本坊およ び塔頭寺院には多くの文化財を残しており、その庭園は真の日本庭園の様式と言える。 ■枯山水 枯山水とは水のない庭のことで、池や遣水などの水を用いずに石や砂などにより山水の風景を表現 する庭園様式。例えば白砂や小石を敷いて水面に見立てることが多く、橋が架かっていればその下は 水である。石の表面の紋様で水の流れを表現することもある。 大徳寺瑞峯院の枯山水 (参考元:http://ameblo.jp/kazue-fujiwara/) ■龍源院 大徳寺派の寺院。同派大本山大徳寺の塔頭である。大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南 派の本庵とされている。 以下は龍源院の保有する庭園である。 東滴壺(とうてきこ) 昭和 35 年に作庭された方丈と庫裏との間の現代壺庭の傑作で、白砂敷きのなかに 5 つの石が 3・2 の石組みに分けて配されている。 一枝坦(いっしだん) 東渓禅師が師である実伝和尚から賜った「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」という室号 から名付けられたもので、丸く象った苔の中に石が立つ亀島が印象的な斬新な庭である。 龍吟庭(りょうぎんてい) 方丈北側に広がる三尊石組からなる室町時代の枯山水庭園で、中央の石組は須弥山を表し、 青々とした杉苔は洋々たる大海を表す。 滹沱底(こだてい) 宗祖・臨済禅師が住んだ中国・鎮州城の南を流れる滹沱河から名付けられた白砂の庭で、阿 吽の石と名付けられた 2 つの石は聚楽第の遺構といわれる。 左:東滴壺 / 上:一枝坦 (参考元:http://ja.wikipedia.org/) ■露地庭園 茶室に付属して設けられた茶庭。千利休は短歌で『露地はただ浮世の外の道なるに心の塵をなぞ散 らすらむ』と歌って、露地を、人を茶室に導きいれる通路であるとともに、雑念を払って茶の湯の世界に いざなうためのもの、と位置づけている。それ故に露地は、何も飾らないありのままの、もの静かな風情 のたたずまいがよしとされる。 ■東福寺 京都府にある臨済宗東福寺派大本山の寺院。明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたが、今なお 25 か寺の塔頭(山内寺院)を有する大寺院である。 方丈庭園 近代の造園家、重森三玲によって昭和 13 年(1938 年)に作庭され、方丈を囲んで四方に配さ れる。釈迦成道を表現し、八相の庭と命名されている。鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基本とし、 これに近代芸術の抽象的構成をとり入れた枯山水庭園である。 南庭 : 荒海の砂紋の中に蓬莱、方丈、瀛洲、壺梁の四仙島を表現した配石で、右方には五山 が築山として表現されている。 北庭 : 南の恩賜門内にあった敷石を利用し、石と苔を幾何学的な市松模様に配している。 西庭 : さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図して いる。 東庭 : 東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様の地割に配している。 【 10/14 】 ■整形庭園 直線的で左右対称。幾何学的庭園、古典的庭園とも言われる。 代表例:ヴェルサイユ庭園、ハンプトン・コート庭園 ■風景庭園 非直線的で自然の風景を取り入れている。 代表例:シェフィールド・パーク庭園 【 10/21 】 ■『ジェーン・エア』 10/27 は前期から見てきた『ジェーン・エア』を最後まで見ました。後期に見た範囲では、ロチェスター がジェーンに結婚を申し込むシーンが熱くロマンティックで印象に残っています。素直じゃない二人の気 持ちがようやく通じ合ったのを感じました。だからこそ、その後判明したロチェスターの狂人の妻の存在 によって二人がバラバラになってしまう展開には驚きました。紆余曲折ありましたが、最終的にはジェー ンとロチェスターが無事結ばれてよかったです。決して美人ではないヒロイン、ジェーンの性格、身分に とらわれない自由恋愛など、当時の社会情勢から考えると、本当に『ジェーン・エア』は画期的な作品だ ったのだなと改めて思いました。個人的にとても興味深く鑑賞できた映画でした。 【 10/28 】 ■ミルトン・アバス イギリス南部の地名。ミルトン卿はランスロット・ブラウンに庭造りを依頼し、そのために村を丸々ひと つ移動させた(教会のみ残した)。その際、ミルトン卿はわざと洪水を起こして村人たちを追い出した。 ■チャールズ・クエスト=リッツオン氏の話 風景式庭園は、当時の貴族の流行やライフスタイルにとても合っていた。上流階級の楽しみといえば 狩り、射撃、釣りなどであったが、風景式庭園ではそれらを楽しむことが可能だった。また、自分の所有 しているものを全て見渡すことができる満足感もあり、貴族の間ではお互いに庭を訪問し合うことが流 行った。 ■アントニー・ハウス イギリス南西部の都市プリマスから車で約 30 分の場所にある 18 世紀初期のカントリーハウス。その 庭園はブラウンの弟子のハンフリー・レプトンによって改造された。 【 11/04 】 ■ハドリアヌスの長城 イギリスの北部、スコットランドとの境界線近くにあるローマ帝国時代の城壁跡。ローマ帝国は 1 世紀 半ばにブリタニアまで領土を拡大させたが、ケルト人の侵入に悩まされていた。そこで皇帝ハドリアヌス が長城の建設を命じ、10 年かけて造られた。領土拡張を続けていたローマ帝国が、拡張政策を続ける ことを断念した政策転換点としても象徴的な建造物の一つである。 ハドリアヌスの長城 (参考元:http://ja.wikipedia.org/) ■ヴィンドランド要塞跡 長城のそばにつくられた兵士の駐屯所。この遺跡ではもう長いこと発掘調査が行われており、給料と して払われた貨幣や、兵士のサンダル、軍務状況を記録されていた木簡など兵士たちの生活の様子を 伝えるものがいくつも見つかっている。 【 11/11 】 ■ケネディ大統領の演説 “My fellow Americans, ask not what your country can do for you, what you can do for your country.” (親愛なるアメリカ国民諸君、国が自分のために何をしてくれるのか問うではなく、自分が国のために 何ができるのかを問うのだ。) ■ケネディの演説の特徴 力強く素直な演説 ユーモアに富んだ記者会見 才色兼備のファーストレディ 理想の家族 ■ケネディの政策 ニューフロンティア政策 核実験の禁止 アポロ計画 【 11/18 】 ■エディンバラ スコットランドの首都であり、ロージアン州の州都。地名は「エドウィンの城」の意味。スコットランドの 東岸、フォース湾に面するこの都市は、グラスゴーにつぐスコットランド第 2 の都市で、政治の中心。同 国屈指の世界都市でもある。英国国内では、ロンドンに次いで観光客が多い町。 ■プリンスィズ・ストリート 東西に延びる有名な街路。この街路に分断される南側はオールドタウン(旧市街)と呼ばれ、中世の 都市図とスコットランド宗教改革時代の建物が多く残っている。北側はニュータウン(新市街)と呼ばれ ており、都市計画の傑作とも評されている。なお、どちらもユネスコの世界遺産に登録されている。 ■エディンバラ・フェスティバル エディンバラで毎年 8 月の同時期に開催される複数の芸術と文化の祭典の総称。エディンバラ城の 構内では、連夜、軍楽隊によるバグパイプ演奏やハイランドダンスが披露されるミリタリー・タトゥーが上 演され、市内の各所で数多くの大道芸人がパフォーマンスを繰り広げる。 ■エディンバラ城 キャッスル・ロックという岩山の上に建つ古代からの要塞で、エディンバラのシンボル。多くの観光客 が訪れている。多くの城がそうであるように、エディンバラの要塞は軍事活動の中心地だった。エディン バラ城はいまだにセレモニー用として駐留部隊のいる数少ない城である。 【 11/25 】 ■ウィリアム・ケント(1685~1748) イギリスの造園家および建築家。同時に、画家、家具設計家でもある。歴史的には建築家としてより も造園家として重要な人物。今日イギリス式庭園、風景式庭園とよばれる庭園を創造し続けた。ケント の活躍した時代以降、カントリーハウスは景観を支配したり操作したりするのではなく、調和するように 設計されることとなっていった。 ウィリアム・ケントの肖像画 (参考元:http://ja.wikipedia.org/) ■ラウシャム・ハウス庭園 1730 年代にウィリアム・ケントによって造られた、古典主義と自然主義の折衷様式によるイギリス 庭園である。様式的には初期風景庭園の代表作である。最もイギリスらしい庭園の草分け的作品。当 時は極めて斬新なスタイルで話題を呼んだ。フランス革命後、血を流さずに革命を成功させたイギリス を模範にする思潮がヨーロッパで起きた時に並行して注目を集めた。 ■シシング・ハースト城庭園 作家ヴィタ・サックヴィル・ウェストとその夫ハロルド・ニコルソンがその生涯の 30 年以上をかけて造 った、イギリスのケント州にある庭園。白い花と銀葉植物だけで造られている。イギリスで一番美しい庭 とも言われ、世界中のガーデニング愛好家の聖地になっている。モデルとされたのはコッツウォルズの ヒドコート・マナー・ガーデンであったと言われている。 【 12/02 】 ■スコットランド・ローランド地方 東南に広がる、人口が多いエリア。エディンバラやグラスゴーなどの大都市がある。言語や宗教にお いて北イングランドと密接な結びつきがある。 ■スコットランド・ハイランド地方 さらに遠方の北西に広がり、ブリテンで最も高い山々が連なるエリア。ゲール語がより一般的に使わ れている。ローマ、カトリックの影響を強く受けている。 最大の都市は、ネス湖につながるネス川の河口にあるインヴァネス。 ネス湖はピート(泥炭)のために水が暗く濁っており、そのことがネッシー伝説誕生の理由の一つとも 言われている。 ■アーカート城の廃墟 ネス湖の北岸にある、13 世紀にはすでに建っていたとされる城。アーカート城を巡っては何度も争い が起きた。17 世紀頃、要塞として使われないように壊されることとなった。 ■タータンチェック スコットランドのハイランド地方で発達した特徴のある格子柄。氏族が紋章に用いた。 ■コーダー城 イギリスのスコットランド北西部、ハイランド地方唯一の都市インヴァネス近郊にある古城。城の原型 が建てられたのは 14 世紀で、この一帯の領主のコーダー家の居城である。シェークスピアの四大悲劇 の一つ『マクベス』の舞台(マクベスの居城のモデル)となった城として有名だが、マクベスは 11 世紀の スコットランド王なので、実際はマクベスと関係はない。 【 12/08 】 ■ヘンリー8 世(1491~1547) テューダー朝のイングランド王。自分にとって不要となった妃や、トマス・モアをはじめ自分に意見を する側近達を次々と離縁・処刑し、カトリック修道院の財産を没収するなど、苛烈な暴君として有名であ った。 ■ヒーヴァー城 ヘンリー8 世の 2 番目の妻であるアン・ブーリンの生家。1270 年にケント州に建てられた。英国指折 りの名庭園に囲まれた端正な美しさを持つテューダー様式の邸宅である。 ■The Great Causeway(巨人の道) アイルランドの伝説の巨人であるフィン・マックールが、スコットランド巨人のベナンドナーと戦うため に造った道だと言い伝えられている。伝説によると、ベナンドナーは戦いを始めようと石道を渡り始めた のだが、フィン・マックールに騙され相手の方が自分よりも巨大であると思い込んでしまう。恐れをなし たベナンドナーはスコットランドへと逃げ帰り、戦いが起こらないようにと石道を壊してしまったそうだ。 ジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸 (参考元:http://ja.wikipedia.org/) 【 12/16 】 ■ロンドンのタクシー ロンドンのタクシードライバーは、ロンドン中心部から半径約 10 キロにある 1 万 5000 程の道を覚え なければならない。専門のスクールもあり、世界一難しいタクシー試験と言われている。 ■リージェント・ストリート ロンドン中心部にある大通り。ロンドン有数のショッピング・ストリートとして世界的に有名である。な だらかに続く特徴的なカーブが、髪型の「リーゼント」の由来となった。 リージェント・ストリート (参考元:http://ja.wikipedia.org/) 【授業の感想】 一年間イギリス文化論の授業を受けて、これまでは全然知らない世界の話だった「イギリス庭園」に 以前よりも親しみを覚えるようになりました。それは、この授業で庭園の歴史を深く知り、多くの知識を つけたからだと思います。イギリスや日本の様々な庭園様式を見てきましたが、私はその中でも特に整 形庭園が好きです。自然のもの(木や花など)が、自然でない形(直線や幾何学模様など)になっている ところに、とても面白さを感じました。自然風景の中では決して見られない人工的な美しさ、でもそれを 形作っている素材は間違いなく自然そのものである。相反する二つのものがうまくコンビネーションされ ているのが、整形庭園の魅力だと思います。また、この授業では庭園以外にも多くのイギリス文化につ いて学べ、より知識が広がりました。いつかイギリス旅行に行った際には、この授業で得た知識をぜひ 活用したいです。
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